リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年12月~その1

2008年12月16日 | 昔語り(2006~2013)
断念と諦めと極楽とんぼ

12月1日。今日の起床は午前11時55分。1時近くなって掃除に来たシーラとヴァルが「あら、ちゃんと朝のうちに起きたのねえ」と。あはは、5分の差でも「午前中=morning=朝」だもんね。もう少し早寝?を心がけたらいいんだけど、「勤務時間」の終了後は、ついつい飲みながらのおしゃべりの時間になってしまう。ふむ、これって、会社が終わったらまっすぐに家に帰らずに、駅裏の路地の赤ちょうちんに足を向けるサラリーマンみたいだなあ。

とうとう12月。シャンペンを開けて「還暦の年だ!」と騒いでいたのがついこの間のような感じがする。ほんとに年をとるほどに時間がどんどん短くなっていくような。ひょっとしたら、足を速めて行く時間にもう追いつけないと感じて諦めたときに人生の終わりが来るのかもしれない。だったら、ワタシは長生きしそうだなあ。なにしろ、諦めないもんね。諦めが悪いのか、諦めどきがわからないのか、そのあたりはよくわからないけど、あまり諦めたことがないような気がする。あんがい、何かを「諦めた」という認識がないだけかもしれないけど。

「諦め」を日本語辞典で見たら「断念」と書いてあった。「諦めがつく」というのは「思い切ることができる。思い切ろうという気持になる」こと。へえ。だけど、「諦め」と「断念」ではニュアンスがぜんぜん違うように感じるけど、どうなんだろう。いろいろ努力してやってみて、自分の限界がわかったから、あるいは目標達成は不可能だとわかったから「断念する」というイメージには積極性が感じられるんだけど、一方の「諦め」には「しょうがないなあ」と肩をすくめるような消極的なイメージがある。でも、「しかたがないよ、やってもダメなんだから」と言ってしまったら、なんか悔いが残りそうな気がするけど、どうなんだろうな。「諦めきれない」という表現は自分の心の中で踏ん切りをつけられないでいる状態で、その優柔不断な気持を吹っ切ったところで、「断念」したと言えるんじゃないかなあ。

「しかたがない」という表現には、諦めざるを得ない理由を漠然と自分の外に求めているようなところがある。だから、「幻滅」や「失望」という感情が生まれ、嫌悪、憎悪となり、人によってはそれが敵意にもなれば、殺意にもなるんだろうと思う。ダメだったのは自分のせいじゃない、自分にはどうにもならないことだったのだ、と防衛線を張っているようなものだけど、何かしたわけでもないのに勝手に期待され、幻滅され、恨まれてしまう方は迷惑だろうなあ。それで精神や身体を傷つけられたり、命を奪われたりしたらたまったもんじゃない。でも、そういうことは世間が想像する以上にあたりまえに起きている。

考えてみたら、ワタシだってけっこう長い人生の中でいろんなことを断念して来た。断念したのは、がんばってみて「ダメ」と結論したからであって、だから、いったん終止符を打ったら後は振り返らない。自助努力で自分の限界を見極めて、それ以上にごり押しに進むのは自分にとって良いことではないと判断したのなら、自分を責めてみても無意味。ワタシが「諦めない」というのはそういうことなんだと思うけど、短絡的に「断念」に到達してしまっているのかもしれない。だから、あまり幻滅感とか失望感を味わわずにすんでいるのかもしれないな。幻滅や失望にとらわれない、ある意味で底なしの楽天家なもので、諦めることを知らずにのんきに夢を見ているということもありえるけど、ま、そこがワタシの極楽とんぼたるところで、こればかりは死ぬまで変わりそうにないなあ・・・

そうやってつらつらと哲学ごっこをやっていると、どこかにお見通しの人がいるのかどうか知らないけど、仕事がどかんと降って来る。おいおい、なんだかでっかそうだよ、これ。期限は木曜日の午後4時。その前にまだ終わってない仕事があるってのに、気合を入れてがんばらないと、徹夜になっちゃうからね。

ペラペラって発音のこと?

12月4日。せっかくいい天気なんだけど、今日もねじり鉢巻。なんか、最近あまり遭遇しなかったような、しっちゃかめっちゃか。「おい、しっかりしろよ」と自分で自分の背中をど突く・・・わけにはいかないから、朝一番に鏡の中の自分に怖い顔をして拳骨を突きつけてみたけど、極楽とんぼはさっぱり威厳がない。

でもまあ、とにかく今日が期限の仕事はなんとかすべり込みセーフで間に合った。やれやれ。のんきに腕をまくって「オッケー」なんて言ってしまうから、自業自得なんだけどもちょっとくたびれたなあ。来週の予定に入っていた大きな仕事が保留になったのをこれ幸いと、残っている1件を片づけて、週末は羽を伸ばそうか。ワタシだって少しやすまないと、集中力が落ちたらくもの巣に突っ込んでしまうもんなあ。

ラスベガスから帰って来て以来、まっ黒だった右足の小指の爪。内出血したんだろうと思っていたけど、色が薄くなったもので治ったんだと喜んでいたら、爪全体が根元のほんの少しの部分を残してパカッと剥がれてしまった。なにしろワタシは家の中では年がら年中はだし。ソックスもスリッパも好きな方ではないから、冬でおかまいなしで素足のまま。おかげでやたらと足の指をぶつけたり、突き指したりする。仕事をしているときでも、足はじっとしていない。デスクは北米仕様の高さだから、それに椅子の高さを合わせると、足が床に届かない。足置きみたいなものはおいてはあるんだけど、宙に浮いているのをいいことに、足はあっちへぶらぶら、こっちへぶらぶら。というわけで、いつものようにぶらぶらしているうちにどこかに小指がぶつかったらしい。それにしても、いっそきれいにポロンと落ちてくれたらよかったのに。せっかく痛くも痒くもないんだから、えぃっと取ってしまうわけにも行かないのだ。バンドエイドで押さえて引っかからないようにしておいたけど、まだくっついている部分、自然に離れてくれるのかな。それより、新しい爪、ちゃんと生えてくるんだろうなあ・・・

