血を分けた兄弟、されど・・・
2月1日。ピカピカの新品トラックが晴れて我が家にご到着。ま、今どきブログ風に言うと「大きなこの子を我が家に連れて帰りました」となるんだろう。行きつけの保険代理店でディーラーからファックスしてもらった書類を元に強制保険をかけて、プレートをもらって、ディーラーへ行って残金を支払い、保険書類のオリジナルをもらって保険代理店に届けて、すべて終了。大きな買い物をしてホッとする一瞬。
家に帰る途中颯爽?と走るタコマ君の後をエコーで走りながら、「これ、ワタシの車なんだ~」とちょっとヘンな感激。だって、前の車はみんなカレシだけの名義だったし、タコマもカレシだけの名義。半分だけだとしてもワタシの名義になっているのはエコーが初めてだから、「ワタシの車」という認識はさらに一歩自立したという自覚につながる。道路を走っているところを見ると、ショールームでの「うわっ、でっかい」という印象はないからおもしろい。しごくフツーのピックアップという感じ。ガレージにはたまにしか走りそうにない「ワタシの」エコーが鎮座しているから、タコマ君は家の外に路上駐車となる。悄然としているポンコツトヨタのすぐ後に駐車して、改めて真正面からご対面して見たら、やっぱり今どき風の「筋肉マン」の風貌。でも、少し離れて見たら、最近の車は角が丸いデザインなもので、なんとなく肥満体のような感じもするなあ・・・
カレシはさっそく「キミの手が空いたらシアトルまでひとっ走り行って来ないか」。それもいいんだけど、新車特有のビニール臭さが抜けるまで待ってほしいなあ。ちょっと寒いけど、窓を開けて走るとかね・・・。シアトルは日帰りの範囲だけど、きのうからアメリカに入国するのにカナダ国籍を証明するものが必要になった。カナダ人はめんどうくさい、不便だと文句タラタラだけど、おいおい、アメリカは「外国」じゃないの?カナダはアメリカの51番目の州じゃないんでしょ?北緯49度線に「国境」というラインがしっかり引かれているでしょうが。(小型飛行機で越えると樹木のない帯がまっすぐに伸びているのが見える。)
カナダとアメリカの国境は長いこと武装のない世界一平和な国境と言われ、運転免許証を見せるくらいで互いに比較的自由に往来できていた。「共通の母」から生まれた兄弟国として、あまり国境を意識せずに暮らしてきたわけで、日本では「海外」というと即「外国」だけど、アメリカでもカナダでも「overseas」は北米大陸の外、文字通り「海の向こう」のこと。だから足繁くアメリカへ行くカナダ人もカナダに来るアメリカ人も「海外旅行」をすることがなければパスポートは不要で、実際にどっちも持っていない人が多数派なわけ。それが2001年のテロ事件以来、国境が国の防衛線でもある「国境」になって来たということなんだけど、生まれてこのかた一種の「特権」に慣れて来たカナダ人はその特権を侵害されたような、今さら「外国人」として差別されているような気分になってしまうらしい。
だけど、なのだ。カナダ人は国境の向こうの国を隣町くらいに考えているくせにアメリカ人に間違われると超ムカつくし、EUのような連合体を作ろうといえば「アメリカといっしょはまっぴらゴメン」、カナダはカナダ、アメリカとは違うんだと主張する。そのくせして「カナダ人」ということでアメリカに自由に出入する権利があると思い込んでいるのはどうみたって矛盾だと思うんだけど、このあたりはしばしば夜を徹しての議論になることが多い。まあ、建国以来「アメリカ」という大きなお兄ちゃんの陰になってなかなか存在を認められないのが悔しくて、劣等感のようなものに苛まれて育って来た「弟」の心境に似ているのかもしれないけど、アメリカを「外国」として認識することで本当の意味で「カナダはカナダ」という自信が生まれるんじゃないかという気がする。そうしたら、自信不足をヘンな優越感にすり替えなくてもいいと思うんだけど・・・
快足タコマ君
2月3日。なんだかんだと気を取られているうちに納期が3つも重なってしまった週末。日曜日の午前7時が期限の仕事が終わったのは午前4時。もっとも送り先ではもう深夜だから実際には数時間遅れてもあまり支障はなさそうだけど、期限厳守は商売としての信用の要・・・とちょっと肘を張ってみる。脳みそを酷使した後はすぐにバタンキューと行かないから寝酒をひっかける。定番はコニャック、カルヴァドス、シングルモルトのスコッチ。差し向かいでお気に入りのGlenmorangieを傾けながら、ぺちゃくちゃとクオリティタイムをやっていたら午前5時。おかげでまた起床が正午過ぎになってしまった。はあ。
朝?からキッチンでカレシがすっ頓狂な声を上げるから、何ごとかと思ったら、コーヒーを入れるのにフィルターがないんだそうな。買い物に行ったときにいるかどうか聞いたじゃないの。「あの時はまだあると思ってたんだ」。はあ。ないのは明らかなのに、普段はモノをしまい込まないところまでのぞいてごそごそ。いつもながらちょっとあきらめが悪いなあ。ここはものは考えようということで、ペーパータオルを丸く切って、コーヒーメーカーのバスケットに敷いて・・・Voila!即席のフィルターで入れたコーヒーはちゃんといつものコーヒーの味だった。これが「工夫」という、ニッポン人の得意技なのだ!
