いて・・・
12月1日。起きてみたら、外は真っ白、銀世界。ええ、雪の予報は夕方じゃなかったの?今日はお出かけを楽しみにしているのに、早々と雪は困るんだけど・・・。
今日は水の配達日。前々回は留守中なのに配達中止の依頼が届いていなくて、前回は配達中止だったから、空いたボトルは7本。念のために「3本置いていってください」と張り紙をしていたけど、大丈夫かなと、ゲートを開けてのぞいて見たらちゃんと3本。ゲートから5メートルほど先の玄関まで運ぶわけだけど、19リットル入りのボトルはすごく重たいから、一度に1本ずつ、えっちらおっちらと運ぶ。ところが、2本目、いつものように抱えて持ち上げないで、横の取っ手で持ち上げたら、やった!ぎっくり腰!
背中をピンと伸ばすと痛くて歩けない。いすから立ち上がって歩き始めるときが一番に痛い。腰をちょっとかがめて、そろそろと歩く。うう、やっちゃった・・・。十何年か前、上の空で歩いていて歩道と車道の段差を踏み外した衝撃で、脊椎の背中側にコップの取っ手みたいに出ているfacet jointがずれた。あの時と同じ感じだなあ。ドクターに「背筋を強化しないと腰痛が慢性になる」といわれたっけ。トレッドミルで走っているからといって、腹筋、背筋の運動はごぶさたしていた。ふむ、筋肉トレーニングもやったほうがいいかな。
雪の中、ぶつけられてもいいようにと、ポンコツ車でダウンタウンへ。滑りやすい歩道をカレシの腕につかまってそろりそろりと歩いてホテルの中にあるレストランにたどり着いた。ヨーロッパの伝統を維持というだけあって、内装も雰囲気も落ち着いている。こんな天気で、しかも6時と早めなのにかなりの入り。サーバーが「ショーにお越しですか」と聞いたところを見ると近くの劇場に行く人たちなのだろう。ノーという返事を聞いてから「お飲み物はいかがですか」。マティニを傾けていたら、出てきたサービスの突き出しが野菜の春巻きにタイ風ソースというのはおもしろい。
メニューはほとんど本格的なヨーロッパ料理。私はビーフのカルパッチョで始めて、鴨の胸肉のローストともも肉のコンフィのコンビ。カレシはヤギのチーズ入りサラダと、楽しみにしていたタルタルステーキ。サーバーのジョバンニさんがテーブルの傍にカートを押してきて、手際よくにんにく、オリーブ油、卵の黄身、スパイスの類を混ぜ合わせて、ひき肉を入れる。まず味見。カレシはもうちょっとスパイスが欲しいと注文。こしょうとタバスコをちょっと足して、今度はOK。ちょっぴりもらって味をみたけど、とってもおいしい。デザートはクレープシュゼット。これもテーブルの傍でお酒を加えてフランベにしてくれる。アイスクリームが付いて来ないのがよかった。せっかく温まったクレープに冷たいアイスクリームはちょっと合わない。
帰りはまた、雪の中をそろりそろり。だけど、おいしいものを食べてハッピーになれば、腰の痛みもなんのその。明日の朝にはどのくらい積もっているかな・・・?
ひまになってつ~らつら
12月2日。雪!と期待していたのに、起きてみたらあまり積もっていなくてがっかり。予報より早く気温が上がり始めたらしく、舞い落ちるなどという風情はゼロ。大きなボタン雪がストン、ストンと落ちてくるといった感じ。夕べは大雪注意報だったのに、今夜は大雨警報。月曜日は最高気温が10度を超えるという信じられない予報で、マザーネイチャーはいたずらモードなのか意地悪モードなのか・・・
そろりとベッドから抜けて、そろそろと立ってみて、うん、きのうよりは少し良さそう。少なくとも、立っている間は背筋を伸ばすことができる。だけど、歩くのはまた別の話。足をすっと前に出すとギクッと来るもので、背中を丸めて小またで歩くしかない。なんだか90才までハイスピードで早送りしたみたいな気分がする。ふ~ん、あと30年したらいやでもこんなになるのかもしれないなあ。だけど、背中を丸めっぱなしでいると上半身の筋肉が凝って来るもので、老後の予行演習なんてお寒いしゃれをいっているわけにもいかない。治ったらまじめに筋肉トレーニングしようっと。
滑り込みで入っていた小さい仕事を片付けて、カレンダーの締切を消す。ばんざあい。やっと待ちに待った正真正銘の「失業モード」。ちょうど、同業仲間のMLで「電話が鳴らなくなったらどうする」というスレッドが続いていた。要するに「仕事が来なくなったらどうする」ということで、フリーランス稼業にとって顔面蒼白の事態だけど、ずっと仕事に追われた後でぽっかりカレンダーに穴があいた瞬間にはほっとした気分が先に立って、次の仕事が来るのかどうかなんて考えもしない。もちろん、し~んとした日が1週間以上続いたら、え?もしや?という気分にはなって来るけれど。まあ、MLのレスポンスを見る限りでは、みんな長い間に商売とはそんなものだと腹をくくって、ごぶさただった営業をやったり、失業を楽しんだりする余裕ができているらしい。そういえば、湾岸戦争が勃発した時は、決まっていた通訳の仕事はドタキャン。翻訳の仕事もぱったり途絶えて、新米フリーランサーだった私は真っ青。あのときは2週間くらい「電話のならない日」が続いたっけ。精神的な余裕というのは「どうしよ~」という経験から生まれるものなのかもしれない。それが大人になるってことかどうかはまだよくわからないけど。
息抜き用にブックマークしてあるおもしろサイトのひとつにJapunditという英語サイトがある。早く言えば、「我々ニッポン人」の日本人も、「ニッポン命!」みたいなかぶれガイジンも、どっちもあまり喧伝したくないニッポンが見えたりするけれど、若いイギリス人のなんともしょぼ~いニッポン暮らしは、ケータイで故国の人たちに報告している内容とあんまりにもちぐはぐで、笑いながらもペーソスたっぷりで、つい切なくなってしまう。特にワンルームマンションでのユニットバスでの入浴シーンがおかしくて妙に悲しい。ひょっとしたら、もしもカレシが日本に行っていたらあんな暮らしだったのかもしれないと思って、切なさが倍増されるのかもしれない。このイギリス人は若いけどカレシはすで50代半ば。暑さも湿気も人ごみも大嫌いなカレシにとってはしょぼいどころじゃなかっただろう。まるで独房に入るようなワンルームマンションで、カレシも故国の友だちに「ニッポン暮らしはすばらしい」みたいな大見得を切ったんだろうなあと思うと、何だかこのオズモンド君がいじらしく見えてくる。
おかたづけしましょ
