![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/36/d41be749eab1e98aef190b47baa05980.jpg)
森 敦さんという作家がいました。かなり高齢で芥川賞をもらって、いったい今まで何をしてきたのかイマイチわからない、独特のおしゃべりをされる、不思議な雰囲気を持っておられた作家でした。デビュー作の「月山」が1979年に文春文庫から出て、その三年後にやっと私は購入して読んでいます。
その前後にNHKで「われもまた奥の細道」という番組にも出演しておられたので、その興味から本にも手を出したのだと思われます。テレビを見て、何となくお人柄が、威張らず、生活人でありながらどこか根無し草の頼りなさもあって、少し心配にさせるようなおじさんだったのです。
1989年に亡くなっておられるので、テレビ出演はもう晩年のころだったのです。森さんに対して私は、ある程度の興味で終わってしまっていたのですが、突然に再会しました。見つけたのは1982年に出ていた「わが風土記」(福武書店)で、昨年十月の大阪の天神さんの古書市で見つけて、即購入しました。
本当に出会ってから30年ぶりの再会で、森さんはすでに亡くなっておられた。でも不思議で、読みながら森さんが朗読してくれているかのように読むことができました。実はボクは森さんのファンだったんですね。今ごろ知りました。そして、森さんがダムの仕事の関係で尾鷲に住んでおられたことを、今ごろになって知りました。もう遅すぎるのですが、その尾鷲で見たヤーヤー祭のことを書いています。
祭りには神酒(おみき)がつきものであるように、バッカス的な陶酔(とうすい)と狂騒(きょうそう)なしにはすまされない。神田明神の大御輿で若者たちが、潮さながら前へ後ろへ右へ左へもみ合うのがすでにそれで、これが他の匹敵する御輿と出会うとすれば、喧嘩になるのが当然である。
尾鷲市は三重県といっても和歌山県の近い、山の迫ったリアス海岸の深い湾内にある美しい港町だが、たえず台風と戦っているので気が荒い。のみならず、街は植林と漁業に支えられ、気質の違う山方、海方に分かれているからなお更で、これが二月八日の尾鷲神社のヤーヤー祭に爆発する。
もう二十年から前になるが、ぼくはダムの工事をさせてもらうために尾鷲市に行き、はじめてこの祭りを見て、驚かずにはいられなかった。祭りの日が近づくと、狭い通りをはさんだ家々では丸太を組んで斜めに倒し、厳重に固めておのおのの店を守る。いよいよというその前夜、招待されてもっとも繁華な今町通りの、料亭の二階に通されたが、すでにどの家の二階の窓にも、見物の老人、子供、女たちの顔がびっしり並んでいた。
やがて、左右からざわめく声が近づき、いずれも高々と竿に掲げた紙灯籠(よみあい)を先頭にした、裸形の若者たちが現れた。と思うと、怒号とともにたちまちもみ合い、紙灯籠の奪い合いになった。しかも、組まれた丸太をよじて上に上にと飛びかかるので、裸形の若者は山をなして、二階の窓より高くなるのである。見れば、みなを馬乗りにし、振り上げた空の一升瓶を打ち降ろそうとしているものもいる。
むろん、尾鷲神社のヤーヤー祭は、それで終わるものでもなければ、ただそれだけというものでもない。その日には、街の有志家を回って、可愛い男の子供が太い襷(たすき)を掛けて薙刀(なぎなた)振りをする。女の子供が白衣に緋の袴をはいて神の飯持ちをする。北川も河口に近い尾鷲神社の境内では、裃袴(かみしもはかま)の少年たちが弓ゆいをする。しかし、ヤーヤー祭をヤーヤー祭と呼ばしめるものは裸形の若者たちである。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0d/fa33a57f3afcc4b009662f7cacd4c4dc.jpg)
