らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

「東国の雄」上杉景勝〜謙信の後継者、屈すれども滅びず を読む

2021年09月28日 23時59分59秒 | 読書

 この1ヶ月の就寝前のお供として読んでいました。

 この本を読んでまず感じたことは、武将の名前・氏の把握の難しさ。

 1人の人でも生涯に何度か名前を変えてしまうし、子供に恵まれなければ家を維持するために養子をもらうのは普通。

 誰の子がどの家を継ぐというのが実に理解しづらいのです。景勝自身も謙信の子では無いわけで・・・。

 大河ドラマとかでよく出てくる織田信長の家臣団の武将〜例えば柴田勝家・明智光秀・佐久間信盛・羽柴秀吉・丹羽長秀などは頭にすぐ浮かびますが、他の戦国大名の家臣団の武将を先にあげた5人くらいすぐに浮かぶのは、よほど歴史に詳しい人だけでしょう??人間相関図が複雑なのです。

 「武田勝頼率いる武田氏は、織田信長・徳川家康連合軍に滅ぼされました」と教科書的な知識はあっても実働した武将や誰が裏切って、誰が最期まで勝頼に付き添ったかまでは、なかなか知識がまわりません。たった3人で戦っているわけでは無いですからね実際は・・・・教科書に出てこない事実がたくさんあるのです。

 上杉景勝に関係した人物でいうと、上杉謙信そして直江兼続しか知識が無い人にとっては、かなり難しい本と言えるかもしれません。系図などもう少し詳しく載せてくれたら助けになったかもしれませんが、上杉の家臣団の人達一人一人の知識も追いつかず・・・・・・。

 越後の地名から会津の地名も難しさを大きくしているのかもしれません。話が進み米沢に国替えになってからはずいぶん楽になりましたので・・・。歴史は奥が深いです。

 あらためて、大河ドラマでも見てから、もう一度読まないと理解が進まないなぁと思った次第。

 

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胃袋は、変われない。

2021年09月27日 23時59分59秒 | 雑記

 若い頃の一人暮らし〜貧乏生活のせいで、とりあえず給料をもらい、近所の方々からも新鮮な野菜をいただいたり美味しい物を食べているはずなのに。

 もしお金持ちでも、フランス料理、高級割烹などには行き着けない自信が私にはあります。

 食生活って、なかなかグレードアップしないもので、小さい頃から食べていたり、青春時代に食べ慣れた物が一番美味しく感じてしまう・・・・・。

 年齢も重ねてきて、体に良い物を食べ続けようと思っていても、ついついインスタント食費、レトルト食品、ジャンクフードを食べたくなってしまうのは、永遠の貧乏胃になっているのかも。

 今でもお金持ちというわけでは無いんだけど。

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叔父の写真

2021年09月24日 23時59分59秒 | 家族・親族

 亡父の遺品の整理をしていると少し前に書きました。

 父親は写真好きで、父の兄〜東京大学農学部の教授だった倉田悟さんの写真も数多く大切に保管していたようです。

 倉田悟叔父は1978年に56才で亡くなり、現在は父達と共に東京練馬区高野台の長命寺に眠っています。叔父は生涯独身だったので、遺品のほとんどを亡父が引き取りました。

 ウィキペディアでも名前が掲載されているのですが、ネットを見回っても叔父の肖像という物が出てこないので、写真掲載します。

 時間が出来たら、ウィキペディアの記事でも分かっていることだけでも編集作業してみようかなと思っています。

 写真・・・・・亡父の兄(悟叔父)・・・・よく見ないと間違えるくらいよく似ています。

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1999年から

2021年09月23日 23時59分59秒 | 山形県

 私は、山形交響楽団に1999年に入団しました。

 入団した年に、やっと尾花沢新庄道路の毒沢仮出入口(現・川原子IC) - 新庄IC間が開通し、山形自動車道は、西川IC - 月山IC開通しました。庄内側は、庄内あさひまででした。

