らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

山形Q 第30回定期演奏会終了。

2009年01月31日 23時31分03秒 | 山形弦楽四重奏団
 本日はあいにくこの冬一番の大雪になってしまいました。

 お昼から会場設営の仕事に雪かきが加わり、少々疲れました。相変わらず遅刻魔の私は、雪かき頑張りました!笑。

 午前中から、あれよあれよと雪が積もりお客様の入りが心配でしたが、ありがたいことに多くのお客様で文翔館議場ホールが埋まりました。

 今回の定期演奏会は、第30回という記念(自分たちにはさほど記念ではなく・・・。まだ続きますからね)でしたが、なんと言っても委嘱作品の

 幸松肇 弦楽四重奏のための最上川舟唄の初演でした。

 幸松肇氏から(前日から上山の方にお泊まりになり)ゲネプロの時間に熱く!!指導してもらいました。
     

 譜面上の疑問点や音楽的に?マークの所を全て解消してからの本番でした。

 作曲者から直接指導してもらえた事は、貴重な体験でした。だんだん音楽が変わっていくのを自分たちでも感じながら、小1時間くらいでしたけど、幸せな時間を過ごせました。感謝!!

 本番終了後に舞台の上で一緒に写真を撮りました。が、少々ピントがずれています。すみません。
     

 恒例の打ち上げでも、話に花が咲きクァルテットマニア談義がとても楽しかったですよ。

 今回も昨年の宝泉寺での演奏会に続いて、埼玉から昔の生徒Mさんが聴きに来てくれました。中爺君の大学の後輩でもあります。少ししか話せませんでしたけど、こちらも楽しい時間でした。
     
 また会ってお話ししましょう!Mさん!

 本日は、演奏中に指がつるというハプニングもありましたが(駄目ですね・・・)、総合評価としてはものすごく楽しい一日でした。

 それもこれもいつも変わらぬ応援を続けてくれているお客様のおかげでもあります。

 山形Qに関わってくれた全ての人に感謝を申し上げまして、私の総括とします。

 また次回第31回からの定期演奏会もよろしくお願いします。感謝!!!
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最上川舟唄を初演

2009年01月29日 23時20分53秒 | クァルテット
 山形Qの第30回定期演奏会まであとわずか・・・・・。

 当ブログ版~演奏会フォローアップ曲目予備知識講座(長いな前置きが・・・・)も終了に近づいています。

 第30回のプログラムの中、ハイドン&ベートーヴェンの拙い解説は既に終わりました。

 最後に、幸松肇氏の曲について少しだけ書いておきます。

 まずその曲のタイトルがCDによっても若干違う(何でだろう?)~弦楽四重奏のための4つの日本民謡第1番~さんさ時雨・ソーラン節・五木の子守唄・茶っきり節~からです。

 現在この曲のCDは、山形響の元コンサートマスター執行君も参加しているYAMATO Qの全集が出ています。そして、さんさ時雨・ソーラン節の2曲を収録したクァルテット・エクセルシオのCDもあります。

 中のブックレットに作曲者~幸松肇氏が書いた解説から引用すると、1978年に石井志都子氏が主催するクァルテットが演奏するのを目的に、(株)パイオニアから委嘱された作品だそうです。

 その委嘱の際の条件として、日本民謡を用いること、それぞれのパートが縦横に活躍する弦楽四重奏の見本のような曲を書く事という事だったらしい。

 弦楽四重奏博士と言われている幸松肇氏が考えたことは、まずコダーイやバルトークなどが、自国の民謡を採取して、その素材を元に現代的で独創的なハンガリーの音楽を確立してきたということだったらしい・・・。

 そこで、日本民謡を古典様式に基づいて再構成して、西洋器楽の音楽的表現に発展させて、例えば三味線の撥さばきなどの音をバルトークPizzcatoなどで表現した曲を作曲していったそうです。

 第28回定期演奏会で演奏した「弦楽四重奏のための4つの日本民謡第2番~八木節・南部牛追い唄・おてもやん・会津磐梯山」もそうでしたが、譜面の表紙には「編曲」となっていますけど、幸松肇氏の「作曲」作品に間違い無いと私は思います。

