あんなに大好きな(月に1回家がきれいさっぱりになるので)資源ゴミの日を、パスしてしまいました。あいにくの雨も降っています。資源ゴミの日はせめてくもりで我慢してもらわなくちゃ!
どうしてパスしてしまったんでしょう。何だか乗り損ねたんですね。ふつうなみに寝たんですけど、準備ができていなかったなあ。そうです。それなりに準備していないと、すっと入っていけないタイプなのかもしれないです。こんなにオッサンになっているのに、自分というものがわかってないなんてね。
8時までに出さなきゃいけないのに、出せなかった。ああ、なんだか心残りです。でも、次こそ2ヶ月分の資源ゴミを出しますか。そうしたら清々するかな。どうかな……。
伊勢本街道を歩こうとしたのは、もう2ヶ月くらい前のことでした。花粉が飛び交っているのに、どういう風の吹き回しか、とにかくやみくもにチャレンジしました。その時はなんともなかったのです。その分あとでひどい目に遭いましたが、何ともないとどんどん深みにはまる悪い癖が出てしまったんです。
名松線の終点の伊勢奥津にクルマを止めました。そこからトコトコ歩いていくことにしました。街道と鉄道をテーマに何か探していたのだと思われます。
常夜灯まで歩くつもりでした。きっと早春の花がみつかるかもと、いいかげんなことばかり考えていました。
名松線が山の間を抜けてきて、やっと伊勢本街道にぶつかって、奈良方面にカーブするあたり、ここらに街道っぽいところはないのかなと探してみました。
伊勢奥津のあたりは、宿場のようになっていて、古い建物がいくつかあります。ここらは映画館や銀行、酒造メーカー、いろんな産業があったところです。でも今は建物はかなりあぶない状態で、このまま放置されてしまえば、いつか朽ち果てて何もなくなってしまう気がします。私たちがこうした街道の雰囲気を残す気があれば、残るでしょうけど、今のままで行くと数十年後には草ボウボウの廃村にきれいな道だけが走っている、ということになるのかな。
世界遺産になるようなものがあればいいのですが、昔人びとが往来したというだけで、特に鉱物が取れたわけでもないし、大名が泊まった建物が残っているわけでもありません。お伊勢さんにお参りする人びとがたどった道であった、という、ほんの一時のことなのかもしれない。
南北朝の頃から安土桃山にかけては、上方の情勢を知るための北畠家(南伊勢に勢力を持っていた)の大事な道ではありましたが、それだけでは観光資源にはならない感じです。
山に向かって進む道は、当時の空気感は伝えてくれます。少しだけタイムスリップできるかな。
それにしても、私は何をしに来たのだろう。電車? 街道? 散歩? 何がしたいのだろう。どうしてこんなに適当で、闇雲なんだろう。
まあいいや、角を曲がってみようと進んでみます。峠をめざしています。
お寺がありました。日々の活動は続いているようです。立派な仏さまもいらっしゃるのだと思われますが、だあれもいない感じだし、勝手にのぞくわけにもいかず、またいつかチャンスがあれば来たらいいやと、これまた適当にやりすごしてしまいます。
峠まで、2つの地蔵さんがあるそうです。それは地図で見ました。1つは見させてもらいました。でも、恐れ多くて写真は撮りませんでした。
2つの地蔵さんは、首切り地蔵と腰切り地蔵というそうで、人びとの安全を祈るためのお地蔵さまがいて、その安全をぶちこわそうとする盗賊たちがいて、そういう悪党どもに首を切られたり、腰を砕かれたりしたお地蔵さまがあるようです。
それくらいこの道は、危険も伴う道だったようです。盗賊たちの住み家もどこかにあったようです。何だか昔話の世界じゃないですか。
そういう世界に踏み込むわけですね。
でも、その割には、都会の廃棄物が放置されている工場みたいなのがあるし、街道の上をきれいな舗装道路とトンネルが走っているし、街道がないがしろにされている。
やっとのことで、峠の入り口にたどりつきました。ここまでは舗装道路でしたが、ここからは山道のようです。いよいよ峠越えかぁ。何だかドキドキだなあ。何百メートルということなので、山道とはいえたいしたことはないだろうと思っていました。
道標もあります。峠はすぐそこだし、お地蔵様だって近いのです。
それにしても、今さらながら、だれもいないのに気づきました。今まではだれもいないことがうれしかったのに、山道に入ったとたん、心細くなりました。
優しく見守ってくれそうなお地蔵さまも、山の中では怒っておられるかもしれないし、何だか疑心暗鬼です。山賊が今の世にいるわけはないのだけれど、猟師さんに鉄砲で撃たれる可能性もないとはいえない。
