リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年7月~その1

2009年07月16日 | 昔語り(2006~2013)
カナダの誕生日

7月1日。今日はカナダの建国記念日。日が暮れたらダウンタウンで花火が打ち上げられるらしい。テレビのニュースは各地での祝賀イベントの様子や新市民の感想を繰り返し流している。まあ、東の端から西の端まで時差が4時間もあるもので、お祝いもウェーブ式。

この日には各地で新市民の宣誓式がある。宣誓式そのものは年に何度もやっているけど、この日のは特別。うまくこの日に当たった人は一生の思い出になるだろうな。ワタシの宣誓式があったのは10月で、世界中から来たいろんな人たちに混じって、右手を上げて宣誓した。結婚式と同じくらいに緊張したし、じ~んと胸が熱くなった。このあたりはカナダで生まれ育って、ごくあたりまえにカナダ人として生きてきた大方の人にはなかなかぴんと来ないことらしい。まあ、生得権なもので、あたりまえすぎて「市民権」の持つ意味を深く考えたことはないだろうな。学校でも、日本国民が日本の義務教育で日本のことを習うのを同じで、算数、国語、理科と同列にカナダの社会科や歴史の授業があるわけだし。だけど、多民族多重文化国家のカナダでは、「カナダ人」の定義は出自を問わず「カナダ市民」だから、ワタシもカナダ人であたりまえ。

ワタシにとっては結婚を決めたのと同じくらいに重大な決意だったから、市民としてカナダという国に忠誠を誓うことは、結婚式で「I do」と誓うの同じ重みがあった。テレビを見ていても、自らの意思でカナダを「自分が属する国」として選んだ人ほど、カナダへの思い入れが強くて、カナダ人としての誇りをすなおに表現している。独裁者や迫害から自由を求めて来た人たち、平和で安全な未来を求めて来た人たち、母国では与えられない可能性に賭けてきた人たちと、背景はいろいろ。もちろん、さしたる計画も夢も持たずに来た人たちやカナダのパスポートがあれば何かと便利だと思って来た人たちもいるだろうけど、それはそれで「ま、いいじゃん」と肩をすくめてしまえるお人よしもカナダのいいところかな。

カナダの国歌、『O Canada!』をここに載せておこう。

   O Canada! Our home and native land!
   True patriot love in all thy sons command.
   With glowing hearts we see thee rise,
   The True North strong and free!!
   From far and wide, O Canada,
   We stand on guard for thee.
   God keep our land glorious and free!
   O Canada, we stand on guard for thee
   O Canada, we stand on guard for thee.

ついでに、在日カナダ大使館のページにあった日本語訳・・・

    おお、カナダよ! われらが故郷、われらが祖国!
    汝の子すべての中に流れる真の愛国心
    輝ける心をもって 興隆する祖国を見守らん
    真の北国 堅固にして自由なり!
    遠く広くから、おお、カナダよ われらは汝を守りゆく
    神よ、これからもわれらの大地を荘厳で自由に保ちたまえ
    おお、カナダよ われらは汝を守りゆく
    おお、カナダよ われらは汝を守りゆく

ハッピーバースデイ、カナダ!

きりぎりすになりたい

7月2日。外はせっかくいい天気だというのに、(仮想的)大汗をかきながらの「残業モード」。魚の話を翻訳して、魚を食べて、また翻訳して・・・。なんか知らないけど、耳の後ろあたりに鰓ぶたができそうな。それとも、人魚姫の逆を行って、足が魚の尻尾になってしまうのかな。

まだ原稿用紙にして100枚分くらいあるってのに、当面はなだれにずっぽり埋まって行方不明だと思ってね、と言ってあるのに、またやたらとどでかい仕事の話が持ち込まれる。それも同じところから2つも。どっちかひとつになるんだろうけど、どっちにしてもこれで7月が消えてしまうなあ。もう、しらない。カレシも2ヵ月の夏休みに入ったし、いっそのこと、ワタシも8月は「休業中」の看板を出そうかなあ・・・。

トイレットペーパーがなくなってしまう。ミルクもなくなりそう。野菜もなくなりそう。たまにはマティニを作ってもらおうにもジンがない。お気に入りのレミも空っぽにしてしまったし・・・。あ~あ、みんな夏休みになる夏だってのに、ワタシだけどうして・・・?

あと、3年と、9ヵ月と、3週間。ああ、ワタシは今すぐきりぎりすになりたい・・・

レミがないからヘンな夢

7月3日。うはっ、起きたとたんから暑い。午後1時を過ぎたばかりでポーチの温度計はもう24度。この分なら今日はもう「真夏日」。西岸海洋性気候帯にあるバンクーバーでは、日本の気象庁の区分の表現を拝借するなら、午後の気温が20度を超えると「夏日」で、25度を超えたら「真夏日」という感覚になる。めったにないことだけど30度を超えたらまさに「猛暑日」で、湿気がないから日差しを浴びるとオーブンで丸焼きにされているような感じがする。ワタシなどは15分でまっ黒けになるくらい紫外線が強い。もっとも、この暑さもせいぜい週末だけで、週明けには20度以下の「夏らしくない日」になって、雨が降るらしい。まあ、適度のお湿りもないとね。

