[11月22日16:00.埼玉県さいたま市中央区 マルエツ与野店 威波莞爾]
稲生家で家事全般を任されているカンジは、夕食の買い出しに行っていた。
今日はユタの母親もいるはずだが、何故かまだ帰っておらず、仕方が無いので、カンジが単独で買い物メモを手に来店した次第。
店の入口には焼き鳥の屋台が出ており、カンジはその匂いにそそられた。
(先生方の酒の肴に、焼き鳥もいいだろう)
カンジは焼き鳥の屋台に並んだ。
「いらっしゃいませ。これからお買い物ですか?」
と、40代後半くらいの店主が気さくに話しかけて来る。
「ええ」
「お買い物の間に焼いておきますよ。何にします?」
「そうだな……。やはりベタな法則で、モモは欠かせないだろうな。確か、先生は砂肝やつくねもお好きだったな」
カンジは焼き鳥を注文しておいた。
屋台のラジオからは、軽快な音楽が聞こえてくる。
〔「……以上、初音ミクの新曲をお送りしました。では、ここで交通情報をお送りしたいと思います。……」〕
「では、焼いておきますので」
「よろしく」
それから約15分後。
買い物メモに書かれていた内容を買うだけだったので、かなりスピーディーだった。
惜しむらくはレジが混んでいて、そこで時間を取られたということだ。
無論、屋台とはいえ、そこは焼き鳥屋だ。
焼き上がったものは、ちゃんと保温してくれているだろう。
「ああ、威波ですが……」
「はい、威波様。焼いておきました。お会計が……」
カンジが会計をしている時だった。
〔「……今日午後2時半頃、さいたま市大宮区の旧中山道で、路線バスが乗用車や別のバスに衝突・追突するという事故があり、この事故で23名が重軽傷を負いました。事故があったのはJR大宮駅東口前の中央通りと旧中山道とのスクランブル交差点で、自治医大医療センター発、大宮駅東口行きの路線バスが赤信号を無視して乗用車に衝突した後、高島屋前の降車場に停車していた別のバスに追突したものです。追突したバスの運転手は、『突然ブレーキが利かなくなった』と証言しており、この事故で……」〕
「……!」
カンジは無表情であったが、ラジオニュースを聞いて、険しい顔になった。
そして釣り銭を受け取ると、脱兎の如く家に取って返したのだった。
[同日16:30.さいたま市中央区 ユタの家 威吹邪甲、カンジ、マリアンナ・スカーレット]
「カンジ、大変だ!ユタの御母堂様が事故に遭われた!何てことだ……!」
「やはりそうでしたか。あのラジオは……。それで、ご容態は?」
「分からん。現在のところ情報無し、手掛かり無し、皆無だ」
マリアが肩を竦めて答えた。
「お帰りが遅いので水晶球を使ったら、この通りだ」
マリアが手持ちの水晶球を出すと、事故現場の様子が映し出された。
今ではさすがに事故車両も撤去されて通行止めは解除されているが、まだ警察がいた。
「お母様の軌跡を辿ったところ、乗られたバスが事故に遭って、病院に搬送されたようだ。ただ、そのバスは衝突した衝撃で爆発・炎上したがな。それもまた、通行止めに拍車を掛けたようだ」
「なるほど……」
そこへ固定電話が掛かって来た。
カンジが電話に出る。
「はい、稲生です」
{「あー、私だ。その声は威波君かね?」}
「お父上殿。どうなさいましたか?」
{「実は家内が交通事故に遭ってしまった。私は取り急ぎ病院に行く。申し訳無いが、今のところは息子には内緒にしておいてくれないか」}
「お気持ちはお察し致します。ということは、自治医大さいたま医療センターではないのですね?」
{「ああ。幸い、我が家の近くの日赤病院だ。報道では重軽傷とあるから命に関わる重体ではないのだろうが、一応念の為だ」}
「了解しました。我々はどうしたらよろしいでしょう?御子息に内緒にする以外に、何か対応すべき点はありますか?」
{「いや、そのまま家で待機していてもらいたい。夕食も先に食べておいてくれ。ミズ・スカーレットも御一緒か?彼女にも振る舞ってくれ」}
