在宅稼業だって激務のときは激務
3月4日。日曜日。ぐっすり眠れる夜と、うとうとしているうちに終わってしまう夜とがあって、ゆうべはうとうとの方。身体はリラックスしているのに、脳みそがいつまでもわいわいがやがやと騒いでいる感じで、眠っている気がしない。まったく眠っていないわけではないらしくて、たぶん睡眠相の浅いところを出たり入ったりしているんだろうな。
気がついたら閏日も過ぎて、いつの間にか3月になっている。この1週間というもの、起きて朝食を済ませたら、さあ仕事。夕食を済ませたら、さあ仕事。真夜中のランチを済ませたら、さあ仕事。世の中いたるところで持ち上がるすったもんだもどこ吹く風、小町横町を吹き抜けるからっ風もなんのその、ひたすらキーを叩いていたなあ。なんか物の怪に憑かれたような顔をしていたかも。やっとのことで期限まであと丸3日、残すは約1万語ほどのところまでたどりついた。ワタシが食べるときと寝るとき以外は「透明人間」を決め込んでいたもので、ちょっぴりかまってちゃんモードになっていたカレシもやっと「ただならぬ状況」を察したらしくて、この1週間はかなり協力的だったな。下着がないというから、洗濯をしたら、いつもは自分のものしかたたまないのに、今回は全部たたんでしまってくれたし、野菜がなくなってワタシがいるもののリストを渡したらひとりで買い物に行ってきてくれたし、エライ。カレシや、あと3日の辛抱だからねっ。(といっても、もうその後がだんだんと詰まって来ているんだけど、3月は魔の予算消化期だからねえ・・・。)
まるで1990年代に戻ったみたいな状況なんだけど、あの頃のワタシは40代で、今のワタシは60代半ば。今のワタシは(今のところは)仕事優先、遊び優先、家事は二の次、三の次だけど、あの頃のワタシは仕事と家事の完全ダブルシフト。毎朝6時半に起きて、カレシのお弁当を作り、朝食を食べて、仕事に送り出したら、さあ仕事。誰もいない家の中でひとり、ひたすら仕事。『コロンボ』や『レミントン・スティール』の再々々々放送を見ながらひとりでランチを食べてまた仕事。カレシが帰ってきたら夕食を作って食べて、また仕事。カレシが先に寝てからもまだ仕事をしていたことが多かったな。(カレシに怒鳴られて丑三つ時にアイロンかけをしていたことも多かったけど。)あの頃のワタシ、いったい1日何時間労働をやっていたんだろうな。
たしかに激務だったんだろうけど、まだ若かったせいなのか、あの頃はカレシが「透明人間」で、ワタシの人生には仕事以外に何もなかったからなのか、特に辛いとか、しんどいとか、ストレスだとか感じたことはなかったから不思議。でも、精神的には感じていなくても、身体はちゃんとわかっているから、ストレス食いしてストレス太り。今回だって、多少は寄る年波は感じても、周りをうろうろするカレシがときどきうるさくなる以外はさほとストレスは感じないけど、やっぱりストレス太り気味。まあ、朝な夕なに満員の通勤電車やバスに揺られなくてもいいし、嫌いな上司や同僚と毎日顔を合わせなくてもいいし、めんどうな飲み会とやらもないから、ストレス感が低いのかもしれないな。でも、フリーランスの翻訳業は1日中自分の家の中でコンピュータの前に座りっぱなしだから、楽ちんそうに見えるかもしれないけど、この世に楽をしていてお金が入る商売なんかあるわきゃない。仕事がどさどさと入ってくれば「激務」になるし、仕事が干上がったら「閑職」になって、へたをすると倒産・・・。
それにしても、Oh, so nineties(ああ、なんとも90年代)。ほんとに久しぶりに前世紀にタイムスリップしたような1週間だった。5万語まで行きそうだけど、考えたら昔は英文タイプのスピードを5文字=1語で計算して、1分何ワードとして測っていて、ワタシの最高は毎分110ワードだった。(事務職の求人では「60ワード」が最低ラインだった。)とすると、5万語は25万文字で、スペースも入れたら30万文字くらい。つまり、17日間で30万回もキーを叩いた勘定になる。1日当たりにして17600回で、10本の指がそれぞれ1760回。うはあ、どうりで指が短くなって来たように見えるはずだなあ(元々短めではあるけど・・・)。
ま、期限まであと3日のホームストレッチ。よ~し、胸突き八丁の心臓破りの丘を駆け抜けるか。
終わった、終わった~
3月7日。水曜日。ちょっと寒いけど、いい天気。ひょっとしたら氷点下になるかもと言う予報だったけど、それほどではなかったもよう。晴れた日が続くとどうしても夜は冷え込むのはしょうがない。まあ、まだ3月だもの。とはいっても、この週末にはもう「夏時間」への切り替え。まだ春分の日にもならないってのに、もう夏の気分もないだろうに。でも、たった4ヵ月の標準時のときは日本の朝の9時がこっちでは(前日の)午後4時だったんだけど、夏時間になるとそれが午後5時になるので、仕事上は納期までに1時間の余裕ができるのはうれしい。それでもやっぱり、めんどくさ~。
