リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年11月~その1

2009年11月16日 | 昔語り(2006~2013)
ニューヨークは秋だった

11月1日。帰って来た。出発したときはまだ10月で、まだ「夏時間」だったけど、帰ってきてみたらもう11月で、もう「標準時(冬時間)」。今年もあと2ヵ月しかないんだよ~とカレシに言ったら、「今年は旅行はもういいよ」と。え、なんかちょっとずれてない?

ニューヨークでのハイライトは何だったかなあ。順不同で揚げると、前回断念したグッゲンハイム美術館に行けたこと。ちょうどワタシが好きなカンディンスキーの回顧展をやっていた。フランク・ロイド・ライトのユニークな設計で、巻貝の中のような回廊をぐるぐると上りながら絵を見て行くのがおもしろい。カンディンスキーは初期の方が素朴なロマンがあっていいかな、やっぱり。後期の作品は抽象が行き過ぎて、形式的な惰性にも通じる感じがしてくる。でも、バウハウス時代の版画はプレゼントの包み紙にしたいような気もする。グッゲンハイムのある88番街から5番街を下がり、ホテルのあるブロードウェイの46番街までそぞろ歩き。ロックフェラーセンターではスケートのショーみたいなことをやっていた。有名なクリスマスツリーを立てるところなんだけど、思ったより狭いところ。(ま、国連ビルも近くまで行ったら、「え?これだけのもんなの?」て感じがするけど。)

ハイライトのその2はブルックリン橋をマンハッタンからブルックリンまで歩いて渡ったこと。歩道は橋の中心にあって、しかも車道より高いから、のんびりと歩ける。歩行者と自転車を分けてあることはあるんだけど、なにしろ観光客というのはどこへ行っても景色を見るのと写真を撮ることしか眼中にないやっかいな人種なもので、そんなことにまで気が回らない。毎日橋を渡る地元のサイクリストもジョガーも大変だろうなあ、と同情しながらも、ワタシも立ち止まっては写真をパチパチ。遠くに自由の女神像が見えた。回れ右をしてマンハッタンまで戻ってきて、「誰もブルックリン橋を買わないかって持ちかけて来なかった」とカレシ。まあ、「ブルックリン橋、買わない?」というのは昔からあるジョークなんだけど、バブル時代にロックフェラーセンターを買った日本人もさすがにブルックリン橋は買わなかったなあ。

ハイライトのその3はセントラルパークを北の端から南の端まで歩いたこと。高層ビルがにょきにょきと立っていて、空がほんのひとかけらしか見えなかったりするマンハッタン。そこに住むたくさんの人たちにとっては、広々とした緑に空間というとセントラルパークしかない。猫の額のような土地だってむだにしたくないだろうに、そのマンハッタンのど真ん中にあれだけの空間があるというのがすごい。サイモンとガーファンクルのコンサートを聞きに50万人が集まったというグレートローンはとにかく反対側が見えないくらいの膨大な広さ。サンフランシスコのゴールデンゲート公園にも広々とした芝生の区域があるけど、バンクーバー名所のスタンレー公園には大勢の人が集まれるところがない。(まあ、キツラノにはヴァニエパークというのがあって、いろんなフェスティヴァルやシェイクスピアの野外劇などをやっているけど、人を「集める」という感じで、いろんな人たちが三々五々「集まる」・・・という感じではないな。これって、なんか哲学的な違いでもあるのかなあ。

ハイライトのその4は、ティファニーでまた誘惑に負けて買い物をしてしまったことかな。それも2つも。ひとつはパロマ・ピカソがデザインしたという、ハート6つを花びらのように並べて、真ん中にポチッと小さなダイヤが入っている銀のペンダント。シンプルさがすてき。普通は値札が見えないようにしているんだけど、今回はショーケースの何ヵ所かに「200ドル以下」、「150ドル以下」、「100ドル以下」というカードが置かれてあって、ペンダントやイアリング、チャームを数点ずつ並べてあった。世界不況のせいなのかどうか知らないけど、たぶん観光客を狙ったティファニーとしてはぎりぎりの線なんだろうな。陶器やクリスタルのフロアでは、クリスマスツリーの飾りを売っていて、ぱっと目について「これ!」と気に入ってしまったのがツリーの絵が描かれた陶製の飾り。

ハイライトのその5はパーティ、パーティ。でもこれはまたの話・・・

マンハッタンは歩け、歩け

11月2日。なんだかやっぱりかな~り早く目が覚めた。もっともくたびれて寝てしまったのが異例の午前1時半だから、普通に8時間寝たにもかかわらず、午前9時起床はいつもの一日が始まる昼までの時間をもて余すくらいに早いなあ。いつもの調子でまた仕事に待ち伏せされたけど、小さいし、日本はまたまた祝日の休みだから、あわてることもないかな。

久しぶりにシリアルとトーストの「普通」の朝食。ニューヨークでは毎朝が卵の朝食。目玉焼きとソーセージ、スモークサーモンとポーチドエッグにホランデーズソースを添えたエッグスコペンハーゲン(エッグスベネディクトのバリエーションで、これはおいしかったので2度注文した)、スクランブルエッグとベーコン。それがだんだん卵に飽きてきて、最後の朝食はとうとうコンティネンタルになった。飽きといえば、バケーション中くらいはと張り切った肉食メニューもけっこう早々と飽きが来てしまって、ロックフェラーセンターに近い49番街にOceanaというしゃれた魚料理のレストランを見つけて、その場で翌日のディナーの予約を入れて、ハワイのポケとフロリダ産のポンパーノにありついたときは「ああ、やっぱり魚はいいなあ」と妙に感激。

まあ、ニューヨークのレストランはボリュームがすごすぎるということもある。それも安いレストランほどでっかいお皿にてんこ盛りで出てくる。ニューヨーカーは太りすぎ!ということか、ファストフードやファミリーレストランにはカロリー表示があって、歩き回った後のおやつに飛び込んだウェンディーズでは、3段重ねのチーズバーガーと甘そうなドリンクのコンビでなんと1650カロリー!カレシとワタシは「見ただけで死んじゃう~」と言いながら、500カロリーのラージのフレンチフライをもぐもぐ。となりのテーブルでは義弟のデイヴィッドと義妹のジュディがハンバーガーとコーラをぱくぱく。カウンターの前にはハイカロリーの注文をする人たちの長い列・・・。

ニューヨークの1週間は、まじめに会議に出席した1日を除いて、北は110番街から南はウォール街まで連日てくてくと何時間もかけてマンハッタンを歩き回ったにもかかわらず、ワタシは体重が1キロ増えて、血圧も122/80に上昇。さっそく魚中心の食生活に戻って、体重と血圧がどういう変化を見せるのか、なんとなくヘンだけど、楽しみでもある。

マンハッタンはとにかく歩きに歩くのが楽しい。アメリカの「摩天楼の時代」を代表するクラシックな建物が、新しい超高層ビルに囲まれてもちっとも臆することなく思い切り背伸びをしていて、人々は交通信号が赤でも車が途絶えたと見るとさっさと道路を渡って行く。最初はちょっとびっくりするけど、見慣れるとなんだか小気味良くさえ感じられるから、こっちもついニューヨーカー気取りになってすたすたと「信号無視」。良きつけ悪しきにつけほとばしるような「アメリカ」のエネルギーがニューヨークにはある。ワタシにはその刺激を肌に感じる束の間がたまらない。