12月3日。夜のうちにパイナップルエクスプレスの嵐で雪は消滅。今日は打って変わってなんとも生暖かい陽気で、夜の11時になってもまだ10度もある。降雪量の多かったところは、大雨も加わって、今度は川の増水が問題。スキーのメッカ、ウィスラーなどは一気に60センチも積もった後で、大雨、そしてまた60センチくらい雪が降る予報だそう。オリンピックの年にこういう状態だったらどうするんだろうなあ。
腰の状態はかなり正常。まだ大またで颯爽と闊歩するまでにはいかないけれど、家の中を動き回るのはほぼ不自由なしでほっとした。今日はノーワークデーなのだ。しばらくダラダラした後で、デスクの上に山と積みあがったカタログやジャンクメールの類の整理を始める。こんなときは忘れられた請求書が出てきたりしないかなあとちょっぴりどきどきする。クリスマスシーズンに入ると、郵便受けに入るカタログの数が急に増える。二人でてんでに注文するから、同じカタログが2冊来る。名前は違っても住所が同じなんだから、コンピュータで照合して1冊にできないものかと思うけど、どうやらそんなことはやらないらしい。私の古い名前でも同じカタログが来るし、おまけに私書箱にも入ってくる。5冊もらったって中身は同じなんだから、資源のむだ使いもいいところ。
食後の時間を費やして整理したけど、見たところあまり整理されているように見えない。カタログだけでなく、購読している文芸誌や業界の機関誌やらに混じって、寄付の依頼だの、慈善宝くじの広告だのと、封書の類も多い。住所氏名がわかる状態でそのまま捨てるわけにいかないから、いちいちマーカーで住所氏名を消してリサイクル品の箱に捨て、銀行や政府関係のものはすべて後でシュレッダにかけるのに分別。山の下の方からは夏のカタログがぞろぞろと出てくる。きちょうめんで掃除好きできれい好きの家事の達人の奥サマがたに「こんな片付けられないなんてありえない」と叱られてしまいそうだなあ。
段ボール箱1個がもういっぱいになっているけど、デスクの上はまだ片付いたように見えない。それでも、忘れられた請求書は出て来なかったから、一応はやれやれと安堵。やっぱり、もうちょっとこまめに整理をした方がいいんだろうなあ。そのほうがいってことはわかっているけど、中には封も切っていない郵便物もけっこうある。現行残高のステートメントまで封を切らずに放置。もっとも残高などネットでいつでも見られるからいいんだけど、11月は業務用のクレジットカードの支払をすっぽかしてしまった。忙しすぎもいいけど、ここまで来ると考えものだ、とほんのちょっぴり神妙に反省。だけど、ぱらぱらとめくったカタログに真っ赤なすてきなドレスを見つけてしまった。華やかで還暦パーティのドレスにぴったりの予感。よ~し、お片づけをしたごほうびに自分に買ってあげちゃおうっと。(おいおい、まだ終わってないのに・・・?)
虹のむこうは
12月4日。やっとデスクの上を片付け終わってみたら、わっ、広々として見える。リサイクルに出すゴミは段ボール箱2個。よくためこんだものだと我ながら関心して、さっぱりした気になっていたら、もうさっそく次のカタログがどんと届く。プレゼントは注文したからもういいやと思いつつ、それでもついついパラパラとめくっていたら、私宛のお役所からの封書。何ごとかと開けてみたら、年金のお知らせだ。こうやって何年かごとに年金の記録を送って来て、名前や住所、生年月日が正しいか、掛け金の数字が正しいかを確認する。おまけに本人が死亡していた場合の届け出先まで書いてある。日本でのごたごたを思えば、しっかりと管理されているようでひと安心。
年金の記録は働いてきた自分の記録でもある。カナダで働き始めたのはちょうど30年前のこと。掛け金の額が少ないのは最初の仕事を辞めてカレシについてビクトリアに引っ越した翌年。州政府の公務員職ばかりのビクトリアでは就職先がみつからずに6ヵ月。カレシを置いてでも帰りたくらいバンクーバーが恋しくて、カレシがバンクーバーでの採用が決まったときは飛び上がって喜んだものだ。私の就職先も失業保険が切れる前に見つかって、子供がほしいなあと思い始めた頃だった。まあ、子供はできずじまいだったけど、年金の記録を見れば、それから転職をしながらブランクなしでずっと働いて来た自分がいる。
この調子で年金受給年令の65才まで働き続けたら年金は月に637ドル10セント、もし60才で引退したら445ドル97セントなんだそうだ。30年働いて、そのうち半分以上は最高限度額を払って、それでこの金額かあと思うけど、これは18才からの収入の平均から弾き出した数字。あと5年間にがっちり稼いでおけば少しは増えるし、微々たる金額だけども老齢年金もあるし、税控除の対象になっている退職積立金の方は働いている限り70才まで積み立てられる。まあ、これから10年やそこらで完全に人間に取って代われる翻訳機械が登場するとも思えないから、生涯現役というのも悪くはない。もっとも、70才になる頃までには大学を卒業したいし、創作にも勤しんで生涯の夢を実現したいし・・・と、極楽とんぼは相も変わらずあれもこれもと気が多い。この分なら、老後になっても退屈だけはしないですみそう。
食事のしたくにかかろうかと腰を上げたところで、キッチンから「カメラ、カメラ!」というカレシの大声。あわててカメラをつかんで上がってみたら、わっ、くっきりときれいな虹が、それもダブルでかかっている。虹を見るとすご~くラッキーなことがありそうな気がして来るから不思議だ。アイルランドの伝説では虹の端には金の入ったつぼが埋められているんだそうだけど、ダブルでかかった大きな虹は、幸運もダブルで持って来てくれるのかなあ。
いわなきゃわからない
12月5日。今日は1日中ゆっくりと時間が過ぎているような感じがしている。こんな気分はほんとに久しぶりで、実は明日が納期の仕事があるんだけど、ちょっとやっては別のことに脱線するものだから、あまりはかばかしく進まない。だけどまあ、そんなに大きなもぼでもないし、焦ることはないか。
OECDの数学と科学の学力テストで、カナダの高校生はかなりの好成績で、科学も数学も日本を越えた。将来科学関連のキャリアを目指す若者はOECD平均を大きく上回る37%。ところが、25才から34才の就労人口10万人あたりの理系卒業者数はOECDの平均以下なのだそうだ。新聞では、理系卒がOECD平均を上回るのに科学関連のキャリアを目指すのはわずか8%という日本と対照させて報じていたけど、カナダでは大学の男女学生比は平均して男子4、女子6だそうで、医学部はもはや7割以上が女子学生。工学部でさえ男子学生が少数派になった大学が増えているそうだから、将来は病気を治すのも、新技術を開発するのも、橋を架けるのも女性ということになりそうだ。そうなったら、男は何をするのかな?