 当時の山形響は、学校訪問の音楽鑑賞教室を中心とした活動をしていて、学校の体育館が過酷な8月や晩秋から4月いっぱいまで、ほぼお休みのスケジュール。しかし、5〜7月、9〜11月半ばまでは、毎週月〜金曜日まで毎日2回の本番を行うという過酷なスケジュールでした。入団したばかりの時は、県内の交通に不案内だったので、山形市に住んで楽団のバスにほぼ100%乗車して、何だか分からないうちに学校に運ばれる生活をしていました。今より高速道路網がしっかりしていなかったので、揺れるバスで、一般道を走り、庄内などで本番があると毎日のように家に着くのは夜の19時頃、そして、次の日は朝早くまたバスに運ばれて行きましたっけ。当時のバスは、禁煙ではなく後部席の方でがんがん煙草の煙がたかれてましたっけ・・・・・。車で移動する団員もカーナビを所有している団員が少なく、地図を見ながら各学校へ行っていました。

 東京から引っ越してきて最初は山形市深町に住んでいて、周りには元気寿司とローソン、酒屋くらいしか無く、何か外食するほどお金も無く、少し歩いたところにミツマスというスーパーに行って食料を調達していました。ヤマザワさんは少しお値段が高めでしたので、余程じゃ無いと行くことが出来ませんでした。

 外食と言えば、今もあるとん八さんの激安とんかつ弁当や、七日町の中村屋さんという揚げ物専門のお店、旅篭町?の肉アベさんの定食をよく食べに行きました。あ、そうそう「なか卵」さんの牛丼もよく食べに行きました。ラーメン関係では、㐂伝とか会津っぽとか今の幸楽苑の系列店に行っていました・・・・。

 生活で言えば、インターネットは夜11時くらいからつなぎ放題になるテレホーダイを使って、離れてしまった友人達とチャットでやりとりしたり、掲示板に書き込んだりしてコミュニケーションを取っていましたっけ。今のようなSNSは有ったのかな・・・?

 上記のオケの業務以外は、山形弦楽四重奏団を作るまでは、それまでお世話になってたオーケストラにエキストラに行ったり、昔の友人達とクァルテットをやったり、実家に帰って友人達と飲んだりしていましたっけ。

 山形響の話に戻りますが、定期演奏会は音楽鑑賞教室が休みの時期の木曜日に年5〜6回行い、まだ東京大阪のさくらんぼコンサートは始まっておらず、庄内定期演奏会もまだ・・・。鶴岡も酒田も古いホールでしたね。その後、シベリウス交響曲全曲を演奏した現創立名誉指揮者の村川千秋先生が、常任指揮者を退任し、黒岩英臣先生が後釜のように首席客演指揮者〜常任指揮者、少し後に工藤俊之先生が指揮者になった頃です。まだ文翔館が工事中で、昔のYBCの建物内のホールで練習していました。

 まだ父が存命で、父や母、知り合いの音楽家からいつ東京へ戻ってくるんだ?みたいなことをしょっちゅう言われていました。自分の中では山形で頑張るぞ!と帰るつもりがほぼ無く生活していました。それから20年以上が経ってしまったのですね。

 なんて、懐かしがりながら、今日は書いてみました。

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山形響 第295回定期演奏会リハーサル始まる。

2021年09月22日 23時59分59秒 | 山形交響楽団

 残暑が続いています。

 さて、本日より山形響 第295回定期演奏会のリハーサルが始まっています。

詳細

第295回定期演奏会
2021年9月25日(土)19時・26日(日)15時開演
会場:山形テルサホール
指揮:広上淳一
クラリネット:川上一道・ヴィオラ:山中保人
・W.A.モーツァルト 交響曲第39番 変ホ長調 K.543
・A.サッリネン クラリネット、ヴィオラと室内オーケストラのための協奏曲 Op.91
・J.シベリウス 交響曲 第5番 変ホ長調 Op.82

 3ヶ月ぶりの定期演奏会。6月は東京大阪でのさくらんぼコンサートや8月は酒田での定期演奏会はありましたが、山形テルサは久しぶり。オッコ・カム氏が来日不可能になったので、約3年ぶりに広上淳一さんが指揮台に登場しています。話も面白いし、演奏者の興味をくすぐる話もするし、共演は誠に嬉しい限り。モーツァルトも山形響が作ってきた音楽とは、全く異なる解釈で、新鮮な気分。団員2人がソリストになる協奏曲もわかりにくい現代曲では無くて、比較的聴きやすい調性音楽。シベリウスは、ちょうど中島さんや井戸さん達が入団した頃に演奏した曲。是非会場にて!!