[写真] ニューヨークは秋。『Autumn in New York』という古いジャズの曲がある。セントラルパークで見つけた「小さい秋」・・・
[写真] ワタシはカール・サンドバーグの『Prayers of Steel』という詩が大好き。「蒼い夜を突き抜けて白い星へと、摩天楼を支える偉大な釘になりたい」と鋼鉄は神に祈る。サンドバーグは摩天楼時代を先駆けたシカゴを詠っているのだろうけど、マンハッタンの街角でふと見上げたら、空があった。
[写真] 芸術の秋はグッゲンハイム美術館でぐるぐる・・・
[写真] ブルックリン橋を買わない?あなたにだけの耳よりな話・・・
[写真] そのブルックリン橋を、観光客をよけながら行く一輪車。歩行者用の路面は昔ながらの板。
[写真] 映画『34番街の奇跡』でおなじみのデパート、メイシーズの本店(かな)。7番街からブロードウェイまでを占拠していて、まあ広いこと。そのメイシーズでお目にかかったのがこの木製のエスカレーター。世紀が変わった今でも、素朴にごとんごとんとのどかな音を立てながら動いている。
[写真] ハロウィンの日、セントラルパークでの出会い。なんとも心配そうな顔をして道路を眺めている表情がおかしくて・・・
[写真] セントラルパークの長い、長いベンチ
[写真] ある秋の日の午後、ひとり物思い・・・
[写真] ティファニーの陶製のクリスマス飾り。そういえば、今年もクリスマスまであと7週間とちょっと・・・

自営業だって「失業」するのだ

11月3日。火曜日。午前2時頃の就寝で、午前10時頃に目が覚める。今日が納期の仕事の見直しをして、送信してもまだ午前中。あはは、朝飯前ってこのことだ。今日はめっちゃな日で、朝食は11時前に終わってしまうから、普通の夕食までエネルギーがもちそうにない。おまけにカレシは午後5時ぎりぎりにアポがあって、しかも今日は英語教室の日。その上ワタシは演劇クラスの日と来ている。

ほんとにめっちゃすぎ。ランチでも何でもいいけど午後4時に野菜バーガーと小いものフレンチフライ。教室が終わって9時近くにご帰館のカレシがサラダを作り、笑って、動き回って10時過ぎにはらぺこで帰って来たワタシはキッチンに直行して大鍋を火にかけ、二階に駆け上がって着替え。ベースメントに駆け下りてメールをチェック。なんだぁ、納品した仕事の元原稿を「修正」しただとぉ?おまけに小さい割にはややこしそうな仕事まで。もうどうにでもなれという気分で、キッチンに駆け戻ってピーマンのパスタを作り始める。あ~あ、戻って遊んできた余韻を楽しむ暇もなく、元の木阿弥だから、はあ、もうさっそくどっかに行きたくなってしまう・・・

こういうどたばたも自営業の性なんだろうけど、カナダ政府は来年から自営業者を失業保険の産休、傷病休暇、介護休暇などの特別給付の対象に入れることにしたというニュース。特に産休手当は大いに意義がある。なにしろ人口3300万人のカナダには260万人の自営業者がいて、その多くが出産期の女性。今までは失業保険の給付は雇用されている人たちだけのもので、自営業者は失業保険から除外されていた。だから、フリーランスなどの自営業の女性は妊娠、出産で働けない間は無収入になってしまう。年金の掛金は雇用者と被雇用者の両方の扱いで払い込み額は勤め人の倍だったのに、失業保険ではあくまでも雇用者だからというのは、やっぱりおかしいような気がする。まあ、ワタシにとっては、「失業」はカバーされないし、産休はもう無縁だからいいとしても、重病でけっこう長く入院するということになったときのために傷病手当は魅力がないでもない。満1年間掛金を払い込んで給付は最高15週間まで。はて、どうしよう。現在のワタシはいたって健康だしなあ・・・

こういう新たに恩恵を受ける人たちが出てくる新制度ができると、必ずといっていいほどすでに恩恵にあずかっている人たちが文句を言い出すのは世界共通らしい。自分たちの既得権が侵犯されるとでも思うのかなあ。フリーランスとか自営業とかいっても、売上や税金を「自由」に操作できるってわけじゃない。ごく一部の不届き者を除けば、みんなまじめに税金を納めているんだけど。政府だっておバカじゃないからこそ、加入は任意でも一度給付を受けたら脱退はできなくなるという安全弁をつけて、自分の都合で勝手に出たり入ったり出来ないようにしている。やっぱり会社に雇用されて税金も社会保障の掛金もしっかり管理されている勤め人にしてみれば、「自由」を謳歌している連中が雇われ者の身で「不自由」な自分たちと同じように保障を受けられるというのが気に入らないんだろうな。「オレの血税で好き勝手に自営業やってるやつを養うなんてまっぴらごめんだ」ということなのか、ある種の妬みや嫉みがあるってことなんだろうか。

オリンピックまであと3ヵ月ほど。スキーなどの会場になるウィスラーでは宿泊スペースに思いのほか空室が多いらしい。目玉が飛び出しそうなぼったくり料金などぶち上げたせいで、期待したオリンピック好きの観光客に「そんな金なんかねぇよ」とそっぽを向かれたのかもしれないな。おもしろいことに、オリンピック期間中、バンクーバーからメキシコの保養地などへの便の予約がかなりの活況を見せているらしい。ふむ、てことはオリンピックの交通規制やら組織委員会のごり押し振りに嫌気がさして、期間中はバンクーバーから避難しちゃおうというバンクーバー市民がかなりいるってことなんだろうなあ。まあ、カレシとワタシはフリーザーにたっぷりグルメ食材を詰め込んで、のうのうと冬ごもりするつもりだけど・・・

ま、とりあえず「平常運転」モードに切り替えて、仕事をしないとまた埋まっちゃうかも。はあ・・・

今日は遠洋漁業におでかけ

11月4日。寝るのが少し遅くなって来たと思ったら、7時過ぎに轟音で目が覚めた。トイレに行ったついでに外を見たら、向かいの歩道のそばで小さなブルドーザーが何やら作業中。また工事かよ~と思ったけど、寝ぼけ眼で見ても、重機なんて言える大きさじゃない。どうやらお向かいさんが庭の造園工事をしているらしい。ふむ、ということは2、3日は早朝から轟音か。ま、時差のある旅行をして来たことで生活時間のリセットのチャンスとばかりに、「就寝午前2時頃、起床午前10時頃」の新方針をぶち上げたところだから、いやでも早寝早起きを励行させてくれるかな。

早く起きると、当然のことながら朝食が終わってもまだ「午前中」が残っている。ふつうなら起き出してから朝食が終わって一日の活動が始まるまでの時間帯がぽっかりと空いているわけ。そこでオフィスに早出して、メールをチェックしたり、やり残した仕事の仕上げをしたりすると、今度は午後の時間がぽっかりと空く。仕事があればしてもよし、買い物にでかけるのもよし、好きなことをするのもよし。何となく効率的になった感じがしないでもない。もっとも、だらだらと遊んでしまったら効率もへったくれもないし、巣ごもりカップルのワタシとカレシのことだから、この生活効率化がいつまで続くかはわからないんだけど・・・。

ということで、終わっていた仕事を最終チェックして、少し手を入れて、送信して、閉めた後に入っていた大きめの仕事の依頼に威勢良く「OK!」と返事を出して、やっと午後1時。勇んで食糧の買出しに出かけた。まずWhole Foodsで魚のカウンターに直行。ギンダラ、オヒョウ、スズキ、アヒ、イカ、ニジマス、カニを巻き込んだヒラメ。オヒョウやスズキは「これくらい」と親指と人差し指で幅を示すと、カウンターのお兄ちゃんが自分の手を添えて「はい、指4本分」と測って、氷の上に並んでいる大きな半身から切り分けてくれる。真っ白なスズキはえらくお高いけど上品な味がしそうな誘惑に負けて、えいっと指7本分。ちょっといいディナーが2回できそう。後は白いキノアと赤いキノア、それとキビ。カレシはお目当ての塩なしのポテトチップ、バナナチップ、乾燥いちじく、いろんなベリーや種の入ったシリアル。

