リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年8月~その1

2012年08月16日 | 昔語り(2006~2013)
無駄がなさ過ぎるのは脳に良くない?

8月1日。水曜日。今日から8月。もう8月。今年ももうあと・・・は、まだちょっと早いか。年を重ねるごとに時間の足が速くなるのはわかっているけど、そこまで急ぐことはないな。まだ8月。まだ夏。夏の真っ盛り・・・。

「なぜみんな雑談をするのか?楽しいのか?必要なのか?礼儀なのか?」小町横町でおもしろい問いかけをしている人がいる。雑談すること自体が役に立つことなのか?問いかけの主は、役に立たないものは家に起きたくないし、無駄と思うものには時間を割かない性格だそうで、同じような人に会ったことがないのが不思議。いや、不思議でも何でもなくて、同じような人に会わないのはきっと向こうも無駄なことに時間を割かないからだろうと思うんだけどな。曰く、雑談に参加してみたけれども疲れるだけだった。でも、「すごい効果や役に立つことがあるなら、やらないと損かな」と。どんな効果、どんな効用を期待しているのかわからないけど、要するに自分が無駄だと思う雑談をみんながしているのは何か「得すること」があるからじゃないか、だったら自分もおこぼれに与りたいということなのかな。まあ、自分以外の人間に興味がないだけかもしれないけど、こういう何でも「損得」で考える人、けっこう増えているような感じもするな。かの大富豪ドナルド・トランプのトレードマークみたいになった「What’s in it for me(こっちにどんなメリットがあるの?)」という思考に似ているけど、人との交わりも投資的な価値判断なのか・・・。

雑談は役に立つのか(何の役に立つのか)という問いかけに対して、「人間の脳は意味のないことや無駄と思えることを考えたりする方が認知症になりにくい」と何かで読んだという書き込み。仕事ばかりしていたり、理論的、合理的性格だったりすると早いうちに認知症になる危険があるらしい。これはつらつらと考えてみる価値があるな。無駄だと思うことには時間を無駄にしたくないと、いつもテンションを上げたままだと脳が磨り減ってしまうということか。雑談は脳のレクリエーションということだろうな。もっとも、考えてみて無駄にはならないことをめんどうくさがって考えないでいたら、脳は逆に萎びてしまうかもしれないから、そこは「メリハリをつける」、つまり、昨今よく使われる「ワークライフ・バランス」。ワタシはけっこうまじめに仕事をするけど、「無駄に」過ごす時間も多いし、何の意味があって何に役立つのかわからないような雑談、雑感、雑念、雑学、雑記の類にかけては人後に落ちないから、早いうちに認知症になることは心配しなくても良さそうだな。もうかなり「とぼけて」はいるみたいだけど・・・。

ブログの編集画面の下に出て来るgooのランキング。「将来への不安ある?」というのがあったので、のぞいて見たら、2位以下を大きく引き離して第1位だったのが「いろいろ心配」。あれこれと心配で、不安で気の休まる暇がないということか。それは辛いなあ。でも、あまりくよくよ心配するのも脳に良くないような気がするけど。ランキングの第2位は「老後が不安」、以下「結婚できるか」、「子供の将来が不安」、「十分な収入が得られるか」と続いていて、「日本を覆う暗雲」を総まとめしたような感じ。このランキングを見た人は気が滅入ってしまうんじゃないかと心配になって来る。まあ日本の人はちょっと不安神経症気味だとは思うけどなあ、と画面を見ていて目に入ったのが「医師質問:境界性人格障害」という広告で、「専門家がオンラインで待機中。どんな質問でも今すぐ回答をゲット」だと。今すぐ答をゲットできるんだったら誰も不安な思いはしないだろうと思うんだけど。それにしても、いたるところにうるさく出て来る「Ads by Google」のひとつとはいえ、不安に関するページに境界性人格障害って、何だかなあ・・・。

誰かが首になったおかげで年金問題が解決

8月2日。木曜日。起床は正午ちょっと前。ここのところ気温はいたって平年並みで、日中は23度くらいあるけど、最低気温は15度以下に下がるので、エアコンをかけずに寝られるし、ベッドルームが暑くなって来るのはちょうど起き出す頃で、それより前の時間にタイマーをセットしておく必要もないのがうれしい。これが典型的なバンクーバーの「短くて快適すぎる」夏・・・。

今日は朝食もそこそこにゆうべ飛び込んで来たラッシュの仕事の見直し。人事に関するものにはそれなりのドラマがあっておもしろい。いったい何を考えていたやらと呆れるような規律違反や法規違反はもとより、ときには新聞に名前(や会社名)が載ってしまうような事件まで、実にいろんなことが起きる。まあ、いろんな人間がいるから、それも当然だろうけど、いつもどうしてこんなことでつまづいてしまうのかと不思議に思う。悪くしてクビになったら、奥さんに何て言うんだろうな。キャリアに傷がつくだけではなく、家に帰れば奥サンに「明日からどうやって暮らすのよっ」と泣かれるだろうし、クビになった理由によっては家庭崩壊・・・。でも、そういうところまでは考えないから、そうなってしまうんだろうな。

「魔がさした」・・・つまり、何かの弾みで心のたがが緩んだか、外れてしまったということなのか。刑事事件を起こせばそれで「おしまい」かもしれないけど、「敗者復活戦」のない国ではキャリアに「懲戒」の2文字がついて回れば似たようなものかもしれないから、その人の人生だけでなく、家族の将来まで狂わせてしまいそう。クビになれば当面の生活が問題になるけど、「外れたたが」のおかげでいったいどのくらいの「生涯賃金」が吹っ飛ぶかをちょっと考えてみれば、緩みがちなたがを少しは締められるかもしれない。仮に40歳で年収1千万だった人がクビになって、400万の仕事に再就職できたとすると、単純に60歳定年までの20年をかけて計算しただけでも逸失賃金は1億2千万円。子供の教育、マイホーム、海外旅行、老後の資金・・・ため息が出そう。でも、心のたがはほんの一瞬で外れるもので、そんなことを考えている暇はないだろうけど。

カレシが早期退職させられたのは57歳のとき。懲戒処分になるようなことはしなかったけど、メール恋愛ごっこに夢中になって仕事をサボっていたらしく、リストラに半年先がけて肩叩き。収入は組合年金だけになって、それも60歳前なので少し減額。それでも、さすが公務員組合の年金だけあって、ひとりなら何とか暮らせる額だったし、ワタシはその倍以上稼げていたから、家計には実害がなかったのは幸いだったかな。それでも、今になって考えたら、想定外の早期退職による生涯賃金の逸失分を当時の年収マイナス年金で計算すると、60歳まで3年勤めたとすれば約1200万円、公的年金をもらえる65歳まで8年勤めたら(いくらかの昇給があるとして)約3500万円。これが愚行の代償というところだけど、まあ、まじめに仕事をしていてもいずれはリストラの対象(この場合は年金は満額)になっただろうし、職場や仕事が嫌になっていたカレシには渡りに舟の退職勧奨だったんだから、今はあまり意味のない数字・・・。

