リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年2月~その1

2011年02月16日 | 昔語り(2006~2013)
のるかそるかのクランチタイム

2月1日。火曜日。ゲートのチャイムの音で目が覚めた。そういえば、天文学と気象学の講義のDVDを注文してあったんだ。FedExで送ってくるけど、サインしないと置いていってくれない。ま、あしたまた再トライしてくれるし、またすれ違ったら空港近くのFedExのオフィスまで取りに行けばいいんだけど。今日もこの時期にしては良すぎるくらいの晴天で、窓が5面にある二階の八角塔は、もしも猫がいたら喜びそうな、いや、猫でなくても、陽だまりに丸くなって昼寝をしたいくらいポカポカ。

今日はのるかそるかの「クランチタイム」。あしたの夕方が期限の仕事、あの業界の原稿にふさわしい日本語。へたをすると数百文字がひとつのセンテンスだったりして、びっしりと画面を埋めている文章を「解読」するのに、行を分けてみたり、並び替えてみたりして、どこをどうして、何がどうなって、結局はこういうこと・・・かな?というめんどうな謎解き。英語の法律文書にもたまにすごいのに出くわすけど、どうも日本語の文法ってのは、法律的なことを論理的に、正確に、こと細かに説明するのが苦手なようにできているらしい。書いている人は一生懸命に疑義のないように明確に書こうとしているのはわかるんだけど、肝心なところで平素の日本語になって、「主語」が抜けるから、「~しなければならない」責任の所在があやふやになる。書いている人の文章力の問題じゃなくて、日本語そのものがそうなってるんだろうな、きっと。

そうやって髪をかきむしりながらキーを叩きまくっているところへ、またぞろ超特急の仕事が舞い込んでくる。何時ごろに原稿が来る予定だけど、何時ごろまでに出来上がりそうか。息抜きにねじ込めば、今夜の夜中までには何とか。それまでは先行の方をがむしゃらに進めておいて・・・と算段していたら、入稿予定の時間を過ぎて、超特急の原稿がまだ客先から来ていないという赤丸つきのメール。大雪に埋もれて立ち往生しているわけじゃあるまいし、最近はこういう、まずは「すぐにやって!」と命じておいて、「あ、原稿はまだですぅ」という担当者が客先の組織に増えて来ているような感じがするなあ。ひょっとしたらゆとり教育の落とし子なのかな。それともクリックひとつでインスタントに何かが起きる時代の落とし子なのか・・・。

結局のところ、なぜか知らないけど肝心の原稿が当初完了予定だった夜中過ぎにずれ込んでくれたおかげで先行仕事を完了した後でやれることになった。超特急が鈍行になって、クランチタイム真っ最中のこっちは万々歳だけど、発注担当者は焦ったかもしれないな。いや、ぜんぜん焦らなかったのかもしれないけど、ま、とにかくオツカレサマ・・・。

肉食女子は生の肉も食べる

2月3日。木曜日。正午過ぎの起床。雨もよう。ちょっぴり疲れた気分。何たってきのうはがんばったもん。まるで1万語の迷路みたいな文書を超特急で見直しして、期限間近の午後3時半に納品。漢字満載で延々と続く長大なセンテンス、さんざん苦労して訳したのをカレシに読ませたら、「なんだ、計算の式を言葉で説明しているんだよ」と。なあんだ。そうならそうと初めっから計算式で表してくれたらいいのに。とは言っても、契約文書だからそういうわけにも行かないか。だったら、まずこれを計算して、それからあれを計算して、最後にこれとあれをかけて・・・という具合にもう少し文章を整理してくれたらいいのに。くたびれたよ、もう。その後で急いで夕食をして、入稿が遅れた(そのくせ発注側の最終期限は変更なしの)超特急仕事をやっつけて、赤丸つきの超特急で送って・・・はあ、もういいよ。

納期をメモしてあるカレンダーを見たら、まだあと6つも仕事がある。まだ月が変わったばかりなのに、見ただけで「どっと疲れた」気分になって、もう今日1日。は休みだ、休み!そういえば、1日。は「創業記念日」だったのに、またまた仕事だなんだとばたばたしているうちに過ぎてしまった。ひとりで世渡りみたいな稼業になって21年。まあ、浮き沈みはあったけど、21年の間こんな調子でばたばたして来たような感じもするなあ・・・と、とりあえずの「創業記念日の感慨」。

今日は旧正月の元旦。カナダでは俗に「Chinese New Year(中国正月)」と呼んでいる。中国系の人口が多いバンクーバーでは商店も赤と金と「恭禧發財」の飾りつけ。広東語で「お金に恵まれる良い年を」と言う意味だそうで、さすが香港の伝統だけど、将来、標準語を話す中国本土からの移民が増えたら、バンクーバーでの中国正月のあいさつも変わるんだろうか。旧正月はベトナム系も韓国系も含めて、アジア系カナダ人のお祭りだから、いっそのこと「法定祝日」にしたらどうだろうな。なにしろ、2月には祝日がないもので、きは元旦のあとは復活祭まで祝日がない。この復活祭も3月の下旬から4月の下旬だから、祝日の空白は長い。ちなみに今年の復活祭は4月24日。で、計算の上では最も遅い日。ふむ、ワタシの誕生日の前の日か・・・。

ニュースのサイトを巡回していたら、共同通信発で「生肉の寿司が日本の肉食女子に人気」という記事に遭遇。日本には(食べたことはないけど)馬刺しとかとりわさというものがあるし、世界各地にだってタルタルステーキとかカルパッチオとかユッケとか、肉を生か、少なくとも半生で食べる習慣はあるんだけど、う~ん、肉をのせた握り寿司ねえ。客筋はアラサー世代の女性が多いんだそうな。生の牛肉、豚肉、鶏肉、馬肉、鹿肉・・・まさに「肉食女子」の本領発揮ってところかなあ。カレシに説明したら、(スシだと言ってるのに)なんだか子供の頃にホラー映画で見た「髪を振り乱して生肉を食らっている妖怪女」を想像してしまったらしいけど、今どきの日本女子は比ゆ的な意味で二本足のそれも特にオスの動物も食うという印象がなきにしもあらずだから、あながち・・・?

毎月30/31日。のうちの28日。か29日。は魚介類を主食にしている我が家だけど、記事を読んでいるうちに、何となくたらふく肉を食べたいような気分になって来たからおかしい。まあ、仕事というのは「客」という相手があることだから、いくら自営でもすべて自分の思い通りに運ぶことはほとんどないと言っていい。その点では会社勤めや宮仕えと同じようなもので、ドカ雪みたいにストレスがたまることには変わりはない。それできっと身体が動物性脂肪をたっぷり食べた~いと叫んでいるのかもしれない。ふむ、フリーザーの底に最後のサーロインのローストが1個あったような気がするから、見つかったら久々のローストビーフにするか、それとも大きな鍋いっぱいにど~んとグリコカレーを作るか。ワタシだって肉食女子なんだもの、年を取って少しばかり筋っぽいかもしれないけど、少なくともマグロじゃないんだから、四足動物の肉をたらふく食べたくなるときだってあるのだ。まだ、生身を食うところまでは行ってないけども・・・。

教育ママゴンとタイガーマザー

2月4日。金曜日。穏やかな日差し。温室の中は気温が上がりすぎて屋根が開き始めるほど。おとといの水曜日はグラウンドホッグデイで、北米の東部の各地ではそれぞれに名前のついたグラウンドホッグ(マーモット)が穴から出て来て(というか出されて)、地面に自分の影が見えるかどうかで春の到来を占わされる日。この冬は次々に襲ってくる大雪や吹雪に悩まされ続けたけど、各地のグラウンドホッグ君が眠い目をこすりこすり、「ボクの影、どこ~?」と言ったかどうか知らないけど、影を見なかそうで、「春はもうすぐそこまで来ている」というご託宣だったそうな。

口の悪いカレシは「すぐそこって、あと6日。?6週間?6ヵ月?」とテレビに向かって突っ込みを入れていたけど、影が見えたら「あと6週間冬が続く」。ワタシ突っ込ませてもらえば、グラウンドホッグデイから6週間後には公式に「春」が始まる春分の日が目の前だから、寝ぼけまなこのグラウンドホッグに言われるまでもなく、6週間後には春は来るってことなんだけど。でも、東部にまたまた大雪と寒波の予報が出ている。春は近いというご託宣が希望的観測に終わらないで、当たってくれるかな・・・?

