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リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年8月~その1

2008年08月16日 | 昔語り(2006~2013)
超大盛のガドガド

8月1日。とうとう8月。朝、目を覚まして、めずらしくまだ眠っているカレシにちょっかいを出したら、眠ったままがちっと腕を回して来た。おいおい、朝っぱらからヘンな夢を見て勘違いすんなよ~と、もぞもぞやっていたら、片目だけ開けて「なにやってんの?」うん、今日はなあんにも予定のない、なあんにもしなくていい金曜日。外はあまり明るくないところを見ると、まだ雨の気が残っているのかなあ。

今月は「Social calendar」の予定がいっぱい。まずはカレシの満65才の誕生日、日本から北米大陸の反対側へ行く友だち一家が立ち寄ってくれて、トロントの義弟夫婦はカナダを3日かけて鉄道で横断して来る。そして、今月のハイライトは私たちの合同バースデイパーティ。いろいろと準備もあって、忙しくて仕事なんかしている暇がないかもしれないなあ。カレシの誕生日は8月8日。節目の今年、08-08-08と、めでたい数字が並ぶ。中国系の生徒さんたちが「ラッキー、ラッキー」と感歎していたそうだけど、西洋がラッキーセブンなら東洋はラッキーエイト。それが3つも重なる盛大にめでたい日とあって、中国系コミュニティは結婚式ラッシュ。教会も花屋も美容院も仕出屋もリムジンもレストランも、みんなてんてこまいになりそうだとか。

のんびりでたっぷり時間があるということで、今日はガドガドを作ってもらうことになった。メインコースのようなサラダだから、ワタシが担当のメインはまたまた付け合せに格下げ。まず、ピーナッツソース作りから始める。コリアンダーをゴリゴリと挽いて、玉ねぎを刻んで、ピーナツバターとインドネシアのケチャップマニスとピーナツオイル。オフィスにいたらいい香りがして来た。今日はごちそうになりそうだと期待感が高まる匂い。ソースができたら、卵を茹でているあいだに、赤ピーマン、キュウリ、ニンジン、インゲンを切り始める。ほうれん草ともやしは冷たい水につけておいてしゃきっとさせる。かたい豆腐はコロコロに切って油で揚げる。それからニンジンとインゲンをさっと蒸して、準備完了。大きめのお皿を出したのに乗り切らなくて、急遽2枚の皿に分けて山盛り。ワタシがレンダンのソースに漬けておいた薄切りのビーフを焼いている間に、マティニができあがって、片手でちびちびやりながら焼肉をボウルに盛って、ソースを器に入れて・・・おお、ごちそうだ~と、勇んでテーブルに着いたら、なんとまだ5時前。

すごい量の「サラダ」だけど、前のニース風サラダに続いて、全量平らげておなかがいっぱい。野菜がメインだといっても、ゆで卵や揚げた豆腐が入っているし、ソースもこってりだから、カロリーはけっこうありそうな感じ。だけど、そのソースがおいしいから、た~っぷりかけて、それで大量にもかかわらず2枚の大皿はあっという間に空になったのだった。サラダ担当のカレシは毎日グリーンサラダだと作るのに飽きるんだそうで、日曜日にはアヴォカドのサルサを作るからね、と予告。う~ん、ローストビーフにしようと思ってるんだけど、すると、ソースにひと工夫いりそうだなあ。

クッキングモードのカレシは、ディナーがすんで今度はラズベリーのアイスクリーム作りにかかった。今は近郊で採れるベリーの季節。今年は春から低温だからかなり遅れているけど、いちごの終わって今は大きなラズベリーが出回っている。中ぶりの容器ひとつで4ドル(約400円)はちょっと高めだけど、二人には食べがいのある量。アイスクリームに半分使って、残りはドレッシングにしたり、ソースにしたり。

真夜中のランチの時間。サラダの食べすぎでおなかが空かないというのは不思議だけど、生の野菜は消化にけっこう時間がかかるらしい。なにしろ6人前のレシピを半分以下にしたのにすごい量だったから、ランチは飛ばして、ちょっと甘いカクテルとラズベリーアイスクリームにシャンボールリキュールをかけたデザートへ直行。8月、おなかがハッピーで、幸先がよさそう・・・

夏も中盤、三連休

8月2日。おお、やっと青空が戻って来た土曜日。カレシは腕がかゆくて目が覚めて、そのままけっこう早くに起き出してしまったらしい。ワタシは11時過ぎ、キッチンでカレシが食洗機から食器類を取り出す音で目が覚めた。きのうはカレシがクッキングモードだったから、食洗機は満載で、ガチャガチャが長く続いて、さすがのワタシも目が覚める。身づくろいをして、キッチンに降りていったら、「そうっと出したつもりなんだけど、起こしてしまってごめんよ」とおとぼけ。実は先に起きたときに頃合いを見計らって食洗機から食器を取り出すのは、「そろそろ起きろ~。腹減ったぞ~」というシグナルなんだけどね。

今日のディナーは久しぶりに南仏料理のPastis。店の名前は南仏のハーブのリキュール、パスティスから取ったもので、特におめかしをして行かなくてもいいけど洒落たビストロ。バンクーバーのレストランランキングでは毎年ビストロ部門で上位3位に入る。アペリティフは、カレシはパスティスの水割り、ワタシはキールロワイヤル。前菜は二人ともタルタルステーキになったけど、今日のスペシャルのひとつがフォアグラと聞いてワタシは心変わり。メインはカレシは仔牛のレバー、ワタシは鴨ということで、ワインはマイルドなボージョレ。だけど、けっこう酸味があっていける。こてこてフランス語訛りのサーバーさんが「フランスではフォアグラにソーテルヌをペアリングします。お試しになりませんか」と言う。ソーテルヌは甘口のはずだけどなあ、と思いつつグラス1杯注文して味を見たら、ふむ、ほんのり蜂蜜のような甘さ。レイトハーヴェストに近い、あっさりした味で、ほんとうに焼いたフォアグラのとろりとする甘みと相性がいい。メインの後はワタシはいつものプチマドレーヌ。チョコレートのとオレンジのがホカホカの焼きたてで出てくるから、温かいうちに片っぱしから口にほうり込む。もう、ほんっとにおいしい。サーバーさんが「作るのは簡単ですよ」と言うから、マドレーヌ型を買って作ってみようかなあ・・・

ディナーが終わる頃にはレストランは満員。今夜は花火コンペのフィナーレ。優勝国の発表があって、参加3ヵ国が合同で華々しく総集編。レストランはキツラノビーチに近いもので、花火見物に行くらしい家族連れやグループが多い。びっくりしたのはみんなスキーにでも出かけるような格好をしていること。今日も最高気温は20度に届かなかったから、日が暮れて急に温度が下がればビーチは寒いだろう。でも、8月なのに冬の服装はちょっと奇異。帰り道、南方面は車がまばらですいすいだけど、ビーチに向かう対向車線はまるでラッシュアワー。三連休の初日でもあるし、みんな花火を見に行くんだなあ。毎回30万人を超える人出だったそうだから、花火が見えるあたりはほぼ全面的に交通止めになのに、みんなどこに駐車するんだろう。まあ、今年は家族連れが増えて、酔っ払ってけんかを始めるおバカなあんちゃんたちもけっこうおとなしいとか。ビーチや公園での飲酒はご法度だから、警察がどっと出て、重そうなバックパックなんかをチェックする。酒類の持込みが見つかったら、没収されるか、その場でドボドボと空けられてしまう。今年はそれが去年よりかなり減ったというから、いい傾向。