 日本民謡にただ和声付けをして、平和に終わるような曲でないのは、何回も演奏してきて理解しているつもりです。

 聴く人も演奏する人も楽しい曲なのは、珍しいことです。日本民謡を素材にしながら現代的な響きがするのに、どこで演奏してもお客様が喜んでくれます。

 日本人の心に直球を投げるような曲なのでしょう。東北という民謡が盛んな土地だから・・以上に作品に力があるからと考えています。それを証明するように外来団体~例えばスメタナQやヴェルターヴォQなどが、日本公演のアンコールピースとして採用して何度も演奏を積み重ねてくれたそうです。

 その後、幸松肇氏は第2番・2000年には弦楽四重奏のための「讃歌」という曲を書き上げます。

 「~讃歌」は3楽章構成になっていて、各楽章にイメージした作曲家の名前が付いています。例えば第1楽章は「ドビュッシーとラヴェルに捧げる墓碑銘」などなど・・・。

 最近、この「~讃歌」を校訂したそうです。いずれまた、山形Qで演奏する事にしましょう。

 ~~~~~~~~ ( ̄ー ̄vー00〇 休憩中 ~~~~~~~~~~~~~

 そして、山形民謡がない~~~~!と恐れ多くも幸松肇氏に言ってしまった山形Qのために2008年に書いてくれたのが、「弦楽四重奏のための最上川舟唄」です。久しぶりの弦楽四重奏のための民謡素材曲です。

 譜面が送られてきて、タイトルに「山形弦楽四重奏団のために」と書かれていたのを見たときには、正直バンザイと涙が出そうになりました。笑。

 今回の第30回の定期演奏会で演奏するのは、もちろん世界初演です。作曲者本人から大げさになるので「日本初演」という事にして欲しいと言われましたので、「日本初演」ですが、紛れもなく「世界初演」です。

 山形の重要文化財の文翔館議場ホールで、「ヨ~エ サノ マッガショ エンヤ コラマ~ガセ」と流れるのです。本番を思うと今からわくわくしてきます。もちろん私達は歌いませんよ。あしからず。

 幸松民謡ワールドをお楽しみください!

 全てに感謝します!

 
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山形Q第30回定期演奏会にむけて、あれやこれや

2009年01月28日 23時50分57秒 | 山形弦楽四重奏団
 2009年も既に約1ヶ月過ぎようとしています。時が経つのが速いです。くしゃみをしている間に春がくるかもしれません。

 1/31(土)に山形弦楽四重奏団第30回定期演奏会が行われます。もう30回なのか、まだ30回なのか?自分たちで判断できませんが、継続できていることは良いことです。

 定期演奏会までは本業のオーケストラもお休みで、このわずかな期間だけでも弦楽四重奏のメンバーとしてだけ過ごせることを大変幸せに感じています。半分本音。

 1/24日の山形新聞夕刊で、定期演奏会のための記事が大きく出ましたし、その他、朝日新聞さんなどに週末の予定ということで演奏会の案内を載せてもらえることになりました。何回も言っていますが、地元のメディアの皆さんには大変感謝しています。

 Web上でも私達の事を書いてある記事がありましたので勝手にリンクしておきます。

 まずよく当ブログにコメントをくださる~酒田フィルのフルーティストKさんのブログです。彼は、お医者さんでもあります。今まで、お医者さんでチェロを弾くという人によく出会いましたが、山フィルにもヴィオラを弾くお医者さんがいるし、医学と音楽というのはくっつきやすいのですかね??私は手塚マニアですので「ブラックジャック」は好きですけど。笑。

 そういえば私の師匠U.Koch先生もレッスン中に「私はここだけの話、若い頃はヴィオラ奏者ではなくて医者になりたかったんだよ」という話を聞いたことがありました。兄弟でお医者さんになっている人もいるそうですし・・・。

Kさんのブログ
山Q

そして、弦楽四重奏をおっかせさせたら右に出る人はいない?音楽ジャーナリストやくぺん先生こと渡辺和氏のブログ
SQ博士の新作初演 [弦楽四重奏]

 私が池袋、5才年下の中爺君が目黒、更に5才下の委員長君が千葉、一応女性(なので年齢は非公開)のだちゅ嬢が秋田から集まってきて、ここ山形で弦楽四重奏というジャンルに没頭しています。私や中爺君から見れば、山形は未開の土地か?~大げさですが来る前はそういう印象がありました。東京の人から見れば、山形で何をしているのか興味のないことで、例え知りたくてもその方法も無かった時代から考えれば、関東の中心で活躍している幸松肇氏に曲を提供してもらい、音楽ジャーナリストに記事にしてもらいなんてことは、インターネットが発達した今だから行われることかもしれません。