「かしこまりました」
カンジは電話を切った。
そして今の内容を2人に伝えた。
「やはり事故に巻き込まれていたか……」
「土休日は本数の少ないバスだ。もしかしたら、と思っていたのだが……」
威吹もマリアも暗い表情になった。
1人だけポーカーフェイスのカンジが、
「確かに療養中の稲生さんに、余計な心配は掛けたくないというのは分かります。ご容態が分かるまでは、確かにお話ししない方がいいかもしれません」
「そうだな」
カンジの言葉に2人は頷いた。
[同日21:00.同場所 上記メンバーにユタの父親]
父親は少しばかり憔悴した様子で、役員車から降りてきた。
「お帰りなさい」
「ご容態はいかがでしたか?」
妖狐達が出迎える。
「ああ。幸い、命に別状は無い。ただ、2〜3日は入院が必要とのことだ」
「そうでしたか」
「カバンもケータイもバスの中で、そのバスが爆発・炎上したものだから燃えてしまったそうだ」
「! では、脱講届……」
「また、ユウタに書いてもらわなくてはならないな……」
「本尊はどうでしたか?」
「本尊?」
「御母堂様は、仏壇にあった本尊の返納もついでに行われる御予定でございましたか?」
威吹の質問に、
「いや、そこまでは聞いていない。それどころじゃなかった」
父親は吐き捨てるように言って、家の奥へ行ってしまった。
「……先生」
「まあ、たまたまだろう。たまたま、事故に遭われた。それだけのことさ。カンジ、御尊父様の為に風呂を沸かして差し上げてくれ」
「了解しました」
「…………」
マリアもまた落ち着きの無い様子であった。
(本尊のこと、何て説明しよう……)
[11月23日13:00.埼玉県さいたま市内 タクシー車内→自治医大さいたま医療センター マリア、威吹、ユタの父親]
マリアはタクシーの助手席に座っている。
ユタの母親の見舞いが終わった後、今度はユタの見舞いに行くことになった。
そこでマリアと威吹が聞いた衝撃の事実。
ユタの母親は、御本尊を持ち出してはいなかった。
燃えてしまったカバンの中には脱講届が入っていたが、御本尊は入っていなかったという。
それならば、御本尊はどこに?となる。
マリアはもちろん触ってもいない。
妖狐達は仏間に近づくことすら禁忌だと言っていた。
そして父親もまた否定している。
(紛失……か)
そして、タクシーは現場に到着した。
料金は父親が支払い、その間にマリアが警備本部で受付をした。
病室に向かうエレベーターの中で、父親が言った。
「いいかい?くれぐれも、家内が事故に遭ったことは言わないでくれよ?」
「はい」
「承知でござる」
病室に行くと、1番軽傷だった左手の方が包帯から湿布のようなものに変わっていた。
「あ、こんにちは」
「少しずつケガが回復しているようだな」
3人は努めてにこやかに接した。
「何とかね。後は左足と……。右手と右足が1番最後になるみたい。せめて足が先に治るといいんだけど……」
父親は頷いて言った。
「まあ、慌てず、ゆっくりな。大学にはちゃんと病欠届……まあ、病気ではないんだけど、しかるべき届出はしてあるから心配するな」
「うん」
「で、届け出と言えば……件の脱講届なんだが、ちょっと母さんが不手際で紛失してしまってね」
「え?」
「もう1度書いてもらいたいんだ。まだ利き手が動かせなくて大変だけど、そっちの左手でゆっくりでいいから、またサインをしてもらえないか?」
「……気が向いたらね」
「まあ、その右手が治ってからでもいいんだが……。とにかく、申し訳無い。……おっと、会社から電話だ。ちょっと待ってくれ」
病室内では通話ができないので、父親は急いで通話可能エリアまで行ってしまった。
「……マリアさん、御本尊様はどうしました?」
「!」
ユタの質問にマリアの鼓動が高鳴る。
ちらっと威吹の方を見たが、威吹は目を逸らした。
(逃げやがって!この狐野郎!)