仕事をしながら、どうしていい大人なのにいっときの気の迷いで高収入を棒に振って、キャリアや人生や家族の生活を狂わせる人たちが後を絶たないんだろうと思っているうちに、カレシが退職した前後のことを思い出して、急にどうしてワタシが年金受給を遅らせて働き続けなきゃならないんだと、ムカっとした気分になった。こんな気持になったのは初めてで、自分でもちょっとびっくりしたけど、年金の申請用紙を前に、今までは基本額が増えるから受給開始を2、3年遅らせて、このままフルに仕事を続けようと漠然と考えていたのが何だかばかばかしく思えてしまった。何年分かの給料を棒に振ったカレシではあるけど、今では3つも年金をもらって糟糠の妻を養えるくらいの左団扇なんだから、よし、ワタシもまずは年金をもらい始めて、仕事は風まかせということにする。うん、それで決まり!どこかでクビになった人がいたおかげでワタシの問題が解決なんてちょっとヘンだけど、でも、ああ、すっきりしたっ。

ネットの広告も斜めに見るとおもしろい

8月3日。金曜日。今日はけっこう早くから暑い。この週末は州によって名前が違うのでいったい何の祝日なのかわからないけど、とりあえず全国的に三連休。まあ、学校は夏休みでもあるし、家族揃って遊びなさいということで作ってくれたんじゃないかと思うけど、日本でハッピーマンデーとかいうあれと同じような発想かな。(BC州ではオンタリオ州に倣って来年から2月の第2だか第3月曜日を「ファミリーデイ」とか何とかいう休みにしたので、三連休がひとつ増えることになった。)またカナダドル高に振れて来たので、明日は国境に長い車の列ができて、何時間も待つということになるんだろうな。この夏一番の暑さになりそうだという予報なのに・・・。

暑そうだから日中外へ出るのはやめにして、週明けが期限の新しい仕事の算段。今度は大規模な商業開発に関するもので、一面にきらきら語をちりばめたような華やかさ。こういうのはやっていて楽しい。だけど、日本人的感性100%の「きらきら日本語」を英語人的感性にアピールするような「きらきら英語」に訳すのはけっこう疲れる。そうでなくても感性(イメージ)レベルでの異言語コミュニケーションは難しいのに、コピーライターはその「イメージ」を「何、これ?」というような表現で描こうとする。常に斬新な(あるいはトレンディな)表現方法を要求される商売だから当然だろうけど、宣伝文というのは、売り込む方で想定したイメージを読んだ人に描いてもらわなければ用をなさないから、日本語の(斬新な)宣伝文句を英文に置き換えるだけでは、いくら訳が正確でも英語頭には「はあ?」となることが多い。あ~あ、おもしろいけど、かなり悩みそうだなあ、この仕事・・・。

広告といえば、今月に入ってこのブログにもテキスト広告が表示されるようになってから、どんなサイトにどんな広告が出るのか興味津々で、あっちのブログ、こっちのソーシャルメディアと、コンテンツそっちのけで観察して回ったところ、一番多いのはやっぱりAds by Google、他にAd Choices。記事の下に表示されるものは3つか4つ。サイドバーに表示されるものはもっと多い。でも、テキストだけの広告はさほどじゃまっけな感じはしないな。無視しやすいからだろうか。読んでもらわなければ効果はないと思うんだけど、実際にこういう広告をクリックする人っているんだろうか。あんがい、いわゆるアフィリエイトの感覚でポチッとやるのかな。(といっても、アフィリエイトというものがワタシにはよくわからないんだけど・・・。)

自分のブログにアクセスして出てきたのは、25分で129円からという格安オンライン英会話の広告。フィリピン人は英語ネイティブじゃないはずだけど、人件費は安いからいい商売になるんだろうな。他に、日本への「里帰り」の格安航空券(帰る実家もないから間に合ってます)、海外転職(間に合ってま~す)。どっちも日本語なんだけど、今日はなぜか英語で「Pretty Japanese Wife」と言うのが出てきた。そのうたい文句がふるっていて、「何百人もの美しいメールオーダーワイフとの出会い。100%確認済みのプロフィール!」 URLを見たらいろんな出会い系広告を出しているところ。何を100%確認したのか知らないけど、日本女性をつかまえて「メールオーダーワイフ」はないと思うよ。いうなれば「通販嫁」で、いくらgooのランキングで結婚できるかどうかが不安の第3位に入っていたと言っても、日本の女性がこの広告を見たら「まだそこまで落ちてないわよっ!」と憤慨するだろうな。でも、ひと昔前の「国際結婚ブーム」のときはネットでの出会いが盛んだったようだし、日本の男性もかなり「通販嫁」をもらっているんじゃないかと思うけど。

鬱陶しいのはやっぱり写真入の広告だけど、こっちはサイトによっては出会い系が多い。例の「独身の日本女性との出会い」のオンナノコたちの写真を観察していて、真ん中でVサインしているコは日本人っぽいけど、両側の2人は日焼けし過ぎで、顔立ちもちょっと日本人離れしているのに気がついた。「独身の日本女性」と聞いてクリックしてしまうオトコがたくさんいることを期待しているのかもしれないけど、だったらどうして日本語?もっとケッサクなのは、ある在日外国人のサイトにいつも貼られている「友だち募集」広告。会員百万人以上と銘打っていたけど、もう10年以上前から同じ顔ぶれ(日本人)のローテーション。これではまるで「売れ残り品一掃セール」の広告のようで、効果のほどは限りなくゼロに近そう。でも、誰もクリックしなくても、サイトのオーナーには広告掲載料が入るのかな。だったら、おいしそうな話ではあるけど・・・。

インターネットに溢れる広告もこうやって斜めから見ているとけっこうおもしろい暇つぶしになっていいな。それに「愛するのに言葉はいらない」そうだから、出会い系サイトの広告の翻訳注文が飛び込んで来るということもまずあり得ない(ワタシの料金、高いし)。だけど、仕事の方の宣伝はたぶん何十億、何百億の大事業だろうから、「きらきら語」の創造にもすごいお金がかかっていそうで、斜めに見て楽しんでいるわけには行かない。まじめに考えなきゃ、きらきらと・・・。

いつまで続くの、オリンピック

8月4日。土曜日。三連休初日(と言ってもカレンダーがそうなっているだけで、普通の日と変わらないけど)。今日は早くから暑い。エアコンのタイマーを午前10時半くらいにオンになるようにセットしておいたけど、9時半頃にちょっと目が覚めたときはもう顔が汗だらけ。でも、タイマーをリセットするのがめんどうで、またそのまま眠ってしまった。

朝食が終わって、「ゆっくりしていい日」の読書。『Good Behaviour』 を読み終わったので、今度はキングスリー・エイミスの『Lucky Jim』。エイミスはイギリスで1950年代に一世を風靡した「怒れる若者たち」のひとり。アイリス・マードックもそうだったし、アラン・シリトーやジョン・オズボーンもその世代。後にアメリカで起こったヒッピー運動の先駆けと言えなくもないな。ま、いつの時代でも若者たちは既成社会に対して怒って、楯突くものだと思う。ワタシだって、20代前半の頃は左に傾き、ヒッピー運動に共感し、さらには生まれ育った北海道が中央政府(北海道開発庁)に植民地のように扱われていることに義憤を感じて、「北海道独立論」に心酔したもんだった。年と共にけっこう保守派の方に振れて来たけど、今でも北海道は「津軽海峡以南」に活力を吸い尽くされないために分離独立すべきという思いは変わらない。