日本人はデータを使うことには優れているそうだけど、何が問題なのかを考えて理解できなければどんな豊富なデータがあっても有効には使えないし、いくらデータを駆使して問題を解いても、その過程と結果をきちんと言葉で説明できなければ誰の役にも立たないだろうに。根本的な問題点は言語能力、ひいては、「いわなくともわかるはず/わかってくれるはず」式の他力本願なコミュニケーション様式がネックになっているのではないのかな。もっとも、好奇心そのものが失われているようなところもあるけど・・・
ゆとり教育といっても、日本の小中学校の授業時間数はテストで日本より上位だった各国より多く、しかも塾という二次的な学習時間まである。経済のコンセプトをあてはめるなら、学習時間1時間あたりの成果が小さい、つまりは生産性の低い、非効率な教育をやっているということになる。丸暗記はデータを蓄積するだけの作業。そのデータを応用するためには自分の頭で考えて、自分の言葉で表現しなければならないはずで、他力本願のコミュニケーションではいくら授業時間を増やしても効果があるとは思えない。子供がいつまでも口をあけて餌を待っているヒナでいていいわけがないんだから。
と、まあ、日記ブログがうっとおしいという人のために、今日はちょっと論説委員きどりで・・・
スープでほかほか
12月6日。木曜日は目覚まし起きの日。セットしてある時刻は10時30分。だけど、さっさとSnoozeボタン(日本語では何ていうだろう)を押して、また半眠り。目覚ましは9分ごとに「起きろ、起きろ」と鳴り出すしかけだけど、「起きなくちゃ~」という気になるまでに少なくとも2回はこの便利なボタンをポン。カレシを英語教室に送り出して、今日の午後が納期の仕事を比較的のんびりとかたづけ、日本向けに「お歳暮」の宅配を頼む店にまずは自分たちが食べるスモークサーモン、サーモンキャビア、鴨肉の燻製を注文。こっちはメールで注文できるけれど、日本向けは届け先の住所を漢字で書かなければならないのがちょっと悩み。
次の納期まではたっぷり余裕があるから、今夜は「臨時休業」。真夜中のランチにほうれん草のスープを作った。ハロウィンでカボチャが出回るのを合図に我が家はスープの季節。カボチャの次はアスパラガス。なぜかこの頃はアスパラガスが年中ある。ただし、この季節はちょっと筋っぽい。それでも2束いくらというセールのときはスープの作り時。先っぽだけは残しておいて、ピューレにした後で加えたら見た目もさまになった。今夜のほうれん草スープはごく簡単。玉ねぎとセロリを炒めて、小麦粉を絡めて、チキンストックとほうれん草を入れて、あとはふつうにハンドミキサーでピューレにしてクリームとナツメグとマデイラワイン。ほんとうはシェリーを使うんだけど、切らしていたので少し残っていたマデイラで代用。このあたりが料理のおもしろいところ。自分で言うのもなんだけど、なかなかのできばえ。ランチと言っても要は夜食なんだから、おなかにやさしくて、足の指先までぽっと温まるスープはとってもうれしい。
あしたはガーリックとポテトのスープ。エレファントガーリックという巨大なのを買ってある。これは大きさの割りに甘みがあって、あまりガーリックらしくないからスープにうってつけと見た。だけど、大きなスープ鍋に少なくとも2回分のスープができてしまうから、冷蔵庫の上のフリーザーはスープでいっぱい。カレシはアイスクリームを入れる場所がないと苦情。でもなあ、スープを作れとせっついていたの、誰だったっけ?
