あなたの奥さんは並以上なんだから
7月1日。日曜日。午前6時過ぎに停電していた寝室の照明がぱっとついて目が覚め、寝なおしたので起床は午後1時。停電発生はちょうど2人して二階のバスルームで歯を磨いていた午前4時過ぎ。それも照明が何となくふわっと消えたという感じだった。そろそろ東の空が白んで来る時間だったので、薄明かりを頼りに手探りでベースメントからLEDのランタンを持って来て、就寝準備を完了。寝る前に携帯で電力会社の「停電ホットライン」にかけて、電話番号と番地の数字を入力したら、「すでに停電発生を検知し、原因を調査中です。復旧は午前6時30分頃の見込みです」との録音メッセージ。その頃にはとっくに朝日が輝いているわい、と言いつつ、ちょっと不気味なくらいにし~んとした中で就寝。
7月1日。今日から2012年の後半。カナダの建国記念日である「カナダデイ」の祝日。ついこの間は110歳になったとか、120歳になったとかいって盛り上がっていたと思ったら、もう145歳だって。国家として、そろそろ「大人」にさしかかるあたりなのかな。まあ、経済危機や政治危機で苦労しているあちこちの国々と比べたら、(世界第10位の経済規模ながら目立たない大国)カナダは政治も経済もまあまあ安定して落ち着いているし、社会もわりと元気がいいと思うな。ハッピーバースデイ、カナダ!
週刊誌Maclean’sによると、「平均的カナダ人」は、女性(男性)は年令41.5歳(39.6歳)、身長が162.5センチ(175センチ)、体重70.3キロ(84.8キロ)、ウェスト83.8センチ(96.5センチ)、ヒップが105センチ(103センチ)だそうで、う~ん、どれを取ってもワタシには足下にも及ばない。世帯所得の中央値は68,560ドル(個人勤労所得は29,020ドル)、世帯あたりの所得税納税額の中央値は11,000ドル、住宅ローンなどの負債総額は112,329ドル。この中央値というのはそれ以上とそれ以下が同数になる、つまり「ど真ん中」の数値のこと。ここで能天気に1ドル=100円とすると、平均的カナダ人は約685万円の世帯所得(個人勤労所得は290万円)で、110万円の税金を納め、1,123万円の借金を抱えていることになる。
まあ、実際のところは物価水準が違うんだから、どんな為替レートでも換算して比べる意味はあまりないように思うんだけどな。ちなみに、BC州で今年マイホームを買う人の月々の住宅ローンの返済額は平均2,240ドルだそうだけど、市内中を探しても100万ドル以下の新築戸建てはないといわれるくらい住宅価格が高いバンクーバーでは、平均的な世帯が頭金25%を貯めることからしてまず不可能。たとえ貯められたとして、100万ドルの家を買って25年返済で75万ドルのローンを組むと、金利が一番低い1年更新(今3%強)でも月々の支払は約3,600ドルを超える。月々の支払額は月の総世帯所得の30%までということになっているので、中央値の2倍以上の世帯所得がなければ、バンクーバー市内では環境劣悪な地域でさえ新築の戸建ては買えないことになるな。それでも、市内のあちこちで古い家がどんどん取り壊されて、新しい大きな家が建っているから、ン億円の家を買える人たちがいるということだけど、ほとんどが「平均的カナダ人」でないことだけは確かだろうな。
『あなたはどれだけカナディアン?』という記事の最初に「平均的カナダ人」度をチェックする25問のクイズがあって、「健康だと思うか」、「週に何回くらいセックスするか」、「毎日どのくらい野菜果物を食べるか」、「毎年どれくらい慈善事業に寄付するか」、「家にはひとりあたり何室あるか」、「一日何時間テレビを見るか」、「毎日の通勤時間はどのくらいか」、「1年に何日病休を取るか」といった質問に試しに答えてみたら、「平均的」答の数は5つぐらい。まあ、平均年齢じゃないから、いろんなところで平均から外れていても不思議はないと思うけど、カレシが「キミはどれだけカナディアンなの?」と何だか思惑のありそうな質問を振って来た。「こてこてのカナディアンよ」と答えたら「平均的じゃなくても?」と突っ込んで来るもので、「そうなの。ワタシは平均以上のカナディアンなのよ」とやり返しておいた。
アナタねえ、この際だからはっきり言っておくけど、こう見えたってワタシは「並以上」のカナダ人なの。そんでもってアナタの奥サンなんだから、ゆめゆめ疎かにしちゃあいかんぜよっ。
ものごとのあり方と言うのはどんなこと?
7月2日。月曜日。起床午後12時半。外が薄暗いから寝すぎてしまうのかな。三連休の最後の日(といっても関係ないけど)。午後1時のポーチの気温は12度。7月だよ、7月20度以上あるのがあたりまえじゃないかと思うんだけど、何なんだろうな、この気候。郊外のブルーベリー農場では、たわわになった実が太陽のひと押しを待っているというのに。ワタシも朝のシリアルにプチプチのブルーベリーをたっぷり入れて食べられるのを待っているというのに。
仕事がない間に6月の月末処理(といってもほとんどないけど)をするべきなんだけど、どうも「さぼり」モードからの切り替えがうまく行かない感じ。根がぐうたらなもので、遊び呆けていると遊び癖が抜けなくなってしまうらしい。年末年始から5月の終わりまでほとんどびっちりで去年の1年分働いたんだから、このあたりで「びっちり」怠けるのもいいだろう・・・と、へ理屈をこくワタシ。今はどうしたものかと迷いっぱなしだけどいずれはやって来る「ご隠居さん暮らし」の予行演習だと思えばいいし、3週間近かった日本旅行であれやこれやと考えたことを反芻するのもいいかな。まあ、このまましばらく仕事がなければ、そのうちにそわそわし出すんだろうけど。
今回の旅行はたぶん(初めてというと語弊があるけど)今までで一番楽しい!と感じた日本旅行だった半面、生まれ育った北海道で自分という人間の「原点」になった原風景あるいは原体験を訪ねるという目的もあったから、いろいろなことを考えたり、改めて確認したりの有意義な「旅」でもあった・・・というほどの大げさなものではなくて、一種の「卒業旅行」みたいなものだったかもしれないけど、ドームの上に七光星の道旗がはためく赤レンガ(北海道庁旧庁舎)の前で、衆人環視(といってもそんなにたくさんいたわけじゃないけど)の中でやらかしたカレシとの大げんかさえも間違いなく有意義だった。ずっと正体不明だった憑き物が落ちたというか、頑固に心の奥に刺さっていたトゲが抜け落ちたというか、あれ以来何だか「楽になった」という感じがする。