この冬は(というよりはこの冬も)あっちこっちで異常な大雪やら寒波やら大雨だけど、アメリカのさらに南にあるメキシコの北部で雪が降って学校が休校になったという大異変。この日曜日にスーパーボウルがあるテキサス州のダラスも、ひと晩のうちに年間降雪量の倍の雪が降ったそうで、空からの写真を見たら一面の雪景色。ま、屋根があるし、寒いことに慣れているところのチーム同士の対決だからいいけど、11月に決勝戦があるカナダのプロフットボールでは、エドモントンやウィニペグのような冬の訪れが早いところで試合があると、降りしきる雪の中でのプレーということも珍しくはない。

アメリカンフットボールと野球、バスケットボールをアメリカの三大?国技と言っても良さそうだけど、日本の国技となるとやっぱり相撲か。柔道も国技に数えていいのかもしれないけど、プロスポーツとして商業化されている日本固有のものは相撲だけだと思う。いや日本の国技はパチンコだと言った人がいたけど、古来の格式ある大相撲が弟子をしごいて殺してしまったり、賭博に汚染されていたりと、なんか腐りかけた魚のような感じがすると思っていたら、今度は星を融通しあうという八百長スキャンダルで、とうとう春場所が中止になるらしい。格式あるスポーツも何もあったもんじゃないけど、カビの生えた封建的な体質が内部から腐敗し始めたということか。どんな風に変わろうとするのか、どれくらい近代化が可能なのかはわからないけど、一度きれいに解体してしまって、改めて構築し直すしかないだろうな。それも、一般の国民が「国技」としての存続を望むなら、だけど。

今アメリカとカナダで、イェール大学エイミー・チュアという中国系アメリカ人の法学院教授が自分の娘たちの教育について書いた『Battle Hymn of the Tiger Mother』という本がベストセラーになると同時に賛否取り混ぜての大議論が巻き起こっている。彼女が主張する「中国流」の教育法が「アメリカ流」の教育に勝っているかどうかはおいとくとして、まっさきに「ママゴン」という言葉が浮かんで来た。大学受験の試験地獄が過酷になる中で、いい大学に入って、いい企業に就職するためにと子供を勉強、勉強、また勉強と駆り立てていた、いわゆる「教育ママ」を、時の怪獣のブームに乗って「ママゴン」と呼んでいた。チュア教授はそのママゴンと似ていなくもないと思う。

あの頃はまだ機会均等法の前だったから、特に男の子への圧力が大きかったように思う。中には「勉強していい大学に入らないとパパのようになってしまうよ」と息子のお尻を叩いたママゴンもいたそうで、残業に追いまくられる企業戦士の夫たちに欲求不満を抱えていた専業主婦の妻たちがあり余るエネルギーを子供の教育に向けていたようなところがある。チュア教授は自分が父親からそういう教育を受けて成功したからだといいたいようだけど、彼女の父親は中国からの移民で、新天地アメリカで成功するためにはアメリカ人の何倍もの努力が必要だった世代。自分がそういう風に育てられたからと、自分の子供にも・・・というのはDVの連鎖を思わせる。いや、母親が期待する結果を出せなかった娘を「ゴミ」だの「バカ」だのと呼び、すべては「子供のため」にやっていることだと言うのは、DV族の常套句でもある。

ママゴンにお尻を叩かれながら、受験地獄を通りぬけ、一流大学に入って、一流企業や中央官庁に就職した(はずの)男の子たちは、今ごろは一流企業や中央官庁の中堅エリートになって、世界をまたに大活躍しているはずだけど、実際にはどんな人生だったんだろうな。企業も官庁も、汚職だ、隠蔽だ、改竄だ、偽装だ、盗撮だ、買春だ、八百長だ、なんだかんだと、まあいろいろとあるけど。ダボスでハーヴァード大学のサマーズ学長がチュア教授にかみついたそうな。「世界を大きく変えたビル・ゲイツとマーク・ザッカーバーグはどちらもハーヴァード大学中退。タイガーママにとっては失望のいたりだっただろうね」と。チュア教授が自分のやり方に確信を持っていて、娘たちがそれにポジティブに応えていたんだったら、良い結果が生まれるかもしれないけど、彼女の本を買って読む母親たちがみんな大学教授とか企業幹部というわけじゃないし、すべての子供たちが高い能力をもって生まれてくるわけでもない。うまく行かない人生に不平不満を抱え、自分の考えも持たずに闇雲に「タイガーマザー」を模倣して、子供を成功者に仕立て上げることで世の中を見返してやろうというママゴンが大発生したら、未来の人間社会はどんなことになるやら。考えるだけで恐ろしいような・・・。

男にはオレ様遺伝子のスイッチがある?

2月5日。土曜日。ちょっと日があるけど曇りがち。夜には雨の予報。前日カレシがテレビの前でホッケーの試合中を眠り通してしまったとかで、就寝は午前5時に近かった。おかげで起床はあたりまえに正午過ぎ。なんだかこの頃ちょっとばかりヘンだなあ、この人。体重が2キロ増えたといって騒いでいたけど、食事の間にピクルスだのポテトチップだのとやたらとちょこちょこ口に入れていたら、増えても不思議はないでしょうが。三食きちんと食べているのにどうしてそんなにおなかが空くのかなあ。一種のストレス食いというのか、いわゆる「口さびしい」という心理かな。

ときどきカレシの言動を観察してみると、人間の心理、特に男の心理っておもしろいもんだなあと感心することが多い。今日はエコーのバッテリの充電がてら、Hマートに野菜を買いに行って、帰りに園芸センターによってそろそろハーブの苗が出ているかどうか見てくることにした。我が家は市の南の端っこで、コキットラムへ行くハイウェイは市の北側にある。このところ、どこもかしこも道路工事やらインフラ工事で、交通止めだったり、片側通行だったりするもので、渋滞が大嫌いなカレシはあっちの横道に逸れ、こっちの横道に逸れして、市の半分を斜めに横切ってハイウェイに乗るまでに、もうかなりムカついてご機嫌ナナメになっている。