巨大なだれかタイタニック級の氷山みたいだった大仕事、やっと、やっと、やっと、おしまい!!あとは見直しをして、校正と編集をする人に送るばかり。ああ、しんど~。まあ、ちょっぴり化け学の勉強にはなったけど、化合物の名前は「なんたら酸1,2,3なんとかんとか1,1,1なんちゃら」みたいなおそろしく長ったらしいものでも1語の勘定で、お値段は不定冠詞の「a」と同じだから、気抜けするなあ。それでも、ひとまとめで5万語も行くっちゃうような大仕事はめったにないから、終わってみればかなりの爽快感。うんと伸びをして、大きく息をついて、次に並んでいる仕事3つと、事務処理に家事の処理。A woman’s work is never done(女性の仕事には終わりがない)とはよく言ったもんだ。あ~あ・・・。
今日来たMaclean’sの表紙はお婿さんをお姫さま抱っこしている花嫁さん。カナダでは(アメリカもイギリスもだけど)共働き夫婦の3組に1組が女高男低と言う話。身長の差じゃなくて、ばっちり収入の話。今や大学を卒業する学生の半分以上が女性で、医学部も法学部も、はては工学部でも女子学生が半分以上をしめているところが多いと言うから、男の子たちはいったいどこで何をしているんだか。フェミニズムに押された一時的な現象ではなくて、「ごく普通の世帯」になりつつあるそうだけど、経済のサービス化が進む一方で男の牙城だった製造業や一次産業は雇用が減っているから、大黒柱が2本あれば不況になってレイオフの波が押し寄せてもなんとかソフトランディングができる世帯が増え、その延長線上で夫より稼ぎの多い奥さんが増えたということだろうな。
だけど、今はそういう大きな社会変化の過渡期にあって、妻の家事負担はまだまだ大きいし、好きな仕事と夫のプライドとのバランスの問題もあるし、周囲の目に見えない反発もあるし、マミーブロガーと呼ばれる「家にいてクッキーやカップケーキを焼いているのが理想の妻」みたいな専業主婦たちのお気楽しごくなブログやつぶやきにもイライラする。まあ、家事は女の仕事という観念はまだ男たちの間に根強く残っているのは確かだけど、それでもうまく折り合いをつける夫婦もいれば、軋轢が高じて離婚する夫婦もいる。ちなみに、収入が同じ夫婦に比べると、経済的に妻に依存している夫は浮気や不倫に走る確率が5倍も高いという調査結果もあるとか。浮気の確率が一番低かったのは妻の収入が夫より25%低い場合だったそうな。一昔前と違って、高収入の妻は離婚に至っても経済的にちっとも困らない。逆に困るのは離婚される夫の方かもしれないな。まあ、ワタシとカレシには稼ぎのアンバランスは「いつか来た道」なんだけど、それがあたりまえの世の中になりつつあるということか。先駆者みたいなもんだね、ワタシたち。
さて、仕上げをして、とっときの1982年ビンテージのアルマニャックを開けて、お祝いの寝酒と行こうか・・・。
フリーランス稼業のプロフェッショナリズムとは
3月8日。木曜日。今日もいい天気。とにかく巨大な仕事がひとつ終わった安心感なのか、ゴミ収集の日だというのに、まったく目を覚まされないでひたすら熟睡して、起床は午後12時30分。たっぷり8時間の睡眠で、ああ、すっきりした。だけど、トイレに行くのと食事のためにキッチンに上がるとき以外は、コンピュータの前に釘付け状態だったもので、体重計に乗ったら、あちゃ、またちょっと増えている。これで自己規制の上限を4ポンド(1.8キロ)オーバー。「やばい」ってのはこういうときに使うのかなあ。俗に寝る子は育つというけど、座業はあんまり育ってほしくないところが育つ。もっとも、育ちがいいときは懐もあったまるわけだけど・・・。
火曜日にマイクが裏口のポーチを張り替えてくれて、今日は硬いビニールの保護膜を張る人が来た。なんとなく砂浜を思わせるパターンだけど、接着剤が硬化するまで24時間は使用禁止ということで今日はドアを開けて見るだけ。あとは、ポーチと階段に手すりを取り付けたら、年越しでのんびり続いていた「裏庭改修工事」は打ち上げ。外の仕事はお天気まかせだから、雨の多いバンクーバーの冬は作業がなかなか進まなくてあたりまえ。それでも、裏庭全体が見違えるようにすっきりして、なんだか広くなったように見える。カレシに張り切って農作業をしてもらわなくちゃ。さて、次のプロジェクトは秋の屋根の葺き替えだけど、それまでがっちり稼がなくちゃ。