オリンピックはどうやら半分くらいまで日程を消化したらしい。ワタシも東京オリンピックで「東洋の魔女」に感動し、札幌オリンピックでは70メートル級ジャンプのトリプルメダルに感動したクチだけど、あまりにも商業化、プロ化して、すっかり関心をなくしてしまった。たぶんロサンゼルスでのオリンピック(日本ではバブルが膨張し始めた頃)あたりからだろうと思うけど、かのクーベルタン男爵も墓の中でのた打ち回っているんじゃないかな。国旗掲揚と国家演奏をやめたらいいのにと思うけど、それができなくなったら国威と愛国心の発揚パーティをする機会がなくなって、どこの国も「それじゃあ選手育成に金をかける意味がないから、や~めた」なんてことになってしまうかな。

もう何年も前の夏のこと、ビクトリア・ライティング・スクールの合宿に参加した時、同じクラスにオリンピックの体操に出場するはずだったという人(エレン)がいた。14歳で強化選手に選ばれ、BC州の親元を離れて遠いオンタリオのコーチの家に住み込んで、毎日ひたすら練習に励み、全国選手権で上位に入って、オリンピックへの切符は確実というところまで行った。ところが、いざオリンピック(モントリオールだったかな)代表の選考の段階になって、エレンは「年を取りすぎている」と言う理由で落とされてしまったそうな。そのときの彼女は19歳。オリンピックの女子体操はチャスラフスカの時代から、コルブトやコマネチのようなティーンの時代になっていて、選考委員たちは19歳の大人では「年令的に」審判に受けないと考えたらしい。十代の青春を捧げたオリンピックの夢を目前で潰されたエレンはそれから長い間うつ病と闘い続けたという。「自分の気持を文章にすることで救われたの」と言っていた彼女、50歳近くになっていたけど、小柄で笑顔のかわいい人だった・・・。

華やかなオリンピックの裏にはそういう人間の心や努力を踏みにじるひどい話がたくさんあるんだろうな。エレンだって技量が足りなかったのなら諦めも付いただろうに。それもこれも国のメダル獲得数を競うためかと思うと、オリンピックには関心が持てなくなってしまった。それにしても、バドミントンの「無気力試合」はひどい。ニュースで見たけど、あれならワタシだってオリンピックに出られる。それと、ビーチバレーとか言う種目は何なんだろう。そのうち、スケートボードとか、マウンテンバイクとか、はてはブレークダンスなんて種目も登場するかもしれないな。ま、4年に一度の地上最大の「ショー」だもんね。(開会式の女王様と007のスキットは話を聞いてYouTubeで見たけど、あれはなかなかのご愛嬌だったな。)水泳のフェルプス君は帰国するときにメダルが重すぎて手荷物の重量超過料金を取られるんじゃないのかな。それと、日本は男尊女卑という汚名を返上するためにも、なでしこちゃんたちをメダルの色に関係なくビジネスクラスに乗せてあげてね。でも、ひとつだけ、南アフリカの両足義足のランナーにはちょっと感動したな。ぜひメダルを勝ち取って欲しいと思う。

日程はあとまだ半分あるのか。期間もずいぶん長くなったもんだな・・・。

外が暑すぎるから今日は仕事日

8月5日。日曜日。今日も暑いなあ。午後1時でポーチの温度計はもう25度を超える勢い。うはっ、真夏日だ。バンクーバーでは最高気温が30度を一度も越えない年の方が圧倒的に多いので、感覚的に25度あたりが「真夏日」ということにある。たまに30度を超えようものなら、異常高温の警報が出るくらいで、もうもろに「猛暑日」。でもまあ、湿度が低めなので、蒸し風呂というよりはオーブンに入ったような感じで、肌が汗でべとつかないからいたって快適。

三連休と言うこともあって、ビーチはたぶん足の踏み場もないくらいの賑わいだろうな。紫外線がどうの、皮膚がんがどうのと言われながらも、どっちかというと白い美肌よりも小麦色の健康美の方が未だに好感度が高いらしい。まあ、昔のような真っ赤に焼けて痛々しい姿はあまり見られなくなったように思うけど、燦々と太陽が照ると、若い人たちが「小麦色」を目指してビーチに殺到するのは変わっていない。焼けすぎないようにサンスクリーンを塗りながら甲羅干しをするのが今どき風というところかな。色白の妹が生まれたときに伯母が「こっちは玄米」と評したというくらい色が黒いワタシは、ビーチなんかに寝転がっていたら片面15分ずつで真っ黒こげ状態になってしまう。美白肌が命の国では日焼けするたびに亡き母に「前後の区別が付かない」とこぼされたけど、小麦色が好きなこの国では、うまく焼けなくて苦労していたコーカサス人種の女性たちにこの「15分でこんがり」を羨ましがられることが多かった。まあ、ところ変われば美肌の基準だって変わるって・・・。

夏真っ盛りの三連休だけあって、この週末はイベントのラッシュ。ゆうべはCelebration of Lightという恒例の花火大会の最終回をやっていた。普通の花火大会と違って、音楽と花火の打ち上げをシンクロさせるもので、前はそのデザインと技術を競う国際大会でもあった。最近は景気も良くないから3ヵ国を募って3回に分けてやるだけになっているけど、それでも20分そこそこのショーにイングリッシュベイを囲むビーチには20万人くらい集まるらしい。今年は1回目がベトナム、2回目がブラジルで、最終回のゆうべはイタリア。南斜面にある我が家からは花火は見えないけど、音だけは聞こえる。音から判断する限りではブラジルの花火が一番派手だったな。そのうちに誰かがYouTubeにビデオを投稿するだろうから、探し出して、ゆっくり楽しもうっと。

この週末は「パウエルストリート・フェスティバル」もある。パウエルストリートは戦前に日本人町が栄えた、いわば日系カナダ人の「ふるさと」にあたるところ。祭そのものはバンクーバーにいくつもあるエスニック・フェスティバルのひとつで、もうかれこれ35年くらい続いている。ワタシも最初の2、3年はカレシに連れられて行ったもんだけど、何となく田舎の小さな神社の夏祭りみたいななつかしい雰囲気があった。今ではお祭に来る層が「日系人」からバブル時代以降に到来した「日本人」に変わっているらしいけど、長いこと行っていないから本当のところはわからない。でも、会場となるパウエルストリート沿いのオッペンハイマー公園がホームレスがたむろするカナダ有数の極貧地区にあることが(何らかのビザで住んでいる)日本人にはいたく不評だということは聞いている。まあ、この人たちは「日本から来ている日本人」なんであって、日系カナダ人の歴史を知らない(というか、元から関心がない)んだから、パウエルストリートフェスティバルの意義を説明しても無駄だろうと思うけどね。