一番大きなトートバッグを持って行ったから、袋代の差し引きは60セントで、今回は「子供」に寄付。先払いした駐車場のレシートを出して料金の2ドル引いてもらう。だけど、オーガニックの店はやっぱり高いなあ。ふつうのスーパーにないものだけ買うようにしないと破産しちゃうよなあ。そういいながらおいしいものには目が眩んでしまうのがワタシなんだけど。オレンジとじゃがいもを買うだけのつもりで行った青果屋では結局あれこれ買い込み、オリーブ油を買うだけのつもりで寄ったスーパーでもレッドスナッパーとベトナムナマズ、さらにはあれやこれやと買い込んで、なんと午後いっぱい食べ物探しの旅。ワタシの買い物は遠洋漁業だな、まるで。魚類を冷凍用バッグに詰め替えてフリーザーに入れたら満員御礼。(フリーザーが上までいっぱいだと何となく安心感に包まれた気分になるのは食い意地がはっているせいか・・・。)

夕食のしたくを始める前にメールをチェックしたら、ありゃ、もうひとつ仕事。帰って来たばかりなのに、詰め込んでくれるなあ、もう。ま、早寝早起きして、おいしい魚をたっぷり食べて、バリバリ仕事をしていれば、豚かぜもそそくさと退散してくれるかな。ワクチン接種はまだ優先グループだけが対象だけど、かなり足りないらしい。そんなときにプロのホッケーチームが選手全員にワクチン接種を受けさせてひんしゅくを買っている。順番てものがあるんだから、割り込みはいけないよなあ。オリンピック選手だって順番待ちなのに。そういえば、今日がオリンピックまで後100日だとかで、おえら方が集まって選手村の竣工式?をやっていたけど、祝辞というよりは不動産屋の宣伝みたいだったのが笑えた。予算をオーバーしまくって10億ドルだか注ぎ込んで作った選手村だけど、この不況であまり売れないらしい。結局は市民が尻拭いすることになるんだろうなあ。考えただけでおなかが空く・・・

お金で幸せは買えないけれど

11月5日。午前7時過ぎからの轟音を期待?していたのに、静かなままで10時過ぎまでよく眠った。今日は作業はないのかなと耳を澄ましていたら、ふむ、なんとなく雨風の音がする。そういえば天気予報は夜半から風雨が強まるということだった。そっか、荒れているから、今日は造園作業は休みってことか。起き出して朝食を取っていたら、外でゴトンという音。二階へ上がって見ると、若いお兄ちゃんがひとりで歩道に積み上げてある敷石を手押し車に積んでは庭の中へ運んでいる。ははあ、親方は雨天につき休業、下っ端は雨にも負けず、風にも負けずってところか。雨に濡れしょぼって、ちょっとかわいそう。風邪を引くんじゃないよ・・・

それにしても、今日は風が強くて嵐模様。ワタシたちがニューヨークの雨にルンルンで歌っていた(まさか)頃にもかなりの嵐があったらしく、帰ってきてみたら、裏庭のポーチの下に積んであった木っ端があちこちに散乱していた。この冬は雨と風なのかなあ。ま、前回の大雪と寒波の居座りよりは扱いやすいけど、地球温暖化による気候変動の特徴は一律に温暖化するのではなくて、異常天候がいっそう異常になることらしいから、この冬は何年か前のように双子、三つ子の団子嵐の連続だったりして。ちなみに、あした金曜日と翌土曜日の予報は、曇りときどき小雨で時に局地的に強い雨が降り、午後には雷雨と降雹の恐れがあり、ときどき風が強まる・・・これってもう十分に異常天候だと思うんだけどなあ。

手をつけるべき仕事がどうやら思ったより小さいので、午後のひと時は小町の井戸端横丁のそぞろ歩き。相も変わらずお金の悩みが多いなあ。「お金で幸せは買えないけど、お金があれば幸せが倍増する」といったのは誰だったかな。「お金で幸せは買えないけど、お金があれば不幸せがちっとは楽しくなる」というのもある。もっと辛らつなのになると、「お金で友だちは買えないけど、お金があればもっと格の高い敵ができる」というのがある。どれも当たっていると思う。「お金で幸せは買えないと言っている人はどこで買い物をすればいいのかわかっていないだけ」と言ったのはガートルード・スタインだった。うん、お金。たかが人間が発明した「お金」、されど「人間が発明した」お金・・・。

今回の旅行では、トロントでの週末とニューヨークでの1週間をカレシの弟夫婦といっしょに過ごした。弟のデイヴィッドは土木技師で、カナダ国鉄(CN)でオンタリオ州の鉄橋の保全責任者にまでなって一時引退。今はアメリカ系のコンサルタント会社に勤めている。一方のジュディは夫の転勤についていった先々で教会のオルガン奏者をして来た。日本の夫婦になぞらえるなら、年収1千万円クラスの夫とパートで百万円くらいの妻といったところ。ジュディは大学卒だけどフルタイムで働いたことはない。というのも、性格がおっとりしすぎていて「とろい」という印象を与えるもので、事務職にも接客職にも向いていない。ずっとほぼ専業主婦だったから、家族や友だちとのつながりの範囲でしか話題が広がらない。今どき風にいうと「半径5メートル」の人ということになるかな。でも、ワタシは初対面からずっとそんな純朴ともいえるおっとりさんのジュディが大好き。

そのジュディが、いっしょにメイシーズやティファニーや美術館のギフトショップをのぞいていて、何も買わずにいることに気がついた。ワタシが自分のカードでちゃっちゃと買い物をしているそばでにこにこしているだけ。そこで、せっかく初めてニューヨークに来たんだから記念になるものがひとつくらいなきゃつまらないと、観光みやげのクリスマスツリーの飾りを見ていた流れに乗って、ジュディが気に入ったものをいくつか聞いてそのままひと足早いクリスマスプレゼントにした。ささやかなものだけど、ツリーを飾るたびにニューヨークで遊んだ1週間を楽しく思い出してほしいというのがワタシの本心。それでも、ささやかなものだからこそ、「こんなもの」と気を悪くしないかなあと、ほんとうはちょっぴり心配になった。ジュディは「クリスマスのたびにあのときは楽しかったと思い出すアイデアは思いつかなかったわ」といいながら、すなおに喜んで受け取ってくれた。

ワタシにはジュディの朗らかな「サンキュー」が何よりもすてきなお返しのように思えて、うれしかった。おっとりしたジュディにもデイヴィッドとの間に辛いときがあったという(カレシの弟だからね)。けれど、半径5メートルの中で自分なりの幸せを固めて来た人だからこそ、「私は私」に徹することができるのかもしれない。あのとき、ワタシのお金はまちがいなくワタシの幸せを倍増してくれた。

お金は今ある幸せを倍にする

11月6日。雨、一段落。どういうわけか今頃の季節になると唇の縁が荒れて痛い。朝方に暖房が入って、乾燥するようになったせいだ。暖房は生活空間ごとのサーモスタットで起床、留守、帰宅、就寝の4つの温度を設定してあって、寒い季節になれば勝手に暖房が始まり、暖かい季節になれば勝手に停止するから、唇が荒れて「ああ、もうそんな季節になったか」とわかる。帰ってきて2日ほど寝室やキッチンにいる時間に寒いと感じたのはサーモスタットの時計を標準時間に切り替えるのを忘れたせいで、夏時間が夏と共に終わっていた頃はそんなめんどうもなく、いつの間にか暖房が始まって、いつのまにか終わっていた。便利といえば便利だけど、ちょっとものぐさではあるような。

