甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

子貢遊説 結末まで 中歴-49

2016年11月26日 07時16分31秒 | 中国の歴史とことば
 子貢さんははるばる南の国の越まで外交使節として旅してきました。でもまだミッションは完成していなかった。いよいよしめくくりのために北へ帰らねばなりません。

 そして、使節はお土産をもらってはいけない。越王・勾践(こうせん)はしたたかな人です。だからニコニコしながらすりよってくるし、いろんなワナがあちこちに落ちている。味方でも心を許すことはできませんし、王の前では欲のあるところを見せてはならないのです。

 もちろん、子貢さんはそんなものは受け取りません。目的が違うのです。それに十分にお金持ちだから、さらに何か欲しいということがないのです。(私みたいにみみっちいのは絶対ダメですね……。)

 子貢さんはふたたび呉の国にもどってきました。呉王に越王の勾践(こうせん)さんとのやりとりを報告します。権力者にはとにかくちゃんと報告しなくてはいけません。丁寧な報告によって権力者からの信頼を得ることができるのでしょう。でも、今回は少しだけ子貢さんの策略があります。

 「越王は大いに恐れておりました。王はこう申しております。自らの分際もわきまえず、呉と戦おうとしたため、大敗してしまい、本来であれば、国は滅びて自らは死をたまわるところでしたが、温情によって助けられ、会稽山に住むことを許されております。決して呉王様に対して復讐しようという気持ちなど全くありません、ということでした。」
この報告を得て、呉王・夫差(ふさ)は七三で子貢さんのことばを信じたことでしょう。

 しばらくすると越の国からお使いが来て、兵士と貢ぎ物を持ってきて、ともに斉討伐に参加させてください、越王も呉王さまの家来として従軍しますという申し出が出されました。これで八二くらいで信じたかもしれない。

 王様は欲深いですから、この越の兵士をこきつかって、斉征伐に出かけようかと思いました。でも、一応、使節として越に行ってきた子貢さんに質してみます。
 「この兵士たちを使ってもよいのではないか?」

 子貢さんはキッパリと言います。
 「他人の国を空っぽにして、その国の王まで使役するのはいけません。貢ぎ物だけを受け取り、従軍しなくてもよいとお答えください。相手は亡国のあわれな王であります。この人を酷使する必要はありません。呉王様のお力だけで斉を倒し、天下に王様の偉大さをお示しください。助勢は必要ないと存じます。」

 呉王は承諾して、いよいよ斉との対決のため、長江を渡り、北へ進撃します。

 したたかな越王・勾践(こうせん)は王へのプレゼントだけではなく、家老の伯嚭(はくひ 彼も楚からの亡命者です)にもしっかりとワイロを送りました。伍子胥(ごししょ)さんはどんどん王の信頼をなくしていったのに、伯嚭さんはどんどん王に取り入っていくのでした。



 ミッションの仕上げは、晋の国です。子貢さんは外交使節として内陸の強国・晋に向かいました。

 晋の王様と会見できて、王様にこう述べます。

 「いくさの準備が整っていなければ、臨機応変の対応はできませんし、敵に勝つことはできません。今、斉と呉が真っ正面からぶつかろうとしております。戦いはまもなくです。もし呉が敗れれば、越は呉を乱すことは必定でありますが、もし呉が勝てば、呉は必ず兵を晋に進めてくるでしょう。王様、どうなさいますか? 私はそれをお伝えに参ったのであります。」

 晋の王様は、「どうすればよいのか。」とたずねました。

 子貢さんは答えます。「兵士たちを休ませ、呉がやってくるまで待機させてください。そうすれば、くたびれている呉の軍を撃退できます。今はその準備だけでよいのです。」と。

 王は承諾し、呉迎撃の準備はできました。子貢さんは長い旅を終えて、ふたたび魯の国にもどってきました。

 呉王は進撃して斉と艾陵(がいりょう 江蘇省)で戦い、大勝利を得ることができました。そのまま子貢さんの予想通り晋まで進出し、黄池(こうち 河南省)で戦うことになりました。大遠征をして合戦したばかり呉の兵士たちとじっくり英気を養っていた晋の兵士たちが戦ったのですから、晋はホームでしっかり勝つのでした。



 いよいよ子貢さんが仕組んだとおりの結果になりました。みんなお互いが覇を競っています。呉は斉に勝った。呉はそのまま晋を攻めた。晋は呉に勝った。そこまでじっと待機していた越は隣国の呉を攻めた。呉王は敗北した兵士たちをかき集め、自国の防衛のために国にもどった。見下していた越の兵士たちを蹴散らすつもりで帰国します。何度か戦いが繰り返され、準備万端で英気を養っていた越の兵士たちが呉の兵士たちを退けてしまいます。

 復讐はとことん推し進められ、呉王夫差(ふさ)は殺され、大臣でワイロばかりもらっていた伯嚭(はくひ)さんも殺されてしまいます。あんなに越のために有利にしてあげていたのに、カネでつながってた関係は、利用価値がなくなったらあっさり捨てるということなのかなあ。そのあたりはシビアーでドライな感じです。

 『史記』では、次のような形でまとめをしています。

 子貢一たび出(い)でて、魯(ろ)を存し、斉(せい)を乱し、呉を破り、晋を彊(つよ)くして越を霸(は)とす。子貢一たび使ひして、勢をして相ひ破らしむ。十年の中、五國各々変有り。

 子貢さんがこうと決めたら、口ひとつで5つの国が入り乱れて争乱が起き、子貢さんが意図したようになってしまうのだと書かれています。

 すごい外交力だなあと、私なんかは単純に感動しました。でも、これは実話なのか、研究者たちもあれこれ考えるところだそうです。でも、史実よりも、子貢さんのキャラと春秋時代の終わりの国々の様子がわかっておもしろいエピソードだなと思います。それを私たちは楽しめたらいいのかなと思います。

 




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