夜泣きがひどくて我が子が悪魔に見えた…。子どもが生まれて知る“夢と現実”
全国の顕正会員、並びに宗門信徒の皆さん、こんばんは。
今日も元気で信心活動できましたかな?
ええ!私は今日もまた明日もまた折伏の……ではなく、仕事ですとも。
つくづく、顕正会の折伏という名の勧誘から逃げるには最適な職業だ。
要するに、日曜日休めない仕事に就職すれば、カルト教団からは逃げられるというわけだ。
もっとも、正法たる日蓮正宗からもおさらばできるがねw
おかげさまで、紹介者さんも匙投げてるよ。どうだい、凄いだろう?
さて、週末当たり前に仕事している私だが、ここ最近は、週末休める仕事に就いている両親が子供を連れてよくやってくる施設の警備現場に派遣されている。
私は家族の絆についての小説を書くつもりは全く無いが、意外とネタは転がっているものだ。
冒頭の記事のように、見ている限り、実に大変だなと思う。
法統相続も楽ではないのが、独身の私にも見て取れる。
パラパラ茜氏など、年齢的に既に子供を作れる歳ではないが、あのブログを見る限り、
「私にはクソウゼェガキがいないのが功徳だね!」
とか書きそうだ。
法統相続の大切さを浅井会長が言い出したら、何と書くのか見ものである。
自分ではもう子供を産むことは不可能だから、せめて会館にやってくる子供に優しく接するかね?何を今さら……。
でもまあ、私が辞めた時点で、ちゃんと顕正会にも子供がいる会員はそれなりにいたものだ。
長野Mウェーブの男子部大会の時なんか、直属のI支隊長やN副長が自分の小さい息子さんを連れて来たのはいいが、隊長らと何か打ち合わせか何かをしていて、その間、私が面倒見ていたくらいである。
親、仕事しろ!
全く。ショッピングモールで迷子の対応やってる警備員じゃないんだから……。まあ、警備員だけど。
てか今日、迷子の対応やったけどw
さすがにオバハンに蹴られたコはいなかったなぁ……。
特定の宗教を信仰している親を持つ子供って、どんな気持ちなんだろう?
私の家は無関心なので、よく分からないのだ。
幸い私が所属していた組織には、親の代から顕正会員という上長もいたので、聞いてみたことがある。
多くは否定的な回答はしなかったものの、さすがに功徳だと答える人もいなかった。
そりゃそうだろう。
“唯一正しい顕正会員”の家に生まれたことが“最大の功徳”であるのなら、過去世の行いがとても素晴らしかったということになるが、だったら既にこんな現世に転生して罰ゲームやってないで、とっとと成仏していると思うがね。
もちろんそれは、宗門信徒にも言えることだよ。
宗門信徒の家(ややもすれば寺族として)生まれた人間と、私のような無宗教の家に生まれた人間の違いは、大して変わらないと思う。
明らかに違うのは法統相続の有無くらいだ。
プロパーであっても、信徒としての責務を放棄している者が成仏できるとは思うまい。
私のような中途入信者はどうだ?
週末仕事で、末寺参詣の数が大石寺参詣の数とほぼイコールで繋がる私はアウトかな?
平日に参詣して見ると、まあ年寄りと外国人しかいないの何の。
こりゃ、入信するタイミングを誤ったパターンかもしれんな。
うむ。思いっ切り場違い感マックスだ。
顕正会なら平日に参詣しても全く違和感無いのに、何なんだろうね?
いや、今さら私の信仰スタイルにケチつけられてもねぇ……。
幸い一応、3連休の最後の日は休みが回ってきている。
末寺の行事予定表を見ても、何にも書いていない。
恐らく紹介者を呼び出せば来るだろうが(滅多に参詣して来ない教化子が来るんだから、オマエも来いやみたいな勢いで)、全体的に参詣者の数は少ないのではないか。
私以上に熱心な活動をされている方は大石寺に参詣したり、折伏をしたりしているだろう。
のこのこ前回の支部登山の費用を払いに行くアホは私くらいだろう。
紹介者さん、すんません。不良信徒なもんで、払うの忘れてました(てへてへ)。
で、忘れないよう、次回の登山費用もついでに払っておけば問題無い。
というわけで、ケンショーや法華講の皆さんが信心活動されている中、私は私で六波羅蜜の修行をしてきます(←六波羅蜜の意味?それは、【お察しください】)。
全国の顕正会員、並びに宗門信徒の皆さん、こんばんは。
今日も元気で信心活動できましたかな?