今日届いたクリスマスカードはセントポール病院でルームメートだったボニーから。今年はカナダ横断して、アメリカ東海岸を南下してフロリダまでの大旅行を決行したとか。クリスマスのために帰ってきたけど、年が明けたらフロリダへ戻って、再びモーターホームで今度はメキシコへ行って、西海岸を北上して4月(!)に帰ってくるんだそうだ。すごいなあ。カナダもアメリカもさすがにだだっ広い国だけあって、まるで幌馬車の開拓時代に戻ったような壮大な旅をする人が多い。私もいつかはカナダ横断の旅に出て、「自分の国」を自分の眼でつぶさに見てみたいという気持が強い。四国から「しょっぱい川」と呼ばれた津軽海峡を渡って蝦夷地のど真ん中に入植した開拓者のご先祖の血が騒ぐのかもしれない。カレシは「どこへ行ってもたいして変わったところなんかないよ」というけれど、生まれた母国と自らの意志で選んだ「養母国」とでは思い入れが違うのだ。ふむ、矢も盾もたまらなくなったら、一人でさっさと旅立っちゃおうかなあ・・・
こだわりというぬかるみ
12月7日。小町の「好きになれない最近のブーム」論議は300本をゆうに超えるヒットになった。槍玉のトップはテレビ番組/芸能界の低俗性。小町の読者層が諸手を挙げているところを見ると、低俗、低脳ぶりはよっぽどのものらしい。まあ、好きじゃないと言いながらもみんなけっこう見ているような形跡もあるんだけど。「何でも勝ち負けに還元してしまうこと」を挙げた人もいる。そうだなあ、誰がどこで言い出したのか知らないけど、「勝ち組対負け組」の分別ブームが起きて、それが「勝ち犬対負け犬」と、なんか「ワンコさま」のレベルに下がったような観があったなあ。垂直思考のものさし社会を象徴するようなブームで、私だって好かない。
エコブームがどうも、という人もいる。そういえば、「高ビー庶民」のトピでもエコ生活は貧乏くさいとかいっていたっけ。でも、エコはいいのだ。みんなが資源や環境に配慮しなければ地球は滅びるしかない。エコが好かないという人はきっとそれがマスコミやセレブや一部の支配好きな活動家に操られた「ブーム」だからなのだろう。私だって、目的がどんなに高邁でも、人を動かして自分は偉いと陶酔しているような活動家に振り回されるのは好かないもの。
世の中全体が夢中で踊っている「ブーム」について苦言を呈するのは健全だと思うけど、ここでもやっぱり他人の私的な行動について自分のものさしだけでああだ、こうだと苦情をいいっているのが多い。どうして他人のすることにこだわるんだろう。いや、どうやら「私」に不快な思いをさせるなといっているらしいから、こだわっているのは他人に対する「自分の感覚」なのだろう。日本は「こだわりブーム」なのかなあと思って、ちょっと「こだわり」でググってみたら、あるある。こだわりの商品からこだわりライフ、男のこだわりグッズ。こだわり在宅ワークなんてのもある。いったい誰が何についてこだわっているのかよくわからない。
日本語辞書で「こだわる」を見たら、「わずかのことに気持の上でとらわれる」とある。和英辞書で見ると、「こだわる」はbe obsessive、「こだわり」はobsessionが真っ先に出てくる。これを逆に英和辞書を見るとobsessionとは「頭につきまとうこと」と書いてある。他に「妄想」、「執念」、「強迫観念」なんて定義もある。「Obsessive-compulsive personality disorder」といえば「強迫性パーソナリティ障害」のことで、強い不安感が特徴のC群に分類されていて、神経症の一種じゃないかともいわれる。まあ、他人のことが気になってしかたがないからってパーソナリティ障害だということにはならないのはもちろんだけど、同じC群の依存性パーソナリティ障害の特徴は日本社会の「甘え」の文化によく似ているともいわれる。「こだわり」のルーツがなんとくなくわかってきたような気もする。こだわりによってすばらしい芸術作品が生まれることもあるのは確かだけど、それは自分の能力との戦いであって、人さまの行動にこだわるのとはエネルギーの方向が違う。
「こだわり」の同義語の「拘泥」はまさに「泥にはまる」こと。それで思い出すのが小学校時代のエピソード。釧路の冬はあまり雪が降らないので、もろに厳寒にさらされる地面は1メートルくらいの深さまでがっちり凍ってしまう。それが春になって融けるとずぶずぶと深いぬかるみになる。泥んこをこねながら歩くようなもので、長靴が足に大きすぎたりすると、ぬかるみに長靴がはまってしまって、足だけが抜けて来ることがある。体は前に進むから、長靴から抜けた足はそのまま前の泥んこにずぶり。そこで慌てるから体の方も前のめりに泥んこの中にずぶり。毎年1度は泥んこになった顔にべそをかきながら家に引き返したものだ。もちろん大人は足にそれなりの力があるからそういう事故は起きない。まだ力のない子供の足だから、泥に長靴を取られる「拘泥事故」の悲喜劇がおきるということ・・・。
戦いすんで冬の午後
12月8日。眠っていてこむらがえりで目が覚めた。前の夜と同じ右足のふくらはぎ。まだ前日の痙攣の痛みが残っているというのに何てこと。二晩も続けてなんてついていないといえばついていないし、何かのつきものかとつきものなのかもしれないし。三晩も続けられてはたまらないから対策を考える。体のことで一番よく利用するMayo Clinicのサイトで調べたら、日中に水分をたっぷりとって、寝る前に足の筋肉ストレッチをして、カリウムの豊富な食事を取りなさいと書いてある。ビタミンB12 もかなり効果があるらしい。誰にでも起きるけど、年令が高いほど多いとか。年のせいというのはちょっとカチンと来るけど、まあ、いろんなところにちょぴちょぴと磨耗減損が起きる年にさしかかっているのは事実だしなあ。やっぱり年が明けたら盛大な誕生日をやる前にしっかりと頭のてっぺんから足の先まで、健康チェックをしてもらおうか・・・
好天だけどかなり冷えている。カレシが運動がてら歩いて野菜を買いに行こうと言い出した。しばらく運動をサボっているのが気になるらしい。腰もほぼ全快だし、トレッドミルに戻る前の足慣らしにいいかと二つ返事したら、バックパックはないかという。野菜を入れて背負って歩く方が袋を提げるよりは楽だからだそうな。クローゼットから私が旅行で背負って歩いたLLビーンのを持ち出して来たら、今度は小さいという。ほんっとにうるさいときはいちいちうるさいなあ。それでもカレシは空のバックパックを背負って、いざお出かけ。青果屋のあるモールまで約20分。手をつないで、おしゃべりをしながらだとあっという間。
