GM破綻とコレステロールと
6月1日。いよいよ6月!と、張り切ってみたところで、カレンダーの絵が変わったくらいで、別にきのうと何かが違うわけじゃない。「仕事せにゃ」とはっぱをかけるわりにはだらだら。今日は暑いなあと思ったら、ずっと内陸の郊外では26度もあったそうな。ところが、オンタリオ州のどこかでは雪が降っているという話。へえ。
今日から陸路でカナダとアメリカの国境を越えるのにお互いにパスポートが必要にになった。この世紀はテロリズムの時代だから、「世界一長い無防備の国境」なんてかっこよがっている場合ではない。チップを埋め込んだ特殊な運転免許証で代用できるらしいけど、空路のアメリカ入りにパスポートがいるようになって以来、カナダでは全国的に53%、BC州では60%以上の人がすでにパスポートを取得しているそうだし、普通に往来するカナダ人は指紋を取られないから、だいたいは「あ、そう」という反応らしい。よっぽど経済的影響が大きいのは、取得率が30%前後というアメリカ人がめんどうくさがってカナダへ遊びに来なくなること。先週ジョージ・ブッシュとビル・クリントンがトロントで公開対談をやりに来ていたけど、新しい規則のことを聞かれて二人とも「それは知らなかった」と言ったそうな。(パスポートが必要になる前にお帰りになって良かったね。)さて、今年の夏休みの行楽シーズンはどうなることやら。不景気だっちゅうのに・・・
そのアメリカで創業100年のジェネラルモータースが日本の民事更生にあたるという「チャプターイレブン」を申請して、事実上の倒産。政府が筆頭株主になって事実上の国有化。自由資本主義のアメリカで大企業の国有化なんて、と思うけど、アメリカの民主党は意外と社会主義的なのだ。クライスラーに次いでGMの破綻で、ウォール街は・・・と思ったら、ダウ平均は急上昇。あらまあ。もっとも「潰れる、潰れる」といわれて来たから「やっと・・・」という気分だろうし、巷では景気回復の芽生えもあるらしい。どうも創業100年あたりで潰れるケースがけっこうあるようだけど、長いこと君臨していれば、雲の上の「裸の王様」になってしまうのかもしれないな。希望退職した組立工の年収が12万ドル(1千万クラス)だったそうな。うわ、共働きの多いアメリカの「世帯」あたりの平均所得の倍以上だ。高給の上に医療費や年金まで手厚くめんどうをみてもらって、それで作る車がイマイチ・・・。労働組合も働く人もみんな「裸の王様」になっていたってことだなあ。
カレシのコレステロール問題は対応の体制が一応軌道に乗ったところで、疑問がたくさん出て来た。赤身の肉は月1回程度というけど、なぜ鶏肉は良くて赤身はだめなのか。エビやイカはコレステロールが多いと言うから食べない方がいいのか。酒類はワイン1杯というけど、なぜ他の酒はだめなのか。二人してググって回ってみたけど、矛盾する情報がどっさり。気をつけて見るとサプリや健康食品の広告リンクがずらりと並んで、信憑性や公平性があやしいものも多い。これじゃあ自分に都合のいい情報だけを切り取りする人も増えるわけだなあ。(やっぱり小学校から第4の「R」、つまり「リサーチ(情報収集と分析)」を教えないと、玉石混交の情報社会を生きられなくなりそう。)
それでもかなり信憑性のある総合的な情報が見つかって、コレステロールの80%は体内で脂肪を原料にして作られていること、魚貝類は良いコレステロールの方を多く増やして、中性脂肪のトリグリセリドを減らすこと、アルコールは少量なら健康にいいけど、飲みすぎると体内で作られるトリグリセリドが増えること、コレステロールに関する限りは、赤身の肉そのものよりは肉についてくる「脂身」に含まれる飽和脂肪酸が悪いこと、などがわかった。つまり、調理方法を工夫して飽和脂肪酸を除外すれば、赤身の肉も少しくらいは食べていいというわけ。悪いコレステロールにしても人間の体が機能する上で不可欠だから体内で作っているわけで、要は、作りすぎて在庫がだぶつかないように「生産調整」をして、生産分は「販売促進運動」をやればいいってことだな。人間の体の働きというのはすごいビジネスなんだ・・・。
ちっともオチないブログ
6月2日。なんか夏っぽくなって来たと思ったら、一気に真夏になってしまった感じ。今日ポーチの温度計は午後2時で摂氏25度。うわ、バンクーバーじゃ真夏日だよ、これ。予報では週末までノンストップで「太陽がいっぱい」。そっか、夏なのか。ま、毎年のごとく、忙しがっているうちに、え、もう秋なの?ってことになるんだろうけど。
日本でも花粉アレルギーを振りまいている雑草の話を訳していて、ググって見つけた「花粉満載」の写真。うわ、見ているだけで鼻がむずむずしてくる。普通のもあるけど、大型種となると人間の背丈の倍以上にも育つというからすごい。それがわっと飛ばす花粉は200キロ離れたところまで届くことがあるというからますますすごい。そのくらいの生命力だから、よそ様の土地に侵入して、憎まれっ子としてはばを利かせるんだろうなあ。(極楽とんぼのことじゃないよ・・・)
小町で喧々諤々の議論になっているのが『オチのないブログ』。「楽しかった~」、「おしかった~」ではもの足りないんだそうな。読むほうのテンションが下がるからオチをつけろということらしい。日本は圧倒的な「ブログ大国」で、その圧倒的な数のブログの圧倒的な割合が「個人の日記」的なものだと、アメリカのどこかの新聞にあった。そうだろうなあ。日本語のキーワードで資料を探していると、ものすごい数の個人のブログ(と通販サイト)がヒットして、いくらページを繰っても、使える情報が出てこないということがよくある。英語のキーワードで検索すると企業や大学や官庁のサイトが多くて、個人のブログはそれほど出てこない。まあ、日本では平安の昔から「日記文学」というジャンルが発達していたから、そのデジタル版だと思えばいいだろうな。
苦情の趣旨は、「見てと言われたから見てみたらオチがなくてつまらなかった。こっちのテンションが下がるからオチをつけろ」ということらしいけど、ネット上で公開しているとはいえ、日記とあまり変わらないブログにオチなんてなあ。オチがないからつまらないと言う人は、お寒いギャグ満載のバラエティ番組を見すぎたのかもしれない。会話やブログにまで「オチ」を要求するらしいのは、裏を返せば「笑わせてくれ」ということで、世の中の閉塞感を反映しているのかもしれないけど。もっとも、見に来てくれとしつこく言われて行って見たら、「ブログランキングで今何位です。もっと見に来て!」としか書かれていなかったという、傑作ブログもあるらしいけど、そんな豪傑?でなくても、コメントを残せと強要するブロガーはコメントを数えるのを楽しみにしているのかもしれない。まあ、携帯が普及し始めた頃は「電話帳」に記録した番号の数を数え、SNSが普及すればマイ何とかの数を数えるのと同じ、一種の「自己肯定」の手段なのかもしれない。
要するに、個人のブログは動機も目的も視点もスタイルも、個人なんだから千差万別。お義理で読んで「つまらない」と掲示板で愚痴っても変わるもんじゃない。と、書いているこのブログだって、つまんないだろうと思う。だって、思うことをとりとめもなく書くだけで、さっぱりオチないし、ちっともほっこりしてないから癒しにはならないし、すてきなインテリアの写真もなければ、おしゃれなカフェでのランチやショッピングの話題もないし、「カナダ生活」の情報発信なんてのはまだ見るもの聞くものが珍しくてしかたがない新規移住組に任せているし・・・う~ん、じゃあ、いったい何のために書いているんだ、これ?