と、心の中では憤慨したが、顔には出さず、
「申し訳無いが、既にお母様が返納されてしまったようだ」
咄嗟にそう答えた。
「そうですか……。御不敬が無ければいいんですが……」
「お父様の仰る通り、ユウタ君も、脱講届についてはケガが治ってから書けばいいと思うな」
「そうですねぇ……」
「もしかしたらその間に、お父様の気が変わるかもしれない」
「それは無いと思いますけど」
「とにかく、退院まであと2週間くらいだ。それまで……な」
マリアは冷や汗を浮かべながら、封印の解かれた笑顔を浮かべて言った。
御本尊不敬。その罪は重い。その罰の現証は、まだ続く。
稲生家で家事全般を任されているカンジは、夕食の買い出しに行っていた。
今日はユタの母親もいるはずだが、何故かまだ帰っておらず、仕方が無いので、カンジが単独で買い物メモを手に来店した次第。
店の入口には焼き鳥の屋台が出ており、カンジはその匂いにそそられた。
(先生方の酒の肴に、焼き鳥もいいだろう)
カンジは焼き鳥の屋台に並んだ。
「いらっしゃいませ。これからお買い物ですか?」
と、40代後半くらいの店主が気さくに話しかけて来る。
「ええ」
「お買い物の間に焼いておきますよ。何にします?」
「そうだな……。やはりベタな法則で、モモは欠かせないだろうな。確か、先生は砂肝やつくねもお好きだったな」
カンジは焼き鳥を注文しておいた。
屋台のラジオからは、軽快な音楽が聞こえてくる。
〔「……以上、初音ミクの新曲をお送りしました。では、ここで交通情報をお送りしたいと思います。……」〕
「では、焼いておきますので」
「よろしく」
それから約15分後。
買い物メモに書かれていた内容を買うだけだったので、かなりスピーディーだった。
惜しむらくはレジが混んでいて、そこで時間を取られたということだ。
無論、屋台とはいえ、そこは焼き鳥屋だ。
焼き上がったものは、ちゃんと保温してくれているだろう。
「ああ、威波ですが……」
「はい、威波様。焼いておきました。お会計が……」
カンジが会計をしている時だった。
〔「……今日午後2時半頃、さいたま市大宮区の旧中山道で、路線バスが乗用車や別のバスに衝突・追突するという事故があり、この事故で23名が重軽傷を負いました。事故があったのはJR大宮駅東口前の中央通りと旧中山道とのスクランブル交差点で、自治医大医療センター発、大宮駅東口行きの路線バスが赤信号を無視して乗用車に衝突した後、高島屋前の降車場に停車していた別のバスに追突したものです。追突したバスの運転手は、『突然ブレーキが利かなくなった』と証言しており、この事故で……」〕
「……!」
カンジは無表情であったが、ラジオニュースを聞いて、険しい顔になった。
そして釣り銭を受け取ると、脱兎の如く家に取って返したのだった。
[同日16:30.さいたま市中央区 ユタの家 威吹邪甲、カンジ、マリアンナ・スカーレット]
「カンジ、大変だ!ユタの御母堂様が事故に遭われた!何てことだ……!」
「やはりそうでしたか。あのラジオは……。それで、ご容態は?」
「分からん。現在のところ情報無し、手掛かり無し、皆無だ」
マリアが肩を竦めて答えた。
「お帰りが遅いので水晶球を使ったら、この通りだ」
マリアが手持ちの水晶球を出すと、事故現場の様子が映し出された。
今ではさすがに事故車両も撤去されて通行止めは解除されているが、まだ警察がいた。
「お母様の軌跡を辿ったところ、乗られたバスが事故に遭って、病院に搬送されたようだ。ただ、そのバスは衝突した衝撃で爆発・炎上したがな。それもまた、通行止めに拍車を掛けたようだ」
「なるほど……」
そこへ固定電話が掛かって来た。
カンジが電話に出る。
「はい、稲生です」
{「あー、私だ。その声は威波君かね?」}
「お父上殿。どうなさいましたか?」
{「実は家内が交通事故に遭ってしまった。私は取り急ぎ病院に行く。申し訳無いが、今のところは息子には内緒にしておいてくれないか」}
「お気持ちはお察し致します。ということは、自治医大さいたま医療センターではないのですね?」
{「ああ。幸い、我が家の近くの日赤病院だ。報道では重軽傷とあるから命に関わる重体ではないのだろうが、一応念の為だ」}
「了解しました。我々はどうしたらよろしいでしょう?御子息に内緒にする以外に、何か対応すべき点はありますか?」
{「いや、そのまま家で待機していてもらいたい。夕食も先に食べておいてくれ。ミズ・スカーレットも御一緒か?彼女にも振る舞ってくれ」}