 もう一つ思い出しました。東京から帰ってきただちゅ嬢が、林光先生から弦楽四重奏の譜面をゲットしてきました。林先生の曲かっこいいですよ!予定では来年の1月の定期演奏会でやる予定です。さぁてどの曲演奏しようか・・・・。

 ふむふむ・・・弦楽四重奏曲「レゲンデ」・・・・。

 ニューアーツ弦楽四重奏団が初演しているじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~!!

 平尾先生にレッスンしてもらおう!

    ̄(= ̄ー ̄=) ̄ うさニヤリ♪

 すべて人との繋がりがもたらしてくれたものです。全て大切にしていかなくてはいけませんね。

まずは30回の定期演奏会にご来場ください。
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山形響ユニオン第31回定期総会

2009年01月27日 21時18分10秒 | 山形交響楽団
 昨日は、山形響ユニオンの第31回定期総会がありました。

 ユニオン??

 我々音楽家にも所謂労働組合というものがあります。全国のプロオーケストラ札響~九響まで労働組合があるオーケストラの方が多いように思います。

 音楽家と言っても社会生活をしない仙人のような芸術家ではなく、ちゃんとした会社に勤めている労働者なので当たり前と言えば当たり前のことですが。

 以前は、声高らかに待遇改善などを春闘などで訴えたりしていましたが、現在はこの山形響という会社をどのように理事会や協会・我々現場の演奏者全員で、維持発展させてゆくか?楽団員側の考える組織に変化しつつあります。

 しかし、残念ながら楽団員全員の参加には至っていません。

 この世界的経済状況の中で、山形響でも乗り切っていくためには誰か?ではなく、そこに関わる人全員で知恵を絞らなくてはならない時代になっていると思います。

 差し迫った大きい問題は、山形響の場合無いものの、仕事の営業関係・楽団員の待遇・将来の保証など山積みになっている問題はたくさんあり、どれから手をつけていったらいいか?労使双方思案しているところです。

 昨日の総会では、今までになく(と言ってしまっては駄目かもしれませんが)今後の長期的な道筋がおぼろげながら見えそうな有意義な話し合いが持てた総会でした。

 新しい役員の下、みんなで(楽団員全員)更に山形響を盛り上げていきたいと思える内容だったと思います。

 不景気は気分でぶっとばせ!!
 
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マニアックかなぁ?

2009年01月26日 16時54分12秒 | お気に入りのCD
 1月の怒濤の忙しさがやっと落ち着き、後は個人レッスンを見るのと1/31(土)の山形Q定期演奏会に全力投球です。

 やっと昨日、地元の舟唄温泉に行くことが出来て2008年の垢を落とせました。

 以前、vigo-FMに出演したときにとてもお世話になった鈴木義孝氏率いる「合唱団じゃがいも」に多数委嘱作品を書いてくださっている林光氏のCDが来ました。小学館発売の20CDに豪華本まで付いている「林光の音楽」全1巻という物です。

 40000円を越す値段に、家の奥さんはまた呆れ顔・・・・・・・。

 (>▽<;)ゞぽりぽり

 邦人作品に関心がある方だとは言え、作品的には少ししか知らない林光という作曲家のCDボックスを買うのは正直勇気が必要でした。

 しかし、クァルテット・エクセルシオの新録音が入っているし・・・・。

 合唱団じゃがいもには、山形QのVn2人は何回もお世話になって、林光氏本人と共演して対面しているし・・・・。

 発売してからしばらく経つけど、長く聴いてみたいと思い続ける気持ちが変わらないので購入してしまいました。

 まだ室内楽を中心にしか聴いていないけど、良い感じ。

 普段聴くことがないような楽器や編成の曲をこれから楽しんでいきます。

 o(〃'▽'〃)oあははっ♪

 NHK大河ドラマの「花神」や「国盗り物語」「山河燃ゆ」などの音楽もはいっていました。 当時良い曲だなぁと聴いていたのは林光氏の音楽だったのですね。ほぉお~~~。 

 貧乏人に逆戻り・・・・。良いんです。マニアックですから。
HMVジャパン
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ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」まとめ

2009年01月25日 23時47分19秒 | クァルテット
 少しかっこつけて、仰々しく書き始めた記事があまりにも枝葉の話に行き過ぎて、本当に言いたいことからどんどん外れてしまうのが、B型の私の悪い癖だ。話し出したら関連事項でどんどん別の話題になってしまう。