そのハイウェイでHOVレーンを走っていたら、後続の小型トラックがホーンを鳴らした。サイドミラーを見たらかなりくっついて走っている。速度計を見たら制限時速の80キロをちょっと超える程度で、となりの車線の車がビュンビュン先へ行くけど、カレシはスピードを上げる気配なしで、トラックの方もなぜか車線を変えない。ははあ、神経戦か。ちびのエコーとトラックが金魚のウンコみたいにつながって走っている図は滑稽だけど、互いに動物的な以心伝心があるように見えるからよけいにおかしくなる。かってゴルフ場の周りをジョギングしていた頃、散歩をしている犬がこっちの出方を試すようにすぅ~っと遊歩道の中央に寄り、無視して直進するとすぅ~っと飼い主の側に戻ることがよくあった。そう、あれなんだ。カレシとトラックのドライバーはそれと同じような心理行動をとっている・・・。

カレシは何ごともないような顔をして運転しているけど、ストレスを感じたときや自分で気まずい気分になったときにやる、渋い口笛をヒューヒューとやっている。気まずい気分になるならそんな心理戦なんかやらなきゃいいのにと思うんだけど、カレシに限って言えば、イラッとした時点で脳の理性的な領域の思考効率が25%くらい低下し、ムカッと来たら少なくとも50%以上は低下するんじゃないかと思えるところがある。たぶん、そのときに起動して空隙を埋めるのがオスの動物心理なんだろうな。ひょっとしたら、カレシに限らず、男たちはそうやって男同士のコミュニケーションを取ることができるのかもしれないな。昔、男の心理を知りたかったら児童心理学の本を読めばいいと言った人がいたらしいけど、はて、動物心理学の本はどうなんだろう?

そのうちにカレシが車線を変えてスピードを上げたのに、HOVレーンに残ったトラックはスピードを上げない。車間距離がかなり開いたのでゲーム終了かと思ったら、今度はトラックが車線を変更。カレシが(さりげない顔で)スピードを落としたもので、あっという間に距離が縮まって、また金魚のウンコ状態。ハイウェイを降りてしばらく行って、交差点にさしかかったところでトラックは初めてエコーと並んで、ドライバーの顔が見えた。ごくふつうのおじさん的な人で、別にヘンなしぐさをするでもなく、こっちの方をちらりと見ただけで角を曲がって行ったから、この動物ESPによる心理戦はトラックのドライバー氏の方が一枚上手だったというところかな。

まあ、どうひいき目に見たってお子ちゃまっぽい行動としか思えないけど、動物の心理としてみるとオス同士が角を突き合う「縄張り争いのようなものなのかな。それとも、人間の男の脳には、まだ人類が動物だった時代にできた「オレ様遺伝子」というスイッチがあって、理性が効率的に働かなくなったときにカチッと入るのかな。ひょっとしたら、何百万年、何十万年とかけて動物界の頂点に立った人類も、ほんとうのところは自分たちが思っているほどには進化していないってことなのかな。それにしてもまあ、んっとに大の男がいい年こいて、もう・・・。

すてきなオペラジャケットの夢を見て

2月6日。日曜日。目が覚めたらなんだか暗い。また雨もようなのかな。ま、今日はまた期限が迫ってきた仕事にまっじめに取り組まなければならない日だから、雨でも雪でもいいんだけど。

なんたって、きのうは午後は買い物に走り回り、夜はバンクーバー交響楽団のコンサートで、仕事どころじゃなかった。コンサートはドイツ音楽がテーマ。リヒャルト・シュトラウスの『ドンファン』で始まって、リストのピアノ協奏曲。聞きながら、だ~から~ワタシはリストはあんまり好きじゃないんだよなあ、と思っていた。でも、アルメニア人のピアニストはすごかった。第2部のワグナーの『ローエングリン序曲』に続いて、またリストの『死の舞踏』を演奏。聞いているだけでじわじわと汗が出てくるくらいの迫力。最後はシュトラウスに戻って、『サロメ』の「7つのヴェールの踊り」。エキゾチックでなんとなくエロチックなメロディを聞きながら、いやあ、このサロメ、まったくストーカーの先駆者みたいだなあと思っていた。

おかげで、簡単だ~と高をくくっていた仕事、さ~てやっつけるか、と本格的に始めてみたら冗談じゃない。一応はPRの分野に入るものだけど、日本的な発想がほとばしっているという感じで、言葉は平易でも英語的にははなはだしく難解。だいたい、「生活者」ってどういう人なの?「生活」っていったいどういうイメージ?参ったなあ。少なくとも、生きていればみんな「生活」しているわけで、人間として生きていて生活していない人っているの?つまり、人間はみんな「生活者」だと思うんだけど、どうも微妙なところで「生活」についての概念が微妙に違っているような気がする。文化の壁だ、概念の壁だとぶつぶつ言っていたら、カレシが「反対語を考えてみたらいいかも」と提案。う~ん、じゃあ「生活者」の反対語はいったい何なの・・・?

ま、PRなんだから、そう固いことを考えなくても、イメージを表現してあげれば委員じゃないかと思うけど、そもそも日本語の「生活者」のイメージがわかないし、それに対応する英語が浮かんで来ないから困る。たぶんに、英語的には「人間はみんな人間」でしかないんだろうな。つまり、生活者と非生活者、消費者と非消費者、○○と××といった表層的な区分けがない。だからといって、ないで済ませられないのが翻訳業のやっかいなところ。まあ、あしたの午後の期限までに何とかなりそうではあるけど・・・。

文化の「ハザマ」とでもいえそうなところにはまり込んで、なんか今日はストレス。でも、くたびれたら、ゆうべのコンサートの休憩時間にギフトショップで見た「オペラジャケット」のことを考えて、しばし夢想。光沢のある黒の短いジャケットで、フリルやレースがすご~くゴージャス。思わず見とれていたら、「そのイブニングドレスによく合いますよ。袖を通してご覧になりませんか?」とのお誘い。はあ・・・。う~ん・・・。さっさと鏡を持って来てくれたので、着てみたらたしかにぴったりフィットして、何となくセレブになったようなゴージャスな気分。うわわわ、欲しい!だけど、やめといた。やめといたけど、やっぱり気になる。どうやら、ワタシの見栄っ張り心が「欲しい!」って言っているらしい。う~ん、来月のコンサートのときにまだあったら、たまには分不相応にゴージャスな気分に浸ってみたい極楽とんぼに買ってあげようかなあ。(そういえば、値札を見るのを忘れたけど。)仕事、がんばってるもんね。それに、馬子にも衣装って言うし・・・。

生活臭、加齢臭、にんにく臭

2月7日。月曜日。正午ちょっと前、がばっと起きた。外はいい天気そうだけど、今日はそんなことに感心していられない。少なくともは5時までは、トイレに行く時間も惜しんで仕事をしなきゃ・・・。

しっかりと腹ごしらえをして、コーヒーマグを片手にオフィスに出勤。きのう何となく疲れた気分でちんたらやっていて、見直しまで行かなかった仕事。訳上がりの量からして、1時間に千ワードのペースで見直しと書き直しをやらないと間に合わない。それにしても、「生活者」って何なんだろう。やっぱりよくわからない。つまりは「フツーの人」ってこと?バブル時代に高ビーなにわかハイソの連中に「パンピー」と呼ばれた人たちのこと?つまり、一般ピープル?よくわからないけど、「フツーの人」ということにしておいた。