この週末はDI NE OUTプロモーションの最後の週末だから、きっとどこのレストランからもあぶれるだろうということで、おでかけの代わりに極楽とんぼ亭でゆっくりと食べることになった。まあ、頭の上に「納期」がぶら下がっていると、どうもゆっくりなんて言ってられないんだけど、腹が減っては戦はできぬ。メニューは魚。それも「サメ」。サメと言ってもジョーズみたいな人食いザメじゃなくて、たぶんカジキのような大型の魚なのだろう。見ると薄いピンク色で、メカジキやマーリンに似ている。さて、これをどうするか。ググってみて見つけたのが「シェルムラ」というソース。干しブドウを使っているところをみると、どうやら中近東系らしい。
サメはカイエンペッパーとクミンを摺りこむだけで簡単。玉ねぎや蜂蜜、ワイン酢、シナモンやらなにやらを入れて煮詰めたソースはこってりして、スパイスが効いておいしい。付け合せはさっと蒸したアスパラガス。料理をしながらマティニでリラックス。ソースはボージョレーくらいの赤ワインでもうまく合いそうな感じだったけど、今夜は冷やしておいた白ワインで乾杯。「サメのステーキ、シェルムラソース」はヒット作になった。
夜になってカレシはスーパーまでタコマ君を駆ってフィルターを買いに行った。よほど文句を言わずに走ってくれるタコマ君が気に入ったらしい。ちょっと買い物に出かけるのがめんどうでないなんて、こちらは感涙を流してしまいそうなイベントなのだ。「このサイズでよかった?」 うん、ばっちりOK。ついでに買って来たサンドイッチ用のパン。「こんなんでよかったのかなあ」。あら、ゴマ入りパンなんだ。おいしそうだからランチのときにツナのサンドイッチを作って欲しいなあ。カレシはめったに見られない満面大ニコニコ。「トラックは運転しやすくていいぞ。キミも絶対に気に入るから、ちょっと運転してみろよ」。はあ。
人の数だけあるのが個性
2月4日。またも昼過ぎて起床。早朝にとなりのパットが電話があったようで、ボイスメールに謎のようなメッセージが残っていた。きのうから同居している女性とややこしいことになっているらしい。半年ほど前にオートバイに乗って現れた女性で、年のころから見て一人暮らしのパットにパートナーができたのかなあと思っていた。だけどパットの話だとそういうことではなくて、アパートを追い出されて行くところがないので「当面の間」ということで居候させたら長居になって、最近は警察を呼ぶほどのトラブルになったのだとか。そういえば、前にパトカーが止まっていたことがあったっけ・・・と、外を見たら、我が家の前にパトカーが止まっている。
しばらくしてパットから「決着がついたから」と電話。やぶから棒にコーヒーを飲みに来ないかというもので、カレシは「他人のもめごとに巻き込まれたくないけど、パットは良き隣人だから」と、すごく決心した顔で出かけて行った。パットだって一軒家に一人暮らしの身。身辺にトラブルがあれば誰かのモラルサポートが欲しくなるだろう。そこは女も男も同じで、ただ話を聞いてくれるだけでいい。ご近所の事情通なのも、裏を返せばさびしいのかもしれない。人の悩みや愚痴を聞くのが苦手なカレシで大丈夫かなと少しばかり心配になったけど、隣に住むパットは私たちにも「大嵐」があったことを少なくとも察していたはずだから、何かしら通じるものがあると思ったのかもしれない。
小一時間ほどで帰って来たカレシは、おや、にこやかな顔をしている。「ことの経緯はちょっと話した。あとは別の話をしていたんだ」と。そっか、そっか。きっと「同じ年代の男同士の会話」だったのだろう。それ以上聞くのは野暮ってもの。うん、良かったね。それにしても、心理学のにわか学生だから考えるわけじゃないけど、人間のつきあいは実に複雑なものだなあとつくづく思う。
ずっと昔テレビで『裸の町』というアメリカの警察ドラマがあって、「八百万人が住む裸の町(ニューヨーク)には八百万の物語がある」という毎回のナレーションを未だに強烈に覚えている。この地球上には人間の数だけ物語があって、似たような物語は数え切れないほどあるかもしれないけど、みんなどこかで微妙に違っている。そういう「個性」とつきあって行くためには、まず「自分」という「個性」とのつきあいから始めなければならないと思う。自分という人間を肯定することで人間は精神的に自立できて、それでいろんな「個性」に対応できるようになるということだろうか。人とのつきあいはエネルギーのやりとりみたいなもの。交流の電気は直流よりも何かと効率的なんだけど、人間の精神エネルギーも一方向にだけ流れていたら消耗してしまう。双方向に流れる方がお互いに充電できていいと思うんだけどなあ。
チャイニーズキャベツロール
2月5日。どうもこの頃は天気予報が当たらない。かなりの雨で、夕方からは大風に変わるということで、「ろうそくの準備をお忘れなく」なんてテレビのニュースで言っていたのに、夕方にはまぶしい日がさして来てしまった。東の空は真っ黒だから、ひょっとしたらあっちでは嵐なのかもしれないけど、今にもきれいな虹が出そうな夕空。やれやれ、どうもこの頃は集中雪に集中豪雨に集中大風と極端な天気ばかり。
