続き
この峠にはお助け小屋と呼ばれる茶屋が在ります(現在の茶屋は下の村から移築したもの)。 茶屋の縁側に座り館内から流れてくる哀史に耳を傾けていますと寒さに震えながらも「ここで休める」と安堵する少女の顔がちらつき目頭が熱くなりました。 女工たちは稼いだ1年分の僅かな給金を懐に父母の元へと帰る途中、仮寝の宿とした茶屋でしたが大勢が泊るには狭すぎて表にムシロを敷いて野宿した者も居たとナレーションは伝えていました。
時刻は12時を回りました。ここで私達は「野麦そば」を戴く事にしましたが当時、少女たちが口にした物は何だったのでしょう。たとえ具は無くも暖かな蕎麦で体を温めて上げたかったですね。
何の花でしょうか、峠を吹き抜ける風に揺れる姿は、まるであどけなさが残る少女の様に見えませんか?
この花の名前はリナリアだそうです。ヒゲさん有難うございました。
あぁ 飛騨が見える
女工の給金は1年で20円貰えれば良い方だったそうです。そうした中で国外向けにならない糸を出した者は皆の前で罵倒されたあげく給金から引かれるという厳しい罰則が在った様です。
腕の良い「みね」は3年で100円工女に上り詰めましたが、無情にもその時「みね」の体は結核に侵されておりました。 使いものにならなくなった者に対する工場側の扱いは酷く「みね」は物置小屋へ放り出されていたと言いますから何と言う事でしょう。 知らせを受けた兄、辰二郎は夜を徹して工場へ引き取りに向かいました。 見送る者もなく裏門を潜る時、門番が目に涙を溜め「元気になって又、来いよ。心もしっかり持ってな」と言ってくれた言葉だけが人間らしい優しさだったと後に辰二郎は語ったと言います。
この時「みね」は既に腹膜炎を起こしておりました。お助け小屋に着いたとき力なく口にした「あんさ(兄)・・・あぁ・・・飛騨が見える」と言った言葉が「みね」の最後の言葉だったのですね。
広がる自然園には晩夏の名残花が散見されます
ヨメナ
マツムシソウ
ウメバチソウでしょうか?
木の枝には美味しそうなヌメリスギタケモドキが
最後に乗鞍岳にもう一度、目を向け野麦峠を後に、工女たちが歩いた道付近を通った時、行きには気付かなかったツタウルシが真っ赤に染まっておりました。
(続く)