客先関係の人と食事をしながらとりとめなく仕事にまつわる話をしていたときに、日本人がよく使う表現で訳しにくいのは何かという話になって、たまたま旅行前の仕事で頭を悩ました「あり方」のを挙げた。エラソーな文書が問題や課題を検討するときにまっさきに考えるのがこの「あり方」というやつで、それが決まらないことには解決策の議論を始められないらしい。では、この「あり方」というのはいったいどういうものなのかという話になった。手っ取り早く辞書を引くと「the way that (it) should be」なんて訳が出て来るけど、何となくしっくりしない感じがする。せっかちなアメリカ人は「問題をどう解決するか」から始めそうだから、「あり方」から説き始めても馬の耳に念仏で、「で、アイデアはあるの?」ということになるんじゃないかと思ってしまうわけ。
そのときは「難しいねえ」で終わったけど、辞書サイトで「あり方」の意味を調べてみたら、「ある物事の、当然そうでなければならないような形や状態。物事の正しい存在のしかた」という定義。そうか、あり方とは「正しい」存在のしかたのことを指していたのか。ということは、当然そうでなければならない「形」(あるいは「状態」)でないものは「正しく」存在していない、間違った存在、いうなれば「異端」ということなのかな。文化や芸術の世界でも、○○道とか○○流と付くものは「形」が命だという観があるけど、たしかに、「正しい」形が決まっているところに、ちょっといびつだったり、欠けていたりするものが入ると「全体」が不ぞろいになってしまう。この世にはそれを「醜い」と感じる人と、「美しい」と感じる人がいるわけで、すべてがきちんと形にはまっていないと不快に思う人が多ければ、「あり方」が品質管理マニュアルのようになって、世の中は窮屈になりそうな気がする。
でも、自分がそういうマニュアルの通りに生きられないから言うんじゃないけど、ワタシとしては、世の中のものごとは不ぞろいなのがあたりまえで、だから人生には不ぞろいの中から美しいものを見出すというスリルがあっておもしろいと思うんだけどな。
では、あり方のあり方とは何ぞや
7月3日。火曜日。なんだか午後12時過ぎの起床が定着してしまった感じがするけど、いいのかな。でも、目覚ましでがばっと起きるのに比べたら、自然に目が覚めるほど気分のいい起き方はそうそうあるもんじゃない。まあまあの天気で、午後2時には15度と、こっちも何とかまあまあ。
運動を兼ねて、トートバッグを肩にモールまで歩く。徒歩で片道だいたい30分だから、トレッドミルでとことこ歩いているよりはずっと運動になるし、外の空気を吸えるし、家の外で何が起きているか(起きていないか)を視察することもできて、背筋を伸ばしてたったかと歩けば一石何鳥。まずは銀行で手持ち用の現金を下ろし、日曜日からちょっとシアトルまで行くので、ついでにアメリカドルも下ろす。アメリカを旅行中のデイヴィッドとジュディが日曜日にシアトルでレンタカーを返すと言うので、お迎えがてらちょっと遊んで来ようということになった。エンジニアのデイヴィッドが行きたいと言うので、月曜日にボーイングの工場を見学して、火曜日夜の帰って来る。トラックだと行くのが楽なんだけど、後部の補助座席は30分も座っていると足が痺れて来るのでダメ。(エコーを手放すときにトラックを4人乗りに買い替えたらどうかとカレシに提案しておいた。)どのくらいの荷物があるのか知らないけど、ちびのエコーに大人4人と旅行の荷物はちょっときつい。まあ、おととしのウィスラー行きで経験済みだから、また何とかなるんでないかい。
道路を渡ってモールの郵便局で私書箱をチェック。カタログと一緒にレンタル更新の通知が入っていたので、さっそく1年更新したら税込みで156ドル。去年より20ドルくらい安くなっていた。仕事関係の郵便はもうあまり入って来ないから、私書箱レンタルもこの1年限りだな。カレシはおバカをやっていたときにオンナノコたちにこっそりこの私書箱の住所を教えていた。いつも自分が仕事帰りに寄ってチェックしていたから、ワタシにばれないと思ったらしいけど、銀行の帰りに寄ったときに日本発のキティちゃんシールのついた分厚い封筒が入っていて、ワタシの業務用私書箱を「浮気」に使うとは何事かとぶっち切れて開けてみたら、グアムだかどこだかへの旅行の写真。中には「あなたが一緒ならいいのにぃ」なんてお尻が痒くなるようなメッセージ付きのビキニ姿の写真もあった。あのカノジョ、もうアラフォーと言われる年だけど、その後どうなったんだろうな。ちゃんと念願成就できたのかな。まっ、ひと昔以上も昔の話・・・。
昔の話なんだけど、きのうものごとの「あり方」についてちんたら書いていた関係で、あのオンナノコたちがやたらと「日本女性のあり方」、「日本人のあり方」にこだわっていた?のを思い出した。いや、こだわりというよりは、日本人女性として「正しい」存在でなかった(らしい)ワタシへの失望や嫌悪を顕わにしていたカレシにへつらって、あるいはカレシが描いてみせた「日本女性のあり方」に迎合しての、一種の「売り」に過ぎなかったのかもしれない。思うに、カレシは「ワタシ」という女に惚れたのではなくて、自分が思い描いた「日本女性」に惚れていただけで、それはオンナノコたちに対しても同じだっただろうと思う。(カノジョたちもそうだったけど)ワタシはその区別をつけることができず、(日本でもずっと感じていた)その「あり方」に適合するべきだという圧力に(たぶん自分でもわからないままに)振り回されているうちに、カレシは自分の努力が失敗したと思って、「こんなはずではなかった」という憤懣を一気に爆発させたんだろうな。ま、それもひと昔よりもっと昔の話・・・。
でも、そうやってどこかで植えつけられた、「一般に認められるあり方」に適合しない(できない)ことに対する「罪悪感」こそが、ずっとワタシを悩まして来た「正体不明の憑き物」だったんだなあ。ほんとにとんでもないお荷物を背負っていたもんだと思うけど、女性なら誰だって愛する人の望む通りの女になりたいという欲求が心のどこかにあるんじゃないのかな。だけど、それをその人の本来の人間性(いうなればその人の「あり方」)を否定してまで実現しようとするなら、それはもう愛する人への「愛」でもなければ、自分への「愛」でもなくて、「あり方」という建前への迎合に過ぎないし、(できないことに対する)罪悪感を植えつけることでさせようとするなら、それはもう精神的暴力と言っていいと思う。だって、よほどのマゾキストでなければそんなことはできないだろうと思うから。