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遺品整理

2021年09月18日 23時59分59秒 | 家族・親族
 
 亡父の遺品整理。
 
 時間のある今しか無いと思い、少しずつ始めました。
 
 殆どの物は実家(東京)で処理していますが、父の趣味だった写真の整理は膨大にあり、匙を投げた母と弟妹のかわりに私がやるしかないと山形に持ち帰っていました。しかし、時間を作ることが出来ずに今日に至っています。
 
 亡父は、8人兄妹の末っ子です。もう亡くなって5年が経ちますが、昨年、今年と相次いで姉達が亡くなり、父の兄弟は全員鬼籍に入りました。
 
 実は、亡父が撮った写真だけでは無くて、東京大学農学部教授だった倉田悟叔父(父の兄)の遺品(写真含)も多くあって、どうしたものか?と悩んでいました。
 
 衣料関係も父がとっておいた物があったのですが、父が亡くなった後、ほとんど処分しました。
 
 悟(サトル)叔父の使用していた眼鏡は、緑青だらけで修理しても使えそうに無いので処分決定(写真)。ネクタイ・ハンカチ類は私が使うことに。
 
 さて、一番多い写真・・・・。
 
 とここまでの内容をツィツターでつぶやいたところ、叔父が設立に関わった日本シダの会の会員様からDMがきて、叔父が撮ったシダの写真があったら欲しいと連絡が来たので、少し見たら結構な量が発見されました。(資料的な価値があるとのこと)。
 
 家の庭中、シダに覆われていた家に住んでいた叔父(祖父・祖母・叔母も同居)の研究者として撮った写真は価値があるとのこと。連絡を取ってくれた方に送ることになりました。
 
 家にあっても(私が居なくなればなおさら)捨てられる運命だった写真に価値を見いだす人もいるのだから、つぶやいてみるものです。
 
 ツィツターの威力に今日は驚きました。
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少しずつ・・・・・。

2021年09月17日 23時59分59秒 | 大江町

 以前にも同じような事を書いたことがありますが、いつ書いたか?忘れたのでもう一度。

 家の中の掃除〜片付かない要因は物が多いこと。

 片付かない〜!と物を整理したところで、またすぐに雑然としてしまいます。

 独身の頃は、マンションやアパート暮らしで、よく転居していたので、物が増えないような状態で、むしろ生活感が無いと訪ねてきた友人達に言われるほどでした。

 大江町に住んで、20年近くなってくると、家の中には使わない、壊れた電化製品、書類などの紙くずなどなど色々溜まってきてしまいました。

 楽器、楽譜、CD、本などは必要な物が多いので手をつけないにしても、片付けて気分さっぱりするためには、整理していかないと!!と思い立ち約2ヶ月過ぎました。

 2ヶ月前に思った事は、物が多いのでいらない物を1日10個さがして捨てようと決心したことでした。

 最初は途方も無い「焼け石に水」の状態だったのですが、2ヶ月過ぎてみると、意外にも家の中がスッキリしてくるではありませんか。

 毎日必ず10個捨てる物をさがすのも大変ですが、たかが10個なので続けています。

 クリーンセンターへ壊れた電化製品を中心に80Kgも持って行けたのは一番のスッキリポイント。

 不思議と気持ちもスペースが出来てくるようで、なかなか良い感じ。

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草むしり 2021 vol.4

2021年09月14日 23時59分59秒 | 大江町

 秋を迎えようとしているのに、少しずつオーケストラのスケジュールに空きが出てきました。

 感染対策?なのか、子供達の前で演奏する機会が激減しています。もう少しの我慢!