この週末には恒例の日系人のお祭、パウエルストリート・フェスティバルもある。パウエルストリートは戦前に日本人町があったところで、会場のオッペンハイマー公園のあたりは今でこそスラム街になってしまっているけど、日系カナダ人発祥の地ということで、お祭は今でもそこでやっている。カナダに来たばかりの頃はカレシと一緒に行ったけど、もう30年近く行っていないなあ。戦争中の強制収容を経て、異人種婚が進んで完全に同化した日系カナダ人と、戦後の移民法改正でアジア人にも門戸が開かれて1970年代初めに来た新日系移民と、日本がバブル景気に入った1980年代後半以降に来た(まだへその緒が取れていない)日本人移民と、なぜか3つの日系/日本人社会があって、三者相見えずの関係にあるらしいけど、このお祭では割とひとつになるらしい。もっとも、中国系社会でも、広東系だと戦前からの中国系社会と香港返還の少し前からどっと入ってきた新移民との間に垣根があるという話だから、南米から日本へ働きに行く日系人がすっかり「南米人」なのと同じくらい、年月が作る溝は大きいということなんだろうなあ。

めでたく退学しました

8月3日。三連休中日の日曜日はいつものことながら静かでいい。カレシにほっぺたをつつかれて半分くらい目が覚めたけど、カレシの腕枕でまた心地よくむにゃむにゃ、とろとろ。それでも、結局は11時前に起きてしまった。青空が広がって、うっかりバンクーバーを素通りした夏がやっとUターンして戻って来たような陽気。ポーチの寒暖計も午後にはなんとか20度に到達。

久しぶりの大洗濯をしながら、今月の予定を考えているうちに、とっておきの大ポカをやったことに気がついた。やっと最初のレポートを半分ほど書き上げた大学の心理学、修了期限延長の申請期限が実は8月2日。ああ、きのうなんだ、きのう。すっかりど忘れして、万事休す。未修了のまま期限切れ。あ~あ。この前のコースのときは期限を間違えて覚えていて、申請を出したときはすでに終了していた。今度は期限を覚えていたのに、肝心のときにころりと忘れてしまった。まあ、2コース続けて未修了だからって退学させられるというわけではないけど、あんまり大きな声では言えない。でも、いろいろ考えることがあって、続けようか、見切りをつけようかと悶々としていたのも事実・・・

高齢の学者が書いた本を翻訳していて、「書きたい病」が再発したことも問題。本の内容はともかくも、戦争や大病を経験した人が生涯をかけて育ててきた考えを生きている間に書き残しておきたいと願う執念のようなものが強烈に感じられて、自身の残る人生を思ったとき、そもそも書くための勉強なのに、卒業までにかかりそうな10年が急に惜しくなったのだった。「今のうちに書いておかなければ」という気持が昂って来て、しまいにはなぜ大学教育を受けたいと思ったのかもあいまいになってしまった。

元々「学校」という組織が嫌いで、教えられるのはへたくそなのだ。門前小僧学では天才級を自称しているけど、ようするに系統的に勉強できる性格ではないのかもしれない。翻訳を依頼される科学論文はこんなにいろんな「○○学」があるんだと感心しつつ、半日ほどググって回って基本のAとBと、Cの半分くらいの要領をつまみ食いして作業にかかる。好奇心にまかせての強心臓かもしれないけど、それでも(継続取引の形で)評価してもらっているのは、付け焼刃でもそれなりに理解できているということだろう。心理学も同じことなのかな。教科書や副読本は興味があったから全部読んでしまって、教えようとすることはわかっている。あんがい、ワタシは宿題と試験が嫌いなだけかもしれないけど・・・。

たまった洗濯を3回に分けて片付けている間に「退学」の結論がでてしまった。ワタシはこれが最善策と決めたらけっこう行動は早いから、夕食のテーブルでカレシに「また期限切れにしてしまったから、退学することにした」と報告。カレシは「正解。今さら学位を取る必要はないだろうにと思ってた」と。なんとなくほっとしたような、うれしそうな顔つきなのがちょっとシャクな気もするけど、キャリアのために必要なわけでもないのに、時間と労力のムダだと言ったのはカレシだったもんなあ。うん、30才の頃の自分と、還暦の自分と、人生の展望が違うもんなあ。まあ、宿題も試験もない門前の小僧流でやる勉強が身の丈ということなのかもしれないし。うん、納得。

あしたは雑誌やカタログの山に埋もれたままのミニアトリエを整理して、すこしゆとりができそうなこの夏、久々に絵筆を引っ張り出してみようっと。秋になったらカレッジで書くのが大好きな同志たちとの交流を再開しようっと。ああ、さっぱりした気分。「書を捨てよ、町へ出よう」と書いたのは寺山修司だったけど、この極楽とんぼは虫かごから出て、自由にすいすいと青空の下を飛び回りたいんだろうなあ・・・

釣った魚をどうしよう

8月4日。おっ、夏が来た、夏が来た。カレシは背が高くなった日本カエデの下枝をはらっている。30年前にクィーンエリザベス公園の木から取って来た種を鉢に植えたら、ビクトリアで芽を出て、バンクーバーに戻ってからは鉢植えのまま何度か引越しの末、新築したときにやっと前庭の隅に植えた。まあ、20年だから元気のいい木はどんどん伸びて当然だけど。これでそばに植えたビワの木にもっと日が当たるようになって、いつか実がなればいいなあ。(このビワの木は東京から「密輸」して来たもので、おそらくバンクーバー市内にはこれ1本しかないはずだから、けっこう責任があるような・・・)

雨っぽい日が続いた後のせいか、少々湿気があるとカレシは言う。天気予報では週の中日前後は「記録的猛暑」なんだそうな。これだけ寒い日が続いた後だから、急に猛暑になるよと言われても、本気かいなと横目もよう。一見は百聞にしかずというところかなあ。仕事がないからそのまま夏休みを決め込んで、やるべきことはたくさんあるけど、「1日1件」のペースでのんびり。今日はディナーパーティのメニュー選び。明日は換気装置のフィルター交換でもやろうかなあ。

ここのところ、gooのランキングにはおもしろいのがある。「最近増えすぎなんじゃないの」と思うもののトップは「おバカタレント」。バカに「お」が付くところがおもしろいけど、例によって「バカタレ」とカタカナ4文字の略語になっているのを見た。ちょんぼをしたヤツを叱る言葉だと思ってたけど、タレントというくらいだから、伝統的な「バカタレ」を遥かに越えるバカ能力があるんだろう。でも、見る人間がいれば視聴率が上がるし、視聴率が上がれば我々もとこぞって「おバカ礼賛」番組を作るもので、バカタレが大手を振って世に蔓延るんじゃないのかなあ。

「たまに夫がしてくれると嬉しいこと」のトップは「料理」。カナダでも共働きがまだ一般化していなかった昔は「パパの日曜料理」と言う言葉があって、張り切るわりにはいつも変わり映えしないものの代名詞みたいになっていた。パパはひとりで悦に入っているけど、奥さんは後始末で大変。このあたりは洋の東西を問わないらしい。だけど、妻たちが「たまに」はして欲しいと願っていることを見ると、どうも日本のオット族は二十一世紀になってもまだ「釣った魚にエサはやらない」主義に首までどっぷりなのかなあ。ちょっとやばいんじゃない、それ。小町では「熟年離婚を予定している方」というトピックが盛り上がっているから、たまになんて言わずに、ふだんからうんとおいしいエサをあげなくちゃダメよ~。

