HAPPY 2008
1月1日。2008年1月1日。元旦。ちょっと気どって言えば、「無事に還暦を迎えました」。新しいカレンダーと一緒に新しい人生暦をめくったというところ。嵐の予報は外れて、外はまあ穏やかな日。残っていたシャンペンとオレンジジュースでミモザを作って元旦の朝食の乾杯。そういえばもう30年はお雑煮にごぶさたしている。元々それほどお餅が好きな方じゃないので気にはならないんだけど、母が作ったお雑煮の味がちょっぴり懐かしくもある。これも還暦の心境なのかなあ。
大晦日は食後にイアンがCDに落として持ってきたヨーロッパ旅行の写真を鑑賞。モントリオールで医者をしている息子との写真に始まって、パリでの休日。故国ポーランドでの家族との交流。イアンが父親の墓にお参りしている写真は感動的だった。彼は大学生のときに旅行の許可を得て、ポーランドから旧東ドイツ、オーストリア、フランスと抜けて、ベルギーで亡命した。そこから叔母さんがいたモントリオールに移住して、子供のときに家族共々ポーランドから合法的に移民したバーバラと知り合ったのだそうだ。もちろん、亡命してから共産主義が崩壊するまでイアンはポーランドの土を踏むことができず、その間に両親とも他界したという。身につまされる話だけど、ああして1ヵ月も夫婦そろって双方の親族を訪ねて回れるのは、家族の絆の強いポーランド人だからこそだろう。兄弟姉妹、姪に甥に、いとこにまたいとこ、。大家族の楽しそうな食事風景はすばらしい。
トルコのツアーでは何と言ってもカッパドキアの奇観に圧倒された。何かどこか遠い宇宙の果ての世界のようだ。イスタンブールの写真では「こっちがヨーロッパで、こっちがアジア」。古代ギリシャにとっても、ここから先はアジアの異境だったんだろうなあ。日本から見たらアジアの西の果てだけど、中央アジアを経てひたすら東へ、東へと緯度をたどって行けば、やがて北日本のあたりに至るから、はぐれ遺伝子が迷って来たって不思議はないなあ。ただし、ワタシはどう見ても南方系の縄文人の流れだと思うんだけど・・・
還暦だから何万年か昔のそれこそ別世界のご先祖様に思いを馳せたわけじゃないけど、不思議な感慨が沸くのも事実。同い年のバーバラに干支や還暦の意味を説明して、午後11時57分、シャンペンを抜いて、シアトルのスペースニードルでのカウントダウンで二人の人生第2期に盛大に乾杯。装置の故障で途中に二度ほど中断があったものの、シアトルの夜空にスペースニードルから打ち上げられる花火は豪華だった。バンクーバーにはこれといったカウントダウンのイベントがないから、シアトルのチャンネルに合わせるしかないのが残念。オリンピックでも記念してタワーを作ってしまえばいいのになあ。(まあ、うるさい活動家が自然の景観を損なうとか何とか反対することは請け合いだけど。)
一年の計は元旦にありで、今年は「徹夜ゼロ年」。まだ超集中の徹夜の影響が体のあちこちに残っているような気がするから、墨も黒々とはいかないけれど、今年は何が何でも徹夜仕事はゼロにするぞ。元旦の漫画にあるように張り紙をしようか。だけど、練習でもしないともう手書きはできそうにないから、ワープロで打って、うんと拡大して印刷して貼っておこうかな・・・何だか味気なくてばかばかしいような。
どこまで守れるかは今のところまったくもって不明で、いざ徹夜となったら、「元旦の計は三日坊主が相場じゃないの」とか何とか言い訳しそうだなあ。それでも、せっかく新たなページをめくった人生の暦だから、毎日を大切にして今年もがんばろう、とは、正月早々納期の迫った仕事をしながらの年頭所感・・・
マンマ・ミーア!
1月2日。新年2日目。今年第1号の仕事を納品して、また「お正月モード」に切り替え。週末から来週末まで並んだ仕事はあと4つ。まあ、大して大きなものではないし、日本はどうせ月曜日までは休みらしいし、ちょっとはゆっくりしていてもいいか・・・な?
郵便の中に早々と今年度の不動産の査定通知が入っていた。去年の査定はその前の年に比べて一挙に24%も上がっていたから、今年はそろそろ落ち着いてもいい頃だと思っていたら、上昇率は6.5%だった。今の円安相場だと、東京に平均的マンションを2つくらい買えるかもしれない。20年前のバブル時代には東京のマンションひとつでバンクーバーに土地付きの家が2軒買えたんだから、時代は変わったもんだ。
今夜はクリスマスに買ったパスタメーカーを試してみた。材料は小麦粉と卵とオリーブ油に塩をちょっぴり。乾燥パスタはデューラム小麦が使われるけど、生で食べるのは普通の小麦粉なんだそうな。そこで、粉はグルテンの多い製パン用のを使ってみることにした。ボウルに粉を入れて、真ん中にくぼみを作って、卵を3個。オリーブ油と塩を入れて、フォークで卵を溶きながら、少しずつ粉を混ぜ込んでいく。しばらく混ぜていたらフォークが動かなくなってきたので、今度は手を使ってこねる。イタリアのマンマやノンナががっちりしているわけが分かってきたぞ。えいえいとかなりの力を入れてこねないと、粉が混ざってくれないのだ。
それでも汗をかきながら10分もやっていたら、なんとかしっかりした生地ができた。これを4つに分けて、麺棒で平たくのしてから、何回かたたみながらローラーにかけ、それを今度はローラーの間を狭めながらちょうど良い厚さに伸ばして、今度はカッターにかける。40センチくらいの長~いリングィーニのでき上がり。ふむ、調子は上々ということで、残りの生地も伸ばして、カットして、ティータオルの上にかなりの量の山ができた。売っているのよりもずいぶん長いけど、たしかにスパゲッティをちょっと潰したようなリングィーニの形をしている。パスタ作りに手間が要りそうだったので、ソースは簡単なヴォンゴレビアンコにして、お湯を沸かしている間にささっと作って、さていよいよパスタを茹でる番。パン用の粉を使ったせいか、売っている生パスタよりずっと腰のある茹で上がりになった。
できたての「手打ち」パスタは歯ごたえが良くて、二人とも大成功の花丸。どうやら病みつきになりそうだ。スパゲッティとフェトチーニのカッターの他に、ラザーニャやラヴィオリ、トルテリーニを作れるカッターもある。カレシは、この夏はトマトとバジリコをたくさん植えるぞ~と大はりきり。自家製のパスタと家庭菜園のトマトとバジリコでミートソース、摘みたて野菜でサラダ、デザートは自家製アイスクリームというメニューはどうだろうなあ。うん、これぞまさにスローフードのきわみ。この夏が今から楽しみ・・・
ダレトンボは誰だ?
