甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

宮沢賢治「宗谷挽歌」(1923) その2

2015年12月16日 18時34分34秒 | 賢治さんを探して
 賢治さんは、返事はかえってこないのはわかっているんですけど、船の上で書かずにはいられません。呼びかけないと気が済まない、というより、自然に呼びかけたくなるのでしょう。

 先日、ツイッターに、クルマの中で、ラジオのちょっとしたことばなんかに引っかかって、ふと「お父さん、ボクは今、こうしているよ……」と呼びかけて、悲しくなる時がある、とか書いてしまったら、奥さんが早速それを見て、「そういうことはだれでもあるし、何の気なして、ふっとそういうことが起きるのよ」と教えてくれました。そうです。みんなが、家族に呼びかけたくなる時があるみたいでした。

 奥さんの妹さんも、あの強気でバリバリお仕事している彼女にも、そういう時があるそうです。でも、みんなそういう時は、それなりに家族をしのんだら、また切り替えてお仕事やら、自分の生活にもどるようです。

 もちろん、私も、すぐ信号待ちでいらついたり、とろい軽トラを追い抜こうと考えたり、何だか落ち着かない夕方があったりするんですけど、たまには父をしのんだりするのです。母のことは、母自身が言うように、「私が元気やから、あんたら心配せんでもいいやろ」という通り、元気でいてくれるので、たいていは忘れています。あまりに忘れすぎると、怒りの電話が来るときもあるので、適当に忘れている、というところかな。


とし子、ほんたうに私の考へてゐる通り
おまへがいま自分のことを苦にしないで行けるやうな
そんなしあはせがなくて
従って私たちの行かうとするみちが
ほんたうのものでないならば

あらんかぎり大きな勇気を出し
私の見えないちがった空間で
おまへを包むさまざまな障害を
衝(つ)きやぶって来て私に知らせてくれ。

われわれが信じわれわれの行かうとするみちが
もしまちがひであったなら
究竟(きゅうきょう)の幸福にいたらないなら
いままっすぐにやって来て
私にそれを知らせて呉れ。

みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまっくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。
  (おまへがこゝへ来ないのは
   タンタジールの扉のためか、
   それは私とおまへを嘲笑するだらう。)


 私たちは、21世紀に、新たな世界を作れるような気分でいました。なんとなく未来・新しい世紀に期待を寄せていた。確かに、冷戦が終わり、みんなが楽しく過ごせる世界がやってくるのだと思っていました。

 でも、実際はそうではなかった。今、世界のトップの人たちは、世界から切り捨てられた不平分子と戦っています。不平分子は、国外にも、国内にもたくさんいて、国内の不平分子は、過激な思想というオモチャを与えてもらって、移民排斥・イスラムや国内の異民族を国外退去しろなど、過激な文句にあおられている。国外の不平分子は、世界の警察のアメリカや、世界のお金持ちでおすまししているヨーロッパに怒りの矛先を向けている。

 やがて、世界の不平分子は、日本に遠征したり、中国で反政府でもを起こさせたり、韓国・東南アジアと、各地に分散していくことでしょう。何か手を打たないと、このまま不平・不満はたまっていくし、環境はますます悪くなるばかりでしょう。いくら空爆をしたって同じことで、シリアがおさまったら、エチオピアとか、リビアとか、イエメンとか、新たな火薬庫が生まれていくことでしょう。

 世界は平和な方向に進んでいませんよ。賢治さん。どうしたらいいんでしょう。ボクも宗谷海峡を渡る船に乗せてもらいたいです。





呼子(よぶこ)が船底の方で鳴り
上甲板でそれに応へる。
それは汽船の礼儀だらうか。
或いは連絡船だといふことから
汽車の作法をとるのだらうか。

霧はいまいよいよしげく
舷燈(せんとう)の青い光の中を
どんなにきれいに降ることか。
稚内のまちの灯は移動をはじめ
たしかに船は進み出す。

この空は広重のぼかしのうす墨のそら
波はゆらぎ汽笛は深くも深くも吼える。
この男は船長ではないのだらうか。

 (私を自殺者と思ってゐるのか。
  私が自殺者でないことは
  次の点からすぐわかる。

  第一自殺をするものが
  霧の降るのをいやがって
  青い巾(ぬの)などを被(かぶ)ってゐるか。

  第二に自殺をするものが
  二本も注意深く鉛筆を削り
  そんなあやしんで近寄るものを
  霧の中でしらしら笑ってゐるか。)


 賢治さんは、少しだけ自分が疑われる要素があるのかも、と思ったのかもしれません。そりゃ、用もないのに、旅を装って、さびしい海にこぎ出そうとする男がいたら、少しだけ疑ってもいい。

 でも、賢治さんは自分が言うように、自殺なんかしたくないのです。生きていきたいから、生きていく自分が、妹さんとの接点を探すために、それを見つけたいから、魂が向かう北へと向かっています。

 ああ、スーパーマンだって、生まれ、よみがえりするのは北極の方でした。南極じゃありませんでしたね。魂は北に向かっているのです。家康さんだって、北から江戸を見ていたいと日光の東照宮を造ったわけですし、とにかく北には何かがあるわけです。そこで命を捨てるということでは全くありません。


ホイッスラアの夜の空の中に
正しく張り渡されるこの麻の綱は
美しくもまた高尚です。
あちこち電燈はだんだん消され
船員たちはこゝろもちよく帰って来る。
稚内のまちの北のはづれ
私のまっ正面で海から一つの光が湧き
またすぐ消える、鳴れ汽笛鳴れ。
火はまた燃える。

「あすこに見えるのは燈台ですか。」
「さうですね。」
またさっきの男がやって来た。
私は却(かえ)ってこの人に物を云って置いた方がいゝ。
「あすこに見えますのは燈台ですか。」
「いゝえ、あれは発火信号です。」
「さうですか。」
「うしろの方には軍艦も居ますがね、
あちこち挨拶して出るとこです。」
「あんなに始終つけて置かないのは、

〔この間、原稿数枚なし〕

永久におまへたちは地を這ふがいい。
さあ、海と陰湿の夜のそらとの鬼神たち
私は試みを受けよう。


 さあ、いよいよ稚内を出ました。8時間ほどで樺太に着きます。一晩中船の中なんですね。神戸から宮崎に行くよりも近いけれど、8時間も大洋の中を横切るのは、何だか心細い気がします。

 間宮林蔵さんも、現地の人々も、何かにつけて海を渡ったらしい。ものすごい冒険心です。その先に何があるのかわからないのに、江戸の旅人たちは、この海を渡った。

 われらが賢治さんは、何か空恐ろしい気分で、何ものかが待つ樺太島へ渡ろうとしている。何かとてつもなく恐ろしいものがあるような、何ともない北海道のひなびた町がつづいているのか、よくわからない町へ向かうのでした。

 私は、サハリンガイドで、少し勉強しないといけないです。勉強してから、つづきを書くことにします。


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