「かしこまりました」
カンジは電話を切った。
そして今の内容を2人に伝えた。
「やはり事故に巻き込まれていたか……」
「土休日は本数の少ないバスだ。もしかしたら、と思っていたのだが……」
威吹もマリアも暗い表情になった。
1人だけポーカーフェイスのカンジが、
「確かに療養中の稲生さんに、余計な心配は掛けたくないというのは分かります。ご容態が分かるまでは、確かにお話ししない方がいいかもしれません」
「そうだな」
カンジの言葉に2人は頷いた。
[同日21:00.同場所 上記メンバーにユタの父親]
父親は少しばかり憔悴した様子で、役員車から降りてきた。
「お帰りなさい」
「ご容態はいかがでしたか?」
妖狐達が出迎える。
「ああ。幸い、命に別状は無い。ただ、2〜3日は入院が必要とのことだ」
「そうでしたか」
「カバンもケータイもバスの中で、そのバスが爆発・炎上したものだから燃えてしまったそうだ」
「! では、脱講届……」
「また、ユウタに書いてもらわなくてはならないな……」
「本尊はどうでしたか?」
「本尊?」
「御母堂様は、仏壇にあった本尊の返納もついでに行われる御予定でございましたか?」
威吹の質問に、
「いや、そこまでは聞いていない。それどころじゃなかった」
父親は吐き捨てるように言って、家の奥へ行ってしまった。
「……先生」
「まあ、たまたまだろう。たまたま、事故に遭われた。それだけのことさ。カンジ、御尊父様の為に風呂を沸かして差し上げてくれ」
「了解しました」
「…………」
マリアもまた落ち着きの無い様子であった。
(本尊のこと、何て説明しよう……)
[11月23日13:00.埼玉県さいたま市内 タクシー車内→自治医大さいたま医療センター マリア、威吹、ユタの父親]
マリアはタクシーの助手席に座っている。
ユタの母親の見舞いが終わった後、今度はユタの見舞いに行くことになった。
そこでマリアと威吹が聞いた衝撃の事実。
ユタの母親は、御本尊を持ち出してはいなかった。
燃えてしまったカバンの中には脱講届が入っていたが、御本尊は入っていなかったという。
それならば、御本尊はどこに?となる。
マリアはもちろん触ってもいない。
妖狐達は仏間に近づくことすら禁忌だと言っていた。
そして父親もまた否定している。
(紛失……か)
そして、タクシーは現場に到着した。
料金は父親が支払い、その間にマリアが警備本部で受付をした。
病室に向かうエレベーターの中で、父親が言った。
「いいかい?くれぐれも、家内が事故に遭ったことは言わないでくれよ?」
「はい」
「承知でござる」
病室に行くと、1番軽傷だった左手の方が包帯から湿布のようなものに変わっていた。
「あ、こんにちは」
「少しずつケガが回復しているようだな」
3人は努めてにこやかに接した。
「何とかね。後は左足と……。右手と右足が1番最後になるみたい。せめて足が先に治るといいんだけど……」
父親は頷いて言った。
「まあ、慌てず、ゆっくりな。大学にはちゃんと病欠届……まあ、病気ではないんだけど、しかるべき届出はしてあるから心配するな」
「うん」
「で、届け出と言えば……件の脱講届なんだが、ちょっと母さんが不手際で紛失してしまってね」
「え?」
「もう1度書いてもらいたいんだ。まだ利き手が動かせなくて大変だけど、そっちの左手でゆっくりでいいから、またサインをしてもらえないか?」
「……気が向いたらね」
「まあ、その右手が治ってからでもいいんだが……。とにかく、申し訳無い。……おっと、会社から電話だ。ちょっと待ってくれ」
病室内では通話ができないので、父親は急いで通話可能エリアまで行ってしまった。
「……マリアさん、御本尊様はどうしました?」
「!」
ユタの質問にマリアの鼓動が高鳴る。
ちらっと威吹の方を見たが、威吹は目を逸らした。
(逃げやがって!この狐野郎!)
と、心の中では憤慨したが、顔には出さず、
「申し訳無いが、既にお母様が返納されてしまったようだ」
咄嗟にそう答えた。
「そうですか……。御不敬が無ければいいんですが……」
「お父様の仰る通り、ユウタ君も、脱講届についてはケガが治ってから書けばいいと思うな」
「そうですねぇ……」
「もしかしたらその間に、お父様の気が変わるかもしれない」
「それは無いと思いますけど」
「とにかく、退院まであと2週間くらいだ。それまで……な」
マリアは冷や汗を浮かべながら、封印の解かれた笑顔を浮かべて言った。
御本尊不敬。その罪は重い。その罰の現証は、まだ続く。