とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2013天竜桜ウォークコースを走る

2013-03-30 21:35:32 | マラソン
遠州鉄道の駅のチラシで、天竜の桜の名所を歩こうという企画があることを知り、お花見に行くなら今日しかないと思い、夫婦で朝早くから出かけた。距離は12キロ程度とのことだったので、少し余分に走って15キロくらいにすれば午前中で帰ってこれるという計算だった。午後は、畑仕事を予定していた。

コースは、《スタート》遠鉄電車『西鹿島駅』~鳥羽山公園~二俣城址~船明ダム運動公園~天竜山の市~《ゴール》天竜浜名湖鉄道『天竜二俣駅』である。まず、遠州鉄道西鹿島駅でコースマップを貰い、コースを確認する。天気も良く、お花見には最適な日となったおかげで、大勢のウォーカーが集まってきていた。ただ、我々はマラニック仕様で西鹿島駅をスタートする。


二俣線のガード下を通ると、椎ヶ脇神社の石段が見える。遠州山辺の道マラニックでは、この石段を下りてくるのだが、神社には行かずに通り過ぎる。


鹿島橋の歩道を走り、天竜川を渡る。


橋を渡りきると、すぐに右折する。すぐに田代家という旧家があり、少し中を見学していく。天正8年徳川家康より御朱印を与えられた旧家で天竜川水運の中心的役割を果たしていたそうだ。田代家は鹿島五ケ村(北鹿島村、西鹿島村、瀬崎村、佐崎野村、川口村)の草分けで江戸時代には北鹿島村の名主と渡船場船越頭を勤める一方、天竜川筏の受け継ぎ問屋も経営していた旧家である。この近くを何度も通っていたが、こんな旧家があったことは知らなかった。ボランティアの管理人がいて、そんな歴史を紹介してくれた。


昔の鳥羽山トンネルを抜ける。


トンネルを抜けると鳥羽山公園への上り坂となり、急坂を喘ぎながら上る。鳥羽山公園も桜の名所だが、まだ七分咲き程度だった。山頂からは天竜川の流れがよく見える。




鳥羽山公園を下り、天竜川堰堤を走る。


二俣城跡入口。


竹林を抜ける。


二俣城本丸跡の石垣だ。二俣城(ふたまたじょう)は、遠江国豊田郡二俣にあった山城である。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城として知られる。


大園トンネルを抜ける。


塩見渡橋手前を右折して、船明ダム運動公園に向かう。船明ダムは、まさに満開の桜並木が連なっている。






船明ダムでタイヤキを買っていると、偶然イケさんの奥さんに出会う。少しランニングをした後、「お花見しながらおでんを食べていかない」と誘われた。おでんの支度が出来るまで時間があったので、時間を約束してから時間つぶしにしばらく走る。

「月」まで3キロ地点を通過。


伊砂橋が見えてきた。


伊砂橋を渡りきると、もと来た道を戻り船明ダム運動公園へ向かう。公園に戻ると、ちょうどいい時間となり、お花見が始まった。我々は、何も持っていなかったのだが、イケさんの奥さんや友達たちが持ってきてくれたおでんやおにぎり、果物、ビールなどいろいろご馳走になってしまった。予期しない歓待を受け、嬉しかった。




午後には帰らないといけなかったので、食べるだけ食べて先に失礼する。秋葉街道の桜並木も満開である。


光明小学校前を通過する。


民家の庭に咲いたモクレンの花が見事だ。
 

二俣川沿いの桜並木の下を走る。




秋野不矩美術館前を通過する。


南北朝時代に開山されたという栄林寺前を通過する。


枝垂れ桜はいつ見ても美しい。まさに春爛漫である。


毘沙門天王が祀られている毘沙門堂。毘沙門堂は、栄林寺の一堂宇で、記録によると「本尊の毘沙門天王は行基菩薩の作品と伝えられ、文禄4年(1595)2月に信者の寄進で堂宇が建立された」とある。


毘沙門堂を過ぎ、広い道に出ると、天浜線天竜二俣駅である。


遠鉄レール&ウォークのゴールは、天竜二俣駅である。しかし、ここで電車に乗っても乗り換えになり面倒なのでスタート時の西鹿島駅まで走った。寄り道したり、西鹿島駅まで余分に走ったので結局21キロくらい走ったことになる。お花見しながらの半日程度のマラニックでちょうどいい練習になった。

帰ってからは、久々に畑仕事となり今日は二回も汗をかいてしまった。

参考:今回のコースマップ