カレシはああだこうだと文句の多い人なもので、他愛のないおしゃべりが「ハイドパークの演説」風になって、せっかくのいいムードがぶち壊しになる。人さまのすることにいちいちイチャモンをつけるあたりは「ニッポン人か!」と突っ込んでみたい気もするけど、ローカル掲示板のダンナの愚痴を見るかぎりでは、日本人を奥さんにした男はどうも共通してニッポン人的なところがあるようだ。カレシは生まれるのが早すぎたばっかりに「選り取りみどり」が叶わず、とにかく最初に現れたニッポン人をゲットしてやった~と思ったら、これが叩いても引っ込まない折れ釘だったというのはご愁傷さま。でもねぇ、私が折れ釘だったから愛が冷めなくて、それで今でもこうして二人いっしょなのかもしれないよね、たぶんわからないだろうけど・・・(というのはカレシが私にものを聞くときのイントロ)。
一人でやっていける自信はあったから、別れて一人の自分を想像しなかったわけじゃない。遠くで愛するのも別れの形かなあ、なんて考えた。あれから何年も経った今でもときどき一人の自分を想像することがある。今の私たちならそれはきっとやがて誰にでもやってくる死別という別れだろう。もしカレシが先に逝ってしまったら、私のおひとり様ライフスタイルはどんな感じかなあと想像してみる。未亡人になって急に生き生きとする女性が多いそうだから、私もお気楽に好きなことをやって、いろんなところへお出かけして自由な余生を生きるのかもしれない。ひょっとしたら白馬の王子様に出会えるかもしれない。だけどなあ。やっぱりいつまでもカレシと一緒にいたいなあ。だって、私の愛は修羅場を乗り越えても家族愛にはなりきれなかった、(悪女かどうかは別として)あばたもえくぼもひっくるめての深情けみたいだから・・・
それぞれに当面いるだけ買った野菜を背負ったカレシと手ぶらで楽ちんの私。陽が低くて、日中でも長い影ができる冬の土曜日の午後、また二人手をつないで家路へ。どうしてかわからないけれど、子供の頃によく母から聞いた戦争直後の大きなリュックを背負っての食料買出しの話を思い出していた・・・
本日のスペシャル
12月9日。ゆっくりとお風呂に入って、いつもより早めに寝たのに、目が覚めたら正午。予告通りにうっすらと雪景色。いたって静かな日曜日。それほど詰っていない仕事をのんびりやっていたら、カレシが野菜冷蔵庫の霜取りをすると言い出した。入れてあった野菜をそっくり段ボール箱に取り出してガレージで一時預かり。カウンターの下に納まるほどの小さな冷蔵庫なのにフリーザーがある。もっとも、貯蔵フリーザーのものを半解凍するのに使うくらいで、あまり凍らない。それなのに、フリーザーの内外にはいつのまにか厚い氷がつくから不思議だ。
よく見たらとっても霜取りどころじゃない。ドアを開けっ放しにしておいても1日では溶けないかもしれない。そういったらカレシがヘアドライヤーを持ち出してきた。冷蔵庫にとっていいのかどうかわからないけど、受け皿の隅に開けた穴の下に容器を置いて、ターボでガーガーやっていたら、けっこうな速さで水が滴り始めて、20分ほどしたら手で氷を外せるようになった。それにしても、野菜の日持ちが悪くなるのも当然なくらいのすごいつき方だった。もうちょっとまめにメンテナンスをしないとね。さてと仕事に戻ったら、日本は月曜日の朝。あっという間に今週のカレンダーが埋まってしまった。おもしろそうな内容だけど、あ~あ。
今夜の夕食はオレンジラフィー。写真で見るとオレンジ色の骨魚みたいなこわ~い顔だけど、身は上品な味わい。ニュージーランドあたりから来るので、しょっちゅうお目にかからないのが残念。これをムニエルにして、さてソースはどうしようと考えて、思いついたのがほうれん草のポタージュの利用。1人前に満たない量が残っていたので、これに塩をもう少しとシェリーを加えてみたら、サマになっているではないか。そこでせっかくだから、もうちょっとお上品にしてみたい。付け合せは蒸したインゲン。魚は白で、緑に緑。そっか。彩りが欲しい。そんなときになぜか都合よく冷蔵庫に入っていたのがサーモンキャビア。オレンジの粒々を緑のソースにパラパラと散らしてできあがったのが、極楽とんぼ亭の今日のスペシャル「オレンジラフィーのほうれん草ソース、サーモンキャビア添え」。シャルドネでも冷やしておけばよかったなあ。
ディナーが大成功だったのに気をよくして、真夜中のランチはガーリックのクリームスープ。玉ねぎくらいもある大きなエレファントガーリックを1個そのまま使う。ベースは玉ねぎとポテト。バターでさっと炒めてからチキンストックで煮込むわけだけど、この時点で家中にガーリックの香り!二人ともガーリック好きだから、おいしそ~とキッチンを出たり入ったり。でも、とろとろと煮込んでいるうちにあんまり臭わなくなって来た。仕事をしながら鼻でスープのできあがり具合を確認。ガーリックがとろけるくらいになったところで、なべのままハンドミキサーでピューレにして、クリームとミルク、塩、こしょうで味を調えてできあがり。ガーリックの甘みが出て、特有の味や香りはほんのりとわかる程度。思ったよりも上品なポタージュになった。これならお客にも出せそう。ただし、前の日に作りおきしたほうがいいだろうなあ。
次のスープは、いよいよゴボウに挑戦してみようか・・・
瞼の母(国)
12月10日。のんきにやっていた仕事も余裕を残しておしまい。きのうのほんのりの雪化粧がまだ日陰に残っていて、冷えたまま。週末に向かってまた雪の予報が出てきた。この調子で行ったら、久々のホワイトクリスマスになるかな。バンクーバーでは確率は8%くらいだそうだけど・・・
こだわりのことを書いていたら、お前こそ日本にこだわってるじゃないかといわれた。日本語で書いているからやっぱり新聞サイトで読んだ日本のことを話題にするんだけど、まだ何かしらこだわっているところもあるかもしれない。だけど、毎日のカナダ暮らしを書いてみたって、あまりにも日常的で自分がつまらない。それに、在加日本人が書く「~のカナダ生活」とか「~のカナダ通信」とかいうブログはごまんとあるらしいから、そんなテーマで書いてみたって今さらという感じだろうし・・・。