尾鷲よいとこ朝日を受けてと尾鷲節にもあるように、尾鷲市は山を背負って東に開いているから、明けるのも早ければ暮れるのも早い。まして二月である。少年たちの弓ゆいが終わるころには日も暮れて、闇の中に裸形の若者たちが、昨夜の怪我にも寒さにもめげず続々と集まって来る。
突然、「そうれ、出て来たぞ!」というどよめきが起こる。獅子頭をかぶった禰宜(ねぎ)が社殿の扉を開いて現れたので、それぞれ福を呼び、その大きさを占おうとするのだろう。山方、海方がからみあって、「こっちに来い」「こっちに来い」とわめきたて、「今年はおれたちの声で鳥居の外まで出た」などと満足するのだそうである。
ところが、あいにくと禰宜はもう年で、扉を開いて外を覗くと、恐れをなして引っ込んでしまったという。一時に酔いが発したように裸形の若者たちから笑い声が起こり、ひとつになってわあっとひろがって行く。ぼくはそこにバッカスの大いなる笑いを感じないではいられなかった。
祭りを表現するのは難しいです。しかも、読む人がその祭りを知らなければ、文章で理解するというのは相当困難です。でも、森さんは、何だか不思議なこのお祭りを、何とも言えない雰囲気で表現してくれています。そうです。森さんの文章には、そのお人柄も出ているような気がするのです。だから、読みながら朗読してもらっているような気分が湧いてくるんです。
見るには少し勇気の要りそうなお祭りです。自分が若くて血の気が多くても、なぐり飛ばされるのはやはり怖いから、私なら参加しないお祭りという気がします。でも、このお祭りには、いろんなチャンネルがあるみたいで、ただストリートファイトをするだけじゃなくて、子どもや老人、元気のない若者にも参加の窓は開かれているような気もします、たぶん……。
2月になりました。尾鷲ではヤーヤー祭り、ずっと南下して新宮ではお灯祭り。熊野・東紀州は祭りで春を呼び込むようです。そして、今日は熊野市の花の崫神社で綱掛神事があったそうですし、春はもうすぐそこまで来ている感じです。
と書いていると、その気になってきます。でも、寒波はまだまだやってくるはずです。でも、今日宮崎では25℃くらいあったというし、一進一退を繰り返しつつ、春はめぐってくるんですね。
その前後にNHKで「われもまた奥の細道」という番組にも出演しておられたので、その興味から本にも手を出したのだと思われます。テレビを見て、何となくお人柄が、威張らず、生活人でありながらどこか根無し草の頼りなさもあって、少し心配にさせるようなおじさんだったのです。
1989年に亡くなっておられるので、テレビ出演はもう晩年のころだったのです。森さんに対して私は、ある程度の興味で終わってしまっていたのですが、突然に再会しました。見つけたのは1982年に出ていた「わが風土記」(福武書店)で、昨年十月の大阪の天神さんの古書市で見つけて、即購入しました。
本当に出会ってから30年ぶりの再会で、森さんはすでに亡くなっておられた。でも不思議で、読みながら森さんが朗読してくれているかのように読むことができました。実はボクは森さんのファンだったんですね。今ごろ知りました。そして、森さんがダムの仕事の関係で尾鷲に住んでおられたことを、今ごろになって知りました。もう遅すぎるのですが、その尾鷲で見たヤーヤー祭のことを書いています。
祭りには神酒(おみき)がつきものであるように、バッカス的な陶酔(とうすい)と狂騒(きょうそう)なしにはすまされない。神田明神の大御輿で若者たちが、潮さながら前へ後ろへ右へ左へもみ合うのがすでにそれで、これが他の匹敵する御輿と出会うとすれば、喧嘩になるのが当然である。
尾鷲市は三重県といっても和歌山県の近い、山の迫ったリアス海岸の深い湾内にある美しい港町だが、たえず台風と戦っているので気が荒い。のみならず、街は植林と漁業に支えられ、気質の違う山方、海方に分かれているからなお更で、これが二月八日の尾鷲神社のヤーヤー祭に爆発する。