 ということで、お休みが多いのですが、腐っていてもしょうが無いので、庭の草取りでも。

 今の時期にちゃんと草取りしておくと、来年にその成果が現れます。

 楽器の練習と同じで、練習したからといってすぐに成果が出るわけでは無いのです。

 時間はたっぷりあるので、日中は、大相撲の録画を見たり、草取りしたり。

 夜は練習や温泉。

 休みでもやることはたくさんあるのです。

 引きこもりに何のストレスも感じないで過ごせる性格で良かったと思っています。

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放熱への証

2021年09月12日 23時59分59秒 | お気に入りのCD

 1992年に尾崎豊さんは26才という若さで亡くなりました。

 死の直前に遺作となる本アルバムが発売されました。

 学校が全国的にあれていた時期で、私達の年代は多かれ少なかれ授業もまともに行われていない学校と関わっていた時期が有って、校内暴力や喧嘩、煙草、暴走族など日常に目のあたりにしていました。という私も引きこもりではないですが、不登校の日々を送っていた事もあります。なので(文章的に繋がりませんが)、上〜世間なのか親なのか先生なのか?対しては反抗心があって、校内暴力が起こっている学校にもなんとも思わないで生活していましたっけ。

 そんな頃、尾崎豊さんがデビューして、ちょうど過ごした地域も環境も同じような境遇で、私達のような行き所の無い若者の心をわしづかみにしてしまったのだと思います。

 順調に名作と言われる3枚のアルバムを出し、その後渡米したり、薬物で逮捕されたり、TVに初めて出たり色々経て、最近何しているの?と思ったら悲報が全国に流れてしまいました。

 その頃から、私自身は尾崎豊さんの音楽を聴かなくなり、数十年が過ぎました。

 生きていれば、今年56才。(来年没後30年ですね。)もしかしたらあの頃、尖っていたよねと膨らんだ腹を抱えて笑う良いおじさんになっていたかもしれない・・・・。大人のロックやバラードを歌っていたかもしれない・・・・。

 伝説に残った人は、生き急いでしまった気がします。

 で、遺作になったアルバムは、初めてのセルフプロデュースで、デビュー前のデモテープを無理矢理当時のサウンドに乗せた曲、もしくは1〜5枚目までの没曲(言い過ぎか・・・)をリメイクして入るような・・、約30年ぶりに新しい彼の曲を聴いた感想とします。若さに任せて書いた曲を一流のミュージシャン達がちゃんと整えてくれていた10代〜20代前半の曲達と少し乖離がある気がします。よく言えば、尾崎豊さん自身が原点に戻ったとも言えるし、やはりこういう曲想が好きなんだと開き直ったともとれるし・・・・。

 このアルバムが一番好きというファンの方もおそらくたくさんいる事でしょう。すみません。サラリーマンになった太った豚となった中年には、あまり心にしみなくなっています。

 初期の頃のアルバムには青春の懐かしさから聞き続けられるのですが・・・・・。


HMVジャパン

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中森明菜シングルス27 ′82-91

2021年09月11日 23時59分59秒 | お気に入りのCD

 先日、Cyndi Lauperさんの記事でも書きましたが、最近急に聴きたくなった歌手〜中森明菜さん。

 彼女が売れていた全盛期には、もちろん耳には入っていましたが、熱心なファンというわけでもありませんでした。

 シンガーソングライターではなくアイドルという立ち位置の彼女にもあまり興味が無く、時だけが過ぎて今に至ります。

 突然、Cyndi Lauperさんじゃないですが、聴きたくなってCDを購入。手っ取り早いのでベスト盤を購入しました。

 1994年にリリースされたシングル・コレクションで、発売順に収録されているらしいのですが、熱心なファンでは無かった私には、成長の過程も聞こえてなかなか良い感じです。

 一人の歌い手として、素晴らしい魅力を放つ存在だとあらためて気づかされた次第です。

 半分引退状態の彼女ですが、このままだと伝説になってしまいます。もったいない。


HMVジャパン

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つり味

2021年09月09日 23時59分59秒 | ラーメン(村山)

 最近涼しくなってきたと書いたら、残暑週間になりそうな予報。

 塩分補給も大切と自分に言い聞かせながら、業務後ラーメンを求めに。

 普段は、レバニラ、焼肉、とんかつなどの定食類や餃子ばかり食べていますが、このお店には麺類もあるのです。しかも相場から言うと格安。

 シンプルだけど美味しいラーメンでした。500円!!