この週末のイベントの目玉はなんと言っても今日の「プライド・パレード」かな。これはなかなか見ごたえがありそう。今回のパレードの先導役は先にミス・ワールドか何だかのコンテストにカナダ代表で出た(元男性の)ジェナ・タラコヴァ。初めは「生まれつきの女性でない」ということで失格にされたけど、最終的にコンテストのオーナーであるドナルド・トランプの鶴の一声で出場が認められた人。惜しくもミス(何だったか)のタイトルは逃したけど、なかなかの美女。ワタシはこの国で「人」として魅力的なゲイやレスビアンにたくさん出会って来たので、異性婚も同性婚も(その線上で同人種婚も異人種婚も)相互の愛と尊敬とコミットメントに基づく1対1の「単婚」の関係であることに変わりはなく、どんな形であっても心から愛し合っている2人は美しい。だって、人と人が愛し合えるのはすばらしいことなんだもの。だいたい、人間が垂れ流す内分泌撹乱物質のせいで自然界では雌と雄の区別が混乱して来ているそうだから、人間だって影響を受けずにいられるとは思えないし、そうなったら、性が繁殖から切り離された人間界では、いずれは古代から続いて来た男と女の観念も立ち行かなくなるかもしれないしね。

午後3時の気温27度。湿度48%。暑いから、今日は1日中涼しいオフィスに引きこもって仕事三昧ということにする。もっとも、納期は明日の夕方だから、のんびりしていられないという事情もあるけど、やっぱり何たって暑すぎる。カレシも水遣りに庭に出て行ってはそそくさと家の中に戻ってくる。菜園はトマトも豆もものすごい勢いで育っているそうだけど、暑すぎてあまり農作業ができないとぶつぶつ。今まであった池と滝を撤去したせいで、流水による冷却効果がなくなったからじゃないのかな。水が流れる音だけでも心理的に涼しく感じられるのが、それもなくなったし、それに雑草が生えるままにしてあった部分はコンクリートのタイルを敷き詰めてしまったから、太陽熱が吸収されてよけいに暑く感じられるのかもしれない。でも逆に、夜間に冷えるようになる秋には保温効果のおかげで栽培期間が長くなることも考えられるから、ここはせっせと水遣りするしかないと思うけど、暑いよなあ・・・。

予報には雷雨なんてなかったのに

8月7日。火曜日。午前11時半に外でピィピィという音がして目が覚めたというカレシに起こされて目が覚めた。「誰かがトラックをいじったんじゃないか」と言うから、まっさか~。トラックのアラームはピィピィなんてもんじゃないし、鳴り出したらしばらく止まらない。でも、心配性のカレシはそのまま起き出して外へ偵察に。ま、家の防犯アラームを解除するのを忘れなかったのはエライ。でも、結局ワタシもそのまま起きてしまった。正午前のポーチの気温はまだ20度に届いていない。

きのうは午後いっぱい大まじめに仕事。やっぱり宣伝の目玉になるキャッチコピーに引っかかって、漢字が2つのごく短い単語なのにうんうんと脳みそを絞ってしまった。最初に出て来るひと言だけなら、クリエイティブなノリでわりと自由に考えられるんだけど、別のところでのうたい文句の中にシチュエーションをいろいろに変えて出て来るので、そこでもピリッと決まるものでないとキャッチコピーとしての役をなさないし、元原稿の日本語の意味合いも考慮しなければならないし、おまけに別の単語をくっつけて「は?」という造語まで出て来るから、そのたびにもっとピリッとする表現はないかと知恵を絞り、新しい文句が浮かぶたびに初めに戻って前出の分を全部変更。あれやこれやと何度も変更を重ねて、それでも何とかこれなら「きらきら英語」として通用しそうなものに落ち着いたけど、これが「ものづくり」の原料だったら採算割れしそうな時間を費やしてしまった。ああ、やれやれ。広告会社で毎日こういうキャッチコピーを考えるのって、さぞかし(少なくとも脳みその)寿命の縮む仕事だろうなあ。

前の日からひたすら仕事をした余勢をかって、きのうは日本の友だちに送る旅行の記念写真に添える手紙も2本書いた(というより「打った」というべきか)。その過程で、ワタシの子供時代のアルバムに仲良し4人組の写真があったのを思い出した。ちょうど50年前、ワタシが父の転勤で生まれ育った釧路を離れることになったときに、J子、K子、そして今回50年ぶりに東京で再会したR子とワタシの仲良し4人組でお別れパーティをしたのを母が窓の外から撮ってくれた写真。モノクロの小さな写真だったので、カレシにPhotoShopで拡大処理して、写真用紙に印刷してもらった。あれは中学2年の夏。4人ともそれぞれに違う人生を歩んだわけだけど、50年離れていてもあの頃の仲良しのままでいられたのは神様の思し召しだったのか。写真を見ると、そろそろ青春に突入する年頃の女の子4人組、う~ん、何だかおませな顔をして乾杯なんかしてるけど・・・。

今日はその手紙を持ってモールの郵便局へ。ずっと韓国系の家族がやっていたのが、今日はカウンターの後ろにフィリピン系らしい人。経営者が変わったのかな。封筒の重さを計ってもらって、切手を貼ってもらって、ついでに国内、アメリカ、国際の3種類の切手を10枚ずつ買って、ミッション終了。その足でこの前マティニグラスを買おうと思ったキッチン用品店に入って、迷わず4個入りセットを2つ。大きな袋に入れてくれたけど、持ちにくいので携帯でカレシにタクシーサービスを頼んだら、「ついでだからコーヒーと豆とひまわりの種とオートブラン(燕麦のふすま)を買って、いつものところで待っていろ」との指示。1キロ入りのイタリアのコーヒー豆とローストしたひまわりの種(塩なしなのでピーナツのような味わい)とオートブラン、ついでにソーセージも買って、ミッション完了。雲が広がって来て、あまり暑くないけど、ちょっと蒸している感じ・・・。

午後8時過ぎだったか、外が騒々しいのに気がついた。うはっ、カミナリ。そんなの天気予報にあったかなあと、さっそく二階へ駆け上がる物好きなワタシ。南東の方角が明るくなって派手な雷光が走ったので、小学校の理科の時間に教わった通り、い~ちぃ、にぃ~い、さぁ~ん、と数えたけど、いつまでもゴロゴロと来ない。音なしのカミナリかと思っていたら、諦めて数えるのを止めたころになってゴロゴロッ。風が出てきたと見えて、窓の外では大木がわさわさと揺れている。道路が塗れている。見ているうちに、カミナリは東へ、そして北東の空へと移動して行って、9時過ぎには静かになった。かなり見ごたえのあるショーだったと興奮覚めやらぬ気分でオフィスに戻ったら、バックアップ電源のサージ保護がカチッ、カチッ。頭の上でのカミナリでなくて良かった~。

落ち着いたと思ったら、しばらくしてまた鳴り出して、庭に出ていたカレシは雨具を取りに駆け込んできた。後でニュースを見たら、郊外では雹が降ったところもあり、落雷にあってけがをした人が2人いるということだった。どちらも軽傷ということだけど、バンクーバーではちょっとめずらしい夏の嵐だなあ・・・。おかげで急に涼しくなったような感じがするけど、明日からはほぼ平年並みの気温に戻るらしい。明日はカレシの誕生日。カレシの希望で、グランヴィルアイランドのマーケットにカニを買いに行く予定。そんなときに限ってドンッと入ってくるのが仕事。でも納期に余裕があるから、明日は臨時休業しま~す。

誕生日のディナーはちょっぴり北海道

8月8日。水曜日。起床は正午過ぎ。おお、ぐっと涼しい。午後1時のポーチの気温が15度。きのうの雷雨のせいかな。新聞サイトにはさっそく読者から送られてきた豪快な写真がたくさん載っているけど、二階の窓から見ていたワタシにも、何本にも枝分かれした雷光が視界いっぱいに広がって見えて、すごかった。郊外のあちこちでまだ停電したままのところがあるというから、ニュースの見出しの通り、まさに「ワイルド」な嵐だったんだろうな。

今日はカレシの69歳の誕生日。60代最後の誕生日だけど、39歳から年を取るのをやめたんだというカレシは、「ボクは39だよ」と主張。う~ん、若いままでいたいという気持はわかるけど、この時点で中身までもまだその「若年」のままってのはどうなのかなあ。何となく進歩が遅れているようにも聞こえるけど、まあ、年令についてはご本人の自己申告にまかせることにして、ハッピーバースデイ!