「あり方」とか、「当然そうであるべき形」とか、「正しい存在のしかた」とかいう「縛り」に囚われるから生き難くなるんじゃないかと思う。まあ、ワタシにへばりついていた憑き物(demon)がすっと落ちたあの大ゲンカの後で、少なくともワタシはすっかり楽になった気がする。そうだよね、ワタシはワタシのままでいいんだとわかったんだから。ひょっとしたら、カレシの「こんなはずではなかった」というのも、いうなれば「憑き物」みたいなものだったのかもしれない。そうだったとしたら、まだカレシの気持のどこかにしつこく憑いているのかな。それとも、あのケンカの勢いで振り落とされたんだろうか。「かくあるべき」という呪縛が解けて、今は「でもまあ、こいつはこれでいいか」と思っているんだろうか。そのあたりはどうなんだかまだわからないけど、この先の人生は必要もない重い荷物を背負い込まないで、身軽に生きたいもんだな。これからは「あり方」のあり方にもちょっと思いをめぐらせてみるとか・・・いや、それはもうやめとこっ。
追記:
心が軽くなって、ちょっと改まった気持になったので、背景も変えてみた。あり方についてああだこうだ書いているページの上をそろそろと歩いている蟻んこがご愛嬌。釧路ではJ子の家の庭ですずらんが咲いていた。我が家の庭にも咲いている。すずらんはワタシのふるさとの花、ふるさとの香り。すずらんの花言葉は「幸福の訪れ」、「幸福の再来」で、フランスでは花嫁に贈る風習があったとか。可憐で清楚という印象に反してすずらんの花は強烈な毒を持っている。見かけによらず危険なところがあるあたりは、何となくワタシに似ていなくもないか・・・。
やっとこさ夏がやって来るらしい
7月5日。木曜日。今日は正午前に起床。午後1時のポーチの温度計は、おお、20度!やっとのことで夏が来たという感じ。明日あたりから来週いっぱいは25度近くまで上がるそうで、どうやら急に暑くなるよ~という注意報が出ているらしい。まあ、バンクーバーの25度は「真夏日」の感覚なんだけど、雪が降るといって注意報を出し、暑くなるといって注意報を出しって、何だかなあ・・・。
きのうは何だかんだ忙しかった。シーラとヴァルが来て家の掃除。野菜類の買出し。そして、夜にはお酒の買出し。今年は公共セクターの労働協約が軒並み期限切れで、おまけに交渉が難航しているそうなので、後半はストが続発しそうな予感。去年から「何、それ?」と呆れられるようなあり得ない要求をして、臨時立法で対抗しようとする政府とすったもんだやっていた教員組合は「とんでもない悪法に縛られないために」とか何とかいって妥結したけど、成績表を作らない戦術で高校を卒業する子供たちの大学入学出願に支障が出るところだった。今度は酒類の流通を管理する部門が民営化の話もちらほらある中での賃上げ要求スト。1ヵ所24時間ずつの拠点ストだそうで、政府直営の酒屋が閉まるわけじゃない。だって、連中だって家に帰ったらキュッと冷えたビールを飲みたいんだよね。
それでも、在庫に影響が出ないうちに、と夜になって酒屋へ。ワインやら、ジン、コニャック、アルマニャック、スコッチ、日本酒を買い込んで、レジでチェックアウトしていたとき、小脇に挟んでいた季刊の無料雑誌『Taste』が床に落ちたのを拾い上げようとして屈んだところへ、日本酒の小びんがカウンターから落ちてワタシの頭にガッツン、そして床にゴロン。思わず金切り声の悲鳴をあげたもので、警備の人やレジの人が「大丈夫?ちょっと座った方がいいかも・・・」と大騒ぎ。まあ、痛くてたんこぶができそうだけど、帰って1、2杯引っかけたら大丈夫だってば!あまりにも熱心に心配してくれる(そりゃあ、損害賠償訴訟を起こされたくないもの)ので、もう少しでワタシは「thick skull(頭蓋骨が厚い)」だから大丈夫よ、と言ってしまうところだった。あはは。「分厚い頭蓋骨」というのは「頭が鈍い」という意味だから、あぶない、あぶない。やっぱり打ちどころが悪かったのかな・・・?
一夜明けてみたら、たんこぶはできていなかったし、脳みそも普通に作動しているから、ほんとに大丈夫。かなりハードに頭に当ったけど、落ちてきたのが小びんだったから良かった。あれが普通サイズの酒びんだったら、脳震盪を起こして、気絶して救急車を呼ぶ騒ぎになったかもしれない。そういう事態だったら、しばらく仕事ができなくなったと補償を要求することも考えるかもしれないな。まあ、何だかんだとへ理屈をつけて大枚の賠償金を出させようとする輩もいるんだろうけど、小さなたんこぶのひとつくらいで訴訟なんか起こすのはめんどうくさ過ぎ。これからは気をつけなきゃ・・・と言っても、こういう事故(ハプニング)は気のつけようがないんじゃないかな。
カレシが用事があって出かけた後、まずはカレシが大好きなラタトゥイユの仕込み。ナスと玉ねぎとズッキーニとにんにくを炒めて、缶詰のトマト、赤ワイン酢、白ワイン、砂糖少々を混ぜて、あとはスロークッカーにお任せで、簡単、簡単。それから、半ば忘れていて傷み始めていた高麗人参のまだ大丈夫な細いところをウォッカに漬け込み。これは疲れて体調がイマイチ優れないというときなどに熱いお湯に蜂蜜と一緒に入れて飲む、我が家の「薬湯」のひとつ。(もうひとつは金柑の蜂蜜ブランディ漬。)暑くなるというから、太いところは鶏のもも肉でなんちゃらサムゲタン風スープでも作ろうかな。韓国では「土用の丑の日」にうなぎではなくサムゲタンを食べるという話(と言っても、ワタシは「土用の丑の日」がいつなのか知らないんだけど。)それとも、朝の人参粥なんてのもいいかなあ。
まあ、こっちはゆっくりレシピを検索してみることにして、ひとまず今夜のメニューはニジマスのアマンディーヌ、ラタトゥイユ、蒸したインゲンの、なんちゃらおフレンチ風で行こうっと。
わりとのどかだった夏の一日
7月6日。金曜日。せっかくいい気持ちで眠っていたのに、アラームがピーピーと鳴り出して目が覚めた。午前11時半。起き出したカレシが防犯アラームを解除しないで裏庭に出ようとしたせい。放っておくとけたたましいサイレンが鳴り出す。解除しなきゃ~と慌てて飛び起きたところで、カレシが戻って来て解除。もっと早く(できることならドアをあける前に)気づいてよっ、この寝ぼけ。もう!もう少し寝ようという魂胆でベッドにもぐり込んだら、今度はコーヒーメーカーのグラインダーの音。ああ、やれやれ・・・。
今日は予報の通りに暑くなりそうな気配。さて朝ごはんというときに、カレシが「シアトルに行く前にエコーを整備しておかないと」とのご託宣。行く前に整備するって、アナタ、今日は金曜日でもう午後だし、シアトルに行くのは日曜日でしょうが。だけど、カレシは例によって「思い立ったが吉日」で電話をピコピコやって、「番号、入ってない」。うん、入ってないよ。だって、入れてないもん。脱兎のごとく(は大げさだけど)ベースメントに駆け下りて行ったカレシ、10分ほどして「1時間以内に持って行けば5時までにできるってさ」と満面の笑み。う~ん、こういうのを最近ネットでよく見かける「どや顔」と言うんだろうな。「きっと客が来なくてヒマなんだ」。あのね、そういうコメントをよけいなひと言というの・・・。