日本の社会現象をああだ、こうだと書いている当人にしてみれば、こだわっているというよりは、え?というようなことが多くて、いつものへぼ分析癖でついどうしてだろうと考えてしまうから、関心があるという方に近いんじゃないかなあと思う。何でまだ日本に関心があるかというと、カナダが養母国なら、日本はいわば「まぶたの母国」みたいなものだからかもしれない。私が知っている日本は私が生まれてから離れるまでの27年間に見聞した日本なわけで、一番新しい記憶でさえすでに30年以上も前のものだ。しかも、海を隔ててみていると、実は日本列島の北の端にある島の中の「日本」しか知らなかったんだと思い知らされることが多い。他人に言われるまでもなく、日本人の日本知らずってことになるのかもしれないけど、日本の歴史や芸術に関しては自負できるくらいによく知っていると思うんだけどなあ。
北海道は日本全国からの地方文化の集まりだし、海外の日本人社会だって日本全国津々浦々から来た日本人の集まりだ。世界津々浦々から集まった移民が作ったカナダとはさして違いがないように思うんだけど、どうも日本人には黒々とした線が見えていて、それを越えないことが日本人の誇りだと互いに牽制し合っているような印象もある。ひと昔前のことだけど、日系三世の弁護士さんからよく仕事を依頼された。まだバブルの余韻があって、日本企業相手の契約案件がかなりあった頃だ。その人が急にアルバータの生まれ故郷で開業することにしたという。理由を聞いてみたら、いくらカナダで通用するやり方を進言しても、「ワレワレニホンジンハ~」とやられるのにほとほと嫌気がさしたということだった。
イギリスでは、私と同年代で、イギリス暮らしが私のカナダ暮らしと同じくらい長い日本人女性に出会った。背景が似ているのでしばらく話をしているうちに、「私、自分から徹底的に日本を剥がしたのよね」というので、はっとなった。まだ国際結婚は勘当モノだっただった時代に、私が日本が近くて、日系人の実績もある国で深く考えもせずに二つの文化の間を泳いでいた頃、イギリスの、しかも他には日本人がいそうにない地方都市にお嫁に来た彼女には私に想像できないことがいろいろとあったのだろう。「日本剥がし」は自分という人間が生き残るための知恵だったに違いない。二つの文化の隙間に落ち込んで似たような「日本剥がし」をやった私にはそれがどんな痛みだったかわかる。彼女の身振りも口調も主張も「外国かぶれ」、「キツイ」と敬遠されそうなパワーがあったけど、同時に「徹底的に日本を剥がした」といったときの目には自らの身を削ぎ落とした痛みがちらりと見えたように思う。
結局のところ、私にとって日本はさっぱりよくわからない国ではあってもやはり「瞼の母国」。関心が消えてしまうことはなく、ある意味でこれからもこだわり続けるだろう。だけど、数学者/天文学者/哲学者として男を凌いだ故にそれを疎んじた暴徒によってずたずたに身を削ぎ落とされて殺されたアレキサンドリアのヒュパティアの苦悶はごめんだ。だから、ここは新しい衣の温もりを守るための安全距離を見極めるのが次のステップなんだろうか。
真実の瞬間
12月11日。今日入ってくることになっていた原稿、来たらすぐ始めなきゃと思っていたのが、来て見たら納期は来年の1月に入ってから。うへっ、これが逆でなくて良かった~と胸をなでおろして、カレンダーから消去。残るは小さめの仕事ひとつだけ。どうか、どうか、これが今年の仕事納めになりますように・・・。
読売を見たら、2007年の漢字は「偽」に決まったとか。予想した通り。まさに、日本中が「偽」に尽きる1年だったに違いない。それもこの1年に限ったことじゃなくて、何年も前からやっていたというケースが多くて呆れるばかりだ。中国製は何が入っているかわからないからコワイなんて騒いでいたら、灯台下暗し。もうあの「はい、深々とおじぎぃ~」は日本人みんな食傷しているだろうからやめた方がいいのにと思うけど、しょうこりもなく「偽」がばれてはぺこり。首ふり形は何も学ばないらしい。昔、メイドインジャパンは欧米で「安かろう悪かろう」の代名詞になっていたそうだけど、へたをしたら今度はメイドインチャイナと同じく信用できない危険商品の焼印を押されてしまうかもしれないのに。「偽」の他にも「欺」、「疑」。日本人の「義」はいったいどうしちゃったのかなあ。
それにしても名門企業から外資まで、ごまかしと隠蔽があたりまえすぎて、実行する前にばれたときのことまでは考えないらしい。だからばれたときにとっさに稚拙な嘘をつく。その嘘がばれたら、今度は陳謝だ。せびり役人とおねだり夫人もすごいけど、ばれなければいつまでも嘘をつき続けるという惰性的な神経も国家の将来には害だろうな。振り込め詐欺にいとも簡単に引っかかって大金を払ってしまうところにも隠蔽体質が見えるように思う。夫や子供が問題を起こしたといわれて安否を気遣って動転するのは当然だろうけど、結局はその場で「金で穏便に済ませる」方法を選ぶことによって世間さまに知られないことが先決になっているわけだから、「偽」に関しては政府や企業とあんまり違わないように思える。いや、1本の電話を信じてポンと大金を払うということは、自分の子供や夫をまったく信じていないことにもなるじゃないの。
今日、裁判所でビンや斧を振るって暴行を働いて傷害罪で有罪になった若者たちの刑の宣告があった。若い被害者は脊髄損傷で四肢麻痺になり、車椅子の生活だ。だけど、裁判官は、前歴もなく、自首して、明らかに「猛反省していた」という19才のアジア系の青年に観察保護のような軽い刑を言渡した。携帯を手に、白人の友だちとアジア系のガールフレンドを伴って法廷から出てきた青年は、報道陣を振り切って駐車場へのエレベーターへ。彼らの化けの皮が剥がれてしまったのはドアが閉まった直後のことだった。