つまらないことばかり考えて歩くようになりました。もう心が内に籠もっていたのだと思われます。
小さな物音で、心がそっくり返るようなビクビクした気持ちになっていました。
カサッ、コソッと、私の足音さえも不安をかき立てます。太陽はしっかり輝いているのに、山の中の道は、薄暗くなっている。
何かの集団の物音がしました。
わけがわかりません。とてもこわいこわいと思ってた私は、立ち止まります。
見上げると、目前の切り立った崖の中に、何頭ものシカたちが見えました。みんなで山の奥へ向かおうとしています。彼らがあんなに殺気立っているのは初めて見ました。
彼らとしてもビックリしたのだと思われます。のんびり家族でゴハンさがしをしていたところへ、突然小さいオッサンがノコノコ歩いてきたのですから。
山でお仕事をする人なら、もっと段階を踏んで、いつもの流儀で入っていくので、シカたちも準備ができるのかもしれません。ところが流儀のないヤミクモのオッサンは、ハチャメチャでビクビク歩いているので、何だか人騒がせで神経を逆なでするものがあったんでしょう。
彼らは怒り、声を荒げていた。盛んに声を出しながら、淡々と坂を駆け上っていきました。最初は、「あっ、シカだ。珍しい。写真でも撮れないかな。」と好奇心もありましたが、だんだんと怖くなっていきました。
彼らはシカではなくて、山の神様なのではないか、山の神様が怒っておられるのではないか。それに楯突く行為をしていいのか。何かとんでもないことが起こるのではないか。
そこに気づいた私は、もう歩く気持ちを失いました。あと何百メートルのところにある峠は、たくさんの人びとが歩くイベントか何かで越えようと思いました。
もう街道に沿うことはあきらめました。できればさっぱりとした道を歩きたいと考え、帰りは舗装された道を下っていきました。
大好きな大洞山は、いい判断だ。また今度にしなさい。と、教えてくれているようでした。ありがたいことです。
家に帰ったら、どういうわけかハナ水は止まらず、厳しい症状になりました。お地蔵様にもお願いしたんですけど、花粉症のことは考えていなかった。道中の安全だけを祈っただけでしたから。
花粉症をお願いしても始まらない。それは節制と花粉を浴びない自衛によってもたらされるものですからね。
いつか峠越え、しようと思います。夏にするかな。アブに襲われるかな。どうして私って、野生生物のカモになるのかなあ。
どうしてパスしてしまったんでしょう。何だか乗り損ねたんですね。ふつうなみに寝たんですけど、準備ができていなかったなあ。そうです。それなりに準備していないと、すっと入っていけないタイプなのかもしれないです。こんなにオッサンになっているのに、自分というものがわかってないなんてね。
8時までに出さなきゃいけないのに、出せなかった。ああ、なんだか心残りです。でも、次こそ2ヶ月分の資源ゴミを出しますか。そうしたら清々するかな。どうかな……。
伊勢本街道を歩こうとしたのは、もう2ヶ月くらい前のことでした。花粉が飛び交っているのに、どういう風の吹き回しか、とにかくやみくもにチャレンジしました。その時はなんともなかったのです。その分あとでひどい目に遭いましたが、何ともないとどんどん深みにはまる悪い癖が出てしまったんです。
名松線の終点の伊勢奥津にクルマを止めました。そこからトコトコ歩いていくことにしました。街道と鉄道をテーマに何か探していたのだと思われます。
常夜灯まで歩くつもりでした。きっと早春の花がみつかるかもと、いいかげんなことばかり考えていました。
名松線が山の間を抜けてきて、やっと伊勢本街道にぶつかって、奈良方面にカーブするあたり、ここらに街道っぽいところはないのかなと探してみました。
伊勢奥津のあたりは、宿場のようになっていて、古い建物がいくつかあります。ここらは映画館や銀行、酒造メーカー、いろんな産業があったところです。でも今は建物はかなりあぶない状態で、このまま放置されてしまえば、いつか朽ち果てて何もなくなってしまう気がします。私たちがこうした街道の雰囲気を残す気があれば、残るでしょうけど、今のままで行くと数十年後には草ボウボウの廃村にきれいな道だけが走っている、ということになるのかな。
世界遺産になるようなものがあればいいのですが、昔人びとが往来したというだけで、特に鉱物が取れたわけでもないし、大名が泊まった建物が残っているわけでもありません。お伊勢さんにお参りする人びとがたどった道であった、という、ほんの一時のことなのかもしれない。
南北朝の頃から安土桃山にかけては、上方の情勢を知るための北畠家(南伊勢に勢力を持っていた)の大事な道ではありましたが、それだけでは観光資源にはならない感じです。
