昨日、やっと「十一歳の自転車」読み終えました。お話はそれぞれ工夫されてて、おもしろかったんです。
それで、何か取り上げる? と思ったら、すべて忘れている自分に気が付きました。
これでは、今から読み直しても、すぐに明日には忘れているでしょう。
とんでもない忘却力です。まあ、もう最近は驚きもしなくなりました。あまりに何もかも忘れていくので、それがいつものこと、みたいな感じです。
そして、解説は泉麻人さんが担当していますが、これは読むことができませんでした。ほんの数行でイライラして、あがたさんの世界がメチャクチャになりそうで、どうしてこんな軽薄で無意味な文章が載っているのかと、許せなかった。
私は、いろんなものごとを受け入れる力も衰えているのかな。たぶん、そうなんでしょうね。
とにかく、明日は休みだから、今晩も本を読んで寝ます。明日、特に何をするわけでもないから、明日も本を読んで、腹筋を鍛えて、おなかをへっこませなくてはなりません。今日もズボンがきつかった。
それにしても、「物は物にして物にはあらず物語」という副題のついた短編集で、いろんな物を取り上げています。
自転車、サングラス、アクセサリ、ボールペン、割りばし、提灯……、いろんな物からいろんな物語を作り上げていました。
私は、この本を古本屋で百円で買ったけれど、それはそれは大事に大事に読ませてもらった。
あと数回は読ませてもらうでしょうか。それくらい読んだら、古本屋さんに持って行って、買い取りでもしてもらおうかな。
そのためには、これからも何回も取り上げなくてはなりません。
そもそも、私はあがたさんに関して、ごく最近フォロワーになったばかりで、今から三十年くらい前は全く無視してたんですもんね。
ああ、とんでもない。
大阪市がなくならなくて、本当に良かった。メリットもあるのかもしれないけど、どうしてそんなシステムを無理して作らなくてはならないのか、維新の会のみなさんも、いい加減に都構想は捨てて、自民党に復党したり、新しい目標を掲げた方がいいと思うんです。
万博、カジノ、すべて間違っているし、ついでに東京のオリンピックだって、浮かれ過ぎだと思ってたけど、どうしてそんなイベント頼みなんだろうな。そういうところにお金をつぎ込むことが経済を回すことだと、誰が考えたんだろう。
基本をないがしろにして、瞬間的に浪費することばかり、またもや莫大な借金が人々の肩にのしかかり、いよいよ世界から相手にされない、小国になっていくと思うんだけど、誰も古典的な箱物・工事・建築行政から抜け出せないみたいです。
コツコツと廃墟づくりをしているのかもしれないですけど、それはそれでいいのかな。何かムダな気がするんだけど、それより学校に本の予算をつけるとか、大学に研究費をつぎ込むとか、優秀な業績を上げた研究者に報酬をとか、地道なことにちっともお金を使わないんですね。残念だなあ。