リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

褒めるにしても褒めすぎたら褒めていないのと同じじゃないの?

2024年05月12日 | 日々の風の吹くまま
5月11日(土曜日)。☀。朝からちょっと暑い。この暑いのにカレシは英語レッスンが5回。生徒はみんな定職を持っている人たちだからレッスンに時間を割けるのは日曜日だけ。最近はベトナムやタイ、ミャンマーの人が増えて、時差の関係で土曜日の午後から夜にかけてレッスンが集中してしまうわけ。なぜか職業は「教師」という人が増えていて、中には英語教師もいるそうだから、あっち方面で何か「英語ができれば人生が良くなる」とでもいうような社会的潮流が起きているのかもしれない。ま、かっての中世ヨーロッパでラテン語がそうだったように、現代社会では英語が「リンガフランカ」だから、英語ができないと広い世界とのコミュニケーションが取れないのが現実。

そう言えば、そんなに前じゃないけど、日本の複数のニュースメデイァのサイトにかなり長い間載っていて、最初はへええと軽い気持ちで見ていて、そのうちに何だかナニ、コレ?という気分になった広告を思い出した。どうやらユーチューブを使った英会話勉強(1日30分!)の広告らしかったけど、どっかのリゾートを思わせるところで麦わら帽子を被った若い女性が満面の笑みでこっちを見ていて、売り言葉が「まるで外国人?英語が流暢すぎる」。思わず「ナァニ、コレェ?」。第一に、「まるで外国人?」という言い草。英語ペラペラ=外国人という発想なんだろうけど、それ、ほめてるの?けなしてるの?次の「英語が流暢すぎる」にいたっては、はあぁ?日本語には「過ぎたるは及ばざるがことし」という言葉があるくらいだから、「~過ぎる」というのはどう考えたってほめている感じじゃないよねえ。

まあ、日本にいてネイティブスピーカー並みの英語を極めたいという日本人を標的にした日本のネットビジネスの広告だから、「流暢すぎる」という、ネイティブスピーカーよりも上手ってこと?と突っ込めそうなくすぐったい表現を客寄せに使っているだけなんだろうけど、近頃は広告でなくても、「美しすぎる」とか「おいしすぎぎる」とか「好きすぎる」とか、この「~過ぎる」がやたらと目に付くようになった感じ。文脈から解釈するに、一応は「ほめ言葉」として使っていることは推測できるんだけど、元々ネガティブな意味を持った表現なもので、せっかくの最大級の賞賛もほめ言葉を装って「出る釘はうざい」と言っているように聞こえてしまいそう。(英語で褒めるつもりでYou are too goodなんて言ったら皮肉屋だと思われそう。)はて、今どきの若い人たちはどうなんだろう。おそらくソーシャルメディアから発生した表現だろうから、あんがい違和感も抵抗感もないのかな。言語は音楽、音楽は言語だから、言葉も世に連れ、世は言葉に連れってこと・・・。

それでも、もしも誰かにワタシの何かについて「○○すぎる」と言われたら、え、それって、ほめてくれてるの?けなしてるの?それとも、ほめているふりをしてほんとは皮肉ってるの?と考えてしまいそう。言語に関しては、英語が日常の主言語になってほぼ半世紀になるけど、流暢だとほめられたことは一度もないし、下手くそだと言われたこともないのは、日常生活の中での互いの意思の疎通が目的の会話には上手下手を評価するという発想そのものがないからだと思う。ま、「~過ぎる」とほめるのが今どきの現代国語だとしたら、ワタシが覚えている日本語は苔むした文語体(古すぎ!)ってことになるのかな。東京で特に中国からの観光客があふれている店なんかで日本語を話すと「日本語、お上手ですねえ」と言われるのはそのせいかもしれないな。これならお世辞には違いなくてもほめられたと思うよね。うん、久しぶりの秋の東京で、もしかして「まるで日本人?日本語が流暢すぎる」なんて言われたりして。うは。


時ならぬ暑さで頭を冷やすゴリラ山

羽田で乗って帰って来るのは5ヵ月先だけど


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