おかげで、朝食もそこそこにトヨタのディーラーまでエコーを持って行って、帰りはカレシの発案で歩け、歩け。せいぜい30分くらいの距離とは言え、帰りはほとんど登り道なんだけどなあ。でも、天気がいいし、鼻っ柱にちゃんと日焼け止めのクリームを塗っておけば、ま、いいか。ディーラーのオフィスで、特にタイヤの状態とブレーキを重点にチェックするように頼んで、歩け、歩けの帰り道。上り坂の部分が10ブロックくらいあるから、帰り着いた頃には2人とも汗だく。冷たい水出し煎茶でひと息ついて、やれやれ。カレシは豆を蒔くと言って庭へ。ワタシはレシピの検索。いつのまにか紀伊国屋で買って来た小さいレシピ本の出版社(シンガポール)のページを覗いて、しまいにはmini cookbookで検索して見つけたシンガポールの本屋にあれこれ19冊も注文してしまった。どれだけ在庫があるかはまだわからないけど・・・。
3時過ぎにディーラーから電話。もう終わったのか、早いなと思ったら、エアコンのフレオンを補充する必要があるがどうするかと聞いてきた。見積もりに250ドル上乗せになるそうな。シアトルへ向かう日曜日はこの夏一番の暑さになりそうなのに、日陰のないハイウェイをエアコンなで走るのはきついから、即座にOKして、庭仕事中のカレシには事後報告。カレシ曰く、「どうりであまりエアコンが効いてないような気がしてたはずだ」。だったら、オフィスで最初に聞かれたときにチェックして必要なら補充してくれと言えば良かったのに、「それはこの次でいいから」なんて言ったのは誰だろうなあ。まあ、何につけてもまず「お断り」してから「お願い」することが多いのがカレシの特徴ではあるけど、それでしなくてもいい損をしているかもしれないよ、アナタ。
でもまあ、整備の終わった車を引き取りに行ったときに、4人乗りのトラックに買い換えるかもしれないからとSUVとトラックのカタログをもらって来たのは、ワタシの「サジェスチョン」を聞いていたってことかな。夕食時で2人とお腹ぺこだったので、今度は歩くのをやめてトラックで一緒に行って、ワタシがエコーを運転して帰ってきた。おお、エアコン、よく効いているよ~。今日は何度くらいまで行ったのかな。(猛暑のトロントでは35.1度だって。あっちは蒸し暑いから大変だ。)さて、魚を回答するのを忘れたので、晩ごはんは何にしようかと思案。暑かったから、思い切りスパイシーな韓国風で行くか。ピリッと辛い大豆もやしのナムルとコチュジャンとにんにくがたっぷりの豆腐のチゲ。白菜に青梗菜に豚肉にねぎにエリンギにニラに、それから残っていた大根のしっぽも入れてしまえ。
イベントらしいことがひとつだけの、わりとのどかな夏の一日だった・・・。
誰のために人の役に立ちたいのか
7月7日。土曜日。午後12時40分起床。午後1時過ぎにはポーチの温度計が21度を指して、今日も暑め。暑がりのワタシは外へ出るとしたらスリーブレスだな。窓が多くて日当たりが良すぎる二階はあっさり28度を突破。ワタシより暑がりのカレシはさっそくクーラーをオン。(熱交換式換気装置のおかげで、この冷気が家中にけっこう行き渡ってくれるのがうれしい。)
暑いから(20度を超えた程度で!)と言うわけじゃないけど、明日の夜にはシアトルへ長いドライブ(といってもたかが2時間ちょっとなんだけど)、今日は2人とものんびりと過ごすことにする。今日のワタシはとっても爽やかな気持。というのも、何人かの友だちが抱えていた子供(と言ってもほとんど成人だけど)に関する問題がどれもポジティブな方に向かいつつあるから。ワタシには子供ができなかったからわからなかったかもしれないけど、親というのはいくつになっても子供のことが心配なものなんだとつくづく思ったな。近くにいれば黙ってハグしてあげることだって(それくらいしかできないけど)できるのに、遠くにいればそれもかなわない。ワタシだって悩みながら曲りなりに成長して来たんだし、その経験が何かしら人の役に立つこともあるかもしれないし、「聞く耳」を貸すだけでも慰めくらいにはなるかもしれない。だけど、こうすれば、ああすればという具体的なアドバイスは、おせっかいが過ぎるようで心が怯んでしまう。
おせっかいだとわかっていてもどかしいことこの上ないんだけど、結局は自分の経験から得た抽象的な人生論になってしまって、アドバイスとしてはあまり役に立ちそうにない。でも、役に立ちそうにないとわかっていながら、つい頼まれもしないのに激励してしまうから、我ながら何とも救いようのないおせっかい焼きだなあと思う。まあ、ワタシごときが漠然とした人生論を語ったところで人さまの人生が良くなったり悪くなったりするとは思えないから、ほんのちょっとでも何か役に立てることがあったらここまで生きて来た甲斐があったと思ってしまうわけで、そもそも役に立ったかどうかもあやしいから、ほんとは迷惑な「押しかけおばちゃん」なのかもしれない。
それでも、辛いことや苦しいことで落ち込んでいる親しい人や良くしてくれた人の役に立ちたいと思えるのは、とうに還暦を過ぎたワタシの人生がやっと落ち着いたからなんだろうな。だから、深刻な問題が(悩んでいる本人の努力で)解決の方へ向かうと、自分が真っ暗な迷宮から抜け出したときの、あのほっとした気持が蘇ってきて、そこでまた「ああ、よかった、よかった」と自分のことみたいに喜んで、爽やかな気持になる。喜ぶのは誰よりも努力した本人のはずだけど、自分は子供を生んだことも育てたこともないのに勝手に親の喜びをおすそ分けしてもらって、そうすることで人とのつながりを感じていられるワタシは幸せな人間だと思う。
人間って、そもそも自分自身が幸せでなければ分かち合える幸せがないのを同じだし、自分を幸せな人間だと思えなければ、人の幸せを喜べといっても難しいだろうと思う。つまり、人間が人の役に立ちたいと思うのは、自分が幸せだということを確かめたいという願望があるからなのかもしれない。でも、ワタシは高邁な博愛精神の持ち主じゃないから、自分を幸せな人間だと思うからこそ親しい人たちやワタシにやさしくしてくれた人たちも幸せであって欲しいと思うだけで、人類の幸福のために自分を犠牲にするなんてことは逆立ちしたってできっこないだろうな。まあ、「情けは人のためならず」というし、たとえほんのちょっぴりでも人の役に立つことができて、それが回りまわって自分の幸せになるとしたら、自己満足だろうが何だろうが、動機なんかどうだっていいじゃないかと思うけど。
何につけても自分が基準の私
7月8日。日曜日。午前11時前に目が覚めたので、そのまま起床。あした、あさってと生活時間が「一般的な」標準時間になるから、ちょっとは時差ぼけ防止になるかもしれない。東部の猛暑が西海岸に移動して来たそうで、40度超なんて熱帯的な暑さにはならないだろうけど、バンクーバーは今日も暑くなりそう。(あした、あさってのシアトルは最高気温が29度の予報!)