きのうはお金があれば幸せは倍増とかいったことを書いていたら、アクセス数がぴょんと跳ね上がっていたからおもしろい。人間、誰だってお金がなかったら生活できないから、お金に無関心ではいられないと思う。お金がなくても原始時代的に自給自足で命を維持することは可能かもしれないけど、少なくとも先進国ではロマンチックに憧れることはできても、まあ、実際には限りなく不可能に近いだろうな。つまり、お金がなくても生きられる(かもしれない)けど、最低限のお金がなければ生活はできないってこと。お金の話でめんどうなのが、この「最低限」がいくらかってことで、これまた国や地域によって違えば、個人のものさしもてんでんばらばら。つまるところは、みんな自分のふところ具合と価値観をつき合わせて自分が「よし」とする視点から、自分は、誰それは、どこそこは、やれ裕福だの、貧乏だのと言っているんだと思うけど。

要するに、「お金」というものの価値が人それぞれなんだと思うけど、どうなんだろう。ワタシは仕事をしてなんぼの自営業だから、自分で稼いだ「お金」は自分の仕事を評価するものさしの役割もする。のんきな顔をしていても、仕事のログの数字を見て「がんばったなあ、おい」と自分の背中を叩き、急に少なくなったりすると「さては終わりが来たか?!」と冷や汗をかく。フリーランサーがごまんといるこの業界にはこづかい稼ぎ程度の人もいれば、○千万円も稼ぐ人もいて、こづかい程度で満足な人もいれば、○千万円稼いでも不満な人もいるだろう。打ち明け話になるけど、ワタシも今の日本の「収入観」で換算したら「1千万円以上」稼いでいた時期が数年あった。でも、週7日のペースで毎日10時間労働のような状態では、夢のような大金を楽しむ暇があるわけがない。

今になって考えると、仕事に対するプライドは満たされても、幸せ感があったとは思えない。カレシ火山の噴火がなかったとしても、あの状態ではいずれは燃え尽きただろうと思うけど、目が覚めたのは主軸だった客先が倒産して150万円くらい焦げ付いた8年半前。払いが滞っていたのに「銀行融資が入ってくる」という言葉を信用してオーナーが自己清算に入る3日前まで仕事を引き受けていた。カレシの結婚式の3日前の告白みたいなもので、どうも「3日前」はワタシにとっては鬼門らしい。(まあ、3日後に起きると決まっていることを秘匿されては手の打ちようもないだろうけど。)お金は稼いでなんぼのものなんじゃなくて、使ってなんぼのものなんだと思ったのはまさにそのとき。毎日の生きる糧と老後の手当をすればいい。足りなければ暮らしのレベルを調整すればいい。その後で残りがあったら、贅沢をしようが、貯金魔になろうが、誰のために使おうが、世間さまへの遠慮は無用。ワタシの価値観の趣くままに楽しめばいい。

まあ、「価値観」という規制をかけるとあまりばかげた楽しみ方はできないような気もする。ワタシのぜいたくルールは、1に好きだとほれ込むこと、2に買えるお金があること。どちらかひとつでも欠けていたらどんなにすてきなものでも買わない。だって、お金がなければどのみち買えないから「いいなあ」と目に保養をするという手があるし、好きでもないものを、流行だから、ブランド品だからといった理由で買ってもちっとも満足した気分にならない。このあたりはけっこう健全な価値観だと思うけど、それは母がいつも「うちはうち、よそはよそ」と言い聞かせてくれたおかげかもしれない。要するに、「お金で幸せを買えないけど、お金は幸せを倍にする」というのは、すでに幸せな人はお金がなくても幸せなことに変わりはないんだけど、何につけても不満な人はいくらお金があっても幸せな気分になれないってことじゃないのかな。まずは自分という人間について自分で幸せだと思えるようにならなくちゃあ。

結婚する心理は複雑怪奇

11月7日。今日もまた雨だなあ。ある天気予報では来週の水曜日まで雨、雨、雨。なのに庭の池の水位がどんどん下がる。風が強いもので、循環式の滝の水が壷に落ちないで池の外に飛ばされて循環しない。おかげで雨がじゃぶじゃぶ降っているのに池に水を足してやるという変てこな状況。水道にメーターというものがついてないところだからいいけど、そうでなかったら水道料金がえらいこっちゃ・・・。

ニューヨークでの1週間からほぼ1週間。デイヴィッドから電話。ジュディがえらくニューヨークを気に入って、「ロトが大当たりしたらニューヨークのマンハッタンにアパートを買って遊びに行く」と言っているそうな。サンフランシスコへ行ったときも同じようなことを言っていたけど、引っ越すといわないところがジュディらしいところで、ワタシもそのあたりで意気投合してしまう。観光客はどこへ行ってもたいていは「この街/国、大好き!」となることが多いけど、「また遊びに来たい」というあたりに気持を留めておくのが一番無難で、「住みたい!」という夢を持つあたりまでは良くても、いざそれが実現してみたら「大嫌い」に転じるリスクは大きい。それは訪問者は「いいとこ取り」ができるから。いいとこ取り、大いにけっこう。そうさせるもが観光産業の仕事なんだもの。

夕食後に戻ったホテルではほぼ毎晩ワタシたちの部屋でお酒を飲みながらおしゃべりをしていた。会話は自然にカレシとデイヴィッド、ジュディとワタシがペアになる。兄弟が何やらえらいテーマを論じている間、ソファにあぐらをかいて向き合った姉妹の方はちょっと声を落として女同士の会話。ジュディは「もう離婚しかないと思い詰めたことがあったけど、こうして一緒に旅行できるなんて夢のようだ」と言う。何かにつけてキレて怒鳴り散らすデイヴィッドに怯えて別れようと思ったそうな。ピアノの教師をすれば何とか暮らして行ける。そういう自信がついたら逆にだんだん怖くなくなって来て、「はいはい」と適当にいなしているうちにデイヴィッドがキレなくなったという。この兄弟、同じ莢のえんどう豆とはよく言ったもんだなあ。二人がモントリオールに住んでいた頃のことらしい。みんながジュディが変わったことに気づいて、カレシの両親が「頼りない彼女がしっかりした大人に成長した」と評価していた頃。ほんとうのところは、「もうだめ」と思い詰めたときに彼女本来の芯の強さが目を覚ましたんだろうな。

ワタシもカレシが「離婚」をちらつかせて火遊びの容認を迫ったときに「もう離婚しかない」と思い詰めた。1人になっても十分に暮らして行ける基盤がある。だけど、離婚を受け入れたとたんにカレシが「出て行かせない!」と態度を豹変させたから、家を出るのがかえって危険になってしまった。しかもうつ病のどん底で、ドクターには「重大な決定をする状態ではない」と言われて、ひとまずカウンセリングを受ける道を選んだ。その過程で道産子ワタシが持って生まれた芯の強さが目を覚ましたと言っていいだろうな。そこでカレシの火遊びの相手の話しになって、中には既婚と知っていて積極的にアピールして来たのもいたと言ったら、ジュディが「私たちはあなたが(カレシの結婚のことを)何も知らなかったことを知らなかった。あなたが結婚することを知りながら移民目当てで近づいたと思っていたの。あなたは無実だったのに、ごめんなさい」と言った。結婚して日が浅いのに再婚したい相手がいるから離婚するという事情を説明するのに、カレシが巧みにそういう印象を与えて自分をかばったらしいことは言動の節々から推測していたけど、そうか、やっぱり事実だったのか。改名して心機一転というときに一部始終をつづった手紙をそっとみんなに渡した。真実を伝えたかっただけで、信じてくれてもくれなくても良かったんだけど、少なくともジュディは信じてくれたとわかって涙があふれそうになってしまった。