気分転換に小町をのぞいたら、『英語が「ぺらぺら」という表現』というのが目に留まった。外国語を話すことについて考える機会があって、ないとキャップをやりながらカレシともああだこうだと話題にしていたところだった。ほんとに、この「ペラペラ」というのはいったいどういう状態なんだろう。「流暢」という意味だとすれば、外国語でよどみなく理路整然と話したら、発音はイマイチでもネイティブスピーカーは流暢だというだろうし、教科書的な発音だったら、イマイチ意味不明でも日本人は流暢だというだろうし。でも、発音がイマイチで思考論理が支離滅裂だったら、どっちも流暢だとは言わないだろうな。だけど、発音の良し悪しを「スコア何点」と計ってくれるものさしってあるのかなあ。たとえば、ワタシの英語。なにしろ口が達者だから、べらべらと実によくしゃべる。誰からも「どこの国の出身?」とか、「中国人?日本人?」とか聞かれなくなって久しいし、カレシは「訛りはないし、抑揚やボディランゲージだって、別に違和感ないよ」というけれど、自分で聞いてみれば「ボツボツ切れる、伸びた蕎麦みたいな発音」に聞こえる。それで「訛ってる」と言うと、「それはキミのしゃべり方であって、訛り(アクセント)じゃないよ」と言われる。まあ、33年もどっぷりと英語漬けで、どういう英語をしゃべっているのかもう意識しないんだけど、「話し方の特徴」と「訛り」の区別はまだつかないのかもしれないなあ。

思うに、日本にいようが、外国に住んでいようが、日本語以外の言葉を「外国語」と認識しているうちは、「ペラペラ」も習得の進歩を計るものさしのひとつにはなるかもしれないな。言葉はコミュニケーションの手段にすぎないというのなら、必要なのは「どれくらい思考を伝え合えるか」というものさしじゃないかと思うけど、日本語は「口に出さなくてもわかる」のが理想ならば、欧米語は「口に出さないとわからない」文化の言語だから、その意味でなら「ペラペラ」は意義がありそう。このトピックにレスした海外在住者が帰省するたびに「何か(英語を)しゃべってみて」と言われるのが不愉快だと書いていたけど、もしもワタシがそう言われたら、(ご要望にお応えして)英語で「でさぁ、○○がああしてね、こうしてさぁ・・・」と、それまでの「会話」を続けるんじゃないかなあ・・・

おおやまととよあきつしま

12月5日。残りの仕事を終えて、期限前に無事送信したのが午前4時半。肩はコチコチ、首はコチコチ、脳みそはぐちゃぐちゃ。そこで凝りをほぐさないと眠れないなあと、ヴィンテージ1960年のアルマニャックを飲み始めたから、就寝は5時半すぎ。これが夏だったら、東の空が白々どころか、とっくに日が昇っている頃だけど、まあ、冬至まであと2週間半の今は、日の出は午前8時近い・・・いいのか、悪いのか、はて?変てこな夢をいっぱい見て(いたような)、それでも正午を少し過ぎたところで起床。保留になった仕事の「空隙」には別の仕事が入ってしまったけど、小さめだからと高をくくって週明けまで無視。金、土、日と、勝手に三連休。こんなことはめったにないから、なんだかゆったりとぜいたくでリッチな気分・・・。

10月半ばの選挙で成立したばかりの少数政権が倒れるかどうかという瀬戸際に立ったのは1週間前。選挙中は犬猿の仲だった野党3党は、政権獲得の絶好のチャンス到来とばかりに、たった数日で「連立協定書」に署名。だけど、自由党と新民主党では数が足りないから、議席多数を確保するにはカナダからの独立を党是に掲げるケベック連合の加担が不可欠。おいおい、ちょっと待てよ。カナダの分裂を標榜する政党に国政の主導権を渡しちゃうの?おりしもケベック州は総選挙の最中。自由党は新党首選びの最中。結局、ジャン総督が「議会停会」を決定して、すべては1月下旬までお預け。クリスマスを楽しんで、ゆっくり考えなさいってことかな。この「議会停会」というのは、イギリス議会制度を踏襲した、いわば伝家の宝刀。だけど、野党3党は政権を横取りする気満々だから、出直し選挙は必死だろうな。世論調査では60%以上が連立政権に「反対」なんだけど、勢い込んで高く振り上げてしまった拳骨は下ろすのがなかなか難しい。ふむ、ひょっとしたら、ハーパー首相がマキャベリの『君主論』や孫子の『兵法』(英訳タイトル:The Art of War)を愛読していたりして。

日本では、9月に就任したばかりの総理大臣の支持率が急降下だけど、首をすげ替えたくてもできず、国会解散・総選挙にもへっぴり腰という八方ふさがりの気分らしいけど、まあ、企業もお役所もこれまで政治家とは別の次元で粛々とやって来られたから、さして困らないのかな。政治は三流、経済は一流というミスマッチがいかにも日本らしいけど、労働市場には「2009年問題」という、大きな社会問題、社会不安につながりかねない問題があるんだそうな。製造業での「派遣」労働者の派遣期間が切れるのが来年。運悪く世界的な不況に重なって、法律が狙った正規社員への転換は不可能に近いだろうなあ。経団連が不正規労働者(人間なのに・・・)を融通の利く「便利な道具」にしてしまったツケが回ってくるといったところか。表向きは日本企業は家族的経営だとか、格差社会はいかんとか、きれいなことを言うけど、後進国での「奴隷労働」や搾取とどれほど違うというつもりだろう。どうみたって『蟹工船』の時代からあまり進歩しているようには見えないけどなあ。海の向こうの遠い「おおやまととよあきつしま」の「あきつしま」は「蜻蛉洲」とも書くらしいけど、「蜻蛉」はとんぼのこと。大昔の日本はワタシがすいすいと飛び交う、のびやかな国だったんだろうなあ。

今日のディナーは、たまには「おふくろの味」的なのもいいよねえ(と言いながら、実はめんどくさ~)と、大まじめにごくご平凡なローストビーフにした。たっぷりのグレヴィーは隠し味にスコッチをちょっと・・・。一緒にローストしたポテトと、蒸したインゲンとアスパラガスを添えて、ほんとうにめんどうがなくていい。これでヨークシャープディングがあれば本格的なイギリスのSunday dinnerになりそうだけど、1キロのローストは半分を食べるのがやっと。後は、カレシに庭のホースラディッシュを掘り出してもらって、残っているカイザーロールでサンドイッチにできるし、薄くスライスしてベトナムのフォーにも使えるから、かなりの使いまわしが利く便利なごちそうなのだ。

クリスマスまであと3週間。仕事なんぞやってられないんだけど、毎年そんなことをぶつぶつ言っているような気がするんだけど、う~ん、せっかくの「三連休」なのに、何となくせかせかした気分になってくるから困る。明日は極楽とんぼ亭の土曜スペシャル第3回目。さて、どんなものができるかな。夢の中にメニューが出てくるといいんだけどなあ・・・