料理は後で使うための記録になっているけど、やっぱり「日記的」なものなんだろうなあ。ずぼらな極楽とんぼが近況報告を家族や友だちにばらまいているようなところもある。(そういう意味では、家族や友だちのブログを読むのは楽しみでもある。)未知の人たちもけっこう来てくれているらしい。きっと、「へえ、こんな暮らしをしている人がいるんだ」とか、「うわ~、ヘンなことを考える人がいる」とか、「な~に、この人?いったい何様!」とか、「オチがないじゃん。つまんないの~」とか、ちらっと「無言」のコメントが頭をよぎることもあるだろうな。だったら、とんぼはそれで満足・・・
教科書が教えてくれない英語
6月3日。ちょっと早すぎる真夏がまだ続行中。午後4時でポーチの温度計はなんと28度を示している。けさは、カレシがELSAの代講を引き受けて来たおかげで午前8時に起床。ELSAは政府が資金を出している移民向けの英語学校。資格のあるESL教師が1日3時間、週5日の授業をしている。教師は有給だから、無資格のカレシにも30ドルくらいの時給が出るわけで、そのせいか常勤の教師が休みたかったりすると気軽にカレシに声をかけてくるらしい。なにしろ午前9時からの授業なもので、いつもはうまく断わるらしいけど、今日は教師の勉強会があるということで、午前と午後のレベルの違うクラスを引き受けてきた。おかげで、朝日の差すキッチンでお弁当を作ってあげたりして、ちょっとした「出勤風景」の再放送ってところ・・・。
午後4時過ぎに「1日の勤務」を終えて帰ってきたカレシ。自分で用意した教材で授業をやったら、今回も生徒に「知らないでいたことを教えてもらった」と喜ばれたそうな。カレシはいろんな場面を描いた絵などを使って、カナダでの「普通」の暮らしの状況や人間関係でのコミュニケーションを円滑にする実際的な表現を教えるけど、本職の教師が教える学校では生徒の「レベル」に合わせて語彙を制限した教え方をするのか、「実用英語」になっていないことが多いような感じ。いわゆる「英語学校」では、英語という「言語」を教えられても、「日常でのコミュニケーションのための英語」は教えられていないらしいと、カレシは言う。
つまり、英語の習得度がまだ初級、中級の(英語人には「子供レベル」と感じられる)人たちが相手だからということで、「正しい英語表現」なんだけど「実際にはそういう言い方はしない」とか「そういう言い方をするとこういう意味合いに受け取られる恐れがある」とか「こういうトーンの時はこういう感情の表現」といったところまで踏み込んで教えていないということだろう。たとえば、ひと口にスラングといってもピンからキリまでスペクトラムが広い。「生きた英語」とか「ネイティブの英語」とかいう謳い文句を掲げる学校も多いけど、スラング表現に力を入れすぎて、生徒は「かっこいい英語」ができると思い込んでいたりする。でも、使っていい/使えない場面や相手などを理解しないまま使えば人物評価を下げてしまうことだってある。
まあ、「生兵法は怪我のもと」の典型例といえそうだけど、英語は敬語や謙遜語がなく、言いたいことをストレートに(歯に衣を着せずに)言える言語だと思い込んでいる人も多いから、知らずに失礼な表現で相手の気分を害していることもけっこうあるはず。そんなところから、相手には間接的に「これだから~人は!」という反感や偏見を生み、本人は「英語が下手だからバカにされた。人種差別だ」といきり立つという要因になっていそうに見える。たしかに、日本語と違って「敬語」という明確な語彙群や文法がないし、フランス語やドイツ語の文法と違って、相手が誰であっても「you」だけで済ませられる。だからといって、思っていることを言いたいように言っていたら社会は円滑に回って行かないから、言い回しや単語(ニュアンス)の選択、声のトーン、表情、ボディランゲージなどの手法を駆使する「待遇表現」を編み出して来たのだと思う。
ここで英語を教える方にも学ぶ方にもやっかいなのは、こうした文法や語彙以外の重要な要素が英語の教科書で説明できる具体的なものでないということだろう。カレシが正式に英語教授法を学んで資格をもっていたら、教科書通りに文法と語彙と発音ぐらいを教えていたかもしれない。しろうと教師として10年近くも試行錯誤で教えてきたからこそわかることもあるのだ。だから、その経験を生かして、移民のためのボランティア英語教師の養成をやったらいいのに、と一生懸命に背中を押しているんだけど・・・
怪獣KYサウルス出現!