泣くわけにも行かないから取りとめもなく結婚て何だろうと話をしているうちに、カレシの前妻の話になった。カレシがオタワにいた頃にヨーロッパ旅行の帰りと称して1ヵ月も居座ったことは知っているし、その年末の帰省中に結婚するはずだったのをカレシがドタキャンしたことも知っている。カレシが婚約を解消するつもりなのに婚約者には「挙式は延期」と説明したらしいことも知っている。(挙式3日前だったかどうかは知らないけれど、土壇場だったから、花嫁側は大勢の招待客に連絡したり、すでにもらったお祝いを返したりで大変だったらしい。)それなのに、半年もしないうちにカレシがオタワから帰ってくると聞いてすぐに結婚式の準備を始めたんだそうな。(そういえば、カレシが言ってたなあ、「相談もなく勝手に準備を進められた」と。)そのときすでにデイヴィッドと付き合っていたジュディは、カレシが結婚したくないと言うのに彼女がどうしてそれほど執拗に結婚したがったのか未だにわからないという。ワタシは彼女のことを直接に知らないからなんともいえないけど、ストーカーみたいな感じがしないでもない。結婚式の日、花嫁はにこりともせず、花婿のカレシは重病人のように真っ青だったそうな。(結局、カレシは式の途中で大勢の前で失神して、自らトラウマを深めてしまった。)

どうみてもあまり幸先のよくない結婚式だったわけだけど、前妻をそこまで駆り立てたのはいったい何だったんだろうな。それよりも、カレシが、何も知らないワタシに「愛している」と告白した後で「愛してもいないし、好きでもない」(と、義妹に告白した)相手が「勝手に準備した」結婚式に臨んだのはどういう理由だったんだろうな。カレシはママに「二度もキャンセルするなんて許されない」と言われたからだと言うけれど、ほんとにそれだけだったのかな。そういえば、前妻が嫌いだったというパパが「彼女は初めから(カレシは)自分のものというでかい態度だった」と言ったことがあったな。当のカレシも「一挙手一投足にうるさかった」と言ったことがあった。それなのに何年も交際を続けて、結婚に同意して、ついには結婚しちゃったのはどうしてなんだろうな。まあ、今さらそんなことを知ってもどうにもなるものではないんだけど。

デイヴィッドとの議論に熱中していたカレシに二人の会話が聞こえていたかどうかはわからないけど、ワタシはもうみんな許してしまったし、何よりもカレシに連れ添って来た35年という年月がワタシの潔白?を証明してくれているはずだから、すべて過ぎ去った遠い過去のこと。ワタシは今でもカレシのことが好きで変わり愛しているし、カレシもワタシのことを少なくとも好きだと思ってくれていると思う。ひょっとしたら今は愛してくれているのかもしれない。あんがいそれが結婚というものなのかもしれないなあ。結婚そのものは条件が合えば誰でもできることなんだろうけど、夫婦というのは「二人」がいて初めて長く存在しえるものなんだろう。ま、人生には長い年月が経ってみなければ結論や評価の出ないことが多々あるってこと・・・

美容と健康にキノアはいかが

11月8日。今日もどよ~んと湿っぽい天気。大雨と強風注意報が出ているところがあるらしい。日曜日だけど、どうして日曜日というと仕事だ何だと忙しくなるんだろうな。夏時間が終わって時計をリセットしたら、日本時間の午前9時がこっちは午後4時と、1時間早くなってしまって、何だか追い立てられるような、何となく損をしているような気分。しかも、こっちの日曜日は日本では月曜日だもんなあ・・・

今日はなんと5回も洗濯機を回した。旅行から持ち帰った汚れ物に新しい汚れ物が加わって、ランドリーシュートのドアが開き始めていたところ。ついでだから、シーツも冬用のフランネルのものに切り替えて、夏物の洗濯。その間にファイルを2つ片づけて納品。仕事は後3つだけど、何となく気が乗らない。乗らないけど、仕事は仕事。やるっきゃないよなあ。

そういうときに限ってカレシがCDバーナーの電源コードが入らないと騒いでいる。キーボードのコードのようなピンがあるプラグが、いくら押し込んでも入らないとか。どれどれと見てみたら、ふむ、ピンが4本見えるのに、受け口側には穴が6つ。違うコードなんじゃないのと言ったら、今度は「それじゃあCD用のはどこへ行ったんだ」とあちこちかき回してまたひと騒ぎ。だけどなあ、拡大鏡でよ~く見てみたら、わかった、わかった。CDバーナーの電源コードには間違いないけど、ピンがめちゃくちゃにひん曲がっているのだ。さてはせっかちなカレシのことだから、ピンと受け口の位置が合っていないのに無理に押し込もうとしたんだろうな。受け口の穴も傷だらけ・・・

これじゃあ入るわけがないよというと、今度は「電源コードがないとバーナーを使えない」とうるさい。ワタシは仕事を放り出して修理屋さんに早変わり。ミニチュア用の道具箱を持ち出す。拡大鏡で見ると2本のピンが1本に見えたり、交差していたりする。なぜか交差している2本はこれ以上曲げたら蝶結びになってしまいそうなくらいに仲良し、こよし。先の細いミニチュアプライヤーで交差したりくっついたりしているピンを離したら、ちゃんと6本。曲がっているのをそっと起こしてから、ピンの配置を整えて・・・ほ~ら、今度はちゃんと入るでしょ。今度からはやみくもに突っ込まないで、ちゃんと位置を合わせてからいれてよね・・・。

仕事と家事の合間に想定外の「緊急出動」があったおかげでよけいに気が乗らなくなってしまった。でも、食べる方はちゃんと乗り気になるから、さすが。今日の夕食はニジマス。Whole Foodsで見つけてきた赤いキノアを付け合せることにした。南米はアンデスの高山で取れるアカザ科の穀物であるキノアは宇宙食の食材にもなったといわれるくらい栄養が高い。1人前45グラムでたんぱく質やビタミンB類、鉄分やミネラル類を1日分のかなりの割合を取れてしまうからすごい。おまけに炊くのはいたって簡単で手間もひまもかからず、口に入れるとコリコリ、プチプチした歯ざわりがある。それくらい健康と美容にいい食品なんだけど、日本ではあまり売れないのかなあ。

[写真] ニジマスのレモンペリペリ風味、赤キノアとアスパラガスのピラフ、蒸しインゲン

極楽とんぼ亭としては大いにお勧めのキノア。今日は炊き上げてからさっと炒めたアスパラガスを混ぜ込んでみた。赤というよりは紫に近い色合いだけど、白よりも甘みがある。

さしあたっての仕事は明日の夜が期限のファイルが2つ。う~ん、明日になってから考えよう・・・

男は自分の嘘を信じるの?

11月9日。いやあ、寝た、寝た。シーツをフランネルに変えて、毛布を純毛のに変えたら、二人とも一心不乱でぐ~っすりと9時間。目が覚めたら「平常」の正午だったけど、たっぷり睡眠をとるのもインフルエンザの予防に効果があるらしいから、ま、いいか。でも、よく眠ったせいか、またドラマの一場面みたいな夢を見ていた。初めの方は目が覚めたとたんに忘れてしまって、覚えているのはラストシーン。二階と思しき部屋の窓を開けたら、下の道に「男性」(どう思い出してもカレシじゃなかった)がいて、敷居に立ったワタシが「受け止めて~」と言って飛び降りた。その人はワタシをがっちりと抱きとめてくれて、頬っぺたにチュ~ッ。二人は手を取り合って、なぜか裸足で抽象画の街のような風景の中を走りぬけ、行き着いたのが田舎っぽくしゃれたイタリアンカフェ。そこで、エスプレッソにするか、カプチーノにするか迷っているうちに目が覚めた。