ゆうべは眠れなくて困った。頭が冴えすぎていたのかどうか、ひたすら目をつぶっていても眠りに入れない。しまいに足首がうずき始め、膝の関節がうずき始め、股関節がうずき始めて、ますます眠れない。結局、午前3時半にベッドに入って、眠りに落ちたのはごみ収集車とリサイクルトラックが通った後の午前7時半すぎ。なぜか新聞サイトによく出ていた日本の大臣が東京オリンピックのようなまっ白な体操着で、サーカスよろしく人間ピラミッドのアクロバットをやっていた。それもインタビューに答えながらなもので、飛んで来る人間をキャッチできずにミスしてばかり。ワタシは「しゃべってないで神経を集中しろよ」と思い、こんなときにインタビューしているリポーターもなんだかなあと思いつつ、ぼんやり見ていた。(外されてすっ飛んでいった人たちはどうなったのかなあ・・・。)

ヘンな夢から覚めて、どよんと眠いままで朝食を済ませて、回遊式の買出し。まず銀行へ行って、カレシに送られてきた代講の「給料」の小切手を入金して、掃除料やら何やらをまかなう現金を引き出して、駐車場を隔てた酒屋へ。ワインを補充し、普通サイズのジンを買ったのはいいけど、肝心のレミが販促をやっていたらしくて売り切れ。レミがなかったら眠れぬ夜をどうすりゃいいんだと、「XO」に手を出す。値段はいつものVSOPの2倍半。カレシ曰く、「よ~く眠れて、いい夢を見られるだろうねえ」。ふむ。まあ、ちびちびと飲むから・・・。

お酒の次は道路を渡って、スーパー。トイレットペーパーだけは忘れてはならないぞ。最後の1個をけさ上と下のトイレで2つに分けたんだから。あれこれバスケット2つ分買い込んで、持参した超特大のLLビーンのトートバッグに詰めてもらったら、思いのなんの。さて、最後は野菜とくだもの。今日は地物のいちごはなくて、代わりにラズベリーが出ていた。それぞれにバスケットをもって、別のトートバッグに詰めてもらって、今日の買出し大作戦は完了。家に帰ればもう夕食のしたくの時間に近い。やれやれ。だけど、腹が減っては戦はできないから、食べなくっちゃねえ。ふう・・・

脳みそをデフラグすると

7月5日。ゆうべはレミのXOをほんの少しだけ飲んだ。(グラスに1オンスほど注いだところで、カレシがさっさと栓をしてお酒の棚に戻してしまった・・・。)コレステロール対策実施中のカレシはフルーツジュースを注いで、なんだかちぐはぐだけど、30分ほどのおしゃべりで頭の凝りをほぐして就寝。

おととい奇妙な夢を見たばかりなのに、またなんかヘンな夢。乳母車を押しているナニーがいたり、庭師がいたりで、ビクトリア朝のイギリスを舞台にしたドラマが目の前で繰り広げられているみたい。そのうちに薄暗い部屋にみんな集まって、よく見たら、ミニのフリフリ衣装のアキバ系メイドまでいて、くすんだシーンの中でやけに浮き立っているじゃないの。暗がりで「ご主人様」のような人が「この家にこんなに大勢が集まったのは初めてじゃ」とか何とか。イギリスの時代ものドラマで見たような人だけど、誰なんだろう。別に殺人は起きなかったけど、謎めいた女性がいたりして、ちょっぴりアルトマンの『Gosford Park』風の群像劇といったところ。ひょっとして芝居のネタになるかも。

記憶された情報を整理するのが夢を見ることだとしたら、ジャンボ仕事で思考や資料を収納するスペースがなくなったもので、あわてて脳のデフラグをやっているのかもしれないけど、それにしても、ワタシの脳みその中にはなんとまあ実に雑多なデータや映像が詰まっていることか。そのうちのどれくらいがほんとうに役に立つ情報なんだろうなあ。それよりも、どれが役に立って、どれが雑学で、どれがむだに場所をとっている情報なのか、脳みそは何を基準にして決めるんだろうな。ちなみに、おとといのヘンな夢にサーカスをやっていた日本の大臣は「厚生大臣」だった。名前は思い浮かばないけど、豚かぜパニックの頃に新聞サイトに毎日のように登場した顔なもので記憶に残ったんだろうな。ひょっとしたら、大臣がキャッチしそこねていた「人間」はH1N1ウィルスだったのかも・・・

夢ってヘンなところで意外に象徴的だったりするからおもしろい。まあ、普通の夢はレム睡眠中で悪夢はノンレム睡眠中に見るというから、怖い夢を見なくなったのは良く眠れている証拠ということで、リラックスしてシュールなドラマを楽しめばいいのかもしれない。ついでに、誰かが夢を録画するキカイを発明してくれたらもっといいのになあ。

流れ来る椰子の実は

7月6日。なんとなく寒いと思いながら起きたら曇り空。天気予報の通りとは言え、夏満開からいきなり14度はないだろうに。午後いっぱい気温は上がらず、ポーチの温度計はとうとう15度まで行かないままで、ぽつぽつと雨。降っているとも言えないようなお湿り程度なもので、カレシはどよんとした空を見上げて、「どうせ降るんだったら、水やりしなくてもいいくらい降ったらどうだ」。

