[11月12日14時14分 天候:晴 福島県田村郡小野町 JR小野新町駅]
〔「まもなく小野新町、小野新町です。お出口は、右側です。この駅で、後ろ2両の切り離しを致します。後ろ2両へご乗車のお客様で、小野新町より先へお越しの方は、前2両にお移りください。また、この作業の為、本日に限り、当駅の発車時刻を14時20分とさせて頂きます。お急ぎのお客様、列車遅れまして、大変申し訳ございません。……」〕
磐越東線の中間駅では最も大規模な、小野新町駅に接近した。
最も大規模といっても、駅員がいる有人駅で、留置線が何本かあり、夜間滞泊の設定があるに過ぎない。
しかし、乗降客は多いようである。
ワンマン列車だと無人駅では運転室直後のドアしか降りられないが、有人駅ということで、全部のドアから乗り降りできる。
ドアが開いて、半分くらいの乗客が降りて行った。
と、今度は郡山行きの列車が入線してくる。
全線単線の磐越東線は、途中いくつかある行き違い可能な駅で上下列車の行き違いを行う。
運転室横に乗っていた作業員は、やはり切り離し作業を行う為に乗っていたらしく、この駅で降りて行った。
リサ「ねえ、先生」
愛原「何だ?」
リサ「この列車に、わたしのお父さんやお母さんも乗ったのかな……」
愛原「今から50年前のダイヤじゃ、分からんな」
ただ、善場主任の話だと、昼下がりの列車だったという。
奇しくもこの列車も、そんな時間帯に郡山駅を発車した。
だから、もしかしたら、というのはある。
ただ、同じ列車番号だったかは不明だ。
何しろ、今は普通列車しか運転されていないこの路線も、かつては快速や急行列車も運転されていたほどである。
上野医師と斉藤玲子が、そういう優等列車に乗った可能性はある。
それに、当時は今よりも列車本数はあっただろう。
また、確実に言えるのは、あの2人はこのキハ110系には乗っていない。
50年前にこの車両は存在しないからだ。
気動車ならキハ58系、キハ40系辺りか?
もしかしたらもっと古く、キハ52系とかもいたかもしれない。
あとは、ディーゼル機関車または蒸気機関車牽引の客車だったかもしれない。
さすがに1970年代で蒸気機関車?と思うかもしれないが、都市部の幹線ではともかく、地方ローカル線ではまだ現役だった所もあったと聞く。
愛原「確かに、こんな所で大ケガとかしようものなら、総合病院に運ばれるのに、相当時間が掛かるだろうなぁ……」
今ならまだマシかもしれないが、50年前の交通事情と医療事情を鑑みれば……と思う。
[同日14時20分 天候:晴 JR磐越東線732D列車先頭車内]
〔「本日に限りまして、この列車、14時20分発とさせて頂きます。お急ぎのところ、列車遅れまして、大変ご迷惑をお掛け致します」〕
この駅から2両編成ワンマンになるのか、運転士がマイクを使って放送していた。
〔ピンポーン♪ この列車は『ゆうゆうあぶくまライン』磐越東線、小川郷方面、各駅停車のいわき行き、ワンマンカーです。夏井、川前、江田、小川郷の順に停車します。まもなく発車致します〕
どうやら、本当にワンマン運転になるようである。
元々この列車は、郡山駅から2両編成ワンマン運転だったわけだから、ようやく元に戻ったと言えなくもない。
とにかく列車は、通常ダイヤより5分遅れて、小野新町駅を発車した。
〔ピンポーン♪ 今日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。この列車は『ゆうゆうあぶくまライン』磐越東線、小川郷方面、各駅停車のいわき行き、ワンマンカーです。これから先、夏井、川前、江田、小川郷の順に、各駅に停車致します。途中の無人駅では、後ろの車両のドアは開きませんので、前の車両の運転士後ろのドアボタンを押してお降りください。乗車券、運賃、整理券は運賃箱にお入れください。定期券は、運転士にお見せください。【中略】次は、夏井です〕
車内で急病を起こした善場主任の祖父は、小川郷駅で降りるつもりだった。
だが、上野医師に救命措置を受けた後、大事を取って、掛かりつけ医のいる病院へ向かう為、一緒にいわき駅(当時は平駅)に向かったそうだ。
病院まで同行したのだろうか?