カレシがバースデイディナーは「カニ!」と決めていたので、予定通りにグランヴィルアイランドへ出かけた。地下鉄駅から歩くなら、フォルスクリークの遊歩道沿いに20分程度なんだけど、今日は週日だから混んでいないだろうということで、車で乗り入れて一方通行の道をのろのろ走りながら駐車スペース探し。の下にある小さな島で、昔は工場がいくつもあったところ。今はセメント会社が残っているだけで、公共マーケットの他に、美術大学や劇場、地ビールや酒の醸造所、アーティストのスタジオなんかがひしめいていて、観光地にもなっている。今日は中国人の観光客がバス何台分か入っていた。

マーケットに入ってすぐの魚屋で水槽の中でごそごそと動いているカニの一番大きそうなヤツを選んで、茹でてもらっている間に他の店を見て回る。迷路のようなところで同じ場所を行ったり来たりながら、アジアの食品がある店ではゆず胡椒ソースと茎の付いている生姜、カラマンシという小さなライムのような丸い果物、それとsea asparagus(海のアスパラガス)というおもしろい名前の「塩味の野菜」。イタリア食品の店でオリーブを買い、別の魚屋でビントロの燻製1本とドイツ風にしんの酢油漬け。いろいろなハーブを浸してある量り売りのオリーブ油の壷がずらりと並んでいる店があって、見ているだけでもおもしろい。カニが茹で上がった頃に元の魚屋に戻って、袋に入れてあったのをもらって、今日の買い物は終わり。

今日のメニュー:
 つぶ貝とアスパラガスのにんにくバター焼き
 白魚のコーンミール揚げ
 ゆず味のエビとゆず胡椒味のキハダマグロ
 カニ半身、サンファイアのバター炒め

[写真] 冷凍で売っている剥き身のつぶ貝はざくざくと切って、にんにくとタイムでバター焼き。ついでにアスパラガスも入れて、彩りに。

[写真] シルバーフィッシュとして冷凍で売っている魚で、本当のところは白魚なのかシラスなのかはわからない。コーンミールと小麦粉を混ぜたものに絡めておいて、かき揚げ風にさっと油で揚げるだけ。買って来たばかりのカラマンシを半分に切って添えた。調べてみたら、カラマンシはタガログ語の名前で、英語名はcalamondin(カラモンディン)。熟した実はオレンジ色になるんだそうで、よく観賞用に売っているミニオレンジの親戚らしい。

[写真] 茹でて売っている小エビの剥き身はさっとゆずの果汁に漬け、キハダマグロはサイコロに切ってゆず胡椒ソースと醤油少々をからめただけのもの。箸休めみたいなもの?

[写真] 本命のカニ。このあたりの海で獲れる「ダンジネス蟹」はアメリカイチョウガニという種類だそうで、子供の頃によく食べた毛ガニと何となく味が似ていて、よく見ると太い方の足の縁に似たような「毛」がポヨポヨと生えているけど、毛ガニより甲羅の幅が少し広くて、足もちょっと長い。これは重さが1キロあって、半分ずつにしてもかなりの食べがいがある。付け合せはsea asparagus。ちょっとかじってみたら本当に塩味だったので、そのままさっとバターで炒めてみたら、コリコリした舌触りがおいしくて、はまってしまいそう。

「海のアスパラガス」と言う名前のわりにはちっともアスパラガスに似ていない。ヨーロッパではサンファイアと呼ばれているそうで、調べてみたら日本では「厚岸草」。え?釧路のそばのあの厚岸?でも、厚岸からはすでに姿を消してしまっているらしい。秋になると赤くなるのでサンゴ草とも呼ばれるということで、またびっくり。網走から紋別に向かうタクシーの運転手さんが能取湖のほとりを走りながらサンゴ草の話をしてくれた。前は一面に燃えるように真っ赤になったのが、最近あまり赤くならなくなったと。そうか、海のアスパラガスはサンゴ草だったのか。

つぶ貝に、毛ガニに似たダンジネス蟹に、厚岸草(サンゴ草)と、ちょっぴり北海道的な誕生日のディナーだったね。ハッピーバースデイ・トゥ・ユー!

悲観主義脳を楽観主義脳に変えることができる

8月9日。木曜日。起床はごく普通の午前11時半。天気はごく普通の20度(正午)。ちょっとばかりトロ~ンとした気分。きのうはカレシの誕生日のご馳走でおなかがいっぱいになって、真夜中のランチを省略したので、その分ゆっくりと寝酒とおつまみ。ここのところ減量するためにしばらく寝酒とつまみを控えていたカレシがグラスを2個出して来たので、ビントロの燻製とソーセージを肴に、2人してあれこれとおしゃべりしているうちに半分あったワタシのレミがほぼ空っぽ。たまにはいいね、こういうひとときも。

最近のMaclean’sにあった「楽観主義遺伝子」の記事の話になって、楽観主義と悲観主義、ポジティブ思考とネガティブ思考の違いについて、議論というか、ワタシがとうとうと講義をぶち上げたというか。でも、久しぶりに中身の濃い会話になった。研究によると、苦境に遭遇したときに、モノアミン酸化酵素Aという遺伝子が高発現型なら苦境からの精神的な回復力が強く、低発現型なら落ち込んだり、反社会的になったりしやすいらしい。また、セロトニン輸送体遺伝子にも高発現型と低発現型があって、高発現型の人は脳内配線が楽観主義になる可能性があるということだった。俗に「楽観主義遺伝子(optimist gene)」と呼ばれているのはこの高発現型セロトニン輸送体遺伝子のことらしい。

でも、人間というのは環境の産物でもあるわけで、楽観主義も悲観主義と同様に遺伝と人生経験と世界観が複雑に織り成すものであって、楽観主義遺伝子を持っていなくても楽観的な人がいれば、持っているのに悲観的な人もいる。遺伝子はパズル全体のひとつのピースに過ぎなくて、楽観主義、悲観主義を掌る脳内回路は人間の脳の中で最も可塑性の高い部分のひとつということだった。つまり、ものごとの明るい方を見る傾向のある人は、楽観主義遺伝子を持っていなくても脳内に「太陽がいっぱい」の思考経路ができるけど、暗い方ばかり見る傾向のある人はいくら楽観主義遺伝子を持っていても、「土砂降り」の思考経路ができるということらしい。この思考経路というのは要は脳内化学物質が流れる経路のことで、ちょっとした意識的な努力によってその流れを変えてやると、脳に物理的な構造変化が起こるんだそうで、まさに「脳内構造改革」というところ。