まあ、でも今日は庭仕事はひと休みにして、温室での作業。去年ワタシが成田空港で買って来たきゅうりの種が元気に育って、30センチ以上もある日本のきゅうりが豊作。きゅうりに関しては、このいぼだらけのが食感も味も一番。北海道の名寄に住んでいた中学生の頃、両親が社宅の裏の広い庭でいろんな野菜を作っていた。なにしろ、塩気の強いガスのおかげで野菜があまり育たなかった釧路から、軽く30度を超える暑い夏がある北海道の米どころに引っ越したもので、あれもこれもと植えたらしい。きゅうりなどは大がつく豊作で、冷蔵庫を開けるときゅうりの山。毎日仲良しといっしょにおやつ代わりに丸ごとかじりながら、ほこりっぽいいなか道を歩いていた。まあ、あれがワタシの「十代の夏」の楽しい思い出なんだけど、離れ離れになっても、ワタシが日本を離れるまで交流が続いた恵美子ちゃん、今頃はどこでどうしてるんだろう・・・

ジャンボ仕事は三分の二が終わって、後は先月やった植物の部に戻るから、少し楽になるかな。だけど、ヒット曲のタイトルになったほどの有名な札幌の街路樹が、あちこちで駆除の対象にされているのは、理屈としてはわかるんだけど、なんとなく気持が落ち着かないな。まあ、都会の街路樹まで排除しようという発想はないらしいとしても、ライラックよりひと足先にいい匂いのする白い花を咲かせていたのが「侵略的外来種のワースト100」なんてひどいなあと思ってしまう。そういうなら、札幌の街中にあるライラックだって、北大のポプラだって外来種なんだけど。突き詰めると、北海道の生物の8割は外来種だって話なんだけど。ついでに言えば、北海道に住むヒトもほとんどがいわゆる「国内外来種」なんだけど。勝手にヒッチハイクで不法侵入して来たのは別としても、連れてきておいて、今になって「やっかいもの」扱いというのもなんだかなあ。まあ、力の強いものが弱いものを排除するというのもたしかに困ったことではあるんだけど・・・

う~ん、それにしてもなあ。報告に出てくる「よそもの」はなぜかほとんどが北米原産なんだけど、どうしてなんだろうな。まあ、せっかく脳みそをデフラグしたんだから、またややこしいことをあれこれ考えるのはやめにして、次の大波が来る前にかたづけてしまうことにしよう。よく見たらそっちも「外来種」呼び込みのためのキャンペーンみたいだなあ。ま、国際化時代ではあるけど・・・

(ひと月早い)七夕の宇宙観

7月7日。なんかやたらと寒いなあと思って目が覚めた。正午でポーチの温度計は背伸びしてやっと11度。おいおい、7月なんでしょ?今日は七夕さんなんでしょ?11度って、冗談が少々きついんじゃないの?でも、今日は雨模様。宇宙随一の超遠距離恋愛カップルの年に一度のデートは、残念ながら天の川フェリーが欠航でキャンセルか。神様もつれないことをするねえ。それにしても、織姫ちゃんも彦星クンもなんとも長すぎた春だな。どっちにも浮いた噂ひとつなく年に一度の逢瀬を楽しみに仕事に励んで来たのはえらいと思うんだけど。

だけど「7月7日の今日は七夕です」ってのはNHKニュースの話で、北海道の七夕は8月7日。旧暦だったのかどうか知らないけど、釧路ではそれでもまだ寒かった。それでも七夕さん。北海道には竹がないので柳の枝に短冊をぶら下げて玄関に飾り、ゆかたを着て近所の家々を回って、「ろうそく出せ。ろうそく出せ。出さないとかっちゃくぞ」と、ハロウィンみたいにはやし立てた。「かっちゃく」というのはなつかしい北海道語で「引っ掻く」という意味で、ときどきもらえたろうそくは仏壇なんかで使う細くて短いろうそく。ふむ、いつもはほとんど忘れている北海道語をなつかしく思い出すのは、やっぱりそれがワタシの「母語」だからかなあ。

マイケル・ジャクソンの葬式ショーも無事終わったらしい。ああいうポップ音楽は趣味じゃないから、特に耳を傾けることも関心を持つこともなかったけど、整形手術を始める前はとってもかわいい顔だったのに、あそこまで顔を変えて「違う人間になること」に彼を駆り立てたのは何だったんだろうな。満たされないままで終わった人生だったのかもしれないと思うと、生まれ変われるなら、ごく普通の家庭のごく普通の子に生まれておいでといいたくなるけど、親を選んで生まれることはできない。ま、明日からはテレビも少しは静かになるんだろうけど、今日一日「芸能人」マイケルの追悼ショーに自分の現実を忘れることができた人たちも、明日からはまたそれぞれに自分の現実・・・。

