甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

片腕を一晩お貸ししてもいいわ

2018年11月04日 19時46分22秒 | 本と文学と人と

 最近借り物画像ばかり使っています。今日は、川端康成記念会からお借りしてきました。

 蕪村さんの「十宜図」のうちの「宜秋(秋に宜し という意味なんでしょう)」です。ああ、無造作に描いているように見えて、それはもういろんな技術があるんだろうな。そうだ、私もとりあえずマネして描いたら、少しはましなものが描けるでしょうか。とりあえず、模倣から入らなくてはね。でも、何のための模倣だろう。

 日本画家になるのか? そうではないですね。趣味でホイホイと絵が描きたいだけです。私はデッサン力はないし、根気はないし、色の使い方がダメだし、まあ、とにかくダメなんです。だから、ステキな世界を描きたい。

 この十宜図、川端さんが持っていて、それを記念会が受け継いでいます。ということは、茨木市にこれらの宝物はあるんですね。いつか見に行きたいなあ。

 というわけで、川端康成さんの「片腕」というのを読みました。文庫本で30ページの内容です。

 冒頭が、娘のセリフです。この娘って、誰なんだろう。読者は何もわかりません。そして、どうして腕を持ち帰ることになったんでしょう。それもわかりません。とりあえず、私の分身みたいにして一晩一緒にいなさいなんて、何だか怖い提案をされます。

 娘は、「右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝に置いた」そうです。

 私は、それを受け取り、自宅まで大事に持ち帰り、腕との対話をして、娘を感じて、とうとう娘の腕と自分の腕を入れ替えたりしてしまいます。何という倒錯的!

 1963年ころに発表した作品だそうで、淡々とシュールな展開が進みます。歴史的仮名遣いで書かれているので、少し読みにくいのと、ずっと最初から最後まで違和感があるので、スンナリとはその世界に入れないところもあります。

 でも、そういう小説に川端さんみたいな大御所がチャレンジしたことがすごいです。こうした積み重ねが1968年のノーベル文学賞へとつながっていったんでしょう。

 何がエッチって、その腕と一緒にベッドインして、ずっとおしゃべりをしているのです。この会話がすごいじゃないですか。もうスレスレをはるかに通り越している。朝になって、こんなことをします。

 明りをつける前に、毛布をそっとまくってみた。娘の片腕は知らないで眠っていた。はだけた私の胸にほの白くやさしい微光が巻いていた。私の胸からぼうっと浮かび出た光りのようであった。私の胸からそれは小さい日があたたかくのぼる前の光りのようであった。

 どうして私の胸から光が出るんです。わからないなあ。反射かな。窓から朝の光が差しているんだろうか。

 私は明りをつけた。娘の腕を胸から離すと、私は両方の手をその腕のつけ根と指にかけて、真っすぐに伸ばした。五燭(ごしょく)の弱い光りが、娘の片腕とその円みと光と影との波を柔らかくした。

  つけ根の円み、そこから細まって肘のきれいな円み、肘の内側のほのかな窪み、そして手首へ細まってゆく円いふくらみ、手の裏と表から指、私は娘の片腕を静かに回しながら、それらにゆらめく光と影の移りを眺め続けた。

 借りてきた腕を、朝の光で眺めまわしているのだと思われますが、腕じゃなくて女の人そのもののような描写じゃないかなと、エッチな気分が少しします。

 でも、川端先生は、露骨なことはしないし、ただ腕を眺めているだけです。さすがです。私なら、女の腕でどんな変てこなことをするでしょう。恐ろしいです。でも、人格があったら、逆にしんみりお話でもするかな。わからないなあ。

 私は、何とも不思議な作品だなと思い、どこか安倍公房さんみたいな気配も感じつつ、ヘトヘトになりながら大阪に向かう近鉄の中で、何度も睡魔に襲われ、何度も眠りに落ちつつ、30ページ読みました。

 ああ、疲れた。

 大阪に、何をしに行ったんでしたっけ。いや、3日は京都に行きましたっけね。

★ プチッと切れてしまいました。オチはあるんだろうか。もう内容は忘れていますし、どういう話だったのかも憶えていません。怖いくらいです。ただ、川端先生の怖さを感じています。そして、それはたぶん、川端先生の魔力だと思われます。

 また、読み返してみないといけないです。どこにあるんだろうね。


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