1月3日。夜中にかなりの雨が降っていたようだけど、起きてみたらかなりの大風が吹いていた。ずっと雨と雪どっちつかずだったけど、気温はかなり高くなっているらしい。西部と東部では気温が正反対のことが多く、案の定、トロントはマイナス2桁の寒波。大雪の後にこれだから泣きっつらに蜂みたいなものだろう。テレビに、玄関から道路への道を作るのに、両側に背丈よりも高く積み上がった雪の上にさらに雪を跳ね上げている人が映っていた。
なんとなくなつかしい風景。二十歳ぐらいの頃、父の転勤で仕事を辞めて札幌に移った最初の冬、大雪の後に道路に背を向けた玄関から家を半周して道を開けるのは、こんなときになるとどうしてか息子の代用になるワタシ。だけども、背丈以上になった雪の壁の上にさらに雪を投げ上げるのは大変な重労働。北海道語で雪かきのことを「雪はね」という意味が身にしみてわかろうというもの。雨に明け暮れるバンクーバーの冬に、「シャベルがいらなくて楽ちんよ」と肩をすくめる暮らしも、もうすぐ満33年・・・
カレシは今日から英語教室再開で、いつもなら『不思議の国のアリス』に登場する白うさぎ氏よろしく、「遅刻だ、遅刻だ」と騒ぎながら出かけるのに、今日は余裕たっぷり。まだ学校が冬休みで子供たちが家にいるせいか、生徒さんはいつもの半分だったとか。会話クラスになったおかげで用意した教材は使わずに済んだので、火曜日の準備はしなくていいから「バケーション再開」なんだそうな。まあ、来週にはみんなが戻ってきて、今度は「生徒の数が多すぎ・・・」とぼやくに決まっているんだけど。
カレシが出かけている間に仕事をひとつ片付けるつもりでファイルを開いたけど、今日は注意散漫。(小学校1年生くらいの頃よく「注意散漫」といわれたけど、あれは生まれつき視力に問題があったからで、AD/HDだったわけじゃないと思うけど・・・?)タイトルをやって、ジグソーパズルに没頭して、また1行。そうだ、カレシが庭仕事をするときのジャケットの内側にMP3プレーヤー用のポケットを作ってくれといっていたっけ。ひとしきり材料になるものを探して、また1行。うってつけの材料が見つかったところで、カレシが帰ってきた。仕事はそこで中断して、今も中断したまま。ま、日はまた昇るってことだし。
見つけたのは絵筆のセットが入って来たカンバス地の袋。絵筆の幅の縫い目をプレーヤーの幅の分だけほどいて、蓋になる部分を折って縁取りして、Velcroテープを貼っておしまい。簡単、簡単。でも、今日は縫い目を解いただけ。縁取りを縫い付ける作業は明日、明日。昔は器用貧乏といわれたくらい器用なはずなのに、なぜか縫い物は得意じゃないし、ミシンとなるともっと苦手。小学校の家庭科の運針で右左の手を代えながらチクチクと往復していて先生に「それはダメ」と言われて以来、お裁縫がイヤになった。両手にクレヨンを持って絵を描いていて絵の先生に「それはダメ」と言われて以来図工の時間が嫌いになったのと同じで、早く言えば左利き差別の被害なのかもしれない。それに、ミシンはしっかり「右利きさまご用達」で、左利きの人間にはコントロールが難しい。
まあ、もう左手で縫っても文句を言う人が誰もいないもので、繕いものはやるし、堂々と左手で刺繍をしたこともあったけど、手芸はあまり性に合わないらしい。(金づちを持たせればかなり器用なんだけど・・・。)ふ~ん、カレシは大喜びだけど、やっぱり明日だなあ、これも・・・
すごい人たち
1月4日。つまみ食い式にのんびり仕事をしながら、掲示板もつまみ食い。トピックは継続だから正月早々からということでもないけど、いや、世の中にはすごい人たちがいるもんだ。何がすごいって、トピックを読んで思わず「うひょ~」と言ってしまうからすごいのだ。たとえば、読売小町には、仲間で一番のブス子ちゃんがエリートと結婚することになって、「自分より容貌が劣る子が幸せになるのが納得できない」という人と、背は低いし太めで並み以下の容姿である(ことを自覚していない)「友だち」が身の程もわきまえずに、合コンとやらで出会った大学生を積極的に追いかけていて、「自分までヘンな目で見られそう」と変な心配をするお嬢さま短大生がいて、読んでいるうちにクスクス、そのうちに「うわっ、すごぉ」とゲラゲラ。
どっちも容姿が自分より劣って見える人を「オトモダチ」にすることで、自信のなさを隠蔽して来たのかな。人さまのことにああだこうだ、みっともない、やめてほしいとうるさいのは、自分はこういう人間という自覚がない人なんだろうと思うけど、他力本願で自信を持とうとするから妬み、僻み、やっかみに苛まれることになるわけ。それにしても、このごろは、今どきの日本では「友だち」って何なんだろう、「友情」って何なんだろうと考えさせるトピックが多くなったような気がする。
ローカルの掲示板には、「英語は時代遅れでダサい。これからは日本語や中国語だ」なんていう大学生がいる。きっと語学留学が無意味に終わってイライラしているんだろうけど、どっかで右翼のプロパガンダを読んでその捌け口を見つけたということか。けんめいに「アメリカやカナダやオーストラリアなどの英語圏はあと数年で崩壊して、英語は使われなくなる」と力説するほど、「どうせ英語なんか滅びるんだからできなくたっていいんだ」というイソップの「すっぱいブドウ」式の言い訳に聞こえて、もう苦笑するしかない。日本の語学産業や留学産業をMcEnglishだと評していた人がいたっけ。小町に「日本がアルゼンチン化するそうだけど、庶民はどうしたらいい」というトピックがあったけど、アルゼンチンが日本より劣るという意識があるから、同じレベルに落ちたら「大変だ、どうしよう」という反応になるわけで、どっちも仮想的有能感ってもんじゃよ、キミ。英語圏諸国もアルゼンチンも、みんなそれぞれなりにがんばってるって。
もっとすごいのは、カナダでもうすぐ結婚するけど「日本で婚姻届を出そうかどうか」と悩んでいる子持ちの人。カナダの児童手当をもらっているけど、日本においてある住民票では「シングルマザー」ということで、日本の児童扶養手当ももらっているんだそうな。で、日本に結婚届を出すとその手当てがもらえなくなってしまうので困る。それに、相手とうまく行ってないから結婚してもすぐ別れてしまいそうだし、結婚届が出せば後でカナダで離婚したら「戸籍が汚れる」ので困る。すごい人だ。国際リコンしたら戸籍が「汚れる」という発想そのものがすごい。コモンロー(事実婚)の配偶者として移民申請する日本女性がやけに多いのは、そういう意図の人が多いってわけだ。カナダで法的に結婚しても日本に結婚届は出さないという人もいる。別れても戸籍に傷がつかない、つまり日本で再婚するときに「初婚」と言えるからってわけなんだ。いやぁ、しっかりしたお人たちじゃのう。もうこうなったら、すごいなあ、とただただ感心・・・