日本の天皇さまと皇后さまがカナダを訪問中で、万事順調に運んでいるようで何より。昭和天皇がヨーロッパ各国を歴訪したとき、オランダやイギリスで反日デモやいやがらせがかなりあった。若かったワタシはイギリスの有力新聞に「なぜ若き日の思い出をたどろうと知る老人にやさしくできないのか」と投書した。驚いたことに投書は全文掲載されて、編集長から「あなたのような若い人こそが、個人の感傷とは別の次元で、歴史を直視して人類の未来を考えなければならない」といった趣旨の長い手紙が届いた。おじいさんが孫娘を諭すような穏やかな文面だったけど、あれは井の中の蛙だったワタシのその後の世界観や歴史観にはかり知れない影響を与えた手紙だった。

あはは、ワタシにだってそんなちょっと血気に逸った若かりし頃があったんだよなあ。あれはもう40年近い昔の話になってしまったけど・・・

極楽とんぼはもぬけの殻

7月9日。あと2千文字くらいのところで、とうとうギブアップ。もっともオーストラリアは夜。無理して送ったところで、誰もいないんだけど、そこはそれ、もうひと息というところで切り上げるのはなかなな難しいし、けっこう気に触ることなのだ。やけっぱち半分でレミを一杯だけ飲んで眠ったものの、根を詰めた後はすんなりと眠れるわけがない。なんとも因果な商売だけど、まあ、これが女手ひとつの自営業の運命みたいなものかな。

結局、わりと早くに目が覚めてしまって、朝食のすぐ後で作業再開。午後3時、約7万文字のメガ仕事がめでたく終了。いやあ、久しぶりにすごい仕事だった。原稿は合計すると12万文字近い。原稿用紙のマス目をびっちりと埋めて300枚。打ち出した英語の単語数は約5万3千語。まさに、「線路は続くよ、どこまでも」。まあ、終わってほっとしたところへ、「予約」として入っていた次の次のメガ仕事がキャンセル。おお、ワタシにも夏休みがあるかもしれない。このご時世に喜んでいいのかどうかわからないけど、万歳三唱。ついでに、虫のいいことを言うようだけど、もうひとつの方もなんとか、その、「なかったこと」にならないかなあ・・・

目をしょぼしょぼさせながらデスクの上を片づけていたら、照明が一瞬暗くなって、バックアップ電源のサージプロテクタが「カキッ」、そしてネット接続が断絶。接続はすぐに回復したけれど、あれ、雷が鳴っている気配もないのに、どうしてだろうな。と、不思議に思っていたら、しばらくしてそう遠くないところにある橋の近くに小型飛行機が墜落して炎上したというニュースが流れた。どうも電源にサージがあった時刻と符合する。刻々とニュースによると、幹線道路の橋の近く、IKEAの店のすぐそばに墜落したという。あのあたりは大きな量販店が多くて、広大な駐車場があるから、そこに不時着を試みたんだろうか。二階へ上がってみたら、妙にオレンジ色の月の下で、旋回するヘリコプターのライトが点々を見えた。けっこう深夜だから、地上の人への災害はないだろうけど・・・

さて、日本ではもう金曜日の夕方。このまま予約仕事の確定が入ってこなければ、少なくとも週末は仕事ゼロで心置きなくお休み。あと1時間がヤマ場か。なんだか目の奥が痛くて、軽い頭痛がする。関節炎が進んでいる手の指はうずうずと痛い。まあ、大きな仕事が終わってふわっと気が抜けたときには故障がおきやすいから、今夜はゆっくりと寝て、あしたはさて何をしようか。考えているうちにせっかくの「休み」が終わってしまわないようにしなきゃね。それにしても、ワタシもほんとによくがんばったな。こういうときは花丸あげて、ほめてあげなきゃ、先が続かない・・・。

長い、長い朝(あるいは夜)

7月10日。きのうやっと手持ちの仕事の数がゼロになって、さあ、これでゆ~っくり寝られるぞ、とはりきってベッドに入ったのに。ほんとに(眼精疲労だろうけど)頭痛がして、体までどろんとして、とにかく眠りたかったのに。それで、眠りに落ちたと思ったら、カレシがごそごそ、うんうん。振動が伝わってくるから、眠っていられない。完全に目が覚めたところで、カレシは「足の感覚がない!足が氷みたいに冷たい!」とパニック状態。ここんところ毎朝のように足が冷たくて眠れなかった言ってたけど、とりあえず24時間サービスのナースラインに電話して相談することを勧めた・・・

午前5時。ベッドルームに戻ってきたカレシが着替えを始めた。ナースラインで救急センターに行くように言われたと。え・・・。ついて行こうかと言ったら、「ひとりでいいけど、付いて来てくれれば気分的に助かる」と。ま、カレシは病院とはとんと無縁だったし、ましてや救急センターとなったら、パニック増進で逆に病気になってしまうかもしれない。慌てて起きて着替えをして、顔も洗わずにコンタクトレンズを入れただけで、出発。

午前5時半。日が昇ったばかりで、思いのほかひんやり。まだ車も少なくて、路上駐車メーターもまだオフの時間。「寒い」と目に見えて震えているカレシの背中をさすりながら、バンクーバー総合病院の救急センターへ。混んでいるかと思ったのに、トリアージのデスクはがら空き。すぐに症状を聞いて、血圧や熱を測りながら、質問、質問、質問。コンピュータの画面をにらみながら、答をどんどん打ち込んで行って、「では、こちらへ」。

