甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

太郎坊宮へ行く その2

2015年12月31日 06時48分26秒 | 滋賀のあれこれ
 万葉集にこんな歌があるそうです。

   あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや君が袖振る

 作者は、額田王(ぬかたのおおきみ)という女性です。彼女は大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)と結婚をして子どもをもうけていました。けれども、この歌を詠んだ当時は、大海人さんとは別れて、天智天皇さん(大海人のお兄さん)と恋人関係にありました。

 そういう2人のプリンスに愛された女の人が、それをネタにみんなの前で公然と歌を詠みました。そういうのがネタになる空気感があったのですね。今の私たちにはできそうもない言葉遊びです。

 兄弟に愛された女が、昔の恋人に気があるような雰囲気の歌を作ったら、今の恋人としてはいたたまれないというのか、絶対に許さないというのか、そこから女をどうにかしてしめあげないと気が済まないというのか、それが現代風だと思われますが、額田王さんはわりと平気で歌を詠んだ。天智天皇さんも、女は1人だけではないので、そんなフワフワしたことをみんなの前に出してしまう女も許せたんでしょうか。

 そうか、持てる男は寛容じゃないといけないんですね。自分にも寛容、女にも寛容ということです。ああ、私は持てる男にはなれないです。まあ、なりたくもないですし、なれそうにありません。

 とにかく、滋賀県の紫野(むらさきの)・標野(しめの)というところでイベントがあって、そこで男が昔の女に手を振っただけの歌です。それを学校で習わされたことになるわけですが、イマイチ納得のいかない内容ではありました。

 学校では、こういうのを「万葉集のおおらかさ」と教えるわけですが、あまりに現実離れしていて、何だかつまらない感じがしたものでした。あまりに自分たちの地べたをはいつくばる感じと遠い、神様たちの世界みたい。



 私は、太郎坊宮の長い階段を登りながら、その古代の紫野を見ていました。平らな土地が広がっていて、何かイベントを行うにはよさそうな、ゆるやかな大地です。四方を山に囲まれているし、大きな野外劇場の中にいるような感覚さえあります。

 そこを昔は滋賀県八日市市というくくりで呼んでいましたが、今は周辺の地域と合併して、東近江市という記号になってしまっています。

 紫野は、蒲生野(がもうの)とも呼ばれていて、ここから松阪城を作った蒲生氏郷(がもううじさと)さんが出ています。それくらい由緒のあるところらしいのです。

 その平地を囲む山の1つに、赤神山という独立峯のような山があって、古くから信仰の対象として地域の人々は信じてきたようです。自然信仰の1つではなかったでしょうか。それをうまくまとめたのが最澄さんで、ここにたくさんの僧坊をお作りになった。宗教基地として整備されたんですね。最澄さんは、何でもすぐに始めて行かれるフロンティアで、宗教施設の整備をされた方でした。

 だから、自然信仰からお寺、そこに神様もまつって、神仏混淆となり、山岳信仰の天狗やら山伏も取り入れ、庶民の信仰も集め、一大基地に育てていった。それで千年近く過ぎた明治のころに、いきなり廃仏毀釈を宣言され、神仏分離をさせられて、神社だけが残り、百数十年が経過して今になっています。

 とりあえず今は神社ということになっています。私としては、どっちだっていいのだけれど、神社本庁としては神社に取り込みたいらしい。



 ふもとから三百何十米ということで登り始めて、一息着けそうなところに三階建てくらいの休憩所があって、そこで蒲生野をながめました。太陽がさしたり、ささなかったりしています。駅を出るときは雨もパラついていたので、私は傘持参で歩いています。



 全体像をまとめた絵図があったので、写真を撮りました。こういう一大テーマパークになっています。いろんな神様やエライお方がおられて、布袋さんたちの七福神も、天狗さんも、祭神さんもたくさんおられます。お不動さんもおられます。ただ仏様系は除外されていて、神仏分離になっているらしいです。

 さらに階段を登って、やっと夫婦岩にたどりつきます。この岩をくぐりぬけたら、拝殿があるらしいです。



 そして、いちばんてっぺんの拝殿でお参りをしました。そして、改めて蒲生野をながめます。それで、看板を見つけました。



 説明版によると、この平らな大地は、カルデラの底なのだそうです。昔、滋賀県のこのあたりには火山があって、巨大な噴火口になっていた。それらが陥没して、火山の縁が残り、真ん中にポッカリ平地が生まれたというのです。ビックリでした。今自分がながめているところは火山の周縁部であり、この下に見えるのは火口のクレーターなのだそうです。

 滋賀県に火山があったなんてビックリです。その噴火活動の証拠がこの岩だらけのお山だったそうで、夫婦岩というのも火山活動の結果できたものだったそうです。それを古代の人々は信仰の対象にしたらしいです。

 やがてカルデラの底の平地が蒲生野という貴族たちの社交の場となり、平安時代には最澄さんが宗教基地を作った。それから千何百年が経過して、今は神社として人々に信仰されている。蒲生野は社会の発展から少しだけ置いてけぼりにされてる感じの地方都市になっています。なかなかステキな土地なんだけど、少し湖から吹き付けてくる風は冷たいのです。



 というわけで、私の太郎坊宮への年末詣が終わりました。あとは近江鉄道に乗って帰ったのでした。

 2015年がもうすぐ終わります。みなさまの今年一年、いろいろあったと思いますが、来年も平和で穏やかにすべての人々が過ごせるようにお祈りして、私の今年のブログは終了いたします。

 来年は、3日から始めたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。


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