ここにもすごい人たち
1月5日。一晩中ものすごい風。郊外では停電している地区がかなりあるらしい。どうやらずうっとロスアンゼルスのあたりまで嵐模様のようで、大風、大雨、大雪、洪水と、荒れることしきり。BC州北部では、ネチャコ川がフレーザー川に合流する地点で巨大なアイスジャムができて緊急事態が発令されたままだ。アイスジャムというのは川を流れてくる氷が次々と引っかかってダムができた状態で、川の流れを止めることはできないから、そのままでは洪水のような災害が起きる。ネチャコもフレーザーも大きな川なもので、アイスジャムはネチャコ川を10キロくらいにわたって塞いでいるそうで、低地帯では避難命令が出ている。この氷がわっと融けて流れ出したら、この春もまたフレーザー川の下流で洪水が起きるかもしれない。
土曜日の新聞。ここにもすごい人たちがいっぱい登場する。ウィスラーで永久的に閉鎖されている区域に入って雪崩を起こした二人組がいる。処女雪を滑りたいというだけで、危険だから入るなという標識を無視して、柵をよじ登って行ったらしい。1人は死亡し、助かった方は過失致死罪に問われるかもしれないという展開になって、その若者の父親がテレビカメラに向かって「うち息子は罪に問われるべきじゃない」。妹も「お兄ちゃんは人気者でいい人なのよ~」とにこにこ。すごい人たちだなあ。危険と知っていて入り込んだあげくに「事故だったんだから」かあ。危険地域ということは、救助する人たちにとっても命がけなのに。
バラード入江の北にそびえるノースショア山脈は標高1500メートル前後の山が十いくつもあって、1年を通じてアウトドアスポーツ愛好家でにぎわうけど、立入禁止の標識を無視して危険地域で遭難する若者が後を絶たない。そのたびに捜索救助隊が出動する。隊員はボランティア。でも、救助された困ったちゃんは救助してもらって当然という顔で、迎えに来た家族に囲まれておうちへ帰って行く。ニュースを見るたびにすごい連中だなあと思うけど、いい加減に頭にきたスキー場の全国団体がそういう無責任野郎から捜索と救助にかかった費用を徴収する方向で会議を開くことにしたそうだ。パチパチ。
オンタリオ州で、制限速度100キロのところを160キロでぶっ飛ばしていたドライバーを検挙してみたら、何と85才。銀行へ行って、それから買い物するつもりだったんだそうな。車と免許を1週間没収と言われて悪態をつき、婦人警官にたしなめられたら「すいません」と謝って銀行までパトカーで送ってもらったとか。暴走運転を取り締まる法律で検挙されるドライバーの平均年令は30才だというから、85才にして暴走族取締法違反で1週間免停なんて、いやお若いですなあ。
バンクーバーの伝説的サックス奏者ダル・リチャーズが今夜ホテルバンクーバーで若いバンドと競演。この人はすばらしくすごい。昔ホテルの最上階にあった有名な「パノラマルーフ」で戦争中から25年間もビッグバンドを指揮した名物男。そのどこがすごいかって、「スイングの王様」ダル・リチャーズはなんと今年90才なのだ。Go, Dal, go!
カレシが待望するMP3プレーヤーのポケットを仕上げて「プロジェクト」をひとつ完遂。ピンクッション、指貫き、縫糸、裁縫バサミを持ち出して、まずは前回使った糸を通したままで何本もいい加減に刺してある縫針を点検。うんと細いのとうんと長いのは扱いにくそう。針穴が小さいのは糸を通しにくそう。ごく少量のことを英語で「thimbleful」というのは、西洋の指貫きは中指にすっぽり被せるキャップ型だから。縁取りを待ち針で押さえて・・・ふ~ん、「待ち」針とはなんとなく風情のある言葉だなあ、なんて粋がっているうちに指先をプツッ。慌てて滲んだ血をなめておいたけど、ま、金づちで指を潰すよりはましか。生地が絵に使う画布なもんで、家庭科の運針みたいにチクチクとは進まない。縫い目が大きくなってしまうから、返し縫い(というんだっけ?)するけど、針を引き抜くのがひと苦労。それでも、縁を補強したポケットをジャケットの内側に縫いつけ、Velcroのパッチを2箇所に貼り付けて、1時間ちょっとで完成。ああ、指先は痛いし指は凝るし、裁縫もけっこうな力仕事なんだと感心して、「腹ぺこ~」といそいそお出かけのしたくを始めるワタシは、うん「フツーの人」。なんか安心・・・
日々の暮らしに戻ろう
1月6日。今日6日は主顕節とも公現節ともいう。クリスマスから12日。この日(あるいは前夜)にクリスマスツリーを片づけるのが慣わしだそうで、我が家でもだいたいそういうことになっている。日本ならさしずめ松の内が終わってお正月の飾りを外す作業になるのかな。お正月気分に区切りをつけて、さあて今年もがんばるかというのは、洋の東西を問わず同じことらしい。ツリーから飾りやライトを外して、ティッシュで包んで箱に納め、ツリーをたたんで縛って、すべてを階段下の納戸にしまい込むまで約2時間。これでしばらくの間はリビングが広々として見える。
きのうは新年最初の外食。2008年初めてのおでかけだから目先を変えてまだ行ったことのないところを選んだ。「A Kettle of Fish」といって、名前の通りシーフードレストラン。ダウンタウンのバラードブリッジのたもとでもうかれこれ30年はやっている「しにせ」なのに、一度も入ったことがないのが不思議なんだけど、私たちのいつもの行動範囲から少し外れているせいかもしれない。特に高級というところではないけれど、白いテーブルクロスと黒い服装のスタッフには「高級感」がある。私たちのテーブルの担当はマシュー君。とっつきのマティニは花丸。うれしくなってメニュー選びにかかる。
あ、大好きな「チオッピーノ」がある。「新鮮な季節の魚」と書いてあるので何なのか聞いてみたら、どうやら鮭とおひょう。「鮭が入ってて残念ねぇ」といったら「どうしてですか」とマシュー君はけげんそう。川に鮭が遡上してくるバンクーバーでは「魚」といえば何といっても「鮭」なので、「客は鮭が入っているとを期待している」という思い込みがあるかもしれない。鮭には強い独特の風味があって、他の素材の味がわからなくなって、悪くすればサーモンシチューになってしまうわけ。チオッピーノはサンフランシスコ生まれで、鮭はそこまで南下しないから元々素材に入っていない。「それは知りませんでした。ボクはシーフードが苦手なもので」とマシュー君。え、シーフードレストランのサーバーがシーフードは苦手って・・・うん、おもしろい。