今回は2泊3日だから大した準備は必要ないし、出かけるのは夕食後なのでゆっくりでいいんだけど、カレシは日本で買って来たiPod Touchを充電できないとか何とかもうひと騒ぎ。そういうことはもうちょっと時間的な余裕をみてやっておいた方がいいと思うけどなあ。まあ、そう思うのはワタシで、かなりの心配性なのになぜか「不測の事態」が起きるはずはないと思い込んでいるらしいのがカレシ。それで「ワタシたち夫婦」がけっこううまく回っている感じもするから、おもしろいもんだと思うな。
きのうごちゃごちゃ書いたことを読み直してみて、ワタシってすごい「自分基準」な人間だなあと思った。この1、2年、遠くの友人たちが子供の死別、離別、学校問題で大変な思いをしているのを見ていて気をもんでいたのが、みんなハッピーエンドになったか、ポジティブな方へ向かっているのがすごくうれしい。でも、頼まれもせずに気をもんでいるのは「押しかけ」のような気もして、だけど「押しかけ」はやっても「押し付け」はしないよなあと、へ理屈っぽいことを考えていた。つまるところ、こういう見方もあるよ、こういう考え方もあるよと、押しかけアドバイスをやって、それがちょっとでも何かの役に立つことがあれば、それだけで幸せな気分になれるのは、ある意味でワタシは「自己中」だからかもしれないと。
たしかに、自分のことに関しては何につけても「自分」がどう思うかが判断の基準になっていて、人と比べてどうこうというのどうでもいいと思っているところがある。このあたりは子供の頃に母がいつも「うちはうち、よそはよそ」と言っていたのと関係があるかもしれないな。自分については自分の基準、他人についてはその人の基準でいいということなんだけど、この基準というのが「まあ、いいか」という、けっこういい加減なものだったりすることが多いから、「一般に認められた規範」にこだわる人たちには困った存在だろうと思うし、ときたまものごとがややこしくもなる。
いうなれば甘いってことかもしれないけど、ワタシも人間だから他人やものごとにイライラすることもあるし、ムカつくことだってある。でも、自分にも他人にも「完ぺき」を求めず、適度の許容ラインで「まあ、いいか」と納得できるのはワタシの「いいところ」なんじゃないかと思うな。まあ、その許容ラインも「他人にどう思われるか」という視点への配慮がまったくないので、許容基準が「まあ、いいか」よりずっと高いところにある人から見たら、そういう高度な基準に適合しないワタシはやっぱり疲れる自己中人間ということになるんだろうな。でも、ワタシはワタシ、人は人と考えると、どうしても「自分基準」にならざるを得ないと思うから、人が何と言おうとワタシは「まあ、いいか」。なぜかそれができず、ほとんどがワタシとはまったく違う環境にいる人たちが設定した「適正基準」に近づかなければと無理をした時期があったから、自分を見失うような状態に陥ってしまったんだと思うし・・・。
さて、カレシのiPodはどうやら充電し始めたようだし、いつのまにか電池切れになっていた原因も判明したらしい。今度はちゃんと使用説明書を持って行くそうだし、着替えも用意したそうだし、シアトルまでのドライブで聞きたいCDも選んで、準備万端が整ったらしい。ネットブックは持って行かないことにしたそうだけど、今回は4人連れだし、たったの2泊だからホテルでネットを覗く時間なんかないと思うよ。では、ワタシも持って行くものをまとめることにしようか。(今頃はオレゴン州あたりを走っている)デイヴィッドの携帯の番号もワタシの携帯に登録したし、2人のパスポートとアメリカのお金とボーイング工場見学のチケットはとうにバッグに入れてあるから、後は自分の化粧品(といってもわずかだけど)と着替えを入れるだけ。タンクトップだけでいいかな。なにしろ3日間ずっと暑そうだから・・・。
遊び呆けて、疲れて、日が暮れて
7月11日。水曜日。起床は午前8時。我が家に一泊したデイヴィッドが予約してあるレンタカーを空港へ取りに行くというので、早起きして4人揃っての朝食。
シアトルから帰ってきたのは午後8時過ぎ。閉め切ったままでクーラーもかかっていなかった家の中は30度を超えていて、暑いの何のって。4人とも遊びすぎで何だか疲れていたけど、冷たい水出し煎茶を飲みながら、寝苦しくない程度まで冷えるのを待った。月曜日はけっこう暑かったけど、きのうは朝から高曇りで少し涼しげ。チェックアウトする前にパイク・プレースのマーケットまで歩いたときはちょっと肌寒いくらいだった。まあ、シアトルの細長いダウンタウンはエリオットベイからもろに急斜面を海風が吹き上げてくるので、海側はいつも寒いような気がする。
カレシがデイヴィッドを空港まで送って行ったので、ワタシとジュディはぺちゃくちゃと女同士のおしゃべりに花を咲かせる。モントリオールに住む長女のスーザンの赤ちゃんは9月下旬が予定日で、自分のフランス語苗字が嫌いという父親の希望で、母親の苗字と英語っぽい名前をつけることにしてるとか。ケベック州の法律のことは知らないけど、スーザンとパートナーのモンティはもう15年も事実婚だし、法律婚でも今は別姓の夫婦は珍しくもないし、日本のような戸籍がないカナダでは、父が何某、母が何某と記載して出生を登録するだけなので、子供の苗字も母親か父親かのどちらかを選べるんだろうな。
一方、まだ実家住まいの次女ローラは出たり入ったりしていた大学をやっと卒業して医薬系の会社に就職が決まり、しばらくはアメリカはオハイオ州クリーブランドで研修とのこと。おまけに、この5、6年ほど交際していたボーイフレンドにプロポーズされて、めでたく婚約。フィアンセは大手金融機関のリスク管理のプロで、若いのにすごい高給取りらしい。マケドニア系で、英語舌にはちょっと発音しにくい苗字なので、ローラは別姓にするかどうか思案中とか。結婚式はおそらく来年の夏で、「花嫁の父」デイヴィッドは今から映画の『My Big Fat Greek Wedding(マイ・ビッグ・ファット・グリーク・ウェディング)』のようになるんじゃないかと戦々恐々らしい。(ただし、マケドニア人とギリシャ人を混同するのはタブーらしい。歴史的な怨恨の執拗さはどこも同じということか。)長いこと娘たちに何もなかったのに初孫と結婚式がひとまとめに来てしまって、ジュディはうれしそうだけど、これから大変だろうなあ。
ワタシとカレシはここへ来て「遊び疲れ」。特にカレシは、小さなエコーで連日インターステートハイウェイ5号線(I-5)を時速120キロくらいでぶっ飛ばしたので、ぐったりと疲れたもよう。そうだろうなあ。何しろみんなそのスピードで走っていて、いきなりヒョイッと「気軽」に車線変更して来るし、テールゲイティングといって、十分な車間距離を取らずに後ろにぴったりついて走りたがるヤツも多いからヒヤヒヤのしっぱなし。ワシントン州のドライバーたちがせっかちになって来たのか、運転マナーが悪くなって来たのか、そこのところはわからないけど、もう若くないこっちは神経が疲れること甚だしい。