報道陣のマイクがエレベーターの中でのこらえきれなかった「大爆笑」をはっきりと録音してしまったのだ。レポーターは「何がそんなにおかしいのか」と絶句。昼のニュースで流れた、女の子のあまりにも不遜な甲高い笑い声に神経を逆なでされなかった人はいないだろう。おそらくは、嘘八百で裁判官をたぶらかすなんてちょろいもんだと驕ったばっかりに、「偽」の隠れ蓑を落としてしまったらしい。あの女の子の嘲笑は同じ頃に別の裁判所であったカナダの犯罪史上最悪の大量殺人犯の刑の宣告さえかき消すほどの衝撃だった。夕方のニュースで、州の法務大臣が刑の見直しを検討すると発表していた。偽はそれを行う者にとっても偽でしかないということだけど、あの笑い声はまだ耳から離れない。
がんばってね
12月12日。やっとセミホリディムードになってきた。半日で終わるような小さな仕事はいいけど、ほんとにどうぞ大きな仕事が飛び込んできませんように(パンパンパン)。ふむ、どこの神さまが一番ものわかりがよさそうかなあ。私は特にどこの宗教に属しているのでもないけど、どっちかというとキリスト教に傾いている。小さい頃から家では家族揃って神道、仏教、キリスト教の行事、そして日本の伝統をやっていた。季節の行事を通して少しでも異文化に触れさせておこうというのが、若い頃に海外雄飛を夢見たらしい父の教育方針だったのだろう。私の方はキリスト教の幼稚園に入って、日曜学校に行って、早いうちからキリスト教の考えが染み込んだようだ。ただし、家父長制度みたいな組織された宗教は居心地が悪いから、洗礼は受けていないし、特に何派という意識もない。神さまは私の神さま、イエスさまは私のイエスさまでいいのだ。
今日はピアノの先生とお昼。レッスンはとっくにやめてしまったけど、友だちであることには変わりはない。先生は声楽のレッスンと小学生の子供たちのお迎えまでの合間、私は仕事を一段落させての超特急のランチ。それでも会うのは久しぶりでうれしい。年が明けたらいよいよ離婚の手続きにかかることにしたと笑顔で発表。この数年ほどに夫氏の精神的暴力がだんだんひどくなってきていたのに、子供たちのためにとずっと迷い続けて来た。この4年くらいは家庭内別居の状態が続いていた。でも、精神的暴力の矛先が4年生の娘に向き始めて、その娘に共依存の兆しが見え始めて、もう限界だと決心をしたという。離婚するなら子供たちが思春期に入る前の今しかないという。お迎えの時間になって、別れ際にもう一度しっかりとハグ。私が苦しかったときに先生も黙ってハグしてくれた。私もできるのはこれくらいだけど、私たちは何もいわなくてもちゃんと気持が通じる戦友みたいなもの。ひたすら前を向いて行こうね。
明日は年末年始の休みに入るカレシの今年最後のレッスン。でも、パーティをしようという生徒さんの提案で、なぜか「奥さんを連れてきてね」と何度も念を押されたのだそうだ。ちょうど仕事も区切りがついたから、それではご要望にお応えして顔見世と行きましょうか。自分たちと同じように移民としてカナダに来たということで「興味があるんだよ」とカレシはいう。みんな、カナダでの将来のために、良い仕事に就くために英語に磨きをかけようという人たちだ。少なくとも、目線がどうのこうのといっためんどうな人たちはいないだろう。みんな前を向いて歩いている人たちだもの。どんな話が出るか楽しみだなあ。
バベルの塔
12月13日。雪交じりの雨の日。外では電力会社の大きなトラックが止まって、地下鉄駅の電源用に埋設した送電線のマンホールで騒々しい作業をしている。せいぜい1時間半ですみますからといっていたのに、これで3日目。もっとも、駐車禁止のマーキングをしていた人を目ざとく見つけたカレシが「早朝からの騒音は困る」といったらしく、3日とも作業が始まったのは午前10時過ぎ。現業の人たちのの始業時間が午前7時なのを考えたら文句は言えない。そのせいでせいぜい1時間半の作業が3日になったわけでもないだろうけど、今日は駐車禁止のマーカーを持って帰ったから、これで終わりってことかな。
朝食はトーストだけにしておいて、カレシの英語教室のパーティに出かけた。クラスはほとんどが女性。年配の1人を除いてはみんな広東語が母語だそうだけど、出身国は広東省、香港、ベトナム、カンボジア、インドネシアとさまざま。顔立ちから受ける印象が違うのは、それぞれの国で「中国系」なのだからだろう。標準中国語が母語のリディアは広東語も話すし、家族とモントリオールに移民したのでフランス語もだいぶわかるという。カンボジア出身のコクはカンボジア語、広東語、標準語、ベトナム語、フランス語が話せて、英語もかなり達者。ベトナム出身のハンにいたっては「広東語にベトナム語に・・・」と、話せる言葉の数を両手(!)の指を折って数える。香港出身のエヴァはカレッジに行っているそうだけど、読み書きはできても、スピードが速すぎて聞き取れないし、日常会話の語彙も足りなすぎて会話に困るという。テレビのドラマはほとんどわからないし、ニュースも半分がやっとで、最初の就職先では英語でのコミュニケーションが取れないために解雇されてしまったという。ああ、たかが英語、されど英語・・・
だけど、みんな広東語でわいわいがやがやと屈託がない。テーブルにはギョーザやチャーシューの他にベトナムやインドネシアの料理。エヴァは「コリアンの同級生に教わったのよ」と韓国料理を持ってきた。ベトナムの春巻きはあっさりしていておいしかったし、アサリや干しエビが入ったもち米の炊き込みご飯もすごくおいしかった。リリーは「インドネシアではこうやって食べるのよ」と指先で器用にご飯をまとめて口に運んで見せてくれたけど、やってみるとこれが簡単に見えてすごく難しい。親指を使って食べ物を口の中へ入れるのがコツらしいけど、箸さえもてあましている私の手には至難の技と見えた。手で食べるのはインドだけじゃなくて東南アジアのかなり広い地域にあるらしい。考えたら、日本だって寿司は手で「つまむ」ものだし、立食パーティなどでも手でつまんで食べられる「フィンガーフード」がたくさん出るし、何よりも人間が生まれて最初に使う「食器」は自分の手。なるほど、自然なことなんだ・・・
みんながたくさん並んだ料理をどんどん取り分けてくれるもので、私はあっという間におなかがいっぱい。お開きになったら、「今晩のご飯よ」とベトナム春巻きと餃子と焼きそばを山ほど持たされて、カレシは「You are a good teacher」と、みんながサインしたクリスマスカードにプレゼントまでもらって、それぞれにぎやかに「メリークリスマス、ハッピーニューイヤー」。楽しい午後のひとときだった。みなさん、謝謝!