せっかくだけどチオッピーノはやめにして、選んだメニューは、ワタシがチャウダーの前菜にアルプスイワナのメイン、クレムブリュレのデザート。カレシはサラダとキハダマグロに、デザートはタフィーのプディング。どれもおいしくて、二人とも大いに満足。コーヒーの後は仕上げのコニャック。目先を変えてルミマルタンで行こうか。「温めますか」と聞くので、イエスといったら、お湯を入れたグラスの上に丸いブランディグラスを傾けて載せて運んできた。これはなかなかにくい。前におかれたグラスを手に取ると、コニャックの香りが一気に鼻の奥までほわ~んと通る。うん、これはいいなあ。いいもの見ちゃった。家でもやってみようっと。勘定書きを持ってきたマシュー君が「シェフがチオッピーノについてヒントをありがとうと言っています」と。ええ?個人的な好みということで、恐縮のいたり。クレジットカードを持って来て「とてもエンジョイしました。またどうぞ」。私たちもエンジョイしたけど、サーバーがお客にそういうのって、ありなのかなあ・・・
ほぼ週一のおでかけも始まったことだし、クリスマスツリーも片付けたし、1年間の暮らしに腰を落ち着けるとき。カレシ、今月中に国民年金の受給申請を送らなければ、8月になれば公務員の年金に入っていたブリッジの額がなくなってしまうよ。(あらら、用紙をどこにしまったか忘れたと、デスク一帯を捜索中。)新しいトラックもそろそろ買わないと、ジャンプスタートに使っているポンコツトヨタの保険が切れてしまうよ。バレンタインデイまであと1ヵ月ちょっと。そろそろレストランを決めて予約を入れないと、どこもいっぱいということになってしまうよ。野菜の種を注文しないと春はもうそこまでだよ。かくいうワタシも少し気合を入れて仕事をしなくちゃね。大学の勉強も再開しなくちゃね。古くなった照明器具もまとめて取り替えなくちゃね。ゲスト用のトイレのリフォームもしなくちゃね。「日々の暮らし」って、どうしてこう忙しいんだろうねぇ・・・
雪しんしんの夜
1月7日。夜になって雪が降り出した。何だか本気で降っているという感じで、あっという間に芝生や屋根は真っ白。あれ、天気予報では高台で雪がふるかもってことだったのに、うちのあたりはいつから「高台」になったのかな?
メトロバンクーバーの地形は山あり谷ありなもので、お天気にしてもおどろくほどの違いが出る。月曜日の今朝は、市内ではけっこう穏やかだったのに、サイモンフレーザー大学のあるバーナビーマウンテンでは雪が降って、バスが止まってしまったという。山のてっぺんにモダンなキャンパスを作ったのはいいけど、雪が降ったりするとバスが坂道を登れなくなってしまうことがある。徒歩で行くにしても相当な距離だから、学生はどうするんだろうなあ。大学だから臨時休校ということはまずないだろうし・・・
今日はホームデポと園芸センターにおでかけ。冬の間の温室は、日中は雨の日でもほとんど暖房は不要だけど、夜になればさすがに冷えるから、気温が5度以下に下がらないように電気ストーブを入れている。ふだんは1500ワットのを1個、寒波が来て気温がマイナス5度以下になれば2個入れなければならない。おかげで寒い冬は電気代がすごい。広さ約12平方メートルの温室を7、8度に保つのにかかる電気代は185平方メートルの家を快適温度に保つ電気代の倍以上だろう。食卓にのる摘みたての新鮮なグリーンサラダはそこらの高級レストランよりも高くついている勘定だけど、これがカレシの趣味だし、まじめにワイヤレス温度計をチェックしては、裏庭の端にある温室まで行ってまめにヒーターの温度を調節しているから、まあ、趣味と実益を兼ねているということで、いいか・・・。
そのヒーターが、冷え込み始めたのと同時に不調になってしまったらしい。大変だ、サラダが凍ってしまう。買ったままで箱から出してもいないパティオ用プロパンヒーターがあるけど、温室の中ではちょっと心配だというし、日本で見るような石油ストーブも灯油もまず見たことがない。やっぱり新しい電気ヒーターがいる、ということで、今日は「ショッピングの日」になった。まだ冬だから、ガレージや工事現場で使う頑丈そうなのから、しゃれたデザインの室内用までいくつも種類がある。量販店らしく商品を箱ごと積み上げてあるけど、なぜかみんなフランス語の説明の方が前を向いているから不思議だ。やれやれ、いちいち箱を下ろして、ぐるりと回して英語の説明を読んで・・・ああだこうだと吟味したあげく、シンプルで長持ちしそうな業務用のを2個買った。これでこの先数年は手当てができたかな。
ホームセンターが大好きなワタシはカレシを放り出して、あっちこっちとうろうろ。並んだ電動工具はすごくまぶしい。宝くじが当たったら、車が3台は入るようなおっきなガレージを作って、その中にワークショップをしつらえたいなあ。ピッカピカの工具を完備して、何を作ろうか。本箱か、庭のベンチか・・・小さいな、これ。ま、夢だけは大きいほうがいい。園芸センターではクリスマス用品の一掃セールをやっていたけど、週日なもので閑散としていた。池と滝を作るキットを売っていたけど、庭石や植物を配置したらかなり大がかりなものになりそう。前庭に作りたいね、とカレシ。そうしたらそばにベンチをおきたいなあ、とワタシ。水の音を聞きながら、木漏れ日の下でのんびり読書なんて、ちょっと「田園生活」って感じかな?ま、パティオでさえ3年経ってもまだ未完成なんだから、実現する可能性は限りなくゼロに近いけど。結局、今日の買い物はゴム製のしゃれた玄関マット2枚。
雪はもう2センチくらい積もって、まだ深々と降っている。このあたりは南斜面を半分くらい下ったところで、どうみたって高台じゃないんだけど、この分では「天気予報大外れ」でかなりの大雪になりそうな・・・
自分のいないストレス
1月8日。どれくらい積もったかなあと楽しみにしていたのに、起きたときにはもう雪はほとんど消えてしまっていた。ただし、郊外ではかなり積もって相変わらずのスリップ事故続出だそうな。何しろこのあたりは雪など見たこともない暖かい国からの移民が多いからしかたがない。もっとも、土地っ子にしても雪道の運転経験はああまりないから、危なっかしいことは同じかもしれない。
シーラがひとりで掃除に来た。相棒のジェシーはクビにしたとか。掃除は上手だし、手抜きはしないけれど、前夜に仕事をドタキャンしたり、二日酔いで仕事に来るから困るんだそうな。それもそうだろうなあ。予定が1軒だけなら何とかなっても、2軒とか3軒とか入っていたら1人はとっても無理。急遽スケジュールの組みなおしということになってしまう。当面はひとりでがんばるというけれど、早く代わりの人が見つかるといい。