6月4日。いやあ、何といっても暑い!テレビも新聞も急にやってきた夏の話で持ちきり。紫外線指数がピンと跳ね上がって、やれ日焼け止めを塗れ、直射日光に当たりすぎるな。だけど、ビーチは裸同然の人たちがごろごろ。と思ったら、郊外ではスモッグ発生で、慢性呼吸疾患のある人はなるべく外へ出ないようにとのお達し。ブタ風邪注意どころの話じゃない。なにしろバンクーバーの排ガスは海風に吹かれて、ぜんぶ川沿いに郊外へ流れて行く地形なもので、市内のほうが田園地帯の郊外よりずっと空気がきれいという、一種のねじれ現象が起きる。ああ、だけど外へ一歩出ると、暑いなあ・・・
発注元から「もっと論文調の堅いスタイルで翻訳せい」と言われていた仕事。論文調といわれても、元のスタイルが「主体」のぼやけたお役所文学の極めつきなもので、翻訳する方も、編集する方も「はあ?」という反応。「こんな風にやれ」と送ってきた別の論文と比べて見たけど、極楽とんぼが翻訳して、腕利きの編集者がレビューしたファイルのスタイルと、はてどこがそんなに違うのか・・・。だいたい、「する必要がある」という語句がやたらと出てくるけど、いったい「誰」がするべきなのかがわからない。まあ、直訳すれば「It is necessary...」で済ませられるんだけど、それでは「直訳調」すぎるのだ。日本語訳に「翻訳調」といわれる文体があるけど、英語訳にもそういうスタイルはある。たしかにあるんだけど・・・なんだよなあ。
パート2にかかるのになんか出鼻をくじかれた気分で、なんとなくだらだらしていたら、「要求があれば有料で書き直しをする。現針路を維持」と司令室から指令が飛んできた。イエッサー!やっと調子が上がってきたところで、書き直しを担当することになる編集者が「我々の文書とさして違いのないスタイルを手本にしろと言われても困る。読心術の心得がないのでいったいどうしてほしいのかわからない。それがはっきりしない限り別の文体に書き直すなんてムリ」。そう、そう。まったく象牙の塔のお人は何を考えてんだか。司令官はそれをそのまま発注元へ「回答」として送るつもりらしい。うん、がんばってくれ~、司令官殿
それにしても、日本語の特徴とされる「あいまいさ」は、奥ゆかしさでも慎ましさでもなんでもなくて、単に「意思の伝達に不可欠な情報」を行間に埋め込んで(あるいは意図的に隠して)、相手に意思を推測させようという陰謀みたいなものじゃないかと思えてくる。自分は考えるエネルギーを使わなくて済むし、相手が推測を誤ったら、結果として起きる誤解は「空気を読めない」相手の責任にできるわけだし。。(ん、このあたりはなんとなくカレシに似てなくもないなあ・・・?)だけどなあ、そうやって「正しく空気を読め」と互いに暗黙の圧力をかけあっていたら、みんな怪獣KYサウルスに恐れをなして、他人とかかわるのはめんどうだからごめんだと思うようにならないのかな。そんなことじゃあ、コミュニケーションは成り立たないんじゃないの?
まあ、比ゆ的に言うなら、ぼこぼこと立った埃も落ち着いたことだし、期限まであと2日、くじかれた鼻の機嫌を直して、エンジン全開でがんがんぶっ飛ばしたろ。
おもしろニュースばかりだったら
6月5日。今週ずっと続いていた異常高温。どうやら高気圧が弱まって、終息の兆し。だいたい6月の初めに25度を越える「真夏日」なんて早すぎるっつうの。湿気がないのが何よりもの慰めだけど、体機能も追いつけなくて、家の中にいると体感はふつうの6月で「暑い」と言う実感がない。それがドアを開けたとたんに「あっつ~っ」となる。まあ、週末は急な下り坂で、土曜日は雨模様、予想最高気温は14度。はあ、ちょっとばかり極端すぎない?
さて、今日のニュースは・・・と。ふむ、国交省が官僚たちに対人スキルを磨いてもらおうと、吉本興業のコメディアンを雇って漫才の特訓をしているんだそうな。入省4年の若手官僚90人がにわか漫才師って、ま、「国交」を掌るお役所なら、気の利いたジョークのひとつもかっ飛ばせるスキルが必要だろうな。いや、国土交通観光省だから、不況克服の戦略として「観光」に力を入れようという魂胆なのかもしれない。霞ヶ関寄席なんてよせよ~なんてね。行政にだけは下手なオチをつけて突っ込まれないようにした方がいいんじゃない?
カナダの造幣局で監査をしたら、金や銀などの貴金属の在庫が帳簿の記録より少なかったんだそうな。特に金はかなりの量が足りなかったとか。技術的に進んでいるカナダ王立造幣局は、自国だけじゃなくて世界各国の金貨や銀貨を作っているから、金や銀、パラジウムがなくなっていて、盗難の可能性も否定できないとなると国際的な信用問題。盗難防止策は万全で厳格というけど、造幣局へ新硬貨の鋳型をクーリアで送って途中でなくしてのほほんとしていたところだからなあ。あれは1ドルを紙幣から硬貨に切り替えたときで、結局新しい硬貨は公募で次点だった北極圏の水鳥「あび」になったのはいいけど、英語の「loon」には俗語で「気ちがい」の意味があったのは笑うに笑えない偶然。おかげで1ドル硬貨の愛称「loonie(ルーニー)」がカナダドルの通称になってしまった。のは、ご愛嬌と言っていいのかどうか。この「珍事」には、行方不明になった鋳型は10年後だかにどこかの倉庫の隅に置き忘れられていたのが見つかったというオチがついている。
日本で緑茶味のコカコーラが発売されるそうな。ネッスルが定番製品「Kit Kat」に日本で「えっ」というような味(枝豆味、ぜんざい味・・・)を付けた限定版を次々売り出しているけど、コカコーラまでそれをやっているんだな。まあ、珍しいもの好きの日本のことだから、そういうのを限定販売で出せば、話題性も手伝っていい商売になるんだろうな。ヘンな組合せといえば、オーストラリアでスーパーのお酒売り場を見ていたら、ラムやウィスキー、リキュールなどとコカコーラと組み合わせたものがいろいろあってびっくりしたっけ。コカコーラ入りスコッチって・・・う~ん、まあ、やめとこ。
東京在住のLeeさんという写真家がやっている「Tokyo Times」に載っていた「犬の洗濯機」に思わず爆笑。この人、東京を歩き回っては「えっ」というおもしろい風物を見つけて来る。ネーミングも含めてバカっぽくて安っぽいプラスチック美容道具にも笑わされるけど、このペットの犬のコインランドリーもおかしくて、それでなんとなくもの悲しいような。料金千円でペットを洗ってくれるキカイ。中からガラスのドア越しにオーナーに何かを訴えているワンちゃんの表情がたまらない。
ひとしきり笑ったところで、ごはんを食べて、仕事に精を出さなきゃ・・・
お月さまは何色?