なんだか夢の中で駆け落ちしたみたいな感じだけど、相手は誰だったんだろうなあ。会議で会うたびにいつもハグして、頬っぺたにキスしてくれるあの人に似ていた。まさかワタシが心ひそかにその人に恋をしているってわけでもないだろうけど、目下の彼はバツいちのひとり身だから、ちょっと危ない年上ワタシってところかなあ。まあ、周りの風景は作りもののセットのようではあったけど、束の間の恋心が紡いだちょっぴりすてきな「恋の逃避劇」だったのかもね。温かなフランネルのシーツにくるまれて、たまたまそういう乙女ちっくな夢を見ただけのこと。ワタシが誰かに恋をしているわけじゃないよ、ほんとに。ワタシには浮気心なんてないんだから、ほんとに。

「プレイボーイ研究」と呼ばれる、ハーヴァード大学のある心理学者の実験によると、ヌードモデルの写真に興味があってプレイボーイ誌を買うのに「雑誌の記事そのものに関心があるから買うのだ」と言う男は、実はその「嘘」をそっくりそのまま鵜呑みにして信じる傾向があるんだそうな。この学者の解説によると、人間は自分の行動に罪悪感を持ったときに、よくその行為を正当化するための嘘をついて「自分はいい人間なのだ」と肯定しようとするけど、男の場合は自分の嘘を自分で「真実」だと信じ込むケースが多いらしい。雑誌を買うと決定する前に、本当の目的(女の裸を見ること)を妨げるような自分の心理にふたをするためだそうな。エコに熱心な人は欲しい商品がエコかどうかを確かめない傾向があって、それは環境に悪いとわかったときに心理的に買えなくなるのが怖いからだそうで、「記事を読むためにプレイボーイを買う」と(自分に)言い訳をする心理も同じようなものらしい。

ふ~ん、「オレ、女の子の裸なんかぜ~んぜん興味ないんだけど、記事を読みたいから(きわどい写真満載の雑誌だけど)しかたなく買うんだよねえ」って・・・男ってのは自分にも弁解したがる動物なのかなあ。それで、弁解がましいのは男らしくないかと思って、「嘘じゃないよ、ほんとなんだってば」と自分に言い聞かせて、結局は自分の嘘を信じてしまうのかなあ・・・

あ~あ、それにしても、雨、よく降るなあ。今日で5日連続だそうだけど、また「連続雨の日」の記録達成に挑戦するつもりかな。記録は確か28日だったと思うけど、何年か前にタイ記録!という日に雨が降らなかったことがあった。ま、雨、雨、降れ、降れ。「雪と違って、雨はいくら降ってもシャベルがいらないからね」というのがバンクーバーっ子の開き直りジョーク・・・

どたばた座の大コメディ

11月10日。今日も雨。正午近くになっても薄暗いからよく眠ってしまうのかな。まあ、しっかり眠れるのは何より。朝食をしながらテキサスでのオバマ大統領の追悼演説を聞いた。ケネディのようなすました「格調」はないけれど、大統領候補指名受諾演説に感動して以来、いつ聞いてもつい引き込まれてしまう。ちょっと学校の先生みたいな感じがしないでもないけど、難しい言葉はあまり使わず、簡素で、それでいて人をひきつけるパワーがある。あれは一種の才能なんだろうな、きっと。

火曜日の今夜は演劇教室の第6回目。だんだん手の込んだ趣向になってくるから、即興で演じられるドラマも破天荒で、げらげらと笑いっぱなし。追想シーンを演じるときは、「追想」する役のデヴォンとアンドリューが「ソビエトのグーラグから脱走して、雪の山中で酔払い運転で車をぶつけて、凍傷になりながら山小屋に避難するも、こんなところで凍死はごめんだと、小屋の壁板を剥がして即席のスキーを作り、(なぜか突然現れて)炸裂する地雷原を猛スピードで飛び越えつつ、雪山を滑り降りて助かったんだよねえ」という荒唐無稽な話なもので、再現役のワタシとジェニーは飛んだり跳ねたりで事故の場面や、モーグルよろしく地雷原を飛び越えるのに汗だく・・・。

1人から始まって、誰かが加わってストーリーを変えて行き、4人目からまた1人ずつ順番に抜けるたびに残った人数の元のストーリーに戻るという遊び?では、エマが雨の中を出かけて濡れたコートを干そうとしているところに飛び込んだワタシが、エマのウェディングドレスの仮縫いの場面に変え、「なんかアタシにぴったり。あなたのダーリンもアタシにぴったりよねえ」とおかしな雰囲気になりつつあるところで、ジェニーが宝くじが当たったというストーリーで加わり、ワタシが風に飛ばされた当たりくじを靴で押さえたところで、デヴォンが飛び込んできて、ワタシが山の中で罠に足を取られた場面に。どうしても足が罠から抜けないということで、デヴォンが救助を呼びに行くと退場した後、宝くじの場面に戻り、ほんとは大当たりじゃなかったという話に展開してジェニーが「勝手にして」と退場したところで、ウェディングドレスの仮縫いの場面に戻り、ワタシがドレスと花婿をハイジャックして「招待状を送るわね」と退場。残ったエマがかけてあったコートを着て、鼻歌交じりでまた雨の中に出て行って、めでたくストーリーがひと回り。

指定された役でストーリーを進めながら先生の指示で「喜怒哀楽」を表現する遊びでは、消防士のトロイと寄付集め用に消防士のカレンダーの写真撮影をするカメラマンのワタシ。「何月がいい?」と聞くと、トロイは「オレはホットだからホットな月がいい」と答え、「じゃあ、ミスター8月」。ナイスバディだわ~なんていいながら写真を撮るうちに「こんなダサい制服で写真はイヤだ」、「じゃあ、すぱっと脱いじゃって」と怪しげな話の展開の中、驚き、激怒、失望、困惑と感情がくるくる変わって、けんかをしたり、慰めあったりしているうちに最後が「愛」。ワタシカメラマンが「もうカメラなんかいらないわ。アタシの目だけがあなたを見ていればいいの」と言うと、トロイ消防士は「キミの燃える炎だけは消さないぞ」と、ますますアヤシイ展開。最後にカメラを捨てたワタシは「アタシだけの熱いミスター8月になって」と、トロイ消防士としっかり見詰め合って、めでたくハッピーエンド。

みんなよくもこれだけ荒唐無稽なストーリーをその場で紡げるものだと感心するけど、そこが即興劇の醍醐味。どんな役になって、どこでどんな話が飛び出して、どっちの方へ飛んでいくかわからないから、演じている方が見ている方よりも100倍は楽しんでいる。即興劇はどんどん話が進むから、うわべを繕っている暇がない。だから、それぞれの性格も出てくるのがおもしろい。後2回でコースが終わってしまうのが残念だけど、このコースは何回でも好きなだけ受講できるから、また・・・

うつ病は安定志向のせい?