今なんていった?
12月14日。電気会社の工事が終わったと思ったら、けさは早朝からコンプレッサの音で目が覚めた。近くで家の新築工事が始まったらしい。午前8時半。寝たのが午前4時だから、感覚的にはまだ真夜中だ。まいったなあ。案の定、カレシは起き出したり、ベッドに戻ったり。そのたびに寝入りかけた私も目が覚める。覚めるけど、目を開けたら本格的に目覚めになってしまうので、しっかり目をつぶって狸寝入り。そのうち本当にまた寝入ってしまう。カレシは10時前には諦めて起きたらしい。目が覚めてみたら11時半。
カレシは奥の部屋のソファで耳栓をしてうとうとしていたところだった。寝入りばなを起こされてご機嫌ななめ。でも何とか笑顔を作って朝食。そのあとは1日中耳栓をしたままなもので、何を話しかけてもきこえない。ふむ、この先20年もしてカレシの耳が遠くなったら、まあこんなぐあいなのかな、とヘンな想像をしてしまう。そばまで言って肩をトントン。カレシが耳栓を外すのを待ってのコミュニケーション。ちょっとまだるっこしいなあ。
やっとクリスマスカード作成にとりかかるヒマができて、午後いっぱいかかって全部宛名を印刷した。あまり数は多くないのが幸いだけど、明日ポストに入れたら収集は月曜日の朝。クリスマスに間に合うんだろうか。毎年のことながら焦るなあ・・・
4時ごろになって、カレシは急に「さて、そろそろ行くか」。え?「牡蠣を食べに行くんだ」。え?夕食後にコリアンスーパーに行くだけじゃなかったの?だから、いつ行くのって聞いたら、夕食後っていったでしょ?「うん、Rodneyで牡蠣を食べてからって言ったんだ」。え?あっそ・・・。耳栓なんかしてるから、話が食い違ってややこしくなるんじゃないの。そうだ、カレシにうってつけのプレゼントがある。今から注文してもクリスマスには間に合いっこないけど、すてきなレインチェックをあげようっと。何かはヒミツ。聞こえないのが幸い、今のうちに・・・
犯人は害人だ!
12月15日。きのうの新聞に載った「乱射事件」のニュース。なんと日本での事件。アメリカでの乱射事件のニュースを見すぎて、とうとう日本にもcopycatが現れたと思った。ところが、時間がたつにつれて日本のメディアが「犯人は外国人か」と報じ始めた。犯人は大柄で、迷彩服を着て、顔を隠し、無言だったので、居合わせた誰かが「外国人かも」という印象を持ち、さらにジムの従業員が「(亡くなった女性が)外国人にストーカーされていたらしい」と証言したとか。佐世保にはアメリカ海軍基地がある。犯人は外国人か!
おいおい、ちょっと待て。佐世保の街にはアメリカ人がたくさん歩いていて、現地の日本女性との出会いもあるだろう。それにアメリカ人は概して大柄だし、第一アメリカでは銃の乱射事件がひんぱんに起きている(ように見える)。だけど、なのだ。凶器は散弾銃。犯人は空気銃も持っていたらしい。アメリカ軍基地には散弾銃なんておいていないだろう。空気銃なんて「そんなチャチなもので戦えるか」と思っているはず。もし犯人が「外国人(アメリカ人)」だとしたら、基地にごろごろしている高性能ライフルか自動小銃を持ち出すだろう。シャーロックホームズのお出ましは不要。犯人は日本人だ!
だけど、その後、散弾銃の登録から容疑者が浮かんで、逮捕状が出て、自殺した容疑者が見つかっても、新聞記事は容疑者を「男」と書くばかりで、なかなか名前を出さなかった。一部の新聞にはすでに実名が出ていたのだから、知らなかったはずはあるまい。日本人であるはずはないと思いたかったのか、調子に乗って「犯人は外国人か」などと書き立ててしまったもので、「実は日本人でした」と認めるのが気恥ずかしかったのか。偏見は恐ろしい。私だって、ただ「乱射事件」と聞いたら、とっさに「また(アメリカ)か」と思っただろう。それなりの先入観があるからこそ、「アメリカのニュースを見すぎて・・・」という反応になるわけだ。
今、日本人のxenophobia(外国人嫌い)が高まっているといわれる。嫌韓、嫌中、嫌米、み~んな嫌い。日本では、もてるはずの白人でさえも道路を歩いているだけで警官に呼び止められて「職務質問」されるという。一方で国際化だ、国際交流だ、国際結婚ブームだと外国人にすりすり、もう一方で外国人は犯罪者かもしれないからと横目でちらちら。日本では「外国人お断り」、「ジャパニーズオンリー」といった張り紙を臆面もなく店先に出しているところがかなりあるそうだし、どこかのデパートでは「店内に外国人がいるので注意してください」と店内放送をしたのを日本語の分かる外国人が聞いたそうだ。元からして異なるものを排除したがるところにバブル時代からの優越感が根ざして、いともあっけらかんと偏見や差別意識を表に出せるのだとしたら、その「あっけらかんさ」の方が銃を振り回す狂人よりもよっぽど恐ろしい。