もうすぐ五月の連休がやってきます。そのころに、伊賀焼の里、伊賀市丸柱地区の長谷陶園のおまつりがあります。毎年すごい人出で、それでも私たち夫婦はノコノコ出かけていき、何か小さいものを買ってくるんですけど、今年はどうなるんだろう。
行けるんだろうか。何だか自信がありません。どうしてかというと、仕事が入ったり、実家に行かなきゃならなかったり、大阪・京都の古本市に行ってみたり、何だか落ち着かなく過ごすので、行けるかどうか、自信がないのです。
自分のやりたいことをやればいいわけですが、そんなに主体性がないので、言われるままにホイホイと、家族に合わせることがあります。
古本市といったって、最近はヒットがないのです。ずっと不振です。すごくいいのを買ったと思っても、ちっとも読んでなかったら、何がいいのか、わからなくなったりしますし、何だかわりきれない気分です。
とにかく、焼き物は、いろいろな形があるのだから、有田だ、清水だ、益子だ、信楽だ、備前だ、なんだかんだと言われても、そこにはもっと私たちが簡単に見られない作家さんたちがコツコツ作品を作っているわけだから、何もかもいっしょくたに見てはいけない。というのが、最近少しだけわかってきました。
信楽焼といっても、ただのタヌキだけではなくて、いろんな窯がある。それらが毎年同じものを作っているのではなく、日々新しいものをつくろうと試行錯誤をしていて、基本は同じかもしれないけど、デザインが変わったり、感触が変わったり、ものすごいアイデアがあったり、いろいろ変わっていくんです。
だから、松阪で、全国の焼き物が大集合しますといっても、それはほんの一部なんだろうな、というのはわかっています。
それでも、ノコノコ出かけていくのは、ごくありふれたものかもしれないけど、それらに独自色を見つけられないか、作る側にも発見があれば、見る方だって発見があるのです。そういう出会いを求めて、いつも散歩に行く松阪農業公園・ベルファームというところに出かけました。
松阪インターにも近く、背後にそびえる山々にもうすーくピンクが入っていたり、新緑・若葉が芽生えていたり、不思議な陰影が見えます。でも、私の写真技術では、明るい日ざしとホンワカした山としか見えないです。
でも、左のトラックたちは、久留米ナンバー・佐賀ナンバーで、わざわざ業者の人がテント・照明などと品物を持ち込んだようでした。こんなふうに陶器のイベントで全国を回る業者さんだっていることでしょう。この人たちが、私たちにどんなものを見せてくれるんだか、それを楽しみにずっと一本道のテントの中を歩いていきました。
最近はやりの北欧風、古典的な信楽、安くてツルンとした美濃焼、そもそも美濃焼って、これは総称でしょう。多治見であったり、いろんな細分化されたところがあると思うんだけど、よくわからないから美濃焼と呼ぶんではないの?
九谷焼はほんの少しだけ、益子焼も楽しみにしていたけれど、そんなにすごいものは来ていなかった。備前焼は、私でもわかるような色をしていたけれど、たぶん、向こうに行くと、違う作品を作っている人がいるんでしょう。
私は、見世物小屋を見ている感覚です。縁日で見世物小屋があって、そこは小屋の中に入ると、お金を取られちゃうわけですが、こちらはお金は取られない。ただ、どうだ、これ知ってるか! これは今流行だぞ! こんな高級な色合い、欲しくないかい? 並べられた品々から声をかけられている感じです。
私は器という見世物を見に来たお客です。
特に欲しいものはなくて、何でもいいから、見に行ってみて、手ごろで、私のこづかいでも買えそうで、日々の生活の中で使うものが欲しかった。
となると、コーヒーカップか、お皿か、茶碗か、ヨーグルトを食べる時のお椀、どれもたくさん買い込んでますけど、それらしかないのです。
本来なら、何も買わないという選択があってもいいわけです。
でも、何か買いたいという気分で来ていますから、買わないわけにはいかない。
それで、今回、やたら気になった波佐見焼の中から、ヨーグルトお椀にしようとこれを買いました。
まあ、五百円ですからね。ワンコイン無駄遣いでした。
さっそく使ってますけど、何だかもったいないので、そんなに使っていません。よほどのことがないと使わない、大事なヨーグルト椀になりました。
そのあと、公園の中で、梨の花を見ました。
少しピークは過ぎたみたい。そのあと、リビンクストンデージーというのを見つけた。
それが表紙の写真でした。
これはものすごい迫力がありました。まぶしいほどでした。
きれいですごい。でも、うちでは絶対に植えられないお花たちかもしれない。きれいなんだけど、少しうるさい感じかな。落ち着かないです。