フツーじゃない人たちは生活してないのかどうか知らないけど、いくら雲の上のエライ人だって仙人じゃないんだから、仕事をして、給料もらって、かみさんに渡して(とられて?)、ご飯を食べて、テレビを見て、たまには浮気心のひとつも起こして、くたびれて寝ているはずだよね。つまりは、下界のフツーの人と同じようにまっとうに「生活」しているってことだろうに、「そこの生活者の人~」なんて態度が透けて見えるからおもしろい。うん、「そこの業者の人」と言うのと同じ心理なんじゃないかな。それにしても、この仕事は裃を着たような文体に最近やたらと増殖中の「ばか丁寧語」が交錯していてやりにくいことこの上ない。きっと若い人が書いたんだろうけど、腰を低くしようという努力を褒めるべきか、それとも中身のない腰の低さを批判すべきか。まさに「日本語のゆれ」というところ。こっちは船酔いしそうな気分・・・。

ほんとにトイレにも行かず、飲まず食わずで4時間。がんばった甲斐があって、無事納品。いや、こういうのはくたびれる。あんがい、いちいち考えながら仕事をするようになったのかもしれない。駆け出しの頃はもっとパカパカと快調すぎるくらい快調に仕事が進んでいたような気がするもの。まあ、駆け出しだったからこそ物知らずの怖いもの知らずで、感覚的な判断だけでやっていられたんだろうけど。あの頃の仕事を今読み返したら、きっと顔から猛烈に火が出そうだし、大きな穴をいくつも掘らなければならないだろうな。まあ、日本語の変化に追いつけなくなって来たということもあるかもしれないけど、単語や表現に疑問を持ったり、考えたりして、ウンウン言いながら仕事をするようになったということは、ワタシも少しはプロとして成長したってことかもしれない。ほんとにそうだったらいいんだけど、う~ん、やっぱりくたびれるよ、もう・・・。

夕食のしたくの時間ギリギリで、トレッドミルでの息抜きは後回し。食材をフリーザーから出しておくのをすっかり忘れていたから、一番早く解凍しそうな平べったいカレイを出して来て、袋ごと水につけて急速解凍。なんちゃらケイジャン風に調理して、いんげんとかぼちゃを蒸して、ささっと出来上がり。その間にカレシが「腹が減った」とイラン産のにんにくのピクルスを口に放り込むもので、にんにくのアロマがキッチン中にじわ~ん。あのさ、あんまりぼりぼり食べると、毛穴からもにんにくのアロマが漂って来るよ。ワタシは慣れっこだから別に気にならないけど、あるところのオンナノコたちは何かにつけて他人のことを臭いと言うから、にんにく臭にさらされるストレスはおじさんの加齢臭に勝る凶器になるかも・・・なんて。(よく見たら、「臭」という字は「自」の下に「大」。文字の由来を調べたらおもしろいかも。)

ストレスといえば、今夜は息抜きにサポルスキー先生の講義を聞こう。第10回目のテーマは『ストレスと免疫』。心理神経免疫学という舌をかみそうな分野の話で、なぜストレスにさらされると病気にかかりやすいのか?なぜストレスにさらされると風邪を引きやすいのか?ふむ、ずいぶん長いこと風邪を引いてないなあ、そういえば。ということは、ワタシにはストレスが足りないのかなあ。まあ、だから極楽とんぼなんだろうけども・・・。

寝ているときの咳には気をつけて

2月8日。火曜日。何となく早めに起きてしまって、正午前に朝食を済ませた。どういう風の吹きまわしか知らないけど、近頃はめずらしいなあ、こんなこと。キッチンで電話が鳴っていたのを夢うつつで聞いていたのを覚えているから、それで早くに目覚めモードのスイッチが入ってしまったのかも。ま、どうせあしたの飲料水の配達の確認なんだろうけど。

なぜか今日は朝から腰が痛い。ここのところちょっと咳がついていて、寝ているときに急に咳き込むことが多かったけど、寝ている状態で咳き込むのはリラックスして緩んでいる背骨にとってはかなり危険なことなのだ。一番危なかったのは25年前で、首がおかしくなった。最初はカキンという程度だったのが、じわじわと頭痛が始まって、そのうち痛みが首の後ろから頭頂部を通って鼻の先までっ伝わるようになり、寝返りをするたびに激烈な頭痛で目が覚め、頭痛のおかげで吐き気が止まらなくなり、片方の腕に力が入らなくなった。その頃になってやっとがまんできなくなってドクターに相談したら、即刻近くの物理療法士のところへ送られて、第2頚椎がずれているということで即刻それを元の位置に戻す荒療治。

その後、いつだったか忘れたけど、今度は咳き込みで腰椎を傷めた。痛いときはそろそろと歩くのがやっと。その頃は座業になっていたから、もっぱらヒートバッドを椅子の背において腰を温める作戦が頼りだけど、何かにつけて再発する。あるときドクターにまた腰が痛くて、今度はおなかから膝にかけて鈍い痛みが響くと言ったら、「内科疾患の可能性もあるから消炎剤は出せないよ」と言われてしまった。腰痛がなんで内科疾患?と思ったけど、ワタシはなぜか痛みのしきいが高いらしくて、薬がなくてもちょっとやそっとの痛みは耐えられるから、ああそうですか。ところが、それから1、2ヵ月くらいして「急性腹症」というヘンな名前の病気で緊急入院。まったく知らないうちにできて大きくなった卵巣膿腫が破れたのだった。腰痛とは別のところで膨らんだ膿腫が神経を圧迫して神経痛みたいなことになっていたらしい。ドクターの慧眼に感服したけど、ただの腰痛だと思って鎮痛薬を飲んでいたら、かなり危険なことになっていたかもしれないな。

ちなみに早朝の電話は番号表示が「ニューヨーク」になっていて、ボイスメールのメッセージを聞いたカレシが「急ぎの仕事があるって言ってるよ」と報告してきた。会社の名前を聞いたら、もう5年くらい前に法律関係の英訳のトライアルをやったところで、めったに同意しないトライアルを気まぐれで受けて、審査を依頼された法律専門家からめったにつかないという「A」の評価をもらったけど、スケジュールが合わなくてそれっきり。それでも懲りずにちょくちょく仕事の話を持ち込んでくるのはいいけど、実績がゼロなもので常連が手一杯で他にやる人が見つからないときだけ。残念ながら、そういうときはワタシも手一杯というわけで、未だに恋人もどきのすれ違いばかり。まあ、2年後には仕事を減らす方に傾きつつあるから、今さらクライアントを増やそうという気にもなれないんだけど。

今日はもう大事を取って仕事は休みということにして、背中を温めながら1日。中かなりだらけ気分でPCの前に座っていたら、おお、だいぶ良くなった。ん、座業の仕事と同じようなことをやっているだけなんだけど、そこはストレス誘発性の咳にはサボるのが一番の薬だから・・・。

国際結婚は大変だというよりも・・・

2月9日。水曜日。何度も咳で目を覚まして、やっとまともに眠れたのは午前9時くらいになってから。まだ危なっかしい腰を悪くしないかと心配で、思いっきり咳をすることもはばかられて悶々としていた。おかげで起床は午後1時ぎりぎり。ま、いいんだけど、ふと換気装置のフィルターをかなりの間交換していないことに気づいた。もしかして・・・?