ええ!私は今日もまた明日もまた折伏の……ではなく、仕事ですとも。
つくづく、顕正会の折伏という名の勧誘から逃げるには最適な職業だ。
要するに、日曜日休めない仕事に就職すれば、カルト教団からは逃げられるというわけだ。
もっとも、正法たる日蓮正宗からもおさらばできるがねw
おかげさまで、紹介者さんも匙投げてるよ。どうだい、凄いだろう?
さて、週末当たり前に仕事している私だが、ここ最近は、週末休める仕事に就いている両親が子供を連れてよくやってくる施設の警備現場に派遣されている。
私は家族の絆についての小説を書くつもりは全く無いが、意外とネタは転がっているものだ。
冒頭の記事のように、見ている限り、実に大変だなと思う。
法統相続も楽ではないのが、独身の私にも見て取れる。
パラパラ茜氏など、年齢的に既に子供を作れる歳ではないが、あのブログを見る限り、
「私にはクソウゼェガキがいないのが功徳だね!」
とか書きそうだ。
法統相続の大切さを浅井会長が言い出したら、何と書くのか見ものである。
自分ではもう子供を産むことは不可能だから、せめて会館にやってくる子供に優しく接するかね?何を今さら……。
でもまあ、私が辞めた時点で、ちゃんと顕正会にも子供がいる会員はそれなりにいたものだ。
長野Mウェーブの男子部大会の時なんか、直属のI支隊長やN副長が自分の小さい息子さんを連れて来たのはいいが、隊長らと何か打ち合わせか何かをしていて、その間、私が面倒見ていたくらいである。
親、仕事しろ!
全く。ショッピングモールで迷子の対応やってる警備員じゃないんだから……。まあ、警備員だけど。
てか今日、迷子の対応やったけどw
さすがにオバハンに蹴られたコはいなかったなぁ……。
特定の宗教を信仰している親を持つ子供って、どんな気持ちなんだろう?
私の家は無関心なので、よく分からないのだ。
幸い私が所属していた組織には、親の代から顕正会員という上長もいたので、聞いてみたことがある。
多くは否定的な回答はしなかったものの、さすがに功徳だと答える人もいなかった。
そりゃそうだろう。
“唯一正しい顕正会員”の家に生まれたことが“最大の功徳”であるのなら、過去世の行いがとても素晴らしかったということになるが、だったら既にこんな現世に転生して罰ゲームやってないで、とっとと成仏していると思うがね。
もちろんそれは、宗門信徒にも言えることだよ。
宗門信徒の家(ややもすれば寺族として)生まれた人間と、私のような無宗教の家に生まれた人間の違いは、大して変わらないと思う。
明らかに違うのは法統相続の有無くらいだ。
プロパーであっても、信徒としての責務を放棄している者が成仏できるとは思うまい。
私のような中途入信者はどうだ?
週末仕事で、末寺参詣の数が大石寺参詣の数とほぼイコールで繋がる私はアウトかな?
平日に参詣して見ると、まあ年寄りと外国人しかいないの何の。
こりゃ、入信するタイミングを誤ったパターンかもしれんな。
うむ。思いっ切り場違い感マックスだ。
顕正会なら平日に参詣しても全く違和感無いのに、何なんだろうね?
いや、今さら私の信仰スタイルにケチつけられてもねぇ……。
幸い一応、3連休の最後の日は休みが回ってきている。
末寺の行事予定表を見ても、何にも書いていない。
恐らく紹介者を呼び出せば来るだろうが(滅多に参詣して来ない教化子が来るんだから、オマエも来いやみたいな勢いで)、全体的に参詣者の数は少ないのではないか。
私以上に熱心な活動をされている方は大石寺に参詣したり、折伏をしたりしているだろう。
のこのこ前回の支部登山の費用を払いに行くアホは私くらいだろう。
紹介者さん、すんません。不良信徒なもんで、払うの忘れてました(てへてへ)。
で、忘れないよう、次回の登山費用もついでに払っておけば問題無い。
というわけで、ケンショーや法華講の皆さんが信心活動されている中、私は私で六波羅蜜の修行をしてきます(←六波羅蜜の意味?それは、【お察しください】)。