今日は今年に入って4つ目の仕事を納品。カレンダーには1週間にあと3つ。1日ひとつのペースでやれる大きさだから、あまりストレスにならなくていい。この分だと「徹夜撲滅」は成功するかな?まあ、とりあえず、おととしまでは習慣になっていた「午後は遊びや家事、夜は仕事」というペースを取り戻せたらいいけれど。まじめに1日5時間ずつやっていれば、週7日でごくふつうの35時間労働になる、という胸算用だったんだけど、世の中なかなか思惑通りにはいかないもの。まあ、自分で腕をまくっているんだから、それはそれで文句は言えないんだけども・・・
ある新聞に曽野綾子が『「引き算」人生で落ち込む日本人』というエッセイを書いていた。人生の盛りにいるはずの30代、40代のそうとうな割合が心の健康に不安を持っていて、原因は仕事のストレスだと感じているという。そういえば、読売にも「不安」とか「疲れる」といった形容詞が多い。たしかに、コンピュータ時代、ネット時代、ケータイ時代になって、自分の周囲の物理的な空間が見えなくなってきているような観はある。そばに友だちやデートの相手がいるのに無言でひたすらメールを打っている光景はどう見たって異様だし、チャットだメッセだといつも友だちとつながっているつもりが、いざ血の通った人間として目の前に現れるとどう接していいかわからないらしいのも危なっかしい。
エッセイには「ストレスは、自我が未完成で、すぐに単純に他人の生活と自分の生活を比べたり、深く影響されるところに起きるものと言われる」と書いてあった。そう、そう、ワタシがいいたかったのはそのことなんだ。ストレスの源は他力本願にあるってこと。自分の価値も何も他人と比べて判断するのでは、自分で決めていることにはならない。だけど、自分の「ものさし」がなければ(自我が未完成であれば)他人を基準にして自分の価値を測るしかなくなる。つまり、自分の価値も借りものってことになるけど、他人さまの「ものさし」くらいあてにならないものはないもんだから、それで心が落ち着くはずがない。動く標的を撃つようなもので、これでは疲れてあたりまえ。まだ若いのにご苦労さんな人生になってしまっている。
エッセイのしめの部分を引用させてもらえば、「人は自分独自の美学を選んで生きる勇気を持ち、自分の意志で人に与える生活ができてこそ、初めてほんとうの自由人になる。受けるだけを要求することが人権だなどと思わせたら、今後も不安と不幸に苛(さいな)まれる人は増え続けるだろう」。激しく同感・・・
極楽とんぼのすすめ
1月9日。せっかくいい気持で眠っていたところをカレシに小突かれて目を覚ましたら、午後12時45分。うへぇ、1日がほとんど終わってる!寝る子は育つとはいっても、この年では育つのは横方向しかない。眠りすぎ、といいたいところだけど、実は睡眠不足の方が太りやすいという研究結果があるとか。覚醒状態が長いと原始時代に遺伝子に組み込まれた「緊急事態体制」のスイッチが作動して、エネルギー備蓄モードになるからだそうだ。原始時代と違って、現代社会は食べるものが手近にあり余っているから、ストレスが続くと太るという勘定になる。だからといって、昼過ぎ起床なんてのはいつもってわけにはいかないよなあ。
朝食をすませて野菜の買出しに出かけて、帰ってきたらもう夕食の支度の時間が目の前。それでも、夕食までの時間が短いことをちゃんと考えて、メニューは軽い「魚」に決めておいた。メルルーサのムニエルにオレンジソースはどうかな。オレンジジュースに白ワインとチキンストックを少々加えて、ゆっくり煮詰めて、仕上げはコアントロー。さらにちょっと煮詰めるとソースはとろり。つけあわせは蒸しただけのほうれん草にフェタチーズを小さいサイコロに切ってぱらぱら。わきに炒めたオレンジ色のピーマンとエノキをちょっぴり。ほうれん草とオレンジソースもうまく合って、カレシ自慢のサルサも酸味がさわやか。極楽とんぼ亭の即席グルメは花丸ふたつ、かな。
イギリスでのある研究によると、「禁煙」、「運動」、「適度の飲酒」、そして「野菜と果物」は長生きの4本柱だそうだ。この4つを守る人は、守らない人に比べて14年くらいは長生きできるらしい。「タバコを吸って、運動をせず、深酒をして、野菜や果物は嫌い」という人と比べてのことだから、別に寿命が14年も延びるというわけじゃないけど、まあ、健康的な生活が長生きの秘訣だということ。もっとも、不健康な生活だったら長生きしたってあまりおもしろくなさそうな感じがするけど、健康であればストレスに対する耐性もできるというから、ストレスだらけで疲れているのは不健康な生活ということになるのかな。不健康だからストレスの耐性がないのか、ストレスに耐えられないから不健康になるのか、う~ん、よくわからない。
ワタシがファミリードクターと精神科医のダブルカウンセリングを受けていた頃、最初のうちは「やめてほしい、してほしい」と、カレシを変えようとしていたのが、そのたびに返ってくる「で、あなたはどうしたいの?」という質問と格闘しているうちに、「自分」に問いかけている自分を見つけた。あれから、解放された気分になったように思う。カレシはカレシ、ワタシはワタシ。「よそはよそ、うちはうち」というのは、友だちが持っているものを欲しがったときの親の返事だった。そうなんだ、ワタシは親にしっかりと「自我」の種をまいてもらっていた。ワタシの心から首かせ、足かせがするっと外れて自由になった。心が自由になったら、ストレスを感じることがぐんと減った。耐え切れそうにないほどのストレスになっていたことも、この頃はけっこう笑えるようにもなった。カレシの言動にイラッとすることはあっても、あばたもえくぼもまとめて愛している気がする。ほんとに、気分が広々とすると、世界も広々として見えるからすばらしい。
ひとくくり詰め放題
1月10日。相変わらずのしょぼい天気だけど、それとつながりがあるかどうかは別として今日はちょっぴり喉が痛い。かぜの引き始めのように喉全体が痛いんじゃなくて、左側だけ、それも耳の下までちょっと痛い。頭を左へ傾けると首の横が痛い。ヘンだなあ。やっぱりかぜかなあ。まさかおたふくかぜとかじゃないだろうなあ。教室に出かけるカレシは、かぜかなあと言っただけで即おざなりのキス。「ボクもきのうは喉が痛くて、だけど1日だけだったから、大丈夫さ」と保証してくれたけど、あんまりあてになりそうにないから、もしかぜだったら、熱烈なキスでしっかりうつしちゃうからね!
