アサリは、法律が変わったのか、熊本産は見なくなりました。ちゃんと中国産と書いてあります。そうとは知らずにかなり中国のアサリを食べたかもしれません。まあ、すぐには病気にならないね。少しずつダメージが来るだけでしょう。
ハマグリはどうなんだろう。ハマグリやカキなど、大きな貝をそのまま火にかけて(残酷だけど)、熱いよと言ってる貝にしょう油をかけて食べるなんて、なかなか食べたことないけど、匂いは嗅いだことがありますね。ぜいたくな、普段は食べられない味でした。今までに食べたことあるんだろうか。
残念ながら、日本には大きなハマグリもいなくなって、火であぶる貝はどこからやって来るのやら……。それで、碁石は黒はどういうわけか、今でも三重県の熊野市の那智黒石から作り、白はハマグリの貝殻から作るんだそうです。日本ではずっと日向ハマグリから作られていたそうです(貝殻から一つしか作れないのが贅沢というか、かわいそうというか)。
でも、日向ハマグリはいなくなって、今ではよその国のハマグリで白い石を作っていることでした。テレビのお宝鑑定団で古い碁石のセットに、ものすごく高い値段がついたのを見たことがあったけれど、まあ、私には関係ないですね。どんな特別な碁石も、使わなきゃ意味がないしね……。
桑名にも、日向にも、ハマグリはいなくなったんですね。こんなに日本の海に生き物がいなくなって、私たちはどうなることでしょう。
そういえば、カキの養殖で、最近の海はキレイになったから栄養が足りなくなって、廃棄していた鶏糞でカキを養殖すると元気になるという記事も見ましたけど、日本の海はキレイにはなっているようです。栄養はなくなって、温暖化して、今まで生きてた生き物は食べつくされて、いなくなっているのは確かなんですね。
それでも、私たちは、この海で生きていきたいし、海をできるだけ生かせるなら、どれだけ有り難いことか。この海を小バカにしてミサイル・弾頭を週1~2回で打ち込むサビシイ国もあるけど、あそこは海の有り難さをかみしめてないんでしょうね。ただのゴミ捨て場かミサイル実験場とでも思っているんでしょう。いつか海からシッペ返しをされますよ。まあ、今でも海から見捨てられてるのかもしれません。感謝しながら利用させてもらう気持ちがなきゃ!
私は、桑名のことを書きたいと思いました。昨日、「ブラタモリ」を見ていて、彦根の井伊さんばかり取り上げられていて、そんなに戦略的に大事なところを任され(彦根)、江戸においてもお城のすぐ南にある高台で桜田門を守っていたなんて、その門の外であろうことかご当主の井伊直弼さんが暗殺されるなんて、世の中って、何だかやるせないなあと思ったんでした。
井伊家は、徳川四天王の中でも後から参加した家来で、家康さんが静岡・浜松あたりを攻めた時に家来になった人ではなかったでしたっけ。
柴咲コウさんが大河に出た「女城主直虎」あたりで詳しく語られてたはずだけど、残念ながら見ていません。とにかく、後から家康さんのスタッフに加わった井伊直政さんの子孫が、地図的に行くと重用されたことになっていたなんて!
四天王のひとり、本多忠勝という人は、三重県の桑名という町で大名になりました。南の津にはこれまた後発の家来の藤堂高虎さんがいますけど、藤堂さんと同じで西の備えとして配置されたようです。
本多さんはお城を築いたでしょうか。東海道は、熱田神宮近くのあたりの宮宿から七里の渡しで木曽三川をやり過ごし、やっと桑名で伊勢の国に入れるという形でした。
山側の中山道だって、なるべくこの三川をやり過ごせるルートを通っているようで、木曽川・長良川・揖斐川をとにかく越えなきゃいけませんでした。
でも、昔は今の感覚よりも水運は利用しやすかったと思うから、気軽に川で働く人たちに依頼して越えて行ったでしょうね。
本多忠勝さんは、しばらくしたら引退して、子孫がそのまま桑名で繁栄したのではなくて、豊臣家が滅んでから、姫路の方に移動させられて、こちらで幕末まで過ごすことになるそうなので、桑名はそんなに長くいたわけではありませんでした。
藩祖の忠勝さんのお墓は、姫路と桑名と、桑名の前の千葉県の大喜多町にあるそうで、やはり大事な役目は担ったようです。子孫で有名な人というのは知らないんですが、ウィキペディアには、楽天の三木谷社長さんが末裔にあたるというのが載っていました。
現代でも、忠勝さんの荒ぶる魂は生きていたようです。ずっと続いていく人の流れみたいなのを感じますね。