昨日の続きを書きます! 念願の「銀河鉄道の夜」をやっと読み終えました。本に収録されてる他のお話は読んでいません。新潮文庫の中の「銀河鉄道」だけを読みました。
昨日、打ち込めなかったところを打とうと思ったんです。でも、横着して、青空文庫でそのまま本文を借りてきた方が早いなと思ったんです。
そこで気づいたことがありました。私が抜き出してほしいところが青空文庫には載っていませんでした。青空文庫は、2012年の新潮文庫の改版をベースにしているということでした。
私が読んでいた1961年版は古いバージョンだったそうで、2012年版は「定本・宮沢賢治全集」(ちくま)を使っているということでした。決定版の筑摩書房の全集ですから、それを頼りに本を作っていくというのはあり得ることで、集英社文庫も、角川文庫も、「銀河鉄道」を出していますが、基になる本はそこになっているようでした。
岩波文庫は、谷川徹三さんが編集にあたっていて、独自のテキストになっていました。弟さんの清六さんに取材したりしながら、賢治さんの求めていた形を模索しているようでした。ですから、博士(青白い顔の男)の発言は載っていました。
ちくま文庫で、宮沢賢治全集は出ていますが、分厚いし、高いしするので、そちらはやめておいて、今日、2012年版の新潮文庫を買ってきました。定本版(ちくまの全集版)はこちらに載っています。
でも、私は、1961年版を取り上げたいと思います。
いままで横に座っていたカンパネルラは突然にいなくなりました。汽車は淡々と走り続けています。青白い顔の男から、君はこれからも、いろんな人に出会うだろうけど、その人たちと同じ方向を向いて、みんなのしあわせを求めていかなきゃいけないよとアドバイスされます。
冷静になると、そんなの余計なお世話だというのか、みんなの幸せよりも、自分が楽しめなきゃダメじゃないの! なぜ全体のしあわせを模索していかなきゃいけないのか、そんなの偽善というのか、ウソっぽいというのか、信じられない。というのは、今の世の中のフツーの理屈です。
でも、百年近く前のジョバンニは、ものすごく素直なのです。
「ああ、ぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれを求めたらいいでしょう。」
「ああ、わたくしもそれを求めている。おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。そして一心に勉強しなきゃあいけない。おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできていることを知っている。いまはだれもそれを疑やしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。
けれども昔は水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったり、いろいろ議論したのだ。みんながめいめい自分の神さまがほんとうの神さまだというだろう。
けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。
けれどももし、おまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学も同じようになる。
けれども、ね、ちょっとこの本をごらん。……本の紹介があります……
この青白い顔の人は、ジョバンニを実験の対象にして銀河を走る電車に乗せ、彼の反応を一つひとつ検証していたというのです。
ずーっと、ジョバンニは試され、幸せを考える材料集めみたいなことをさせられていた。
いろんな人に出会わせ、別れさせ、考えさせていた。それをデータとして博士は記録していたというのです。少し怖くなるというのか、すべての物語が実験であって、読者も試されているみたいな、物語の構造が作為的というのか、試されてるみたいで、反感を感じる人だっているかもしれない。
物語は、ジョバンニは、家に配達されるはずだった牛乳が、たまたま届いてなかったから、それをもらいに行く途中でした。そうしたら、汽車の中に乗せられていた。
そして、どれくらいの時間があったのかわからないけれど、旅をして、気づいたら、友だちはいなくなっていた。
そして、時空鉄道に乗り宇宙を旅して、ようやく現実の世界にもどってみたら、友人のカンパネルラは、友だちを助けようとして水死してしまっていました。
時空を超える旅と、現実の旅とが出会った瞬間でした。
友人を失ったまま、家に帰るところで終わりでした。この何ともまとまりのつかない、どうしたらいいのかわからない、不思議な着地点のまま、読者は取り残されていて、やむにやまれず、もう一冊新潮文庫を買うところまで来てしまいました。
そして、もう一度読んでみて、またわからなくなるでしょうか。
とにかく、2012年版の決定版には、博士の発言(さっき引用したところ)はカットされています。
くどいと思ったのか、これを載せてはいけないと思ったのか。謎は続きますね。
この「銀河鉄道の夜」に挑戦しようとしたのは、賢治学会のオンライン講座で、天文学者の谷口義明先生のお話を聞いて、光文社新書で「宮沢賢治『『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅」も読んで、どうしても読まなきゃいけない、というところに自分を追い込めたから、やれたことなんでしょうね。
私の賢治さん探し、明日も続くんでしょう。それは明日の風が知ってるのかな。
そうでした。明日の昼から、ネットで賢治さん学会に参加します。三重にいながら岩手の講演会に参加できるなんて、すごい時代が来ているんですね。でも、私は岩手に行く方が楽しかったんだけどな。