↑ これは農林会館。外観は古いけれど、なんとなくおしゃれな感じはありました。ここに入るには下調べが必要です。何もなしでは入れないくらい、敷居が高かった。
土曜日、私にしては早く家を出て、11時くらいには大阪上本町にたどりついていました。お昼ゴハンを食べるにはまだ早いから、谷町6丁目の大阪古書会館を出た頃に、どこかで食べようと決めました。適当なところがなかったら、お昼抜きになるし、そういうことはよくあることでした。
ピカピカの大阪の上町台地の上を北へ歩いて行きます。熊野街道を見つけたはずですが、今回は見つかりません。それに暑いし、日ざしもきつい。ジーパンで来たので、汗でも出たらズブズブで歩かねばならないところですが、暑い割にまだ少しだけ乾いたところもあって、やっとハイ空堀のアーケードにたどりつきます。
その前に、昔のおふろ屋さんの内部をすべて駐車場にしている桃谷湯を見つけました。中に風呂場であったころのペンキ絵も見つけましたが、中には入らず、外からチラッとながめただけでした。
おふろ屋さんのペンキ絵って、あらためて見るチャンスってなかなかないし、作品そのものもどんどん取り壊される対象でしかないけれど、こうした普通の人々のありきたりの作品を、何かの形で残していくことって、すごく大切な気がします。
私は、そんなにペンキ絵に対する情熱と見に行く機会がなくて、それらを残すことができないけれど、だれかそうしたことをやってくれないか、少しでも残してくれないか、と、ショボクレで、のぞき趣味のある私などは思います。
大阪の都心は再開発が進んでいるのか、高層マンションと古民家カフェのおかげで、ハイ空堀の商店街はにぎわっていました。たこ焼き屋さんも、服屋さんも、古本屋さんだって(厚生書店という、大阪の新進気鋭のお店だって!)あります。
しばらく西に進んだら、坂を下りるところがあって、そこからふたたび北上すると、直木三十五記念館があります。
いつか直木さんの「南国太平記」を復刻してくれないかと、かねがね私は思っていますが、それは西田敏行さんの主演でNHKのドラマを見てから、読みたくなったわけですが、そう思って20年近くが経過しているわけで、どんどん時間が過ぎて、やがて読まないままに私は死んじゃうのかなと思います。そりゃ、世の中には私がふれることができなかった作品の方が圧倒的に多いわけだから、仕方がないけれど、読みたいと思って読めないのはザンネンですね。とにかく、どこかの本屋さんで文庫を出してくれなきゃ! 新潮さんがやってくれないかなあ。文春かな……。
またも風呂屋さんを見つけました。これは小国湯と書いてあります。とても銭湯には見えない外観で、どこかの古いホールみたいな感じです。これを再生して、何かに利用すること、ぜひそういうアイデアを出してもらって、大阪の内部を活性化してほしいのだけれど、これもいつか取り壊されるのかもしれません。
そんなこんなで古書会館にたどりついたら、1時間くらい見回って、三重県の地図を1枚(1947版)買い、小学生全集という、子ども向けの本を2冊見つけて買いました。3つで900円でした。
これから、この本をスキャンして遊ぼうと思いますが、今日は表紙だけです。少し暗いですなあ。
それから、松屋町筋を渡り、川を越え、堺筋を渡り、スキヤで牛丼を食べ、南船場の農林会館にたどり着きました。一度ここのおしゃれなお店に行きたいと思っていましたが、玄関の古風なホールを見て断念しました。とても私みたいな田舎者が入るところではないと諦めたのです。
それで、心斎橋のブックオフに行き、寺山修司さんのお母さんが書かれた本と古い岩波文庫を2冊買って、実家の方へ向かったのでした。暑くて、ヘロヘロで実家にたどり着き、しばらくお昼寝をしてしまうくらい、へばったお出かけでした。倒れなくて良かったくらいでした。