もう二十年から前になるが、ぼくはダムの工事をさせてもらうために尾鷲市に行き、はじめてこの祭りを見て、驚かずにはいられなかった。祭りの日が近づくと、狭い通りをはさんだ家々では丸太を組んで斜めに倒し、厳重に固めておのおのの店を守る。いよいよというその前夜、招待されてもっとも繁華な今町通りの、料亭の二階に通されたが、すでにどの家の二階の窓にも、見物の老人、子供、女たちの顔がびっしり並んでいた。
やがて、左右からざわめく声が近づき、いずれも高々と竿に掲げた紙灯籠(よみあい)を先頭にした、裸形の若者たちが現れた。と思うと、怒号とともにたちまちもみ合い、紙灯籠の奪い合いになった。しかも、組まれた丸太をよじて上に上にと飛びかかるので、裸形の若者は山をなして、二階の窓より高くなるのである。見れば、みなを馬乗りにし、振り上げた空の一升瓶を打ち降ろそうとしているものもいる。
むろん、尾鷲神社のヤーヤー祭は、それで終わるものでもなければ、ただそれだけというものでもない。その日には、街の有志家を回って、可愛い男の子供が太い襷(たすき)を掛けて薙刀(なぎなた)振りをする。女の子供が白衣に緋の袴をはいて神の飯持ちをする。北川も河口に近い尾鷲神社の境内では、裃袴(かみしもはかま)の少年たちが弓ゆいをする。しかし、ヤーヤー祭をヤーヤー祭と呼ばしめるものは裸形の若者たちである。
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尾鷲よいとこ朝日を受けてと尾鷲節にもあるように、尾鷲市は山を背負って東に開いているから、明けるのも早ければ暮れるのも早い。まして二月である。少年たちの弓ゆいが終わるころには日も暮れて、闇の中に裸形の若者たちが、昨夜の怪我にも寒さにもめげず続々と集まって来る。
突然、「そうれ、出て来たぞ!」というどよめきが起こる。獅子頭をかぶった禰宜(ねぎ)が社殿の扉を開いて現れたので、それぞれ福を呼び、その大きさを占おうとするのだろう。山方、海方がからみあって、「こっちに来い」「こっちに来い」とわめきたて、「今年はおれたちの声で鳥居の外まで出た」などと満足するのだそうである。
ところが、あいにくと禰宜はもう年で、扉を開いて外を覗くと、恐れをなして引っ込んでしまったという。一時に酔いが発したように裸形の若者たちから笑い声が起こり、ひとつになってわあっとひろがって行く。ぼくはそこにバッカスの大いなる笑いを感じないではいられなかった。
祭りを表現するのは難しいです。しかも、読む人がその祭りを知らなければ、文章で理解するというのは相当困難です。でも、森さんは、何だか不思議なこのお祭りを、何とも言えない雰囲気で表現してくれています。そうです。森さんの文章には、そのお人柄も出ているような気がするのです。だから、読みながら朗読してもらっているような気分が湧いてくるんです。
見るには少し勇気の要りそうなお祭りです。自分が若くて血の気が多くても、なぐり飛ばされるのはやはり怖いから、私なら参加しないお祭りという気がします。でも、このお祭りには、いろんなチャンネルがあるみたいで、ただストリートファイトをするだけじゃなくて、子どもや老人、元気のない若者にも参加の窓は開かれているような気もします、たぶん……。
2月になりました。尾鷲ではヤーヤー祭り、ずっと南下して新宮ではお灯祭り。熊野・東紀州は祭りで春を呼び込むようです。そして、今日は熊野市の花の崫神社で綱掛神事があったそうですし、春はもうすぐそこまで来ている感じです。
と書いていると、その気になってきます。でも、寒波はまだまだやってくるはずです。でも、今日宮崎では25℃くらいあったというし、一進一退を繰り返しつつ、春はめぐってくるんですね。