国境を越えるのはわりと空いている日曜や平日の夜を選んだので、待ち時間は行きも帰りも約20分。アメリカへ入るときは、背中に「Police」と書いた制服を着た人たちが何台かの車のトランクを開けさせてチェックしていて、ワタシたちの前の車のときはトランクに入っていた女性のバッグの中身まで出して調べていた。(ドラッグの摘発かな?)ワタシたちはそのまま検問ブースまで進んだけど、パスポートを見ていた移民官がいきなりワタシの名前を呼んだので、反射的にイエス!と言ったら、「サングラスを外して」。あっ、外すのを忘れてた。すいませぇ~ん。何事もなくアメリカ側に入ってから、カレシが「名前を呼んだの、どうしてだと思う?」と聞くから、パスポートに書いてあるもん、と言ったら、「キミの反応を試したんだよ」。ええ、何の反応?「名前への反応さ」。ふ~ん、つまりサングラスをかけたままだったから、他人のパスポートで入ろうとしていると思われたってこと?「そういうことさ」。へえ、今どきのアメリカの移民局はわりと巧妙な心理作戦で来るんだ。まあ、いろんな人たちがあの手この手で何とかしてアメリカに潜り込もうとするから、それを阻止する方も賢くならないとね。最近は何だか愛想が良くなったように思っていたら、なるほど、そういう作戦なのか・・・。
でもまあ、6月からこの方、2人とも実によく遊び呆けたもんだなあ。さて、遊び疲れたところで、そろそろ本気で「平常」モードに戻らないと・・・。
ガラスの彫刻は色と光の幻想
7月12日。木曜日。カレシが午前10時過ぎに起き出したけど、ワタシはもうひと眠りして午前11時過ぎに起床。今日も暑くなりそう、といっても最高気温の予報は24度くらい。それでもバンクーバーとしては十分に暑いけど、相対湿度が60パーセント以下なので快適な夏と言えそう。
普通の時間に朝食。コーヒーを飲みながら、今日は何をしようか?ワタシは今のところ仕事の予定がないし、カレシは英語教室を夏休みにしたので、2人揃って「ご隠居(トレーニング)」モード。カレシがシアトルのホテルのレストランで食べて気に入った朝食の「グラノーラ・パフェ」を家で作りたいというので、たまたま開けていないヨーグルトが冷蔵庫にあることだし、お気に入りのグラノーラを買いにWhole Foodsへ行くことにした。数百キロを時速120キロで飛ばして来たので、エコーのバッテリは絶好調。空いているメーターのところに止めたらまだ35分も残っているから、今日はラッキー。ありったけの小銭を足して1時間55分。
近くのHome Depotで(長時間点灯している玄関ホールとオフィスの外の廊下に使う)LEDライトをいくつも買い、ついでにカレシが外付けHDDを欲しいというのでご近所のBest Buyへ。カレシは3TBの大きなやつ、ワタシは売れ残りらしい手帳サイズの750GB(1テラのが欲しかったけど、USBが3.0なのでアウト)と前から欲しかったフォトショップ・エレメンツ。買い物袋を車のトランクにしまって、やっと目的のWhole Foodsへ。お目当てのグラノーラの他、コーヒー豆、フムスに大好きなテラの野菜チップス3種類(最近は日本でも売られているらしい)、鮭や鯖と並んでエラソーな顔をして氷の上に載っていたギリシャの(尾頭付き)鯛と寝酒のつまみにするスモークサーモンのトリム(切り落とし)。な~んか「ついで」が多すぎて、目当てのものだけですまないのがワタシ(たち)の買い物パターンらしい。これじゃあ、本格的な隠居生活になったときに大変なことになるんじゃないのかなあ。ま、そのときになったら考えようか・・・。
家の帰ったら後はのんびり。シアトルで撮ったビデオと写真の整理。日本へ行く前に買ったビデオカメラ、いつの間にか「ワタシ、撮る人。カレシ、編集する人」になったようで、ビデオの編集はカレシの新しい趣味?に発展しそうな予感。ボーイングの工場見学では、カメラはおろか携帯もiPodも電子機器一切もバッグも、はては女性のハンドバッグまで持ち込み厳禁なので、あたりまえだけど、写真は撮れない。工場では新型の747型と、777型、787型の組立てをやっていて、高いところから見下ろすとジャンボ機でさえ「な~んか小さいなあ」という印象を受けるから不思議。787型ドリームライナーはひとつ屋根の下に3機も4機も並んでいるのでよけい小さく見える。世界各地から胴体や翼をドリームリフターという特別仕様の輸送機で運んで来て3日で組み立てるんだそうで、出口に一番近いところのは「日本航空様ご用達」。(塗装が終わって引渡しを待っていたのはANAが一番多かったかな。)
実際にジェット機を組み立てているところは何度見ても見飽きないけど、ワタシには今回のハイライトは5月にオープンしたばかりのChihuly Garden and Glass。ワシントン州出身のガラスの彫刻家デイル・チフーリの作品を集めたところ。ラスベガスのホテル「ベラジオ」のロビーの天井を飾る躍動感あふれるガラスの花[写真]を見てからというもの、この人の作品にすっかり惚れ込んでしまったワタシ・・・。
似たようなものばかり作るという人も多いけど、インスタレーションだから、個別の作品は似たりよったりでも展示場の環境全体の中で見ないとわからないかも。特に植物園などでの大規模なインスタレーションは自然に溶け込んですばらしいと思うんだけどな。ロビーから入って、まず暗い展示室をいくつか通り抜ける。作品だけにライトが当っているので、すご~く幻想的な雰囲気で、特にいろいろな青のそれぞれの微妙な色合いが何ともいえない。ちなみに、ここでは写真もビデオも撮り放題・・・。
[写真] これはワタシのお気に入り。真っ黒な台に映るイメージから始まって、ずっと天井まで見上げて行くと、いろいろな海の生物が金色に光って、生命が沸き上がって来るよう・・・。
[写真] 暗い展示室から明るい場所(グラスハウス)に出ると、鮮やかな大輪のガラスの花の向こうにシアトル名物のスペース・ニードルが聳えている。(これは入場券と一緒にもらったパンフレットの写真。)ここから外へ出ると、植栽とカラフルなガラスの作品が自然に融合して見える庭園。暗い中での幻想的な色と光にうっとりした後は、青空の下のガラスの植物園で不思議の国のアリスになった気分・・・。