6月6日。やっとエアコンがいらない普通の気候に戻ってくれた。ほんと、まだ真夏は早すぎるってば。雨の予報が少しずれたらしく、最高気温14度の予報は火曜日。ほんとなかあ。下がる、下がると先送りしているうちに秋になってやっと予報が当たったりしてね。カナダの地理的な広さを実感するのが気候のずれ。今日はロッキーの向こうのカルガリーでなんと20センチの雪がつもり、トロントでは早春の気候に逆戻りだそうで、西から東まで見渡すと冬、春、夏が同居している観がある。これも地球温暖化による異常なのかも。
夏が近づくと、高くなって行く太陽とは逆に月が低くかかるようになる。真冬に高々とかかって冷たく凍えてみた月が、地平線からあまり高くないところに大きく、ほのぼのとした感じの色でかかるわけなんだけど、明日の満月を控えた今夜の月、うわ、なんか汚れたオレンジ色。どよ~と汚い色をしている。1週間続いた異常高温で大気の質がすごく低下していたそうだから、たぶん空気が汚れているせいでお月さんの色も汚れてしまったんだろうな。2日くらい前も、午前3時過ぎにカレシに「見に来い」と呼ばれて道路へ出てみたら、ゴルフ場の林の切れ目、水平線ぎりぎりのところに不気味に暗くて赤い月が沈みかけていた。ちょうど空港のある方角だから、飛行機の排気ガスで空気が汚れてあんな色に見えるんだと思ったんだけど。それにしても、気持の悪い色だなあ。
さて、あしたは極楽とんぼ亭にお客さまがある日。あした午後が期限の仕事2件、がんばって終わらせておかなくちゃね。お月さん、おやすみなさい・・・
画期的な日曜日
6月8日。いつのまにか月曜日が終わりかけている。日曜日のきのうは、朝食もそこそこにがんばって仕事を終わらせて、極楽とんぼ亭にお客様をお迎えして、魚介づくし5コースのディナー。おしゃべりに夢中で写真を撮るのを忘れてしまった。赤身の肉は食べないけれど相当にレベルの高い食通の彼女からせっかく「三つ星」をもらったのになあ。メニューはかぶとスモークぎんだらのだし風味のポタージュ(前に作ったもの)、しょうがとしょうゆで味をつけて蒸したマヒマヒにあんずのクーリ、えびと豆腐のレイヤーケーキ(えびとネギのペーストを薄切りの豆腐と交互に重ねて蒸し固めたもの)、メインはオレンジラフィーのほうれん草ソースにキノアと焼きぶどう添え、サラダの後のデザートは自家製のソルベのトリオ(ライチ、マンゴー、ピーチ)。
少し熟れすぎのあんずにあんずのブランディを加えて、ハンドブレンダーで一気にピューレにしてできたのが「あんずのクーリ」。これがおろししょうがと少々のしょうゆをもみ込んで蒸したマヒマヒとぴったり合ったから、思いつきは大成功。オレンジラフィーと白ぶどうも相性が良かったし、白い魚にはフルーツが「秘密の味」。豆腐と重ね蒸しにしたえび団子は、えびとネギにつなぎの卵とパン粉少々を入れて、サンバルでスパイスアップしたのをフードプロセッサでペーストにしたもので、余ったのをラップに包んでいっしょに蒸したら、ちょっとえびソーセージのような仕上がりになった。なるほど、今度は「えびのソーセージ」を作って、冷製の前菜として出してみようか・・・
ディナーの大成功に大いに気を良くして、次の仕事にかかっていたら、どうもカレシのご機嫌がよろしくない。脈拍数がどうのこうのと聞いてくるかと思うと、背中が痛くて、胸骨にまで痛みが回ってくるとくどくど。脈拍を知りたいんだったらと、血圧計を持ち出したら、「血圧を計るのはいや」と駄々をこねる。脈拍の数字だけ見りゃいいじゃないのと、カフを巻いてスイッチを入れたら、あら、やっぱり高血圧第1期の下限あたり。「おかげで気が滅入ってしまったじゃないか」と怒り出すから、「だから血圧は見るなって言ったのに」と売り言葉に買い言葉。カレシは「背中や胸が痛くなったりして、何が悪いのか怖くて眠れないんだ。同情してほしいだけなんだ」と必死。
まあ、ひと昔だったらここで爆発的なけんかになったところだけど、「あなたは同情のされ方を知らない。暗に他人を威圧するようなもの言いをするから同情どころか反感を買うの」と、静かに言ったら、「ボクはつらい気持をシェアして、わかってもらいたいだけなのに」と、ますます必死になる。「ずっと前にあなたのママが私に言ったのよね。あなたは自分が不安で狼狽すると周りのみんなが同じく不安になって狼狽すべきだと思っているって。でも、それではみんなも同情したり共感したりする心の余裕がなくなってしまうのよ」と、こっちもちょっと必死に冷静な口調で言ったら、「そんなつもりじゃないんだよ。ボクの気持をわかってほしいだけなんだ」と、カレシは今にも泣き出しそうな子供の顔・・・。
少し前に、親からの言葉の暴力にさらされて育った子供は「言語性知能」が低くなるという研究結果が出たという記事を読んだ。言語で意思を疎通する機能に障害が起きるらしい。5才くらいの頃(両親の関係が最も険悪だった頃)のカレシは緘黙児だったらしい。育った環境の影響はあるんだろうな。要するに、自分の気持をすなおに言い表せない人なのだ。感情に触れない知識や他人の評価になると弁舌が立つのに、自分の気持は言葉で伝えられない。それで「(言えないんだから)言わなくても察してわかってほしい」という他力本願のコミュニケーションに頼る。そういうあたりはなんか日本人的な性格といえなくもないかな。言わなければわかってもらえない社会で、すごく生きにくい人生だったんだろうなあ。
ずっと、自分の気持を言葉で言い表すのが怖かったんだろうね。相手の反応が怖いのか、感情を吐露することそのものが怖いのか、よくわからないけど、わかってほしいのに言いたくても言えなかったんだろうね。それでどんどんストレスを溜め込んでいたんだろうね。でも、けんかにならずに、肩の力を抜いて静かに話し合うことができたのは、二人にとっては画期的なことだと思うよ。ベッドに入ってから、しみじみとうれしい気持で胸がいっぱい・・・
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6月9日。火曜日。てことは次の締切まであと2日半しかないってこと?どうみても4日はかかりそうな仕事なのに?てことはまた半徹夜ってこと?きのうは少し疲れた気分で仕事のペースが上がらなかったからなあ。日曜日の遅れにきのうの遅れをプラスして・・・あ~あ。でもまあ、二人の暮らしに「画期的」な前進が確実にあったわけだし、やっぱり仕事よりもそっちの方がずっと大切だもんね。
なんていいながら、すぐに仕事に取りかかればいいものを、ついニュースめぐり。それでふと目を引かれたのが朝日の記事の下の方に出てくるAd by Googleというやつ。たぶん記事の内容とIPアドレスに合わせてつながっていそうなものを検索して来るんだろう。思わず「え?」というようなのがあったりするもので、ついおもしろくなって、あの記事、この記事と開いての広告ツアー。
♪カナダで早期リタイア生活
- 永住権を取得して悠々自適なカナダリタイア生活を実現!
