大相撲大阪場所(コロナ渦で今年は東京両国国技館開催)が、終盤にさしかかっています。
いつものように、BS放送からNHK総合テレビまで、放送される全番組を録画して、三段目戦から(先場所は休場者が多かったため、一部序二段戦から少し見ることが出来ました)幕の内の取り組みまで、見ています。
解説者の方々が「稽古場で出来ない事は土俵の上では、出来ない」と稽古の重要性を話されることが多いです。
今日は、大相撲の話では無いので、このへんで終わりにします。
毎日のように、ヴィオラを練習していて思うのは、練習で出来ない事は本番では出来ないとあらためて思います。
神のみぞ知る〜と本番の一発勝負に出なくてはいけない箇所が、楽譜上にいくつか存在すると、全体の演奏も停滞してしまいます。だから個人練習でクリアしておくことが重要なのでしょう。
ヴィオラを演奏する事が、大相撲の力士と違うのは、力みはいらないと言うことです。
楽譜から音楽を紡ぐ過程で、力みは大きな障害になることもしばしば。
若い頃は、自分の思いの丈(力み??)を出す音に乗せる作業がメインでしたが(私個人の見解です)、最近は、自分の陳腐な思いの丈を乗せるなど烏滸がましいとさえ思い始めました。次々現れる楽譜上の指示を表現するだけでももの凄い労力です。音符を並べるだけがメインで、楽譜上の指示を犠牲にしているような演奏はあまり好みません。
他のプロフェッショナルな方々はどういう思いで演奏をしているのでしょう?少し中をのぞき込みたくなる時もあります。
特に最近は、自分の思いの丈は極力控えて、あくまでも冷静に演奏するように心がけています。(しらけながら演奏しているというのも違います)。
何も考えない自動的な演奏しないように、頭をフル回転させているのです。
若い頃は演奏していて、体が疲れましたが、今は頭が疲れます。
演奏が終わって、家に帰ると突然の眠気が襲ってきます。
長い活動期間を経て、その時々で、好みが変わって行くのは興味深いです。
(写真)大好きな五十番の酢豚。疲れた頭も喜びます。