とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

高野山への道「3日目」

2015-05-22 12:51:40 | お遍路
今回宿泊した宿坊は、高野山宿坊教会近くの高室院だ。30人くらいの団体と、10名くらいの個人客が宿泊していた。早朝6時からのお勤めに参加し、住職のお話が終わったのは7時15分前くらいだった。7時ちょっと前から朝食となり、食べ終わると早々に旅立ちの支度をして、高室院を後にする。


7:24。奥の院の入り口に到着する。まだ、参拝者は少なく鬱蒼とした木々の間を進んでいく。


参道を進んでいくと、司馬遼太郎の碑があった。司馬遼太郎は、空海の思想と生涯を描いた小説「空海の風景」など高野山ゆかりの著作があり、碑文には、高野山について「日本国のさまざまな都鄙(とひ)のなかで、唯一ともいえる異域ではないか」と刻まれている。


さて、この参道には様々な戦国武将たちの墓が立ち並んでいる。たくさんあって、全てを確認したわけではないが、名のある武将の墓があちらこちらに見られた。まず、こちらは薩摩島津家の墓所だ。


武田信玄と子である武田勝頼の墓所。


これは、弘法大師の腰掛け石。


木々の隙間から太陽の光が、石塔を照らす。


加賀前田家供養塔。


豊臣家墓所。豊臣秀吉とその母、弟秀長など豊臣一族の墓がある。


織田信長の墓所。他の武将と比べ、シンプルな墓所だ。


7:50。御廟橋まで来る。ここからは、弘法大師御廟の霊域に入るとされ、この橋を渡るとき弘法大師が迎えてくださり、帰りは見送ってくださると言われているそうだ。脱帽して、服装を正し一礼して橋を渡る。この先は、写真撮影が一切禁止となっているので、写真がない。




奥の院の弘法大師御廟に巡拝して、やっと最後の最後の御礼参りが終わった。納経所で、最後に残った高野山奥の院のページに、墨書と御朱印を貰い、二か月半がかりで御朱印帖が全て埋まった。これで、やっと一つの目的が終わったと、大きな達成感に包まれた。奥の院の納経所は、早い時間だったから良かったものの、昼間であれば1時間も待たされることもあるそうだ。朝早く行って全てが順調に済んだのである。


8:20。奥の院を出ると、気持ちがいい天気となり、朝の空気が心地よかった。


9:00。奥の院前から、バスで高野山ケーブルの高野山駅まで移動する。


バスを下りると、すぐにケーブルカーが上がってきたので乗車する。


この高野山ケーブルは、最急勾配562.8‰(29°22')、最緩勾配でも273.9‰(15°19')という日本有数の傾斜を持つという。海抜539mの極楽橋から867mの高野山まで高低差は約330m。830mの距離で、これだけの高低差があるのだから、その傾斜は相当キツイ。


9:14。ケーブルの終点極楽橋駅に到着する。駅に降り立って、周りを見てビックリ。降り立ったお客のうち日本人は、私を入れて3人しかいない。あとはみんな外国人ばかりだった。如何に高野山は、外国人観光客が多いかと実感させられた。


30分ほど電車に揺られ、九度山駅で降り、車を止めた道の駅へと向かう。その途中、真田庵があったので立ち寄ってみた。善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田昌幸、幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺だ。




真田地主大権現。このお寺で、怒った姿の昌幸の霊がたびたび見られるようになったので、大安上人が昌幸の霊をこの地の大権現の神様にして祀ったという。その後、穏やかな顔になった昌幸が現れ、祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束し、真田地主大権現となった。


帰り道のガードレールには、“平成28年度大河ドラマ「真田丸」制作決定”の幟が張られていた。来年は、この九度山も観光客で賑わうことは間違いない。


10:30。道の駅に無事戻り、早々に帰宅する。出だしは雨だったが、帰りは好天に恵まれ気持ちよくお遍路を打ち終えることが出来た。

高野山への道「2日目」後半

2015-05-22 06:50:54 | お遍路
13:29。大門から、いよいよ壇上伽藍へと向かう。壇場とは曼荼羅の道場の意味で、小高い場所に位置することから「壇上伽藍」と呼ばれる。高野山の中核となる場所だ。そして、この中門は、昨年172年ぶりに再建されたばかりだという。


中門から入っていくと正面に見えるのが、金堂だ。一気に増えた観光客の波に乗って、中に入っていく。


この日は午後2時から、比叡山延暦寺の大法会があるというので、そのまま金堂の中で待つ。ちょうど、秘仏である本尊の薬師如来像が特別開帳されていた。残念ながら、写真は厳禁だ。


大法会が、なかなか終わりそうもないので、そおっと中から抜け出し先を急ぐ。金堂の隣にあるのが根本大塔だ。さすがに、高野山のシンボルとも言っていい立派な塔だ。数日前まで、根本大塔を使って3Dプロジェクションマッピングが行われていたそうで、それを見ることが出来なくて残念だった。


14:55。根本大塔のすぐ近くに1町石があった。この先が、金剛峯寺だ。


15:00。総本山金剛峯寺に到着する。


主殿に参拝し、御朱印と墨書を貰う。


そのまま、内部を拝観することにした。ほとんど撮影禁止の場所ばかりだったが、華道高野山と高野杉だけは、撮影を許された。




蟠龍庭(ばんりゅうてい)。2,340平方メートルの石庭は、国内では最大だという。この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているそうだ。




15:35。金剛峯寺を出て、この日に泊まる宿坊に寄る。荷物を置いて、奥の院まで行こうと思ったが、今からだと往復2時間半くらいかかると言われ、夕食の時間に間に合わなくなりそうなので、奥の院に行くのはやめる。

16:15。そのまま、宿坊にいるのはもったいないので、別方向にある女人堂まで歩いていく。その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口と呼ばれていた。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれていたようだ。この女人堂は唯一現存する建物だという。




女人禁制が説かれるまで、女性はこの先には入っていけなかったのだ。


16:25。女人堂からの帰り道にある徳川家零台にも寄る。1643年(寛永20年)に徳川3代将軍・家光によって建てられた霊舎で、向かって右側が初代将軍・家康、左側が二代将軍・秀忠が祀られている。こちらが家康の霊舎。




こちらが秀忠の霊舎だ。決して大きい建物ではないが、細かな彩色や彫刻が施され、金の飾り金具が使われるなど豪華な造りになっている。




16:50。宿坊に戻り、明日の奥の院行きの計画を練る。
この日の歩行距離:約26キロ。

高野山への道「3日目」に続く。