11月11日。目が覚めてみたら、おや、今日はベッドルームの中が明るい。久しぶりに日が差しているのだ。おまけに正午近くだというのにやたらと静か。そっか、今日はRemembrance Day(辞書には「英霊記念日」と書いてある)の休み。1918年11月11日午前11時に第一世界大戦が終わったのを記念して、昔はArmistice Day(休戦記念日)と呼んでいたけど、第二次世界大戦が終わってから「戦死者を偲ぶ日」になった。だけど、平和を唱えながらも、朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、今でも世界中で戦火は消えることがないから、戦死者は増えるばかり。今年はパレードに子供を連れて来て、過去に戦死した兵士たち、今戦地にいる兵士たち、これから兵士になる人たちのおかげで、「私たちは自由でいられるのよ」と教えている姿があった。ティーンの女の子たちまでがカナダ軍の歴史や功績をもっと学校で教えるべきだという。なんだか雰囲気が違っているなあ。うん、戦争をやめろを叫ぶのは簡単。平和を声高に唱えるのは簡単。だけど、人間には戦わなければならない「時」もある・・・

ぼちぼちネットをぶらついていたら、「うつが治るということは、元に戻ることではなく、新しく生まれなおすことだ」といっている記事に行き着いた。うつから脱け出るには、生まれ直すという深い次元での変化が欠かせないと。そうか、元に戻るということはそもそも「うつ」になった状況に戻るということだもんなあ。同じ状況で同じ自分ではまたうつになることは目に見えている。そこで状況を変えられたら問題はないけど、そうすることはなかなか難しい。状況を操作できないとなれば、自分が変わるしかないだろうな。ものごとを違った角度から見て、周囲を見る視点をを変えて、自分には何が大切なのを考えて直して・・・そうしたら、新しい価値観も生まれて、新しい自分が生まれて来るような気がする。そうなんだなあ。ワタシはうつ病から回復したのではなくて、「うつ」という名の迷路のようなトンネルを通り抜けて反対側に出て来て、新しい命を生き直しているところなんだ。

同じサイトには「安定志向がうつ病を引き起こす」という記事もあった。将来への不安を回避しようと、安定や安心を追い求めるあまり、今を生きることから遠ざかっているとか。今を生きていないから、喜びと言うエネルギーが得られず、心がしぼんでいって、最後には動かなくなるという。「生きているもの」とは、例外なく即興性を持っている・・・なるほど。人生の行程が先の先まで予め決められていたら、マニュアルのように手順を追って行けば失敗しないだろうと安心できるけど、その代わり「思いがけないこと」も起きないだろうから、喜怒哀楽の感情も不要になるだろう。でも、それでは心が死んでしまう。先が見えなければ不安、先が見えたら落胆。記事ではフロイトのエロス(生の欲動)とタナトス(死の欲動)を対比させて、『生物にとっては変化こそが「生きている」ことなのであって、安定とは究極は「死」の世界なのです』と書いてある。ふむ、現代人はなぜか変化を厭い、見通しのないことを恐れて、その究極の「死の世界」を追い求めているってことか・・・。

生きることには即興性があるというのは、人生は即興劇と同じようなものだということかな。何人かで即興芝居をやっているとわかるんだけど、相手が何を言うか、どんな方向へ話が発展するかがまったく予見できない状況で性格も思考も気質も違う人間に対応するから、それを「頭脳」だけでやろうとしたらとってもついて行けない。(英語を話したい人がいざ英語で会話というときになって「何を話したらいいのかわからない」というようなものだろう。)そこで必然的に「心」に主導権を委ねる。この「心」こそが「自分」という人間の源泉で、心が死んだら、自分も死ぬ。逆に自分がなければ心は生きていない・・・。

先が見えないというのは、次の瞬間に何が起きるか予見できないということで、それが不安でしかたがないというのは、先が予見できないことが不安なのか、それとも「予見できなかったこと」が起こった場合にどう対処していいのかわからない、あるいは対処できる自信がないことが不安なのか、どっちなんだろう。どっちにしても、頭だけに頼って心を動かさなかったら、与えられた台本を棒読みするだけの人生劇にしかならないような気がするけどなあ。

押してだめなら引いてみよう

11月12日。木曜日。店じまいして寝る前に今日の午後が期限の仕事を片づけて送ってしまったので、今日は少なくとも夕方までは仕事のことを考えないで済む。ワタシはさっそく「休みモード」で気分も軽い。ところが、カレシは何となく元気がない。しまいに今夜の英語教室は休むと言い出した。具合が悪いのかと思ったら、「ただ気が乗らないだけ」。ま、ワタシにも生業の仕事に気が乗らない時があるから、無給のボランティア先生だってやる気が出ないときがあって不思議はない。それに、カレシは「不測の事態」が苦手の安定志向型の、いうなれば「うつ体質」なもので、ちょっとしたことで落ち込みがち。ここは、「あ、そう」とだけ。

当初の「プランA」では、モールの近くまで乗せてもらって、カレシの教室が終わるまでモールをぶらぶらして、スーパーで落ち合うことになっていたけど、カレシの予定変更で急遽「プランB」に切り替えて、夜にスーパーへ行くだけにすることにした。この「プランB」というのは、冗談半分に予定が狂ったときの「代替案」の代名詞のように使われる言葉で、要するに「押してもだめなら引いてみな」ってところかな。実際に、予期しないことが起こった場合は「こうする」という代替案を考えておけば安心できるんじゃないかと思うけど、まあ、失敗したくないからと「マニュアル」を求める安定志向型の人にはあんがい「プランA」しかないようなところがある。(そっか、「保険」がないから、先が見えないと不安なのか・・・)

ところが、しばらくしてカレシがやっぱり行くと言い出した。「教室がないって知らないで来る生徒に悪いから」なんだそうな。はいはい、じゃあ、予定は「プランA」が復帰、ね。ということで、早めの夕食をして、ワタシはモール、カレシは教室へ。ワタシはまずクリスマスカードの物色。業務用はユダヤ教徒もいるから、宗教色のない「季節のご挨拶」型のカード。取引先を絞り込んで以来、18枚入りの箱だといつも大量に余って困るんだけど、今年は初めて5枚入りのパックが見つかった。ふむ、これも景気のせいか。個人用は別にひと箱。これで、今年は例年のように12月に入ってあたふたと探し回らないで済むぞ~。

目的を達成したところで、スーパーへ行くまでの時間をウィンドウショッピング。オークリッジはそんなに大きいモールじゃないし、ワタシにはあまり関心のない靴屋とブランドの衣料品店がほとんどだから、いつもは時間を持て余すけど、今夜は買い替えたいスチーマーやフライヤーをあれやこれやと細かに「調査」。ついでに小皿料理の道具で何かおもしろいものはないかと食器売り場をぶらぶら。そこで出会ってしまったのが、直径8センチほどのふた付きの小さなソース鍋。二人分のソースを作るのにぴったりの大きさ。ずっと探し求めていたんだよ、キミ・・・だけど、ロイヤルドールトンのかあ。う~ん、小さい鍋にしては高いけど、やっぱり買ってしまおう。

探していたソース鍋が手に入ったところで、売り場の隅の棚でワタシに発見されるのを待っていたようなのが、これまた手のひらに乗るような小さなソース入れ。うん、出汁のような緩いソースは別に添えて出せばお皿の上がソース浸しにならないから、お上品でいいな。おひとり様用だから、それぞれ好きなだけかけてもらえばいい。クリームやミルクを入れるのにも使えそうだし、温めて溶かしたチョコをデザートに添えて出すとか・・・使い道はワタシのイマジネーションしだいってところ。

クリスマス商戦の到来で私書箱にぎっしり詰まっていたカタログを引き出して、スーパーに入る頃にはずっしりと重くなったトートバッグが肩に食い込んで、痛いの何のって。それでも、クリスマスまであと6週間のところ、今年は1ヵ月も早く準備を始められたぞ。ラッキー、ラッキー。買い物が終わる頃にスーパーに現れたカレシもどうやら授業がうまく行ったようでご満悦の顔。(今泣いたカラスが何とかかんとか・・・ったく。)さて、これで後は夜中までに仕事が入って来なければ、週末は久しぶりに丸々休み。何しようかなあ・・・

低体温化とうつ病の因果関係

11月13日。寝つきが悪くてうとうとしていた夜中、というよりリ「アルタイムの時計」で明け方に猛烈な嵐が吹きまくって、よけいに眠れず、目を覚ましたのは正午過ぎ。今日は金曜日で、おまけに13日。懸案仕事はひとつもない。ラッキーサーティーンってところだな。たまのベーコンと卵の朝食。ただし、ベーコンは普通に一人前ずつ焼くと塩分とコレステロールの取りすぎになるから、一人前を細切れにして、スライスしたポテトと一緒に炒めて、「ベーコンハッシュドブラウンポテト」。あっさりしていていい。