中国製の冷凍ギョーザ中毒の問題がだんだん謎を深めているような様相だ。あれだけの量が具からじゃなくて皮や袋から出たというのであれば、野菜に残留していたとはちょっと考えにくい。うっかり使いすぎてしまったとしても、工場では使う前に洗うだろうから、大量に残っていたなんておかしいし、たまたま残っていたとしても、刻まれてギョーザの具の中に入るんだから、そこから出てきていいはず。やっぱり素人目に見ても、これは事件っぽい。中国では北京オリンピックが近いし、日本では産地や原料や賞味期限の偽装問題が続いたし、日中がお互いに「そっちがやったんだろう」と指をさし合って、紛争に発展しなければいいけど。まじめな話、ギョーザ戦争なんて何だかなあでしょうが。
日本でもすごい量の既製食品が毎日の食卓に上っていることがわかる事件だ。それだけみんな忙しくて、料理をしている時間がないのか、惜しいのか。もっとも、日本食は実に手間ひまがかかる料理なところへ、近頃は日々の食事さえ「品数」が大事で、一汁一菜なんて見向きもされないらしいから、わかるんだけど、そこのところ。親しい友だちが来ていた時に、日本のふるさと料理を作ってくれたことがあった。そのとき、彼女はほとんど1日中キッチンに立ちっ放しだったもので、ただただ感嘆。ワタシの料理など少しくらい手間をかけても1時間もかからずにテーブルに出てしまう。それがご飯におかずを何品もつける日本の食習慣と、メインの肉や魚に野菜などを添えるだけの欧米の食習慣の違いなわけだけど、日本では共働きが大変なわけがここにもあるような気がする。長時間の通勤に、長時間の残業、食事の支度にまた長時間・・・
ギョーザのことを考えていたわけじゃないけど、今夜は極楽とんぼ亭自慢のチャイニーズ・キャベツロール。何のことはない、ギョーザの具を蒸して柔らかくした白菜で巻いて、また蒸しただけの、要するに白菜巻き。英語では白菜のことを「中国キャベツ」と呼ぶこともあるから「チャイニーズキャベツロール」としゃれているわけだけど、これはカレシのお気に入り。豚肉の脂が出てしまうから、けっこうあっさりしてしまうので、具には木耳を入れたり、チリソースを入れたり、焼肉のタレを入れたり、とにかくそのときしだい。日本人がみたらいい加減な「悪妻料理」なのかもしれないなあ。すごくおいしいんだけど・・・
ボクだけのおんぶおばけ
2月6日。ろうそくもへったくれもないなあ。期待?された大風はひと晩中なしのつぶて、沈黙、男は黙って何とやら。でも、起きてラジオを聴いていたら、郊外では停電しているところがあるという。てことは、私たちの頭上を素通りして、郊外の方で暴れていたわけ?まあ、メトロバンクーバーでも雪の降るところと降らないところが極端だから、予報もやりにくいだろうな。午後にはとうとうまったく想定外の雪が降り出した。
二人揃って歯のチェックアップに行く。どっちの車で行く?カレシはだんぜんトラック。とにかく、とにかくうれしくてしかたがないという感じで、カモメかカラスにボチョンと糞を落とされたといっては、タオルを持ち出して、ピカピカになるまで拭きとる。まるで車のコマーシャルみたいで、こっちはついつい吹きだしてしまう。欲しかったおもちゃのトラックをもらった子供のように、「ボクのトラック」、「ボクだけのトラック」ということで、あまりの手放しの喜びようは、ワタシもうれしいといえばうれしいんだけど、ちょっぴり複雑な気持もある。
カレシの一家はカレシが4歳くらいになるまで一戸建の家のベースメントに間借りしていたそうだけど、カレシと年子の弟は裏庭で遊ばせてもらえず、家主の子供たちが遊んでいるのを窓から眺めていたんだそうだ。この頃からカレシの心に「ボクのもの」へのこだわりが、おんぶおばけみたいに住み着いたのかもしれない。初めて戸建に引っ越したときは「ボクの庭だ、ボクの庭だ」と狂喜したというから、鬱屈した気持は相当なものだったのだろう。その心理が大人になって「ボクのテリトリー」へのこだわりになり、誰かに「ボクのもの」を取り上げられるという強迫観念になったとしても、不思議はないかもしれない。オンナノコたちに夢中だったときも、大げんかの最中に「みんなボクのなんだ。誰ともシェアしたくないんだ」と、まるで幼児のように泣きわめいて、少なからずぞっとしたことがあった。
カレシが早期引退を宣告されたときに、ワタシがカレシのプレッシャーに負けて仕事を辞めていたら、新品のトラックを丸ごとキャッシュで買うなんてとうていできなかっただろう。だからといって、買ってあげたという気持にはさらさらないんだけど、なんとなく赤ちゃんを産んであげたような気分になったりするから、我ながらおかしい。でも、こんなにもうれしそうなカレシを見ていたら、これが「稼ぎ甲斐」ってものだという思いも浮かんで来る。これが「母性」なのか「父性」なのか、そこのところは自分にはわからないけども、「愛する人を養うのが幸せでどこが悪いねん?」というのは男も女もないだろうなあ。カレシ、あなたのベイビーなんだから、だいじにしてよね。
まあ、テレビのコマーシャルを見れば、男はトラックが大好きなのは一目瞭然。どれを見たって、おもちゃをもらってはしゃいでいる子供のような男が登場する。ビールのコマーシャルほどではないけど、最近の車のコマーシャルもかなりバカっぽくなってきた。人類の先行きがな~んか不安になりそうなキャラクターばかりだけど、広告業界は(ハリウッドもそうだけど)まだ「クリエイティブ何とか」という肩書の男たちが牛耳ってるらしいから、明らかにそういう男たちの発想なんだろう。バカっぽいコマーシャルは「自らの姿」を反映しているってことかなあ。そんなんだから、医者もエンジニアも女が腕をまくって出て行かなきゃどうしようもなくなっているのかもしれないなあ。で、女が作った車を男が得意げに乗り回す・・・って、おかしいことある?