永住権を取って悠々自適って・・・投資移民募集なのかな?それとも専業主婦募集?
♪英語はメールで身につけろ
- 質の良いメールで学べば英語ペラペラ。無料で学ぶ英語。豊富なサンプル公開中
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ミソは「メール」というところ。毎日何分だか聞き流すだけで、ある日突然に口から英語がペラペラと出て来る!というのもよくあるけど、こっちは「質の良い」メールを読んで、(たぶん)書くだけで、ある日突然英語がペラペラ・・・。読むと聞くは別だし、話すとなったらもっと別もの。メール読むだけで「ペラペラ」と英語で話ができるんだったら、誰も苦労しないって。
♪留学で発音に困らない為に
- 在米30年日本人ハリウッド俳優による理論でアメリカ人俳優並み発音力へ!
う~ん、発音は抜群にいいんだけど、全然「英語の会話」なっていない人が多いような気もする。まあ、そっちは「留学」が解決してくれるのかもしれないな。
♪海外の友達検索サイト
- ユーザー数170万、220カ国地域以上。無料で世界中の友達に出会う
あ、これだ、これ。日本在住外国人のサイトに行くと必ずといっていいほどリンクがある、ツヴァルのドメインを使ったペンパルサイト。もう何年も同じオンナノコたち(ときにはオトコノコたち)の写真が周期的に出てくる。あまりの「ヘビロテ」に、まだお相手が見つからないのかしら、それともお別れして「次、行こ」と戻ってきたのしから、とついつい老婆心で心配してしまう・・・わけないよ~。
時間の経つのも忘れてツッコミを入れていたら、極めつきのヒット作が登場・・・。
♪日本人の男はモテない
- 国際恋愛の参考書。決定版。英語がダメでもなんとかできる!
う~ん、ツッコミどころが多すぎる。いうことなし。仕事にかかろうっと・・・
世界一住みやすいところ
6月10日。何日かぶりでよ~く眠れていたのに、早々と(といっても10時過ぎだけど)目を覚ましたカレシがちょっかいを出してくれるので、半ボケ状態。けっこう不思議な夢を見ていたような気もするんだけど、思い出せない。てことは悪い夢じゃなかったってことか。カレシが起き出してくれたので、もうひと眠りと思ってとろとろしていたら、今度は「シーラとヴァルが来たよ~」。そっか、今日はお掃除の日なんだ。「午前中の家が早く終わって、買い物も済んでしまったのよ~」とシーラ。彼女の肩にもたれて、ぼや~んのとんぼ。「まだ朝だものね」とシーラ。「ほんと。早すぎぃ・・・」ととんぼ。
だけど、シーラが二階、ヴァルがオフィスを掃除している間に、その間で朝食。今日のフルーツはブルーベリー。先週あたりの異常高温が功を奏して、生育が遅れがちだった地物のいちごがいっせいに熟れだして、大粒が甘いのがどんどん採れているそうな。ラズベリーとブルーベリーもすぐに後に続いて、今年は豊作らしい。毎日「魚!野菜!フルーツ!」のかけ声がかかっているから、豊作はうれしい話。あんずをピューレにして作ったソースがヒットして以来、魚にフルーツをあわせるアイデアばっかり考えているから、ふむ、次は何を試そうか・・・
どうも4日はかかるなあとため息をついていた仕事は、きのうと今日とバンバンとキーを叩いていたら、なんと2日かっきりで終わってしまった。まあ、やるとなったらなぜかやれてしまうのが、極楽とんぼの底力というか、ばか力というか。もっとも、発注元には規程やら規則やら要綱やらが大小で三桁の数あるというけれど、業務はと言えば人さまのお金で「売る、買う、借りる、返す」くらいのもので、それをせいぜい4、5種類のバリエーションでやっているから、しまいにどれも似たり寄ったりになってくる。おかげで去年うんうんいいながらやっていたのを引っ張り出して、あっちこっちから「コピペ」して、ちょこちょこっと修正すればどんどん仕事が進むから楽ちん、楽ちん。さっさと送ってしまって、せいせいしようっと。
さて、ひと息ついたところで、明日は大洗濯をしなきゃ。カレシの英語教室も今年は今月末で夏休みに入る。9月の新学期?まで2ヵ月。今年こそはパティオを作ってくれると言うし、ゲートから玄関までの「歩道」も完成させてくれると言う。その代わり、とんぼにも「できるだけ時間を見つけて、家の中のプロジェクトをやってほしい」と。そうだねえ。まずはメインフロアの洗面所の改装計画を前進させないとね。シャワー室を取り払って、シニア用に開発されたウォークインバスというのを導入したい。転倒事故を防止するために、バスタブへの出入りをドア式に、中をベンチ式にしたひとり風呂で、小さな洗面所にうまく収まるかどうかが鍵。まあ、今年中にやれば費用は税額控除になるから、ぜひともやらなくちゃね。
イギリスの『エコノミスト』誌による世界の住みやすい都市ランキングで、なんとバンクーバーがトップになったというニュース。カレシは「みんながどんどん来たら住みにくくなるからあまり宣伝するな」とテレビに向かって抗議。テレビでインタビューされていたバンクーバーっ子も「どこを見て言ってんだか」というそっけいない返事が多かったけど、トップテンに3都市ずつ入ったのがカナダ(バンクーバー、トロント、カルガリー)とオーストラリア(メルボルン、パース、シドニー)。日本は、大阪が13位に入って最高位、東京は19位だったそうな。(最下位はジンバブエのハラレ。)そういえば、このニュースは日本のメディアでは見なかったような。関西空港が世界の空港ランキング第6位だったと言う記事はあったけど、トップテンじゃなきゃ注目に値せずってことかな。まあ、どこかのサイトで「ランキングゥ」が好きということでは日本は世界第1位という記事があったけど。
だけど、世界一住みやすい都市で仕事に追われて「おこもり」ってのも何だかなあ・・・
背中を押してくるお化け
6月11日。雨、降らないなあ。おかげで郊外の農場では先週の高温で春先の遅れを取り戻したいちごが旬。めんどうなひと仕事を終えたところで、今日は「家事」をやる日。漢字を見ると、「家の事」。それで、「家事」は女の仕事と思い込んでいる男が減らないのかな。まあ、それはどうでもいいとして、洗濯物が、まるでカレシのクローゼットの中身が全部移動したんじゃないかというくらいある。うん、ほぼ毎日大汗をかきながら庭仕事をしていたからなあ。(ごめんねえ。)