それでも今日はちょっとペースを落としていいかな・・・なんて考えていたら、またぞろ緊急メールが飛び込んでくるから、もう。発注した翻訳者にやめられたんだと。わからない言葉の訳語を聞いてきたので自分で調べろと言ったら、前に仕事したところは一緒に考えてくれた、今回は責任範囲について打ち合わせをしなかったのがまずかった、この分野は専門じゃないからやめた、ということらしい。フリーランスの翻訳者は仕事を引き受けてから納品するまで100%責任を負うものだと思っていたけどな。あそこがこうだったからこっちも同じだろうと思い込んで、「そう思っていた」と言っちゃうところもすごいと言っちゃすごいけど、訳語がわからなければググッたり、その分野が得意な同業仲間に聞いたりすればいいものを、発注元に「訳語がわからないから教えて」と聞いてしまうところはもっとすごいかも。(ちょこっとググったら3分で見つかったけど。)それで、びっくりした社長サンが直々にSOSメールを飛ばして、ワタシにお鉢を回して寄こす、と。それにしても、院卒でこれじゃあ、近頃の若い人は~とつい言ってみたくなっちゃうかも・・・。
結局、お気に入りのお得意さんだし、スケジュールの隙間にうまく納まる量だったので引き受けたけど、時代の流れなのか、そういう世の中なのかよくわからないけど、プロフェッショナリズムの観念も変わってきているのかなあと思ってしまった。元々このフリーランス翻訳というビジネス、商売として旗揚げする「敷居」がとにかく「超」がつくくらいに低い。だから、永遠に「門前の小僧大学在学中」みたいなワタシでもけっこう深く考えずに入ることができたわけで、間違っても「翻訳作品」を売る芸術家ではないから、やれると思う人なら誰でも元でなしで看板を出せる商売。でも、どんなものでもそうだけど、敷居の低い商売は脱落する敷居も同じく低い。何しろ翻訳と言う「サービス」を売るビジネスだから、大学卒だろうが、院卒だろうが、留学帰りだろうが、TOEICのスコアが満点だろうが、客に金を払う価値があると思ってもらえなければ次はない。
まさに自己責任100%の適者生存の世界とでもいうか、それでもやりたい人が引きも切らずらしいのは、家にいて育児や家事の合間にやれてお金を稼げるとか、外国語を扱うから国際化的で何となく知的な「お仕事」だと思っているか、あるいは(氾濫する女性雑誌とかに)そう思わされているからなのかもしれない。そういう人たちが匿名掲示板で「翻訳学校へ行くのと語学留学とどっちがいい?」とか、「○○分野と××分野のどっちのコースを取ったらいい?」と端から教えてちゃんだったり、「子供がいるので/主婦なので/なんちゃらなので、そんなに稼げなくてもおこづかい程度で十分」なんて(本人は奥ゆかしく遠慮しているつもりなのかもしれないとしても)仕事意識がゼロだったり、で、自分のことを臆面もなく「翻訳家」と称したり・・・。まあ、この世界にもいろんな人がいるから、いろんな人が参入してくるのも当然だけど、古だぬきクラスになるとひと癖もふた癖もあるのがかなりいるような・・・。
ワタシが開業して間もなかった23年前に「徹夜デビュー」となった仕事もそういう「同業」の尻拭いだったなあ。3日ほどの量の仕事を引き受けて、期日前日の午後に「子供が遊びたがるのでできません」と投げ出した「ママさん翻訳家」がいて、慌てた社長が(メールがない時代だったもので)ワタシの家まで車を飛ばして来て、「納品を1日だけ延ばしてもらえたから、何とか」。結局、食べる以外は30時間ぶっ通しでキーを叩いて、「仕事となったら徹夜も覚悟」のフリーランス的プロフェッショナリズムの洗礼を受けたのだった(と、はるかに遠い目・・・)。
一年後の東北・・・鎮魂
3月9日。金曜日。予報通りの本格的な雨。いつものように起きて、朝食を済ませて、また仕事。じわじわと予定が押し詰まってくるから、ペースを落としているわけにはいかない。今手持ちの仕事だけをやっても、今月末には去年1年分の作業量を達成してしまう・・・といっても、このペースだともろに1990年代に戻ってしまうので、喜んでいいのかどうかわからない。このビジネスを22年やってきて、一番低調だったのは日本の父が他界し、ワタシも入院手術と何かと仕事をしていないことが多かった年で、2番面は北米の不況。あのときは仕事量を半分ほどに減らしたばかりだったので、それほどの不況とは気がつかずにのんきにカレッジの夜の創作コースを取っていた。で、3番目に低調な年だったのが去年で、間違いなく震災と原発事故と節電のせいだと思うけど、震災や津波そのものよりもたぶん原発事故と節電の影響の方が大きかっただろうと思う。
その大震災から1年が経とうとしている。雑誌やテレビのニュースも「1年後の日本」を伝えている。TIMEにはニッポンの未来を占うような興味深い記事があったし、BBCは東北の現地から「今」を伝えていて、特派員が「復興の兆しかも」と言って指したのが何にもなくなったところに並ぶ清涼飲料水の「自動販売機」。人間不要のキカイの列がなんか新鮮な衝撃だった。でも、高く積み上がったままの瓦礫の山と、建物も何もなくなった廃墟のような町の風景。仮設住宅で孤独死して行く老人たち。それが1年後の「東北」の姿じゃないのか。東北の人たちは辛抱強い?もしかしてその辛抱強さに甘えてない?外国人がストイックで秩序を守る日本人はエライほめていると聞いて、「我々日本人ってすごいんだ」と安心しちゃっていない?