変なアドレナリンも、そろそろ効かなくなってきたみたい。年ですからね。
土曜日、私にしては早く家を出て、11時くらいには大阪上本町にたどりついていました。お昼ゴハンを食べるにはまだ早いから、谷町6丁目の大阪古書会館を出た頃に、どこかで食べようと決めました。適当なところがなかったら、お昼抜きになるし、そういうことはよくあることでした。
ピカピカの大阪の上町台地の上を北へ歩いて行きます。熊野街道を見つけたはずですが、今回は見つかりません。それに暑いし、日ざしもきつい。ジーパンで来たので、汗でも出たらズブズブで歩かねばならないところですが、暑い割にまだ少しだけ乾いたところもあって、やっとハイ空堀のアーケードにたどりつきます。
その前に、昔のおふろ屋さんの内部をすべて駐車場にしている桃谷湯を見つけました。中に風呂場であったころのペンキ絵も見つけましたが、中には入らず、外からチラッとながめただけでした。
おふろ屋さんのペンキ絵って、あらためて見るチャンスってなかなかないし、作品そのものもどんどん取り壊される対象でしかないけれど、こうした普通の人々のありきたりの作品を、何かの形で残していくことって、すごく大切な気がします。
私は、そんなにペンキ絵に対する情熱と見に行く機会がなくて、それらを残すことができないけれど、だれかそうしたことをやってくれないか、少しでも残してくれないか、と、ショボクレで、のぞき趣味のある私などは思います。
大阪の都心は再開発が進んでいるのか、高層マンションと古民家カフェのおかげで、ハイ空堀の商店街はにぎわっていました。たこ焼き屋さんも、服屋さんも、古本屋さんだって(厚生書店という、大阪の新進気鋭のお店だって!)あります。
しばらく西に進んだら、坂を下りるところがあって、そこからふたたび北上すると、直木三十五記念館があります。
いつか直木さんの「南国太平記」を復刻してくれないかと、かねがね私は思っていますが、それは西田敏行さんの主演でNHKのドラマを見てから、読みたくなったわけですが、そう思って20年近くが経過しているわけで、どんどん時間が過ぎて、やがて読まないままに私は死んじゃうのかなと思います。そりゃ、世の中には私がふれることができなかった作品の方が圧倒的に多いわけだから、仕方がないけれど、読みたいと思って読めないのはザンネンですね。とにかく、どこかの本屋さんで文庫を出してくれなきゃ! 新潮さんがやってくれないかなあ。文春かな……。
またも風呂屋さんを見つけました。これは小国湯と書いてあります。とても銭湯には見えない外観で、どこかの古いホールみたいな感じです。これを再生して、何かに利用すること、ぜひそういうアイデアを出してもらって、大阪の内部を活性化してほしいのだけれど、これもいつか取り壊されるのかもしれません。
そんなこんなで古書会館にたどりついたら、1時間くらい見回って、三重県の地図を1枚(1947版)買い、小学生全集という、子ども向けの本を2冊見つけて買いました。3つで900円でした。
これから、この本をスキャンして遊ぼうと思いますが、今日は表紙だけです。少し暗いですなあ。
それから、松屋町筋を渡り、川を越え、堺筋を渡り、スキヤで牛丼を食べ、南船場の農林会館にたどり着きました。一度ここのおしゃれなお店に行きたいと思っていましたが、玄関の古風なホールを見て断念しました。とても私みたいな田舎者が入るところではないと諦めたのです。
それで、心斎橋のブックオフに行き、寺山修司さんのお母さんが書かれた本と古い岩波文庫を2冊買って、実家の方へ向かったのでした。暑くて、ヘロヘロで実家にたどり着き、しばらくお昼寝をしてしまうくらい、へばったお出かけでした。倒れなくて良かったくらいでした。
変なアドレナリンも、そろそろ効かなくなってきたみたい。年ですからね。