2008年の宇宙人

12月6日。勝手にそうと決めた三連休の中日。外は湿っぽい。テレビのコマーシャルはクリスマス一色というのはあたりまえの季節なんだけど、こっちも心なしか湿っぽい感じが伝わってくる。何年ぶりの不況が、10年ぶりになり、今や26年ぶりの大不況に発展?した。だけど、カナダは全体的にまだあまり深刻ではないらしい。自動車産業がアメリカと直結しているオンタリオ州はすでにぐらついているそうだし、石油ガスで好況に沸いていたアルバータ州も、原油価格の暴落でどうも先行き不透明になってきたらしい。不況は東から西へとロッキー山脈のすく向こう側まで来ているということだろう。お出かけしてもそんな実感はないんだけど、資金繰りに詰まって工事が止まった高層マンションもすでにいくつかあるというし・・・

我が家では、23日。前までの1週間ほど、カレシがテレビのニュースをほとんど拒否してしまって、BBCのチャンネルで世界の動きをのぞき見しているような状態だった。要するに、政権崩壊の危機の起爆剤になった政党への交付金の廃止案をを政府が取り下げたことで「ハーパー首相」にむかっ腹を立てたのがそもそもの始まり。「よくやった。すごいやつだ」と褒めちぎっていたのが、今度は手のひらを返したようにテレビを睨みつけて「あいつは能無しだ」とこき下ろすことしきり。どうやら「オレを失望させやがって」という義憤に溢れてしまったらしい。だだっ子の疳の虫みたいだけど・・・。

まあ、「評論家」とか「有識者」とか称する連中がああだこうだと、はては2人も3人もが同時に声を張り上げて自説を主張するのを聞いていると、いくら議論好きのワタシだってイラッと来ることは来る。それに、ニュースはネットで読むほうが好きなので、不便があるわけでもないから、別に何も言わずに、「なるほど、こういう極端な対人反応がボーダーラインの特徴なんだなあ」とカレシを観察していて、発見したのが、その様子がパパとそっくりだということ。カレシのパパも一触即発で切れるタイプで、親しい人でも、きのうは褒めていたのに今日はくそみそに貶すなんてのはしょっちゅう。だけど、本人の前では「楽しい、いいやつ」を演じる人なのだ。ふむ、パーソナリティ障害って、遺伝的要素があるんだろうか。それとも、親から子へ情報が経験情報が伝達される「家庭環境」という要素のせいなのかなあ。

どっちにしても、カレシは「ハーパー」という個人的には何の交流もない人間が「自分の意」に沿わないことに対する怒りをあらわにしたんだけど、アメリカで「ブッシュが、ブッシュが」と憎悪に近い感情を向けて来た人たちとなんとなく似ている気がする。いや、どうも世界中でそういう自己の不安定さを誰彼かまわず他人に対して不満、嫌悪、遺恨、憎悪といった攻撃的な形で吐き出す人間が増えているように思える。境界性パーソナリティ障害は幼少時の(ネガティブな)体験が原因だと言われるけど、現代の、少なくとも先進国の社会には、大人をこんなふうに「制御不能」に陥らせるような共通する要素があるのかなあ。あるとしたら、何だろうなあ。HAL9000の企みかな。XBOXやプレイステーションやオンラインRPGは現代のHALなのかな?それともモノリス?あ、2001年はとっくに過ぎちゃったけど・・・

だけどなあ、カレシはもう老境だから、変われないだろうねえ。変われなくたって、変わらなくたって、ワタシの頭の中には対応マニュアルみたいなものができ上がっているから、二人は大丈夫そうだけど。きのうの夜に、カレシは1時間もかけてカスタードアイスクリームを作った。キッチンから、ガチャン、バタンと聞こえて来るのを、地下のオフィスで聞きながら、実は内心はちょっと心配だったけど、あえて目をつぶった。やる気になったときに、あれこれと細かく口を出して指導しない方が成功確率は高い、と「HAL(Husband and Lover)操作説明書」に書いてあったような・・・。

極楽とんぼの精神史?

12月7日。三連休最終日。だらだらの最終日になりそうな気配。せっかく大きな仕事が保留になってピンと元気が出たのはワタシだけじゃなかった。「ちょうど良かった」とさっそく穴埋め仕事。小さめだから、まあ、いいかと思っていたら、「先に入れられない?」と、突っ込み仕事。やれやれ。師走で忙しいんだけど。それでも、明日からはもっと有効に時間を使うことにして(と、意気込みだけはいつも一人前で)、今日はしっかりとだらだら(と、こっちの方は実行率が格段に高いから不思議・・・ってわけでもないか)。

久しぶりにじっくりと(といっても、野次馬として興味を引かれるものは1割に遠く及ばないけど)ローカル掲示板をのぞいて、笑ったり、突込みを入れたり。このサイトの存在をはじめて知ったのは、地獄の底で一番大変だった頃。実は八方塞の手詰まりの状態に思い余って、「日本人のサイトなら」と藁にもすがる気持で「なぜ?」という問いを載せた。ワタシも日本人、ここに集まるワーホリだって何だって日本人、という漠然とした同胞意識に基づく期待があったんだろうけど、みごとに自爆。「そういう男をつかまえたあんたの自己責任」というのはいいとしても、ほとんどが中傷や誹謗といった人格否定とも言えるもので、「四半世紀の時の流れ」という越えがたい深い溝があることを思い知り、それに気づかずにいた自分の迂闊さを思い知るという、いわば「目からうろこ」の経験になった。

あれから数年経っても中傷、誹謗、愚痴、不平不満の類は相変わらずだけど、最近はにいちゃんねらと思しき住人が増えている感じがする。嫌中、嫌韓、嫌米、嫌加、嫌英語、嫌日本、嫌み~んな。なんとも不幸せな人たちだなと思うけど、どうも「外こもり」という現象らしい。世界のどこにこもったところで、世の中に対する不平不満や遺恨が変わらないのはなぜなのか、とまでは考えないんだろうなあ、この人たち。こういうのは、たまに「英語圏も英語も消滅する」というSFみたいな傑作もあるけど、だいたいは誰かの主張の受け売りや右翼の煽りのコピーで、自主性ゼロ。まあ、だから外国に来たって不平を抱えたままごろごろしているんだろうけども。このまま中年になって、初老になって、どうするんだろうねえ。