アメリカでなんだか怖いかぜが登場したという話で、「アデノ14」というアデノウィルスの一種らしい。アデノウィルスというのは俗に言うプール熱や流行性結膜炎を起こす夏に多いウィルス群だそうだけど、冬でもウィルス性の胃腸炎を起こすやっかいなシロモノ。その家族の中から特にキケンなやつが出てきたということで、ふだんは健康だった大人に激烈な呼吸器疾患を起こして、アメリカではすでに10人の死者が出たという。最近はどうもそういうスーパーバグが増えているような気がする。抗生物質の使いすぎかな?それとも化学物質の使いすぎかな。原因がどうあれ、人間が人間の未来を危うくしていることは確かだろうな。ま、そんなことをいうと、何もしない人に限って「それでどうするの?」と突っかかってくるらしい。
人間の心理っておもしろいもので、たとえば、誰かが「~人はどうこう」と言ったとすると、必ず「ひとくくりにするのはいかがなものか」と反論するヤツが出てくる。この「いかがなものか」という時代がかった大仰な言い回しはちょっとモラハラっぽくて不気味だけど、苦情のタネは必ずといっていいほどネガティブなことで、褒めているときに「ひとくくりにするな」という人はまずいないからおかしい。さらにはいっしょくたにするなと苦情をいった舌の根も乾かないうちに「~人って」と他人さまの方をみごとにいっしょくたのひとくくりにしてくれるからますますおもしろい。つまり、都合の悪いことについては「ワタシは違うのよぉ、いっしょにしないで」、良いことなら黙って栄光に浴し、他人は一把ひとからげということなんだろうけど、そこんところの好対照がなんとも愉快なのだ。もちろんご当人たちはそんなこと気づいていないだろうけど、それを指摘したらしたでブーイングの大嵐になる。
ネガティブなことだけに「ひとくくりにするな」と憤るのはわからないでもない。自分の価値を下方修正されるように感じるのだろう。みんなと同じでないと不安だけどみんなと同じに見られるのはイヤという、なんともおいしパラドックスではないか。どうやって折り合いをつけるんだろう。人間関係にすぐ疲れてしまうのはこのあたりにも原因がありそうに見える。パラドックスというのは、矛盾でもあり、ジレンマでもあり、建前と本音のギャップでもある。「同じ日本人として」が建前であって、「だけどワタシはこの人たちとは違う(別格)」が本音というところかな。常に自分を他人と対照して見ていないと出て来ない発想じゃないかという気もする。いちど「日本人は~」とめっちゃくちゃ褒めちぎって、「日本人はとひとくくりにするのはいかがなものか」と反論されてみたい。ついでに「海外に住む日本人は~」とひとくくりにしてくれたら、もういうことなし。ふふ、ワタシもときにはイジワルなオニヤンマの気分になってみる・・・
両手利きはお得です
1月11日。晴れ間がのぞいた金曜日。年が明けたと思ったらもう1月中旬。時間の足が速すぎるわ。だからってわけではないけれど、ホリデイシーズンでサボっていたトレッドミルを再開。足ならしのつもりで、時速約8キロで15分。走り出したときは「速いな」と感じたけど、終わる頃にはゆったりと走っている感じで、呼吸が荒いということもなかったので、また鈍ってはいなかったみたい。けっこう長くやっているから、2,3週間休んでも体のほうも休暇モードになるらしく、1、2度の軽い足ならしですぐにもとのペースに戻ってくれる。何よりも、新鮮な酸素が脳みその方へどんどん送り込まれるもので、走っているといろんなことが頭に浮かんでくる。脳をMRIでイメージしたら、大当たりのパチンコ台みたいだったりして・・・
小町でまた「左利き論議」をやっている。そう、また。忘れた頃に登場するトピックのひとつで、見るたびに「まだそんなこと騒いでるのか」と思いつつもつい開けて見てしまうのはけっこうおもしろいから。だいたい子供の左利きをどうしたらいいかという相談で始まって、いつのまにか「矯正是非論」だったのが「左利き是非論」になるからおもしろいのだ。先進国で左利きがどうのこうのと議論しているのは日本くらいのものじゃないかなあ。左利きが市民権を得た(ように見えた)時があったのはつい最近だったはずだけど、所詮はあれもバブルだったのかな。左利き排斥論者が持ち出してくる根拠を見ればそんな感じがする。
「見ていて不快」、「違和感がある」、「肘がぶつかって迷惑」と、まさに、前にやっていた「すっぴん論争」や「生足論争」と同じで、「ワタシがイヤなんだから」という拒絶反応というのがおかしい。だけど、ちょっと待て。純日本人と名乗って「日本人なら箸を右手に持つのが日本のマナーであり、常識」と書き込んでいる人がいるのを見ると、えらく自己中な人たちだなあと笑ってはいられないような不気味さが感じられる。日本の社会はバブルからの凋落があまりに長く続いたせいで、因習と偏見に閉ざされつつあるんだろうか。
それにしても、異質なものは「生理的に受けつけられない」という心理は、なんだか幼児の「いやいや」のような感じだけど、どうもそういう表現を使う人が増えたような気がする。男女の関係についてなら、元々本能的なレベルなわけだからそういう感覚はありだろうけど、他人の外観や行動についても、好き嫌いが生理的なレベルで決まるというのは、いくら酸素を補給してもワタシの頭ではよくわからない。幼児は本能的な感覚だけで人やものごとの好き嫌いを判断するけど、大人はその感覚(第一印象)を乗り越えて、理性や知性を使って別の角度から見て判断するんじゃなかったのかなあ。だとすると、生理的(本能的)な反応は停滞、それとも退行?
ワタシは生まれつきの左利き。箸と鉛筆だけは右手を強制された。今でもハンカチに包まれた左手が脳裏に焼きついている。一時どもりになったそうで、矯正が中途半端に終わったおかげで両手利きになったけど、半世紀以上たった今でもどもりが出ることがある。ただし、それは日本語を話すときだけのことで、英語ではまったくどもることなく、調子よくまくしたてられるから不思議。もっとも、カナダでは左利き是非論なんて出て来ないし、第一に誰にも注目さえしてもらえない。ま、ワタシが鏡文字でサラサラとサインするとさすがに「ん?」という反応があったりするけど、それも最初だけだし・・・。
利き手に関する限りは、今の時代は両手利きが一番「お得」だと思うんだけどなあ。誰だって得することは好きだから、「両手利きの人生はお得です♪」とか「両手利きで両手に花!」なんていうCMキャンペーンを張ったら、日本全国津々浦々で両手利きブームが巻き起こるなんてこと・・・ありえないか。
男のハートは胃袋から
1月12日。うわ、よく寝た。目が覚めたらもう午後1時近く。ここまで来たらもう昼夜逆転に近いなあ。朝食が済んだらすぐに夕食の時間になってしまう。カレシは「土曜日だからいいじゃないか」というけれど、私たちって週日も週末も関係ないのと違う?
