1941年12月(昭和16年)日本は太平洋戦争へと突入しました。そして花子はついにラヂオのおばさんをや辞める決意をします。
(花子) 今日限りで、「コドモの新聞」を辞めさせて頂きます。
(黒沢) なぜですか?
(花子) 私の口から戦争のニュースを、子供たちに放送する事はできません。
戦時中であっても何とか子どもたちに夢を与えるようなニュースを送ろうと思っていた花子でしたが、その花子に辞める決意をさせたのは情報局情報課長のこの一言でした。
(進藤) 国論統一のために、今後一層ラジオ放送は重要になります。放送を通じて、子供たちを、よき、少国民へと導く事を、期待します。
子供たちをどう導くというのか、原稿は一字一句検閲され、自分の言葉ではもう伝えられなくなっています。国民を扇動することなどしたくない…そう思ったのでしょうね。もう、黒沢が引き留めても花子の気持ちは変わりません。
(黒沢)村岡先生。これ、持っていらして下さい。
村岡先生宛てに届いた、子供たちからの手紙です。お考えは、変わりませんか?
(花子) 申し訳ありません。9年間、お世話になりました。
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花子は9年もの間、ラヂオのおばさんをしたのですね。よく、漆原部長のパワハラに耐えたものです。それもこれも子供たちが自分を待っていてくれるという気持ちがあったからでしょうね。
”おもしろかったです。また、あしたもききたいです。”
ファンレターにはこんなことがかいてありました。この言葉が支えとなっていたのでしょう。
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久しぶりに登場したチーム山梨の面々。
みんな、ふんとうにふけちまったじゃんね。
徳丸さんのひげに白いものが混り、武がお父様と同じように口髭をはやしるじゃん。若いおなごしが、一人もいんということは、武はまだ嫁を貰っていんずら。朝市の嫁もいんじゃんね。
てっ!りんさんがえらくふけっちまってびっくりしたずら。朝市が嫁さん貰って少しは楽をしていると思ってたけんど。朝市家の暮らしも見てみたいじゃんね。