短い午後は向こう1週間の仕事の算段。納期はこっち時間の月曜日に1件、水曜日に2件、金曜日に1件。残る2件はその1週間後だから、とりあえず横においておくことにして、4件合わせて1万5千語。来週の木曜の夜は上演時間3時間プラス休憩2回という長丁場の芝居に行く予定だから、そっくり勤務時間から外してしまうと、あしたから数えて1日。あたりの作業量ノルマは2000語弱。ほっ、これなら普通のペースで行けるな。だら~んとしなければの話だけど・・・。

あしたから数えて、だから今日は休み。腰の具合も考えてトレッドミルも休み。短い午後はほんとにあっという間に過ぎてしまって、夕食を作って、カレシを英語教室に送り出して、換気装置のフィルターの交換。冬なので給気側のフィルターはそれほど汚れていない。吸い込まれる虫もあまりいないから、くもの巣もほとんどない。排気側はと見ると、うわっ、すごい汚れ。熱交換装置がほこりや油汚れで詰まらないように入れてあるフィルターが詰まっては、家の中の汚れた空気がうまく排気されずに残ってしまうんだろうな。それで咳が出るのかどうかはわからないけど。きれいなフィルターを入れて、汚れたのは洗濯機にポイ。ついでに思いついて冷凍庫の引き出しがなぜ外れるのか点検。あは、スライダーにボックスを固定するねじがない。抜け落ちたのか、初めから抜けていたのか。とりあえず、ワタシの「ねじコレクション」の箱をかき回して、これはと思うサイズのをシリコーン接着剤と一緒にねじ穴に差し込んでおいた。(このシリコーン接着剤はちょっとした修理でダクトテープに勝る力を発揮してくれるワタシの良き相棒・・・。)

後は腰を温めながらのんびりと小町横町の人間模様の観察。『国際結婚の何が大変?』というトピックがあって、これから国際結婚をする人の相談かと思ったら、あちこちのトピックに書き込まれる「国際結婚は大変なのよ~」のコーラスに、国際結婚も日本人同士の結婚も大差はないと考える人からの「具体的に何が大変なのか」という質問。同感して大差はない、特別なことはないという人もちらほらいるけど、やっぱり「大変なのよ」勢が圧倒的な流れになっている。何が大変かって、煩雑な手続き、、言葉の壁、文化の違い、人種差別、里帰りの経済的負担、食べ物の問題、義家族との付き合い、異国での老後の心配、国際離婚の難しさ・・・だから、(日本人同士の結婚に比べたら)国際結婚はそれはもう大変なのよ~。

ふ~ん、そんなもんなのかなあ。ワタシはそういう「大変、大変」を小町の書き込みにしょっちゅう出て来る「専業主婦は大変なのよ~」とか「兼業主婦は大変なのよ~」とかその他諸々の「大変なのよ~」発言と同じようなものだと思って読んで、どれもそれぞれの対極にある人たち(専業主婦対兼業主婦、独身対既婚、国際結婚対日本人結婚)と比べて、「アタシの方がずっと苦労していて、ずっとがんばっているんだから(対極より)エライのよ」と言うような、早く言えば、他人と比べることで自分は特別な人間なのだと確認したいという心理があるんだろうと思っていた。要するに、自分の生活にいろんな不平不満や苛立ちがあって、あまり幸せでないということかと。

国際結婚は大変だという理由はわからないでもないけど、自分は国際結婚しているんだという認識が強い人ほど、大変だ、大変だと言っているように、少なくともワタシには見えるな。文化の違いはグローバル時代の今はどこに行っても遭遇する。「社会文化」というのはある社会である性格タイプの人たちが多数であることによって形成されるところがあるから、「文化の壁」は自国人同士の性格の違いから来る「相性の壁」よりずっと高いということはないと思う。「言葉の壁」のせいで、自分の気持を思うように表せない、互いに深く理解し合えなくてもどかしいと言うけど、出会った瞬間から言葉の違いはあっただろうに、恋愛中はどうやってコミュニケーションを取っていたんだろう。言葉で意思を伝えられなくて、どうやって結婚話に発展したのかな。まあ、小町を見れば日本人同士の結婚でも日本語でのコミュニケーションが取れていないとわかる人たちがたくさんいるから、恋愛には不思議な魔法の言葉があるのかもしれないな。恋愛と結婚は別だと言う人も多いことだし。

人種差別は国際結婚とは直接関係はないんじゃないかな。「日本国内では感じられないアジア人差別のようなものが感じられる」という書き込みにはつい笑ってしまったけど、そりゃあ日本人はアジア人であっても日本国内では差別を感じることはないだろうな。自分たちの国なんだし、それに自分たちはアジア人じゃないと思っているらしい人も多い。(これも明治の脱亜入欧政策の所産かな・・・?)だから、日本には人種差別がない、日本人は人種差別をしないと、あっけらかんと言えてしまうんだろうと思う。外から見ている限りでは、同胞も含めて異質な人間を嫌って排除しようとすることにかけては、日本人はどこの国の人種差別主義者にも引けを取ってないけどな。ひょっとしたら、異質なものを排除したいという衝動は生物が進化の過程で自己保存のために発達させた免疫機能と関係しているじゃないのかなあ。ま、人間にはそういう本能を制御できる理性があると思うんだけど・・・。

堅い文化論はさておいて、外野席から見る小町横町の人間模様はほんっとにおもしろい。まあ、国際結婚は大変なのよっ!と言う人がたくさんいるようだから、その人にとってはほんとに大変なことなんだろうし、大変だと感じる理由も具体的には十人十色の人それぞれなんだろう。人間として生きて行くだけでも大変なんだけど、それがたとえ自分の意志で選んだ人生であったとしても、言葉やら文化やらなにやらの高い壁に囲まれての人生だったら、空気を読んで意思伝達ができてしまう(らしい)日本人との結婚生活に比べたらもっともっと大変なんだと言いたいのかもしれない。それでも、不平不満や苛立ちはあっても、毎日がんばって結婚生活を継続しているからこそ、それを知らない人たちに「大変よ~」と言いたくなるんだろうな。つまり、「国際結婚は(私が)どんなに大変なのかちっともわかってない人たちにわかってもらうのが大変なのよ」というところかな。結局は日本人同士の結婚の「大変さ」と格別の大差はないような・・・。

終わり良ければすべて良し

2月10日。木曜日。朝っぱらからどういう風の吹きまわしのかか知らないけど、カレシのキスで(半分くらいだったけど)目が覚めて、しばらくむにゃむにゃ。あの~ワタシは白雪姫じゃないんだけど。せっかく咳もせずによく眠っているのに、んっとにもう~と思ってはっきり目が覚めてからよ~く見たら、我がプリンスはカエルにならずに、ちゃんといつものカレシだった。ああ、よかった。うん、どうも近頃はかわいいお姫様がチャーミングな王子様にキスしたとたんに王子様がカエルに変身してしまうという現象が多いらしいから。それも、かわらしいアマガエル君ならまだしも、ふんぞり返ったお殿様ガエルじゃねえ・・・。

今日はそれほど暖かくはないけどいい天気。向かいの桜の木には間違いなくピンク色のつぼみがちらほら。オリンピック開催を目の前にした去年の今ごろは、開いた花がちらほらしていたっけ。1年が経つのは早い。今日は郵便受けに州の公務員の組合年金の事務所からの郵便。去年の物価上昇率に合わせて、カレシの年金の基本額が35ドルくらいアップ。(国の厚生年金と老齢年金も1月から増額になっている。)一緒に入って来たニュースレターを見ると、来年度からは、今ベネフィットとして含まれている医療保険と特別医療保険のうちの歯科保険を廃止することになったとのお知らせ。州の医療保険料は夫婦2人で月額45ドル、歯科保険はこれも夫婦2人で月額42ドル50セントで、前者は自己負担ゼロ、後者は何割かの自己負担がある。(どっちも日本円にして月4千円以下。)まあ、どっちも保険料は課税対象給付なので、自分で払えば少しは税金が減るってことか。要するに、今年からベビーブーム世代が定年に達して年金をもらいはじめるので、将来にわたって物価調整制度を維持できるための財源確保が目的なんだそうな。たしかに年金の基本額が物価に合わせて増えていく方が、将来(可能性は低くても)猛烈なインフレが起きたときに助かるな。

