らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

金山町 Vol.2

2009年10月08日 23時27分14秒 | 歴史探訪(山形県内)
 昨日の続きです。

 昨日の記事
金山町 Vol.1

 金山町の町役場の周辺は、石造りの大堰と呼ばれる農業用水路には丸々と太った錦鯉が放流されていて、町民に愛されているようです。全国疎水百選認定。
     

 金山大堰と呼ばれる所に説明付きの立て看板がありました。
     

 立て看板の文
 「金山大堰は、いつ誰の手によって開削されたものなのか判明していないが、丹与惣左エ門が金山城を治めていた戦国時代の末期天正(1580)年頃開けた多くの集落がそれぞれ水田を耕すにつれて必然的に作られ、その後多くの人々の力によって末端に延長されていったものだろう。 このようにして、最初は城下集落の農業用として、次いで近世の宿場集落の農業及び生活用水として文字通り金山の大動脈とも言うべき集落の中心を流れ、命の水として利用されてきたのである。 明和四(1767)年の朴山松田家文書「覚」からも当時の水利権調整が維持されていることが伺える。こうした先人達の努力が積み重ねられ、守られてきた遺産を大切にし、自然との調和、町並みと流水のバランス等を考慮し、昭和五十二年度より七ヶ月にわたり金山大堰の改修工事が施工されたのである。全長約二粁五百米、総工費二億三千五百万円を投じ、いまや新しい装いのもとに再び、ふる里として人々に親しまれている。 平成七年八月 金山町」

 きれいな水が緩やかに流れています。音を聞いているだけでも安らぎますよ。

 さらにつづく・・・・。
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足湯

2008年09月16日 22時11分49秒 | 歴史探訪(山形県内)
 福島県小野町での音楽鑑賞教室の帰り道は高速道路を福島飯坂ICで降り、国道13号(栗子峠)で山形に入りました。少し遠回りして南陽市民会館のそばにある足湯に寄って来ました。山形県内には無料の足湯が楽しめる場所が数多く有り、実際に入湯してみると足湯の多大な効果を実感出来ます。

 この足湯の場所に有った説明書きを記します。

~赤湯温泉の由来については諸説あります。平安時代後期八幡太郎義家の弟義綱が傷をおった戦士を湯にいれて治したという寛治七年(1093年)の説。鎌倉時代初期、二色根薬師寺と弘法大師、そして米与惣右衛門が登場する正和元年(1312年)説などがあります。~

 この足湯には飲泉場もあってお気に入りです。足から腰まですっかり軽くなりました。
     

 気分が良くなったついでに、お気に入りの喫茶店「田園」でカレーライス&アイスコーヒーを堪能してきました。

 明日は須賀川です。
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巨海院

2007年11月04日 17時20分03秒 | 歴史探訪(山形県内)
 山形響のスケジュールが変更になり、今日は休みになったのでゆっくり休日を楽しむことにした。近所の巨海院に行ってきた。歩いて3分位の所にあるのだが、一度も行ったことがなかったので訪ねてみた。

 左沢藩主酒井直次の菩提所である巨海院の表門をくぐると両側に笑った石像が何体も並んでいる。表情は大笑いをしているのが多く、見ていると面白い。
     

 その石像の間を抜けると右手に鐘突。この地区の除夜の鐘は、ここから聞こえてくるのか。
     

 そして山門。
 江戸時代初頭に築城された左沢小漆川城の大手門で、慶安元年(1648)頃に、巨海院へ移築されたと伝えられているそうで、直次と夫人の墓、山門は、町の文化財に指定されている。両側の金剛力士像も覗くと見ることが出来る。
     

 地元に歴史あり。まだまだ訪ねたりない。
休日の〆は、舟唄温泉しかないでしょう!
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ぴの子とドライヴ

2007年09月24日 18時12分11秒 | 歴史探訪(山形県内)
 明日からの山形市合同音楽教室リハーサルが中止になったため2日連続休養日(奇跡的!!)。
私が住んでいる大江町は面白い地名が多くある。左沢(あてらざわ)、顔好(かおよし)など。今日は、車で約10分の十八才(じゅうはっさい)の道の駅(産直販売所)まで、ぴの子と行った。
     
道の両側の田んぼには、刈り取りをするスーパーファーマーの人々を多く見かけた。収穫の秋真っ盛りといったところ。

 休日となると観光客のみなさんが、柳川温泉などに行くため残念ながら産直にもあまり品がない。いつもなら新鮮な野菜などが積み上げられているのだが。この小倉交流館内には、歴史資料館などもある。駐車場の立て看板には以下のように書かれている。

     
「本郷西地区の地誌~この地区には橋上遺跡などに見られるように、先縄文(約1万年前)・縄文時代から人々が住んでいた。
 平安時代は、藤原氏の寒河江の荘であり、赤祇春日(あかぎかすが)神社がまつられた。また、前九年・後三年の役の伝説も伝わっている。
 鎌倉時代は、大江氏の所領として、各地に城跡が見られ、十八才には、家臣の清野玄蕃(せいのげんば)がいた。
 小釿(こじゅうな)には、慈恩寺の寺領があった。
 江戸時代には、月布の大泉市左右衛門が豪商として活躍した。この時代に、北堰・南堰の水利工事が行われた。また、この地区を三山行者が数多く通った。
 現在、小釿には、樹齢1.200年余を数える榧の木があり、県の天然記念物に指定されている。平成14年1月 大江町教育委員会」

 自分の住んでいる大江町各地に歴史あり、まだまだ行かなくてはならない所も多くありそう。この秋の楽しみにでもしようか・・・・。
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