あれだけの災害に遭っても右往左往するだけの政治、補償金をもらったからとすべてをなくした人の生活保護を打ち切るような行政。それでも暴動のひとつも起こさず、何十万人という規模のデモで怒りを表すこともせず、政府がもっとしっかりしてくれなければとため息をついているうちに1年。今でもボランティアとして現地に行く人は多いはずなのに、その人たちは東北の現状を生で見聞しているはずなのに、その多くが国政に最も近いところへ帰って行くんだろうに、なぜ声を上げないんだろう。自分のやることをやったからそれでおしまい?絆だかなんだか政府やマスコミにほろっとさせる言葉を刷り込まれて、ちゃらちゃらしたコンサートだのライトアップだのとにぎやかなイベントをやって、がんばれ東北、がんばれ福島のかけ声。日本だなあ。日本人は一致団結して大災害から立ち上がるだろうと感動して、急ぎ日本に帰化したドナルド・キーンでさえさすがに「がっかりした」と・・・。
原発事故の直後に外国が日本からの輸入を規制したときは「差別だ」と憤懣やるかたなかった日本人が同胞の福島や東北に同じことをしているのに気がつかない。放射能が怖くて日本から逃げ出した外国人たちをまるで無知で恩知らずの卑怯者のように非難したのに、十分に遠く離れていても放射能が怖いからと外国に逃げる方法を探り、難民申請した人たち。ひと粒でも放射能が着いている「汚染物」は寄こすなという人たち。世界中の誰だって放射能は怖い。だから原発事故の直後には北米西岸は北から南までよう素のサプリがあっという間に売り切れた。怖いものだとわかっているからカナダも「自国民を安心させるために」日本からの輸入食品の検査をやった。日本だって狂牛病が怖い!というからアメリカの牛肉輸入を禁止したし、新型インフルが怖い!というから北米から来る人たちを成田で病原菌扱いしたり、「自国民を安心させるために」同じようなことをやっているのにね。
でも、日本人は違うんだろうね、きっと。それは日本人流の「リスク管理」の基本が「ゼロリスク以外は認めない」ということらしいせいなのかな。リスクは怖いもので、不安を呼び起こすからあってはならない、「ゼロ」でなければ安心できない。ゼロリスクで安心させたら、不測の事態を想定することはリスクがゼロじゃないことの証拠になってしまうから、対策を講じると「やっぱり危ないじゃないか!」と糾弾されそうだからやらない。結局はリスクは無限大。でも、そういう「安心感」が求められているんだったら、しょうがないな。今になって政府に、東電にだまされた、もう信用できないと言っても、都合の悪いことや醜いものは見せないのが美徳だ思っている日本人が民主的に選んだ政府なんだし、官庁だって東電だって(オリンパスだって)同じ日本人が動かしている組織のはず。日本なんだよね。良いとか悪いとかはまったく関係なく、ただただ「日本」なんだと思ったな。
あの「1年後の東北」の姿を見てふと思ったな。東京から大阪まで太平洋岸の大都市圏を残して(大阪はいやだというだろうけど)、残る日本は分離独立したらいいんじゃないかと。東京は「東京」こそが日本だと思い込んでいるかもしれないけど、「東京は日本じゃないよ」という印象を持ち帰る外国人はけっこう多い。本当の昔ながらの「美しい日本」は地方にある。その「地方」が分離独立して東京に電気が行かなくなると困るだろうから、東電が管轄地域の外に作った原発はそっくり東電に返して東京圏にお持ち帰りいただく、と。東京圏にはカナダと同じくらいの数の人間がいるんだから、独り立ちしてやって行けるでしょ。ファッションとかサブカルとか、外貨稼ぎに輸出できるものはいくらでもあるでしょ。