 と言うことで、今回の記事もこのままでは演奏会までに終わりそうもないので強引に、幕引きにしたいと思う。

L.v.ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」

 まずはデーターから
 第1楽章 Intoroduzione.Andante con moto~Allgro vivace 3/4・4/4
 第2楽章 Andante con moto quasi Alleguretto 6/8
 第3楽章 Menuetto Grazioso 3/4
 第4楽章 Allegro molto 2/2

 「ハイリゲンシュタットの遺書」事件からベートーヴェンが立ち直り、「傑作の森」と言われる時期に入った頃にこのラズモフスキー~作品59の3曲を作曲したことは既に書いた。第1番の第2楽章冒頭のチェロだけがBの音だけを3小節演奏して始まるところがある。シュパンツィク弦楽四重奏団のチェリストのロンベルクは、「自分の演奏の間違いだと思われるし、馬鹿にしているのか?演奏不可能だ!」と言って譜面を床に叩きつけたそうである。一番の理解者シュパンツィクでさえ、この曲をベートーヴェンの冗談音楽だと思っていたらしい。

 その反応としてベートーヴェンは、当代随一と言われていたシュパンツィク弦楽四重奏団のメンバーに対して「レベルの低い君達のために作曲したのではない!」と切って捨てたそうである。

 この事は、ハイドンに影響を受けて作曲された~作品18の6曲の後、遺書を書いて自分の死を意識したベートーヴェンが、己が信じる道だけに歩み出した証拠になる出来事かもしれない。

 実際、ラズモフスキーの3曲は古今の弦楽四重奏というジャンルの中で不滅の作品っと言っても良く、その後の世代~現代に至るまで~に多大な影響を与えてしまった。今後もその地位は揺るぎそうもない。

 弦楽四重奏というジャンルにはまってしまった人達~まぁ山形Qのメンバーみたいな人達~にとってこの諸々のベートーヴェンの作品はまさに宝物であり、死ぬまでには演奏したい大きな山である。

 山形Qは定期演奏会でベートーヴェンを演奏するのは今回で9曲目で、ラズモフスキーは3曲目である。過去の演奏も含めて、演奏に満足はしていないが少しの達成感がある。もちろん今後も機会があれば演奏し続けて行く予定である。

 弦楽四重奏団を結成して、いつかは・・!と思っていた事がやっと達成するのである。今回の定期演奏会は色んな意味ですごいことになるだろう。笑。

 おあとがよろしいようで。チャンチャン。

 
 
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ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」つづき
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ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」つづき

2009年01月24日 18時48分35秒 | クァルテット
 山形Qの定期演奏会では来場してくださったお客様にプログラムを渡している。毎回メンバーの誰かがプログラムノートを書いているのだが、紙面のスペースの都合上だいたいは演目のさわりの部分しか書く事が出来ない。

 少しでも演奏会に来ていただける人の知識の助けになれば良いなぁと思って書いている。

 クラシック音楽はただ聴けば良いと私は思っている方だが、予備知識が有れば面白さも増えると思うので。

 さて続きを書く。

 前回の記事
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」

 の最後の方に出てきたI.シュパンツィクという人物はどんな人なのだろうか?今日は、そんな所を簡単に?書いていく。

 I.シュパンツィク(1776~1830)は、オーストリアのウィーン生まれ、没の大ヴァイオリニストだ。
 
 ラズモフスキー伯爵の義弟リヒノフスキー侯爵の公邸で毎週のように弦楽四重奏団の1stVn奏者として、ハイドンやフェルスターの作品を作者の目の前で演奏していたらしい。

 その後、ラズモフスキー伯爵に雇われて、そこでも世界最高の弦楽四重奏団を組織していた。ラズモフスキー伯爵もヴァイオリンを相当たしなみ、しばしばこの団体の2ndVn奏者として演奏した。

 ベートーヴェンの作品も彼の四重奏団の関与が多かった。1814年ラズモフスキー邸が火事のため焼失したために弦楽四重奏団の維持が出来なくなり、1816年にロシア~サンクトペテルブルグに居を移してベートーヴェンの作品をロシアに広めた後に、1823年に再びウィーンに帰郷した。