ワーホリなどでカナダに来るのは女性が圧倒的に多いから、恋愛や結婚の相談はいつも大にぎわい。前はカナダ人夫が再婚で継子や養育費などの悩みがけっこうあったように思うけど、最近は結婚よりも離婚や別居の相談が多いような感じがする。結婚して移民手続きが終わったばかりでもう離婚の準備なんて極端な例もあるけど、小さな子供を抱えての離婚というケースが多い。シングルマザーへの公的支援は、生活保護は、福祉住宅に入れるか、みんなはどんな仕事をしているのか・・・。ひとりで働いて子供を育てる経済的、肉体的、精神的な大変さは日本もカナダも同じだと思うけど、結婚してそのまま働いたことのない人たちにとってはもっと大変だろう。日本でどんな学歴、職歴があっても、カナダでの就業経験がなければ一からのスタートだもの。まあ、いろんな悪条件にもめげずにがんばっている人は人種を問わずたくさんいるんだから、不安も何も、思い切ってやるっきゃないでしょうね。

確実にいつも一番盛り上がるホットなトピックは日本女性の話。特に白人男と一緒にいる日本女性の「容姿」は飽きずに繰り返し上がって来る。顔がビミョーだ、カワイクない、ブスだ、ブサイクだ、チビだと、いやもうかまびすしいこと。一人ならば注目もしないだろうに、白人男と歩いているのを見ると俄然注目してしまうのはおそらく、一緒に歩く白人男が(まだ)いない、白人男と歩いている日本人は自分だけでありたい、相手の白人男が自分のより男前に見えるのが気に食わない、といった心理なのかな。顔や容姿に難癖をつける側、難癖をつけられた側の熱い応酬合戦は、分析癖丸出しの野次馬を標榜するワタシにとって今どき日本人の心理を垣間見るかっこうの材料というところ。釣りネタでもなんでも、どんどん楽しませてね。(この釣りネタという煽り目的の書きこみも増えた。だけど、釣られた人を笑うという楽しみがあるから、ある意味「はまって」いる・・・かな。)

まじめなところ、うっかり踏み込んで大きなあざを作ってから、ローカル掲示板を見るワタシの視線の変遷はワタシ自身の再構築の過程を映していると思う。自分が傷つくから、怒りや軽蔑の気持が溢れて来るから、心が痛むから読みたくないのに、駆り立てられるように読んでいた頃を振り返ると、自分が傷つくことはなくなったし、怒りも消えた。軽蔑する気持も「んっとにもうしょーのない」という苦笑に変わったし、心を痛めて然るべきことと、「バカにつける薬は」と笑い飛ばして然るべきことを見分けられるようになったし、のぞいてみる頻度も減った。そうか、これはワタシもやっと精神的に乳離れしたということかな。

これ、日本人の出世なの?

12月8日。さて、月曜日。勝手に設定した三連休、食べて、飲んで、ネットして・・・と、ほんとにだらだらと過ごした。こういうのもたまには悪くないなあと思うけど、これから数年先に引退して毎日がこんなふうになったら、ふむ、何日くらい持つんだろうか。ワタシはけっこう三日坊主でもあるから、文字通り三連休がいいところかなあ。

アメリカでは「パールハーバーデイ」と呼ばれる12月7日、オバマ次期大統領がエリック・シンセキ退役陸軍大将を退役軍人局長官に任命すると正式発表した。この人、イラク侵攻問題で「ラミー」ことラムスフェルド元国防長官に真っ向からたて突いた気骨で人望がある。だけど、日本の新聞は「日系の~」と、シンセキ将軍が日系であることを強調するような報道だった。なんか「日本人」がアメリカで出世したとでもいいたげな口調だったけど、アメリカの新聞は、シンセキ将軍は「アジア人」初の陸軍大将になった人だと紹介しても「日系人」とは言っていない。移民が築いた国ではどこから移民して来ようが、三世の代にもなればもう100%その国の人。ことさらに祖先の人種を強調するのは、あたかも人種が起用の要因という印象を与えて、その人の能力や実力を過小評価したり、否定したりすることになりかねない。まあ、こういう考え方は「単一民族」を誇る日本ではおそらく理解されないだろうけど・・・。

シンセキ将軍はアメリカ陸軍士官学校生え抜きの軍人で元アメリカ陸軍参謀総長。根っからの軍人で、それも「アメリカの軍人」。仮に戦争の相手が日本だったとしても、迷うことなく「東京空爆」を命令すると思うけど、日本では「同じ日本人」という「親近感」(あるいは血縁感覚)が先に立つのかな。もっともそういう「親近感」は日本人に限ったことじゃないけど、宴会でたまたま同郷の人がいるからと、いい機嫌でお酒を注いで「同郷のよしみだ、飲め~」と強要している光景も浮かんで来る。でも、こういう人に限って、「けっこうです」とか「日本酒はやりません」とか言われたら、「てめぇ、オレの酒は飲めねぇってのか」とと管を巻きそうだなあ。(ただ酒なら、一応おつきあいして、こっちも管を巻いてみせる・・・かな?)

結局は「日本の土の上で日本人として生まれたからには、一生涯日本人(日本国民)」なんだろうなあ。日本人=同じ日本人=同じ今どき日本人=(自分と同じ)。だから、世界のどこであろうと、「日本人」を見つけたら。「同胞のよしみで、なあなあなあ」と甘えと期待感を全開にして、期待が外れると「てめぇ、日本人のくせにでけぇ面しやがって」と管を巻く人がいるんだろうな。ま、こういう態度は自分に都合がいいときだけで、都合が悪いときは「あんなのといっしょくたにしないでくれ」と言うことになるらしいけど。てことは、ワタシが傑作をものにして、まかりまちがってカナダの総督文学賞をもらってしまったら、日本の新聞には「日系人作家(あるいは新日系一世だから「日本人作家」かな?)がカナダの権威ある文学賞を受賞した」と報道されるかもね。ぜんぜん日本語の名前じゃないから、ごていねいに旧名まで書いてあったりして。ま、(文筆力は別として)想像力だけはたくましいから、そのうちに傑作を世に出す確率は百万分の一くらいはあるかも。ひまになったら、考えてみようっと。

ワタシの還暦の年も終わりに近づいて、次はいよいよ「定年」の65才が節目。もっとも、カナダでは年齢による差別にあたるということで、「65才」で強制的に退職させることはできないことになっているし、自営業のワタシは自分が雇用主でもあるので、定年なんてどこの話かいなということになる。それでも、4年後の今頃はもう厚生年金(CPP)と老齢年金(OAS)の受給手続きが完了していなければならないから、やっぱりときどき「どうするかなあ」と考えてしまう。今の時点では、65になったら、2つの年金と事業所得の合計が老齢年金の支給額を減らされる年収ラインを超えない範囲に収まるように仕事量を調整(それほど急に減らさなくてもよさそう)、その後は少しずつ減らしながらも私的年金を積み増して、70才になったら完全引退・・・といった構想を描いているんだけど、過去の10年の実感的な長さを考えたら、これからの10年だって、きっとあっという間に経ってしまいそうな予感。ふ~ん、傑作を書くような時間って、あるのかなあ・・・