そうでなくても、上野医師達がいわき市のどこへ向かったかくらいは分かるかもしれない。
リサ「ねえ、先生」
愛原「何だ?」
リサは股間の辺りを押さえてモジモジしている。
リサ「この列車のトイレって、洋式かな?」
愛原「あー……どうだろう?」
私はすぐに答えを返すことはできなかった。
キハ110系が製造を開始した辺りは、確か交通バリアフリー法ができる前後だったはずだ。
つまり、初期に製造され、その後、何のリニューアルも受けていない場合は和式である可能性が高い。
逆に、その法律が制定された後に製造された車両であれば、洋式であるかもしれない。
私は辺りを見回した。
そして……。
愛原「あー、分かった。多分、洋式だ」
リサ「ほんと!?じゃあ、ちょっと行って来るね!」
リサはそう言って、トイレに向かった。
私が洋式だと思ったのは、車椅子スペースを見つけたからだ。
あれは交通バリアフリー法に基づいて設置されているものだから、そうしておいて、トイレがバリアフリーではない和式だとは考えにくい。
しばらくして戻って来たリサは……。
リサ「洋式だった。さすが先生」
と、上機嫌であった。
愛原「それは良かった」
[同日15時10分 天候:晴 福島県いわき市小川郷高萩 善場家]
小野新町駅から先は、対向列車の行き違いもなく、停車時間も僅かな駅ばかりである。
そんな所では回復運転も見込めるはずがなく、小川郷駅も5分遅れで到着した。
恐らく、終点のいわき駅もそんな感じで到着するのだろう。
ただ、こういうローカル線では、折り返し時間は長く取ってあるので、それで折り返し列車は定刻通りに発車させる計画なのかもしれない。
とにかく、予定通り、小川郷駅で降りた私達は、善場主任の祖父の家に向かった。
それは、JAの近くにある一軒家だった。
かつて小牛田に住んでいた公一伯父さんの家をイメージしたが、そんなことはなく、ごくごく普通の一軒家だった。
愛原「こんにちは。東京から参りました愛原と申します。善場優菜主任の紹介で参りました」
玄関のインターホンを鳴らし、用件を伝えると、善場主任の面影のある老婆が出てきた。
恐らく、善場主任の祖母なのだろう。
老婆「優菜の言っていた東京の探偵さんですね。どうぞ」
愛原「失礼します」
私達は家の中に入らせて頂いた。
〔「まもなく小野新町、小野新町です。お出口は、右側です。この駅で、後ろ2両の切り離しを致します。後ろ2両へご乗車のお客様で、小野新町より先へお越しの方は、前2両にお移りください。また、この作業の為、本日に限り、当駅の発車時刻を14時20分とさせて頂きます。お急ぎのお客様、列車遅れまして、大変申し訳ございません。……」〕
磐越東線の中間駅では最も大規模な、小野新町駅に接近した。
最も大規模といっても、駅員がいる有人駅で、留置線が何本かあり、夜間滞泊の設定があるに過ぎない。
しかし、乗降客は多いようである。
ワンマン列車だと無人駅では運転室直後のドアしか降りられないが、有人駅ということで、全部のドアから乗り降りできる。
ドアが開いて、半分くらいの乗客が降りて行った。
と、今度は郡山行きの列車が入線してくる。
全線単線の磐越東線は、途中いくつかある行き違い可能な駅で上下列車の行き違いを行う。
運転室横に乗っていた作業員は、やはり切り離し作業を行う為に乗っていたらしく、この駅で降りて行った。
リサ「ねえ、先生」
愛原「何だ?」
リサ「この列車に、わたしのお父さんやお母さんも乗ったのかな……」
愛原「今から50年前のダイヤじゃ、分からんな」
ただ、善場主任の話だと、昼下がりの列車だったという。
奇しくもこの列車も、そんな時間帯に郡山駅を発車した。
だから、もしかしたら、というのはある。
ただ、同じ列車番号だったかは不明だ。
何しろ、今は普通列車しか運転されていないこの路線も、かつては快速や急行列車も運転されていたほどである。
上野医師と斉藤玲子が、そういう優等列車に乗った可能性はある。
それに、当時は今よりも列車本数はあっただろう。
また、確実に言えるのは、あの2人はこのキハ110系には乗っていない。
50年前にこの車両は存在しないからだ。
気動車ならキハ58系、キハ40系辺りか?
