三大観音というのがあるそうです。一つめは奈良の長谷寺、鎌倉にもあるそうで、三つめが三重県の、お伊勢さんに近い長谷寺ということで、近長谷寺、というのがあります。
もう二十数年前、うちの父母を連れて、坂道を上がったことがあったけれど、今考えると、しんどかったでしょうね。クルマの道があるのは聞いてたけど、その入口が分からなくて、二十何年間、行ってませんでした。
それで、この前の日曜日、何となく町中を走ってたら(最後のヒガンバナたちを見るついでに)、こちらへどうぞ、みたいな案内が見えたので、誘われるままにお寺まで行ってしまいました。
奈良市内に行くと、そういうことがあります。歩いてたら、そういう行ってもよさそうなところがたくさんあって、結局、どこにも行かなくて、大仏殿と二月堂と奈良町散歩と古本屋めぐりになるように、もう行かないところを切り捨てまくっています。
どこでもそうで、すべてを回ると、どこにも行けない。だから、自分の行きたいところしか行けないなんて、よくあることでした。
多気町の丹生(にゅう)にある本楽寺のイチョウも改めて見てきました。昔は大きなイチョウだったそうですが、枝の先端が折れてしまって、下の方だけが残っているけど、でも、それなりのイチョウです。四つの幹が伸びてた頃は神秘的だっただろうけど、あまり大きくなりすぎても、お寺としては困ってしまうし、今少し大きくなるのを待つのかな。イチョウって、あっけなく風で折れてしまう時もあるから、そのまま大きくなってくれたら、人間としてはそれはもう喜ばなくてはならないと思います。
先日テレビで、日本一のイチョウというのが青森の西海岸にあるそうで、それを火野正平さんたちが訪れてるところを見たけど、もう際限なく幹が出て、樹々から垂乳根が出ている姿に少し感動しましたけど、あれを見てさらにイチョウの不思議さを感じました。
坂道をクルマで上り、駐車場からすぐ行けそうな感じでした。でも、簡単ではなくて、ヘトヘトになってお寺のところまでたどり着きました。
お堂の中に入るために、息を整えなくてはなりませんでした。
そして、観音様に久しぶりに出会えた。
ペイントで描こうかと思ってたら、ネットで公開されてたので、そのままお借りしてみました。
奈良の長谷寺の観音様は、開けた方に向かっておられましたけど、ここの観音様は、山の中腹の、少し開けたところにお堂があって、そこに観音様はおられる。
いろんな装飾やら、道具もつけておられて、立派です。悲しいかな、拝観するもの、お参りするものが少なすぎる気がしました。お堂のまわりの木もたくさんありすぎて、少し暗い感じ。
夕方にお参りさせてもらったから、暗かったのか、木が多すぎなのか、私の感じでいくと、もう少し木を切ってもらって、開けたところから櫛田川が眺められたり、杉の山の中をもう少し開けさせてもらって、光を入れてもらうと、お堂にもいいし、観音様も風を感じてもらえて、いいのかなと思いました。
ふもとの村の十数軒の集落で管理しているそうで、たまのお祭りのときとかくらいしか、お坊さんは来ないということでした。
何だかもったいない。今はとりあえず、それでいいけど、あと何年かして、集落が細って行ったり、お堂の改修をしなくてはならない時に、どこからお金が出るのか、勧進のために中興の祖みたいなお坊さんが出るのか、私の知らないところではあるけど、何だかもったいないし、これからが心配です。
今ある道をもう少し整備して、遊歩道もちゃんとつけて(一応あるんだけど、初めて知るくらいだから、あまり利用されてないと思います)、たくさんの人たちにお参りに来てもらわないと、観音様も手持無沙汰だと思います。
今度いつお参りに来られるのか、それはわかりませんけど、あちらこちら立派な道路は作られたりするのに、信仰の道はイマイチちゃんと整備されていない。
それはもう埋もれる道なのかもしれないけど、観音様にこんなとこに来てもらっていて、何だか申し訳なくなるくらい、ステキな感じでした。
私たちは、どれくらいこの道をたどれるか、なのかな。
私たちというより、私は、どれくらい、これから、近くの観音様に向き合えるのか、それは私の問題として問われている気がします。