熟年であろうが、若年であろうが、結婚したからには「離婚」という結末もあり得るわけだけど、それを10年後にとか予定を立てて、夫に黙って着々と準備を進めておくというのは、ちょっと背筋が冷える。擁護派、批判派が入り乱れているけど、価値観が違うから老後は一緒にいたくない。でも子供が成人するまでは(子供のために)離婚しないというのはどうも建前臭い。カレシのママのように、嫌いな相手と「夫婦」を演じ続けることは可能でも、所詮それは表向きの顔で、やがて大人になって結婚する子供には「不毛な夫婦」の手本でしかないから、回りまわって迷惑するのはその子供と結婚する人だ。もっとも、結婚相手を「条件」で選んだのなら、離婚の「条件」が整うまで「良妻賢母」を演じられるかもしれないけど、なんか寒々とした人生のような感じがする。相手の「条件」が自分に有利じゃなければ意味がないわけで、とどのつまりは損得勘定じゃないのかなあ。ま、夫婦はいろいろだけど・・・

ちなみに、カレシは上位の項目の大半を「たまに」じゃなくて、けっこう日常的にしているから、男女共同参画に関しては一応の合格点。ワタシもうれしいから、「良き夫」ということになるかなあ・・・

猛暑が来た

8月5日。うはっ、冷夏の後にいきなり猛暑。きのうの天気予報がばかあたりで、正午にはもう25度になっていた。外へ出ると肌にじりっと暑く感じる。ゲートのチャイムが鳴って、郵便屋さんが「大きな箱が3個あります」。おお、カレシの誕生日プレゼントの第1弾が間に合って届いたんだ。飛んで行ってゲートを開けたら、ちょうどトラックから降ろそうとしているところで、「小さい方を1個持ってもらって、ボクが大きい方を2個運ぶというのはどうでしょうねえ」だと。まあ、いいかと、一番小さいのを受け取って、ゲートの中に運び込んで、その上に大きい2個を積み上げてもらった。何をやっているのかと出てきたカレシは絶句。あはは、ナイショ、ナイショ。ふた抱えくらいある箱をひとつずつえっちらおっちらとオフィスまで運んで、ウォータークーラーの横に積み上げておいた。カレシは飲み水を取りに行くたびに「すご」。うふふ。だけど、ほんとうのことを言うと、何と何を注文したのかよく覚えていない・・・

暑いものでスリーブレスのミニドレスに着替えて、今日の仕事にかかる。カレシは「その年でミニを着られるなんてラッキーだなあ」なんて言うけど、暑いのは苦手なの。もっとも、この年でミニを着ているからって、誰にも何も言われないのがもっけの幸いで、日本だったらどうだかわからない。「見苦しい」と言われるか、「いい年をしてばかじゃないの」と言われるか、「止めてほしい」と言われるか、こわいもの見たさでちょっと試してみたい気もするなあ。まあ、誰もお世辞にも「似合っているよ」なんて言うわけはないだろうけど。(しげしげと見なければ、けっこう似合っているんだけどなあ・・・)

今日の仕事は換気装置のフィルター交換。常時換気方式だから、1日中低速で家中に外気を供給して、汚れた空気を戸外へ出している。外気と排気がコアを通るときに、直接には触れないけれども熱交換で温度が平均化されるようになっているから、冬の寒波でも冷たいすきま風が入るように感じないし、夏の猛暑でも、一番暑くなる二階にエアコンをかけておけば、家全体が涼しくなっていいんだけど、密封性の高い家なもので、この換気装置が長時間止まってしまったら、我が家は窒息状態になる。それで、3枚入っているフィルターが目詰まりしてモーターが過重にならないように取り替えてやらなければならないわけ。給気側のフィルターは吸い込んだ虫の死骸がいっぱい。排気側は料理の油汚れが混じった灰色のほこりがびっしり。前回外して洗濯しておいたフィルターを入れて、汚れたのは即日洗濯機にかける。しばらくの間、洗剤のほのかな匂いが家中に漂うことになる。

空気が新鮮?になったところで、今度はデスクの上に堆く積み重なったカタログや雑誌や広告メールの整理。ゴミをあさって個人情報を盗むやからがいたりして油断のならないご時世なもので、住所氏名が印刷されている部分をビリッと破りとって、レターや仕事の書類といっしょにシュレッダにかける。これがけっこうめんどうくさい。(それでつい山積みになってしまうんだけど。)シュレッダの容器満杯のランプがつくこと3回。そのたびに大きなゴミ袋に空けて、またジャージャー。おかげで、ミニアトリエになっているデスクのカラフルな絵の具の跡が見えてきた。うん、たまには片付けるのもいいもんだ。

イーゼルにカンバスを置いて、あしたからは久々に絵の具を広げてみよう・・・と思ったら、ええ、仕事?せっかく創造モードなんだからよせやい・・・とは、言えないよなあ。じゃあ、まずは仕事をするか・・・

どさんこ桜二世

8月6日。暑いけど、昨日ほどではないような感じがする。テレビの天気予報によると、今日は「猛暑の最終日」。ええ?今日が最終日って、あれ、きのう始まったばっかしじゃなかったの?これじゃ初日と最終日だけになっちゃうでしょうが。初日と最終日だけじゃあ、何かが「続いた」という感じがしないけど、まあ、近頃の世の中はナノ秒が単位らしいから、2日も続けば「長続き」のうちに入るのかもしれない。そうだとしたら、「三日坊主」はすごい持続力の持ち主だってことになるのかなあ。

カレシが朝食のテーブルをセットしている間に、ゲートの郵便受けを見に行ったら、大きな箱がまた3個、乱雑に積み上がっている。どうやらまだ眠っている間に配達に来て、チャイムを鳴らしても返事がなかったので、不在通知を入れる代わりにゲート横の低い塀ごしに庭に押し込んで行ったんだろうなあ。きのうはワタシに箱をひとつ運ばせるし、どうもこの郵便屋さんはものぐさっぽいなあ。塀の外の生垣が高く茂っていて、道路からは庭の中が見えないから盗まれる心配はまずないけど、雨でも降っていたらどうするつもりなんだろう。そういうときはちゃんと不在通知を書いて、郵便受けに入れてってよね。

大きな箱2つと小さな箱ひとつ。全部で5つだと思っていたら6個もある。そっか、1回の発送で箱2つというのがあるんだろう。ささっとオフィスへ運んで、きのうの3つの上にもうひとつ、その横に2つ。なんか倉庫のような様相で、4つ積んだ山はとうとうワタシの背丈より高くなってしまった。「朝ごはんだよ」と下りて来たカレシはまたまた絶句。あはは。これでおしまいだから、ご心配なく。

きのう入ってきた仕事を片付けている間に、カレシは裏庭に出て、デッキ「予定地」の隅にある切り株を掘り起こす作業。ワタシの48才の誕生日に植えた2本の梨の木のうち、長十郎は元気がありすぎて、見る見る大きくなって、一度に何百個も(小ぶりの)実をつけるようになった。早いうちに間引きをすればいいんだろうけど、カレシは「放任主義」。10年くらい前に実の重みで幹が二つに裂けてしまった。残った半分も2年ほどで弱ってしまったので、50センチくらいの高さの切り株を残して伐ってしまった。ところが裏庭の家の壁に沿って小さいテーブルと椅子を置けるデッキを作ろうという話になったら、その切り株がじゃま。角材を並べて輪郭を作ったはいいけれど、切り揃えた角材を載せたままで固定せずに計画は5年も中断。やっとカレシが重い腰を上げて、今日の除去作業となったわけだけど、実際は根の部分がほとんど腐っていたので、思ったより簡単に掘り起こせたらしい。