さて、週末にかけて雨の予報ということで、今日はまずワタシがひとっ走りダウンタウンのHマートに行ってバレンタインデイのディナーにあると良さそうなものを買って、カレシとモールの青果屋で落ち合って野菜類を買い、酒屋へ行って在庫僅少になったものを買う、という算段にした。地下鉄の駅までの途中に最近の新聞の記事に売値が「130万ドル」と出ていた新築の家があって、ぱっとしない家の前を歩きながら、交通の激しい道路に面した標準サイズの区画でコミュニティカレッジの向かいの変哲のない家にそんな大金を払う人がいるんだろうかと思っていたら、裏庭の方から不動産屋らしい女性の声が聞こえた。ふむ、買おうかと思う人はいるってことか。

ダウンタウンのHマートは韓国や日本からの語学留学生やワーホリ族が重要な客筋らしく、郊外の韓国系移民コミュニティ向けのとはちょっと品揃えが違う。たとえば、袋入りの「天かす」は郊外の店にはない。生干し冷凍のシシャモもない。というわけで、天かす3袋、シシャモ2パック、生のサバ1パック、爪を立てたらはじけそうな大根1本、マイタケ1パック、大粒の金柑1パック、きれいな模様の入った赤白の板附かまぼこ1個、そして・・・どういう風の吹きまわしか冷凍の「あんこう」のぶつ切り。土曜日には郊外の店で冷凍の太刀魚の切り身を買ったけど、実はどっちも日本では見たことがなかったし、まだ一度も食べたことさえない魚。どんな味がするのかもわからないのに、どうしたもんだろうなあ。まずはレシピを探してみなきゃ・・・。

一緒に夕食のしたくをしながら、カレシが今月いっぱいで英語教室を閉めると宣言。(ただし、ネイバフッドハウスの方で最低10人の生徒をまとめたら気が変わる可能性あり。)俗に十年一日と言うけど、教えるのが好きというだけでは無報酬のボランティアで10年も続けるのは難しいと思うから、カレシはよくやったと思う。中年の危機だか何だかすっかりのぼせ上がって、日本に行って英語教師になる(そして「カリスママン」になる)ためにコミュニティカレッジでESL教師の養成コースを取って、実習と称して悪名高いナンパクラブに入り浸るようになったのはもうかれこれ12年前。日本で英語教師になる(カリスママンになる)夢は叶わなかったけど、この国で少しでも良い暮らしをするためにもっと英語を話せるようになりたいと真剣に望む人たちに教えて、就職口が見つかった人たちやカナダ生まれの孫たちと会話ができるようになったという人たちに感謝されて、お金の多寡では測れないものを得たんじゃないかと思う。ま、終わり良ければすべて良しというから・・・。

どこの国でも年金は悩みの種

2月11日。金曜日。暗いなあ。あまり暗いから、目が覚めてみたら午後12時50分。ふむ、気持良さそうにぐうすか眠っているカレシの鼻の先をこちょこちょ。ねえねえ、1時10分前だよ、起きないと夕食の時間になってしまうよ~。カレシが片目を開けたので、こら~、もうすぐ1時だよ~なんてだらだらやっているうちに午後1時。「そろそろ起きようか」の何だか知らないけど何とかの一声で起床。ひょっとして、ふたりとも完全にご隠居さんになったら、毎日がこんな風になるのかなあ・・・。

身づくろいをしていると、先にキッチンに下りて、テレビをつけて朝食のしたくをしていたカレシが、「おい、ムバラクが辞めたってさ」。おお、エジプトの人たち、ついにやったんだ。穏やかで辛抱強く受身の国民性と言われるエジプト人が、ここまでデモ攻勢をかけて来られたのは、それだけの「もうがまんがならない!」という状況があったんだろう。ムバラクはその空気を完全に読み損なった、というよりは、あまりにも長く政権を牛耳っていたもので、空気を読めなくなって、ついには読む必要はないと思うようになっていたんだろうな。最後のひと押しは軍部だったそうだけど、日ごろムバラクと接触のあるエジプト軍の上層部はナセル政権の時代にソビエト独裁体制のロシアで幹部教育を受けたのに対して、実際に束ねとなる中堅幹部はアメリカで幹部教育を受けた人が多くて、民主主義国家における軍の役割をある程度理解していると思うから、まあ周辺のいつも頭に血が上っている男が牛耳る諸国よりは見通しは明るそうだな。

今日の郵便にはカレシの公的年金についてのお知らせ。そっか、2月は所得税の確定申告に必要な前年度の利子や年金の支払額を証明する書類が送られて来る月なんだ。カレシは3つの年金をもらっているから証明書は3通あって、今回は2つの公的年金。書類は申告用書類をまとめてあるファイルに直行。ワタシの関心はいっしょに送られてきた「年金制度の変更のお知らせ」。なにしろ、あと2年と2ヵ月とちょっとで、受給申請手続きまで1年とちょっと。カナダ居住年数が基準の老齢年金(OAS)は年度ごとの予算でまかなわれるけど、勤労者と雇用主が年収に応じて拠出するカナダ年金制度(CPP)は一般会計とは別の掛け金を運用する年金基金が財源になっているから、連邦政府管掌の公的年金もカレシの組合年金の基金と同様に巨大なベビーブーム世代の引退、年金受給開始という問題を抱えている。

年金基金を健全なレベルに確保するためには改革が不可欠ということで、2012年から60歳以上70歳までの人でCPPを受給しながら働き続ける場合は、65歳以下の場合は継続、65歳以上は任意という違いはあるけど、勤労者も雇用主もCPPの掛け金を払い続けることになる。(掛け金を払い続けることで年金の受給額が増える。)ワタシのように勤労者と雇用主の両方を拠出する自営業の場合は、2012年1月から、営業を中断されることなく年金を受給できるようになる(ということは、何かワタシが知らないでいた制限があったのかなあ)。さらに、年金をもらいながら仕事を続けて(勤労者かつ雇用主として払い込みを続けて)行けるだけじゃなくて、収入が極端に少ないかゼロの期間が続いた場合は、その期間を年金の支給額の数理計算から除外してくれるらしい。

自営業は収入が一定しないから、景気が良ければ一瞬セレブ気分だけど、景気が悪くなれば貧困ライン以下。CPPは原則として18歳から60歳以上の受給開始までの年数が支給額計算の基礎になるので、そういう「不況年」が多くなると最終的な受給額が低くなってしまうから、そういう特殊事情を勘案してくれるシステムはうれしい。まあ、子育てのために何年か休職したりして無収入になる人たちについてはすでにその年数を計算から除外する制度が導入されているから、老後も働いて自立することを促すという考えも必然的な流れだろうな。まあ、根本的には「65になっても隠居なんかしないで、そのまま働いて年金の掛け金を納め続けてくれれば助かるんだけど~」ってことなんだろうけど。