でも、きわめて可塑的な脳のことだから、逆に明るい方から暗い方へと流れが変わることもあるそうで、映画で強迫性障害で引き籠りになった億万長者ハワード・ヒューズを演じたレオナード・ディカプリオは、役作りのために強迫性障害の患者たちと交流しているうちに自分も強迫性障害になってしまったそうな。まあ、最近は強迫神経症的な人たちがずいぶん増えているような感じがするけど、「マインドフルネス認知療法」で衝動を抑える訓練を続けていると、やがて脳の眼窩前頭皮質という部分に同じような構造変化が起きるということで、悲観主義者にもこのテクニックを応用すれば楽観主義脳に変える効果があるかもしれないということだった。たしかに強迫神経症と悲観主義とネガティブ思考には「囚われる」という点で似たようなところがあるな。

ワタシたちはと見ると、カレシはどうやら根っからの悲観主義者で、思考パターンもかなりネガティブなんだけど、自分では悲観主義は親譲りだと言っている。そういえば、亡きパパは何にでもダメ出しをしては、些細なことでキレて怒鳴りまくっていた。(ちょっと異常に見えたこともよくあった。)そういうパパにいじられて育ったカレシは「土砂降り」とまでは行かなくても、「小雨しょぼしょぼ」型の脳内配線になってしまったのかもしれないな。パパは90歳で亡くなったけど、最後の何年かは認知症で妻のことも息子たちのことも忘れてしまっていた。一方でママの方は長いこと悲観的な考え方をする人だなと思っていたんだけど、最近は目に見えてポジティブ思考になって来た感じがするから、何十年もパパのような人と一緒に暮らした結果、「ディカプリオ現象」のようになっていたのかもしれない。「朱に交われば・・・」というから。

ワタシは(自己診断する限りは)かなり楽天的で、何ごとにも「Every cloud has silver lining(不幸中にも幸いあり)」がモットーになっているみたいな感じで、思考パターンもポジティブな方だと思う。(日本にいた頃はそうでもなかったかもしれないけど、だとしたら環境と世界観が変わったせいだろうと思う。)これでもいったんこうと決めたら、そのまま突き進んで後ろを振り向かない(後悔しない)ところがあるから、それで楽観主義的に見えるのかもしれないな。ワタシとしてはちゃんと状況を分析して、合理的に取捨選択して納得して決めているつもりだから、後悔することがあまりないんだろうと思う。まあ、ワタシの脳内はお日様が照っているけど、少なくともポリアンナのような「一面のお花畑」ではなさそう。じゃあ、カレシの脳内はどんな風景なんだろう・・・。

ものごとを悔やまない人生は生きやすい。後ろ向きよりも前向きの方が自分を好きになれるし、人間としての自分を好きなら、他人も人間として好きになれて、やさしくなれる。悲観主義でネガティブな人は自分のことを好きになれなくて、そのせいで他人も好きになれないんだろうと思う。特に楽観的でポジティブな人に我慢がならなくてイライラしたり、そういう人の一挙手一投足、はては存在そのものまでが気に食わなくて、モラハラで「ディカプリオ現象」を起こさせて、自分と同じネガティブな悲観主義に「構造改革」しようとしたりするのかもしれない。でも、そういう脳の配線を悲観主義思考から楽観主義思考に変えられる「マインドフルネス脳構造改革法」みたいなテクニックが確立されたら、みんなもっと生きやすくなるんじゃないかと思うんだけど。

生姜のゆで汁を捨てるのがもったいなくて

8月10日。金曜日。まあまあの天気。正午の気温は20度で、こっちもまあまあ。何でもこれから2ヵ月ぐらいの間にエルニーニョが発生するらしい。ということは、この冬は暖冬傾向になるのかな。先に起きて菜園の水遣りをしていたカレシにそう言ったら、「だったら冬の野菜作りを考えないとなあ」。エルニーニョの冬は暖かめで雨が多い。ハワイ方面から「パイナップル特急」と呼ばれる嵐が団子になって来たりするけど、寒波やドカ雪よりはずっと楽でいい。ドカンと来ても液体だったらシャベルがいらないし、それに、暖冬になると温室の暖房費もかなり削減できるしね。

今日はちんたらちんたらと仕事。2つ団子になっているんだけど、いつもの調子で、まだ納期まで余裕があるからいいかとのんびりモード。でもまあ、ひとつ目のはあまりおもしろくもない短い記事の集まりなので、ひとつの章をやってはだらだらのペースでもいつの間にか進んでいるからおもしろい。年金が入って来るようになったら、こういうペースで仕事をするといいのかもしれないな。仕事のログを見たら、今年は5月のうちに低調だった去年1年の実績を越えてしまっているし、今現在でもうその前の年の10月中旬のラインまで行っている。まずいなあ、これ。税金がど~んと跳ね上がってしまう。友だちにも「年相応の仕事量にしなさいね」と言われたことだし、今年はもうのんびりしてもいいかな。

でも、「年相応に」と言われても、いったいどの「年」にふさわしくあるべきなのか、そこが問題。ある新聞サイトを見ていたら「年不相応の時代」なんてコラムがあったけど、ワタシの暦年令は64歳で、まだシニア割引を利用できない。体の「生物学的年令」はとなると、いくつくらいなのかなあ。気持の上の年を示す「心理的年令」というものもあるとして、そのものさしで計ったら、ワタシは「アラ何」なんだろうな。そもそも「老い」というのはいったい何歳から始まるのか。日本のサイトを見ていると、(何を売っているのか知らないけど)「42歳?カワイイ」なんて広告があって、40代にもなって「カワイイ」はないだろと突っ込んでいたら、今度は「52歳、会社に行きたくない」とか「52歳、もう許してほしい」(いったい何を許すの?)なんて、老け作りのモデルが訴えるような悲愴な顔。あれ、そちらは52歳でもうへたれちゃうの?ワタシなんか64歳なんだけど~(ま、早々にへたれてくれないと製品が売れないけど)。近頃は「年相応」のものさしも多様化してしまって、いったいどれにあわせて仕事量を調節したらいいのやら・・・。

今日の夕食メニューはカレシのリクエストで極楽とんぼ亭自慢のフィッシュアンドチップス。「フィッシュ」はソースに漬けた魚にパン粉をまぶしてフライパンで「揚げる」もので、「チップス」は太いスティックに切ったいもをほとんど油を使わないティファールのフライメーカーで作るから、どっちもごく簡単。カレシがサラダ用のドレッシングを作っている間に、おととい見つけて来た新生姜で「しょうがの甘酢漬け」を仕込むことにした。日本から帰ってくるときに妹が印刷してくれたレシピの分量を(大雑把に)調節して、まずレシピの通りにナイフで皮をこそげて、薄切りしたのをちょっと長めに茹でた。しょうがの味がたっぷり出たゆで汁を捨てるのはもったいない気がして、ざるに空けるときに汁はボウルに取っておいた。甘酢を作っておいて、冷ましている間に食事。終わったところで、生姜と甘酢をビンに入れて蓋をして、食べごろになるまで1週間。カレシには「1週間だからね」と釘を刺しておく。

