未定が多いですが、決まり次第随時更新します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第94回 2025年2月6日(木)19時〜(開場18時30分)
後援:ワラヤ酒店・(公社)山形交響楽協会
やまぎん県民ホール スタジオI:ゲスト〜土屋愛菜(Ob)
・B.ブリテン 幻想四重奏曲 Op.2
・團伊玖磨 弦楽三重奏曲
・W.A.モーツァルト オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370(368b)
未定が多いですが、決まり次第随時更新します。
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第94回 2025年2月6日(木)19時〜(開場18時30分)
後援:ワラヤ酒店・(公社)山形交響楽協会
やまぎん県民ホール スタジオI:ゲスト〜土屋愛菜(Ob)
・B.ブリテン 幻想四重奏曲 Op.2
・團伊玖磨 弦楽三重奏曲
・W.A.モーツァルト オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370(368b)
今月23日早朝に、私へ最初にヴァイオリンの構えかたを教えてくださったI先生がお亡くなりになりました。
元々旦那さんが、兄にヴァイオリンを教えていて、それを引き継いだ形で教えにきていただいていたのでした。
ご夫婦で、仲間達と東京で某オケを立ち上げ、活動の合間、長男のG君は私と同じベビーベットに入れられ、よく預かっていたそうです。
山形に来てからそのG君と何十年ぶりに再会しましたが、お互い親に聞かされていただけで、妙に照れて「どうも〜〜〜」程度であまり話すことができませんでした。
学生の時にI先生が立ち上げたオケにエキストラに行き挨拶をした時、とても驚きながら喜んでくれたのを覚えています。
そのG君も数年前にお亡くなりになり、I先生は、東京のオケを辞めてから東京や山形での活動を精力的に行なっていました。
体調がすぐれないとの話を風の噂で聞いていましたが、天国への階段を上がってしまいました。
人生かけて、音楽と家族・仲間たちへ奉仕し続けたI先生をとても尊敬していました。
今頃、旧友と再会してアンサンブルとかしているのかしら。
I先生ありがとうございました。
ご冥福をお祈りしています。
7月15日(月)14時〜山形市民会館小ホールにて・・・。
お肉五重奏団の演奏会がございます。もしかしたら鬼五重奏団かもしれません。詳細は知りません。
こうやって最近は、山形響の団員〜若手・中堅・ベテランと活発な室内楽活動が県内及びその周辺で行われることが頻繁になって来ました。
私達が山形弦楽四重奏団を結成した2000年頃は、ほぼ継続活動しているのは、私たちのみで、第1回の定期演奏会のプログラムで県内を音楽あふれる街にしたいと大それた事を挨拶で書いたのを覚えています。
25年経って、ようやくその雰囲気が出て来ましたのは大変喜ばしい事です。
さて、お肉五重奏団のメンバーには山形Qを手伝ってくれる川上氏、小松﨑氏そして最近共演増加中の土屋氏など参加しています。
お好きな方是非どうぞ!
プロの木管五重奏団の演奏会はまだ少ないですから。貴重です。
5日間にわたる井上道義氏との定期演奏会が終了しました。
元々終わった事を言葉で表現するのが苦手なのですが、今回は特別。
とても幸せな5日間でした。リハーサルの3日間も全ての時間楽しかったし、ゲネプロ・本番2日間もマエストロに釘付けでした。
過去の日記を調べて数えてみたら、(ほとんどフリーの時)今回で43、44回目の本番共演だったようです。
色々なオーケストラで色んな曲を色んな場所で演奏させてもらいました。
今回の共演では、年間100回以上本番やっているのに、今日は特別と思えるのは1500回に一回あるかないか・・・今回はまさにそれだよね!と某同僚と話していましたっけ。
12月で指揮活動から引退されるという事ですが、許すならばC.クライバーの様に、体の調子が良い時だけ、気分が乗った時だけでも演奏活動を続けてほしいと思う次第です。
王貞治氏や千代の富士のような余力を残しながら、かっこいい去り方をするのかなと察しますが・・・・・。
私が学生の頃に活躍していた指揮者の方々がどんどんいなくなってしまっています。