・・・なあんてね。冗談を言っている場合じゃないけど、冗談のひとつも考えないと、1年後の東北の現状に涙が止まらなくなる。心が痛い。悲しい。つらい。そしてなぜかすっごく悔しい・・・。
英語いろいろ、日本語いろいろ、みんないろいろ
3月11日。日曜日。雨の予報だったのに目が覚めたら外が明るい。起床は午後1時20分。午前2時に時計の針を1時間進めて標準時から夏時間に移行。切り替え時刻にコンピュータ画面の隅っこの時刻表示を横目で見ていると、「1:59AM」がいきなり「3:00AM」になるもので、何となくワタシの人生の1時間を返せ~という気分にもなる。まあ、11月の第1日曜日にちゃんと戻って来るんだけどね。それでも、時計を1時間進めたからといって1時間早く寝つけるわけがない。標準時モードのままでベッドに入って、普通に寝て、普通に起きたら(きのうまでは午後12時20分だった)夏時間の午後1時20分。やれやれ、1日が半分終わってる・・・。
今日が期限の仕事が残っているもので、せかせかと朝食を済ませて、突貫工事で仕上げ。たまの英日なんだけど、この英語ってのがすごい。英語のようだけど何となく英語にはなってないような、だけどやっぱり英語。発信地はヨーロッパの英語に一番近いといわれる言語を話す国だから、あんがい機械翻訳英語なのかな。EUの機関から来る英語の文書にはこういうのが多い。ひょっとしたら、こういうのばかりワタシに回して寄こしているのかもしれないけど。猛ダッシュで午後3時40分完了。そこではたと気がついた、日本の「午前9時」も1時間進んで「午後5時」。なんだ、余裕たっぷりじゃないの。だけど、だけど、夏時間でも標準時もいいけど、毎年2回こうやってあたふたするのは大変なんだから、どっちかに統一してくれないかなあ。
まあ、すごい英語だと言っても、単語を「読む」のではなくて、通訳のように「言葉を聞く」感覚でやると意味が通じて来るから、後はそれを「翻訳」するだけでいい。英日翻訳をやるときに一番くたびれるのは英語の質の問題じゃなくて、実は日本語の入力。英語環境のワタシのキーボードではローマ字しか打てないから、「か」と打つのに「k」のキーと「a」のキーというぐあいに、「あいうえお」と「ん」以外の五十音はぜ~んぶ1文字あたりキーストローク2回ずつで、漢字変換で正しい漢字を選択するのにスペースバーをばんばん。おまけに学習能力があるはずの変換システムが気まぐれに第1候補を入れ替えてくれるから頭にくる。その上、英語のキーボードはタイプライター時代からの英語をタイプしやすいキー配列になっているせいか、日本語入力で頻繁に使うキーが打ちにくいところにあるからくたびれる。頻繁に使うキーが、英語はキーボードの左手側、ローマ字日本語は右手側に偏在しているところはおもしろいけど。
さて、次は日英モードに戻って、裁判書類。最後の「。」に行き着くまでに延々と500文字も続いている文もあって、いつもながら弁護士が書く文章ってどうして声に出して読んだらひと息で読み切れないようなのが多いのかなあと思うけど、読み解いてみると思考が一直線でちゃんと筋道が立っているからすごい。さすがその道のプロということかな。ディケンズの時代のイギリスでは、弁護士報酬の単位が作った書類の「ページ数」だったそうで、文章をああちゃらこうちゃらと引き延ばしてページ数を増やせば増やすほどもうかる仕組みになっていたらしい。そういえば、イギリスの弁護士が書いた文書の日本語訳を英訳したときに見つけた元文書の英語は200語、300語のセンテンスをコンマだけで区切っていてびっくり。北米の弁護士ならセミコロンを使うところで、ひと口に英語圏と言ってもお国柄の違いが一目瞭然でおもしろかった。ワタシのアメリカ英語訳はもちろんセミコロン、セミコロン、コロン、コロン・・・。
ボケたら日本語も英語もないんじゃないの?
