34【二( )三士を殺す】……奇計をめぐらして相手を自滅させること。《晏子春秋》
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「晏子春秋(あんししゅんじゅう)」という本は、彼が政治をしていく上で、いろいろなヒントが書かれた本だそうで、それなら1度読んでみたいなという気がしますが、簡単に手を出せるものではないような気がします。よっぽどの覚悟がないと読めなかったりするし、やはりそれにはだれかのみちしるべがないと(簡単に書かれたものでないと)、理解できないような気がします。心の片隅にそういう本があるのだと憶えておきましょう!
34番は、あまりにそのままのエピソードですが、意外と使える教訓なのかもしれません。斉の景公さんの時代です。ということは、紀元前548~490の間の出来事です。3人の勇者がいたそうです。3人は素手で虎ともわたりあえるほどの力の持ち主でした。
普通なら、3人それぞれが自分の力を競い合っていがみ合うものですが、3人はそこまでの地位を得たわけではなくて、王様の身辺警護みたいな感じで、仲良く暮らしていたようです。そして、こちらはよくあることですが、3人は力を頼みとしていて、力のある者には敬意を示すが、そうでないものにはぞんざいな態度であったそうです。ひょっとすると、王様に対してでも、誠実さから来る無骨なふるまいではなくて、力頼みの不遜な態度みたいなのがあったのかもしれません。
ある時、宰相(斉の国の総理大臣です!)の晏子さんが王宮に参内しました。すると、3人は普通であれば、「宰相さま、お勤めご苦労様です」とか口上を述べて、挨拶しなければいけません。しかし、3人は王宮の中でわがもの顔で、宰相が来ても知らんぷりで、「また、あの小さい大臣が来やがったぞ」くらいの顔をしていたのでしょう。こんなヤツらがえらそうな顔をしている国はキュークツな国です。武力を持つ者は謙虚でなければいけないのに、それがなかった。そしてわが物顔でいい気になっている。これでは国が滅びてしまいます(簡単には滅びないかもしれませんが、あまりいいものではない気がします)。
現在、タイ・エジプト・ミャンマー・北朝鮮など、もっと他にも軍政が敷かれている国はあると思います。国民には関係ないような気もしますが、やはり息苦しい社会ではないかと、心配になります。なるべくこういう力を持つ人たちは控えめな存在でいてほしいし、できればその力を国民に向けてほしくない。力は攻めてくる敵に向かって使って欲しい。けれども、人間の歴史でいえば、力は内部の人間をなびかせる(抑えつける)ものとして使っています。
晏子さんは王様に提言します。「あの3人を懲らしめないといけません。このままではいけないです!」と、王様は同意はするものの、自分の命令がうまく彼らに伝わるか自信がありません。もし彼らが3人で抵抗すれば、王の命も危ないと王は心配しました。
そこで、晏子さんは「3人に2つの……を上げてはどうでしょう」と提案しました。
すぐにその案は採用されて、3人に2つの……が与えられます。3人は、互いの手柄を主張し、自分の王に対する貢献度自慢を行います。3番目に自慢をした古冶子(こやし)さんが激流に飲み込まれたときに、王の馬を救い、川に住む大スッポンを捕らえたと述べると、残りの2人は反省して自分の首をはねたそうです。それを見た古冶子さんは、2人が死んでしまったのに、自分だけノーノーと……をもらうわけにはいかないと、自分も首をはねて死んでしまいます。
かくして、王宮内で飛ぶ鳥を落とす勢いだった3人が、一時に3人ともいなくなってしまいます。国の軍隊としては、3人の勇者がいなくなるということは大きな戦力ダウンではあったはずですが、国内の政治面でいうと、コントロールできない力が大きくなる前に未然に排除できて、よかったということになるのだと思います。
3人は、意外なもろさで簡単に死んでしまいました。どうして自分は王から果物をもらう人間ではないと引き下がることができなかったのでしょう。やはり、それが人間なんですね。自分が今まで来た道をそのまま歩いてしまう。3人は、力を誇り、弱い者を無視し、物事の解決は力が優先されるという強い信念を持って生きてきた。その力が他の者より劣っていると判断できたら、自分には力を誇る権利はないのだと、自らを否定し、今まで通りの生き方を自分に強制するしかなかったのです。
私が、3勇士の1人であれば、たぶんそうせざるを得なかったろうと思われます。そういう価値観・信念で生きているのだから、そういう価値観で死ぬのも当然のなりゆきです。自分たちの生き方は、今までの生き方によって限定されるんですね。
★ ということで、答えは「桃」でした。