便利なんだけど・・・
2月7日。恭喜發財!今日は旧正月の元旦。メトロバンクーバーは中国系が多いから、そこらじゅうがお正月気分。モールのデパートではちょうど中国の踊りのデモンストレーションの最中。男性が打つシンバルのリズムに合わせて輪になった10人ほどの女性たちが首からかけた小太鼓を鳴らしながら踊る。あまり振りはないけど、ちょっと見には盆踊りに似てなくもない。後には出番を待っているのか、まるで竜宮城の乙姫さまか羽衣の天女、でなければ楊貴妃のような衣装を来たお嬢さんがいて、思わずうっとりと見とれてしまった。
うっとりしていたら手の空いたクリニークのチュイが肩をポンポン。そうそう、ボーナスタイムなので注文してあったコスメ(と日本では端折って言うらしい)を取りに来たんだった。間近で見るチュイの顔も乙姫さまに負けず劣らずの美人。もっとも美容部員という仕事は美人が多いようだけど。チュイはベトナム系で、結婚して15年だというから30代後半かな。くりっとしたアーモンド形の目がすてき。おまけに商売上手だから、ついでにアイシャドーの色を変えてみる気になって今までのよりピンクに近い色を選んでみた。「春だもん」といったら、チュイがメークの相談にいらっしゃい、ということでひと月後に時間を予約し。モデルチェンジになるかどうか・・・
英語教室に行っていたカレシはお正月のお菓子をもらって帰ってきた。ひとつは上にゴマがたくさん。もうひとつは見たところが栗まんじゅう風の「クッキー」。どうやら地元産で中国本土から来たものではないようだ。日本での中国産ギョーザ事件は英語のメディアではほとんど報道されていないらしい。中国語の新聞に載ったかどうかはわからない。スーパーでは冷凍ギョーザは「Pot sticker」として売られているし、日本風と言っているのは「Gyoza dumpling」。なんかギョーザ団子みたいだけど、冷凍じゃないところを見ると地元で作っているのだろう。野菜ギョーザとポークギョーザがあって、味はお世辞でまあまあ。
日本では簡単にギョーザを作れる道具が飛ぶように売れ出したそうだけど、我が家では日系の食品店で見つけて買ったのをもう20年くらい使っている。日本語の説明書がついていたから、日本製かもしれない。(日本語が書いてあるからって日本製とは限らないのが普通、いや、この頃は「日本製」と書いてある方がめずらしいくらいだけど・・・。)まあ、自分で作るのが一番安心できるはずだけど、冷凍の惣菜は少量だけ必要な「お弁当のおかず」に便利なの、と教えてくれた人がいた。そうだなあ、働く主婦には朝の弁当作りという仕事もあったんだなあ。働いていない主婦だって、何品かのおかずをいちいち少量ずつ一から作るのは(お弁当アートを趣味にして凝っているなら別だけど)非効率だよなあ。そんなときに必要なだけ解凍してちょこっと入れられる冷凍食品が便利なことは確かだなあ。告白してしまえば、カレシのお弁当を作っていたときは、冷凍ブリトだとか冷凍チキンナゲットだとか、けっこう使ったもんなあ。
今の世の中は便利なんだけど、されど便利。落とし穴がどんどん増える、まるでスーパーマリオのゲーム。スローフードだの、(よくわからないけど流行っているらしい)ロハスだのと喧伝しても、現実はせかせか、ばたばたと忙しい。だからこそ「ほっこり」とかいう、これもよくわからないイメージに憧れるんだろうし・・・
ほっこりずむ
2月8日。どういうわけか今日は朝から土曜日のような気がしてしまう。団子になって並んでいる仕事が3つ。期限が心配になっていたのが、よく見たら「まだ」金曜日。何を思ったか木曜日ななかにディナーにお出かけするから「自動操縦カレンダー」が狂ってしまうじゃないか。それでもほっと胸をなでおろして、それからちょっと鉢巻を締めなおし・・・
カレシがリサイクルごみを集め始めるから、つきあうことにした。今日のところはたまりにたまった紙の類から手をつける。玄関のポーチにおいてあった分のほかに、ベースメントの元廊下だった納戸にもある、ある、段ボール箱の山。古い電話帳、カタログや雑誌の類。玄関脇のブルーボックスに放り込んだままのチラシの類。シュレッダにかけた紙も大きなゴミ袋にいっぱい。どこを見てもペーパーのごみ!タコマ君の荷台に積み込んで、市のリサイクルデポへ。週末はどっちかというと若いカップルが多いんだけど、週日はカレシと同じ引退組らしい、年配の男性が多い。奥さんから「土曜日はお客が来るんだから、あなた、ゴミをなんとかしてよ」と号令がかかったのかな?
