熊野本宮大社を参拝したあと、バスで道の駅「瀞峡街道 熊野川」まで移動する。その昔、皇族たちが熊野本宮大社と熊野速玉大社を巡拝する際に利用した川舟下りを体験するためだ。
道の駅「瀞峡街道 熊野川」周辺は、カヌー遊びも楽しいらしく、カヌーに乗った人形が大きな看板の前にあり、面白かった。
川舟センターで受付を済ませ、菅笠とライフジャケットを着用する。いかにも、熊野古道の参詣をする旅人っぽくなり、川原に停泊している川舟まで歩いていく。
語り部の女性と船頭が一人ずつ付いてくれる。
乗船前に記念撮影。
いざ、速玉大社に向けて出発だ。
和歌山県側にある、布引の滝。国道の奥にあるのだが、車を止めるところがなく、山陰に隠れて国道からは見ることができないという。舟下りでなければ見えない景色だ。
三重県側にある、蛇和田滝。三段となって蛇のように蛇行しながら落下する滝。三重の滝ともいわれている。
柱が並んでいるような柱状節理の岩。
岩肌に、苔で丸い円が4つ描かれているかのように見える。
骨嶋。真っ白で背骨のような石が横たわっている。熊野権現に切られた鬼神の骨だという。
釣鐘石。釣鐘形の岩の割れ目が川に落ちかかりそうに立っている。この石が落ちるとこの世が滅ぶといわれているそうだ。
波が荒い場所を通る。舟がゆれて少しスリルがある。
高田川と熊野川の合流地点。熊野川は濁っていたが、高田川の水の流れは清く、川底が透き通って見える。
三重県側の山の斜面が削り取られ、いくつもの筋になって見える。
70分ほどの川舟下りで、熊野速玉大社近くの権現河原に到着する。河原では、我々の荷物を運んできた車が待機してくれ、熊野速玉大社まで車で送ってくれた。
川原家横丁。江戸時代から昭和にかけて熊野川河川敷には「川原家」という簡易商店が並んでいた。川が増水すると家をたたみ、水が引くと再び組み立てた当時の簡易商店をイメージした施設が熊野速玉大社近くにあり、語り部の説明を聞く。
その後、熊野速玉大社に少し寄ってから、新宮駅まで歩き、駐車場に止めてあった車で帰路についた。
道の駅「瀞峡街道 熊野川」周辺は、カヌー遊びも楽しいらしく、カヌーに乗った人形が大きな看板の前にあり、面白かった。
川舟センターで受付を済ませ、菅笠とライフジャケットを着用する。いかにも、熊野古道の参詣をする旅人っぽくなり、川原に停泊している川舟まで歩いていく。
語り部の女性と船頭が一人ずつ付いてくれる。
乗船前に記念撮影。
いざ、速玉大社に向けて出発だ。
和歌山県側にある、布引の滝。国道の奥にあるのだが、車を止めるところがなく、山陰に隠れて国道からは見ることができないという。舟下りでなければ見えない景色だ。
三重県側にある、蛇和田滝。三段となって蛇のように蛇行しながら落下する滝。三重の滝ともいわれている。
柱が並んでいるような柱状節理の岩。
岩肌に、苔で丸い円が4つ描かれているかのように見える。
骨嶋。真っ白で背骨のような石が横たわっている。熊野権現に切られた鬼神の骨だという。
釣鐘石。釣鐘形の岩の割れ目が川に落ちかかりそうに立っている。この石が落ちるとこの世が滅ぶといわれているそうだ。
波が荒い場所を通る。舟がゆれて少しスリルがある。
高田川と熊野川の合流地点。熊野川は濁っていたが、高田川の水の流れは清く、川底が透き通って見える。
三重県側の山の斜面が削り取られ、いくつもの筋になって見える。
70分ほどの川舟下りで、熊野速玉大社近くの権現河原に到着する。河原では、我々の荷物を運んできた車が待機してくれ、熊野速玉大社まで車で送ってくれた。
川原家横丁。江戸時代から昭和にかけて熊野川河川敷には「川原家」という簡易商店が並んでいた。川が増水すると家をたたみ、水が引くと再び組み立てた当時の簡易商店をイメージした施設が熊野速玉大社近くにあり、語り部の説明を聞く。
その後、熊野速玉大社に少し寄ってから、新宮駅まで歩き、駐車場に止めてあった車で帰路についた。