お気楽なひとりショッピング

12月9日。またまた午後が期限の仕事にがんじがらめ。ゆうべはまたちょっぴりサボってしまったから、自業自得。ぎりぎり10分前にすべり込みのセーフ。ああ、やれやれ。今日は英語教室へ行くカレシに便乗してモールへショッピングに行く予定だから、そのまま大特急で食事のしたくを・・・と、あたふたしていたら、真っ赤な「大至急」マークのついたメール。うわぁぁ、やらなくてもいいといわれていたところまでぜんぶやってしまった!仕事が詰まっているのに何たるむだ骨!あ~あ、なんかチョンボやっちゃうなあ・・・

ガス欠で息切れしちゃっているのか、なんか揺らぎがちだった精神状態が落ち着ききっていないのか。「まあ、年だからね」と言ってしまえばそれまでだけど、ワタシはまだ還暦だぞ。人生はこれからってときなのに。やっぱり、ねじを締め直して、鉢巻を締め直して、腕をまくり直して、しゃきっと座り直して、気合を入れるしかないなあ。とりあえず大きなメイシーズのエコバッグ持参で、モールの近くで下ろしてもらって、さあ、2時間とちょっとの「自由時間」で脳みその凝りを解きほぐそう・・・

まずは来年のカレンダーの調達。日本のように名前入りカレンダーを配るのは保険代理店や不動産屋くらいのもので、12月更新の保険はないし、不動産屋も無縁なもので、ただのカレンダーに縁がない。のほほんとしていてつい買い忘れると、新年が明けたのにめくるカレンダーがない!ということになる。気を利かせて翌年のを最後のページにつけ加えたものもあるけど、1年12月をぺらっと並べたもので、「新年」の改まった気分にはならない。毎年この時期になるとモールにカレンダーを売る屋台?が出る。でも、年末近くはデザインのいいものは売れてしまって、1年中つまらないのを眺めるはめになるから、カレンダー選びはけっこう重要な年中行事ってわけ。まず、常連客にクリスマスカードと一緒に送るのを決め、キッチン用(ビストロをテーマにした愉快な絵)を決め、オフィスのワタシの分(パウル・クレーの絵)とカレシの分(ヨーロッパのすてきな風景写真)を決める。合計5枚でしめて100ドルといい値段。

次にデパート(といっても、モールのデパートはちっちゃい)の地下に降りて、クリスマス用品をチェック。カナダのデパートの地下の売り場は伝統的に「バーゲン売り場」だったんだけど、いつのまにかそんなものはなくなってしまったなあ。30年前はバンクーバーにデパートが4つもあったのに、2つ倒産して、残るは2つだけ。ワタシが行くモールにはそのうちのひとつしかなくて、隣にアウトレットのような安売り系列店がある。まあ、これが今風の「バーゲン売り場」なのかもしれない。モールが所得水準が平均以上と平均以下の層が分かれるところにあるもので、倒産したデパートを買い取った今の会社が低所得層も呼び込もうと、売り場をデパートと安売り店に分けたらしい。初めのうちは二階の駐車場と地下の売り場から二つの店を往来できたのに、いつのまにかそれもできなくなった。住み分けということか・・・

カレシから携帯に「これから行く」と電話がかかった頃には、ワタシの手にはメイシーズのバッグの他にデパートのバック。どっちも重いし、足も膝も痛いから、スーパーでの買いものはお預け。「荷物がいっぱいだから、スーパーの前で待ってるね」。約15分後に現れたカレシ曰く、「うは~、すげぇ」。LEDのクリスマスのライト3箱(計150個)。つららのクリスマス飾り。アミューズブーシュに使う小さいお皿とボウルを3種類、8客分。シリコン樹脂のマフィン型大小を2箱ずつ。おまけはでっかいクリスマスストッキング。まあねえ、ワタシに2時間もモールを徘徊させたら、まずこういうことになるんだけど。「全部でいくら?」とカレシ。う~ん、レシートを見てなかったから知らない。「経済に貢献したぞ」とカレシ。あ、そう?だったら、また明日もがんばるけど・・・

おじゃましますビザ

12月10日。あら、就寝は午前5時近かったのに、なんだか機嫌よくお目覚め。サウンドマシンの音をホワイトノイズから降りしきる雨の音に変えたせいかな。ぴちゃぴちゃという雨だれの音はかなりの精神安定効果があるらしい。外はまぶしい晴天。寒くなりそうな予感。

ささっと起きて、朝食をすませて、寝る前に後は見直しをするだけの段階まで終わらせてあった仕事を完了して送信。カレシの提案でモールにある旅行代理店へ行くことになっていた。だけど、まずは酒屋へ。忘れないうちにとシャンペンを2本、1960年のアルマニャック1本(品切れが近そうな予感)、切らしていたお気に入りのレミー(VSOP)を1本、ベルモットを1本。ワインも赤ばかりになったから、少し白を買おうかなと思ったけど、バスケットがいっぱいで、次の機会に・・・。

2月のオーストラリア行きの飛行機のスケジュールを調べていたカレシ。航空業界が不安定な時期を反映しているのか、2ヵ月前に出た値段より2千ドルも安くなっている。だけど、バンクーバーからはシドニーへもシンガポールへも直行便というものがないから、どこを経由するのが一番かという選択をられる。ここが実にややこしいところで、シンガポールへは香港経由かソウル/仁川経由。ロサンゼルス経由というのもあるし、成田経由もある。値段もそれぞれ雲泥の差だし、乗り継ぎ時間も千差万別で、すっかりこんがらかってしまったカレシ、「トラベルエージェントにやってもらう」と言い出した。そうねえ、アジアは日本しか行ったことがないし、何しろすごく長いフライトの連続だし・・・うん、ここはプロの出番かもね。

というわけで、カレシは調べて印刷して資料をエージェントのゲイルさんのデスクに広げて、日程を説明。最初はバンクーバー→シドニー→シンガポール→バンクーバーの線で計画を立て始めたのが、バンクーバー→シンガポール→シドニー→バンクーバーになったのが、どうも、シンガポールは最初は経由地として素通りして、帰りに同じ経路をたどって「寄り道」したらどうかということになった。出発日も帰着日も変わるなあ。でも、シドニーでの予定は動かせないとなると、そこから逆算して、出発は2月の第一週の終わりで、バンクーバー→(ソウル/仁川)→(シンガポール)と経由して、シドニーに着くのは最初の予定通りの11日。途中に寄り道があるとしても、合計して約26時間という、二人ともこれまでに経験したことのない長時間の旅。うは~、し~らない。