3月13日。火曜日。目を覚まして、カレシを肘で突いて起こして、2人して「おお、静かだ~」。きのうの朝(正午)は前夜からのすごい大風のせいでなんかよく眠れなくて、2人とも寝ぼけ眼だった。なにしろ、場所によっては30メートル以上の風が吹き荒れたらしく、バンクーバー島とメトロバンクーバーのあちこちで大木がばたばたと倒れ(雨の多い土地で針葉樹は根が浅い)、何十万戸も停電し、フェリーも欠航。バンクーバーの郊外では雪が降ったところもあるそうな。我が家の裏庭では、まだ手すりがついていない裏口のポーチに柵代わりに置いてあった古いソーホース(木挽き台?)がベースメントへの階段に落ちていたのと、ゴミの容器が倒れていただけで済んだけど、春の嵐と言うにはなんだかすごすぎの感じ。
起きてみたら「台風一過」のようないい天気。テレビのニュースではまだ停電が復旧していないところがかなりあると言っていた。幸い我が家ではワタシたちが寝る直前に1分くらい停電しただけだったけど、仕事に詰まっているときに丸1日以上も停電が続いたらお手上げだな。まあ、停電したら瞬時に切り替わるUPSバッテリをつないであるけど、SOHO用だからせいぜい20分から30分しかもたない。作業中のファイルを保存して、システムを落とせるだけの余裕しかないけど、それでもいきなり停電して、保存していなかった「努力」が一瞬で水の泡になるよりはいい。しんと静まり返った中で消えた画面を見ているときの、あのいや~な気分と来たら、もう・・・。
とにかく、今日が期限の仕事をバリバリッと片付ける。訴訟関係では「○○法何条の何項はなんたらかんたらと規定していることろ・・・」なんてのがやたらとたくさん出てくるから、まず元の法律の英語版を探す。英語圏の国の法律や国際条約や協定だったらたいていすぐに見つかって、そっくり引用できるんだけど、日本の法律となると、一応の公式訳がある「法なび」を検索してもまだ英訳版がないことが多い。まあ、「法なび」というものがあるだけでも、ひと昔と比べたら楽になったもんだし、同業者の努力の成果だからありがたいと思うけどね。(何にでも金魚の糞みたいにやたらと「etc.」がついて、オープンエンドになっているのには違和感があるけど、日本のお役所文学は「等」なしでは成立しないらしいから、しょうがない。企業文学では「化」という魔法の薬で何でも簡単に化かしちゃうしね。日本語がそういう造りなんだから、これもしょうがない。)
と、ぶつくさいいながらも、無事に完了して期限通りに納品。これで3日間は休み。またどかっとなだれを寄こしそうなところに予定を「偽って」捻出した休み。本当はきのうからのはずだったけど、上得意さんが相手では無碍にノーとは言えないし、本当は来週の月曜日までのつもりだったけど、このお得意さんが打診して来た仕事が来れば週末2日が仕事日になるから、確実に休めるのは3日、もしかしたら5日。所得税の確定申告のための事務処理が山ほどあって、その他にも6月の日本旅行の準備もいろいろ(飛行機とか大都市のホテルとか、英語対応のところは「出張担当秘書室」のカレシが全部やってくれたので多いに助かっているけど)。来週は自分が引き受けた分と他人さまが放り出した分が1セットになった仕事。あ~あ、魔の3月だ・・・。
久しぶりにのんびりと小町横町を散策していたら、『外国語を話すのは歳と共に面倒になりますか?』というトピックがあったのでのぞいてみた。これから英語圏の国に留学するという人で、その国での就職を考えているとか。人は年とともに外国語を話すのがめんどうになると言われたとか。「国際結婚などで」海外生活している人にどうなのかと聞いているところを見ると、ゆくゆくはその国でも結婚も想定していて、外国で年を取ったときのことが不安になったのかな。どういう答を期待しているのかな。「んなこたぁないさ」という返事が並んだら安心するのかな。みんなが「外国語はめんどうになるし、ボケたら忘れるよ」と言ったら、早々と海外生活を切り上げて日本に帰るのかな。みんなが「いや、日本語の方がめんどうになる」と言ったらどうするんだろう。
なかなか奥の深そうな質問だけど、出て来た答はそれぞれの見聞、伝聞、風評etc.にもとづいて「めんどうになる」、「日本語がめんどうになる」、「人による」の三通り。まあ、人それぞれに海外生活の環境が違うだろうから、正解があるとしたら「何とも言えない」ということか。日本に住んでいれば年を取らなくたって外国語を話すのがめんどうになりそうだから、「海外生活」でも日本(語)に近い環境で生活を続けて来た人は年を取るほどに外国語がしんどくなるだろうし、逆に日本(語)から離れて(現地化して)生活して来た人は日本語が錆びついて来るだろうと思うな。日本を離れている間に「今」の日本語が変わるという要素もあるから、日本語環境から遠いほど「今」の日本人と噛みあわなくなって、それを「日本語を話すのがしんどい」と感じる人もいるかもしれない。
