昨日に続いて、もう一つの想い出深い街の駅の話。
母の実家が、武蔵高等学校の正門の並びにあったので、子供の頃からよく遊びに行っていました。庭にあった柿の実の甘さを今でも思い出します。母の母は、私が生まれる直前に50代で亡くなってしまったので知らないのですが、母の父は菊作りの名人で、庭に菊の鉢がたくさんありました。この祖父の影響から大相撲を見たり競馬中継を見るようになったのです。余談ですが、私の親戚一同で髪が薄いのは私だけで(親兄弟はふさふさ)、この祖父の血を濃く継いでしまったようです。www。本当に良くかわいがってもらいました。南口の駅前にマクドナルドが出来た時に、人生で初めてハンバーガーを食べたり、シェークが甘すぎて飲めなかったり色々な想い出がありました。
祖父が亡くなり、母の実家を継いだ母の弟は、他の場所に家を建てたので(江古田界隈ですが)、その後少し行かない時期がありましたが、江古田と再び縁が出来たのは、南口の方の武蔵大学に入学してからです。(上の写真は)は厳密に言えば、私が武蔵大学にいた頃の写真ではありません。私の頃は自動改札も無く、駅の黒板にオーケストラサークルの連絡をやりとりしていたくらい今よりアナログでした。
武蔵大学時代は、それこそオーケストラサークル以外は、ほぼ24時間遊んでいました。今では想像も付かないほど寝ないでひたすらに遊んでいました色々と。
何を血迷ったか音楽の道を目指すようになり、武蔵大学は中退後〜駅の反対側の武蔵野音楽大学へ入学しました。(当時は1・2年生は仏子駅でした〜入間校舎)。
この階段の反対側にドトールコーヒーが出来て、彼女がバイトしていましたっけ。迎えに行ったり懐かしい想い出がたくさんあります。ちなみに江古田にはもう一つ日本大学芸術学部もあって、秋の文化祭の時期など相互交流もあって、書き切れないほどの出来事がありました。
このように学園都市ですので、日本中に江古田を懐かしく思う人がたくさんいると思います。青春時代の街です。
子供の頃から学生時代までに通ったお店も多く無くなりました。想い出に残っている街の風景(例えば北口の市場など)は無くなってしまいましたが、昨日も書いたように、東京へ戻っても昔の風景は無く、「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・・・。」いつまでも心の中に残っているモノなんですね。
昔は、西武線の特急・急行・準急を各駅停車電車は待つ駅でしたが、お隣の東長崎駅にその役割が移されていたのには、数年前に吃驚しました。
江古田については、いくら書いても書き切れませんが、本日はこれまで。