甘い生活 since2013

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伊勢の国の地蔵信仰? 丹生鉱山のお話

2014年06月18日 21時28分52秒 | 三重の文学コレクション
★ 伊勢の国の人地蔵のよりて命を存すること 今昔物語集 巻第十七 第十三

 今は昔、伊勢の国、飯高(いいたか)の郡(こうり)に住みける下人(げにん)あり。月ごとの二十四日(にじゅうしにち)に、精進(しょうじん)にして戒(かい)を受け、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を念じ奉りけり。これ年ごろの勤(つと)めなり。

 前回と同じく、伊勢の国、飯高の郡に水銀を掘ることをなりわいとしていた男がいました。毎月24日に地蔵菩薩にお参りしていました。人によって信じる対象が、熊野さまであったり、村の鎮守(ちんじゅ)様であったり、観音様であったり、信仰するものとは偶然の出会いが関わっているのでしょう。この人は、たまたま地蔵様を信じていました。

 しかるに、彼の飯高の郡には水金(みずかね)を掘りて公(おおや)けに奉ることなむありける。彼(か)の男、郡司の催しによりて、水銀(みずがね)を掘る夫(ぶ)にさしあてられて、同じ郷(ごう)の者三人(みたり)とつらなりて、十余丈(じゅうよじょう・30mくらい)の穴に入りぬ。しかる間、にはかに穴の口の土くづれて塞(ふさ)がりぬ。口塞がるといへども、奥は空(うつほ)にして、三人皆穴の内にあり。ともに涙を流して泣き悲しむといへども、穴を出でむこと思ひ絶えたるによりて、たちまちに死なむことを悲しむ。

 ある時、仕事の最中に突然の落盤事故が起こります。鉱山の中に取り残された3人はまっくらな中で、自分たちがやがて死を迎えることを、否応なしに感じ、嘆き悲しみます。



 しかるに、この男心に思はく、「我れ、年ごろ月ごとの二十四日に、精進(しょうじん)にして戒を受けて、ねむごろに地蔵菩薩を念じ奉ること懈怠(けだい)無し。しかるに、今この難にあひて、たちまちに命を失ひてむとす。願はくは地蔵菩薩、大悲(だいひ)の誓ひをもって、我れを助けて命を生けたまへ」と念ずる間に、暗き穴の内ににはかに火の光を見る。その光漸(ようや)く照らして穴の内明(あか)くなりぬ。

 主人公の男は、お地蔵様を信仰していました。大ピンチのこの瞬間に、彼はすぐにお地蔵様にすがることを考えます。「どうか、私をお助けください」と祈りました。すると、穴の奥に光が見えたというのです。

 その時に見れば、十余歳(じゅうよさい)ばかりの小僧の形端厳(たんごん)なる、手に紙燭(しそく)を取り来たりて、この男に告げのたまはく、「汝(なんじ)速やかに我が後(しりへ)に立ちて出(い)づべし」と。男恐れ喜びて小僧の尻に立ちて、漸く行くほど、本の里に出でぬ。小僧は見えずなりぬ。

 光の中で男は、10歳くらいの男の子に出会います。もちろん、これは地蔵様が私を導いてくださるのだろうと男は思います。そして、男の子の言うとおりに、その後についていくと、自分たちの住む町に出ることができました。その途端に、男の子は姿を消します。



 「これ、ひとへに地蔵菩薩の助けたまふなりけり」と思ふに、極めて悲しければ、涙を流して礼拝(らいはい)をして見れば、我が家の門に来たりにけり。「今二人も同じく尻に来たるらむ」と思ひて見るに、見えず。紙燭の火の光は、穴の内にして失せにけり。しかれば、今二人は火の光をも見で止みにけり。地蔵の加護をこうぶるべき心のなかりけるにこそは。

 生還できたことを喜び、けれども他の2人が自分の後について来れなかったことに愕然(がくぜん)とし、でも、これは地蔵さんのご加護は自分しか受けることができなかったのだと、うれしいような、厳しいような、やはりしっかりとした信仰がなければ、ただでは救いはないのだと感じ、信仰の有りがたさを感じるのでした。



 さて、妻子この男を見て泣く泣く喜びて問ひければ、ことの有様を答へけり。
 その後は、いよいよ心を至(いた)して、地蔵菩薩を念じ奉りけり。また、このことを聞きて、その郡の内の人、多く地蔵菩薩を造り奉りて、水銀(みずがね)掘る時はことに念じ奉りけり、となむ語り伝へたるとや。


 死んだと思ったはずの夫が帰ってきて、家族はどうして帰って来られたのかを尋ね、男はありのままに答えました。男だけが生還できたことを、残りの2人の家族などは、信じられないと思い、不公平だと嘆き、ねたんだことでしょう。でも、生きて帰ったことは喜ばしいことではあり、今後のために、地蔵様を信仰するようにしたのだと思います。他の人たちはもう、それはすがるような気持ちで、地蔵様を信じたことでしょう。

 鉱山で働くということは、とてもリスクのある仕事です。事故が起これば、すぐに自分の命がなくなってしまいます。海なら、ひょっとして助かる可能性があるかもしれません。山でお仕事をする人って、あまりいないですし、穴の中というのは、危険な仕事です。それでも、大地の下には、貴重なものが眠っていて、それを掘り出せば、莫大な利益が生まれるのです。だから、そこに人間は集まり、悲喜劇が生まれます。私は、地蔵様がこんな昔から庶民の間に強く慕われていたということが、すごいことだなと思います。



 この鉱山は、今は閉鎖されていますが、多気郡多気町の丹生(にゅう)というところにありました。丹生の「丹」は水銀で、奈良の大仏さんを作る時にも、ここからたくさん掘り出したものを使ったということです。


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