一掃どころか半掃くらいで、それも納戸だけだからさっぱり片付いた感じはしない。ま、それでも手始めってことで、少しは空間ができた。「ここに棚をつれる?」とカレシ。棚つりならお安いご用だけど、時間がね。片側一面に3段か4段。材料の調達に半日、実際の「工事」に半日。う~ん、さ来週あたりだったらやれるかなあ。まあ、今度こそはカレシがまたあれこれしまい込まないうちにやってしまわなくちゃ。やれやれ忙しいこった。小町で『ほっこりが苦手』とトピックを立てたお方、「ぞわぞわする」感じに共感しますって。
ほっこりした暮らし云々といわれてもちっとも具体的なイメージがわかないし、「ロハスな暮らし」もさっぱりわからない。わからないけど、どっちもな~んか「ご冗談でしょ」という感じ。そういう暮らしを実践する人を「ほっこらー」とか「ほっこりすと」とかいうらしいけど、誰かが書いていた「うさんくささ」を増幅しそうな気取りなんだな、これが。マーサ・スチュアートがに~っこり微笑んで「いいものですよ」と言った日には鳥肌が立った。彼女の「エレガントな暮らし」にも常に嘘っぽさが漂っていたけど、どうやら「ほっこり」というのはマーサがかわゆくメイクをして、かわゆいドレスを着て、かわゆい雑貨を並べて「思わずにっこり」しているような感じのようだ。「ほっこりずむ」は「究極の大人のおままごと」という評に、昔からあった「少女趣味」をお金をかけて競っているというイメージが沸いてきたけど、もしかしたら、仮想世界で「こうありたい自分」を演じられるという『センカンドライフ』をもろに現実世界でやっているということかもしれない。
だけどなあ。庶民は「ほっこり」した暮らしなんかしているんだろうか。団塊の世代のおばさんや働く主婦はそんな「おままごと」をどう思っているんだろう。こういう人たちこそほんとうに「生活」しているんだものね。手を抜きっぱなしのキリキリ舞いの毎日はそれこそ生活臭がプンプンの「きりきりずむ」。それでも、そんな忙しさの中でだって、猫も杓子みたいに「モノ」や「スタイル」にこだわらなくても「何気ない日常の幸せ」を現実世界の中で見つけていると思うなあ。それこそ本物の「ほっこりした暮らし」じゃないのかしら。
おばあちゃんになるって
2月9日。小雨模様の土曜日。カレシは近々引越しをすることになったというイアンに頼まれて、ガラクタ整理の手伝いに出かけた。バーバラのママが痴呆症の気配があったところへ暮れに股関節骨折で介護ホームに入ることになって、それまで住んでいたコンドミニアムを買い取ることになったそうだ。二人の子供はとうに独立して、370平米の大きな家に夫婦二人がめんどうになってきたらしい。引越し先は隣町リッチモンドの中心地だけど、大き目とはいえ110平米。相当なダウンサイジングだから、そのままそっくり引越しというわけには行かないだろう。もっとも親との売買取引だから時間的なゆとりはあるだろうけど、年を取っての引越しは家具調度を動かせばいいってものじゃないからなあ。
二人のモントリオールに住む長男のガールフレンドが妊娠していよいよおじいちゃん、おばあちゃんになるという。へぇ、ばりばり働いて、ばりばり遊んでいたあのロバートがパパになるんだって?幼稚園のころから知っている長男は生まれついての秀才肌で、下の年子の長女はがり勉の努力型。今では息子は医者で、娘は薬剤師。ハローキティが大好きなアーニャはすごくハンサムなフィリピン系の人と結婚して博士号まで取ってしまった。小さいときからよくできた二人だった。こういう成り行きは当然なんだけど、バーバラとワタシは同い年だから、「孫ができる」ということになると、正直言って、ほんのちょっぴり羨ましい気もしないではない。亡き母が早く孫の顔を見たいといっていた気持がわからないではない年頃なんだもん。
カレシに言わせるとバーバラはあまり喜んでもいないみたいなんだそうだけど、本心はどうなんだろうなあ。ワタシだって、生まれて来なかったあの子が生まれていたら、今頃はいくつで、どんな人とめぐり合って、どんな恋をしているかなあなんて、ふっと思ってみたりする。生まれていて欲しかったと思う反面、生まれて来なかったことが正解だったのだと思ったりして、せつない気持になるときだってある。でも、親になるのはその機能さえあれば誰だってなれるけど、問題はその先だものね。ワタシは神様がずっと先の先まで見越して「おまえたちは子供を持たないほうが良い」と決めてくれたんだし、神様のお見通しが間違っていなかったことを自分で納得したのだから、どこの誰のおばちゃんにもおばあちゃんにもなっていいんだよ、ということなんだろう。この広い世界から「孫」を選べるってことだとしたら、これまたえらいこっちゃだけど・・・
ずぼら礼賛
2月10日。なんとも静かな日曜日。まずは、しばらくぶりに洗濯機を回す。しばらくぶりなもので、二階のベッドルームから洗濯物を落とすシュートはかなり上までいっぱい。どうりで下着もソックスもストックがなくなるはずだ。主婦業に関する限りは超手抜きだから、シーツもタオルも毎日は取り替えないし、下着類は数を多くして対応するしかない。高級ホテルでも「資源保護」や「節水」のために客が要求しなければシーツやタオルを交換しないところがけっこうあるご時世なんで、ここは二人とも気にならなければいい、と割り切る。
全自動と言っても色物、白物と分けると少なくとも二回、シーツ類を洗うと三回、洗濯機から乾燥機に移し変えることになるけど、仕事をしながらやっているから、終わっているのに気づかないでいることが多くて、結局は1日がかりになってしまう。まあ、子供のいない兼業主婦の家庭はどこでも似たりよったりだろうと思うんだけど、どうなんだろう。少なくともワタシの回りではだいたい週1回が相場?らしいから、月2回くらいで済ませているワタシは超ずぼらってことになってしまいそう。その後で、洗濯かごに山盛りも洗濯物を二人してそれぞれにたたんで片付けるまで、さらに1週間はかかるとなれば、何をかいわんや・・・
ずぼらついでに今日の夕食は「アスパラガスのオムレツ」。アスパラガスにオリーブ油をちょっとまぶして、トースターオーブン(それともオーブントースター?)で焼いてから、オムレツに入れるだけの超簡単料理。今日はアクセントにフェタチーズを入れた。野菜は蒸したオクラとポテト。きのうはカレシが腕によりをかけて「サラダニソワーズ」を作り、それに合わせてワタシはラムチョップをマリネートしてグリルで焼いたから、きのうと今日とでは落差が大きいなあ。それじゃあ、あしたは極楽とんぼ亭自慢の「ビーフブルギニヨン」と行こうか。ワインをたっぷり使って・・・ん、これも仕込んだ後はほっとけるから、手抜き料理のうちかなあ。
幸いというか、進行中の仕事はさしてややこしくないし、けっこうタイムリーな内容だから、家事で手抜きをして、こっちでゆったりとやれそうな気配なんだけど、それにしても不思議なくらいに何も起こらない静かな日曜日。たまにはこういう日もいいなあと思いつつ、カレンダーを見たら、日本は2月の11日。確か、この日は祝日じゃなかったのかなあ。何だったか忘れたけど、また三連休かあ。日本は休みがありすぎるから残業が多いんだという人がいたけど、個人でまとまった有給休暇を取りにくい職場環境だから、「みんなで休めばこわくない」式にいっせいに休むんだという人もいた。どっちも一理ありだろう。まあ、それはそれとして、カレシが大あくびを連発するほどのどかな日曜日なのは、日本が休みのせいなのかな。そうだとしたら、日本が連休明けの明日はどうなるんだろう。ま、あしたはあしたの日が昇るってことで・・・
脳は意外と単細胞?