午前6時。ナースステーションを中心にして、医療器械に囲まれたベッドをカーテンで仕切った診療室がずらり。市内最大の救急センターとしては平穏な朝なのか、緊迫感はあまりない。カレシはさっそくガウンに着替えを命じられて、ベッドの上。ドクターとナースが来て、また質問ぜめ。カレシを立たせて、足を触って押して、目をつぶって手を上げさせて・・・。ふむ、どうも「脳卒中」の兆候がないかどうか調べているらしい。そういえば、手足のしびれは脳卒中の前触れと言われるからね。ドクターが「脳卒中ではないようですね」と言って出て行って、まずは安堵。入れ替わりに別のナースが来て、心電図の電極、血圧計のカフと点滴用の針を手際よく装着。それから6本くらい採血。心電図の画面をチェックして、「心臓の調子は上々よ」。ということは心筋梗塞の疑いもなし。また安堵。あとは血液検査の結果を待つ・・・

カレシはベッドでうとうと。ほぼ徹夜の状態のワタシも椅子の脇のテーブルに突っ伏してうとうと。だけど、場所が場所だから、うとうとしてはページングに目を覚まされる。それでも今日は平穏な朝らしい。ときどき制服の救急隊員の姿が見える。話し方から移民とわかるナースも多い。ヘジャブを被ったムスリムのナースもいる。制服の色が少し違って2種類あるのは看護学の学位を持つ「RN」というナースと、日本にあった准看護婦のような「PN」というナースがいるからだろう。ドクターの制服はナースよりずっと色の濃いブルー。うたた寝と大あくびと他愛のないおしゃべりを繰り返しているうちに猛烈におなかがすいてきた。時計は午前7時半・・・

午前8時を過ぎた頃、ドクターが現れた。血液検査の結果はOK。結論としては、抗コレステロール剤のリピトール(アトルバスタチン)の副作用による「末梢神経障害」。つまり、ニューロパシー。薬の服用を中止して、2週間ほど様子を見てから、薬の変更などを家庭医に相談しなさいということで一件落着。でも、この末梢神経障害も放っておくと進行するから軽く見るわけには行かない。元から薬嫌いのカレシは薬をやめろと言われてなんかうれしそう。不要で済んだ点滴用の針を外してもらって、自分の服に着替えて、救急センターを後にした。午前8時半・・・

差し込む朝日が新鮮に見えるキッチンで早すぎる朝食をとって、二人ともベッドに直行。目が覚めたのは午後2時半すぎ。それにしても、なんとも長い朝(あるいは夜)だったなあ・・・

短すぎる一日

7月11日。きのうはカレシの救急センター行きのてんやわんやのあとで、朝食が早くて、「寝なおし」から起きるのが遅くて、おかげで二人とも1日中なんとなく調子が出ないまま。それでもワタシはまじめに洗濯機を回して、ドライヤーを回して、電話の請求書の支払い処理をして、ついでにネットでショッピング。あはは、このあたりでなんだか調子が上がってきたのか、盛大な買い物になった。まあ、注文するつもりのものがたまっていたんだけど、それがまとまって、おまけに衝動買いが加わると、う~ん、やっぱり盛大だ。テンピュールのマットレスパッド、50何本だか貯蔵できるワインラック、LLビーンのトートバッグが3つ(前に買った2つは大きすぎたのでシーラとヴァルにあげてしまった)、果物などの乾燥機、新しいフライパン、新しいドレス1枚とスカート3枚。し~らない。

ゆっくりとお風呂に入って、わりと早く寝たんだけど、目が覚めたらもう午後1時。カレシは足が冷たくて目が覚めたけど、「原因がわかっているから、ふ~んと思っているうちに眠ってしまった」とか。起きたときはあまり冷たくなかった。薬をやめたばかりでもう効き目があったのかな。ワタシの方は病院で変な姿勢でうたた寝していて頚椎の古傷をいためたのか、脳天から穴をあけられるような頭痛で何度も目が覚めてしまって、まだ寝足りない。

遅い朝食が終わればもう2時半。それでもモールへショッピング。土曜日の午後だというのに駐車場はけっこう空きがある。やっぱり不況なのか、それともあまりにも天気がいいものでみんなショッピングどころじゃないのか、とにかくうまく日陰に止められた。カーラジオで「ダウンタウンで27度」。デパートではカレシが壊して代わりを買いそびれていたサラダボウルを物色。Denbyの白いボウルが気に入って、値段を見たら130ドル。カレシ、「こわさないようにストレスになりそうだ」と却下。次に気に入った四角いボウルは25ドル。これならこわしてもいいか・・・。

あとは野菜と果物の買出し。やっと地物のブルーベリーが登場。カリフォルニアのより断然甘い。結局、いちご、ラズベリー、ブルーベリー、スイカ、プラム、ピーチ、バナナを大量に仕入れて、あとはいつもの野菜。ワタシは床に落ちていた葉っぱを踏んで、あやうく後ろ向きに転倒しそうになったけど、ぐっと踏みとどまった。山盛りのトートバッグは、重い、重い。だけど、腰の調子がおかしいなあ。やれやれ、首もまだ落ち着かないのに・・・。