もしかしたらもっと古く、キハ52系とかもいたかもしれない。
あとは、ディーゼル機関車または蒸気機関車牽引の客車だったかもしれない。
さすがに1970年代で蒸気機関車?と思うかもしれないが、都市部の幹線ではともかく、地方ローカル線ではまだ現役だった所もあったと聞く。
愛原「確かに、こんな所で大ケガとかしようものなら、総合病院に運ばれるのに、相当時間が掛かるだろうなぁ……」
今ならまだマシかもしれないが、50年前の交通事情と医療事情を鑑みれば……と思う。
[同日14時20分 天候:晴 JR磐越東線732D列車先頭車内]
〔「本日に限りまして、この列車、14時20分発とさせて頂きます。お急ぎのところ、列車遅れまして、大変ご迷惑をお掛け致します」〕
この駅から2両編成ワンマンになるのか、運転士がマイクを使って放送していた。
〔ピンポーン♪ この列車は『ゆうゆうあぶくまライン』磐越東線、小川郷方面、各駅停車のいわき行き、ワンマンカーです。夏井、川前、江田、小川郷の順に停車します。まもなく発車致します〕
どうやら、本当にワンマン運転になるようである。
元々この列車は、郡山駅から2両編成ワンマン運転だったわけだから、ようやく元に戻ったと言えなくもない。
とにかく列車は、通常ダイヤより5分遅れて、小野新町駅を発車した。
〔ピンポーン♪ 今日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。この列車は『ゆうゆうあぶくまライン』磐越東線、小川郷方面、各駅停車のいわき行き、ワンマンカーです。これから先、夏井、川前、江田、小川郷の順に、各駅に停車致します。途中の無人駅では、後ろの車両のドアは開きませんので、前の車両の運転士後ろのドアボタンを押してお降りください。乗車券、運賃、整理券は運賃箱にお入れください。定期券は、運転士にお見せください。【中略】次は、夏井です〕
車内で急病を起こした善場主任の祖父は、小川郷駅で降りるつもりだった。
だが、上野医師に救命措置を受けた後、大事を取って、掛かりつけ医のいる病院へ向かう為、一緒にいわき駅(当時は平駅)に向かったそうだ。
病院まで同行したのだろうか?
そうでなくても、上野医師達がいわき市のどこへ向かったかくらいは分かるかもしれない。
リサ「ねえ、先生」
愛原「何だ?」
リサは股間の辺りを押さえてモジモジしている。
リサ「この列車のトイレって、洋式かな?」
愛原「あー……どうだろう?」
私はすぐに答えを返すことはできなかった。
キハ110系が製造を開始した辺りは、確か交通バリアフリー法ができる前後だったはずだ。
つまり、初期に製造され、その後、何のリニューアルも受けていない場合は和式である可能性が高い。
逆に、その法律が制定された後に製造された車両であれば、洋式であるかもしれない。
私は辺りを見回した。
そして……。
愛原「あー、分かった。多分、洋式だ」
リサ「ほんと!?じゃあ、ちょっと行って来るね!」
リサはそう言って、トイレに向かった。
私が洋式だと思ったのは、車椅子スペースを見つけたからだ。
あれは交通バリアフリー法に基づいて設置されているものだから、そうしておいて、トイレがバリアフリーではない和式だとは考えにくい。
しばらくして戻って来たリサは……。
リサ「洋式だった。さすが先生」
と、上機嫌であった。
愛原「それは良かった」
[同日15時10分 天候:晴 福島県いわき市小川郷高萩 善場家]
小野新町駅から先は、対向列車の行き違いもなく、停車時間も僅かな駅ばかりである。
そんな所では回復運転も見込めるはずがなく、小川郷駅も5分遅れで到着した。
恐らく、終点のいわき駅もそんな感じで到着するのだろう。
ただ、こういうローカル線では、折り返し時間は長く取ってあるので、それで折り返し列車は定刻通りに発車させる計画なのかもしれない。
とにかく、予定通り、小川郷駅で降りた私達は、善場主任の祖父の家に向かった。
それは、JAの近くにある一軒家だった。
かつて小牛田に住んでいた公一伯父さんの家をイメージしたが、そんなことはなく、ごくごく普通の一軒家だった。
愛原「こんにちは。東京から参りました愛原と申します。善場優菜主任の紹介で参りました」
玄関のインターホンを鳴らし、用件を伝えると、善場主任の面影のある老婆が出てきた。
恐らく、善場主任の祖母なのだろう。
老婆「優菜の言っていた東京の探偵さんですね。どうぞ」
愛原「失礼します」
私達は家の中に入らせて頂いた。