2月11日。月曜日。仕事をひとつ終えたら、明日もうひとつをやっつけて、バレンタインデイはめでたく「休日」になる、と胸算用して、のんびりと、それでもまじめに気を入れて仕事をする。昼日中から大きな声であくびを連発するカレシはでんでん虫。あのねぇ、こっちは生活かけて仕事しているんだから、あんまりそんな風に「うぉ~ん」とあくびしないでよ。ま、一発ならまだいいんだけど、何連発ともなると、集中力バツグンのワタシもさすがに少々イラッと来そうになっちゃうからねぇ・・・
郵便で来た週刊誌MacLean’sに中国産ギョーザでの中毒事件の記事がちょこっと載っていた。だけど、視点はどちらかというと中国。北米でも鉛が入ったいろいろな中国製品がリコールされたし、車の不凍液と同じ化学薬品が入った中国産原料を使ったペットフードでかなりの犬や猫が死ぬ事件があったから、自然そっちに向くんだろうけど、記事の最後の部分で日本でも食品の偽装表示などの問題が続発したことにも触れて、日本では国内産だからといって安心していられないのが現状だと締めてあった。どこかで誰かが不祥事続きで高まった日本人の不信の目を中国に逸らすためにやったのではないかと勘ぐっていたけど、「中国製はこわい、やっぱり日本製が安心」という風潮になると、またぞろ原産地を「日本」と偽装表示するやからが出て来て、不信の目は国内に。そこでまた・・・こんな堂々巡りはやってられないでしょうが。
最近どこかでワインを使ったおもしろい実験があった。一本のワインをグラスの一方は高いワイン、一方は安いワインといって飲ませて、MRIで脳内の反応を調べたら、高いワインと信じて飲んだときの方が脳の「快楽」を掌る中枢が活発になったという。安いワインを高いワインと思わせて試したときも同じだったとか。
なるほど、「高いから高級品、やっぱり高級品はおいしい」ということらしい。人間の脳みそって思ったより単純でとろいものらしい。まあ、安ワインでも高級ワインと思って飲んで楽しんだんだからいいじゃないのと思うけど、どこかの地鶏の偽装事件に通じるようなところがある。地鶏どころかブロイラーや用済みの老鶏だったとしても、買って食べた人たちは、高価なブランド品だから「さすがだ、おいしいなあ!」と、楽しんで食べたのだろう。国産と偽って売られた輸入牛肉も「やっぱり国産ビーフの方がおいしい」と喜ばれたはず。こうなったら「嘘も方便」ということで、人を楽しませて、喜ばせて、うれしい気持にさせて、どこが悪いという論法が通用するようになるかもしれないなあ。ぞぞ・・・
まあ、食べ物は「生」に直結しているわけで、ブランド品だ、高価だ、流行だと浮かてしまう、とろい脳みそにだまされないように、少なくとも「おいしい」の判断は目じゃなくて舌に任せた方がいいかもしれない。
ポカミス大ちょんぼ!
2月12日。のんびり、ゆったりやれる仕事だと思っていたら、とんでもない。日本では始業時間の午後4時、日本から電話。あのファイルはまだでしょうか?まだでしょうかって・・・回線の状態がおかしいのかどうか、向こうの声はガーガー、ザーザーとものすごい雑音で話が良く聞き取れない。それだけで向こうもこっちもパニック気味。(向こう側ではよく聞こえているそうだから、どうやら問題はこっちの接続らしい。)
要するに、同じところから先に入っていた仕事が終わって、「期限が同じなら」見直しはまとめてやるほうが効率的と、続けて次のねじ込み仕事をやっていたところにかかって来た電話。催促されたのはこの「次の仕事」の方。あれあれ、何か混乱して来たぞ。どっちも13日の午後が期限だったはずだけど。ひょっとして納期が早まったのかな。どうしちゃったんだろう。雑音でほとんど聞き取れないもので、頭の中はぐるぐる回るばかり。どうしよう、どうしよう。結局、指示をメールしてもらうことに。メールが飛び込んできて、やっとわかった。わかってみたら、うわああああああ!!