でも、航空会社はサービスがいいと評判のシンガポール航空だから、なんとかなるんじゃないのかな。この際だからちゃんと旅行保険の手当てもしてもらって、シンガポールでのホテルもレストランのたくさんありそうなところに探しもらうことにして、この分ならゆったりした気分になれるか・・・と思ったら、なんと、カナダからオーストラリアに行くにはビザがいるんだそうな。これまではビザ不要のところばかりだったから、考えても見なかったんだけど、それもパスポートを持っていけば手続きをしてもらえるいうことで、ほっとした。やれやれ、よその国の入国ビザなんか先進国ならもう無用になったかと思っていたのに。

カナダの永住権を取ったばかりの頃に、日米間にビザ免除の協定がなかったので、アメリカ領事館へ行って日本のパスポートにB-1観光ビザのスタンプを押してもらったっけ。無期限で何度でも往来できるものだった。(そのときに移民官に「どこでアメリカ英語を覚えたの」と聞かれた。「先生がオレゴン州の出身者ばかりだったので」と答えたけど、あの頃はわりかしコテコテのアメリカ英語を話していたらしい。今はたぶんカナダ英語になっているんだろうけども。)だけど、成田での指紋採取もちょっぴりスリルがあったけど、ビザを持って他国を訪問というのも、なんとなく玄関で「こんにちは~。おじゃましま~す。これ、粗品ですが~」てなスリルを感じるから不思議だなあ。

経済は自転車操業なのだ

12月11日。やっぱり雨が降るぴちゃぴちゃという音は安眠効果があるみたいで、このところ、かなりよく眠ってる。今日はまぶしいくらい明るい空模様だけど、バンクーバーの冬はこの晴天続きが曲者。北からの冷たい高気圧が頭お上にあるということで、どんどん気温が下がり出す。それで、下がりに下がって氷点下になったところで、高気圧が緩んで南から湿った低気圧が入り込んでくると、雪。雪が5センチも降ったら、交通は大混乱。市民はあわてて雪かきシャベルを買いに走り、タイヤのチェーンを買いに走り・・・なぜか毎年そんな光景が繰り広げられる。ひと冬に一度は雪が降るんだけどなあ。

デトロイトのビッグスリーを救助する法案がアメリカ上院で否決されたらしい。共和党と民主党とであれこれ妥協案を模索したけど、賃金をトヨタやホンダのような外国メーカーの米国工場での賃金レベルに落とせという要求を自動車労働組合が蹴ったせいで、とうとう妥協にいたらなかったという。自動車産業は長いことアメリカの基幹産業だったから、労働組合のごり押しパワーは強大で、賃金は断トツに高いし、featherbeddingと呼ばれる、黙っていてもコスト高になるような労働協約ができている。組合が入っていない外国勢に比べて、賃金は時給で3~4ドルも高いんだそうで、つまり、ビッグスリーは年間の一人当たりの賃金が何千ドルも多く、1万人雇えば軽く何千万ドル、10万人雇ったら何億ドルの差がついてしまう。だけど、トヨタもホンダも社員はそれぞれの賃金でやって行けてるんだから、賃金カットを受け入れて職場を守った方が、組合としても得策だろうと思うんだけど、まあ、労働組合と言うのはどこの星の人かいなから来たのかいなと思うような人間の集まりみたいなところがあるからなあ。

クリスマスまであと2週間・・・てことは、今からプレゼントを注文しても、間に合わない!宅配便にしても間に合わないだろうなあ。国境での通関が混みあうだろうし、郵便公社は内勤職員の組合がスト中で、裁判所が郵便トラックの出入りの妨害行為を禁止命令を出したけど、遅れは必至だろうし、いつもの10日で届くかもしれなくても、注文の発送処理が終わる頃には週明けだろうから24日までには間に合いっこない。はあ、どうしてこうなっちゃうのかなあ。そういえば、クリスマスカードもまだ積み上げっぱなし。日本へのお歳暮宅配の注文もまだ。この週末にはツリーを飾ろうと思っていたんだけど、週明けまではお預けかなあ。困ったもんだ・・・

何しろ仕事が途切れてくれない。年末の駆け込み需要といっても、世界中で不景気が忍び寄っているご時世のはずじゃなかったのかなあ。もっとも、ビジネスがモノやサービスを作ったり売らなくなったら、世の中の経済活動がストップしてどえらいことになる。考えてみたら、「経済」ってものはあんがい究極の「自転車操業」なのかもしれない。だったら、世界経済(フラフープ)を回し続けるためにもここはひとつ腕まくりしてがんばろう、というのは大げさだけど、仕事はいったいいくつあるのか・・・大小4つ。ふむ、サーカスみたいにそんなにたくさんのフラフープを回せるんかいな・・・。

冬将軍様のお出まし~

12月12日。またまた電力会社が朝っぱらから家の外でなにやらやっている。今度は家の南側のマンホールにもぐっての作業と西側(玄関前)の電柱に上っての作業が同時進行。やれやれ、二面作戦で来られては、かなわんなあ、もう。さすがのカレシも文句を言い疲れたって顔。昼過ぎにはみんな姿を消したから、まあ被害?はカレシが睡眠を2時間ほど削られたことくらい。(極楽とんぼはその名の通り、ほとんど眠り通してしまったのだった。)

朝食がてらテレビの正午のニュースをつけたら、ほお、メトロバンクーバーはかなりの雪模様だったらしい。この冬初めての降雪で、お隣バーナビーの向こう端の山のてっぺんにある大学は期末試験が中止。誰があんなところに大学を建てようと考えたのかしらないけど、雪が降るたびにバスが坂を登れなくなって止まってしまうので、大学は休校。試験勉強の時間が増えたからいいだろうと言うけど、学生にしてみれば、この週末は試験明けを祝って遊ぶぞ~と意気込んでいただろうから、この雪はいい迷惑だろうな。ダウンタウンも上空ではけっこうな降りだったらしい。ケベック州でスノータイヤ装着を義務付ける法律ができたおかげで、全国的にスノータイヤが品不足になっているそうだけど、バンクーバーなら全天候タイヤで(だいたいは)まず十分。

だけど、いつものように我が家の周りには雪が降った痕跡はゼロで、本格的な雨模様。日当たりのいい南斜面だから、冬はメトロバンクーバーで一番暖かく、夏は海風のおかげで一番涼しい。だから、小高くなっている41番アベニューのあたりまでは雪が降っていたのに、そこを過ぎると雨に変わるということがよくある。同じ市内でも場所によって天気がまったく違ったりするからおもしろい。天気予報は今夜も冷え込んで雪模様とか。う~ん、明日の朝は銀世界になっているかな?夜なべ仕事の今夜は、ちょくちょく休憩して様子を見てみようっと。