 しかし、第9交響曲の初演での金銭の問題や弦楽四重奏曲第12番の初演時の練習期間の問題などで、ベートヴェンとの関係が悪くなった。さらにその肥満体型と短い指のために晩年はVn技術が落ちたそうである。

 I.シュパンツィクの演奏家としての功績は、ベートーヴェンの作曲作業に力になっただけでなく、ウィーンやロシアにベートーヴェンの音楽を広める役割を果たした事だと言える。

 I.シュパンツィクを雇ったリヒノフスキー侯爵やラズモフスキー伯爵の趣味もあるだろうが、弦楽四重奏というジャンルへのI.シュパンツィクの功績(レパートリーの拡大・演奏法など)は大きい。

 さらにつづく・・・・・。
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ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」

2009年01月23日 23時59分23秒 | クァルテット
 本日から少しずつ「ラズモフスキー第3番」について書こうと思う。

 ベートーヴェンの父は、うだつの上がらない歌手として宮仕えしていたが、モーツァルト親子に嫉妬して自分の息子~L.v.ベートーヴェンに幼い頃からとても厳しい英才教育をしたそうである。

 いやいやここから書き始めると、またいつものように書きたいところまで行くのに時間がかかりすぎる。

 (((((((○`ε´○) ノ ワ~~プ!!

 L.v.ベートーヴェンは、38歳年上のハイドンや14歳年上のモーツァルトに影響を受けたと言われているが、私個人の意見としては、モーツァルトよりハイドンに強い影響を受けたと感じる。

 音楽学や楽理的な事は置いておいて、3人の作品をたくさん演奏してきたから思う事であるけど。

 ベートーヴェン初期の作品18の6曲は、まだハイドンの音楽の影響下から抜け出せていないが自分の音楽性とのMIXでかなりの迷いが音楽に現れている気がするのである。しつこいようだけど、偉そうに書いているけど全て私の意見であって、音楽学的に正しい事かどうかは別なので、あしからず。

 m(___ ___)m

 音楽家にとって耳が聞こえなくなるという恐怖が一つの要因になって、1802年「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。その後、ベート-ヴェンは不屈の精神で立ち直り、「ラズモフスキ-」の作品59の3曲は、所謂「傑作の森」と言われる時期を迎えてから書かれている。

 私が、クラシック音楽を好きになったときに、よくクラシック音楽愛好家達が普通に使う単語の意味が全然わからずにいた。会話していても「OOとはなんじゃぁ~~??」とよく疑問に思う事があった。こういう時ってかっこつけたいから、その場では聞けないんだよなぁ~~~。汗。

 この「ラズモフスキー」ってなんじゃ~?から今日は書こうと思う。

 ラズモフスキーというのは、当時ウィーンに駐在していたロシア大使の名前である。

 ラズモフスキー(1752~1836)
 ロシアのロマノフ王朝の第8代エカチェリーナ2世(1729~1796)~女帝の夜伽の相手だった歌手(ウクライナのコサック・ラムズ家出身)が、重要任務を果たした後に貴族の身分に取り立てられて、ラズモフスキー家を創設したそうである。

 このラズモフスキー家の四男が、ウィーンに大使として駐在してベートーヴェンに弦楽四重奏を依頼したことから、この作品59の3曲は、ラズモフスキーの第1番~第3番と言われる。

 ラズモフスキー伯爵自体がヴェイオリンを演奏する事が出来て、義弟のリヒノフスキー侯爵から譲り受けたI.シュパンツィク(名ヴァイオリニスト)を中心にレベルの高い弦楽四重奏団を雇っていた。

 その名弦楽四重奏団を念頭にベートーヴェンは曲を作曲したようである。

 つづく・・・・・。


 
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ハイドン 弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.50-6「蛙」強引に

2009年01月22日 22時49分11秒 | クァルテット
 ウィーン古典派の作曲家の関係について書き出したらきりがない。まだまだ登場人物が多くなるし。ここらで強引に「蛙」について書こうかと・・・。

 m(_メ_)m アヤマリマスヨ!!

 まずは、よく曲目紹介に書いてあるデーターから。

