ブログでお友だち(?)になっている方が、ずっと松阪の記事を書かれていて、そうなのか、松阪って、街並み歩きの対象になれるところなのだと見直したところでした。
いつか、いいお天気の日に、お城のまわりとか歩いてこなくちゃ! と思っていました。
それとは別に、テレビでBackstreetboysの「I want it that way 」という曲を聞いて、ああ、そういうグループもあったのだとyoutubeで検索したら、やはりそうで、あれこれ見てみたら、1999年ころの作品だったそうです。ああ、20年間も私は耳で聞いてて、知らんぷりをしていたというか、聞かぬふりをしていたというか、遮断していたというか、とにかく意識しないようにしていたようです。
いや、男の子たちのコーラスを認めていなかった?
いや、イーグルスは何十年も好きなんだから、イーグルス以外のコーラスを認めていなかった?
いや、そうでもないなあ。バックストリートボーイズの扱いがアイドル的だったから、そういうのは関係ないやと遠ざかっていたというべきなんでしょう。
ベイシテイローラーズも、実際に活動している時はずっと切り捨てていたくせに、グループが解散して何十年も経って、レコード、CDあれこれ探すようになりましたから、私がその音楽の価値を知るまで、20年はかかるということなのかな。
確かに、バッハは最近少し気になる人になって、バッハ全集でも欲しいなあ、くらいになりつつありますが、これはもう何十年も経過して、バッハにたどり着けた感じです。
ああ、こんなに時間がかかるんだったら、私がこの世からいなくなる時にも見落としている物・気づいていないもの、いっぱいあるんでしょう。まさにそのとおりで、たいていの人が大事なものに気づかないで人生を終わってしまうものなんでしょう。
それは仕方がないことだから、せいぜい気づいたらすぐに、これ面白いねえと広言しなくてはいけないです。
というわけで、バックストリートボーイズ、20年目にして発見です。せいぜい発見していきます。
昨日、まあまあのお天気でした。14時を過ぎていたけれど、改めてお城の方をチラッと歩いて来ようと、久しぶりに奥さんと散歩に出かけました。
御城番屋敷を抜けて、いくつか空き家があったので、ここは入れるんだろうか? と奥さんに訊いてみると、家賃が十数万ということなので、とても二重生活はできないし、断念せざるを得なかったけれど、住ませてもらいたいような江戸風情が感じられるお家です。まあ、寒いし、煮炊きは不便かもしれないし、お風呂も困るかもしれないし、理想は江戸風情だけれど、私には無理でした。
お堀のそばは歩かなくて(光線はキレイだったけれど)、町中のせせこましいところを歩き、松阪牛を食べさせてくれる牛銀さんの通りを歩いてみました。
ちょうど会社の人なのか、スーツ姿の男の人たちがお帰りになるところで、配車されたタクシーが何台もやってきました。お帰りの時間としてはいい感じで、お昼を豪勢に食べた人たちなんでしょう。うらやましいけど、私には関係のないことだから、まあ、そういう席に出る人もおられるのだくらいに解釈しておりました。
もうこの日のお昼はスバゲッテイ食べたし、夕ごはんはタコ焼きに決まってたから、肉々しいものは一切なしの気分だったんです。いやむしろ、どうして今ごろ肉を食べたい人がいるんだろう、みたいな気分だったかな。
でも、お肉も時にはガツガツ食べたいんですけど、昨日はそうではありませんでした。
牛銀さんを抜けて、参宮街道は津に向かうと(伊勢の反対側)、すぐに橋(これが松阪大橋というそうです)があって、しばらくは古い町並みがあります。呉服屋さん、建設事務所、うどん屋さん、すぐ手前の金物屋さん、ずっと行くとクリーニング屋さん、みんな今も活動はしていますが、お客さんはどうなんだろうか。
風情だけはそのままに、お客さんが来てくれなくて、旧街道沿いは自然とさびれてしまっています。
もっとここをたくさんの人が歩く仕掛けを作れないものかなあ。それが残念です。日本各地で古い街道は、せっかくそこに宝物があっても、クルマでサッと通り過ぎるだけになっている。
松阪市も、もちろん何もしないで、古くなるのに任せていて、空き地を見つけたら、無駄な建物だけを新設しています。そんなのに遠来の人たちも地元民も、まるで興味はなくて、市の借金だけが膨らんでいきます。
どうしたら政治の手法というのを変えることができるのか、建設ではなくて、人のつながりに投資していくことができないんだろうか。具体的なアイデアもないまま嘆いているけど、物を新設することばかりの政治にはもう絶望しています。
ヒントはBackstreetboysにあるような気がする。私は、あの時のやり方でもう一度やり直していきたい、みたいな意味なんじゃないんだろうか。