明日の朝が期限の仕事。裁判での鑑定人の報告とかで、なんかすごい事故があったらしい。まあ、これは機械のナットやボルトの話だからいいけど、「何でも屋(Generalist)」の看板を掲げて翻訳稼業をやっていると、頭の半分を爆風で吹き飛ばされた人の検視報告とか、「げぇっ」となるような話に出くわすこともある。(元々から法医学に興味があったもので、実際は「げっ」くらいですんで、「げろ~」までは行かなかったけど、実際の話となるとやはり犯罪小説なんかより迫力がある。ま、これは引退したらの思い出話にとっておこうっと。)

さて、両腕を高々とまくりあげて、3本くらいねじり鉢巻をきりりと締めて、今夜はぶっとばすぞ~

雪の降る夜は

12月13日。ローカルの仕事を終えて、「送信」をクリックしたのが午前4時半。土曜日の朝一番が期限というのはなんだか日本的な仕事ぶりに聞こえるけど、まあ、自営業なんてのは週末もへっくjれもないのが普通かもしれない。カレシは「もうだめだ」といって、先に寝てしまっていた。ローマ字日本語のスペルが混乱してきて、指も言うことを聞かなくなってきて、なのにあと○○ページもある、と焦っている極楽(地獄?)とんぼにとってはそのほうがありがたい。だって、仕事が詰まってくるといつもあ~だこ~だと突拍子もないことを話しかけて注意をそらそうとするのがカレシ。日本語訳で時計と競争しているときは「うるせぇやい!」とぶっとばしたくなってしまうのだ。こちとら耳は二つあっても、脳みそはひとつっきゃないんだってば~。

正午を回って起きたら、ん、外はちょっと明るい。ん、雪明りかな?と思って、外を見たら、ん、雪が降った形跡はない。なあんだ、がっかり(していいのかどうか)。起きぬけの身づくろいをしていたら、外れてプラプラしていた足の小指の爪がとうとう取れてくれた。23日前に、下に新しい爪が三分の二くらい生えていたので、乳歯が抜けるのを指折り数えて待つ子供みたいな心境で、まだかなあ。もっとも、足の爪じゃ、Tooth Fairy(抜け歯の精)は来てくれないだろうけど。爪も生きものだから、死んで乾いてくると丸まって来てまだ新しくて柔らかい爪を締め付けるから痛い。それが取れたからひと安心のやれやれ。新しい爪はちっちゃくて、ピンク色なのが赤ちゃんの爪のようで、かわいい。自分の足なんだけど、なんかすごく愛しくなってしまうから不思議。

今日の夜は隣のパットに、彼の友人宅でのクリスマスパーティに呼ばれている。「住所はここ。6時くらいに来て」と急に言われて、めんくらってしまったけど、パットはいろんなボランティアをしているから、その関係の親しい人の家でのパーティなんだろうと思ってOKした。「知らない家にパーティに行くのは大学時代以来だなあ」とカレシ。(10代後半から20代初めにかけては、どこかでパーティがあると聞きつけると、呼ばれていなくても悪友どもと誘い合わせて押しかけたそうな。)手持ちのワインを1本ぶらさげて行ってみたら、あ~ら、まるで国連総会。白人系、黄人系、黒人系が入り混じって、おまけにカレシの元同僚もブロックの反対側のご近所さんもいて、なんだ世界ってやっぱり狭いじゃんと、さっそくワタシはおしゃべりプールにじゃっぽ~ん・・・。

パーティがお開きになった頃には、本格的に雪が降り始めていた。積もりそうな勢いで降っている。50年ぶりという月の大接近で、大きくて明るい満月が見られないのは残念だけど、街灯の明かりの下でひたすら舞い踊る都会の夜の雪もなかなか乙なもんだ。週明けには晴れてくるけど、最高気温が氷点下になるという予報。郊外でマイナス10度なら、我が家のあたりもマイナス5度近くまで行きそう。冷え込んでくると、やっぱり「道産子」の血が騒ぎ始めるような気がする。DNAに組み込まれた北極ぐまの遺伝子が遠吠えしていたりして。幼い頃に(あるいはなつメロ番組で)聞いた『雪の降る街を』という歌は、どうしても北海道の雪の風景とは異種という違う感じ。だって、「この哀しみを~」とか「このむなしさを~」とか、そんな感傷に浸ってたら、街中でも凍死してしまうべさ。

ゆうべ、二階の窓から外を見ていたら、1匹のコヨーテが家の横の「歩道」をとことこお散歩気取り歩いていた。ゴルフ場の中にいるのを見かけたことはあるけど、こんな近くで見ると、これが以外に丸々として恰幅がいい。ゴルフ場のメタボたぬきにメタボリス、近所のメタボ猫にメタボ犬を食べ飽きて、コヨーテまでがついにメタボになっちゃったのかしら。それにしても、いかにもふてぶてしい足取りが印象的だった・・・。

2008年を代表する漢字に「変」が選ばれたそうな。「変化!」と叫んだのはオバマさんだけど、「変」にはいろんな意味があるなあ。改変、変更はまだいいけど、変動となるとちょっと?の予感。異変、変人、変質、変態となると、う~ん、どうみたって、変、変、変。(極楽とんぼは変人じゃなくて「変種」だからね・・・。)ロイター通信の「Oddly Enough」というページを日本の新聞社が『世界はきょうもヘンだった』とか言うタイトルで日本語訳している。いや、ほんと。変なのは世界中らしい。ワタシとしては、やっぱり「呆」がぴったしだと思うんだけどなあ・・・

カレシのスリップ事故

12月14日。おお、まぶしい銀世界。でも、たいして積もらなかったようで、道路はアスファルトが露出している。この分なら買い出しやおでかけにはさして支障はなさそうだけど、屋根の雪が解けていなさそうなのが気になる。ポーチの温度計は頑として氷点下のままで、天気予報をみたら、予想最高気温は週末までマイナス記号がずらり。最低気温は-5℃から-8℃くらいまで行くらしいけど、ロッキーの向こうのカルガリーは最低気温-30度で、風があるから「体感温度」は-40℃とか-50℃と、外へ出たとたんにバシッと凍ってしまいそうな気温。もっとも、冬の間1日中氷点下があたりまえのところで育ったワタシの記憶だと、-20℃を切ったら、あとは何度になっても「しばれている」ことに変わりがなかったような・・・。