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JAPANESE SINGLES COLLECTION -Greatest Hits-(+DVD) Cyndi Lauper

2021年09月07日 23時59分59秒 | お気に入りのCD

 子供の頃からの習性で、流行の物には飛びつかず、嫌悪感とまではいかずとも距離をとる行動をしてしまいます。

 そして時間が過ぎて、自分の記憶の中で熟成され、ある物は忘れ去られ、ある物はどんどん自分の中で大きくなって行く・・・・・。

 大きくなった物で、さらに脅迫に近い気持ちまで高まると、初めてそのものに興味を持ちます。

 すっかり流行の波は通り過ぎている事は多々。今日上げたCDは最たる物で、ここ最近急に聴き直してみたくなって購入しました。

 Cyndi Lauperさんは、もちろん有名なアメリカの歌手で、1980年代以降大活躍しているビックスターです。

 これが、ドライブしているときに心地良いこと!

 なぜ?流行っているときに聴いていなかったのか不思議なくらい。

 でも自分にとっては、今なんですよ。


HMVジャパン

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秋めいてきた証拠

2021年09月06日 23時59分59秒 | 家族・親族

 8月のお盆過ぎあたりから、虫の音が明らかに替わり、暑いのに秋が近づきつつあるのかな・・・と季節の変化を感じる事があります。

 9月に入り、急に過ごしやすい気温が続いています。

 暑い時期は、奥さんにべったりのにざえもん(フレンチブルドッグ・オス・4才)が、私が寝転がるとピタァ〜っと体をくっけながら寝始めます。

 もう秋の風物詩と言っても良いにざえもんの行動です。

 普段なら私に触られるのも拒否しがちなのですが、寒い季節だけはこうなります。

 分かりやすい奴です。

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構成(秋)

2021年09月04日 23時59分59秒 | ホール美術

 昨日に続き新庄市民プラザに飾ってあった絵画の写真です。

 作者鈴木浩三さんは、おそらく2021年度 第105回記念二科展 入選者の方です。美術の世界に詳しくなくてごめんなさい。

 構成(秋)と題された直線だけの色のグラデーションに、一つだけ右下に丸が描かれていますが、おそらく秋月のようなイメージなのかも。

 単純な構成だけど、じっと見ていると確かに「秋」の色なんですよね。冬が近づいてくるのも読み取ることが出来るのが不思議。

 「野の美術」の世界で、勝手に想像を巡らせる素人感想文、だんだん楽しくなってきました。

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ひまわり

2021年09月03日 23時59分59秒 | ホール美術

 気まぐれで始めてしまった「ホール美術」のカテゴリー。

 なかなか更新していませんが、実はたくさん写真は撮ってきて溜まっています。記事の隙間に入れようかなと思っていますが、美術に疎いのでなかなか書けないでいます。素人の感想だと思っておつきあい下さい。

 本日、新庄市民プラザでコンサートがございました。その際に見て回った絵の中の一枚です。

 伊藤幸子さんの「ひまわり」。

 最初題名を見て、「むむむ・・っ」。

 よく見たら枯れているひまわりの様子を描いています。ひまわりの花の絵は、子供達の物も含めてよく見ますが、真夏に全開で咲き誇ったひまわりの遺骸というか、自分の命を使い切りやる事はやり遂げて、一時の休憩に入っているひまわりを描いているように感じます。

 音楽もそうですが聞き手ではなくて、絵には見る人が自由に感じる権利があります。

 陰に隠れがちなひまわりの命の終焉に着目して(もちろん種という次の命へのつなぎはありますが)、描かれた絵には力とやすらぎがありました。

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