ワタシは、カナダに来てから家では英語のみ、職場では日本語が中心で、ずっと使い分けに問題はなかったし、どっちかをめんどうだと感じることもなかったのが、あるときから心理的な原因で(だと思う)頭の中にある日本語が声に出なくなってしまった。翻訳を生業としていることもあって読み書きには何の抵抗感もないんだけど、親しい人たち以外とはまだ日本語で話したくないという心理的なハードルが残っているから、年とともにめんどうになったのかどうかはわからない。昔は日本のドラマを見ながらカレシと英語で話していても違和感がなかったし、英語環境なら英語があたりまえ、日本語環境なら日本語があたりまえに使えたし、現実に通訳になって、付け焼刃の訓練だけで同時通訳もこなせた。もしもあのときの人生がそのまま続いていたら、今頃は外国語を話すのがめんどうだと感じるようになっていたのかな。はて、英語と日本語、どっちが「外国語」なんだろう・・・。
おもしろいと思ったのは、外国で年を取って認知症になって日本語しか話せなくなってしまった日本女性の悲話?を「聞いた」とか、老人ホームでそういう人を「見た」とかいう書き込み。外国でそうなったら惨めだよ(だから国際結婚なんてやめときな)と警告しているつもりなのかどうかは知る由もないけど、認知症になったら自分がどこにいて何語をしゃべっているのかわからなくなるだろうと思うんだけどなあ。もしもワタシがそうなったら、それはそれで老人ホームでちゃんと介護されていれば、ハッピーなボケおばあちゃんになって、今はすっかり忘れている童謡を(思い出したことさえ知らずに)大きな声で歌っているかもしれない(みんな耳が遠くなっているだろうから、うるさいと言われないだろうし)。老人のボケは赤ちゃん返りみたいなものだとすれば、赤ちゃん語は人類唯一の共通語なんだし、なんか楽しいじゃないの、それも。
ホワイトデーがダメならブラックデーがあるさ
3月14日。水曜日。なんかやたらと寒いなあ。午後になってもたったの3度。きのうから郊外の高台では雪が降っているという話。そういえば、道路沿いにどこまでも続く桜並木も二階から見ると何となくつぼみが膨らんでいるようには見えるのに開花はまだ。道路向かいの大きな桜の木を双眼鏡で観察してみたけど、まだみたいだなあ。去年の今頃は咲き始めていたのに。そういえば、クロッカスもまだあまり見かけないし、前庭のチューリップも芽を出す気配がない。おい、急げよ、春。
とにかく「捻出」した休み。今日はまずデスクの上に積みあがったカタログ類やらDMやら何やらを整理して、「elbow room」、つまり肘を突っ張れる余裕を作る。カタログ類なんてのはちょっと油断すると山になってしまうから、資源の無駄もいいところ。とりあえず、住所氏名のところに「隠蔽スタンプ」をぺたぺた押して、リサイクル紙の箱にぽいぽい。次に情報の保護上裁断が必要なものを(これまたひと山)シュレッダにかける。ワタシのは100枚までまとめてぐちゃぐちゃと噛み砕いてくれるので、容器がいっぱいになったらゴミ袋に移すだけでいいから効率的。それにしても、コンピュータ時代の幕開けには「ペーパーレス時代が来る」と言われたもんだけど、逆に紙が増えているんじゃないかという気がする。本屋はどんどん潰れるのに、紙の類は家の中にどんどん溢れるのは、どういうことなんだろう・・・。
やっと整理が付いたところで、去年の帳簿の整理。実は、丸々1年間、まったく帳簿を付けていない。どういうことなんだろう。いつもは少なくとも四半期ごとにやっていたのに、去年は忙しい年でもなかったのに、なぁんにもやってない。ま、伝票の数はそんなにないから、まずは減価償却費の計算から始める。次に伝票や請求書を月ごとにビニールフォルダに仕分け。これで後はカレシにお下がりしたコンピュータに残しておいてもらっている会計ソフトにちょいちょいと入力すれば、何かとあった2011年も「〆」となって、今年度分からは「新しく入った経理担当者」(カレシ)におまかせ、となる。いやあ、品質管理課があって、秘書課があって、今度は経理課までできて、なんかちょっとばかり「社長」になった気分。ま、顕微鏡でも見えないような微生物的企業ではあるけど、経営者たるもの、たがを緩めちゃいかんぜよ。
だけど、めんどうなことがほぼ片付いたもので、今日は後は休み。あてもなくぶらぶらと小町横町の散歩。そっか、日本は今日15日はホワイトデーなる奇妙な日。ワタシが日本にいた頃にはそんな日はなかったけど、バレンタインデーのお返しの日だそうで、期待?に添ったお返しがなかったと嘆く女性がいっぱい。どうやらホワイトデーはチョコレートとお返しのプレゼントを天秤にかけて自分の「愛され度」を測る日らしい。ついでに義理チョコをばら撒いておけば、何かと実入りのいい日になりそうな感じだな。それで、バレンタインでーには外回りのアポをぎっしり入れて会社には顔を出さないという営業マンも出てくるわけか。なるほど。安物の義理チョコじゃあ、奥さんに相応のプレゼントを買っておいてと頼むわけには行かないだろうし、なんかアタックっぽい高級チョコなんかもらってしまったら、なおさら。日本の男って、つらいよねえ、寅さん。