 F.J.ハイドン 弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.50-6「蛙」

 第1楽章はアレグロ・ニ長調・4/4
 第2楽章はポコ アダージョ・ニ短調・6/8
 第3楽章はメヌエット アレグレット・ニ長調・3/4、
 第4楽章はアレグロ コン スピリート・ニ長調・2/4
                     である。

 
 上記の譜例のように第4楽章は始まる。D線で押さえてとるAの音とA線の開放弦のAの音を移弦して2本の弦で演奏する。もう少し補足的に書くと、このタイで結ばれた音はスラー奏法で演奏する。このように隣り合わせの下の弦と交互に弾く演奏奏法をパリオラージュという。

 ただ同じ弦でAAAAAAと演奏するのとは違い、音色の違いが交互に出て、あたかも「蛙」の鳴き声のような効果を生み出す。この曲は、ハイドンがロマン派の作曲家の様に「蛙」をイメージして作曲したのではなく、そのテーマから「蛙」というニックネームが付いたのだ。

 最終楽章の第4楽章には全部のパートが所々で、この蛙の合唱を交互に演奏する。

 第2楽章でもバリオラージュでは無いが~2ndVnとVaが、1stVnの伴奏で同じように蛙風な鳴き声?を弾くところもある。ハイドンのユーモアが現れている曲だろう。

 山形Qはハイドンの全曲演奏を目指しているが、私が特に好きな曲集はOp.20とこのOp.50だ。定期演奏会も30回を迎えて、やっと演奏できる機会を得た。本番をとても楽しみにしている。

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不注意

2009年01月21日 23時17分13秒 | 雑記
 ネタ作りではありませんが、連日の疲れもあって少し注意散漫になっていたようです。

 家の階段を下りてきて、自室の部屋のドアの前で少し躓きました。

 その勢いで開いていたドアが勢いよく閉まり・・・。

 バタンッ!

 グシャ~

 気づいたときには血が飛び散ってました。

 そう、左手の薬指をドアに挟みました。(o。o;)うっ。

 ジ~ン

 ジ~ン

 ジ~ン

 ジ~ン

 ジ~ン

 特に弦楽器奏者は、左手の指の怪我には気をつけないといけないのに・・・。

 ジ~ン

 本当に痛いときは声も出ないものです。

 ひまし油をすり込んで、何とか痛みは治まってきましたが・・・・。

 本当に山形Qの本番も近いのに・・・。

 不注意でした。

 気持ちが弛んでいるのを神様が罰を与えたのかもしれません。ρ(・ω・、)イジイジ

 骨には異常が無いみたいなので、少し腫れるでしょうが、何とか演奏できるでしょう。

 痛みに強い体で良かったと思う瞬間でした。

 心配はご無用です。是非、山形Qの定期演奏会に足をお運びください。

 ヘ( ̄= ̄)ノ ういぃぃっす
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ハイドン 弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.50-6「蛙」つづき

2009年01月20日 22時50分46秒 | クァルテット
 ハイドンが弦楽四重奏曲集 作品33「ロシア四重奏曲集」を書き上げたのは、1781年~彼が49歳の頃と言われている。モーツァルトがその作品33に刺激を受けて「ハイドンセット」の6曲を書いたのが、26~29歳の頃。

 このロシア四重奏曲集を書くまでにハイドンは既に28曲もの弦楽四重奏曲を作曲していた。もちろん交響曲や別のジャンルの曲も作曲する中で、様々な実験をして行き着いたロシア四重奏曲を、自分より20歳以上若くて、大司教に首になった浪人作曲家モーツァルトに参考にされて自分より魅力的な作品を書かれてしまったのである。

 ウィーンで既に大作曲家として地位を気づいていたハイドンのショックは計り知れない物だっただろう。昔、映画「アマデウス」の中で、サリエリがモーツァルトにされた事に似ているかもしれない。モーツァルトは他人の語法を自分の中で完全に租借して、盗んできた(表現が悪いが)語法の元々の作品より魅力的に作品を書く天才だったのだ。

 ところがハイドンは映画の中のサリエリのようにモーツァルトに恨みを持つどころか、彼が死ぬまで友情関係を持ったのである。ハイドンは、包容力のある人間である。

 ハイドンはそこで腐ったりせずに作品42(1曲を残して現在紛失)、そして作品50を書き上げる。

 モーツァルトは真似の名人だったのだが、ハイドンはそこでモーツァルト風の作品にはしなかった。彼が広げた表現力を意識しながらも自分の音楽作品の熟成を駆使して書いたのだ。

 この後も、ハイドンは作品103まで全68曲を書き上げる。頂点作品76はまだまだ先だ。