今日はモールの旅行代理店にでかけて、オーストラリアの観光ビザの手続きをしてもらった。承認されたという証拠の書類をプリントしてもらったけど、電子ビザなのでオーストラリアの入管でパスポートをスワイプしてビザの有無が確認されるらしい。シンガポールでは出国のときに指紋を取られるんだそうな。へえ、日本やアメリカとは逆なんだ。なんでだろうね。チケット代を払って、旅行の中止や中断、フライトのキャンセル、盗難、医療等々、まとめて保険をかけて、後は発券を待ってシンガポールのホテルを予約してもらえば、大旅行?の準備はほぼ完了。カレシが頭を悩ませていたことが、ゲイルさんの手にかかるととんとん拍子に進んで、さすが、餅は餅屋。おまけに今回は手数料なし。「明日からはかかるけど」って・・・どうやら会社の営業方針が変わったばかりらしいけど、へえ・・・。

帰りに立ち寄った青果屋。車に書類を置きに行ったカレシがげんこつを血だらけにして戻ってきた。すぐ外の階段で氷に足を滑らせて下まで転げ落ちたんだそうな。階段といっても、3段ほどだったのは不幸中の幸い。青果屋の人に「外で滑って転んだんですけど、血が止まらないので、ティッシュもらえませんか」と言ったら、オフィスのようなコーナーにいた店長らしい人が「救急車、呼びますかっ?!」と真っ青。あのですね、指の関節を2、3本すりむいただけなんですけど・・・。まあ、店のすぐ外での「事故」だから、損害賠償の訴訟でも起こされたらどうしようと思ったのかもしれないな。そこら中を引っ掻き回したけどティッシュは見つからなくて、奥の小部屋を探し回って絆創膏を見つけてくれた。売り物は食品だから血がついたら困るからねえ。おかげでカレシのげんこつは絆創膏をべたべた張って、まるでボクサーの手みたい。

買い物が終わって外へ出たら、「事故現場」の階段は、ステップの縁を示す白線の上に氷が張っているのが上からはわからない。ふむ、これでは滑って足を踏み外す人が続出しかねないなあ。帰り道はワタシが運転代行して、着替えのときに点検したら、腰と肘に青あざができていた。でも、骨はまだまだ頑丈だってことが証明されたようなものだから、良しとしなくちゃ。もしも、80代だったら、ママが転んだときのように骨折事故だっただろうねえ。この天気では四輪だけじゃなくて、二本足でもスリップ事故が起きるのよね。いくら旅行中止保険をかけたからといって、けがをして行けなくなったらつまらない。Be mindful。気をつけなくちゃあ・・・

めっちゃしばれてます

12月15日。ううぅぅ、しばれてるなあ。植木も何もかも、凍ってしまったみたいにそよとも動かない。でも、ずっと郊外では強風が吹き荒れて、何万戸も停電したとか。あっちの方はバンクーバー市内より気温が数度は低いから、電気がないとたまったもんじゃないなあ。集中暖房のファンが動かないし、調理もままならない。運悪く停電が長く続いたら家の外と中が同じ温度になってしまう。テレビには吹き飛ばされた看板や倒壊した温室なんかの様子が映っていたけど、我が家の周りはほんとにそよともしないから、どうなってるんだろう。

電気といえば、起きぬけのカレシのご機嫌が斜め気味だと思ったら、また外のマンホールを開けてなにやらやっている。寒いからだろうけど、歩道にテントを張っての作業。まあ、10丁先の地下鉄駅に電気を供給するために新設した系統なもので、稼動前にいろんな試験をする必要があるんだそうな。(ここまではは、カレシがコールセンターにごねまくって電力会社の担当課から電話をさせてやっと聞き出した。公共事業だというのに、ヘンなところで秘密にしたがるヘンな人たち・・・。)でも、コンプレッサらしいモーターの音がするだけで、家の中でベースメントにいればほとんど聞こえないんだけど、カレシはそれでも癇に障るらしい。外へ出て行って聞き出してきたところでは、どうやら明日とあさっても作業があって、その後は「これで全部終わり」だそうな。ふむ、前にも工事のたびに同じせりふを聞いたなあ。「これで(おれ達の仕事は)全部終わり」・・・って。

だけど、おかげでカレシが明日とあさってはクリスマスの「ごちそう」の買い出しに行こうと言い出した。ワタシに何重にも輪をかけたような出不精のカレシが「買い物」なんて一番めんどくさがることをやろうというのは、「外の音から逃げたい」という意思表示。やっぱり単に騒音が気になるってものではなくて、聴覚と情緒がめちゃくちゃややこしい絡み合いになっているんだろう。端から見れば不合理な反応に見えるんだけど、一種の「感覚処理障害」みたいなものがあるんだろうな。まあ、ワタシは津波みたいに続いていた仕事の波が緩んだことでもあるし、カレシの気が変わらないうちに、行こ、行こ!

すぐにひとつ仕事を入れられてしまったけども、お歳暮の注文がすんで、我が家の消費分の注文も確認が来て、やっとクリスマスカード書きにかかった。もう17年近くも前に子宮摘出手術をしたときに、同じ病気で隣のベッドにいて仲良しになったボニーから今年もまたカードが届いた。彼女も引退して終の棲家に落ち着いたので、「ちょくちょくメールでおしゃべりしない?」とメールのアドレスが書き添えてあった。ああ、うれしいなあ。小学校時代の友だちも今年は同じく還暦を迎えて、どうしているかなあ。ワタシにはつかず離れずで息の長い友だちがたくさんいる。牽牛織女よろしく年に一度だけ近況を知らせあう付き合いでも、ワタシは忘れないし、向こうもワタシのことを忘れないでいてくれる。こういうのが「ほっこり」した友だち付き合いなのかもしれないね。

さて、この寒気、ひょっとしたらクリスマスまでずっと続くかもしれないとか。局地的な気圧系がうろうろするもので、どの地域にどれだけ雪が降るかを予報するのが難しいそうで、バンクーバーに降った11センチは「想定外」だったんだそうな。最低気温はマイナス二桁に近くなると聞いて、外からコードを引き入れて、温室にもうひとつヒーターを入れた。ううぅ、電気料金が膨らむなあ。温室はカレシの趣味。趣味はお金がかかるもの・・・だよね。だけどなあ、今年は電力会社に何度も安眠を妨げられて、カレシはストレス溢れんばかりでも切れずに「がまん」して来たんだから、BCハイドロさま、ちょっとくらいは見返りってものを考えてもらえませんかねえ・・・な~んて、そんなこと、考えるはずがないよなあ。

午後11時半。マイナス5度。ううぅ、今夜はしばれるぞぉ・・・