あまりにも大量の野菜果物を収納するのにひと汗かいたら、もう少し遅めの夕食の時間。カレシが体重が下がってきたと騒ぐので、今日のメニューは焼きギョーザにした。食事療法では豚肉はグレーゾーン。ヒレはいいけど挽き肉はたぶん脂が多すぎるだろうということで、鶏のももの挽き肉で作ってみることにした。たあ菜の緑の部分、ネギ、生姜、にんにく、ごま油、醤油。これをフードプロセッサにかけて、肉と混ぜ合わせたら、かなり大量のギョーザができたので、半分は即冷凍。豚肉で作ったのよりもずっとおいしくて、なんか久しぶりに「食べた」という気がした。ふむ、やっぱり量的に足りていないのかなあ。魚料理って、バターやソースを盛大に使わないと、どうしたって低カロリーだもんねえ。どうしたものかと、シェフは思案投げ首・・・。

夢の中のまた夢は

7月12日。二人とも良く眠ったみたい。ワタシも薬を飲まない方だけど、首の調子がまだ良くないので、頭痛で目が覚めないようにタイレノルを1錠だけ飲んで寝た。背中はまだ落ち着きが悪いし、やれやれ、これってsympathy painなのかな。なぜか英和辞書に出てこないから日本語でなんというのかわからないけど、sympathy strike(同情スト)というのがあるから、こっちは「同情痛」とか?

よく眠ったせいかどうか、またまたヘンな夢を見ていた。120万文字の本を翻訳する案件。なぜかアフリカに関係のある話らしく、子供の頃に本で読んだような象やキリンの写真がある本。作者は女性だけど、誰だかさっぱりわからない。所要日数はどれくらいかと聞くから、250日とか何とか言ったら、「じゃあ、あと5千冊できますねえ」。よく見たら小さな本に首を突っ込んでいる人が何人もいる。それにしても、クリスティーとかガードナーとかチャンドラーとか、作者の名前だけでかでかの小さな本。「ああ、この程度ならなんとか」と、ノンシャランに言っているワタシ・・・そこで目が覚めて、「ヘンな夢を見ちゃった。こんな大きなのをやっていたら他の仕事ができないよ~」と誰かにぐちっているワタシ。あれ、また夢の中で夢を見ていたような・・・

ワタシはときたま夢の中で眠ってしまって夢を見ることがある。そういうのに限ってけっこうはっきり覚えているから不思議で、人と話をしている最中に猛烈な眠気に襲われて眠ってしまって、まったくつながりのない夢を見ているうちにはっと目を覚まして平謝りに謝っていた夢を見たこともある。眠っているときにまでそんなに頭を使わなくてもいいじゃないかとも思うけど、夢のまた夢の中でも仕事の話をしているなんて、ワタシもよっぽどのワーカホリック。それにしても、人間の脳みそはわりと奥が深くて、記憶が何層にもなっているのかな。コンピュータでフォルダの中のフォルダを開けたらまたフォルダがあるというな感じかな。こんな調子で、夢の中の夢の中で夢を見るなんてことは可能なのかな。夢の中で夢を見ている途中で起こされてしまったらどうなるんだろう。夢と現実のどっちで目が覚めるのかなあ・・・?

日曜日。曇り。風が吹いている。日本ではあと1時間ほどで月曜日の仕事が始まる。しばらくの間大きな仕事が入ってこないといいなあ。先週からずっと確定待ちの仕事も、「残念ながらなかったことに」となってくれたら御の字なんだけど・・・

ヘルシーライフは算数の宿題

7月13日。きのうは仕事が来ませんようにと抜き足、差し足だったのに、結局また捕まってしまった。あ~あ。

カレシがマー先生の対応が納得できないから、もっと近いところに医者を探すと言い出した。副作用が出始めたときに本気で取り合ってくれなかったからだそうな。まあ、セカンドオピニオンはいいことだと思うし、マー先生のオフィスはダウンタウンで車を止めにくいから、近くに家庭医がいるのは年を取るほどに便利でいいと思うな。だけど、今どきは実入りのいい専門医になりたがる医者が多くて、家庭医が不足。新規の患者を受け入れている医者はほんのひと握りという困った状況だから、うまく見つかるのかどうか。そこでカレシの戦略はモールの周辺のメディカルビルに入っている医者をリストアップして、患者を受け入れているか、いなければ待機リストがあるかを聞き、ついでにオフィスの様子を探ってこようという、まあ、就活ならぬ「医活」。

カレシが医者回りをしている間に、ワタシはスーパーで買い物。だけど、その前にサプリを売っている店に寄って、「CoQ10」のサプリを買った。リピトールのようなスタチン系の薬はコレステロールの生産を阻止すると同時に体にはなくてはならないユビキノン(コエンザイムQ10)の生産もいっしょに阻止してしまうという。カレシがやられたニューロパシーとユビキノンの不足は大いに関係があるらしい。サプリの店の人に事情を話したら、「あ、そういう人、ときどきいますよ」と。やっぱりスタチン系の副作用はけっこう深刻だってことか。それでも製薬会社が売り続けるのは稼ぎ頭だからだろうな。とにかく、カレシは救急センターのドクターの命令?で薬を中止したから、このサプリでかなりの修復効果があるかもしれない。だけど、200mgが120錠入って、お値段はざっと130ドルとえらく高い。250ドルの薬を半分飲んだところで服用中止の「被害」の後なんだから、効き目あらたかでありますように。