アマチュアオケをあまり振らずに、プロオケに行かないと会えない指揮者さんたちと随分共演しました。
自分より年下の指揮者さんの方が増えてきているのは、少し寂しい気もします。
家にあるものを少しずつ整理しようとしています。
先日、奥様所有の大量のコピー譜(エキストラに行く時などに頂くものが、結構溜まります)を整理していたら、古いチラシが目にとまりました。
武蔵大学管弦楽団・第36回定期演奏会のチラシ。
奥様は学生の時に、私の母校にエキストラに行っていたようです。(私はこの演奏会は出ていません)。
武蔵大学と武蔵野音楽大学は、同じ江古田駅の南と北(他日本大学芸術学部)。
昔から武蔵野音楽大学の学生さんがエキストラに来る事がありました。
私と奥様は、私が山形に来てから知り合ったので、大学は一緒ですがその当時は全く知り合いでありませんでした。
自分の母校に少し奥様が関わっていたことに「ヘェ〜」でした。
Ludwig van Beethoven は、1827年3月26日に亡くなった。
200年ほど前に亡くなった方が作曲した曲が、未だに世界中で演奏される、録音される、使用される・・・・・。
演奏すると、その難しさに鼻血を出しそうになる事しばしば。
自分のわがまま放題を譜面に書き下ろしているのに、なぜか人の心を打つのが不思議。
弦楽四重奏曲〜特に後期と言われる第12番以降の作品には、同時代の人の理解を遥かに超える現代の人にさえ困難な楽譜。
それでも弦楽四重奏というジャンルに携わってきて、何度でもその山を登りたくなる。
そして、何度も谷底に落とされる。
いつかまた、集中してその山に、登ってみたい。
本日のクァルテットリハーサルを持って、今年全ての演奏活動が納まりました。
今年は、スケジュールが見るのも嫌になるほどの埋まり方で、秋口に新型コロナのおかげでお休みをいただいたくらい・・・・。
とにかく何かを考える余裕もなく、毎日明日はどこへ、明日は何を?が続きました。
来年の活動の事を考える余裕はございませんが、なんとか気持ちに余裕を持ちながら活動を続けていけたらと思っています。
やっと明日からお休み〜約1週間くらい〜の間に英気を養って、準備と休息をしたいと思っています。
今年お世話になった方々ありがとうございました。
日常的に、演奏することが生業で、「元気づけられました」「癒されました」と言われる事がある。
演奏家は出す一方で、なかなか我にパワーをもらったり癒されたりの時間を持つ事はとても貴重。
東京などの大都会だと、時間があればどこかで世界の誰かの演奏を聴く機会が多かった。
以前より山形にも世界的奏者は来るのだが、一緒に舞台に立ってしまうことも多い。
単独で来ても、その日は業務の日である事が多く、なかなか演奏会に行くこともままならないのだ。
本日より、山形響長野県松本公演のリハーサルが始まった。
終了後、軽く夜ご飯を食べ、山形テルサへ。
先ほどまで共演(リハーサルを一緒にしていた)していたバボラーク・アンサンブルの演奏会に行った。
美しい音色のモーツァルトを前半に後半ブラームスを聴かせてもらった。
久しぶりに右脳全開〜要するにウトウトしながら夢ごごちの気分になった。
良い音楽には、人を癒す力がある。
明日から頑張れそうだ。
50年以上、山形県の文化を支えてきた旧山形県県民会館の跡地が更地に整備されていました。
数々の演奏会やライヴ、演劇、講演会、集会など行われてきていた県民会館は、老朽化に伴い山形駅前のやまぎん県民ホールにその役割がシフトされました。
以前は、山形響も定期演奏会を行なったりしていた時期がありましたので、本当に何十回もその舞台に立ちました。
この土地には新しい山形市民会館が建つ計画がありますが、どのような建物が建つのかまだよく分かりません。
長い間市民、県民に愛される良い施設ができて欲しいです。
あの演奏会、この演奏会も・・・・夢のまた夢。
本日は、山形響定期演奏会ご来場いただきありがとうございました。
最後の曲の第4楽章始まりすぐに、1pultの方の弦が切れて、自分の楽器と交換し、舞台上から去りました。
切れた弦を新しい弦に交換し終わった頃には、曲の最後の緊張感ある箇所だったので、舞台復帰せずに、カーテンコールだけ出てもなんだかなぁの自己判断で、個人的早退させてもらいました。
本番後、送迎挨拶に出たら「体調大丈夫ですか?」と多数の人に聞かれて、ご心配かけましたが、体調ばっちり!