しっかり腹ごしらえをして、歩いて野菜の買出し。ポーチの気温は摂氏5度。ちょっと寒いなあ。しかもまだ風が強い。フリースの裏がついているジャケットを着込んで、のど元までジッパーを引き上げた完全装備のカレシと対照的に、ワタシはジーンズと厚めの長袖Tシャツ1枚の上にフード付の毛糸のセータージャケットだけといういでたち。Tシャツの下はブラジャーのみの素肌。「おい、摂氏5度だよ、たったの5度」と、カレシ。「でも、氷点下じゃないから」とヘンな理屈をつけるワタシ。まあ、風はかなりの冷たさなので袖の中に手を引っ込めるけど、「うわっ、寒い!」という感じではない。でも、カレッジのあたりには冬装備の学生たちがぞろぞろ。着込んで背を丸めているのはほとんどがアジア人の女の子たちだけど、ふむ、還暦を過ぎたというのに、ワタシは元気が良すぎるのか、それとも熱い血の気が多すぎるのか。(まあ、いくつであっても元気が良いのに越したことはないと思うけど。)

そういえば、ダウンタウンを歩いているアジア人の語学遊学生と思しき女の子たちのいでたちを見ると、アジアで流行しているファッションなのかどうか知らないけど、季節をひと足もふた足も急いでいるように見える。とにかく「暑そう」という印象なんだけど、当人たちはそれでも縮こまった姿勢で歩いているところを見ると、あながちファッションのために暑いのをがまんしているわけではなく、本当に寒いんだろうと思う。寒いアジアファッションで思い浮かんだのが、今の日本に蔓延しているらしい「低体温化」。ワタシの平温はいつも36.5度と37度の間なんだけど、日本では血気盛んな若い人たちでさえ36.5度以上は少数派で、35度以下という人もいるというからすごい。(どこかの新聞のコラムに日本経済は「低体温症だ」という記事があったけど、寒いのは人間だけじゃないんだなあ。)

経済の低体温症と人間の低体温化と関係があるのかどうかは知る由もないけど、低体温化すると新陳代謝や免疫機能が低下して、身体の健康度が損なわれることは確か。古くから「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われるくらいだから、身体の健康度が損なわれれば、精神の健康度にも影響があるだろうということは想像がつく。小町の住人たちが何かというと「疲れた」を連発しているのも、うつ病が増えているのも、低体温化で体力がなくなって、精神的にも「蒲柳の質」になってしまった人が増えているということなのかもしれない。人事関係の報告書を訳していて、いつも出てくるのが職場の人間関係のトラブルで「体調を崩した」、「心療内科へ行った」という言葉で、本当にそれほど過酷な状況だってこともあり得るとしても、本人が記述する状況からは、「そんなことで休職するほど体調を崩してしまうの?ひ弱だなあ」と思うようなことのほうが多い。

精神の健康度が低下しているといっても、精神を病んでいるという意味じゃなくて、精神的な免疫力や抵抗力が低下しているということなんだけど。もちろん、そこにはバブル崩壊以来の社会全体の流れや国の教育方針なんかも関係しているだろうと思うから、必ずしも低体温化したせいで、すぐに落ち込んでしまう、うつ体質の人間が増えたとは言い切れないだろうし、逆にうつ病になったために身体機能が低下することもあるだろうから、どっちが原因かとなると卵とニワトリの水かけ論。それでも、海のこっち側から眺めていると、なんか元気のない、「底冷え」のする社会だなあと感じることが多い。ま、これはワタシの私的な印象だから、「そんなことない」と言われたらそれまでだけど。

う~ん、ワタシがいい年してちょっと元気が良すぎるのかなあ、やっぱり・・・

平凡な休みは映画と買い物

11月14日。夕べはとうとう初霜が降りた。そろそろ寝ようかという頃(午前3時すぎ)にはポーチの温度計が摂氏1.5度だった。午後2時の気温は摂氏3度。真冬の陽気じゃないの、これ。エルニーニョの冬は暖かいんじゃなかったのかなあ。まあ、日曜日から急速に暖かくなるらしいけど、天気予報は来週の終わりまで雨続きで、また大雨注意報が出ている。今度はおなじみの「パイナップル特急」がやって来るらしい。

仕事の予定が空っぽの週末。夕べは夜中のランチを済ませた後で久しぶりにカレシと一緒にDVDを見た。トロントのデイヴィッドとジュディはよく映画を観るらしく、本棚ひとつにDVDが溢れている。おかげで、前に行ったときは「ハリーポッター」の第1作を観たし、今回は『スラムドッグ・ミリオネア』を観て、勢いに乗って『Four Weddings and a Funeral』も観た。だけど、我が家ではお互いに時間がなかったり、片方に時間があってももう一方は別のことに熱中していたりで、買ったままで本棚に置きっぱなしのがまだけっこうな数あって、ほとんどが「懐かしの名画」の部類に入りそうなくらい。その中からトム・ハンクスとレオナード・ディカプリオが共演する『Catch Me If You Can』を選んで観た。いや、これがおもしろい。

アメリカの実在の詐欺師がモデルで、彼の犯罪はすべて「未成年」のうちにやったものだそうだし、弁護士を騙ったときは、実際にルイジアナ州で付け焼刃の勉強で資格試験に合格したそうだから、まさに天才少年。逮捕に執念を燃やすFBI捜査官に追い回されるところは、ちょっと昔の『逃亡者』を思わせるけど、実物は捕まって服役してから、堅気になって詐欺対策のコンサルタントを始め、金持ちになって、追い回したFBIの捜査官ともその後ずっと親友でいるそうな。おもしろかったのは、パイロットに化けるのに学生新聞の取材と称してパンナムで下調べをし、医者に化けるのに当時人気だった医者ものテレビドラマを見て、弁護士に化けるのに『ペリーメイソン』を見て、それなりの「役作り」をしているところ。何だかワタシが未知の分野の仕事を引き受けて、付け焼刃でABC(基礎)の「AとBとCの半分」を把握してかかるのと似ている。まあ、人生は即興劇のようなものだから、難局を機知とか機転とかいうもので切り抜けるのは、詐欺も堅気もへったくれもないってことか。

休みモードの二日目はエコーを「運動」させるために、郊外にあるHマートの視察を兼ねてドライブ。大きなショッピングセンターのある交差点の囲むように小さいショッピングセンターが並んでいるところで、コクィットラムは1990年代に急激に増えた韓国系移民が集中して住みついたところだから、どこを見てもハングルの看板がずらり。まるでソウルの郊外にいるような感じがする。当然、Hマートもダウンタウンの店と比べてずっと大きいし、店内放送は韓国語だし、品揃えも日本食品は少ないし、客の顔もほとんどが家族連れのアジア人。ワタシが喜んだのは魚の売り場。ダウンタウンよりもずっと種類が多い。さっそくフリーザーからイカの足だけのパック、キハダやアルバコアのまぐろをかごに放り込む。トロはキッチンがやたらと脂臭くなるのでやめておいた。後はサケの刺身。カウンターの氷の上になった生のほっけ。(重さを量ってから)その場で頭とはらわたを取ってもらう。野菜売り場ではぶなしめじとまいたけと大豆もやし。

あまり広くて全体をじっくり見て回る時間がなかったけど、うん、オリンピックでダウンタウンの店に行きにくくなったら、ちょっと遠いけどこっちで買い物をすれば間に合いそう。この次は行きやすいところにある中国(台湾)系のスーパー(T&T)を探して視察しに行こうか。(トロント郊外のT&Tには大きな魚売り場と長い魚のフリーザーがあって、試してみたい魚がいろいろ・・・。)それにしても、魚、魚と、ワタシも相当な凝り性だよなあ・・・