とにかく、きのう終わらせるはずが持ち越しになった仕事を片付けにかかる。残るは見直しだけで期限は日曜日の早朝だから、まだまだ時間はたっぷりある。ワタシの仕事はいつも二段階方式。まず日本語原文を翻訳するのが「first pass」。ここで「何だ、こりゃ?」というのにひっかかるとリズムが狂う。「何だ、こりゃ」はいったい何がいいたいのか?科学空想小説だったら、著者の脳の中にトランスポートして調べられるんだろうなあなんて考えて、ツイードのマントに、パイプをくわえ、虫眼鏡を片手に思考経路の足跡をたどって行くシャーロック・ホームズを思わず想像してしまう。科学文書だったら足跡はまだストレートな方だけど、ビジネス文書はケンケンパーの足跡、お役所の文書となると、う~ん、千鳥足かな?
元原稿とつき合わせずに自分が「書いた」ものだけを読み返すのが「second pass」。ここでヘンな英語をマシな英語に編集する。書くのはお手のものだし、思考がまったく逆みたいな二つの言語の間を行ったり来たりしないので、カレシとおしゃべりしながらの楽々作業だったりする。だけど、日本語英訳だったらカレシが話しかけても何ともないのに、方向が逆になるとイライラ、カッカするのはどうしてなんだろう。こうやって日本語でブログを書いているときに話しかけられても、書きながらちゃんと返事をしているのに。一応は付け焼刃で覚えた同時通訳もやっていたんだけど、ワタシの頭の中の配線はどうなってるんだろう。
あっというまに「午後」が過ぎて、ディナーにおでかけの時間。今日は久しぶりにBishop's。小ぢんまりとしたレストランだけど、競争が激烈なバンクーバーで20年以上もトップクラスに入っている。勤めていた頃、上司がよく週明け一番に「土曜日はBishop'sに行ってね~」と、家族連れで食事をしたことをよく報告?してくれた。ワタシとカレシの給料ではなかなか入れないところだったから、ある意味では自慢だったかもしれないけど、収入が何倍だと知っている秘書にそんなこといっても、「よそはよそ、うちはうち」主義で育てられて、よそ様のすごいことには「へぇ~」としか思わないから、かえるの面に水。おかげさまで、あれから20年、子供なし、家のローンなしの二人は、お財布を気にせずに食べ歩きできるようになりました・・・
早い時間にはどっちかというと年配の客が多い。お二人様用テーブルはごくわずかで、ほとんど四人席。オーナーのビショップ氏はキッチンから引退したけど、いつもテーブルを回って、お客に愛想を振りまいている。好々爺という感じの人。今日のメニューは、ワタシはカボチャのニョッキで始めて、メインが鴨のカスーレ。カレシはグリーンサラダにヴェニソン(鹿の肉)。8年前に週一の外食を始めた頃は変わった食材には見向きもしなかったカレシだけど、生牡蠣にはまってからはとんとん拍子でいろいろ食べてみている。昔から「男のハートへは胃袋から」というけど、ワタシのグルメ作戦は成功したってことかなあ。まあ、グルメといっても、自分で本当においしいと思って楽しめなければ「風評グルメ」で終わってしまうけど、おいしいかどうかの感覚は経験の多寡でけっこう違ってくるものだし、その意味では二人ともちょうど頃合いの年令になったということだろうなあ。「ヴェニソンは絶対にワインかなにかでマリネートしてある。柔らかくて、すごくうまかった」とミシュランのスパイみたいなことをいうカレシ。デザートが終わって、食後のコニャックを傾けながら、、何だかすごくハッピー・・・
ど~しよ~
1月13日。何だか変てこな夢を見た。ふっと目が覚めたら8時頃だったから、ちょうど睡眠時間の真ん中。ぼんやりと夢を覚えているのはレム睡眠のときに目が覚めたからだそうだけど、もう一度眠って目が覚めたときには夢の内容はほとんど忘れてしまっていた。眠っている間に記憶がデフラグされるというから、あれは不要ということで整理されてしまったんだろう・・・などと朝からヘンなことを考えた日曜日。月曜日の日本は成人式だそうな。そういえばワタシには成人式がなかった。今はどうか知らないけど、当時は満二十歳になった人を対象にする方式と、その年に満二十歳になる人を対象にする方式が混在していた。たまたま満二十歳の誕生日のひと月前に引っ越したら、転居先は後の方式だったもので、ワタシの成人式はとっくに終わっていたのだった。まあ、別に損したような気はしなかったけれど、写真館に連れて行かれて、とっときの顔で成人の記念写真を撮ってもらったら、「とてもお利口さんに写ってますよ」といわれたそうな。ふ~ん、「おきれいに」といえなくて、言葉に困ったんだな、きっと・・・
だけどなあ、近年の荒れる成人式を見ていると、満二十歳はちょっと早すぎるんじゃないかなあという気もする。何といっても、正式に大人の仲間入りをしたことを祝う日なんでしょ?つまりは、もう子供じゃないと自覚する日なわけでしょ?だったら、まだ15年くらいは早いんじゃないかなあ。北米でも、圧倒的な数のベビーブーム世代に続く「X世代」が、30代に入ったときは「30才は新たな20才」といい、40代に達したときは「40歳は新たな20歳」といって、未だにピーターパンをやっている。ブーマーが全部いいとこ取りをしてしまったせいで自分たちは損をしていると愚痴ってばかりのX世代も、あと5年もすれば50代になる。今度は「50歳は新たな20歳」というのかもしれない。社会経済の激変時代に育って、自我を確立し損ねた世代なのかもしれないけど、その点では日本のバブル後遺症世代と似通ったところもある。こっちの方は「20歳は新たな5歳」みたいな感じだけども。
ハッピーマンデーのおかげでメールは静か。いいなあ・・・と思っていたら、メガトン級の仕事の引き合いがど~んと来た。ざっと見積もっただけでも軽く半年はかかる量。専属じゃないんだからそんなことできない。はて、どうしたもんだろうなあ。おまけに発注元はまた安くしろといっているらしい。決めたレートをきっちり払ってく、どんどん仕事を送ってくれる常連さんをさしおいて「大量なんだからまけろ」などという仕事を引き受けるわけにはいかんでしょうが。まあ、発注元が向こう半年でといえば、それじゃ無理と断れるけど、もし1年間でかかってもいいといわれたら、ちょ~っと断りにくいよなあ。はあ~~。「引き受けたら今年も勉強する暇がなくなっちゃうぞ」とカレシ。そうなんだ、今年は春までにひとつでも課目を取らないと退学になっちゃうよ。はあ~~。「いつも仕事がありすぎるのに、それ引き受けたって税金が増えるだけだろうが」とカレシ。それもそうだなあ、10年前は(付加税に付加税がついた時代だったけど)税金がすごかったもんなあ。ああ、お気楽な二十歳の頃に帰りた~い、なんていえないか・・・。はああ~~~
学歴はブランドなり?