デッキが完成したら、そばに何年も鉢植えのままの桜を植えてあげよう。札幌にあった実家の庭の桜の木から落ちた種をこっそりカナダに持って来て、鉢に蒔いて育てたのが、どこに植えるか決まらないまま未だに細くて頼りない「ふるさと桜」。日本を離れる前に満開になって、亡父と撮った記念写真の背景になった桜の木の二世はいかにも不撓不屈の道産子らしく、毎年春になると律儀に何個か花を咲かせている。庭に下ろせば一気に伸びて、キッチンの窓の外で、春はピンクの「花カーテン」、夏は「木漏れ日カーテン」。葉が落ちて裸になる冬には小鳥たちの遊び場になるといいなあ。

カレシによると、来年こそはきっとデッキを完成させるそうな。そうなったら、春にはお花見、夏には夕涼みと、池のほとりで滝の音を聞きながら、美酒を酌み交わそうね。ちょっぴり風流かなあ・・・

トリプル8の前の日は

8月7日。めでたいトリプルエイトの前日。つまり、カレシのビッグバースデイの前の日。英語教室に出かけてから、それっとばかりに積み上げてあった段ボール箱の開封作業にかかる。空気枕みたいな緩衝材が数珠つなぎのように出てくる、出てくる。段ボール箱の中にはいくつもの箱が入っているけど、そのまま包めるものと、さらに開けて中身を出すものとがあって、あっという間に潰した段ボールの山ができる。

ロールになったギフトラップの紙を広げて、大小の箱をバランスよく包んで行くんだけど、まだ暑いから汗がだくだく。それでも、1時間ほどかかって、プレゼントは箱が8個と、こまごまとした料理用の道具を包まずに入れたギフトバッグ1個。リビングの隅にあるダイニングテーブルにど~んと積んでおいた。帰ってきてそれを見たカレシはまたまた絶句。おそるおそる「これ、みんな、ひとつのもの・・・?」ひとつのものにこんなに部品や部材があったら、「多少の組み立て要」どころか、大々的な組立工事になってしまうでしょうが。ま、大人のおもちゃがいろいろあるの。あしたになってからのお楽しみ。うふふ。

ディナーパーティをするホテルの担当者から電話があって、最終的なメニューの調整。バンクーバーのレストラン業界は地場の新鮮な食材が売り物なので、季節に合わせてメニューの内容が変わる。一応選んで送ってあったメニューも変更があるということで、味見メニューよりは人数が少し動いても影響のない「前菜、メイン、デザート」の3コースのメニューを編成することにした。つまり、前菜3品と、メイン4品、デザート3品から、ゲストに好きなもの、興味のあるものを1品ずつ選んでもらう趣向なんだけど、つい自分の好きなものにばかり目が行ってしまうので、なかなか難しい。肉類を食べない人のために、前菜とメインには必ず1品ずつ魚介類を入れておいた方がいいというので、前菜にはエビ、メインにはギンダラを入れておいたけど、なにしろほとんどが郊外に住んでいて、外食といえばハイウェイ沿いにあるチェーンのレストランとか日本で言うファミレスが中心の人たちだから、反応のほどはどうかなあ。

明日送ってくれるという新しいメニューから最終調整をして、「これで行こう」と決まったら、当日ゲストが記念に持って帰れる特製のメニューを印刷してくれるんだそうで、「記念になる言葉を入れますか?」そうだなあ、二人とも特別な誕生日で、そのための一世一代のディナーなんだから、書棚に何冊もある名言辞典をひっくり返して、先人のちょっと気の聞いたお言葉を見つけて、メニューに入れてもらおうか。例えば、モーリス・シュヴァリエが言ったという「代替の状況からすれば年を取るのは悪くはない」とか、マヤ・アンジェルーの「人生はそれを生きる人を愛する」とか。アンドレ・モロワの「老いるというのは悪い癖であって、忙しい人間はそんな癖をつけている暇はない」もいいなあ。ディナーのときに感謝と祝いの言葉に代えて、ワタシの大好きな「伝道の書」の「すべてに時がある」を読み上げてみようか。

テーブルの上の山をながめては、「さっぱり思い当たらないなあ。同じカタログを見ていたはずなのに、ぜんぜん見当がつかないよ~」と、カレシ。さすがに気になるらしいなあ。うふ。888の金メダルのカレシ、明日の朝は大仕事が待っているんだから、今夜は楽しい夢を見ながらよ~く眠ってね。

超おめでたのカレシ

8月8日。予報が外れて海風が爽やかな日。今日は8が3つ並ぶめでたい日。そしてカレシの65才の誕生日。中国人にとってはめでたい「八」が3つも重なる2008年8月8日はことさら運気が満々の日ということで、オリンピック開会式にこの日が選ばれたのは当然。中国系のいるところはどこも空前の結婚式ラッシュ、(帝王切開による)出産ラッシュ。カレシ曰く、「ボクなんか頼まないでこうなったんだよ」。そうだなあ、あやかった幸運の効果はどのくらいだろう。たぶん、離婚率は変わらないだろうし、落ちこぼれる子供の割合も変わらないだろう。「運」というのは期待も予期もしていないときにふらっとやってくるもんじゃないかなあ。(ふむ、宝くじが当たらないのは「今度は当たるかなあ」なんて欲気を出すからかなあ。)

朝食が終わった後、いよいよカレシがプレゼントを開ける番。考えた末に小さいものから手をつけることにしたらしい。ワタシはカメラを構えて「その瞬間」を待ち構えているのに、なぜか「思案顔」ばかり。でも、1時間以上かかってぜんぶ開けた頃には満面の笑み。みんな気に入ってくれたようでまずまず。どれも説明書が付いているから、これから当面忙しくなりそうかな。加齢現象の副作用のように言われる「もの忘れ」のことを「senior moment(年寄りの時)」と言うけど、昔らかもの忘れの達人だったカレシ、「これからはいくらでも心置きなくもの忘れをしてもいいんだぞ~」と、冗談なのか、真剣なのか・・・

おでかけは土曜日に回して、今日は「極楽とんぼ亭スペシャル」。まずはマティニでハッピーバースデイ。「冷菜」は紅とキングのスモークサーモンとイクラに梅酢でしんなりさせた大根のカルパッチオを添えた大皿と、涼しそうなガラスの器に盛った厚切りのマグロ。紅ざけとキングサーモンは色合いと味わいがぜんぜん違う。深い色合いがなんともいえない江戸切子のショットグラスで熊本の冷酒を飲みながら、ひと休みがてら「温菜」の仕上げに移る。ポルトガル風ピリピリソースに漬けてあったジャンボエビを焼き、カニのミニコロッケを揚げて、スライスしてローストした真っ赤なビーツと一緒に盛ってできあがったのが「本日のスペシャル」。最後が小エビのサラダで、名付けて「海の幸メドレー」。極楽とんぼ亭のシェフはだてに食べ歩いてるわけじゃないのよ・・・と、自画自賛。

おなかいっぱいでとろんとしたら、コンピュータの前に座ってだらだら。へえ、グーグルがStreet Viewのサービスを日本で始めたんだ。地図で住所を入力したり、目指す一点にズームインすると、その場所の「路上からの風景」が見られるというもので、カメラを搭載した車で道路を走って撮影したものだそうな。ところが、車が通った時に路上で起こっていた人間模様もカメラに収まってしまうので、「見られたくない場面」まで写っていたりするから問題がおきる。通りすがりの目にはその一瞬だけの映像も、カメラの目には永久に残る。ふむ、となりの家からうちの家の中が見えて困ると騒ぐ日本ではどうなるのかな。(ちなみに、カナダでは「プライバシー保護法」に触れるということで宙に浮いている。)