仕事を減らして、絵を描くとか、貯まりっぱなしの本を読むとか、できないでいることをやったらいいのにというカレシの言い分もわかるのだ。いったんはほぼ半分にした仕事量がこの3年くらいでじわじわと増えているのは自分でもわかっている。チャレンジと見ると腕をまくってしまう性分ということもあるんだけど、それ以上に90年代のいつも駆り立てられているような気持はもうないのにもかかわらず、まだ見えない何かに背中を押されているように感じるのはどうしてだろうなあ。
こんなことを考えるのも、日曜日以来カレシと話をするときの自分の視点が少し変わったように思うからかなあ。今まではいつひとりになってしまうかわからないから、という気持が強かったんだけど、どうもこの「ひとりになる」は「離婚」を意識していたんだという気がしてきた。自分の性格からして「これ以上はもうだめ」となったら後先も考えずに飛び出すだろうから、もう実家というものがない身では、どこにいようとひとりになったら自立するしかない。そういう考えを植えつけてくれたのはほかでもないカレシで、新婚の働き始める前の頃に「ボクは生命保険が大嫌い。キミはひとりで生きていけるだろ」と言ったのが、ずっと心の奥にこびりついていたんだと思う。(発言の趣旨はどうあれ、自分で経済的基盤を確立しなければならないということを教えてくれたわけで、今は感謝しているんだけど。)
それが、別れないままで二人とも60代に入った今になって、「ひとりになる」ということは「死別」も意味していることに急に気がついた。年金受給開始まで4年を切って、3年後の今頃はきっと受給申請の書類が送られてきているだろう。私的な年金を積み増すためにも、仕事を非拠出の老齢年金を減額されないレベルまで減らして続けるつもりでいたけど、離婚しなくても自分がひとりぼっちになる確率は五分五分だから、別れずにいっしょにいるということは、それまでの時間は「二人」の時間でもある。急になんだかそっちの方が仕事よりも何よりもずっと貴重な時間なんじゃないかと思えてきた。
だけど、なのだ。今の仕事をやめるということは、ずっと保ってきた日本との「接触面」にぽっかりと大きな穴があいてしまうことを意味する。もちろん今の時代、カナダに来たばかりの頃のような「隔絶状態」にはならないかもしれないけど、点々とした接点に細い糸でつながっているだけになるんだろうと思う。ということは、背中を押し続ける「見えないお化け」というのはこの「日本との接触」を維持することへのこだわりなんだろうか。でも、すでにあちこちに大きな溝や断絶ができていて、それがどんどん広がって行くのを感じていながら、それを一度ばらばらにして組み立てなおしたのが「自分」だからしかたのないことなんだと納得していたはずなのに、どうしてかなあ。
まあ、頭が疲れているだけってこともありえるけど、だったらよけいに命も洗濯しなきゃ・・・といっても、この洗濯機、なんだかきちんと脱水してくれていないような。うん、早いところ新しいのに買い替えたほうがいいかもしれないなあ。もう3年もそう言っているけど、今度こそは・・・。
背中のお化けの正体
6月12日。なんだか眠れなくて、うとうとしているような、目が冴えているような、そんな中途半端な状態で頭の中を英語、日本語入り乱れてぐるぐる回っているうちに、やっと午前6時半すぎになって眠りに落ちたらしい。正午近くにはっと目が覚めて飛び起きたら、足の先が冷たい。ざわっ、ざわっという寒気がする。11時前に起きたと言うカレシに言わせると「ボクが洗濯物を畳んだり、しまったりしてベッドの周りをバタバタしてしていたのにピクッともしなかった」。そうか、眠った後はぐっすり眠ったんだ・・・。
夜中のランチをしながら、翻訳の仕事をやめたら日本とのつながりが切れそうで、それが怖くてやめたくないのかもしれないとカレシに言ったら、「切れたところでどんな不利益があるの?」と返してきた。「家族や友達とのつながりが切れるわけじゃあるまいし、どうしてつながっていたいと思うのか理解できない」と。「そりゃ、ビジネスなんだから、クライアントとうまく折衝して、きちんと仕事をするためには日本のいろんなことを知っていなければならないのはわかる。だけど、それが精神的な依存になってしまっているとしたら、依存すべきところを間違っていると思う」と。精神的な依存か・・・
「正直なところ、ボクは日本という国は好きじゃない。たまに英語教室に来る若い日本人の振る舞いを見ていて、あの世代の日本人も嫌いになった。どうして自分を見失うほど憧れたのか、自分でもわからない。あれは人生最大のミステイクだった。そのおかげでキミの心がまだ揺れ動いているのがわかるから、見ているボクはつらい。キミは日本人であっても精神的な文化はもうすっかりカナダ人なんだよ。今のボクはそういうキミでいてほしいんだ。だけど、キミはボクに日本人らしさを否定されたと思ってまだ葛藤しているんだと思う。ボクにとってキミは言葉も文化もみんなボクと同じ国の日本人なんだ。良いところも悪いところも全部ひっくるめてカナダが好きだと言っているじゃないか。それはカナダがキミの国だから言えるんだよ。それでいいんだよ」と、カレシ。
そうか、自分探しの方向を間違えてしまっていたのかもしれないな。このブログだって日本批判と取られる記事が多い。単に「しんどいだろうなあ」とか「やりにくいんじゃないかなあ」とか思うことを書いているだけのつもりでも、日本語だから読むのは日本人。たぶん外国にいて日本を批判している「むかつく外国かぶれ」ということになるんだろうな。そうか、あんがいまったくおかど違いのところでおかど違いのことを言って、ひとりでもやもやしていたのかもしれないな。少しゆっくりしていろいろと考え直してみた方がいいのかなあ・・・そんなことが頭の中をぐるぐる。だけど、自分の考えていることを書きとめておくつもりで始めたブログは記事の数がもうすぐ千本。カレシの言うとおり、あんがい目的を果たして、役目を終える潮時に来ているのかもしれない・・・。
