有名なお話だから、英語版はないのかなと、探してみたら、簡単に見つかりました。簡単に見つかりすぎて、なかなか自分の身につかないけれど、とにかく、英語も併せて勉強させてもらえると、うれしいですね。少しだけ頭にいい風が吹く感じです。
でも、長続きしないよなあ。ちっとも、勉強にならないか。いや、私は魯の国の小都市の「武城」という町の雰囲気を見つけたかったんです。でも、二千五百年前の中国の町をネットから見つけようなんて、そんなに甘いものではないのです。だから、仕方なしに『論語』の英語版を載せてみます(なんか、ヒマですね!)
子、武城に之(ゆ)きて絃歌(げんか)の声を聞く。
The Master went to Wucheng and heard the sound of zithers and singing.
先生が武城に行かれた時、儀礼と雅楽を講習する琴の音と歌声をお聞きになりました。
儀礼と雅楽は国家を治めるための方法でありましたので、武城という魯の国の中の小さな町には大げさすぎると先生は思われたのです。
どこにいても、どんなところにあっても、音楽を楽しむことはあってもいいし、国家だけの政治をするための音楽って、あるのでしょうか。どこででも、音楽にランキングなんてないはずなんだけど……。
まあ、オリンピックの式典的な音楽を、小さな町で聞かされたら、少しゲンナリするかもしれないけど、そういうものだったのかなあ。
とにかく、立派な音楽があふれていた、ということでいいでしょうか。
夫子(ふうし)莞爾(かんじ)として笑いて曰わく、「鷄(にわとり)を割(さ)くに焉(いずく)んぞ牛刀(ぎゅうとう)を用(もち)いん。」
With a little laugh he said, “Does one chop up a chicken with a beef cleaver?”
先生がにっこりと笑って言われた。「鶏をさばくのに、どうして大きな牛刀を使うのだろうか?」
「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」というのは『論語』でも有名なことばでした。先生は本気で非難したのか、それとも何かお話が聞けると思って、わざとこのような批判めいたことを言われたんでしょうか。
ニッコリと話しかけておられるから、お弟子さんの子游さんの返答を楽しみに問いかけたのかもしれません。
子游対(こた)えて曰わく、「昔者(むかし)偃(えん)や諸(こ)れを夫子(ふうし)に聞けり、曰わく、君子道を学べば則(すなわ)ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易(やす)し」と。
Ziyou replied, “In the past I have heard the Master say, ‘When a junzi studies the dao he cherishes people; when small men study the dao they are easy to direct.’”
武城を任されている子游さんが答えます。「偃(私)は以前に先生からこんなことばを聞かせていただきました。『君子(為政者)が道(儀礼と雅楽)を学ぶと人を愛するようになり、小人(被治者)が道を学ぶと扱いやすくなる』ということでした。先生、どんな人間でも、道を学ぶべきでしたよね。」
子の曰わく、「二三子(にさんし)よ、偃(えん)の言(げん)是(ぜ)なり。前言はこれに戯(たわむ)れしのみ。」
The Master said, “My friends, Yan’s words are correct. What I said before was merely in jest.”
先生が言われた。「諸君。子游の言葉は正しいですね。さっき私が話したことは少しだけからかったにすぎないのだよ。」
これを聞いた子游が、過去に孔子から教えてもらったことを上げて、「礼楽の道を振興することは、為政者と人民の徳を高めることになり、国家の政治を安定させることにつながる」と正論を語った。孔子は潔く自分の過ちを認めて前言を撤回し、子游の話すことは全く正しいと語っている。
先生がリラックスしてお弟子さんの管理する町へ出かけた時のひとこま、そのやりとり、何か楽しそうだなと思いました。
そんなに遠くまで出かけたわけではなくて、どんな風に町は治められているかなと、フラッと行かれたんでしょう。お弟子さんの子游さんも、うれしかったでしょう、こんな風に先生とやり取りできて!