それでも、野次馬とんぼも好奇心に駆られて東京の妹の住まいを調べてみた。あった、あった。五階の一角を見上げるとバルコニーに洗濯物が干してある。札幌の実家があったところは、バス通りに抜ける砂利道が片道二車線で中央分離帯つきのすごい道路になっていた。我が家の跡は草の生えた更地。隣の家の跡は「何とかハイツ」というマンションになっていたから仰天。そっか、去年売れたこの土地も、きっと「マンション建設用地」になっているんだろうなあ。ま、家にいながらにして未知の町を散策できる楽しみもありそうだなあ。昔大好きだった歌「遠くへ行きたい」を地で行って、どこか遠くの知らない街を口笛を吹きながら、ひとり、歩いてみようかなあ。

年輪、年季、年の功

8月9日。一夜明けて、予報通り寒そうな感じ。あわてて10時頃にスタートをセットしてあったエアコンをオフにして、もうひと眠り。ここのところ二人ともあまり寝つきが良くないもので、放っておくと目が覚めるのは正午のあたりになってしまう。何もすることがない日はそれでなんてこともないんだけど、買い物などに行くと、1日があっという間に過ぎるような気がする。それもそうだよなあ、朝ごはんを食べて、ちょっと出かけて、帰って来たらもう夕食の支度の時間なんだもん。日が短くなればなおさらのこと、まるで夜行性のような生活になる。どうりで夜ウロウロする動物に出くわすはずだなあ。たまには2本足バージョンもあるけど。

動物といえば、ここのところ郊外のコキットラムでやたらと黒熊が出没している。昼前の日の高い時間に家の前で庭仕事をしていた女性が襲われる事件もあった。近所の人たちが熊を追い払って一命は取りとめたという。犯人?の熊の方は木に登ったりして逃げようとしたけど、近くに保育園があるということで射殺された。ところが、翌日には別のもっと大きいのが同じ住宅地に現れて、これも射殺されてしまった。春からずっと異常な低温だったために餌不足で人里に下りてくることはありえるけど、実は人間のゴミに味をしめたというのが実情らしい。ニュースで見た熊はエサ不足と思えないほどふっくらとしていたけど、体重が200キロもありそうなメタボ熊に徘徊されるのに比べたら、スカンクや狸の方がましなのかなあ。

午後はあっという間に過ぎて、ディナーにおでかけの時間。巻貝のロゴのGastropod。ぽちぽちと雨が降り始めた。車にヒーターを入れる。半分も行かないうちにかなりの降りになった。一応ボロ傘を1本持って来たけど・・・と、心配していたら、ちょうどレストランのまん前に駐車スペースが空いた。ラッキー!今日はシェフ特選の5コース。薄いセラノハムを巻いたマグロといっしょに出てきたのがバジリコ風味のポップコーン。おやつに食べるあのポップコーンにバジリコの味がしみて、不思議とたたき風のマグロにマッチしていた。おもしろいことを考える人もいるんだなあ。シェフのママは「食べ物で遊んじゃダメ!」と叱らなかったのかなあ。う~ん、シェフの新作グルメ料理がメニューに載るまで、いったい誰が試食して、どれだけの作品がボツになるんだろう。腹ペコ熊も知りたいかもしれないなあ・・・

明日は夏休みでニューヨークへ帰省する家族が立ち寄ってくれる日。発着情報によると正午着に変更なし。入国手続きや乗り継ぎのための時間を入れても、正味で3時間近くあるから、9時間近い飛行で座りっぱなしの後にまたレストランで座りっぱなしは少々きつい。しかも日曜日とあって空港のホテルのレストランは遠方の友をもてなすにはぜんぜんおもしろくないもブランチメニュー。ということで、空港に近い我が家で手足を伸ばしてもらうことにした。ランチのメニューは鴨のカスーレに鴨の足のコンフィ、自家製のバゲット、デザートはブルーベリー。中学生のお嬢さん用にレトロボトルのコーラとジンジャーエールを買っておいた。

起きてすぐ空港へ行くことになりそうだから、ディナーから帰って来て、さっそく腕まくりをして準備態勢。カスーレに入れる鴨の胸のコンフィを作っている間にバゲットの種を仕込んでひと休み。コンフィができあがった頃に冷凍で買っておいた鴨の足のコンフィをオーブンに入れ、カスレの本体の調理にかかる。これは前の日に大量に作っておいたほうが味が落ち着いておいしいから、こういうときにはもってこい。バゲットの種ができあがったところで3本のバゲットにしてもう一度膨らませる。できあがったコンフィをカスーレのポットに移して、バゲットを焼く。その間にテーブルに予備のリーフを入れて拡張し、ホームパーティ用の食器を出しておく。これで準備万端。

お客を招いての食事は何回かやるにつれて要領が飛躍的に良くなるから我ながら感心する。何ごとも場数を踏んでみて初めて自信をもってやれるようになるわけで、それが年季というやつなんだよなあ。誰も初めから完ぺきなんてありえない。だてに年月を重ねて来たんじゃないってことだよねえ・・・

遠方より友来る

8月10日。なんだか楽しそうな夢の真っ最中に目覚ましが鳴ったのが11時。お客の空港到着は正午。大特急で身づくろいをして、オレンジジュースだけ飲んで、一路空港へまっしぐら。エコーは4人しか乗れないから、出迎えはワタシひとり。天気予報は午後には晴れとなっていたけど、夏空。駐車場はたぶんターミナルからかなり遠いだろうから、雨が降らなくて良かった。傘をすぐ使えるように用意して来る海外旅行客なんて聞いたことがないもの。

案の定、駐車できたのはターミナルからずっと遠い端っこの方。国際線ターミナルまでは(ここでは高架だけど)地下鉄駅の工事中で「迂回路」の矢印ばかり。時間を気にしながら到着ロビーに駆け込んだら、案内板は「延着」がずらり。成田からの便は19分遅れになっている。まだ時間があるから、つながっている国内線の出発ターミナルへチェックインの様子を見に行ったら、長蛇の列。国際線のターミナルに戻ったら、今度は「23分遅れ」。ところが、12時25分を過ぎても表示が変わらない。おいおい、上空で待機中?表示が「到着」になったのは12時35分。アジアからの便が続々到着する時間帯だから、入国管理が混み合う時間でもある。出てくるのを待つ間、しばし、ピープルウォッチング・・・

いろいろと待たされることが多かったということで、ロビーに出てきたのは1時をだいぶ回ってから。でも、成田で国内線乗り継ぎ便にチェックインしていたので、あの長蛇の列に並ばずに済んで、遅れた時間を取り戻した感じ。我が家で手足を伸ばしてもらって、極楽とんぼ亭の特製ランチを食べながら、しばしのおしゃべり。短すぎる時間になごりを惜しみながら、乗り継ぎ便搭乗に間に合うように空港まで送って、もう一度ハグでなごりを惜しんでターミナルに入るのを見送った。行く先はずっと北の方。後で調べたら、ご当地は雨が降って、最高気温が12度。猛暑の関東地方とはあまりにもけた違いで風邪を引かないといいけど。

いつもと違って、午後の真ん中にまともな食事をしたもので、夕食はちょっと遅めにちょっと軽く。食事のリズムが狂うと、ちょっと調子も狂うらしい。それに、お客があって、楽しく過ごした後は、すと~んと気が抜けたように感じる。年を取るにつれて人恋しくなってくるものなのかもしれない。「友、遠方より来る」は何よりうれしいごちそう。太平洋を渡っての長い旅で、あと一歩、もうひと息のところまで来ているのを、もどかしく待つのも楽しいうちに入ってしまうから不思議。出迎えという期待感のなせる業なのかなあ。