基本的にCPPの掛け金はどんなに天文学的な給料をもらっていても原則的に一人当たりの平均所得に近い部分についてしか納めることができないから、18歳からずっと働いて目いっぱいの掛け金を納めたとしても、現在では満額のCPPとOASを合わせても相当な貧乏を覚悟しなければならない。つまり、いろいろな事情で老後は公的年金が頼りという人口が増えると想定した上で、受給人口が増える中で年金基金の資産を枯渇させないためには、継続して働いて掛け金を納め続けてもらいたいという魂胆なんだろうと思う。それで、各州とも労働法から「65歳定年」の規定を撤廃しつつあるから掛け金の払い込みを65歳でストップする理由はないわけで、(他に収入のあてがあれば)働かずに年金をもらって悠々自適で暮らすのもよし、老後資金が足りなかったり、仕事が命というのなら、年金は受け取る一方でそのまま働き続けるか、パートなり何なりで働いて、掛け金を払い続けて最終的には年金受給額を増やすのもよし、という選択肢を設けたんだろうな。

あと2年とちょっとなんてあっという間に過ぎてしまうけど、自営業といえば結局は自分の「事業」の経営者であり、同時に社員でもあるわけで、「定年」の日に私物をまとめた段ボール箱を抱えて「はい、さよなら」と職場を後にすることもできないから、それまでに最終的にどうするかを決めなくても良くなったようなのはありがたいな。まあ、その日が来たら、仕事量を今の半分くらいに減らして、当面の間は趣味が本業で報酬仕事は副業ということにしようと企んではいるんだけど、その間も私的年金の積立に加えて公的年金の掛け金も払い続けられるようになるわけで、ワタシの老後の安心度、もうちょっと上がるかも・・・。

バレンタインの贈り物は駐車違反切符

2月12日。土曜日。雨。うわ、かなり本気で降ってるなあ。ま、白いものよりはいいけど。池は満タンになっているし、カレシが新しい土と堆肥を入れてえんどう豆を植えるつもりで掘っておいた溝もお堀みたいなありさま。我が家のあたりは大昔はフレーザー川の川底だったそうで、粘土質の土なものであまり水はけが良い方ではない。それで、あちこちに砂を混ぜたり、野菜類のくずはすべて堆肥にして埋めているんだけど・・・。

今日はいったいどれくらい久しぶりなのかわからないくらいに久しぶりのディナーにおでかけ。まあ、12月はクリスマスを控えて外食を控えがちだし、年明けの1月はレストラン業界が閑散期で、バンクーバー観光協会が地元客の誘致行事としてDine Outというキャンペーンを展開する月で自然と足が遠のくからしかたがない。このキャンペーンには市内のちょっとしたレストランがほとんど参加するし、前菜、メイン、デザートの3コースが安いところでは18ドル、高いところでも38ドルで食べられるから、名の知れたところは予約で満杯になる。だけど、たとえばWestで3コースのディナーが38ドルといっても、普通に3コース選んで食べる場合の半分以下の値段では食材の選択肢がかなり制約されるだろうな。シェフが比較的安価でもふだん来ない客にはわりとなじみの薄い食材を工夫してレシピを書いて、キッチンを助手にまかせて自分は休暇を取るんじゃないかな。よくできたアイデアだとは思う。

レストランは客を呼び込めるし、客も普段行かないレストランを試してみることができるし、良いところの料理は安くてもそれなりに良いから、アイデアとしてはすばらしいんだけど、食事に行こうかと思い立ったときに予約がとれないから足が遠のいてしまうわけ。そこでカレシ、Tojo’sに電話をして真っ先に「おたくはDine Outに参加してるの?」と質問。返事がノーだったので、「普段のメニューをやっているところを探していた。あれ、おたくは参加しなくても別にどうってことないんでしょ?」とお世辞たっぷり。予約の6時に行ってみたら、バレンタインのおまかせメニュー(といっても普段のおまかせとほとんど変わりなかったけど)をやっていて、Dine Outが終わる週末なのに7時にはほとんど満席になったからすごい。

窓際に近いテーブルを取って、ビンナガのたたき、和牛のコロッケ、カニのサラダ、マグロののり巻きてんぷら、スモークギンダラの奉書焼き、と続いて、ふと外を見たら、道路向かいに止めた車のそばに黄色ジャケットの人の姿。いっけな~い、駐車メーターにお金を入れるのをケロッと忘れてしまっていた。かなり長いこと駐車メーターにとめるところへはおでかけしていなかったもんねえ。といっても言い訳にはならないけど、いつもメーターにお金を入れるワタシがすっからかんに忘れていたんだから、これもある意味ですごい。駐車違反のケットをワイパーに挟んで行くのを、道路越しに見物しているしかないわけで、やれやれ。こうなったら急ぐこともないということで、越後の純米大吟醸の冷酒をゆっくりと飲み干して、握りとロールの寿司盛り合わせをゆっくりと賞味して、抹茶とダークチョコレートのガナッシュにハート型のホワイトチョコレートを載せたデザートをゆっくりと味わって、久しぶりのディナーは終わり。

メーターの時間オーバー(メーターにゼロが4個点滅)の罰金は3月18日。までに払えば35ドル。それ以降だと倍の70ドル。まあ、とんだバレンタインのプレゼントになったわけだけど、これだったらヴァレ(駐車係)に料金とチップを払ってめんどうをみてもらった方が安いなあ。メーターだと最高2時間までだけど、ヴァレに頼めば時間切れの心配はないし。(Tojo’sでのディナーの時間がWestなどでの半分で終わるのは日本食レストランだからなのかな?なぜかあっという間に終わるような気がする。)ま、カレシがDine Outが終わったことでもあるし、また少しちょくちょくディナーに出かけるようにしようかと言うので、この次はヴァレがいるところにしようかな。どこがいいかな。まあ、何年か前までのように外へ食べにでかけるのがめんどうになったというわけでもないと思うんだけど、どこもほんっとにしばらく行ってない気がするなあ・・・。

今夜はバレンタインデイ・スペシャル

2月14日。月曜日。カレシの腕の中で目を覚ました。あ~ら、なんだかちょっぴりロマンチックなバレンタインデイというところかな。外はかなりの雨。きのうはスケジュールの少しばかりの遅れを取り戻すべく一日中わき目も振らずに超集中で超特急の仕事。原稿を読んでいる方は超退屈なんだけど、訳文を利用する方にとっては人生の分かれ目になりかねないから、なんとなく責任を感じてしまうような仕事・・・。

朝食後も再び午後いっぱいかかって超特急で見直しを済ませて、なんとか予定通りに送り出して、さ~て、今夜は「極楽とんぼ亭」でバレンタインを・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(アスパラガスのしょうが風味スープ)
 変わりかまぼこ入り茶碗蒸し
 ほたて、きゅうりとしょうがのぽん酢漬け
 なんちゃってあんこう鍋風魚介スープ
 ブルコキビーフ入りポテトコロッケ
 スズキのフライパン焼き、野菜添え
 (サラダ)

いつもながら大枠のメニューとして食材の核となる魚介類や肉を決めて解凍しておく。付け合せは、使いそうな野菜類をカウンターに並べておいて、後は行き当たりばったり。どうなることやらと思うけど、まあ、そこは極楽とんぼ亭シェフ得意の思いつき料理・・・。

