甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

阿弥陀の舞、水上勉さんのエッセイから

2022年07月18日 09時05分12秒 | 草にうずもれて

 とっかえひっかえ本を取り出してて、一つをずっとしっかり読むということができていません。何だか落ち着かなく本を読んでいます。長い間電車に乗るとか、嫌でもじっとしてないといけない状況なら、もう少し読めるはずなんですけど……。

 水上勉さんの『足もとと提灯』という70年代のエッセイ集を取り出してきました。こんなことが書いてありました。

 この稿を書いているのは七月十六日。新盆だが、在所の旧盆行事のあれこれがうかんで、何かと複雑な思いである。

 ぼくの村には(福井県)、「阿弥陀の舞」という、独自の行事があって、大人も子供も総出で、阿弥陀堂=死人が出た場合、ここで葬式を行なって柩(ひつぎ)をさんまい(墓場、共同の埋葬地)へ埋める=の前で太鼓をたたいたり、焚松(たきまつ・松明のこと)をかかげたりして、何やらおもしろい文句のかけあいをやる。

 阿弥陀の舞というのは、お盆の行事なんですね。うちには、大阪の実家でも、鹿児島の人々も、どんなお盆をしていたのか、私はそういう行事をまるで経験しないでオッサンになってしまっています。父だって、大阪ではそれらしくはやろうとしていたけれど、見様見マネじゃなかったのかな。ちゃんと受け継いだものがあったんだったか。



 焚松(たきまつ)は「虫送り」の帰りで、夕刻から水田のなかを子供らが火をかかげて走っていたものだが、これには害虫駆除の役割りもあって、あとの火が堂へ帰る頃は霊魂の迎え火になった。

 堂の内と外とで、子供と大人が唱えるかけあい文句は、古老にきくと、大昔から、その年々の村での出来事が織り込まれ、風刺にあふれていたものだったという。節があって、鉦(かね)と太鼓がこれにかさなる。

 たいまつと子どもたちのはやしことばと、不思議な掛け合い、そういうのがお盆に行われてたんですね。お盆に、お葬式の儀礼をおまつり的にやってたんでしょうか。

 さんまいというのは、ふしぎなところです。墓石もなく、ただ木があったりするだけです。普段は、地元の人はそこを通るのだけれど、たくさんの霊魂の無る場所だから、近寄ったり、遊んだりはしない。忌避する場所でもあった。

 けれども、お葬式とお盆の時だけは、そのさんまいにお祈りを捧げねばならないから、大人も子どももみんなで火を焚いてお参りし、ことばを捧げていたようです。



 この行事がすむと、いったん村人は家へ帰って風呂に入り、あらためて次の観音堂に集まって、こんどは踊りあかす。夜明けまで踊るのである。

 ところが、この「舞」も「踊り」も今日は消えた。理由はわからぬが、村へ帰っても、田んぼに「虫送り」はなく、阿弥陀堂に「舞」はなく、観音堂に踊るものは一人もいない。村人らは戸を閉めて、テレビを見ている。六十三軒ある部落が、みな家に閉じこもって盆の夜をすごすのである。

 こうして、日本海側の不思議な習俗はすたれてしまいました。今もさんまいというところはあるようですが、土葬地として使われてないかもしれません。

 残念なような、それが今風であるような、不思議な感じです。過去の日本にはいろんな習俗があったようですが、1975年くらいにはもうそれらは廃れてしまっていた。

 そこからもう半世紀近く経過していますから、さらに習俗は消えていることでしょう。私たちの伝統というのは、一体どこに行って、これからどんな伝統を作るというのでしょう。



 すべては流れ去っていくのだと思えば、仕方がないように感じるけれど、でも、牧歌的なものは残ってもよかった、と思わないでもないけど、現地に住んでいたら、私も、「もう、あんな行事はしなくていいんだよ。簡略化しなきゃいけないし、家でご先祖様だけお祈りしてたらいいんだよ」と家族に宣言するかもしれません。

 すべては消え去っていく。その流れをとどめることはできなくて、体験者の心に少しの間とどまっている記憶でしかなくなるのかもしれません。

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