日本では「贈答」というくらいで、贈り物とお返しは不可分のワンセットになっているから、もらったものは値踏みして、相応の相場のお返しをあげないと非常識人間扱いされてしまうことが多々あるらしい(少なくとも小町を見る限りでは)。それで、ホワイトデーの愛情チェックにも三倍返しとかいうぶっ飛びそうな「相場」ができたんだろうな。たとえば、チョコが500円なら、ホワイトデーのプレゼントは1500円。10人に配ればしめて15000円。で、本命には5千円のチョコをあげて、単純に三倍だと15000円のところ、2万円くらいのものをくれたら「愛してくれてる」、でなかったら「なんだ、その程度の愛情か」。もしも本命第二候補が2千円のチョコに対して1万円のプレゼントをしたら、どうなるんだろう。三倍(15000円)の彼を取るか、五倍(1万円)の彼を取るか・・・。
なんでも、韓国にはチョコをもらえなかった人たちのためのブラックデーと言う日が4月にあって、その日にあぶれた者同士が集まって、そこから愛が芽生えることもあるという話だけど、恋愛も捨てる神あれば拾う神あり・・・。
敵を分裂させて得するのは誰だ
3月15日。木曜日。ゴミ収集車の轟音でしっかり3度目が覚めて、起床は正午過ぎ。いい天気だなあ。夜はちょっと冷えるかもしれないけど、昼間は10度を超えるから文句なし。でも、平年並みなら「春よ、来い」と言っているはずのトロントで17度、明日は20度という予報を聞くとちょっとおかしいじゃないのと思うけど。ひょっとして、東北の大地震で地球の回転軸の揺らぎが狂ったりして、大気の流れも微妙に変わったなんてことはないのかな。
カレシが外で庭仕事をしている間に、「なんとしても休み」の2日目は仕分けした伝票を日付順に一覧表にまとめる作業。入力するときに一枚ずつレシートや請求書や銀行の明細を見なくてもいいし、アメリカドル建てのものは世界の為替レートを10年遡って調べられるカナダ中央銀行のサイトで予めそれぞれの当日レートでカナダドルに変換しておけるから効率的(だろうと思う)。こういうものぐさ経理を「Shoebox accounting」(靴箱式会計法)と言う。つまり、きちんと帳簿を付けずに帳票の類をみんな靴を買ったときに入っていた箱に放り込んで置くやり方。カレシが売上税の監査官だった頃、訪問先の零細企業で社長に帳簿を見せてくれと言ったら、デスクの下からいくつも靴の箱を出して来たので唖然としたことあるとか。今はそういう名前の経理ソフトがあるし、経理代行サービス会社もある。靴の箱に伝票が入っているうちはいいけど、shoestring(靴ひも)はふところ具合が厳しいということで、厳しいかも。まあ、一覧表が出来上がったところで、今日の事務処理はおしまい。
小町に編集部が立てた大震災から1年経っての思いを書き込むというトピックがあって、書き込みの数は別の「がれき論争」トピックとは比べものにならないけど、特に被災して家を失い、家族や親しい人を失い、仕事を失い、さらには原発事故という未曾有の人災の影に隠れて未だに生活の再建もままならないでいる(それでも運よくネットにアクセスできる)東北の人たちの書き込みは読んでいて胸が痛くなる人間の強さを見た、人間の裏表を見た、人間の本性を見た、言葉の薄っぺらさを知った。マスコミの報道や風評やネットでの煽りに右往左往する人たち。嘘をつきすぎて誰にも信じてもらえなくなった政界、官界、財界。流行語になった「絆」という言葉にも嫌悪感を持っている人たちもいる。そして、中身のないイベント感覚の特別番組・・・。1年経ったんだし、やっぱり電気がないのは困るしと言って、気がついたらなし崩しに原発が動き始めていたということになりそうな、ざわざわした予感もして来る。暴動や略奪に走らないかもしれないけど、東北の人たちの胸の奥深くにはやりどころのない怒りがふつふつとくすぶっているのではないかという感じがした。
いや、東北の人たちだけではないかもしれない。大災害が起きるずっと前から、誰もそうとは気づかないままに正体のわからない不気味な怒りが日本のいたるところに沈殿して来ていたのかもしれない。そして、どこか誰の目にも見えないところで、その怒りの矛先をよそへ向けて、巧妙にガス抜きを図っている「黒幕」がいるんじゃないだろうか。「Divide and conquer」という言葉があって、誰が「分割統治」なんて訳したのか知らないけど、本来は敵を分裂させて争わせおいてその間に征服して支配を握ることで、大昔から世界中で使われて来た最強の戦略。日本にはそれを巧みに利用して影から無為無策の政治を支えている「黒幕」がいるんじゃないのか。人間を学歴や職種や雇い主の大きさで分け、女性を専業主婦と兼業主婦に分け、子供のあるなしで分け、はては年令で分け、容姿の美醜で分け、何でもかんでも二項対立の構図を作って勝ち組と負け組に分けては妬み、嫉み、僻みを煽って戦わせて漁夫の利を得ている「黒幕」がいるとしたら、どんな人間なんだろう。そもそも形のある人間なのかどうかもわからないけどね。
その昔、キルケニーの猫はけんかをして、引っかき合い、噛み付き合い、喰らい合っているうちに、とうとうどっちも尻尾を残すだけになりましたとさ・・・。