今夜はアンドレ・リウのコンサート。気を取り直して、気分を入れ替えて、壮麗なウィンナーワルツを楽しんでこよう。
べラジオの噴水のように
6月13日。きのうは、アンドレ・リウのコンサート行くのに、近くのお気に入りレストランで早いディナーをするつもりだったのが、カレシが木曜日のうちに予約を入れるのを忘れたおかげで、プレシアターの時間枠は予約が満杯。しょうがないから取り急ぎディナーは極楽とんぼ亭ということになった。それでメニューも取り急ぎで、えびソーセージ、チキンのケープマレイ風カレーとサラダを4人分。
6時ぎりぎりになってやって来たバーバラは玄関を入るなり、「私、臭わないよねえ」。どうも未だに双子の孫の子守に「通勤」しているらしい。あはは。思いっきり大げさに、「いやぁ、ベビー臭いってば~」と応酬。たしかに、ほのかに赤ちゃんの香りがするもの。子なしの極楽とんぼにとっては、たぶん自分が赤ちゃんだった頃の「母の匂い」を思い起こすのかもしれないな。とにかくイアンが持って来たワインをあけて、ぶっつけのぶっちゃけディナーだけど、話が弾むもので、途中で「そろそろ行かないと遅れるよ~」ということになる。
バーバラに合わせて、新調の鉤針編みのスカートにスリーブレスのT シャツに着替え。このところ最低気温が高めなので、日が暮れて肩を出していても寒くない。コンサート会場はアイスホッケーのアリーナ。数千人は入っているだろうな。私たちの席から見ると、まるでSea of White、つまりは「白髪頭の海」。時間になって登場したミュージシャンたち。女性は華麗なローブデコルテ。子供の頃に思い描いた王子様のお城での大舞踏会の雰囲気。スカートをちょいと気取ってつまんで、燕尾服の貴公子と優美なワルツのリズムに乗って大広間をくるくる・・・。まあ、そんな雰囲気なんだけど、口の悪いとんぼは、となりのバーバラに「なんかローレンスウェルクのショーみたいねえ」。バーバラと二人してきゃっきゃと笑い転げてしまったけど、ま、これは還暦過ぎのおばさんじゃないとわからないだろうな。(ローレンスウェルク楽団は毎週土曜日にテレビ番組を持っていて、スタジオの観客は年寄りばかり。スポンサーは「Geritol」という老人用栄養強壮剤だった・・・。)
一番感動的だったのは大好きな『Con Te Partiro』 。アンドレア・ボチェリがラスベガスのべラジオがオープンしたばかりの頃のコマーシャルで歌っていた、なんともいえない高揚感がすばらしい。ショーのフィナーレはベートーベンの『歓喜の歌』。圧巻・・・なんだけど、その後に続くアンコールがなかなか終わらない。この調子だと本番よりもアンコールの方が長くなったりして~と思っていたら、アンドレ・リウが突然弾きはじめたのが『O Canada』。カナダの国歌だから、みんな反射的に起立。あはは、これはショーマンシップ100%。なかなか席を立って帰らない観客に国歌を聞かせて立たせてしまうとは心憎い。もちろん極楽とんぼもみんなといっしょに大きな声で歌う。(まあ、自分の国の国歌をちゃんと歌えてあたりまえなんだけど、やっぱりじ~んと来るものなのだ。)
いい音楽はいつもいい。どこの誰のなんとかなんてへったくれも何もなく命の洗濯。心の洗浄剤。うん、おなかの底から思いっきり声を張り上げて歌いたいなあ。低域アルトのとんぼには女性歌手の歌は音域が高すぎて歌えない。(父がすごい低音だったせいかどうかわからないけど、男の子並みに声変わりしたときは音楽の時間に男の子といっしょに歌わされてしまった・・・。)今はまあ女らしい声だと思うんだけど、いざ歌うとなるとテナーの歌しか声が届かない。だったら、お風呂の中で、あのべラジオの噴水を思い浮かべながら『Con Te Partiro』を歌っちゃおうか・・・。
ただいま夫婦げんか合宿中
6月14日。ああ、ねむ~い。よく眠れないでいて、今夜こそはと思っていると、今度は大した量じゃないなと高をくくっていた仕事に細々と指図がついていて、その通りにやっていたら、時間がかかること、かかること。翻訳モードの思考の流れも中断されっぱなし。納期の日曜日の夕方は日本では月曜日の朝だから鬼門中の鬼門。おまけに、1日休みを取ってどこかへ出かけようねという約束になっているから、なんとしても終わらせて送っておかなければならない。めんどうな仕事を終えて、もうひとつ同じ期限のミニ仕事を終えたら午前5時半。夜明けどころか、とっくに日が昇ってしまっている。日の出とともに眠りにつく暮らしって、おかしいよね、やっぱり。
うとうとした程度で起床は午前11時。カレシのご機嫌がえらく悪そうなオーラ。眠れなかったという。テレビにデジタルのコンバータを取り付けようとしたら、「テレビが映らない、DVDも映らない。何から何までがおかしくなってしまった」そうな。ありゃりゃ。アメリカはつい先日地デジに移行したばかりだけど、カナダはまだ2年くらい先の話。特にこの辺は40年も前からテレビと言えばケーブル放送なもので、地デジ移行でテレビが見られなくなるわけじゃない。だけど、アナログのテレビで見られないデジタルチャンネルは月額100円相当の追加料金でコンバータが必要。そのコンバータをやっと重い腰を上げて取り付けようとしたら、テレビもDVDプレーヤーもみんなめちゃくちゃになってしまったというわけ。
もう一度やるというから、オフィスに下りて翻訳ファイルを送り、メールを書き、ニュースめぐり。ところが急に現れたカレシが「テレビのケーブルの接続口が見つからない」とぶつぶつ。「手を貸すよ」と言ったけど、返事もせずに上へ戻って行ったから、愚痴るために来たのか思っていたら、上から「来るのか、来ないのか、どっちなんだ!」と怒鳴り声。あのねぇ、「手を貸せ」と言わなかったじゃないの。どうして?「やりたくないだろうと思った」。あのねえ、断るかどうかは私が決めることでしょ?勝手に人の気持を決めておいて頼まなかったのに、「頼まなくても察して手伝いに来くるべきだ」って、日本人じゃあるまいし、なんで素直にひと言「手伝ってくれ」と言えないの?「失敗して気恥ずかしいときは頼みにくいじゃないか!」 ああ、バカかっ、もう!