読売新聞にエコノミスト誌が島耕作を絶賛したという記事が載っていた。日本の経営者は大胆で賢明な彼を見習えと書いているらしい。へえ、島耕作って、たしか漫画の主人公じゃなかったっけ?そういえば、たしか「課長」で始まったはずだけど、大企業の「社長」に就任したということで、ヴァーチャルにビール片手の就任披露があったなあ。その架空の人物をそれくらい褒め称えるなんてエコノミストもおもしろい記事を書くもんだ。そう思って、記事の原文を探して読んでみたら、あれ、ちっともほめてなんかいない。絶賛したって、どこで絶賛してるんだろうなあ。家庭を顧みず、離婚もする、不倫もする、婚外子を作る、ビジネスのためなら怪しい人間を使って目的を達成する、アメリカでやったら株主訴訟が起きるか逮捕されるようなことをやってのける・・・どう見ても絶賛すべき人物には見えないけどなあ。ふむ、名だたるエコノミスト誌に取り上げられたってだけで、「感動」して記事を最後まで読まかなったのかなあ。そうでなかったら、「絶賛した」なんて記事は嘘っぱちになっちゃうんじゃないのかなあ。

さて、我が家には正味2時間の滞在だった遠来の友一家のためにも、あしたは北の方までさわやかな夏の天気になるといいけど・・・

カレシはエイリアン

8月11日。月曜日。な~んか暑くなりそうな感じ。今日はカレシが網膜の検査をしに行く日。薬を使って瞳孔をいっぱいに開くために、帰りの「運転手」が必要ということで、いっしょのおでかけになった。だいぶ前にワタシが精密検査をした時はカレシに迎えに来てもらったけど、天気のいい日だったりするとまともに目を開けていられないほどまぶしいし、焦点が定まらなくて、歩いていても人にぶつかりそうで怖いから厄介。カレシは「どうせなんともないんだから、時間のムダ」とぶつくさ言っているけど、「異常なし」だったら、それほどすばらしい時間のムダってないんじゃないかなあ。

眼科のオフィスに入ったら、あれ、けっこう混んでいる。待つのが嫌いなカレシはさっそくむくれ顔。待合室の顔ぶれは99%が老人。黄斑変性症とか白内障とか、加齢による目の疾患は多いし、どれも視力に大きく影響する。視力が損なわれると自立した生活が不可能になるわけで、考えようによっては、内科や歯科の検診よりも目の検診のほうが重要かもしれない。膝や腰が少々痛くたって、薬があれば生活はできるだろうし、歯がダメになれば入れ歯という方策があるけど、目が見えなくなってしまったら何にもできなくなってしまうもんなあ。つぶらな二つの目、大事にしてあげなくちゃ・・・

カレシはまず瞳孔を開く薬を点眼されて、効果が出るまでの30分ほど待機。「なんか目が重い」とぶつぶつ。「外へ行ってコーヒーでも飲んでおいで」と言われたそうだけど、薬が効いてきたらめんどう。そばにあったリーダーズダイジェストのあまりおもしろくないジョークのページを読んで聞かせる。どうも周りの患者たちも待つのがきらいな人が多いらしい。別にあてもなさそうだけど、出たり入ったり忙しい。短気も加齢症候群のひとつなのかなあ。もっとも、カレシは昔と比べれば格段に「待つ力」がついているんだけど、それでもやたらに大きな声でしゃべり始める。知らない人がたくさんいる中で待つという状況で起きる現象で、いわばカレシの人見知りの「イヤイヤ」の表現らしい。相手にしないで適当に聞き流せばすぐに止まるけど、自閉っぽいところもあるカレシにはストレスになる状況なんだろう。

やっとドクターに呼ばれて、検査室に入ったカレシ。10分も経たないうちに出てきて、後からついて来たドクターが「10年したらまたおいで」と。ははあ、どうやら異常なしということらしい。うれしい時間のムダってことで、連れ立って外へ出たら、「うは、まぶしいっ」。快晴なもので、サングラスをかけてもまだまぶしい。目の中が花火大会みたいな感じなんだそうな。しっかり手をつないで、車を止めたところまで日陰の側を選んで歩きながら、「涙が出てくる」とぶつぶつ、「目が痛くなってきた」とぶつぶつ・・・。

ワタシの運転でお帰りなんだけど、となりで「そっちに曲がったほうが早い」、「あっちの道がラク」とうるさい。ワタシが運転するんだからワタシのやり方で行くの。だけど、燃料ゲージが1本だけになって、ガソリンポンプのマークが点滅している。このあたりでガソリンステーションがあるのはメインストリートで、しかも道路の左側ばかり。やたらと遭遇する道路工事を迂回しながらメインに出て、最初に見つけたステーションに左折。「クレジットカードのポンプじゃないみたいよ」と言っていたら、誰かが窓をコツコツ。なんのことはない、フルサービスなのだ。「どうする?」と聞いたら「いいよ」。まあ、「じゃあ、いいです」と次に行くのもなんだよねえ。満タン(40リットル)にしてもらって58ドル。あたりまえだけど、セルフサービスよりうんと高い。家までの道もまた「ヴァーチャル運転手」を決め込むカレシ。そんなにしゃべっていたら、家に帰りつく頃には声が嗄れてしまうんじゃないのかなあ。

帰ってからしげしげと見たカレシの目。黒目がいっぱいに広がって、自慢のベビーブルーは黒目の縁取りくらいにしか見えない。目は心の窓というから、カレシの心の中をのぞけるかなあと、もっとよくしげしげと見てみたけれど、うわ~、まるでエイリアンの目。早く「愛している」と言ってワタシを見つめたあの目に戻ってよねえ・・・

昭和22年の学習指導要領

8月12日。あれ、夏のはずなのに、また春に逆戻り?それとも秋に早送り?どよんと曇って、あまり暑くもなしの日。庭に出ていたカレシが雨が降ってきたと言って入って来た。天気予報もこれは想定外だったらしい。まあ、週末にかけて気温は大幅に上がるそうだから、そこに期待しておこうか。だけど、こんなに季節がぶらんこの状態だと、着るものの整理がつかない。衣替えなんていう風雅な習慣など生まれそうにない。中学、高校時代に、制服の夏冬の切替が判で押したように「何月何日」と決まっていて、その年の気候にはおかまいなし。まだ寒いのに夏服になってがたがた震えたり、まだ暑いのに冬服を着せられて育ち盛りの体が蒸れてしまったりした。教師たちは気候にあった服装をしていたのが不思議だったなあ。

ひと仕事終えて、ネットで遊んでいたら、「昭和22年の学習指導要領」の話を見つけた。戦後に当時の文部省が作った試案だそうで、「民主主義に必要な学力」が強調され、話す、聞くの「言語活動」が重視されていたという。民主主義の実現のためには、自分の意見を述べることや話し合うことが重要だから、話し方の教育に力を入れて、「民主主義の国では各個人の意見が大切であることを理解させていく」と、もう大変な意気込み。「われわれ日本人は昔から多弁を嫌い、社交をうとんじたために、話しかた・聞きかたの方法がかなりおくれていた」んだそうな。そう、「男は黙って」が社会規範になれば、話さなくてもいいし、誰も何も言わなければ聞く必要だってないもんなあ。言わざる、聞かざる・・・