山に向かって進む道は、当時の空気感は伝えてくれます。少しだけタイムスリップできるかな。
それにしても、私は何をしに来たのだろう。電車? 街道? 散歩? 何がしたいのだろう。どうしてこんなに適当で、闇雲なんだろう。
まあいいや、角を曲がってみようと進んでみます。峠をめざしています。
お寺がありました。日々の活動は続いているようです。立派な仏さまもいらっしゃるのだと思われますが、だあれもいない感じだし、勝手にのぞくわけにもいかず、またいつかチャンスがあれば来たらいいやと、これまた適当にやりすごしてしまいます。
峠まで、2つの地蔵さんがあるそうです。それは地図で見ました。1つは見させてもらいました。でも、恐れ多くて写真は撮りませんでした。
2つの地蔵さんは、首切り地蔵と腰切り地蔵というそうで、人びとの安全を祈るためのお地蔵さまがいて、その安全をぶちこわそうとする盗賊たちがいて、そういう悪党どもに首を切られたり、腰を砕かれたりしたお地蔵さまがあるようです。
それくらいこの道は、危険も伴う道だったようです。盗賊たちの住み家もどこかにあったようです。何だか昔話の世界じゃないですか。
そういう世界に踏み込むわけですね。
でも、その割には、都会の廃棄物が放置されている工場みたいなのがあるし、街道の上をきれいな舗装道路とトンネルが走っているし、街道がないがしろにされている。
やっとのことで、峠の入り口にたどりつきました。ここまでは舗装道路でしたが、ここからは山道のようです。いよいよ峠越えかぁ。何だかドキドキだなあ。何百メートルということなので、山道とはいえたいしたことはないだろうと思っていました。
道標もあります。峠はすぐそこだし、お地蔵様だって近いのです。
それにしても、今さらながら、だれもいないのに気づきました。今まではだれもいないことがうれしかったのに、山道に入ったとたん、心細くなりました。
優しく見守ってくれそうなお地蔵さまも、山の中では怒っておられるかもしれないし、何だか疑心暗鬼です。山賊が今の世にいるわけはないのだけれど、猟師さんに鉄砲で撃たれる可能性もないとはいえない。
つまらないことばかり考えて歩くようになりました。もう心が内に籠もっていたのだと思われます。
小さな物音で、心がそっくり返るようなビクビクした気持ちになっていました。
カサッ、コソッと、私の足音さえも不安をかき立てます。太陽はしっかり輝いているのに、山の中の道は、薄暗くなっている。
何かの集団の物音がしました。
わけがわかりません。とてもこわいこわいと思ってた私は、立ち止まります。
見上げると、目前の切り立った崖の中に、何頭ものシカたちが見えました。みんなで山の奥へ向かおうとしています。彼らがあんなに殺気立っているのは初めて見ました。
彼らとしてもビックリしたのだと思われます。のんびり家族でゴハンさがしをしていたところへ、突然小さいオッサンがノコノコ歩いてきたのですから。
山でお仕事をする人なら、もっと段階を踏んで、いつもの流儀で入っていくので、シカたちも準備ができるのかもしれません。ところが流儀のないヤミクモのオッサンは、ハチャメチャでビクビク歩いているので、何だか人騒がせで神経を逆なでするものがあったんでしょう。
彼らは怒り、声を荒げていた。盛んに声を出しながら、淡々と坂を駆け上っていきました。最初は、「あっ、シカだ。珍しい。写真でも撮れないかな。」と好奇心もありましたが、だんだんと怖くなっていきました。
彼らはシカではなくて、山の神様なのではないか、山の神様が怒っておられるのではないか。それに楯突く行為をしていいのか。何かとんでもないことが起こるのではないか。
そこに気づいた私は、もう歩く気持ちを失いました。あと何百メートルのところにある峠は、たくさんの人びとが歩くイベントか何かで越えようと思いました。
もう街道に沿うことはあきらめました。できればさっぱりとした道を歩きたいと考え、帰りは舗装された道を下っていきました。
大好きな大洞山は、いい判断だ。また今度にしなさい。と、教えてくれているようでした。ありがたいことです。
家に帰ったら、どういうわけかハナ水は止まらず、厳しい症状になりました。お地蔵様にもお願いしたんですけど、花粉症のことは考えていなかった。道中の安全だけを祈っただけでしたから。
花粉症をお願いしても始まらない。それは節制と花粉を浴びない自衛によってもたらされるものですからね。
いつか峠越え、しようと思います。夏にするかな。アブに襲われるかな。どうして私って、野生生物のカモになるのかなあ。