さて、生姜のゆで汁。どうしようかと思案しているうちに、ソーダ水で割って飲んでみようと思いついた。ただし、辛いくらいの生姜らしい味なので、蜂蜜と砂糖を少し入れて煮立てて、半分くらいに煮詰めてみた。これを冷まして、自家製のソーダ水で割って飲んでみたら、おお、ジンジャーエールのような味わい!甘みを控えたこともあって、市販のジンジャーエールより薄味ではあるけど、我が家の「ジンジャーソーダ」はさっぱりしていておいしい。カレシも半信半疑で飲んでみて、「うん、なかなかイケる」。どうやって作ったのかと聞くから、ゆで汁で生姜シロップを作ったと言ったら、「キミっておもしろいことを思いつくねえ」と来た。でも、ドレッシングにもカクテルにも使えそうだとのことで、おお、やったぁ~。1個の生姜から甘酢漬けとシロップの2通り。極楽とんぼ亭シェフの「思いつきクッキング」は大成功というところかな。これからもときどき新生姜が手に入るといいなあ・・・。

仕事に割り込んで来る雑念と雑事

8月12日。日曜日。起床は正午をちょっと過ぎたところ。なんだか今日はまた暑くなりそうな気配。天気予報を見たら、4、5日は暑そう。でも、遠い郊外チリワックのトウモロコシ農場にはうれしい話だろうな。

きのうは前の日からちんたらやっていた仕事を朝食後に片付けてしまって、後は休みにする心積もりでいたのが、いつもの調子でカレシが「キミの今日の予定はどうなってるの?」とメモ用紙をひらひら。仕事が~と濁していたら、「いろいろ行くところがあるんだけど、午後いっぱい時間を取れる?」ともうひと押し。聞いたらどれもひとりでできそうな買い物だけど、納期まで丸一日あるから、まあ、いいかな。お目当てはBest Buy。コードに躓いてコンピュータの全面にあるUSBコネクタを壊してしまって、メーカーのDellに聞いたら「部品があるかどうか3週間後にもう一度電話して」と言われたとカンカン。まあ、インドあたりにあるコールセンターでは埒は開きそうにない。そこで、一番近いBest Buyに相談することになった。

ついでにキッチン秤のボタン電池を買うというので、現物を持って行くように言っておいたのに、車の中で確認したら、「あ、忘れた。どこにあるの?」と来た。おいおい、どこにあるのって、アナタがどこかにしまったんじゃないの。なんでアナタのしまい込んだ場所までいちいちワタシが覚えてなければならないのよっ、とひと悶着。んっとに、もう。急がないということで、車は家の前を素通り。あ~あ。カレシにも必要だなあ、「マインドフルネス行動療法」っての。いつも上の空というわけじゃなくて、なくさないように気配りしていても、どこにしまったか忘れてしまうから始末が悪い。リスみたいだよね、アナタ。リスは木の実をあちこちにしまい込んで忘れてしまうんだって。だから、ときどき庭の隅っこにトチノキやヘイゼルナッツの木が生えて来るわけ。電池もそのうちデスクのどこかで芽を出すかも・・・。

USBコネクタの方は300ドルか400ドルで修理できることがわかって、カレシは「ほっ」。あんまりモノを壊さないでほしいんだけどなあ。(酒屋でまた空き瓶をひと箱返して、もう空になってしまったレミとアルマニャック、それとワインを数本。向かいのWhole Foodsで、お気に入りのグラノーラと松の実、それとトマトにインゲン。大きな段ボールにどんとあったのはチリワックで採れたトウモロコシ。おお、なかなか気温が上がらなくて心配したけど、そろそろ熟し始めたらしい。3本で2ドルは少々お高いけど、アメリカの旱魃でトウモロコシの先物価格は急上昇・・・はそれほど関係ないか。太くて先まで実の入ったのを3本。後は塊のパルメザンチーズとペコリーノ2種類。そして、つい大きな赤いタイを丸ごと一匹。ニュージーランド産の「野生」のタイ。やっぱりいつも買う黒いタイよりも格段にエラソーな顔をしているなあ。どうやって料理しようか・・・。

ゆず胡椒で味をつけた巨大なタイガーエビとアヒまぐろのグリルと1本半の茹でトウモロコシで、ちょっと夏らしい感じの夕食。自家製のジンジャーソーダがこれまたウマい!ほんのりと生姜味であっさり、さっぱり。ソーダとの割合を変えればもっと生姜の味がするけど、ほんのりも乙なもので、病み付きになってしまいそう。満腹で気合が入らないもので、夜にずれ込んでしまった仕事を相変わらずちんたらちんたら。内容がおもしろければそれなりに気合も入るけど、会報みたいなものだから「自己礼賛」が多くてワタシは関係ないけど白けっぱなし。途中でカレシが今度はテレビが映らないとかなんとかぶつぶつ。放っておいたら、だいぶ経ってリモコンの押さなくてもいいボタンをうっかり押したせいらしいとの報告。あ~あ。やれやれ、仕事の方はとうとう今日に持ち越してしまった。何なんだろうな、このだらけっぷり。夏だからなのか、それとも雑念が多すぎるのか・・・。

どうもこの2、3日、不思議な「雑念」が頭の中をぐるぐる。どうも、楽観主義遺伝子の記事の中に俳優のレナード・ディカプリオがハワード・ヒューズ役になり切ろうとして自分も強迫性障害になってしまったという話があったのがきっかけのような気がする。ちょっと気取ってブログにも「ディカプリオ現象」なんて書いたけど、ふっとワタシ自身の中にずっとあった「どうして?」という問いの答もそこにあるんじゃないかと思ったら、そっちの方へ思考が流れるばかりで、仕事に集中しにくくなってしまった。まあ、ワタシにしつこく付きまとって来た自問自答の問題だから、敵もなかなかしぶとい。

でも、なんかすごく重要そうな感じのする「雑念」だから、ゆっくり考えてみることにして、流れ星が見えるかどうか、外に出てみるかな。さて、いくつの星にお願いができるかなあ・・・。

流れ星にお願いしてみようか

8月13日。月曜日。また暑くなって来た。向こう1週間の天気予報は「Sunny(晴)」の字とお天道様マークがずらり。まるで「コピペ」ってやつで、こんな楽ちんな天気予報はない。週中には内陸の郊外で31度、ということは海風の通る我が家のあたりでも25度を超えるのかな。

ゆうべ家の前に立って夜空を眺めていたら、流れ星が見えた。たったひとつだったけど、すごく明るくて、大きいのが頭上をツツ~ッと飛んで行った。感動しすぎて願いごとをするのを忘れてしまったけど、まあ、元々ほぼ瞬時に消えてしまう流れ星に願いごとをするなんてムリな話。それでもロマンチックではあるな。まあ、何かにお願いするという、ある意味で他力本願な行為ほどロマンチックなオーラが強いように思う。ワタシとしては「獅子奮迅のがんばりでまっしぐら」という方に大いなるロマンを感じるけど、それをやっている人の自己満足とか自己陶酔にすぎないと見る人には、ロマンチックでも何でもないのかな。

