突然の豪雨。
走るべきか平然と歩くべきか。。。。
実はある時、ふと疑問に思ったのが、雨を浴びる量が距離に比例するならば、歩いたって走ったってあまり変わらないのではないか?という下らない疑問。
これを思いついたきっかけは、雨の中を車で走行しているときのフロントガラスを叩く雨粒の量が速度を上げることで増えたと感じられたこと。
速度を上げたときにパタパタとガラスを叩く音が大きく鳴り、『速度を上げたことで、結局受けなくてもいい雨粒を受けてしまっているのではないか?』と思った次第。
速度を上げなければ、地表に落ちていたはずの雨粒を速度を上げた自分の車がぶつかっていってフロントガラスに受けてしまったのではないか?という。。。。
はいはいはい。分かってます。分かってますって。(笑)
速度をあげたことで手前で受けるはずの雨粒を避けれたではないか?ということも同時に起きていることを念頭に入れろという指摘でしょ?速度を上げて当ったときの音が強くなっただけだという・・・・ね?
そう、それにはすぐに気付いたんです。
そして次に思いついたのが、
結局というかやはりというか「距離に比例するのだから走っても歩いても変わらないのではないか?」という疑問が次に沸いた訳です。
同じ距離を移動するのに走って行って雨宿りしても、歩いて行って辿り着いても所詮”距離に比例する”のならば、濡れる量は一緒?実は走ることは無意味なのではないか!?という下らない疑問に辿り着いた。
そこでもう一度考え直した。
距離に比例するのならば、走っても歩いても変わらないとするのであれば、
さらにゆっくり歩いても、普通に歩いても変わらないか?という疑問にぶち当たって、そして砕けた。
距離に比例するのであれば、雨の中で雨に打たれながら停まっていても距離に比例するからには距離0mでは”濡れないのか?”というとそんなことはないということで、氷解した。(笑)
結局濡れる量は「雨の中にいる時間に比例する」ことが分かったのだ。(笑)
極端な例で考えてみてやっと分った。
だから
走ることに意味はやはり”ある”ということだ。
最近ゲリラ的な雨に遭うことが多いですね?
皆さんは大丈夫でしたか?
走るにしても周囲の様子をしっかり見廻し、注意を払って走ってください。
ね!!
おそまつさまでした。
走るべきか平然と歩くべきか。。。。
実はある時、ふと疑問に思ったのが、雨を浴びる量が距離に比例するならば、歩いたって走ったってあまり変わらないのではないか?という下らない疑問。
これを思いついたきっかけは、雨の中を車で走行しているときのフロントガラスを叩く雨粒の量が速度を上げることで増えたと感じられたこと。
速度を上げたときにパタパタとガラスを叩く音が大きく鳴り、『速度を上げたことで、結局受けなくてもいい雨粒を受けてしまっているのではないか?』と思った次第。
速度を上げなければ、地表に落ちていたはずの雨粒を速度を上げた自分の車がぶつかっていってフロントガラスに受けてしまったのではないか?という。。。。
はいはいはい。分かってます。分かってますって。(笑)
速度をあげたことで手前で受けるはずの雨粒を避けれたではないか?ということも同時に起きていることを念頭に入れろという指摘でしょ?速度を上げて当ったときの音が強くなっただけだという・・・・ね?
そう、それにはすぐに気付いたんです。
そして次に思いついたのが、
結局というかやはりというか「距離に比例するのだから走っても歩いても変わらないのではないか?」という疑問が次に沸いた訳です。
同じ距離を移動するのに走って行って雨宿りしても、歩いて行って辿り着いても所詮”距離に比例する”のならば、濡れる量は一緒?実は走ることは無意味なのではないか!?という下らない疑問に辿り着いた。
そこでもう一度考え直した。
距離に比例するのならば、走っても歩いても変わらないとするのであれば、
さらにゆっくり歩いても、普通に歩いても変わらないか?という疑問にぶち当たって、そして砕けた。
距離に比例するのであれば、雨の中で雨に打たれながら停まっていても距離に比例するからには距離0mでは”濡れないのか?”というとそんなことはないということで、氷解した。(笑)
結局濡れる量は「雨の中にいる時間に比例する」ことが分かったのだ。(笑)
極端な例で考えてみてやっと分った。
だから
走ることに意味はやはり”ある”ということだ。
最近ゲリラ的な雨に遭うことが多いですね?
皆さんは大丈夫でしたか?
走るにしても周囲の様子をしっかり見廻し、注意を払って走ってください。
ね!!
おそまつさまでした。