今日は水曜日、5時20分にはうちのセミが鳴きだしました。奥さんは、ナツの旅のことやら何やら、いろんなことで眠れなかったそうで、あれこれ言うよりも歩いて来ようと出ていきました。
実は、『旅のラゴス』の影響なのか、午前3時に目が覚めたら彼女がいなかったので、「もしかして、彼女はどこかへ行ってしまったんではないか?」なんて思ったんですが(ラゴスの恋人が夜明けにはいなくなる場面があったんです)、
「まさか、そんなことはないだろう」と思って寝てしまい、朝の5時には彼女はまた現れていました。
「クーラーのせいで、体の節々が痛い」ということでした。
確かにそうかもしれない。それにしても、私は月曜までは大阪の実家にいました。それが、今では三重県にいる。それは当たり前なんだけど、どうして三重県にいるんだろう? わからなくなるのです。
そりゃ、大阪と違って専制的な政治もないし(見えないだけかもしれないけど)、自然はあるし、海も山もあるし、歴史もあるし、仕事もあるし、家族もいるし、仲間もいるし、いろいろな理由でたまたま三重県にいます。
たまたまではあるけれど、何らかの必然があったのかもしれない。まさか私が三重県にいるなんて、信じられないけれど、とりあえず、もう何十年も三重県で暮らしています。ありがたいことです。
でも、母や弟は、大阪に残る家族だから、そばであれこれしたいんだけど、なかなかそれもできていない。
大阪の家族たちは、この猛暑の中で息をひそめて生きています。自分も大阪に行けば、同じようにヒーヒー言いながら、暑さに立ち向かい、大汗をかき、何が大切なのかわからなくなり、一時の楽しみ、たとえば野球とか、お酒とか、おまつりとか、花火とか、街のにぎわいとか、外国人の行き来とか、そんなとこをチラッと見て、大阪で生きる方法みたいなのを探している感じになります。
たいていは、何も見つからない。ただ実家のあたりはさびれていて、にぎやかし(コンビニとか、新しい建物とか、世界展開のお店とか)はいくつかあるけど、本当に大事なものは欠落している、そんな気がしてならないのです。
大阪を出ていった者が、エラそうなことは言えないけれど、私の素直な気持ちとして、大阪には住みたくないと思うのです。残念ながら。
私がいなくても、もちろん大阪は日々変化しています。長い目で見たら、その変化は昔と大きな隔絶感はあります。でも、実はそんなには大きなものではなくて、ただ大事なものだけが欠落しているだけのような気がします。今からでも大阪で暮らせ、と言われたら、やれる気がします。人はどこでだって生きていこうと思えば生きられるんでしょう。でも、何だか気が重くはなります。
大阪は、欠落した街に見えてしまう。何を生意気なこと言ってんだよ、という感じです。
三重県には、大事なものがあるのか?
それは、何だか自信がありませんけど、穏やかな暮らしはある気がします。穏やか過ぎて他の都道府県では通用しないかもしれないけど、ものすごくローカルなんだけど、生活する分にはまあ問題ないし、とりあえず、生きていける。大事なものはあるのかどうか? そもそも大事なものって何だ? 結局は人の暮らしかな? 大阪にだって、人の暮らしはあるはずです。でも、ゆとりはなさそうな感じ。いつも何か打ち上げ花火を上げなきゃいけない感じ。
若い人は、三重県には不満がいっぱいあるようです。その根本は、刺激がないし、遊ぶところが同じだし、仕事が少ないし、お金が儲からない。産業もない。ないない尽くしの三重県になるようです。
まさにその通り。都会にあるものは、あまりありません。でも、真面目に暮らそうとしている人たちが、納得しながら生きている生活はありそうです。都会のようにガチャガチャはしていない、それは確かです。
ということは、さびれてて、お金がなくて、建設することだけが政治で、他は何もない。
私は、本当なら、街道沿いの古い家で、エアコンやテレビなしの生活がしたいんだけど、それはなかなか年寄りくさい夢でしかない。
若さもない。刺激もない。ないない尽くしのオッサンが何を言ってんだろう。
オカンのことを書こうと、書き始めました。タイトルは「たらちねの」です。つまらないことで、先週末、ほんの少しだけ母と近所の散歩に出かけましたけど、母がその準備をする際に、少しシャツをあげただけで、母のたらちねが目に入りました。
母はノーブラでした。ホイとたらちねがあって、まるでお腹のたるみのひとつのようでした。
確かにムダなことはしないのはいいことで、自然にしぼんだたらちねが息子の目に入った。息子は、一瞬見えた母のたらちねに何かを感じた。懐かしさでは全くなくて、母が年を取ったというのは感じて、「見てはいけないものだけど、そこにあるもの」だと思い、何気なくそのまま出かけたりしました。
息子はどのようにして母に接していったらいいかな? もうなるようになる、というところかな。せいぜいこのナツ、大阪にも行こうと思いました。でも、昼間は、何もできなくて、息が苦しくなるくらいです。昨日の大阪の夜(天神祭りでしたね!)は大変だったことでしょう。でも、うちのオカンは全くそれとは関係なく生きていますけどね。