[写真] アスパラガスを3本、しょうがの塊と一緒にチキンストックでゆでて、しょうがを取り出してから、ハンドミキサーでビューレ。ほんのちょっぴりの生クリームとフランスのしょうがのリキュールを少し加えて、ショットグラスでテーブルへ。クリームスープにしようと思っていたけど、しょうがの微妙な味が意外とアスパラガスの青い味によく合っていたので、クリームはほんのおしるし程度。グラスを使ったのでスプーンはいらないんだけど、日本で買った漆塗りの小さなスプーンを添えてみた。

[写真] おめでたそうなきれいな模様のかまぼこ。茶碗を使うと量が多くなるので、小さな深皿を使ってみた。卵は1個を溶いて半量くらいを取り分け、卵と合わせるだしには底に入れたしめじをゆでただし汁も足した。今度はすが通らずにうまくできたから合格点・・・。

[写真] スライスしたきゅうりと、刻んだきゅうりとしょうがを混ぜたものをぽん酢に漬けておいて、ホタテはそのままフライパン焼き。きゅうりのスライス、ほたて、刻みきゅうりとしょうが、ほたての順に積み上げて、かいわれ大根で彩り。

[写真] 思いつきで買ってしまったあんこうのぶつ切りは、いろいろ調べて、初トライはごく少量を鍋風に調理してみるのが無難と判断。切り身に熱湯をかけておいて、一緒に入っていたしっぽはだしに入れて味を出し、白菜、ねき、しいたけ、しめじ、エビとイカを加えてできあがったのが「なんちゃってあんこう鍋風」のスープ。写真で見たふにゃふにゃしていそうな姿かたちのわりには歯ごたえがあった。

[写真] 土曜日にTojo’sで出された和牛のコロッケにヒントを得て、挽き肉の代わりに牛肉のスライスを細かく刻んだものをブルゴキソースに漬け込んでおいて、ゆでて潰したポテトの中に「あん」のように入れて揚げてみた。ふた口ぐらいで食べられるミニコロッケ。コチュジャンを入れたらもう少しピリッとしたかもしれない。衣の下の卵は茶碗蒸しに使った1個の残り。すそにさっと残りの残りの卵をつけたアスパラガスとグレープトマトを軽く揚げて、ブルーベリーと一緒に付け合せ。

[写真] スズキ(sea bass)はあまり手をかけない調理方法が甘さが生きて一番おいしい。そこで、こしょうと紫がかった(すごく塩辛い)ハワイのアラエアの海塩をパラパラと振って、オリーブ油でフライパン焼き。大きなシャンテレルきのこは大粒の白ぶどうといっしょにバター焼きにして、蒸したアスパラガスとスナップえんどうと一緒に付け合せ。飾りにグレープトマトとかいわれ大根を添えたら、けっこう華やかなメインコースになった。写真がボケて見えるのは、マティニとワインのほろ酔い効果・・・?

下ごしらえに1時間弱で、アミューズブーシュをテーブルに出してから、各コースを調理して出しながら、メインコースに至るまでの所用時間はだいたい2時間。まあまあ手際よく行ったと思う(駐車時間オーバーの違反切符もないしね。)ハッピーバレンタイン!

さて、気合いを入れて仕事の続きにかかるか・・・。

2400年分の献立!

2月15日。火曜日。目が覚めたときは明るかったのに、朝食の頃には曇ってきた。まあ、予報はずっと雨だから、ちょっとひと息だったのかもしれないな。気温は正午を過ぎて7度。日が差さなければあまり下がることはないし、高台で雪がちらつくくらいに下がっても、確実に春はそこまで来ているという感じはする。道産子のカンみたいなものかな。

バレンタインの東京は雪だったそうな。お客さんが滑るし、靴は濡れるしで、歩くのが大変だったと言っていた。雪が降るといつも雪道で転んで怪我をした人の数が報道されるけど、いちいち報道するのって東京圏に雪が降ったときだけのような気がする。水分の多い雪はスノー底になっていない靴で踏みしめるとよけいに滑りやすくなるからめんどう。まあ、それなりに雪道の歩き方というものがあるんだけど、ふだんあたりまえに何気なく歩いているときにはあまり使わない筋肉までがっちり働かせないと、つるり、すってん。そんなときにもしも、寒いからって手をしっかりポケットに入れていたら・・・。

今日はカレシの英語教室。「今日を入れて後4回で終わりだぞ~」と、なんだか定年の日を指折り数えている勤め人みたい。まあ、最初のときは定年までまだ8年もあったのに雇用主側から「退職」の引導を渡された形での退職だったので、指折り数えて待つチャンスがなかったから、第二の引退を楽しむのもいいかもね。もっとも、あしたボランティアプログラム責任者のロバータと会って話をした結果次第では9月までの「サバティカル」ということになる可能性もなきにしもあらずらしいけど、それはカレシ次第。けさは久しぶりに元同僚でつかず離れずの長いつきあいを続けているリチャードから電話でランチをしようという誘い。さっそく英語教室の準備の時間が不要になる再来週の火曜日に約束を入れていた。(リチャードはカレシより15歳年下で、弁護士と会計士のダブル資格を持つ秀才で、今は投資会社の共同経営者になっている。裕福な家のお坊ちゃん育ちだし、ちょっと見たところは水と油のような2人なんだけど、ウマが合うらしいから、人間関係はおもしろい。)

カレシを送り出して、やおらチヂミのソース(タレというのかな)を作り始める。検索して見つけたレシピが3つあって、共通のコチュジャンとにんにくとゴマ油と醤油以外は少しずつ材料が違う。めんどくさいから3つのレシピに書いてあるものをぜんぶ入れて、すった白ゴマをたっぷり入れて、ミニ鍋で火を通してできあがり。たっぷり入れたコチュジャンが効いてちょっと辛い。あとは、午後11時のランチの時間になったら、チヂミのミックスにニラをたっぷりときのうのディナーで使い残した細切れビーフのブルゴキを混ぜ込んで、ちょっと変わった(でもないかな)コリアンパンケーキを焼いてあげる。これがカレシの大好物で、好きだった日本のお好み焼きよりもふか~くはまってしまって、特にリッチモンドの日本食レストランで注文したお好み焼きにマヨネーズがかかって出てきてからは、そっちには見向きもしなくなった。(日本のマヨネーズはしょっぱいから好きになれないんだそうな。)

今日のジャパンタイムズにクックパッドと楽天レシピの熾烈なシェア争いの記事が載っていた。クックパッドはワタシもどうしていいのかわからない日本の食材を買ってしまったときにのぞいてみるけど、レシピの数87万件、利用者1千万人。うち96.5%が女性で、そのうちの75.3%は既婚。有料の会員は日本の人口の300人に1人に相当する45万人で、会社の売上は20億円を超え、利益も5億円超とか。この87万件もあるレシピを毎日ひとつずつ試してみるとしても、ゆうに2400年近くかかってしまう勘定で、考えただけでおなかがはちきれそうな感じがするけどな。まあ、ワタシはどうもマニュアル通りに事を運ぶのが苦手な性質らしくて、あまりまじめにレシピの通りに料理することがない。手順をざっと読んだ後は「極楽とんぼ流」にやってしまうから、レシピとは似ても似つかない料理が出来上がることが多い。それで誰かが腕によりをかけたあんこう鍋のレシピが「なんちゃらあんこう鍋風スープ」に変身してしまうんだけど、そこはそれ、言葉が生きものなら、料理だって生きもの。おかげで毎日の料理当番も飽きないし・・・。