さて、今日の買い物は「カロリーが高くて、飽和脂肪とコレステロールが低いもの」という命題つき。シェフ兼栄養士のしごともだんだんややこしくなって来るけど、きのうの物量作戦でカレシは体重がまた1ポンド増えた(ワタシも!)というから、やはり量的に足りていなかったんだろう。だけど、いつも3コース作るわけにもいかない。穀類ならかなりカロリー効率が良さそうということで、メインは「魚+野菜+穀類」。ここは「ポーショニング戦略」で、カレシ3に対してワタシ2の配分。考えてみたら、体の大きさがそのくらいの比率なんだから、小さいワタシがカレシを肥やすのと同じ量を食べたら、せっかく体重が減って喜んでいるのにワタシは逆戻りしてしまう。古くから、「身のほどを知る」って言うからねえ。

この頃は初めて買うものはまず栄養成分を表示するラベルの情報を解読することから始める。ラベルの一番手はカロリー。次に脂肪の数字があって、その下に「飽和脂肪」と「トランスファット」の内訳が表示されている。トランスファットはほとんどがゼロなので無視。飽和脂肪は小さければ小さいほどいい。次がコレステロールの量。それから塩分。次に来るのが炭水化物で、繊維と糖分の内訳が表示され、次がたんぱく質で、太線で区切った下にさらにビタミンAとビタミンC、カルシウムと鉄分の表示がある。法律で決まった形式のラベルだから、要領がわかるとおもしろい。基準となる量が食品ごとにまちまちなので、あまり得意でない暗算をたくさんすることになるけど、これも脳みそのエクササイズと思えば悪くない。

買い物が終わる頃に「医活」が終わったカレシがやって来た。ベトナム系のドクターが患者を受け入れていて、受付の人の応対の感じが良かったと報告。半径2キロの中で見つかれば便利でいいな。今日はけっこう実り多い午後だった。

風向きの変わり目かな

7月14日。カレシが薬をやめて数日だけど、足が氷のように冷たくなる症状はほぼなくなったらしい。足の指先がチリチリするのと、足の裏がしびれているのと、やたらと足だけ汗をかく症状はまだ続いている。でも、あの急速冷凍されたような冷たさがなくなっただけでも、薬が元凶だったことはほぼ間違いないといえるかもしれない。カレシはぷりぷりしているけど、今どきは医も薬もビジネスで、おまけに患者は「即効薬」を要求する時代。薬で治るんだったら、ライフスタイルや食事を変える努力なんかしなくてもいいものねえ。そこを製薬会社につけ込まれているきらいもあるなあ。

マー先生は血液検査で「C反応性タンパク(CRP)」の数値が高かったことで、コレステロール値、血圧を合わせて、「心臓血管系の炎症」が進行していると判断したようなところがある。でも、このCRPというやつはとにかくいろんな炎症で高くなるもので、たとえば過敏性腸症候群(IBS)でも陽性になるという。IBSはストレスが引き金になるそうで、まさにカレシが若い頃から悩まされてきたビョーキ。つまり、CRPの数値が心臓血管系疾患と関係があるとは必ずしも言えないわけで、しろうと判断は危険ではあるけど、薬の処方は不要だったという可能性もなくはないだろうな。

でも、ググればググるほど、「ストレス」の文字が出てくるのを見て、カレシが自己観察を始めたのは瓢箪から駒。曰く、「ボクは不安な質なんだよな」。そう、不安だからイライラするんだよね。それで、イライラしてもどうにもならないからストレスになって、不眠症になったり、IBSになったりするんだよね。「リラックスする訓練をしなきゃなんないなあ」。そう、病は気からというもの。東洋医学の思想と「holistic medicine(ホリスティック医学)」には通じるものがあるよね。メイヨクリニックがその考え方を取り入れて成功しているそうだけど、心と体はまさに一心同体。ワタシには別に東洋医学と西洋医学、東洋思想と西洋思想、東洋文化と西洋文化を比べて優劣をつけるような趣味はないから、両方からいいとこ取りをするけどね。みんな違って、みんないいってことで。

さて、リラックスするにはどうしたらいいか。禅のように瞑想をやってみるのもいいし、いつも庭仕事をしていると気持が落ち着くと言っているんだから、もっと庭に出たらいい。(野菜の増産と庭の整備でワタシも得をしちゃうかも・・・。)だけど、それよりも周りをコントロールしようとしないことかな。「~してほしい(やめてほしい)」、「~してくれない(やめてくれない)」と思うのは、周りをコントロールしようということで、精神のエネルギーは外へ流れて行ってしまう。でも、他人を変えることはできないから、結局は他人にコントロールされる形になるわけで、それにイライラしてストレスが高まる。人間が本当にコントロールできるのは自分だけ。ワタシがカウンセリングでうつ病から這い上がれたのは、「で、あなたはどうしたいの?」と繰り返し聞かれるうちに、それがいかに大事なことかをを学んだからと言える。それが自分を大切にして、よくめんどうを見るということなのだと。

