先ほど三重県の家に帰ってまいりました。今夜は、何だか胃腸も疲れているし、お茶漬けにすることにしました。帰ってくる途中でカマボコを買ったから、オツマミはOKだし、しんみりビールでも飲んで(お酒はやめた方がいいかも)早く寝ようと思います。
二泊三日の大阪の実家でした。どこにも行かず、四天王寺の古本市に行き、大阪からの帰りに桜井市の安倍文珠さんに行ってきただけでした。まあ、それだけでも十分連休を楽しんだことではありますし、ありがたいと思っています。たいしたことはできないものなのです。
どうせ三連休なんて、行楽地は人手がいっぱいなのだから、せいぜい自分のできる範囲の狭い世界で楽しむしかないのです。ただ、実家に行くと、都市部なんですけど、さびれ方がひどくて、どうしたらいいのか暗澹たる気持ちになりました。
世の中はゴールデンウィークだ。どこかへ繰り出さなきゃ! 楽しんだもの勝ちだ! 海外でも行くぞ! と、浮かれているのに、うちの実家周辺はくたびれ、さびれていました。JRだって新型車両を導入したり、近鉄は立派な本店のあべのハルカスはお客があふれ、繁華街にはたくさんの人とクルマが行きかっているのに、どうしてなんだろう。
大阪市西部の海側の私の実家は、町そのものがさびれていた。住民がみんなお年寄りになっている。人はそれなりに住んでいるのに、かつてのお店はみんな消滅してしまっている。人はいるのに、クルマも走っている。バスも、トラックも行き過ぎているのに、無人の町のように静かになっていた。
世界は、南北の歴史的な対話イベント。スポーツあれこれ。近々行われる米朝会談。大谷くんのがんばり。もっともっと、いろんなイベントが行われ、人々はイベントに集っていたことでしょう。
私は、とりあえず、奥さんと二人でクルマで実家に行き、いっぱいのお土産・お供えなどを実家に持ち込んで、母と一緒にごはんを食べ、母のひざの話、甥っ子のクラブと塾の話、弟の釣りの話、うちのつまらない家族の事情など、とりあえず情報交換をしたのでした。
これが家族というものです。相変わらずだし、たいした変化はなく、予測のできるあれこれが行われています。私たち家族はごくフツーに暮らしていて、母と弟の家族は、大阪の町の片隅で地道に生きている。うちは少し離れた三重県でそれなりに暮らしている。
けれども、どういうわけか、私が三十年暮らした地元の町は、高齢化し、商店街が消滅し、子どもたちは町を走っておらず、なんとなく活気がなくて、コンビニの盛衰があり、中国の人々がいつの間にか住み着いていた。都市部の便利な所は外国の人々が集まり、国際化し、新たな都市開発が進んでいるといいます。
確かに、大阪市の中心部は、地下鉄に乗っても、バスで通り過ぎても、街角を歩いていても、いろんな言葉が飛び交っています。昔のコテコテの大阪ではなくなって、国際都市OSAKA化が進んでいる。
住宅地として生きる道のある所は、何度か更新されて新しい町に生まれ変わっている。その一方で、捨てられてしまっている部分もある。そのへんぴ性・不便性を生かして、それなりに町を発展させる方法もあったと思うのだけれど、あまり考えられていない気がする。今はもう簡単に民間による活性化ばかりで、それができないところは確実に捨てられていく。
そういうところに母を残して、私は三重県に帰ってきたけれど、どうにもできないまま、もどかしさを抱えています。
私が求めているものは、住む人のみんなが、老いも若きも、それぞれが好きなことをして、いろんな好奇心をくすぐるものがあふれる生活をして、みんなでワイワイいつまでも永続して楽しめる町みたいなのが理想です。
そんなの、どこでも同じようにあるさ、とは思うのだけれど、少なくともうちの実家周辺は静かなたたずまいなんだけど、何だかみんなが引き裂かれているような気がしました。人はそれなりに住んでいるのに、まとまりはなく、イベントも不発で、それぞれが閉じこもっている感じがしました。
ただの気のせいかもしれないけど、私のカン違いかもしれないけど、何だかさびしい感じがこの何日間かはひどく感じました。またしばらくしたら行ってみようと思います。
町は活気に満ちているかもしれない(まさかね……)。