庭園から「シャンデリア」を展示した回廊を通って、奥のカフェでランチ。収集魔でもあるチフーリの雑多なコレクションがあちこちに展示されていて、天井には無数のアコーディオン、外の廊下には無数の栓抜き!ワタシたちが入ったときは、何とチフーリその人がすぐ近くのテーブルでご婦人方とお食事中。(交通事故で失明した左目に黒い眼帯をしているのですぐにわかる。)みんな気がつくけど、誰もお邪魔はしない。意外と背が低くて、その代わり幅の広い人だった。芸術家じゃなくて商売人だと揶揄する人たちもいるけど、たしかにギフトショップには過去の展示の豪華本や制作過程のDVDがずらりと並んでいて、最近他界した「光の画家」トーマス・キンケードのようなショーマンシップがあるかなとも思う。だけど、すばらしいものは誰が何と言ってもやっぱりすばらしい。
そうそう、パイク・プレース・マーケットは「スターバックス発祥の地」。この小さな店から今日のすべてが始まった。実は1971年に少し離れたところで開業して、ここに移転して来た。今でもオリジナルの茶色の人魚マーク・・・。[写真]
ネットで寄付と称して物乞い
7月13日。金曜日。午前9時ごろにクーラーがオンになるようにタイマーをかけておいたら、涼しくなり過ぎて11時をちょっと過ぎたところで起きてしまった。ひょっとしたら気温が下がるのかなと思ったけど、どうもそういうことではなさそうで、夜間はちょうどよく涼しいということらしい。今日は今年はこれで3回目の「13日の金曜日」。カレンダーの仕組みからすると1年に3回が最高だそうだから、今年は今日が最後。まあ、1月のときも、(カレシの手術があった)4月のときも、別に悪いことは何も起きなかったから、今日も大丈夫じゃないのかな。
カレシは車でヘアカットに出かけ、ワタシは炭酸水メーカーのカートリッジを取り替えに歩いてモールへ。焼けやすい鼻のてっぺんに日焼け止めを塗って、野球帽を目深にかぶって、サンダル履きの足には靴擦れ防止のクリームを塗って、トートバッグを肩に、いざ出発。日が照っているとやっぱり暑い。といっても23度くらいだけど、汗でサングラスがずり落ちてくる。(眼鏡をかけていた頃には夏になるとずり落ちてくる眼鏡に悩まされたっけ・・・。)
空になった炭酸ガスのカートリッジは「SodaStream」を扱っているところへ持って行くと、新しいものと交換してくれる。代金は中の炭酸ガスの分だけを払うので、最初にキカイと専用ボトルとカートリッジを買うときはけっこうかかるけど、後は炭酸水を安上がりに作れて便利この上ない。(ただの炭酸水で物足りなければ、いろんな味のシロップを売っているし、ググるといろんなレシピが見つかる。)我が家では1リットルのボトルを3本いつも冷蔵庫に入れてあるけど、カレシが胃腸薬の代わりにがぶがぶ飲むので、カートリッジは2本。でも、1本だけ取替えに行くのもめんどうなので、結局は2本目が空になったところでまとめて交換に走ることになる。日本でも売っているようなので、宣伝するつもりじゃないけど、炭酸飲料好きにおススメしたい優れもの。
よく覗く在日外国人のニュースブログにおもしろい記事が載っていた。あるアメリカ人の英語先生が「フクシマの放射能のせいで将来の健康が心配だし、安全な環境で子供を作りたいのでアメリカへ帰りたいが、外国人ヨメの永住ビザの煩雑な手続きを始め、飛行機代、引越し代、就職するまでの期間や医療保険のない期間の費用、住居探しなどなどに大金が必要で、ついては寄付をお願いします」とYouTubeでアピールしているそうで、コメント欄には、福島から千キロも離れた九州に住んでいて、何で今頃「脱出」なのか?帰りの飛行機代まで出してもらえる待遇の良いJETの先生が5年もいて何も貯金をしなかったのか?アジア旅行や金のかかる趣味、遊びに浪費しまくって(当人がブログに快適な暮らしぶりを書いていたらしい)今さら何なんだ?自分も同業だけどそんな浅ましい真似はしない、ムカつく、と批判がずらり。
どうやらこの人も大学を卒業してすぐにJETプログラムに応募して、憧れの日本へ行って、現地の女性と出会って結婚という、若い英語先生の多くが辿る道を通って来たようだけど、どうも契約切れで帰国せざるを得なくなったらしい。でもアメリカは今えらい不景気で、そこへ外国人ヨメを連れて帰ったところで貯金がないから当面の生活費もない。まあ、新卒でぽっと日本へ来たのなら、アメリカでは経験も資格もないんだろうな。そこでYouTubeで窮状を訴えて寄付を募ることを思い立ったのかな。ネットでの物乞いはけっこうあるから、「オレも~」という感覚なのかもしれないけど、ずっとアメリカに住みたがっていたというおヨメさんは「お金がない」という現実?をどう思っているんだろうな。
それにしても、福島も九州も(たぶん日本も)どこにあるか知らない同胞に「金がないから寄付して」はいくらなんでもちょっと図々しすぎないかなあ。「寄付」のボタンをクリックする人って、どれだけいるんだろう。まあ、世の中にはいろんな人がいるもんだけど、インターネットの世界には何とも世間離れした人が多いという感じがするな。さすがは「仮想空間」というべきなのか・・・。
嘘と罪悪感といじめと
7月14日。土曜日。今日はバスティーユ・デイ。誰が考えたのか、日本では「パリ祭」なんて言っているけど、フランスでは一般に「Le Quatorze Juillet(7月14日)」と呼ばれる(昔NHKの「フランス語講座」を見ていて、響きのよさに魅せられて覚えたんだから間違いない)。アメリカでは独立記念日のことを一般に「Fourth of July(7月4日)」と呼んでいるけど、真似したわけじゃないだろうな。でも、どっちの国も国旗の色は赤、白、青だし、さては・・・な~んて。
カレシが今日はやっと何も予定のない日だから何もしないぞと宣言したので、ワタシも何もしないと同調。ほんとはランドリーシュートがいっぱいだから洗濯機を回した方がいいんだけど、めんどうになって今日はや~めた。こういうぐ~たらでもOKなんだったら、主婦業も悪くはないかなと思うけど、現実はそういうわけには行かないよね。だけどまあ、水曜日が掃除の日だから、洗濯はそれまでにやればいいか。たとえば、明日とか・・・。
夕食もぐ~たらを決め込んで、今日はグリル。魚はほっけの開きとアヒまぐろ。ゆうべのランチで残ったそばつゆに七味唐辛子をたっぷり混ぜてアヒをマリネート。ほっけ用にはちょこっと大根おろし。魚も赤と黄色のピーマンもししとうも、みんなグリルパンひとつで調理。剥き身のつぶ貝は気が変わって、今日はバスティーユ・デイだし(というわけでもないけど)、カレシに菜園から採ってきてもらったパセリとにんにくといっしょにバターでさっと炒めて箸休め風のつけ合わせ。エスカルゴみたいで、ヘンな和洋折衷・・・。