カレシがワタシがカウンセリングの話をするのをちゃんと聞いているのも、ワタシが飲んでいた抗うつ剤のことを口にするのも、なんとなく変化の兆しみたいな感じがする。今まで「なかったことにしたい」という気持からか、ワタシが触れるのを嫌がっていたのが、カレシの方から聞いてくる。何年後だかに心臓血管系の病気になる確率は40%とか言われてショックだった上に、処方されていやいや飲み始めた薬でひどい目にあって、心境の変化が起きたのかな。食習慣を変えて、ライフスタイルを変えて、気の持ちようも変えたら、一病息災の自己管理でこれからの人生がずっと楽しくなるかもしれないよ。命あるものはみんないずれ死ぬんだから、みじめな気持でイライラしながら百まで生きるよりは、楽しく充実して80才で命が尽きる人生の方がよっぽど幸せで、死ぬことだって怖くなくなると思うけど。

それにしても、ワタシは奥さんのほかに、お抱えシェフで、栄養士で、おまけにカウンセラーまでやるの?う~ん、ワタシは仕事があるんだけど・・・

やりすぎはいけないけど

7月15日。今日が期限の仕事をやり残したまま、ちょっぴりだけレミをたしなんで寝たのはいつもより早めの午前3時。この分ならぐっすり、たっぷり眠れるかと思ったら、途中で頭痛で目が覚めた。頚椎の古傷が温湿布をしているのにまだ治らないらしい。困ったもんだ。最初に怪我をしたときに、ずれた頚椎を元に戻してくれた物理療法士が「人間の頭ってすごく重いのよ、中身によるんだけど」と言った。中身云々は別としても、そういう重たいものを頚椎という台座の上に乗っけているわけ。だから、前かがみになると落ちないように筋肉を突っ張らなければならない。落ちそうになっているのを支えるにはもっと筋力がいるだろうな。だから首と肩が痛いほど凝ってしまうのだ。

それでも頭痛がしない角度に頭が落ち着いたらしく、また眠りに戻って、目が覚めたのは正午ぎりぎり。さあ、大変だ。午後5時が期限なのに、どうみたってたっぷり4時間分の仕事が残っている。ブルーペリーとイチゴたっぷりの朝食もそこそこ、血圧を測るのもそこそこに、仕事にかかる。これが実に退屈で、ああしました、こうしましたという報告。実際には委員会ばかり作っているような感じがするけど、いつものように主語がないおかげでいったいどれ(誰)が何をやったのかさっぱりわからない。おまけに時制が一致していないもので、過去のことなのか、これからのことなのか。もう、しらないったら。まあ、少なくとも「おバカていねい語」がないだけましかもしれないけど。

午後いっぱい必死でがんばって、間に合った!午後4時30分。また肩が痛い。ワタシが必死でキーを叩いている間、カレシは外で玄関前のボードウォークの釘打ち。去年から作り始めて、やっとポーチに沿った部分が完成。材木が古くなっているので釘が曲がって困ったそうな。色が少しずつ違っていて、なんだかおもしろい縞模様になった。あとはゲートまでの間だけど、こっちの方は斜めの角度。まあ、板を打ち付けてから端を丸鋸で切りそろえたら簡単だと思うけど。これで配達の人も歩きやすくなるし、スカンクもポーチの下にもぐりこめない。夏休み、がんばってるね。

建設作業が終わってから、がんばりついでに栄養士のホットラインに電話していろいろ相談したという。短期間で3キロも減ったと食事の内容を説明したら、「それでは体重が減るのはあたりまえ」。つまりカロリーが足りていないってことだけど、身長と年令からするとごく「正常」の範囲だから心配はないと言われたらしい。それでも、このままだともっとやせると言われて、コレステロールや血圧に悪影響のないカロリーの増やし方を聞いたら、オリーブ油は好きなだけ摂ってよし。卵黄は週に2個までならよし。卵白は好きなだけ。アイスクリームよりもシャーベットを作るとよし。赤身の肉は脂身がなければ週に1回くらい食べてよし。運動をするなら、1回に食べる量を増やすか、間食としてナッツなどを食べる。コレステロールも飽和脂肪も体が必要とするものだから、少量は摂ってもよし。要するに、バランスの取れた食事、適度の運動、そしてリラックス。健康生活を送るための「三種の神器」というところかな。

そういうことならと、今日の夕食はキムチ味のチゲ。豚のヒレの尻尾、鶏肉ギョーザ、韓国かまぼこ、豆腐、白菜、もやし、ねぎ、えのきだけ、生ラーメンで、ワンプレーとならぬ、ワンボウル料理。これだけいろいろぶち込んだらカロリーはたっぷりだろうな。さすがのカレシも「いやあ、食べたなあ。おなかがいっぱい」と、おなかをさすって満足のようす。調子に乗って夜中のランチはたあ菜とネギとアスパラガスとエビの焼きビーフンの大盛。う~ん、だけどやりすぎはいかんな。まあ、今日は外でかなり働いたからいいけど、食事療法の微調整を考えなくちゃ・・・。