 20歳そこそこで作曲家して認められて、晩年になるにつれて良い作品を書いていく大器晩成形の作曲家ハイドンは珍しいタイプかもしれない。

 つづく・・・。なかなか「蛙」について書けないなぁ・・・。

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取材受けました。

2009年01月19日 23時35分00秒 | 山形弦楽四重奏団
 本日、山形Qの練習日で山形新聞の記者の方が来て取材を受けました。

 第30回の定期演奏会を1/31(土)にむかえる事について、

 というより初演をする

 幸松肇 弦楽四重奏のための最上川舟歌

 についての取材でした。

 写真を撮ると言うことで・・・・・・・・。

 すっかり休日モードだった私は、髭を剃ってから撮影。

 いつ新聞に載るのかは未定ですが・・・・。

 演奏会前には載るそうです。

 地元メディア、ありがたいですね。

 記者さんも若い女の人で、久しぶりにウキウキしました。笑。
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第194回定期演奏会

2009年01月17日 23時21分15秒 | 山形交響楽団
 本日、山形響の定期演奏会でした。大好きな作曲家A.ブルックナーの交響曲にどっぷり浸りました。
また明日同じ本番があります。

頑張ります!

 (^^ゞ

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ブルックナー
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ハイドン 弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.50-6「蛙」

2009年01月14日 23時40分03秒 | クァルテット
 音楽史でほとんどの人が、ハイドン~モーツァルト~ベートーヴェンのラインを信じさせられている。信じさせられていると言ったのは、どうも織田信長~豊臣秀吉~徳川家康と同様に時代が移っていったと思っている人が多いことだ。

 しかし調べてみると、ハイドン(1732~1809)・モーツァルト(1756~1791)・ベートーヴェン(1770~1827)である。特にハイドンは長生きをして、生まれた時にはJ.S.バッハも生きていたし、亡くなったときはモーツァルトの死後20年近く経過していた。

 この3人のウィーン古典派の作曲家は、先人に一方的に影響を受けたのではなくて、お互いに影響を受けたといえる。ただベートーヴェンだけは年齢的にも若いので、一方的に先人の影響を受けたと考えられる。

 ハイドンは生涯弦楽四重奏曲を68曲残しているが、作品1・2の10曲、作品9の6曲、作品17の6曲、作品20「太陽四重奏曲集」の6曲、そして作品33「ロシア四重奏曲集」の6曲とこのジャンルで作曲をしてきて、作品33で1stVnが主導の作品ではなく4声部が対等の作曲を試みた。(今日から見れば1stVn主導的なのは否めないが)そしてソナタ形式の確立などそれ以後の作曲作品に多大な影響を及ぼす形式をあみ出したのだ。

 その作品33の四重奏曲の存在を知り、弦楽四重奏というジャンルに興味を失っていたW.Aモーツァルトが、早書きの彼にしてはじっくり腰を据えて数年かかって作曲された作品が所謂ハイドンセット(第14番~第19番)の6曲である。

 ここまでだとハイドンに影響を受けてモーツァルトが作曲したで終わってしまう。ハイドンに捧げられたこのモーツァルトの最高傑作集は、その後実はハイドンに影響を与えてしまう。

 つづく・・・・・。
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あと・・・・。

2009年01月13日 21時50分17秒 | 山形弦楽四重奏団
 本日、山形Qの練習日でした。

 今回の定期演奏会で、Beethovenの弦楽四重奏曲第9番を演奏する予定になっています。来年度はBeethovenに関しては、今のところ第1番と第10番を演奏する予定にしました。

 あと演奏していない曲は第5番・第12番~第15番・大フーガの6曲。

 1年で2曲位演奏しましょうと、以前メンバー会議で決まったものの・・・・。

 後期の作品ばかり残ってしまったようです。

 これからは、毎年乗り越えなくてはならない壁が高くなりそうです。

 楽しみも沢山あると思うけど・・・・・。

 どうかな・・!?
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