そうなんだ、大ちょんぼをしでかしちゃったのだ。きっと18年のキャリアで最大のちょんぼだろうなあ。いくら混乱した頭をがんがん叩いたってどうにもならないくらいの大ちょんぼだ。クライアントには平謝りに謝って、とりあえず午後一番まで待ってもらえることになって、緊急事態宣言を発動。とにかくぶっちぎりの態勢でキーを叩いて、何とか間に合わせた。ふぅ、やれやれ。ひと汗拭ったところで、品質管理文書で長年培った門前の小僧の知識を引っ張り出して原因調査。よくよく調べて見ると、2つの仕事のうちで最初に来たのは期限が「14日朝」。バンクーバー時間では「13日午後」だ。週の終わりぎりぎりに入った二つ目の仕事は期限が「13日朝」。そっか、日本が13日ならこっちは12日なのに、そのままカレンダーの「13日」に書き込んでしまっていた。それじゃあ、日本では14日になってしまうではないか。
いつもならほぼ自動的に1日引き算してからカレンダーに書き込むのに、なんてこっちゃ。うっかり以外の何ものでもない、初歩的なポカミス。クライアントは「あなたとしてはめずらしい事故ですね」となぐさめて?くれたけど、品質管理の次のステップは「再発防止」。何とか「ポカよけ」処置を講じなくちゃならないなあ。この「ポカよけ」はトヨタ自動車が体系化して生産現場に取り入れたそうで、今ではちゃんと「Poka-Yoke」として産業英語になっている、れっきとした「メイドインジャパン」。まあ、英語風に発音すると「ポカヨーキ」みたいになって、何となくついうっかりミスを誘いそうな「ぽかぽか陽気」に聞こえてしまうけれど。
騒ぎが落ち着いたところで、「だけど」と災禍の中に「不幸中の幸い」を探すのがワタシの極楽とんぼたるところで、明日まで続くはずの仕事がおかげで今夜中におしまい。しめしめ。次の仕事にかかる前に、うまく行けば丸々5日間も休みが取れるぞ・・・と、胸算用通りにうまく行ったためしはあまりないんだけど、ここは「ばら色メガネ」をかけておこう。だって、ひと息入れるのも「ポカヨーキ」なんだから。
花びらになりたい
2月13日。休み1日目。二人とも半分くらい寝ぼけたままベッドの中でいちゃいちゃ、だらだら。やらなければならないことがあるわけでもないので、のんべんだらりも悪くない。カレシが「腹へった」というのを合図に起床。朝食が終わったらもう1時半近い。いつもの調子で「休みモード」1日目はな~んにもやらない。次の日も休みとは限らないんだから、ここんところは気合を入れて遊んで良さそうなもんだけど、やる気が起きないというのか、「休み~」と思っただけでぼけ~っと気が抜けてしまうからしょうがない。(気合を入れて遊ぶというのはなんだか働き蜂の休日みたいだしなあ・・・)
寝坊をするから朝食がすんですぐに「ディナーは何?」と質問が来る。ふ~ん、何がいい?フリーザーにはスモークしたギンダラがある。ちょっと塩気があるけど、あのとろっとした食感がいい。さっと塩抜きをして、フライパンでさっと焼くだけ。つけあわせにはリゾットがいいかなあ。それと蒸したアスパラガス。リゾットはポルチーニとシイタケとほうれん草。おお、ごちそうじゃないの。カレシは「土曜日はディナーに行こう」と言い出す。だも、明日はバレンタインデイのディナーで、金曜日はコンサート。出ずっぱりになっちゃうよ。といいつつも、まだ行ったことのない「GASTROPOD」(かたつむりの類)というフランス料理屋に決めた。バレンタインデイの前の日だというのに食べる話ばかり。年を取ってくると、やっぱり色気よりは食い気の方に気合が入るみたい。
ヒマにまかせて小町の「全ジャンル一覧」のタイトルだけをつらつらと読んでみる。相変わらず人間関係の悩みが多いなあ。それはまあ太古の時代から人間は悩んできたことなんだけど、友達関係、男女関係の相談事になるとなぜか「損をしたくない」という切実?が気持が見えてくる。夫婦関係になると、「損をしたくない」のと「楽をしたい」のが合わせ鏡になっていたりする。誰でも楽はしたいものだけど、「損したくない」というのはすごくエネルギーがいりそうだなあ。人間関係の基本が損得勘定じゃ、うまくいくものもギクシャクするはずだよなあ。手みやげともてなしがミスマッチだったとか、誰がどれだけ稼ぐから家事の分担はどれくらいとか、礼儀とか平等とか言うけど、根底に見え隠れするのは「損をしたくない」。
自己中なのか自信不足なのかよくわからないけど、トレッドミルでトコトコ走りながらとくとくと考えてみた。自分を世界の中心に置く決して悪いことではない。むしろ当然のことだ。周囲360度の世界のど真ん中に立っているのが「自分」。自己中かそうでないかの違いは単なるエネルギーの方向の違い。自己中人間は360度のエネルギーを中心にいる自分が吸い取る、いわばブラックホールのようなものか。中心に向かうエネルギーは一点に集中するしかないから、いつかは自分に凝集し続けるエネルギーを支え切れなくってしまいそうに思える。
その逆は周囲に向かってエネルギーを拡散する太陽だろうか。もっとロマンチックに見るなら、水面に舞い落ちて、幾重もの波紋を広げていく花びらかなあ。中心から外に向かって広がるエネルギーには360度の視点がある。角度を1度ずらせば、そこには新たな視点。360度の視野は自由でいいなあ。エネルギーがゆったりと広がって行けばワタシの心は軽い。大きく広がった波紋は別の波紋と出会って、新しい波紋を生み出して、どんどん広がって行く。世界を照らす太陽とはいかなくても、ワタシはせめて、太陽の光にきらきら輝く水面に波紋を広げる花びらでありたい・・・
ハッピーバレンタイン