日本のお役所の思想としては先進性がえらく目立つなあ。結局は、言語活動は経験主義に偏りすぎて学力を保証できないと、昭和33年に「学力重視」に大転換してしまったそうだけど、それが点取り競争、試験地獄、偏差値偏重のレールを敷いたのかなあ。ワタシが小学校3年生だった頃だ。教室で特に大きな変化があったような記憶はないけど、小学校高学年になって通信簿に「SS値」という名前の鐘の形の得体の知れない曲線が描かれた紙切れが付いて来るようになったのを覚えている。あれが「偏差値」を表すものだと知ったのは大人になってからのことで、自分の位置を示す「×」がいつも右端のどん底のそれもずっと端にはみ出して付いているのを見て、「がんばったのに~」とがっかりのしまくり。子供心に曲線のてっぺんが一番高い評価だと思い込んでいたわけで、6年生のときはあの紙切れが姿を消してホッとしたけど、やる気が殺がれたのは否定できないと思う。

本来、人間というものは「金太郎飴」をスライスしたもんじゃないんだから、テストの点数と偏差値だけで計れるわけがないのだ。ワタシはどうも元から不適応が目立つ問題児だったので、「学力重視」の詰め込み教育には向いていなかったのだろう。小学校2年の時に、全校で実施した知能テストと読書力テストで「異常値」を出して、親が学校に呼び出される騒ぎになったことがあるらしい。その異常値が「不適応の原因」のようなことを言われたそうだけど、なにしろ教室から溢れんばかりのベビーブーム世代だったから、復興中の戦後日本には「平均値」の外に注意を向ける余裕などなかった。もし「各個人の意見が大切」にされる民主主義教育が続いていたら、ワタシの教育歴はかなり違ったものになったかもしれない。

おてんば娘で、左ぎっちょで、知りたがりやにしては教えられるのがへたで、女の子のくせに一家言をぶち上げるのが好きなワタシは、和をもって尊しとする集団社会にはとうとう馴染めず、「各個人の意見」を尊重する民主主義の国に来てやっと羽を広げたというところ。だけど、「教えられべた」だけは今さらどうしようもないから、自分流の門前の小僧式学習法で勉強するしかない。まあ、その方が割と覚えられるような気がするから、それがワタシの学習スタイルなんだと思えば気楽でいい。ひょっとしたら、金太郎飴の棒の端っこでひしゃげた顔をしている金太郎なのかもしれない。でも、棒の真ん中あたりの端正な顔の金太郎と味が違うってことはありえないと思うんだけどなあ。「同じ」金太郎飴でしょ?

食べもので遊ぶのも楽し

8月13日。いつもよりは早めに眠りについたはずだったのに、ナイトキャップのコニャックが効きすぎたのか、目を覚ましたのは午後12時半。エアコンが入っていて寒くないところをみると、どうやら少しは暑くなりそうな気配。カレシは「自由行動」の日(もっとも、木曜日以外は毎日が自由行動の日なんだけど)、ワタシも小さい仕事を片づければ後はほぼ自由。朝食後、オフィスに下りて行ってメールをチェックしたら、明日からの予定で引き合いのあった仕事が受注できなかったということでボツ。残念でしたねといいながら、ほんとはちょっぴりうれしい。だって、せっかくゆとりたっぷりの8月だもん。

このところなんとなくクリエイティブモードなのか、夕食のしたくのたびにひと工夫してみる気分になる。ひと呼んで「マイケル・スミス流」。カナダ版Food Channelで「レシピなしのぶっつけ本番料理」とでも言ったような料理番組をやっていた。冷蔵庫をのぞき、戸棚をのぞいて、ありあわせの食材でグルメ料理を作ろうという趣向で、もちろんテレビ番組だから、すべて事前に仕組まれているはずなんだけど、「へえ、今度やってみようか」という気にさせて、けっこうおもしろかった。知りたがり屋のワタシは無類のやりたがり屋でもあるもんだから、したくを始めたところでムラムラとその気になってしまう。

きのうの夕食はマグロのステーキ。ちょっと小さいけど厚切りのキハダマグロ。付け合せは何にしよう。野菜はカレシが生徒さんからもらって来た家庭菜園産の巨大なズッキーニ。冷蔵庫をのぞいたら、おお、イクラの残りがあるぞ。海のもの同士で使えそう。使いかけの大根もある。そこで、大根をぶ厚く輪切りにしてローストしてみる。串を刺せば通るくらいに柔らかくなったところで、水で冷やして真ん中をくり抜いてミニカップを作り、イクラを詰めて、その上にくり抜いた部分を帽子のようにちょこんと載せてみた。う~ん、なかなかイケてるぞ。ズッキーニは3個ぶ厚く輪切りにして半月に切ってから蒸すだけ。真っ白な四角いお皿にマグロのステーキと、半月ズッキーニと、イクラ詰めのロースト大根を「天地人」みたいに並べてみたら、カレシ曰く、「おお、ミニマリストのデザイン。うん、彩りもいいねえ」。

きのうの今日で気を良くして、今日の夕食はシンプルなポークチョップだけど、ひと工夫ムードは満々。付け合せは蒸したインゲンだなあ。他に何がいいだろう。冷蔵庫をのぞいて見たら、さくらんぼの袋がある。野菜を買って来たらなぜか袋に入っていたもので、レシートにちゃんと打ってあるところを見ると、誰かが残していったのをレジの人がうっかり私たちのと混ぜてしまったらしい。子供のときに一生分のさくらんぼを食べてしまったからとそっぽを向くカレシは「チェリーシロップを作ってみようかなあ」と。だけど、いつものカレシ流で手付かずのまま。そこで10個ぐらいを半分に切って、種を取ったのを鍋に放り込んで、料理用の白ワインをドボドボ。砂糖を少し足してやわらかく煮詰めたら、きれいな色のチェリーソースができあがった。盛り付けはきのうほどエレガントではないけど、ポークにはフルーツがよく合うし、白いお皿に赤紫色のソースが映えて、ちょっぴり華やいだ感じ。イケてるじゃん。

我が家の「レシピなしのぶっつけ本番料理」は二晩連続のヒット。あり合わせの材料でも、想像力を駆使すれば、見栄えのするおいしい料理が作れるというシェフ・スミス。ほんとうにその通りなのだ。二人だけだと、食材がどうしても余ってしまうことが多い。そんなとき、想像力をフルに働かせての「味は食べてのお楽しみ」的なお気楽モードの即興料理は、食べもので遊ぶようなところはあるけど、使い残しの食材をうまく使い切れるし、ちょっぴりシェフ気取りになれて、おまけに平凡な夕食のマンネリ打破にもなるから一石三鳥。食べ歩きで見覚えたデザインを思い起こしながら盛り付けを工夫してみるのも楽しい。さて、あしたはどうしよう。はたしてトリプルヒットになるか・・・

にわか先生はコメディアン

8月14日。いや、久しぶりに暑い。今日はバンクーバーの「真夏日」になりそう。湿度が高めらしく、肌がべたつきはしないものの、いつものようなさらっとした感じがしない。ラジオのニュースでは「蒸し暑い」と言っているけど、それでも湿度が比較的低めの北海道よりも低い。津軽海峡以南の蒸し暑さとは当然比べものにならないわけで、ご当地育ちには「蒸し暑い」ってだけのこと。バンクーバーっ子の感覚では25度を超えたら「真夏日」、たま~に30度になったら「猛暑日」であごを出してしまう。どうやらこの「猛暑」の元凶はカリフォルニアの熱風らしい。暑いはずだ、あれだけ山火事が荒れ狂っているんだもん。