1月14日。目が覚めてみたら、カレシはとっくに起き出したらしく影も形もない。午前11時半。まあまあの時間だ。起きようかどうしようかうつらうつら考えていたら、カレシが上がって来て「あの轟音でよく寝ていられるなあ」と、むぅっとした顔。ええ、轟音?何となくそれらしいもので何となく半分目が覚めたような気はする。不思議なことに、未だに突然大きな音がするとちょっとしたパニックになるんだけど、外の騒音ではあまり目が覚めることがない。家の中での突然の騒音はたいていがカレシが発生源なもので、ムンクの絵のようなパニック状態になる。そのワタシが家の外の騒音にはびくともせずにけっこう眠れるものだから、何かを落っことすたびにワタシが飛び上がって罪悪感をかきたてられるカレシが呆れるわけだけど、外界からの刺激の受け取り方がまったく違うらしいからしょうがない。
突然の大きな音はカレシのモラハラ集中攻撃の恐怖感の記憶に直結しているらしくて未だに解消できないでいる後遺症のようなものだけど、外界の騒音はそれが「生活音」とわかれば「あ、そう」という反応で注目が止まってしまう。「ああ、仕事をしてるんだな」と納得して自分のことに集中するワタシと、「オレの神経を逆なでするヤツはどこのどいつだ」と神経を高ぶらせてそっちに集中してしまうカレシとの違いなわけ。心理学で言う「boundary」(どこまでが自分でどこからが他人かの境界)の位置が違うのかもしれないし、もしかしたらカレシは外界からの刺激に対して人よりも過敏なのかもしれない。ま、ワタシだってすぐ外でカーステレオを大音響で鳴らされたら、ムカ~ッと来るけども。
イギリスの新聞Guardianにおもしろい記事が載った。見出しはふまじめに訳せば「学生や~い」みたいな感じで、オックスフォード大学の教授が、今度10年に日本に744校もある大学の約40%が倒産や合併、閉鎖で消えるという話だ。あの狭い国に744も大学があるというのは知らなかったけど、人口からすればそんなに多くはないのかな。少子化で学生集めに四苦八苦している大学が多いらしい。そういえばかって「駅弁大学」という言葉があったっけ。やたらに大学ができた頃に言われたらしいけど、何だか駅前留学のNOVAみたいでもある。だけど、実際に大学が雨後のたけのこのように増えたのは90年代なんだそうな。
規制緩和とかで、「駅前大学」がそれこそ乱立。そのうち少子化で「大学全入」という言葉が聞かれるようになったら、今度は大学卒の中で「高学歴」と「ただの学歴」に分類し始めたらしい。ブランド/格付け差別が大好きな日本人らしいけど、「学歴」ってその人が受けた教育の履歴だ思っていたのに、いつの間にやら「大学卒」を意味するようになって、さらに「高学歴」ブランドと、ノーブランドの「ただの学歴」に分化したってわけだ。このまま少子化が進んでまず淘汰されるのはこのジェネリック大学で、高学歴ブランドの大学は安泰だろうというのが記事の内容だったけど、ブランドは生き残っても「品質」という中身が伴わなければあんまり意味がないような気もするけどなあ。政府も官庁も大企業もトップは高学歴ブランドに占められているんだろうけど、ただのブランドだって高品質で丈夫な優れものがたくさんあるだろうに。
かくいうワタシは「高卒」だから、今様で言えば「学歴」なしということになるだんろうか。そうだったら、磨けば燦々と輝く可能性がいっぱいの、いわば大きなダイヤモンドの原石ということになるのかなあ。
とぼけボケ
1月15日。午前10時に目覚ましが鳴った。カレシが英語教室の前に授業の後で使うコンピュータを設定しておくというのでいつもの火曜日より30分早起き。一緒に起きなくたって良いと言ってくれるけど、一緒に起きて朝食。あれ、トーストがやたらとしょっぱい。前の晩に焼いたばかりなんだけど、いつものと違って小さくてどしんと重かった。カレシはさっそく「全部ちゃんと量った」と口をとがらせる。だけど、しょっぱいのだ。そのうちにカレシの頭の上に電球がともったと見えて、戸棚のドアの内側に貼ってあるレシピを点検。どうやら塩も砂糖も小さじのところを大さじで量ってしまったらしい。それじゃあふくらまないはずだよなあ。ま、塩パンは廃棄処分ということにして、夜にでもまた焼きましょ。
ワタシはきのうのうちにがんばって残っていた2つとも送ってしまったから、今日は仕事がない。カレシが出かけている間に換気装置のフィルターを取り替え、汚れたフィルターを洗濯機に入れて、それでは一服、と思ったら外でキィキィガーガー。二階の窓から見たら、道路の舗装をカットしている。おいおい、また工事するのかい?これは荒れるぞと思っていたら、案の定、帰ってきたカレシは大むくれ。我が家の側まで臨時に「駐車禁止」になっているんだそうな。やれやれ、またか。ポンコツのトヨタは動くけど、古トラックはバッテリが上がりっぱなしでエンジンがかからない。急に移動させろといわれても困るんだよなあ。
市役所に電話し、電力会社に電話し、結局はトラックのフロントに「このトラックは動きません」と書いた紙を貼っておいた。去年だったか道路清掃のときには、市の指示通りに張り紙したのに市がトラックを動かして、カレシが元の場所に戻させるという一幕があったけど、今度は電力会社の下請け業者が工事をするわけで、さてどうなることか。市役所の対応は最悪、電力会社の対応は低姿勢だそうだけど、それにしてもオリンピック関連の地下鉄工事関連の送電線敷設工事、いつまでこうやって小出しに追加工事をやってるつもりかなあ。カレシがカッカするのもわかるような気がする。もっとも、さっさと新しいトラックを買えばめんどうはないわけで、「工事のたびに市役所とけんかするストレスの方が、トラックを買いに行くストレスよりずっと大きいと思うけど」といったら、むにゃむにゃ。ふ~ん、あんがい、お役所にクレームつけるのをひそかに楽しんでいたりして・・・
切手を貼ってある郵便を見つけて「出して来てやろうか」というから、ついでに年金の受給申請書も封筒に入れるようにちょっとお尻を叩いてあげた。65才の誕生日が過ぎたら公務員年金から政府の年金に相当する額がなくなってしまう。申請は6ヵ月前で、それまであと半月しかないのにぐずぐず。どうも、待てない人に限って待たせるのは得意らしい。用紙を出して来て「抜けてることがないかどうか目を通してくれよ」。はいはい。ああ、抜けてるところがある。おまけに最後の署名のところ、日付が「2001」年になっている。今は2008年なんだけどぉ。やっと完了と思ったら、今度は返信用の封筒が見つからないと、デスクをかき回してひと騒ぎ。なくさないように安全なところにしまったら、安全すぎてしまった本人にも見つからない。
やっと年金の申請が終わったところで、退職積立金の現金残高を調べるからと銀行のサイトにログイン、のつもりが、「しばらくログインしなかったらパスワード忘れた」。やれやれ。請求の支払いは奥さん任せだもんねぇ。あ~あ、この(ト)ボケっぷり。この先、どうなることやら・・・