父は歯ぎしりする人でした。先に寝てしまうことが多かったから、時々は父がしっかり寝ているのを聞きに行ったりしました。それは、たまに実家に帰った時のことだったかな。
小さい頃は、元気者でヤンチャで、聞かん坊だった、というのは、お通夜からお葬式の一連の泊まり込みの日々の中で、伯母に聞かせてもらった話でした。
伯母からしたら、唯一の弟で、五歳離れていました。ギリギリ小学校には同時に通ったので、その時の思い出話を語ってくれたんでした。もっと伯母さんには昔の話を聞かせてもらいたいと思うのに、なかなか会うチャンスがありません。何を聞かせてもらいたいかな。やはり、父に関して思い出すこと、何でもいいから聞かせてもらいたい。
その父が入院したのは秋でした。しばらくはどうしてこんなに不調なのか、わからないから調べてもらうという感じで入院しました。
でも、事態は大変なことにはなっていました。
そして、父をのぞく家族みんなが相談室に集められて話を聞かされた。最初は何が何だか分からなくて、そんなこと簡単には信じられなかった。でも、治療によって治る可能性もあると聞かされたので、希望は持っていました。
話は終わり、私たちが病院の廊下に出た時、たまたま父はトイレに出ていて、廊下の向こうにいて、「あれ?」という顔でこちらを見ていた。そして、私たちを見つけて、声をかけるべきか、どうするのか、少し迷った表情で、そのまま自分の部屋へ消えて行ったんだったか。
「ああ、みんないる。」とでも思ったんでしょうか。
いや、もっといろんなことが頭の中をめぐったかもしれないし、何しろ自分の中で何かとんでもないことが起きている、そんな気はしていたでしょう。
それから、長くて短い、短いようで長い二年間が過ぎて、父はこの世を去ります。あの時の廊下の向こうの父を、今も確実に私は思い出します。
今、長い廊下を歩いている自分は、シルエットやら、雰囲気やら、何だか父に似ているような気がしてならないのです。廊下によっては鏡などもあります。でも、もうわかってるから、大抵は無視して、(何やら変な影が歩いているだけだ)と、知らんぷりすることにする。
イヤでも何でも、それは押し寄せてくるのです。分かっています。せいぜい、自分の体に気をつかい、運動して、筋肉つけて、発声練習して、キビキビ動いて、しなきゃいけないのです。でも、していない。わかっているのに。
明日、明後日、キビキビすることにします。今はしない。もっと日々運動するようにしたいな。お酒も週に何日かは止めないと。分かっているのにな。
そんな秋 廊下の向こうで父止まる