でも、七夕では星に願いをかけることになっている。子供の頃に短冊に何か書かせられて(北海道には竹がなかったから)柳の枝に結びつけたのを覚えているけど、1年に一度だけ一緒に遊ばせてもらえる彦星と織姫に下界の子供の「願いごと」に付き合っているヒマはないんじゃないかと思っていた。釧路の七夕は8月7日で、本来の七夕は7月7日だから、元からワタシの願いごとが彦星と織姫に届くはずはなかったわけだけど。まあ、短冊に願いごとなんてのは学校の授業で書かされるから書いたまでのことで、ワタシたちの七夕の楽しみは近所を回ってろうそくを要求することだった。あの頃は子供が多かったから、年長児から幼児までが群れて、「ろうそく出せ、ろうそく出せ、出さないとかっちゃくぞ」と大声で囃し立てて回った。ちなみに「かっちゃく」といのは「引っ掻く」という意味。こっちのお願いはちゃんと叶って、どこの家でも仏壇用の細くて短いろうそくをくれたように思う。

年末年始からの仕事のストレスで増え、さらに日本で3週間も食べ道楽してさらに増えた体重。帰って来て1キロだけ減ったけど、まだ目標の上限を1キロほどオーバーしたままで、このまま高止まりしそうな予感。服のサイズは変わっていないけど、おなかのあたりがちょっときつくなったのは否定できない。そこで、CDC(アメリカ疫病対策センター)のサイトでちょっとBMIを計算してみたら、22.5になっていた。24.9までは「正常」ということだから、「太った」と騒ぐ数字でもないんだけど、首が短くて、顎の先から喉までも短いワタシはこれでももろに「二重あご」。寝酒と肴が元凶だということはわかっていながら、少し減らそうかな~と思ってみるだけのワタシ。でも、BMIの結果の下の方を見たら、「あなたの身長では体重の正常値の範囲は101ポンドから136ポンドです」と書いてあってびっくり仰天。え、正常範囲の「上限」が62キロ?ということは、まだ肥満になるまでの「余地」がたっぷりある・・・?

さて、日本ではお盆休みのはずなのに(休みだからかもしれないけど)どかっと入って来た仕事。先約の仕事もまだ少し残っているから、今日とあしたは大車輪。ストレス食い(飲み)して体重を増やさないように気をつけなきゃね。うん、今夜も空を見上げて、流れ星に「これ以上太りませんように」とお願いしようかな。流星群なんだから、ワタシの願いごと、たくさん流れる星のどれかには届くかもしれないね。まあ、とりあえずは、ねじり鉢巻で行くっきゃないけど・・・。

眼底検査、網膜は異常なし

8月15日。水曜日。暑い!正午でもう25度。おまけに眠い!というのも、ゆうべ(というか今朝)は仕事が完了したのが午前4時40分。それからシャワーを浴びて、おなかが空いていたもので肴を出してきて寝酒。就寝は午前5時を過ぎていたけど、今日は掃除の日なので、いつものように正午に到着したシーラが外から携帯でモーニングコール。眠いなあ・・・。

想定外の夜なべ仕事になったのは、今日の午後に網膜が専門の眼科に予約があったのを忘れて仕事を入れてしまったのがそもそものの始まりで、おとといの夜から始めたのはいいけど、何ともややこしい。何とかかんとか法の第何条何項何号には・・・なんてのがぞろぞろ出て来るから、法なびで公式の英訳版がないかどうか調べるんだけど、ぜんぜん出て来ない。けっこう国際的に問題が起きそうな分野なんだけどなあ。(ややこしいから、まだ英訳版がないのかもしれないけど。)ちんたらやっていて突如思い出した眼底検査の予約は午後2時20分。終わって帰って来れば4時近く。納期は午後5時で、少しは余裕があるけど、問題は瞳孔を拡大されてしまうので一時的に「視覚障害」になってしまうこと。神聖な納期を外すわけには行かないから、結局はさあ大変だ~とねじり鉢巻の大車輪で仕上げて、寝る前に送っておくはめになったわけだけど、やれやれ、きつかった~。

家を出た午後1時半すぎのポーチの気温は27度。この夏一番の暑さじゃないのかな。郊外ではとっくに30度を超えているだろうな。テレビの天気予報では、heat wave(熱波)の到来で週末までは暑い日が続くという話。日本語では「寒波」という言葉は使うけど、「熱波」は聞かないな。そういうのとはあまり縁がなかったからわからないけど、「猛暑」というのが普通なのかな。逆に英語では、少なくともアメリカ、カナダでは夏になると「heat wave」と言う言葉がメディアを賑わすけど、(特に東部で)よくある大寒波のときでも「cold wave」という言葉は聞いたことがない。ごく短期間の冷え込みなら「cold snap」、いつまでも続くときは「in deep freeze(冷凍状態)」と言う表現がよく使われる。寒気が波のように押し寄せてくるのではなくて、前者のときはカチッと凍ってしまう感じ、後者のときは寒気が「どかっと居座った」感じになるからだろう。ま、「熱波」はその名の通り、寄せて来たら、そのうち引いてくれるから、いいか。

ロス先生の待合室はいつも患者でいっぱい。ほとんどが70代、80代らしい高齢者で、30代くらいの若い人はめったに見かけない。助手の人に検眼してもらい、コンタクトレンズを外して、瞳孔を拡大する薬を点眼してもらったら、待合室に戻って雑誌を読む。だんだんに視界がぼやけてきて、先生に呼ばれた頃にはほぼ手探り状態。診察室の椅子に座って、先生が猛烈に明るい光をあてて眼底を観察するんだけど、まぶしくて目が眩んでしまう。その後で別の機械の前に座って、また強烈な光。「異常なし」と言われて診察室を出たら、世界が緑色に見えたり、紫色に見えたり。先生が「じゃあまた来年」と言うので、1年後の予約をもらって、コンタクトレンズを入れて帰途につく。また来年ってことは、毎年この時期に検査をしてもらいに来なければならないということか。まあ、右目の中に大きな浮遊物があるからだろうな。でも、このクリオネみたいな黒い浮遊物はもう20年以上もふわふわと浮いていて、いつも目の前に見えているけど慣れてしまって気にならないしろもの。まあ、目が見えなくなって困るのは誰よりも自分だから、ではまた来年・・・(ロス先生は引退しないの?)。

ビルの外へ出たら、かんかん照りなもので、サングラスをかけていてもまぶしくて、それなのにもや~っと霧がかかったような視界不良の状態。何でこんな日にこんな検査をしなきゃならないの~と思ってしまう。それでも、無事に帰り着いて、鏡を見たら、キャ~ッ、エイリアンがいる!なにしろ瞳孔がまだいっぱいに開いているから、目は全体がほんとうの黒目。底知れないような真っ黒な2つの目がこっちを睨んでいるから、自分の目だとわかっていても、いささか気味が悪い。視界もやもやのままで夕食の支度を始めたけど、窓越しにガレージの壁に当たる日差しがまぶしくてひと苦労。テーブルからあれこれ話しかけて来るカレシの方を見ると、後ろの窓から入る西日がまぶしくて、うわっ、カレシ、後光が差してるみたい。もやもやのまま料理をして、もやもやのまま夕食を食べて、なかなか晴れない霧の中から目を細めてメールを読んで、そうこうしているうちにだんだん世界の輪郭がはっきりして来た。鏡を見たら、茶色の目の真ん中に小さな黒い点がぽつん。ああ、やれやれ、いつものワタシの目・・・。

今日は暑いから、真夜中のランチは冷たいそうめんにしよう。明日の予報は晴れ、最高気温27度(体感温度30度)、最低気温18度。真夏日だ。ま、涼しいオフィスにこもって、次の仕事にかかるとするかな。