2月14日。バレンタインデイ。朝食のテーブルについて、カレシにバレンタインカードを渡す。トランプのカードのデザインで、中に「To the king of my heart(ワタシのハートの王様へ」という赤いハート型の紙が入っているから、その下に「and the ace of happiness(幸せのエース)」と書き込んだ。ずっと若い頃に聞いた「Ace of sorrow(悲しみのエース)」というフォークソングのもじり。もじりついでに、「Your queen of the heart(あなたのハートの女王様)」とサインして、調子に乗ってとうとう「不思議の国のアリス」のハートの女王の詩までもじって、「タルトは作らないし、首を切ってしまえと命令しないかわりに、ハグしてキスします」と。もじりまくりだけど、ちゃんと韻を踏んであるところがミソ。カレシはパロディに大笑い。生徒に見せるといってバッグにいれて英語教室におでかけ。(教室ではかなり受けたらしいけど・・・)
カレシは「ボク、まだ買ってなかった・・・」。いいの、いいの。バレンタインのカードの買い手は85%が女性だそうだからね。カードショップに行くと、夫婦や恋人だけじゃなくて、両親や祖父母や友だち等など、いろんな人に宛てたカードがずらっと並んでいる。ヨーロッパはどうか知らないけど、北米ではバレンタインデイは「カップル」の日。プレゼントはどっちかというと男性から女性へが多いようで、テレビコマーシャルも宝石店のが登場したりする。赤いハート型の箱に入ったバレンタインチョコもあちこで売られてはいるけど、別にチョコレートをプレゼントするのが決まりというわけじゃない。バラの花束は飛ぶように売れるらしい。「この日だけ女性から愛を告白することが許された」なんて、なんとも日本風な「ヨーロッパの伝統」とやらをどこの誰が考えついたのかしらないけど、日本だけの現象かと思ったらアジア各地にも広まっているらしい。
ディナーに出かけたLe Crocodileもちろんカップルで満員。今日は特別のセットメニュー。サラダかスープ、肉か魚のどちらかを選べる他は、フォアグラのムーセリーヌで始まる4コース。よくよく見ると、メニューには値段がついているのはワインだけ。何度も来ているお気に入りだからだいたいの見当はつくのでどうでもいいんだけど。老若男女、いろんなカップルがいる。異人種カップルもけっこういる。サーバーにデジカメを渡して写真を撮ってもらっているのはアジア系の若いカップルたち。ブログにでも乗せるつもりなのか料理の写真を取るのに余念のない人もいる。これもアジア系の人が多いのはそういう習慣でもあるのかなあ。中には携帯で写真を撮っている人もいる。「こんなの食べてるよ~」と情報交換でもするのかな?
カクテルを傾けながら、前菜コースはカレシはサラダ、ワタシは赤と黄色のピーマンのスープ。赤と黄色が半分ずつ。一日だけのセットメニューといっても手抜きはしていないなと思った瞬間。別々に作ったクリームスープはそうっと注がないと混じってしまうし、二色の境界にナイフで筋を入れるときも、急ぎすぎると色のかみ合わせがきたなくなってしまう。それが実にきれいにみごとで、味はもちろん「おお!」。メインは二人ともビーフのフィレ。これはかなりの大きさで、文句なしの焼き上がり。ソースがおいしかったもので、そっとパンをちぎって、そろっとお皿をなでて食べてしまった。お行儀なんてどうでもいいくらいおいしかったのだ。リキュールで味をつけたアンジュー梨のソルベで舌の「お味直し」をして、サービスのシャンペンを飲んで、出てきたのが大きなお皿に二人分盛り合わせたデザート5種。サーバーのサンドリーヌさんが「けんかはなさらずに、仲良くお召し上がれ」みたいなことをいうから笑ってしまった。
去年は毎年行っていたPastisにちょっと失望気味だったけど、Le Crocodileは断然すばらしかった。最初から最後まで、どのコースも手抜きしたようなところがなかったし、満席なのにサービスもいつものレベルをしっかり保っていた。100点満点、三重花丸のバレンタインディナーに満足、満足・・・
さらば、ターセル
2月15日。やっぱり丸々5日は夢だったなあ。またぞろ仕事が入り始めたけど、今日もう一日だけ休みモードで行こう。午後、レッカー車がポンコツトヨタを引き取りに来た。86年の12月に買ってから21年も私たちの足だったのをポンコツなんて呼ぶのは失礼な話だから、ちゃんとターセルと呼ぼう。日本ではカローラⅡという名前だったらしい。白いハッチバック(あの頃の車は白が流行っていたように思う)。走行距離は21年でやっと10万キロそこそこ。一度だけシアトルまで行ったかなあ。もっとも、記憶が虫食いになっている時代の話で何となくそんな気がするだけなんだけど。
引き取ってくれたのは腎臓財団。古い自動車を「寄付」してもらって、まだ走れるものは中古市場に売り、そうでないものは使える部品を外し、リサイクルできるものはリサイクル業者に、ボディはスクラップ業者に売るのだそうな。慈善団体への寄付だから公式の領収書がもらえて、オーナーは確定申告で寄付金として税額控除が受けられるしくみ。ターセルは廃車ということで、税申告用の寄付の金額はスクラップの価値に相当する数十ドルらしい。オーナーは廃車を処分してもらえるし、腎臓財団は活動資金ができるし、地球は温室化ガスをまき散らす古い車がスクラップになるし、一石何鳥かしならいけど、いいことだらけ。
普通なら前輪駆動の車は後ろ向きに引っ張っていかれるんだけど、3日前に保険が切れていたおかげで、ターセルは台車に載せられた。何しろ最後に洗車したのは1995年だったから、苔むして?緑色になってしまっている。それでも、台車に威厳を正して鎮座して、雨の中を我が家を後にした。見送ったカレシ、「やっぱりちょっとシュンとなるなあ」。そうだよね、21年とちょっとだものね。ワタシだって、思わず手を振って見送っちゃったもの。後に残ったのはナンバープレート。郊外のサレーで解体したボディは、国境を越えてオレゴン州に運ばれて、そこで裁断してから中国向けに輸出されるんだそうな。中国に着いたターセルは、今度は何に生まれ変わるんだろう。戦車や武器にはならないでほしいけど。
ちょっとばかり異国に行ってしまった「赤い靴の女の子」の感じもしないではないけど、そうだね、リサイクルされに行くんだから、「さようなら」よりも「行ってらっしゃい」の方がいいかな。いつか、ターセルのかけらが知らないうちに私たちのところに戻って来たりして・・・