そこでまたここ1、2週間ほどちょくちょくやっている「けんか」が始まる。昔のように二人とも黙ってしまわないで、気持を落ち着けて話し合おうと努力しているのはたしかにすごい進歩なんだけど、非難の応酬になったり、涙が溢れてきたり、自己防衛モードになったりするから、二人とも疲れる。まあ、35年分の「けんかと話し合いと仲直り」を集中合宿式にやっているようなものかもしれない。それでもうやむやにせずに、ひとしきり互いに気持をさらけ出しあって、言い分を聞き合えるようになったのは自賛してもいいだろうな。今日も深呼吸で気を取り直して、テレビとDVDプレーヤーとコンバータの接続作業にかかる。テレビとDVDについては不調の原因はカレシの「ポカミス」とわかって簡単に復旧。ところが、コンバータをつけるとDVDは見られるのにテレビ番組が映らない。「きのうの夜と同じになってしまった」とカレシ。はてな・・・?
コンバータの不具合でないことを試そうと、オフィスのとんぼの(液晶)テレビにつないでみることにした。よけいなビデオ機器がない分、接続はごく簡単。映るかな?う~ん、映らない。やっぱりコンバータのせいか・・・。マニュアルにトラブルシューティングのこと書いてない?マニュアルを繰っていたカレシが突然「あっはは~!」え?「接続が済んだら、ケーブル会社のウェブサイトからアクティベートするんだってさ」。へえ。「そこまでは読んでいなかった」と笑いこけているカレシ。ま、とんぼもアナログ人間でマニュアルをあまり読まないから、文句を言えないけどさぁ・・・。
アクティベートされて何やら映り出した映像。自動設定で30分ほどで「オン」。どんなチャンネルがあるのかと調べてみたら、あるわ、あるわ。百何十もある。だけど、う~ん、一日中、けんかして、大汗かいての大騒ぎをしたわりには、見たいものってやっぱりないねえ・・・。
月曜日だけど半ドン
6月15日。きのう日曜日は1日中デジタルコンバータに振り回されて終わったから、今日が約束の「半ドン」。コンバータをベースメントのオフィスの続きにある小部屋のテレビにつないでしまったので、ソファもあることだし、いっしょにテレビを見たりするレクリエーションルームにしようかということになった。それはいいんだけど、ごちゃごちゃと積んである廃用電子機器をなんとかしないとねえ。ということで、半ドンの今日は不要になった電子機器の類をまとめてリサイクルセンターへ持って行くことにした。市のリサイクルデポも空きびん類の収集センターもこの電子機器センターも、まとまって近い距離にあるんだけど、近いからと思えばなかなか腰が上がらないものらしい。
集めたのは、テレビ1台、ビデオデッキ3台、コンポーネントステレオ1組、ミニコンポ1組、LCDのモニター1台、キーボード5個、マウス8個、昔々のモデム1台、博物館クラスの「UHFコンバータ」が1台。よくもこれだけため込んだもの。ま、ゴミとして捨ててはいけないといわれれば捨てるわけにもいかず、かといってリサイクルセンターへ持って行こうにもついめんどくさ~となって、二人しかいない家の中では「部屋の隅っこ」が手ごろな物置になる。キーボードは極楽とんぼが叩いたおかげでキーの文字が消えてしまって、どれも壊れてはいないのに使えない。それにしても、UHFコンバータはなんて20年くらい前のものだと思うけど、木目を印刷してあるからよけいに古臭い。でも、当時は「古き良き時代」から「ハイテクデザイン時代」への過渡期だったから、金属の箱物もやたらと木目模様だったっけ・・・
リサイクルの後はトラックのバッテリ補強のためのドライブ。少し郊外の石材屋までぶっ飛ばした。造園用の石材ならなんでもありの大きなセンター。大小の敷石に玉石、玄武岩の板。庭の飛び石もあれば、どうやって運ぶんだろうと思うような巨大な庭石もある。道しるべのような縦に細長い庭石には古代のオガム文字で「我ここに来たり」とか「地の果てにようこそ」とか刻んだらおもしろそう。上から見たら真ん中に丸い穴を開けてあるのはガーグラーといって、湧き水をまねたもので、石の中からふつふつと溢れて来る水が石の表面を伝って流れ落ちる。庭に水盤で小さな池を作って、ポンプにホースと電源コードをつないで置けば、木漏れ日の下でちょろちょろと涼しい水音がするしかけになっている。いろんなデザインがあるから、前庭のあそこに湧き水の聞こえる池、カエデの木の下には石のベンチ・・・と、カレシとしばし「夏の日の午後のひととき」の夢を描く。水の沸くところにLEDライトをはめ込めば、ちょっと幻想的な「真夏の夜の夢」のひとときもいいなあ。
だけどなあ、裏庭のパティオも玄関先の歩道もまだ完成していないねえ。工事中断保険なんてものをかけたら、保険会社はきっと破産してしまうねえ。ここで新規プロジェクトを始めるのはねえ。そう思ったら、しばしの夢のしゃぼん玉はパチンとはじけてしまった。まあ、いつになることやら見当もつかないけど、いつかきっと・・・と、なんとなく妙に名残り惜しい気分で、「半ドンの午後のひととき」はおしまい。帰り着けば、ああ、仕事が待っている。カレンダーにまたひとつ納期のマークが増えて、ためいき、ためいき。極楽とんぼもそろそろ遊びたい年頃なのかもしれないけど・・・。