明日の本番は、おそらく最後まで舞台上にいると思うので・・・こればかりは祈るばかり・・・・・。
それではまた明日!!
今週、山形響は月〜木まで天童市市民文化会館に通っています。
市内の小中学生の一部の児童・生徒のための音楽鑑賞教室のためです。
天童市市民文化会館は、1974年10月の開館ということで、約50年間、市民の文化活動を支えてきたのだと思います。
私もジュリアード弦楽四重奏団など多少演奏会に足を運んだり、もちろん演奏会などで何度も舞台に立ってきました。
私が山形響に入団した25年前は、山形市民会館・旧山形県県民会館・古い鶴岡や酒田の会館に比べて、使い勝手や音響の良い方のホールという認識でした。
ところが山形テルサ・やまぎん県民ホール・荘銀タクト鶴岡・希望ホール・響ホール・伝国の杜など県内に音響の良いホールが多く開館したために、一気に老舗ホールになってしまいました。
一時期は雨漏りや、空調などの問題が目立つようになっていましたが、改装したらしく、完全とは言わないまでも随分新しい感じにリニューアルしています。
一階の廊下〜会議室・トイレなどのあたりが一番キレイになったかも。
まだまだ市民の文化活動のためにフル回転してもらいたいものです。
本日1月14日は、Ludwig Alois Ferdinand Ritter von Köchel(ルートヴィヒ・アロイス・フェルディナント・リッター・フォン・ケッヘル)さんの誕生日です。
ケッヘルさんは、1800年1月に生まれ、1877年6月3日に没しています。
ケッヘルさんて誰だよ!!
W.A.モーツァルトという偉大な作曲家を知っているでしょう?
ケッヘルさんは、ケッヘル番号という整理番号でモーツァルトの全作品目録を出版した人なんです。
自身作曲家でもあったケッヘルさんの作品は今日ほとんど演奏されません。
しかし、モーツァルトという他人の作品の目録を作るということで、歴史に名前が残りました。
モーツァルト自身が作った作品目録は200曲弱しかなく、ケッヘルさんが全作品を網羅させたため、モーツァルト自身が作った作品目録に載らなかった作品の散逸を防いだという未来の音楽界にとって多大な貢献をしました。
ケッヘルさんの最初の全作品目録の中には現在では偽作と疑われている作品などがあったために、のちに発見された作品を足したり、偽作を省いたり、目録は何度か改訂されています。
作曲家や演奏者以外でも音楽界に多大な足跡を残した人がいるのだと改めて思うと共に、彼の誕生日を祝いましょう!!
毎日、お仕事だけに追われているのが嫌な気持ちになってきて、お仕事から離れて出来る趣味はないじゃろか?と思っていました。
読書もいい気分転換になるのですが、もう少しのめり込める趣味を探していた時に。
若い頃にやっていたギターを弾こうと思ったのでした。
結局音楽から離れる事はなかなか難しいようです。
しかし、本業に支障が出るようではまずいので、左手の指先を変形させるエレキギターとフォークギターは、定年後のお楽しみということで、楽器には眠ってもらいました。
クラシックギターやベースギターなら左手に変形(溝や皮が剥けるなどの支障)は起きずらく出来そうな気がします。
何十年も弾いていなかったので、チューニングの仕方(ヴィオラは五度チューニング、ギター類は四度チューニング)に若干戸惑いがあったものの、すぐに体が覚えている事が出来る様になってきます。
アンプに繋げなければ、ベースもうるさくないですし、クラシックギターなら心地よい音色が流れます。
本業からの逃避に使えそうな趣味でした。
鶏卵が物価の優等生と言われる事があります。
久しぶりに、ギターのピックを購入しました。ピックとは、弦を弾く道具で、必要としない奏者も多くいます。
それこそ35年以上ぶりにピックを購入したのですが、私が小学生の頃からほとんど値段が変わっていません。
一枚100円以下だったものもありましたが、今でも100円ちょっと。
写真の2つでも220円ほど。
お店のピックケースの前に行って、色々なピックを見ながら急に昔を思い出したり・・・・ワクワク。
演奏家現役の間は、趣味で指を痛めないようにピックの使用に思い当たりました。
VIVA 趣味の世界!!