今日はカレシの英会話教室の手伝い。ちょうど仕事がないので、連れ立って出かける。(暑い!)夏の教室の生徒さんは、中国人5人、インドネシア人1人、メキシコ人1人の7人。インドネシア人だけが男性で、あとはみんな女性。年令は30代から50代と幅広い。カレシが来週の最終回にパーティをするかレッスンをするか聞いて、ポットラックパーティをやろうと決まったところで、ワタシを残してすたこらと姿を消してしまった。はてさて、にわか英語教師はどうしたらいいのか。まず、自己紹介。名前の意味を説明して、生徒さんの名前の意味を聞いてみる。どこの国でも親は子供の幸せや幸運を願って名前をつけるんだなあと思った。

会話教室なんだから、さあさ、しゃべって、しゃべって、と煽るけど、そうは問屋が卸さないのが英会話。そこで、「読むこと」と「聞くこと」は受動的な行為で、「書くこと」と「話すこと」は能動的な行為。「話す」と「聞く」のやりとりが「会話」で、会話が「コミュニケーション」になるためには、まず言いたいことがあって、「それを話して相手にわかってもらいたいという気持」と「相手の反応を聞いてわかりたいという気持」がければならない、とぶち上げた。文化によっては、相手に自分の気持を汲んでもらおうというところもあるけど、カナダでは自分の方から気持を伝えないと相手にはわからない。読心術を期待しない文化なのだ、と。生徒さんたちは「うん、うん」とうなずきながら聞いている。ふむ、ワタシはけっこう演説上手なのかなあ・・・。

それからは、オリンピックの話、カレシとの出会いの話(切手収集のための文通が縁)、ご近所で起こった怪しい出来事、と話が進んだけど、少し続くと途切れる。そこで、お手のもののStory-telling。演劇講座で即興芝居をやっていたもので、そのストーリーを演じるのもお手のものだから、しまいには英語教室じゃなくて、コメディクラブでの独演のようになってしまった。言葉で表現する作業はかなりの全身運動だからなあ。外国語が通じるかどうかに占めるボディランゲージのウェイトはばかにできない。日本人の会話で大きな動作が嫌われるのは、会話そのものが相手にげたを預けるスタイルになっているからかもしれないなあ。自分は言いたいことをできるだけ言わずに相手に推測させようというわけだから、大きなエネルギーを費やしてまで表現する必要がない。それを外国語の学習に持ち込むから、さっぱり上達しないということになるのかもしれない。だとしたら、なんか損している文化だなあ・・・。

まあ、生徒さんたちが笑っているということは、話が通じているってことだろうけど、ここは英会話教室。コメディやってて、こんなんでいいのかなあ。お~い、カレシ先生、早く戻って来てぇ・・・。

カレシが戻ってきて、「どうだった?」と生徒さんたちに聞くと、「先生の発音と違う、話し方も違うけれど、おもしろかった」という返事。「教えるのがうまい」って、そんなことないと思ってはいても、そう言ってくれると大汗をかいた甲斐があったというもの。ワタシにとっても英語は母語じゃない。ワタシがカナダに来た頃は政府による移民支援プログラムなどなかった。コンピュータもインターネットもなかった時代。そう言うと「自分で覚えたのねえ」。思えばそうだったんだろうなあ。カレシは日本語を話せないし、日本語でおしゃべりできる友達も就職するまでの2年間はゼロ。1日24時間、週7日の英語漬けだったから今のワタシがあるんだと思うけど、言葉は使う人、十人十色。教えてもらうのではなく、どんどん使って、間違いをしながら学ぶこと。それ以外にないように思う。

ヒマな釣り人、さびしい魚

8月15日。ゆっくり起きて、金曜日。日本はもう土曜日だから、仕事が入ってくる心配はなし。ちょっと雲が広がって、思ったほど暑くはならないかな。菜園の水やりから戻って来たカレシは「朝っぱらから蒸し暑い!」 ちょっと出てみたけど、蒸してなんかいないし、そんなに暑い感じもしないし。「な、蒸し暑いだろう?」と言うから、「ぜ~んぜん」。カレシは汗っかきなもので蒸し暑いのが嫌い。毛穴の数が足りないんだ、きっと。天気図を見ると、太平洋に大きな雲のかたまりがあって、高気圧を迂回するように雲が流れて来ている。気温24度、体感温度は30度だそうな。ということは、やっぱり蒸し暑いのかなあ。

あまりたまっていないけど、洗濯しながら、ぶらぶらとネット散歩。オリンピックたけなわだけど、カナダは中盤に入ってもメダルの数がみごとに「ゼロ」。鳴りもの入りで選手を送り出したのに目算が狂ったのか、ニュースもその話に集中している。関係者とか過去のメダリストが「心配ありません。カナダは後半になってメダルを取ることが多いのです」なんて言いわけめいたいことを言っているけど、1個もメダルが取れなくたっていいじゃないの。オリンピックはいつから「メダル争奪戦」というスポーツ種目なったの?選手が自己のベストを尽くせば、それで十分に感動的だけどね。もっとも、オリンピック候補に選ばれたアスリートは、オリンピックの前からエリートとして何かにつけてちやほやされるから、ハングリー精神が育っていないのかもしれないなあ。それに、カナダ選手団のユニフォーム、どうみたってパジャマ。あれじゃあ、気合が入らなくてもしょうがないなあ。しまいには「カナダはウィンタースポーツの国ですから」と、思いっきりずれたコメントまで出てきた。あはは、オリンピックには関心がないから、ど~でもいいけど。

ローカルの掲示板をのぞいてみたら、反韓、反中、尊皇攘夷、大日本帝国バンザイみたいなトピックが多い。最近の現象のようだけど、まるでにいちゃんねるに乗っ取られたみたいに見える。カナダに来てまで何をくだくだと言っているのかと、ちょっとのぞいたら、なるほど、これが噂に聞くにいちゃんねらの遠吠えか。どれも「JP」という文字が添えられているから、投稿元は日本らしいけど、呼応しているのはどうやらワーホリなどで「海外」にたむろしている若い日本人たちだろう。在日がどうの、シナ人がどうの、移民を受け入れれば日本は崩壊するだの、にぎやかなこと。移民に反対なのは日本が「単一民族の国」だからだそうな。新聞を読んでないな。厚生省の発表によると、2006年に日本で生まれた子供の30人に1人がハーフだそうで、日本は混血民族になりつつあるってことじゃない?それにしても、自分たちは八方手を尽くしてでもカナダの移民権(そんなものはないんだけど)を取りたがるのに、日本には移民を入れるなって、ずいぶん勝手なことを言う人たちだなあ・・・

飽きもせずに盛り上がっているのが「カナダ人男と日本人女のカップル」のネタ。そもそも煽りが目的の釣りネタなことは明らかなのに、定期的に立っては確実に盛り上がるからおもしろい。テーマはいつもどうして「カナダ人(=白人)とつるむ日本人女はブス/英語がへた/優越感を持ってい」るのか。当然、「ワタシは違いますっ!」と反論して「白人男を捕まえられなかった負け犬の妬み」と逆襲し、それに「躍起になるのは幸せじゃないからだ」と応酬される。つまり、カナダまでのこのこやって来て日本人相手に釣り糸を垂れるヒマな日本人が浜の真砂の数ほどいるということなんだろうけど、そたのびに結婚移民組がいちいち青筋を立てて反応するのは、やっぱり何かしら満たされない屈折したものがあるんだろうか。自分が幸せならそれでいいはずなんだけどなあ。外国の中の日本という真空の世界から飛び出したら、それがわかるだろうに。そうしたら楽になると思うんだけど。そこのあたりを探ってみたら、短編小説のひとつやふたつは書けるかなあ。書いてみようか・・・