諸国を歩いた西行さんが、奈良の長谷寺に参籠に来たようです。十月の夕方、キーンと冷たい空気が流れています。お経を読む尼さんの声がしたそうです。
おもひ入りてする数珠(じゅず)音(ね)のこゑすみておぼえずたまる我が涙かな
一心にお祈りをしていて、数珠の規則的な音を聞いていると、不思議な気持ちにさせられて涙があふれてきそうになりました。
そういう歌を詠んでしまいました。その雰囲気が尼さんに伝わって、尼さんはお経を読むのをやめて、こちらにやってきたのでしたその人は別れた奥さんでした。
しばらくは、何年ぶりかでの再会に気まずくなるどころか、不思議な機縁に驚くこと暫しでした。尼さんが言いました。
「きみ心をおこして出でたまひしのち、なにとなくすみつかれて、宵ごとの鐘もそぞろに涙をもよほし、あかつきの鳥の音もいたく身にしみて、あはれのみなりまさりはべりしかば、過ぎぬる弥生のころ、かしらを下ろしてかくまかりなれり。
あなたがお坊さんになろうとしてすべてを捨てていかれた後、もう何もする気力も失って、夕方のお寺の鐘が聞こえてきますと、今ごろあなたはどうしておられるかしらと悲しくなりますし、明け方の鳥たちのさざめきで居ても立ってもいられなくなるのでございます。そして、三月のとある日に、私も出家をして尼さんになったのでございます。
一人むすめをば、母方のをばなる人のもとにあづけ置きて、高野のおく天野の別所にすみはべるなり。さてもまた、我をさけて、いかなる人にもなれたまはば、よしなき恨みははべりなまし。
一人娘は母方の親戚の伯母さんにあずけて、尼となった私は高野山の奥の天野の別所のお寺に寝起きしております。
あなた様が、私以外の誰か他の女の人のところへ走ったのならば、それはもう恨みは激しかったことでしょう。
これはまことの道におもむきたまふめれば、露ばかりの恨みはべらず、かへりて、知識となりたまふなれば、うれしくこそ。
でも、あなた様はそうではありませんでした。仏さまの真実の道に行こうとされていて、まったく恨みなどありませんでした。それよりも、あなた様が立派なお坊さんになられたなら、どんなにか嬉しいはずでございます。
わかれたてまつりし時は、浄土の再会をこそ期(ご)しはべりしに、思はざるに、みづから夢とこそおぼゆれ。」
あなた様とお別れして後は、いつかあの世でお会いできたらと思っておりましたが、長谷寺の観音様のお導きにより夢のような再会ができました。本当にありがたいことだと思われます。
何もかも割り切って、尼さんになった奥さんでした。奥さんとしても、強い信念で仏の世界に入ってきたことでしょう。
西行さんは、そのパワーに圧倒されて、いつかあなたが住んでいるお寺を訪ねようと約束して、尼さんになった奥さんとお別れしたそうです。
本当なら、夫に対する恨みつらみをすべて吐き尽くすのが人情だろうに、その悲しみをパワーに変えて、尼さんにまでなった奥さんの思い切りというのはたいしたものだ。仏さまの力は偉大なものだ。
というコメントがつづき、西行さんの奥さんのその後を初めて知ったので、メモしておくことにしました。
言いたいことは全部言い尽くすところが、すごいなあと私は思います。私なら、フンと思ってその場を去るような気がします。いや、仏さまへの感謝の気持ちがあれば、私だって変われるのかな。