後はのんびりと小町横町の散策。『幸せに暮らしたい私。どうしてうまくいかないの?』という何とも切ないタイトルのトピックが突出してアクセスのランキング1位になっている。どんなドラマの展開かと思ったら、優雅な生活がしたくて、ある「難関国家資格」を持つ人と結婚するために努力に努力を重ねて念願成就したはいいけど、家計も任されず、自由になるお金もなくてしかたなくアルバイトをしているという人。実はその「努力」というのが年令詐称に始まって、何から何まで嘘に嘘の上塗りだったらしく、いつばれるかと心配・・・。読めば読むほどにほんまかいな~と思ってしまう話だけど、ランキング1位になるトピックには「事実は小説より奇なり」を地で行くような話が多いから、これもできすぎていて創作っぽい。ほんとに創作だとしたら、これは小町の名作集に入る大嘘と言えるな。
「嘘も方便」と言う便利なことわざもあるくらいで、人間は誰でもときどきは小さい嘘(fib)をついているだろうと思う。「嘘から出た実」なんてことになって慌てることもあるだろうな。でも、大きな嘘(lie)はいったんついてしまうと後々まで嘘に嘘を重ねて隠蔽しなければならないから大変なことになる。生来の嘘つきで罪悪感を微塵も持たずに次から次へと嘘をつける人にとってはそれほど大変でもないかもしれない。だけど、少しでも人間の心を持っていれば、ついてしまった嘘が露見しないように際限なく話の辻褄を合わせて行く努力をしなければならないし、その上に嘘をついていることへの罪悪感との闘いも加わって、厖大な精神エネルギーを費やすことになってしまう。その罪悪感の重さに潰れる人もいるし、誰か(たいていは嘘をついた相手)に転嫁して楽になろうとする人もいる。人生の判断を狂わせられるような嘘をつかれて、おまけに嘘をついた当人の罪悪感まで背負わされたんではたまったもんじゃないけど、そういうことは決して珍しいことではない。でも、いくら方便であっても、他人の人生を狂わせるような大嘘はどこの社会でも許されざるものだとワタシは思うけど。
何ヵ月も前に収束して消えた『左利きの人は、マナーがなっていないと思われますか?』というトピックがなぜか再登場。このトピックも書き込みが200本以上あって、左利き認容の是非論になっていた。左利き嫌いは、周りの人を不快にさせるからマナー違反だとか、親がしつけを怠ったとか、違和感を持つ人がいるから矯正すべきとか、見苦しいとか、日本様式の所作に合わないとか、箸の使い方や字の書き方が汚いとか、すごい拒否反応で、人によっては「自分は気にならないけど」(うっそ~!)と言いわけをしつつ、とどのつまりは、「自分」が持つ違和感や嫌悪感に「自分」の精神的秩序を乱されるのが嫌で、その不快感(あるいは偏見に対する罪悪感?)を呼び起こす左利き人間はこの世に存在すべきでないと言っているような書き込みが多かったな。
そこでふっと思ったんだけど、このトピックをにぎわした「左利き排斥主義者」たちも、大津の陰惨ないじめ自殺事件の顛末を許せないと思って憤っているんだろうか。学校や職場や社会からいじめをなくせと叫んでいるんだろうか。はて、どう思っているのか、ちょっと聞いてみたい気がするな。
私の性格ってどんなタイプ?
7月15日。日曜日。午前11時過ぎに目を覚ましたら、あら、何か涼しい。カレシが先に起きていたせいでもなさそう。10時過ぎに起きたというカレシによく眠れなかったのか聞いてみたら、雷が鳴って目が覚めたとのこと。へえ、全然気がつかなかった。防音効果の高い耳栓をしているカレシが目を覚まして、普通に寝ているワタシが目を覚まさなかったなんて、ヘンな雷だなあ・・・。
太陽の大きな黒点で大規模なフレアが発生して、北緯49度のバンクーバーのあたりでもオーロラが見えている。就寝前には雲が広がりつつあったけど、ゆうべは目を凝らすと空が赤っぽかったり、緑っぽかったりしていた。郊外の暗いところへ行けばもう少しはっきりと見えるらしいけど、北極圏の壮大なオーロラとは違って、このあたりでたまに見られるのはこんなもの。でも、今回はもっと南のアメリカでも見えているらしい。雷と一緒にひとしきり(カレシによると15分くらい)雨が降ったらしく、今日はクーラーにタイマーをセットしていなくて正解。正午を過ぎても気温は15度しかないので、きのうまでの露出度満点のミニのタンクドレスからスカートと半袖のTシャツに着替え。これだから、冬物の衣類をしまって、夏物に衣替えなんて「正しい季節感覚」は望むべくもなく、クローゼットには春夏秋冬の衣類がいつも雑居・・・。
あっという間に7月が半分過ぎてしまった。洗濯は明日に回して、去年から未完成のままになっている絵をどうやって完成させようかと思案していると、早起きのセンセイから仕事の話。日本は連休じゃなかったのかな。(そっか、オフィスが休みだからセンセイから直々にメールが飛んで来たんだな。)いつものことだけど、仕事前線でしばらく凪が続いて、じゃあ気合を入れて趣味にかかろうかと思ったところで、仕事が入ってくる。どうしてなんだろう。ワタシのお客さんはエスパーなのかなあ。それとも、魔法のレーダー(あるいは水晶玉)を持っているとか。一度あることは二度あって、二度あることは三度ある。明日からは仕事をしながら洗濯機を回して、買出しに行って、暇なときにぐうたらして先延ばししたことをして、忙しいとバタバタ・・・つまりは、平常通りに営業ってこと。
平常に戻るのは明日の月曜日からということで、ニュースサイトを巡回していたら、BBCのラジオ番組で『パーソナリティのビジネス』というのを見つけて聞いてみた。社員に「性格診断検査」をする企業が増えていて、採用のときにも使われ始めているという話。最も利用されているのが「MBTI(マイヤー・ブリッグス・タイプ指標)」で、ワタシも勤め人時代に2回やって、2回とも「INTP」と出て来た(ただし、「T」の部分のスコアは「F」に近かった)。「内向・直感・思考・知覚」型の頭文字だそうで、何で「内向型」と出て来たのかわからないけど、3年の間を置いてやっても同じ結果だったので、それがワタシの性格タイプなのは確かだろうな。そこで、BBCの記事にあった「私ってどんな人?」テストをやってみたら、やっぱり似たような「性格」(ただし、こっちでは「平均的な外向性」となっていたけど)。ついでに、「脳の性別診断」というのをやってみたら、ワタシは男脳と女脳が半分ずつらしい(別のテストでは男脳60%・・・)。まあ、バランスが取れているといえば聞こえがいいけど・・・。
あ~あ、ワタシっていったいどんな人なんだろうなあ。やっぱり、抽象的なことをあれこれと考えるのが好きで、ああだこうだとへ理屈を並べることが多いけど、同時に「まあ、いいか」精神でふらふらと飛び回る能天気な極楽とんぼ型人間でいいってことにするか。それだと生きるのが楽そうだし・・・。