「・・・・・・ねえ、どうして道が赤くなるの?」
「そうさな、どうしてかなぁ」
マシュウは答えた。
「いいわ。それもいつか、しらべだすことの一つだわ。これから発見することがたくさんあるって、すてきだと思わない?あたししみじみ生きているのがうれしいわーーーー
世界ってとてもおもしろいところですもの。
もし何もかも知っていることばかりだったら半分もおもしろくないわ。
そうでしょう?・・・・・・」
1893年(明治26年)山梨県甲府市で生まれた村岡花子は、翻訳者として遂に世紀の大ベストセラー「赤毛のアン」出版にこぎつけました。それは、決して花子一人の功績ではありませんでしたね。
最終回、この本を出版するのにどれだけの人々がかかわり、そしてどれだけの時間を有したか…人々の頭には白いものが増え、その年月の長さと苦労を思い知らされます。
山梨を舞台に繰り広げられた「花子とアン」物語。図書館で、文学館で、NHK甲府放送局で、関連の講演会やトークショーが開かれ、このドラマのお蔭でいろいろ勉強させてもらったじゃん。半年間、ふんとうに楽しかったさ。
途中、あまりにこぴっと!が飛び交うから、今年の流行語大賞になると思ったけんど、終盤は東京が舞台だったから、めっきりこぴっと!が減っちゃったじゃんね。ちょっと残念だけんど、このこぴっと!はいい言葉だよ。残していきたいじゃんね。
てっ!お父うやんの葬儀に顔を見せなかったから、心配してたけんど徳丸甚之助さん、元気だっただね。
ふんとうに柔和ないい顔をして…得を積むとこんないい顔になるだね。安東家はこの徳丸さんにどれだけ助けられたことか。
てっ!ぶどう酒を飲んでるじゃんけ。
日向ぼっこしながら、武に本を読んでもらって…そのうちうつらうつらしだすだよ。徳丸さんにはきっと「赤毛のアン」は退屈だからね。穏やかないい晩年だね。
村田一郎先生もお隠れになりました。
終わることより、スタートを祝ってあげたいですね。
香川にしても村田先生にしても、人生の終焉は誰にも来るはず。早いか、遅いかの違い…。
曲がり角の先には何があるかわからないので、終活は大事です。